「さぁ、出走しました。十七人のウマ娘が、そのまま第一コーナーに向かいます。中から何が出てくるのか……」
実況の声が場内に響き渡る中、ブルボン達観客席のウマ娘達やライスのトレーナー、および偵察の為に来た別チームのトレーナー達は息を呑んでターフを駆けるウマ娘達を見ていた。
「後続集団一馬身差、ライスシャワー。ライスシャワーと、外からはサクラチトセオー、内からナリタタイシンと言ったところ。これが後続集団。そしてその一馬身半差で……」
ライスシャワーのついた位置はいつもとは少し違う後方、そこから虎視眈々と前を狙うように鋭い視線を送っているのがこちらからでも見える。
が、ブルボンは何故か胸騒ぎを覚えた。
ライスが後方についている?
彼女が知っているライスは、いつも中段で前の方を伺っている。それはぴったりとマークにつけられながら何度もレースを戦ったブルボンだからこそよくわかる。
なのに、ライスが後方?
その様子に、ブルボンは悪寒のようなモノを覚えた。
何かがおかしい気がしてならなかった。もしかしたら後半に向けて力を貯め、前回と同様の早仕掛けをする為に力を貯めているのかもしれない。
しかし、それにしても、スタミナ自慢のライスにしては少し消極的なレース展開に見えた。
レースはそのまま、ゆったりとしたペースを進み、第二コーナーを過ぎ、第三コーナーへと向って走っていく。
ブルボンは胸騒ぎがまるでおさまらぬまま、ターフを駆けていくライスシャワーだけを視線で追っていく。このまま何も起きなければいいが……。
「さぁ、各ウマ娘、これから第三コーナー、これから昇りつめて、下りにかかろうというところ。先頭は……」
そして、レースは徐々に動き出す。
京都レース場の厳しい下り坂を駆け抜けて、徐々に前がペースを上げ始めていく。
ここからレースがいよいよ動き出すか。
ブルボンはその様子を固唾を呑んで見守っていた。
「さぁ、各ウマ娘が一気に差を詰めていきます!」
そして、実況がその様子を口にした。
ライスシャワーがペースを上げようと、体を沈ませたのはその瞬間。
その一瞬を、ブルボンは時が止まったように見詰めた。
彼女の目に、不自然に体を沈めていくライスの姿が映ったのだ。彼女はそのまま、崩れ落ちるように前のめりに倒れていく。
「ッ!」
「お~っと! ライスシャワーどうした! ライスシャワーどうした!」
実況が悲鳴のように叫ぶ。
だが、その声もブルボンの耳には届かなかった。
彼女が感じた不思議な違和感。片足を少し引きずっているように見えた姿。
それが今、全て繋がった。
ライスは、足に不調を抱えていたのだ。それも、誰も気付かないような微弱な。
そしてそれが、この高速のレースの中で爆発したのだ。
「ライスシャワー、転倒している! 故障発生! ライスシャワー故障発生!」
そのアナウンスが場内に響いた時、観客全体から悲痛な叫びが上がった。
「「「ライス!」」」「「ライスさん!」」「ライスちゃん!」
そして、その悲鳴に覆いかぶさるように、ブルボン達の叫びが轟く。横並びで見ていたウマ娘達が身を乗り出し、空中に投げ出されて倒れたライスに向けて悲痛に叫びを上げた。
そのままブルボンは、正面スタンド前をウマ娘達が駆け抜けていくと同時に観客席を飛び出し、マックイーンとテイオーもそれに続く。
彼らが飛び出すのを見送るウマ娘達、そこでメジロパーマーがライスのトレーナーが口元を抑えて動けなくなってるのに気付く。
「誰か! 誰か救護班を!」
トレーナーの代わりに、パーマーが大声で手を振りながら叫んだ。
「ライス!」
ブルボンは駆け寄るなり、そのまま座り込んでライスに向けて叫ぶ。そして気付く。彼女の足の所から流れ出した夥しい血の量を。
「ライス! ライス! しっかりして下さい、ライス!」
狂ったように叫ぶブルボン。その横に、テイオーとマックイーンも追いつき、二人も血の跡に気付いて言葉を失くす。
「……ブ、ブルボン…さん」
そうしている内に、ライスが僅かに顔を上げ、答えた。
「ライス! 待っていて下さい! すぐ救護班が来ます! 頑張って!」
恐怖に抗うようにブルボンは叫ぶ。そこへ、救護班をつれたライスのトレーナーが現れる。ブルボンが場所を譲ると、トレーナーもまた周辺の芝の惨状に言葉を失くした。
「すぐに搬送する! 担架の準備を!」
それを後目に、駆けつけた救護班がライスを担架に乗せて運んで行った。
救護班の人達が去っていくと、そこには立ち尽くすブルボンと、ターフに崩れ落ちるライスのトレーナー、彼女を気遣うマックイーンとブルボンを心配そうに見詰めるテイオーだけが残された。
とっくにレースは決着していたが、勝者を讃える声は無く、悲痛なざわめきだけが残った。
こうして、宝塚記念は幕を閉じたのだった。
ライスは夢を見ていた。
その夢の中では、宝塚記念が行われていて、ライスは集団の後方について序盤は抑えたレース展開を行っていた。普段だったら行わないようなレース展開だったが、第三コーナーから一気に飛び出してやろうと狙っていたのだ。
横にはサクラチトセオーとナリタタイシン。
追い込み策で知られる二人と並んでいるのは違和感もあったが、後方から一気に前に出る奇襲を仕掛ければ十分勝機はある。
そう思っていた。だが、実際は彼女の足に違和感があって、普段のように前に出れていなかっただけだと気付いてもいない。
そうして、仕掛けると決めていた第三コーナー。突然ライスの足に異変が発生する。
まるで左の膝から下が無くなったような感覚。まるで踏ん張れない不思議な感覚で、前に踏み出せない。
何が起きた?
自分の異変も分からないままいると、その真横では恐怖に顔を歪めるナリタタイシンの顔。
ああ、このままでは彼女を巻き込んで転倒する。
そう思った瞬間、ライスの体が一時停止した。そして、激痛。
肉と肌を何かが突き破り、その痛みでライスは前のめりに落下するしか無かった。
そのまま彼女は地面に叩きつけられ、全身を走る衝撃で呼吸もままならなくなった。
「ライス!」
そこへ悲鳴のような叫びが聞こえた。微かに顔を上げれば、恐怖に歪んだブルボンの顔。
いつも冷静で鉄面皮などと言われているブルボンがする表情にはとても見えないような、悲痛な表情だった。
「……ブ、ブルボン…さん」
残された息で、それだけ告げると唐突に夢は終わりを告げた。
そして、次の瞬間、視界が真っ白になった。
「!?」
それが病院の天井だと気付くのには、少し時間を要した。
彼女は自分が寝たきりで、左足の膝から先が固定されていて動かない。
なんだ、コレは?
彼女は起き上がろうとするが左足の痛みで出来ず、首を巡らせる。
ここは病院なのは間違いない。しかし、何故自分はこんなところで寝ているのか。
「ライス、宝塚記念を走っていた筈なのに。何で病院に……」
「あ、ライスが目を覚ましたよ! トレーナーさ~ん、ライス起きたよ~」
そこへ、病室へやってきたトウカイテイオーが告げ、手を振る。
すると今度は、ライスのトレーナーが慌てて病室に入ってきた。
「ライス!」
「……お姉さま」
ライスが焦った様子のトレーナーの顔を見て呟く。すると彼女は胸を撫で下ろすように溜息をついた。
「良かった。目が覚めたのね」
「ライス、どうして病院にいるの? 宝塚記念は……」
「ッ!……それはね」
「ライス!」
トレーナーが答えにくそうに言い淀むと同時に、ブルボンが病室へ飛び込んでくる。
「あ……ブルボンさん」
「ライス、目が覚めたとマックイーンさんから聞いて……良かった。丁度お見舞いに来たところで目が覚めて……」
彼女の言葉を聞いていると、丁度扉からマックイーンも入ってくるのが見えた。
「ブルボンさん……宝塚記念は、どうなったの?」
トレーナーが言い淀むのを察して、ライスはブルボンに尋ねる。すると彼女も目を伏せ、静かに語った。
「ライス、貴方はレース中に故障して途中でレース棄権。宝塚記念は終わりました」
重々しく告げるブルボンに、ライスは目を見開く。
それは、何となく分かっていた事実。痛む足を釣られ、病室で寝かされている事。
それ自体が、レースを故障で棄権したのは明白だ。
「……ぁ」
だが、その事実を改めて突きつけられ、ライスは溢れる涙を堪える事が出来なかった。
「ライス……ライスは……どうしても、もう少し勝っておきたかったのに……」
「ごめんなさい、ライス。貴方の足は出走前から兆候が出ていた可能性が高かったそうな
の。私はそれに気付かなかった。無理をさせてしまった。本当なら、出走は取りやめなければならなかったのに」
申し訳なさそうに頭を下げるトレーナー。しかし、ライスはもう何も聞こえていなかった。
「ぅ……lう……うわぁぁぁぁぁぁ~~~ん」
もうこらきれず、ライスは涙した。悔しくて、辛くて。
勝ちたかった。勝ちたかったのに!
その思いはとめどなく溢れ、ライスはいつまでも泣いた。そして、どれだけ泣いていたか分からないが、泣き疲れて気を失うように眠りにつく事になった。
その泣き声を、部屋の外から聞いている者がいた。
松葉杖をついたそのウマ娘は、ライスの泣く声に無言で目を伏せていた。
あたしのせいで……。
声にもなり切らない程微かな声で、彼女は呟く。
「あ! タイシ~~ン!」
と彼女を呼ぶ通る声。
見なくても分かる姿が二つ、彼女の元に歩み寄る。彼女の馴染みのウマ娘達だ。
「タイシン。何をしていたんだ?」
呼びかけてきたウマ娘とは違う、落ち着いた雰囲気のウマ娘が尋ねてくる。
対して彼女は冷めた目でやってきた二人を見詰める。
「別に。何でもない。そろそろ病室に戻ろうと思ってただけ」
彼女はそのまま松葉杖を使ってさっさと廊下を進んでいった。