【完結】街からウマ娘が消えた日   作:粋成

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本作品は実際に起きた出来事をモデルにしていますが、全てが史実通りではありません。ご了承ください。


9月1日

 数年ぶりに身に纏ったスーツは、予想に反して今の体型にすっきりと合っていた。

 エイシンコンドルは久しぶりの感覚に少し戸惑いながらも、体を捻って全身の様子を確認する。

 

 ──よし、お腹も出てないしお尻も大丈夫。体型は崩れてなさそうね。仕立て直す羽目にならなくて良かった〜

 

 己の自己管理力を実感しながら、私は満足して焦げ茶色の尻尾をふるりと一度揺らした。濃紺の生地に暗い茶色がよく映えている。

 部屋を出て、動き心地を確かめるために両肩をぐるぐる回しながら廊下を歩く。すれ違った後輩に妙なものを見るような目を向けられるが、むしろ今はスーツ姿を見せびらかしたい気分だった。

 

 向かった先はイマリオーエンスの個室だった。

 特に合図もせず無遠慮に扉を開けると、どうやら彼女も丁度着替え終わった所のようだった。少しむず痒そうに姿見を覗き込んでいる。

 ヘイアンウエールズの姿はない。まだ自室で準備中なのだろう。

 

「いいじゃない、マリ。スーツ姿も新鮮で似合ってるわね」

「ああ、コンドルか。久しぶりに着たから何だか変な気分だよ……それはそうと、最低限入る前にノックぐらいはして欲しいもんだけどね」

「今更隠すような物も無いでしょう?それより、貴女(あなた)のスーツ姿を見るのが初めてで何だかちょっと可笑(おか)しい気分」

「そりゃあ、トレセンでわざわざ着る機会なんて無いからね。まさかこっちで着る日が来るなんて思わなかったよ」

 

 着心地を確かめるように全身を軽く動かしながら、マリは素っ気ない様子で言葉を返した。

 

 基本的に、トレセンに所属するウマ娘が公的な理由でスーツを身につけることはない。

 普段着は制服やジャージ、もしくは私服だし、レースでは体操服を着て、勝てばライブ衣装を纏う。生活の全てはこれで完結するので、わざわざスーツを引っ張り出す機会はない。着るのはプライベートで冠婚葬祭などの場面に出席する時ぐらいだ。

 だから、長い付き合いの友人でもスーツ姿を一度も見たことがない、なんて事はよくある。

 

 では、どうして私達はスーツを着ているのかと言うと、それは今から行く場所に関係があった。

 

 これから向かうのは荒尾市役所。

 荒尾レース場に所属するウマ娘の代表として、ウェルを含んだ私達3名は市長さんに嘆願書を提出しに行く予定だ。もちろん代表者に選ばれたトレーナーも同伴する。

 レースに直接関係のない公の場に出るため、こうやってスーツを着用する事になったのだ。

 本当は制服でも大丈夫だと言われたけれども、流石にそれは遠慮した。この年齢で学生服を着るのは……何だかちょっと妖しい雰囲気になってしまう。

 

 ──これが中央の実力あるウマ娘だったら、フォーマルな一張羅という事で勝負服を着ていたのかもしれないなぁ。

 

 勝負服を着たウマ娘が荒尾の寂れた市庁舎に乗り込む光景をふんわり想像していると、暇を持て余したマリが鏡の前で無駄に格好つけたポーズを取り始めた。

 私も負けじと参戦する。あ、これちょっと楽しい。

 

「ふたりとも、お待たせしました!遅れてごめんなさ…い……?」

 

 全身の関節をフルに使った戦いが白熱を見せた頃に、ようやく最後の1人がやって来た。

 こちらを見て絶句しているウェルに、私とマリは奇怪なポーズを意地でも崩さないよう必死に耐えながら小さく手を上げて応える。

 きっと明日は変な場所が筋肉痛になるだろうなあ。

 

 

◇◇◇

 

 

「今日は大安吉日だ、きっと良いことがあるさ!」

 

 荒尾市役所の建物を前にして、同伴のトレーナーさんがまるで誰かを元気付けるような声を上げた。宛先のはっきりしない言葉に私は曖昧な頷きを返す。

 パリっと糊の効いたカッターシャツを私達よりもずっと上手に着こなすトレーナーさんは、けれども普段の熱血ぶりから見違えるほどに緊張しているようだった。

 彼の担当ウマ娘がこの姿を見たら驚くだろうな。ふとそんな事を思う。

 

 9月になっても夏は自己主張をやめない。

 雲ひとつない空から容赦無く照りつける日光は、風の少ない今日の荒尾をひたすらに熱している。私たちがトレセンから市庁舎まで歩いている間にも暑さは猛威を振るい、おかげで全員がさっさとジャケットを脱いでしまった。

 眩しく輝く白いシャツがとても新鮮に感じる。

 

 徒歩で10分もしない道のりですっかりと体が熱せられてしまった私たちは、逃げ込むようにして市庁舎に入った。

 冷房の効いた空気がじとりと染み出した汗を攫い、全身が一気に冷める。この不健康な温度変化が夏の醍醐味だが、今はそれを堪能している場合ではなかった。

 

 ここは敵地だ。

 

 ちらりと目線を交わし、私達ウマ娘は表情を引き締める。この場で隙を見せてはならないから。

 いつの間にか上着を着ていたトレーナーさんが、明らかにぎくしゃくした歩みで受付窓口へと向かい、そして二言三言ほど言葉を交わす。

 受付の人がちらりと私達に視線を向けた後、得心の行ったような表情を作った。

 

「今から案内の人が来るらしい。少しここで待っていなさい」

 

 トレーナーさんはそれだけ言うと、お手洗いのある方へそそくさと去っていった。

 私達3人は手持ち無沙汰にその辺りのソファに座る。

 

 何となく、方々(ほうぼう)から視線を感じる。

 本当に視線を向けられているのかも、視線に込められた感情も分からないけれど、私にはそれが居心地悪く感じた。

 

 どくん。

 

 少し、動悸がした。

 

 気がつけば、私に向けられた視線の力が強まったような感覚がした。

 その中に込められた感情が今は手に取るようにわかる。これは……敵意だ。

 

 突然私はこの場から逃げ出したい衝動に襲われた。

 一丁前にスーツなんかを着ている自分が恥ずかしく感じた。荒尾の人々からどんな目で見られているか、知りたくなかった。

 

 嫌な想像が膨らむ。

 

 もしかして、私達ウマ娘はもう求められていなかった?廃止に向けて動いているという事は、つまり用済みという事ではないだろうか?

 だとしたら、私達ウマ娘は何の為に走っているの?荒尾の人々ではないなら、つまり自己満足のため?

 ひょっとすると、上山(かみのやま)の時も同じだったのかもしれない。惰性で続けられたレースと、惰性で走り続けたウマ娘。そこには何も産み出される物がなかったのかもしれない。

 

 脳裏をチラつく真っ黒な記憶を振り払おうとするけれど、ヘドロのように思考に纏わり付いて離れない。

 思わず手を胸に当てる。早鐘を打つ心臓も収まる気配を見せない。

 全身に突き刺さる感情にこれ以上耐えられる気がしない。

 

 誰からも必要とされてないなら、やっぱり全てを諦めてしまった方が良いのかも──

 

 

 

「コンドル先輩、大丈夫ですか?」

 

 ウェルの言葉に、ハッと意識を引き戻された。

 空調が効いているにも関わらず出て来た汗を不快に思いながら、私は勢いよく周囲を見回す。

 あっ、うまむすめだー、と幼い子供が舌足らずな声をあげ、それを近くに座っているお年寄りがニコニコと見守っている。

 

 つい先程まで感じていた刺すような視線は、市役所のどこにも存在しなかった。

 早まっていた呼吸が少しずつ本来のペースを取り戻す。

 

「う、ううん、何でもないわ。大丈夫よ」

「それなら、いいですけど……体調が悪いなら無理したら駄目ですよ」

 

 心配そうに私の顔を覗き込んでくる後輩から私は目を逸らしたくなった。

 ちらりとマリの方を窺う。何かのパンフレットを読んでいた彼女は、視線に気づいたのか一瞬だけ私を見て、再び紙面に目を落とす。

 何も気付かない様子のマリを見て浮かんだ安堵の正体を、私は説明することができなかった。

 

「大変お待たせいたしました。案内いたしますので、こちらに付いていらしてください」

 

 案内の人が私たちに声をかけた時、ちょうどトレーナーさんも少しだけスッキリした表情で戻って来た。

 

 

◇◇◇

 

 

 2階の奥の部屋に通された。

 

 『市長公室』と札のついた扉の向こうは、予想に反して質素なつくりだった。シンプルな机が並べられた光景は少しだけ殺風景にも思える。

 私達が入った時には、既に何人かの見知らぬ人が部屋で待機していた。各々がカメラを持っている事から、記者か何かだと想像できる。

 市長さんはまだ来ていないようだ。

 

 数分ほど経った後、不意に入り口の扉が開いた。

 そこにいたのは、何度か地元のニュースで見たことのある顔の持ち主だった。

 初老に差し掛かったその男の人は、優しそうな目つきをしている。紛れもなく荒尾市長だ。

 

「き、今日はわざわざ時間を取っていただき、ありがとうございます」

「なに、礼には及ばないさ。レース場は荒尾市にとって非常に大切な存在だからね」

 

 再び緊張でガチガチになってしまったトレーナーさんと、社交辞令のような言葉を交わす市長。その視線はやけに私達ウマ娘に向けられることが多いように感じた。

 それから幾度かのやり取りがあった後、本題となる嘆願書の提出になった。

 

「荒尾レース場の存続を強く嘆願します」

 

 練習通りのセリフと共に、両手で仰々しく書類を突き出すトレーナーさん。

 市長さんは嘆願書を手に取る格好で一旦動きを止める。かしゃり、かしゃりとシャッターの音が静かな室内に響いた。

 少しの間があって、ようやく市長さんが書類を受け取った。私達は揃ってぺこりと頭を下げる。再びのシャッター音。

 

 まるで儀式のような形式ばった手続きは、これで終わった。

 

 私達ウマ娘はついて来てお辞儀をしただけ。

 責任者ではないから仕方ないけれど、この場において私達は儀式を彩る飾り付けでしかなかった。

 

 ──この場では、ね。

 退室して殺風景な廊下を歩きながら、私達3人は意味ありげな目配せを交わした。

 

 

■■■

 

 

 今日の公務を全て終えた市長は、センチメンタルな感傷に浸っていた。

 

 無理もない。昼の嘆願書提出により、彼は自らが下そうとしている決断の重さを再び認識する事になったからだ。

 彼の脳裏には、レース場で幾度となく見た事のある3名のウマ娘の顔がこびり付いていた。

 荒尾レース場が無くなれば彼女達は行き場を失う。シンプルで避けられない事実が、市長の心を年甲斐もなく動揺させていた。

 

 彼が送迎を断り、いつかの日と同じように独りでレース場まで歩いてしまったのも仕方のない事だったのかもしれない。

 先日と違い、今日はもっとレース場の建物がよく見える場所まで歩く。市長は荒尾レース場に詳しかった。場外からでもパドックのウマ娘を眺められる穴場を知っていた。

 

 夜の闇の中、街灯に照らされて薄暗く浮かんだパドックの(くすのき)を見上げながら、市長は今日の出来事を何とか消化しようと試みていた。

 しかし、パドックの楠も、その背後の看板にある『あらおレース場』の褪せた緑色の文字も、彼には何も語りかけてくれない。

 

「こんばんは、市長さん。こんな時間に一人でお散歩ですか?」

 

 ぽつねんと物思いに耽っていた市長は、前触れなく掛けられた声が現実のものだと理解するのに少しの時間を要した。

 慌てて振り返る。彼の視界に入ったのは見覚えのある3名のウマ娘だった。

 

 ──()けられていたか。幾らなんでも無警戒が過ぎたな。

 

 内心で後悔しながらも市長は油断なくウマ娘たちの様子を窺う。

 わざわざ独りになったタイミングで声をかけてくる辺り、穏やかな用件でない事は想像がついた。

 

「そうだ。偶には歩かないと運動不足が進むからな」

「へえ、そうなんですね。……その()()には、誰もいないパドックを覗き見する事も含まれているんですか?」

「……」

 

 3名のウマ娘は、レース場の塀を背にした市長を取り囲むように立っている。

 市長は全員の名前を知っている。彼は荒尾のウマ娘に詳しかった。愛されるベテラン選手の名は、彼にとって常識だった。

 しかし、今の彼はウマ娘ファンではなく市長であった。

 

「御託はいい。用件を聞こう」

 

 含みのある喋りをするイマリオーエンスに、市長は牽制するように口火を切る。

 この場はアウェーだ。何とかして会話の主導権を握る必要があった。

 

 おそらく対面する小柄なウマ娘もそれを察しているのだろう。何かを探るように少し目を細める。

 

「わざわざ言わなくても分かっていると思いますけど?荒尾レース場の廃止についてですよ」

「残念だが、この方針は市の総意だ。仮に私が意見を翻したとしても、独断で覆すことのできる物ではないさ」

「まあ、嘘でもそう言うでしょうね。初めから期待はしていません」

 

 イマリオーエンスは諦めたように小さく肩をすくめた。栗色の髪がふわりと揺れる。

 彼女は次の言葉を考えているようで、束の間の沈黙が降りた。

 

 エイシンコンドルは先程からずっと深刻な様子で黙りこくっている。その姿は、市長が普段レース場で見る彼女とは正反対の雰囲気を醸し出していた。何か思い詰めたような硬い表情に、彼は立場を忘れて一人のファンとして心配する感情が芽生えそうになった。

 対照的に、ヘイアンウエールズはにこにこと笑顔を崩さない。笑顔を崩さないのだが、彼女からは底知れないプレッシャーを感じる。

 市長はできるだけそちらを見ないようにしようと心の中で決めた。

 

「……公人としての市長さんの意見は分かりました。それで、私人としてのあなたの考えはどうなんですか?」

 

 ここなら誰にも聞かれませんよ?と横からヘイアンウエールズが付け加える。

 恐らくこちらが本命だろう。直感がそう訴えてくる。

 

 しかし、建前を捨てて本音で話そうという提案は、今の市長にとってかなり心を揺さぶられる物だった。板挟みの苦悩を誰かに吐き出したい誘惑がナイーブな心を侵食する。

 

 はあ、と観念したような溜息を吐くと、彼は素直に誘惑に負けることにした。

 

「良いはずがない。簡単に廃止して良い訳がないだろう!荒尾とレース場は切っても切り離せない存在だ。炭鉱を失い、若者を失い、過去の栄光を失った荒尾市には最早()()()()()()()()()()()()んだ。なのに、レース場を壊して何が残る?歴史と活気を失った街から、俺達の思い出までを奪って何が残る?何も残らないさ。俺にとって、荒尾レース場が無くなる事は荒尾市そのものが死ぬ事と一緒だ」

「だったら、どうして……」

 

 エイシンコンドルが絞り出すような声を出す。彼女の瞳は、市長が吐き出した感情への僅かな希望に揺れている。

 しかし市長はその希望を否定せねばならなかった。

 

「もう、潰すしか道がないんだよ……レース場を潰せば、確かに今までの荒尾市は喪われるだろう。しかし、潰さなければ荒尾市は近い将来に本当に死んでしまう。弱体化した荒尾市の残り少ない体力をレース事業で費やす訳にはいかない。80年の伝統を捨ててでも、今ここで生まれ変わらなければ手遅れになるんだ」

 

「荒尾市のレース事業が長い間赤字続きだったのは知っているだろう。去年は久しぶりに黒字だったが、これはURAからの補助金のおかげだ。自力で稼げたんじゃない。そんな状態のレース事業をいつまでも残すのは、市のトップに立つ者として許されない事だ。今までにも廃止された事業はいくつかある。ただ単に、次はレースの番だったという事だ」

 

 苦虫を噛み潰したような顔で言葉を続ける市長に、ウマ娘たちは表情を変えた。

 

 エイシンコンドルは、それでも僅かな希望を失いたくないと縋り付くような表情を。

 イマリオーエンスは、何かに納得したような雰囲気と、少しばかりの失望の色を。

 そしてヘイアンウエールズは、笑顔を崩すまいとしながらも眉間に深い皺を。

 

 顔つきの変化は三者三様だったが、そこに先程までの剣呑な気配はなかった。

 一応の答えを得て満足したのか、それともこれ以上の問答に意味は無いと判断したのか。市長には彼女達の考えを汲み取ることはできなかったが、今ならば立ち去っても何も言われないだろう事は理解できた。

 ただ、一方的に辛い事実だけを押し付けるのは、彼のウマ娘ファンとしてのプライドと良心が許さなかった。

 

「その上で一つアドバイスをしよう。確かに現状のままでは荒尾レース場の廃止は免れないが、それは賛成意見が積み重なったからだ。逆に言うと、大規模な反対運動が起これば非合理的であっても流れを変える事だって出来る。結局のところ、市にとって()()()()()()()()()()()()なんだよ。──これ以上具体的な話は仮にオフレコだとしてもできない。君たちの健闘を祈っている」

 

 市長はそれだけ言うと、ウマ娘の隙間を抜けて足早に歩き去った。

 

「っ……あ、ありがとうございます!」

 

 背後から聞こえてきた声はエイシンコンドルのものだろうか。彼には自信がなかったが、振り返る事はしなかった。

 

 

 

──ウマ娘が消えるまで 残り112日




「中央のウマ娘の正装は勝負服かもしれない」という記述について
 岩手競馬が廃止の危機に陥った時に、所属騎手が騎手服を身につけて陳情に行った……というエピソードを元にしていますが、こちら未確認情報なので詳しい人がいれば教えてください。
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