【完結】街からウマ娘が消えた日   作:粋成

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本作品は実際に起きた出来事をモデルにしていますが、全てが史実通りではありません。ご了承ください。


8月26日 中

 きょうの新聞にあった廃止の報を受けてか、荒尾レース場は異様な雰囲気に包まれていた。

 スタンドに詰めかけた観衆の数は普段よりも明らかに多いが、誰も心から観戦を楽しめているようには見えない。彼らがグラウンドを眺める表情には、不安と、それを否定してくれるのではという僅かな期待が入り混じっていた。

 

 視線の先にあるウマ娘もまた、いつもとは全く違った様子を見せている。

 中央に比べると比較的()()()荒尾のウマ娘たちであっても、流石にレース本番になると気を引き締めて真剣に走る。しかし、今日の彼女達には全くと言っていいほど覇気がなかった。

 走りに精彩が無いとか、ゲートから出遅れるとかはまだマシな方。完全に入れ込んでいつまでもゲートに入らなかったり、走りたくないと駄々を捏ねる娘までいる始末で、とてもレースが開催されているとは思えない惨状だった。

 

 注意深く観察してみれば、他にも平常心を失っている者を見つけることができた。ウマ娘たちのトレーナーや、レース運営に携わる係員だ。

 落ち着きなく足元を蹴るウマ娘を宥めるのが彼らの仕事のはずなのに、今日はちっとも役目を果たせていない。むしろ、彼らの不安な様子がウマ娘たちに伝染してしまっていた。

 

「終わってるなあ……」

 

 大部屋の控え室で出番を待つイマリオーエンスは、中継映像に映し出された動揺するウマ娘たちの姿を()めつけながら苦々しげに吐き捨てた。栗色のしっぽがバタバタと擦り切れかけた畳を叩いている。近くにいた後輩のウマ娘が怯えたようにぴくりと身を震わせたが、そんな事は気にも留まらなかった。

 今の荒尾レース場はバラバラだ。誰1人として、まさに今開催されているレースの事なんか考えていなかった。

 全員が他の事にすっかり気を取られてしまって誰も自分の役割を果たせないこの状況では、レース場に来てくれたお客さんが楽しんでくれるはずがない。

 

 それは、駄目だ。

 

 競争ウマ娘は、みんなを楽しませるために走っているのに。

 この調子では、荒尾レース場の廃止を食い止めるどころか、「ああ、やっぱり荒尾のウマ娘は駄目だった。廃止にして正解だな」と思われてしまうのがオチだろう。仮に大人しく終わりを受け入れたところで、後になって思い出すのがこんな適当なレースになる事は誰も望んでいない。

 今後どうするにしても、バラバラになった荒尾レース場を再び一つに纏め上げる必要がある。

 

 ──なのに、肝心のまとめ役が、後輩達から慕われている最年長のエイシンコンドルが、今は周囲に不安を伝染させる側に立っていた。

 

 ゲート前に立ち尽くして呆けたように大観衆のスタンドを眺めるコンドルは、耳をしょんぼりと伏せてしまっている。その姿からは元気の欠片も感じられなかった。映像越しなので細かく分からないけれど、よく見ると呟くように小さく口を動かしているような気がした。

 レースに向けて己を鼓舞しているのではなさそうだ。……君はスタンドに何を見ている、コンドル。

 

 当然、『荒尾の長老』たる彼女がこの調子では、周りのウマ娘が落ち着けるわけがない。

 心ここに在らずといった様相のエイシンコンドルを心配そうに見守る後輩の娘たちも、やっぱり目の前のレースに気持ちを向けられていなかった。

 感情を押し殺したように粛々と進められる発走準備に、ウマ娘たちは流されるがままにしてゲートへ押し込まれてゆく。覚束(おぼつか)ない様子でスタートを待つ彼女たちの姿は、ぼくの目にはまるでトレセンに入学したての新入生のように見えた。

 

 ゲートが開く。

 一拍遅れてウマ娘たちが、更にもう半拍遅れてエイシンコンドルが吐き出されてきた。見るからに()()()()、闘志を感じない走りだ。

 

 何、やってんだよ。

 

 

◇◇◇

 

 

「お疲れ、コンドル。いい走りだったよ」

「……」

 

 終始最後方を走った親友は、控え室に戻ってきても黙って俯いたままだ。焦げ茶の前髪に覆い隠された表情は窺うことができない。

 ぼくの(ねぎら)いの言葉が聞こえたかどうかも判らなかった。

 

「……私、何もできなかった」

 

 数秒の間を置いて、ようやくコンドルは口を開いた。

 心の奥底からじゅくじゅくと悔しさが滲み出しているようだった。

 

()()()の分まで走らないといけないのに、何もできなかった。お客さんに夢を見せないといけないのに、何もできなかった!スタートすらまともに出来ないで、ずっと最下位で、惨めに負けただけ!こんなの、走らないほうがましよ!」

「コンドル、落ち着いて」

「落ち着けるわけがないでしょう!マリ、貴女も記事を読んだでしょ?荒尾レース場が無くなっちゃうのよ!?私たち、来年にはもう走れなくなってるの!……何が、何が()()()の分よ。何がお客さんの夢よ。限界まで走り続けようって今まで頑張ってきたのも、全部何の意味もなか──」

「エイシンコンドル!」

「っ……!」

 

 それ以上は、思っても口に出してはいけない。きっと取り返しがつかなくなるから。

 

 他の子たちもいるのに、控え室はしんと水を打ったように静まり返ってしまった。

 ぼくは何も言わず、旧友の両頬に手を添えぐいとこちらを向かせる。暗く茶色に濡れた瞳を、じっと覗き込んだ。

 

「コンドル、こっちを見ろ。……ぼくの目を見ろ」

 

 ぼくの目をまっすぐ見ることさえ出来やしない彼女の瞳は、頼りなくふらふらと揺れていた。あるはずのない、都合のいい救いの手を探しているようにも見えた。

 

「ぼくは、まだ諦めてないよ。荒尾レース場はまだ終わってない。終わらせなんてしない」

「……」

「今朝の記事を覚えてる?『9月に行われる荒尾市議会で正式に決定される予定だという』って書いてあったはずだ」

 

 10cm先にある瞳孔は、いまだにぼくを見ていなかった。

 

 苛々する。何に対してムカついているのかは自分でも分からないけれど。

 どうか、この行動が八つ当たりではありませんように。自分のことながら、まるで他人事のようにぼくは願った。

 ぼくのこれは目的のある叱咤であり、ただ理不尽に矛を向けたのではないと思いたかった。

 

 ここまでヒントを与えても言葉の先を読もうとしない察しの悪い友人へ内心で舌打ちしつつ、ぼくは続けた。

 いつもなら、もう察してくれるタイミングなのに。

 

「つまり、()()()()()()()()()()()()()

 

 ようやく彼女はぼくを見た。目に少しだけ理性の光が灯り、普段と比べると周回遅れののろさでぼくが放った言葉を反芻し始めた。

 

「今なら間に合う。ぼく達の力で、荒尾レース場を守るんだ」

「そ、そんな事、できる訳がないじゃない」

 

 初めて彼女は返事をした。

 否定から入る、いちばん嫌いなタイプの返事だ。ぼくは黙って続きを促した。

 

「私達は只のウマ娘なのよ?議員さんみたいな偉い人じゃない。市が決めた事には逆らえないで、()()無抵抗にバラされてしまう運命に決まってるわ」

「だからって、何もせずに諦めるの?」

「それは……」

「動かなければ、何も起きずに終わるよ。コンドル、君は荒尾レース場の終わりを、指を咥えたまま眺めているのかい? ぼく達の居場所が奪われるのを、ただ黙って受け入れるのかい? 違うだろ。ぼく達は限界まで頑張るって決めたんだから、最後の最後まで荒尾のウマ娘を守る為に戦おうよ」

 

 一瞬、コンドルの表情がなにか思案する様子を見せた。

 ぼくは彼女に考える暇を与えないまま、言葉を続ける。今ここで乗り気になってもらわないと終わりだ。動かなければ何も出来ずに沈むだけだから。

 

「けさの記事で君が何を思い出したのか、ぼくには分からない。君が上山(かみのやま)で何を見たのかも知らない。でも、今のコンドルはぼくと同じ荒尾のウマ娘だ。そうだろ? だと言うのに、上山の記憶に囚われたままで、荒尾の為に何もできないのなら……ぼくは、凄くがっかりすると思う」

「ち、ちが、そんなつもりじゃ」

「だったら立ち向かうんだ。どんな手段を使ってでも、荒尾レース場を守るんだ」

 

 誘導するような、卑怯な言い方だとは自覚していた。でも、今のぼくには些細な問題に過ぎなかった。

 正当さを考えるのは全てが終わった後でいい。

 

「ぼくは本気だ。疑うのなら、今から走るレースを見ていてくれ。最高の走りを魅せて君の目を覚ましてあげるからさ。……それだけじゃない。今日このレース場にいる全員に思い知らせてやるよ。荒尾レース場はまだ終わってない、ってね」

 

 控え室にいる全員がぼくの言葉に耳を傾けている気配を感じながら、言うだけ言って会話を切り上げる。

 ぺたりと畳に座り込んだコンドルをその場に残して、ぼくは物音一つしない控え室から立ち去った。

 

 ……格好つけて出て行ったのは良いけれど、召集までだいぶ時間が余っちゃった。どうしよう。

 

 

◇◇◇

 

 

 パドックで軽く柔軟体操をしつつ、一緒に出走するウマ娘の様子を窺ってみたところ、どの娘も比較的気合が入っているように見えた。

 控え室でぼくの話を聞いていたからだろうか?それ自体は良い事なんだけれども、まだまだ普段に比べると集中できてない。これじゃ足りない。

 

 皆をハッとさせる走りを魅せたいなら、ぼく1人だけが全力で走っても駄目だ。レースに出場する全員が本気で勝ちに来る熱い勝負の中でこそ、ウマ娘は輝くのだから。

 つまり、今日の作戦の前提として、他の7人の出走者を本気にさせる必要があった。

 ……まあ、そんなの簡単だけどね。

 

「今日のレースでぼくより先にゴールしたら、オフの日にぼくの奢りで三井(みつい)グリーンランドに連れて行ってあげるよ」

 

 パドックでの出番が終わり、コースへ向かう連絡通路を通っている途中。ぼくは団子になって歩く後輩達の前に躍り出ると、胸を張って宣言した。

 九州でも3本の指に数えられる、荒尾が世界に誇る巨大テーマパークの名前は、うら若きウマ娘たちには効果覿面(てきめん)だったようだ。

 

「グリーンランド!?マジっすか、絶対行きます!ジェットコースター全制覇目指すっすよ!」

「プールは、勿論プールにも行きますわよね!?わたくしウォータースライダーが大好きですの!」

「……週末空いとぉけん(あいてるから)、楽しみにしとくばい、イマリ先輩」

 

 ギラギラと欲望に目を輝かせた後輩達がわっと詰め寄ってきた。思った以上の剣幕に一瞬身が(すく)みそうになったけれど、堪えて先輩の威厳を保つ。

 

「一応言っておくけど、ぼくに勝ったらの話だからね。もしかすると、誰も行けないかもしれないよ?」

「中々言うっすね、センパイも。……自分、ガチで勝ちに行くんで。覚悟してくださいね」

「……もう勝った気でおるん?ばってん(でも)、そう簡単には勝たせんけんね(ないからね)

「それで、プールには行くのかしら?」

 

 安い挑発だったけれども、彼女達の瞳に宿った欲望の輝きはたちまち闘争心の炎に変化していた。

 生意気で、現金で、それでいて熱されやすい性格の後輩が、今はとても愛おしく感じられる。……約1名、あまり話を聞いてなさそうなのが居るけども。

 ともかく、戦意を煽りまくる作戦は成功したようだ。我先にとゲートへ向かう後ろ姿を見送りながら、ぼくは気付かれないようにそっと息をつく。

 

 手は打った。あとは勝つだけだ。

 

 

◇◇◇

 

 

  控え室のモニターが一番良く見える場所には、先程に比べて更に元気を無くした様子のエイシンコンドルが体操座りで陣取っていた。普段は周囲に元気を振り撒く彼女が、今は一切の言葉を発さず物思いに耽るようにして映像を見つめている。

 畳を尻尾が撫でるサワリという音だけが、時折部屋に響く。

 何となく、控え室にいる他のウマ娘にとっても、今は黙って中継映像を見守らなければいけないような気がした。そんな空気が部屋に満ちていた。

 

 中継に映し出された出走ウマ娘たちは、やたらに気合が入っているように見えた。

 

 ゲート前で待機する彼女達は、まるでテレビで見た中央の重賞やG1レースを走るウマ娘のような、身体から溢れ出る色のついたオーラを幻視するような、凄まじい気迫を纏っている。

 ある娘は祈るようにして両手を胸にかざし、他のある娘は獰猛な笑みを浮かべながら拳をもう片方の掌に打ち付けている。腕を組み、仁王立ちのまま瞑目して動かない娘もいる。まるで命を賭けた勝負に挑むかのような様子だった。

 地方の一般レースでこんな雰囲気になるのは、ちょっと普通じゃない。今日の第8レースで何かが起きようとしていた。

 

 ──もしかして、あの娘たちも荒尾レース場のために頑張ると決めたのかもしれない。

 

 モニターを眺めているウマ娘たちに、ふとそんな考えが沸き起こった。

 つい先刻にこの部屋でイマリオーエンスがかました大演説の内容を思い出す。荒尾レース場に集まった全員の目を覚ましてやると意気込んだ彼女の、メラメラと燃え盛る決意に感化されたのだろうか。

 

 もしも、本当にそうだったら……格好いいなぁ。

 諦めたり、現実から目を背けたりせずに、真っ向から立ち向かおうとするのって、凄い。

 実るかどうかも分からない努力ができるのは、もっと凄い。

 

 今から出走する娘たちがそれを実行してみせるのに、自分が何もしないのは……それは、駄目だよね。

 

 同じ結論に辿り着いたのだろう。控え室では、静かに拳を握って意志を固めるウマ娘が同時多発的に発生していた。

 熱く血を滾らす彼女達により、心なしか室温がわずかに上がったようにまで感じられる。思いが通じ合ったのか、目線を交わして頷きあうウマ娘までいた。

 

 8名の出走者が見せたレースに臨む真剣な態度は、早くも荒尾のウマ娘たちの意識を変える巨大な奔流を生み出そうとしていた。

 ──その発端が遊園地へのチケットだという事は、まだ誰も知らない。

 

 一方その頃、出走者全員のゲートインは淀みなく完了していた。

 今日一番の集中力を見せるウマ娘たちにつられてか、今まで野放図な騒ぎに支配されていたスタンドも息を飲むように静かになっている。

 第8レースになって、ようやく会場全体の意識が競争に向けられた瞬間だった。

 

 舞台は整い、役者も揃った。あとはゲートが開くだけ──

 

「あっ」

 

 中継映像に映し出されたのは、明らかに出遅れて最後方からの走りを余儀なくされたイマリオーエンスの姿。

 

 誰が発したか分からない呟き声は、控え室のウマ娘たちの思いを代弁しているようだった。

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