──議会冒頭の貴重な時間をいただきまして、誠にありがとうございます。えー、本日は、この場をお借りして何を申し上げたいかといいますと、現在の荒尾市における最重要課題である、レース事業に関してでございます。
有志の手によって、ここ荒尾市でウマ娘競争が行われるようになってから早80と余年。ウマ娘は荒尾市のシンボルであり、レース事業は荒尾市の地域経済の一翼を担う大変重要な存在でありました。
その事は、わたくしもこの身をもって重々承知しております。
しかしながら、栄華が永遠に続く事はありません。
荒尾市自体の人口減少や
なんとか経営を再建しようと尽力させて頂きましたが、力及ばず。就任してからも毎年赤字を計上する事となりました。
関係者への給与やレースの賞金を削るなど、何とかして経営を改善するために苦渋の決断もいたしました。
お陰様で昨年度は十何年かぶりの黒字を達成しましたが、来場者による売り上げは昨年までと一切変わっておりません。むしろ客観的に考えてみれば、偶然が重なって運良く黒字になったという見方が適切です。
もはや言い訳の一つもできません。長年続いた荒尾のレース文化は寿命を迎えようとしています。未来の誰かに押し付けるのではなく、我々が引導を渡す必要があるのです。
断腸の思いではありますが、諸々の状況から判断いたしまして、荒尾レース場を今年いっぱいで廃止することを正式に決定いたしました。
議会の皆様、ご理解のほどよろしくお願いします。
(まばらな拍手)
市長さんとの直談判が叶ってから数日が経った。
勢いよく宣言した『市長さんをぶっ飛ばそう作戦』は、半分成功して半分失敗だったように思う。
私は本気で一発ぐらい
とはいえ、私たちは何の権力もない一般ウマ娘。簡単にお目通りできるはずがない。
……はずがなかったのに。幸運が味方して、あらゆることが上手くいった。
どうやって市長さんと直接対面するのかという問題は、渡りに船とばかりにやってきた嘆願書の提出の話が解決してくれた。
私たちは自然な流れで市長さんの顔や背格好、匂いを覚えることができたから、市役所から出てきた所を追跡するのも簡単にできた。
マリは「公的な立場のある人だし、車で送り迎えされてるんじゃないの」なんて言っていたけれど、私の勘はよく当たる。夕方と夜の境目の時間帯、コソコソと隠れるようにして市長さんは市役所の門から出てきた。
間違いなくここまでの作戦は大成功だった。
ただ、何もかもが思い通りに都合よく進みはしない。
いざ話してみると、市長さんの考えは私の予想と全然違っていた。
荒尾レース場を廃止しようとする人だから、きっとレースの事もウマ娘の事も嫌いなんだろうと想像していた。けれども実際には真反対で、荒尾市の現状を語る悔しそうな表情から汲み取ることができたのはレースを愛する情熱だけ。
『俺にとって、荒尾レース場が無くなる事は荒尾市そのものが死ぬ事と一緒だ』とまで言い切った市長さんに、私たち3人はすっかり気圧されていた。
ずるいと思った。
変な言い方になるけれども、市長さんには悪役であってほしかった。
レース場を潰そうとする無慈悲な巨悪と、それに立ち向かう
たとえそれで嫌な気分になろうとも、私たちを否定してほしかった。
なのに、あんなに苦しそうな顔をされて、私は一体どうすれば良かったんだろう?
ぶっ飛ばすどころか、かえって市長さんに同情したくなるような弱々しい姿を見せられて、私たちに何をしろと言うのだろう?
答えを求めて実行した作戦は、反対に私をさらに悩ませる元凶になってしまっていた。
おぼつかなく揺れる心に促されるようにして、対面に座るマリの方に視線を向ける。
箸の手を止め、のびてしまったお昼ご飯のラーメンをそのままにどこか遠くを見つめて何かを考え込む彼女の内心は、やっぱり私には読み取ることができなかった。
私1人では、答えは見つからない。
「今の状況を逆転させるには、荒尾市の人達の力だけじゃ足りない。何とかして外部の人にアピールしないと駄目だ」
マリがようやく口を開いたのは、日もすっかり沈んだ夜のことだった。
やっと
「市長さんの言っていた『最も大切なのは市民の意見』という言葉は間違いないと思う。市民の意見を全く無視した政治なんて
「でも、それだけじゃ不十分だと思った。アピールに失敗して荒尾市民の力を借りられなかったら終わりだし、あれだけレースが好きそうな市長さんでさえ中止に向けて動かざるを得ない、
「だから外部からも力を借りる。日本中のウマ娘ファンでもいい。NAU*1でもURA*2でもいい。何なら海外でも構わない。荒尾市というちっぽけな街の暴走を止められるぐらい大きな力が必要だ」
立板に水の如く一気に喋り終えたマリがこっそり深呼吸するのを察知しながら、彼女の言葉について少し思索する。
あまり考えたくはないけれど、確かに今の荒尾市を止めるのは簡単ではないと思う。記憶に残る先日の市長さんの表情からもそれは何となく分かった。
でも、外部の力を借りる……?理屈は分かるけれど、一体どうやって日本中の人たちを振り向かせるんだろう?
「ねえ、マリ?貴女の考えはわかったけれど……どうやって外部から協力を集めるの?」
「そんなの決まってるよ」
すぐさま自信に満ちた返事が戻ってくる。
流石と言うべきか、彼女はそこまでプランを練った上で発言したわけだ。何も考えず市長さんをぶっ飛ばしに行こうとする私にはそんな事できない。
少しだけ間を置いて、マリは答えを出した。
「インターネットの力を使うんだ」
──翌日9月6日、熊本県庁にて──
熊本市内に存在する県庁。そこに荒尾市長はいた。
古くから九州でも指折りの大都市として栄えてきた熊本市は、九州のほぼ中央という立地もあってさまざまな行政機能が集まっている。そのためか、中心街から僅かに外れた区域に屹立する熊本県庁も冷たく堅苦しい空気で満ちているように感じられた。
市長がこの場を訪れたのは他でもない。昨日ついに市議会で正式決定した荒尾レース場の廃止について、県知事に報告を兼ねた話し合いをするためだ。
県庁の玄関に飾られている気味の悪い顔をした黒いクマのマスコットを尻目に、市長は付き添いの秘書を置いていきそうな強い足取りで5階にある知事応接室を目指した。
「やあ真栄田くん、遠路はるばるご苦労。話は聞いているよ」
「いえ、こちらこそ時間を取って頂きありがとうございます、知事」
県知事は、市長のことを役職名ではなく名前で呼んだ。
アメリカの一流大学で農学を修め、今では日本のとある大学で名誉教授の役にも就いている知事の目には理知的な色が宿っている。しかし市長にはそのインテリぶった雰囲気が何となく好きになれなかった。
「荒尾市なんて実質福岡県みたいなものなのに、わざわざ来るなんてご苦労なことだ」などと、先の言葉も嫌味っぽく聞こえてしまうのは偏見によるものだろうか。
「既に話は聞かれていらっしゃると思いますが、改めて報告させて頂きます。昨日5日の荒尾市議会にて、市営レース場の今年いっぱいでの廃止を正式に決定致しました」
「ああ、聞いているとも。……酒や煙草もそうだが、何かをやめるというのは大変難しいことだ。辛い決断だったと思うがよく頑張ってくれた」
「お言葉、痛み入ります」
知事の口調が妙に優しいのが気にかかったが、今の市長はそんな事に気を払っていられないほど心理的に参っていた。
例えそれが定型文じみた労いの言葉であっても心が少しだけ癒されたように感じる。同時に市長は自らの下した決断の大きさを少しだけ実感した。
その後も幾らか
廃止後の開発計画やレース場関係者の処遇に関してであったり、はたまた県全体の政治方針についてであったり、散文的な話題が続く。しばらくして粗方の事を話し終わったタイミングで、市長は内に秘めた本題を持ち掛けるべく動いた。
「ちょっと人払いをしてもらっても宜しいですか」
「分かった。……おい」
知事が一言声をかけると、彼に付き添っていた人がそそくさと部屋を出る。同時に市長も付き人に目配せして退出してもらった。
応接室に残されたのは2人のみとなった。熊本県知事と荒尾市長のみ。
同時に室内を満たす雰囲気も変質してゆく。
「……それで?
知事は大きくため息をつくと胸ポケットに手を突っ込み、そこにハンカチ以外何も入っていないことに気づくと少し顔を
「
市長も堅苦しい敬語を捨て、少しだけ目を鋭くすると単刀直入に切り込んだ。
2人の間にピリピリとした緊張感が帯びる。
「もう何度も言っているが不可能だ。どうせ名目は『荒尾レース場の赤字補填』だろう?無理に決まってるさ」
「だとしても俺は何度だって頼むぞ。あと5年、いや3年保たせられたら何かが変わるかもしれない。何とかならないのか」
「数えきれないほど同じ言葉を聞かされるこっちの身にもなってみろ、君も諦めの悪い男だな。……だったら何度でも言わせてもらおう。荒尾レース場は
「……」
整然と言葉を並べる知事に、市長は黙り込むしかない。
言っている事は間違いなく正しいからだ。
「昔はレース場の利益を独占しておきながら、いざ赤字になると県に援助を頼むだなんて、随分と虫のいい話だな」
「そっ、それなら、今後もし利益が出たら県に納める形にしても構わない。それでも駄目か」
「赤字を原因にレース場の廃止を決定しておいて、今更何を言うのやら。自分で決めた事なんだろう」
「……クソっ!」
元より分が悪い要求ではあったが、完膚なきまでに反論を封じられてしまい、意図せず悪態が口をついて出てしまう。
理性的だが無機質で冷たい目の知事を正面から睨みながらも、市長にはそれ以上の反抗はできなかった。
県からの援助が出ていれば状況は全く違うものになっていたのではないか。荒尾レース場について考えるたび、市長はそう思っていた。
──ボロボロの建物をきれいにリニューアルできれば。テレビCMを流すことができれば。
どれか一つでも果たすことができれば、負のスパイラルが正に転換していたかもしれない。多分に願望を含んだ希望的観測ではあったが、小さなきっかけで荒尾レース場は変わる事のできるポテンシャルがあると市長は信じていた。
しかし現実は無情だ。県からの援助などという都合の良い救いは無く、荒尾レース場は何を為すことも出来ぬままズルズルと衰退を続ける。
脳裏に浮かぶウマ娘たちの姿を市長は直視することができなかった。
「そんな顔をするな、意地悪でやってる訳ではないんだから。荒尾レース場はそちらの持ち物なんだから、最後まで市で面倒を見るのが筋だというだけの話さ」
「関係者への補償や、累積赤字の肩代わりもウチの市だけでやれと?」
「できるだろう。できるはずだ。跡地の再開発に向けた3セク関係の特別債が出ると聞いているが?」
「……よく、ご存じで」
遠回しな催促ですらも、にべもなく断られる。
真っ直ぐに市長を射抜く冷たい瞳は「まさか知らないとでも思っていたのか?」と言わんばかりだった。
これも事実だった。
荒尾レース場を潰せば、跡地の開発に向けて多額の地方債を借りられる。
有明海と雄大な雲仙岳を一望できるあの土地に、ショッピングモールや最近流行りの道の駅を作ればどれだけ繁盛するだろうか。博多や久留米と熊本を繋ぐ要衝である荒尾市の絶景ポイントとして、どれだけ人が集まるだろうか。
その開発が少ない負担で可能になるのは、市としては非常に魅力的な提案で、最後に残された蜘蛛の糸だった。だからこそ思い切って廃止という判断に踏み切ったのだ。
しかし、再開発をすれば必ず成功すると約束された訳でもない。巨額の公債を使い潰して、残ったのは閑散とした生気のない施設群と借金の返済義務。そうなってしまう可能性も十分にある。
だからこそ市長はレース場を守りたかった。潰した挙句に何も生み出せないよりかは、多少の出血をしても未来の再起を待ちたかった。
そのためにも、県からの援助は必要不可欠と考えていた。
しかし、やはり現実は無情だった。
「もういいか?後はつかえていないが、毎度毎度同じ話をされるのはうんざりなんだ」
「ああ、大丈夫だ……」
「……まあ、気持ちは分からなくもない。しかしこっちも下の突き上げが煩くてな。色々片がついたら力は貸してやらん事もないから、もう少し我慢してくれ」
知事は少しだけ同情の色を見せると立ち上がり、励ますように市長の肩を優しく叩いた。
不意に見せた人情味に、この不気味なインテリ男の評価を改めるべきかと市長は一瞬だけ迷い、
「きっと明日から沢山の批判に晒されるだろうが、それもトップに立つ者の宿命だ。今後もめげずに頑張ってくれ。期待しているよ」
目だけが笑っていない知事の口調から伝わる「批判も責任も全部お前1人で背負え」という言外のメッセージに、やはりこの男の事は嫌いだと再認識した。
今夜の酒は不味くなるだろう。
貧乏くじを引かされた市長は、確信に近い予感を抱いていた。
市長による廃止表明(荒尾市議会議事録)
第三セクター等改革推進債の概要
※総務省より、第三セクターの特別債について。平成23年度の案件一覧に荒尾競馬場の掲載があります
荒尾「廃止」に「三セク債」の秘策?
※個人サイト。当時の荒尾市の財政についてわかりやすく解説しています
ウマ娘小説なのか何なのかよく分からない内容になってますが、政治まわりのお話は今回でほぼ終わり(の予定)です
次からはウマ娘にフィーチャーします