「さぁ、晴れ渡る空の下行われる東京レース場、芝1800……」
それから、すぐにブルボンの出走するレース当日となった。
天気は晴天。馬場の状態は良好で、コンディションとしては最高の状態との事だ。
テイオーとマックイーンは、偵察でレースに足を運んだスピカの仲間やトレーナー達とは別れ、ライスの病室へと足を運んだ。ブルボンがライスに伝えた言葉の意味が気になったから、ライスやライスのトレーナーに許可を得て、病室で一緒にレースを見る許可をとりつけたのだった。
「あ、テイオーさん。マックイーンさん」
普段通りに見えて、どこか疲れているような様子のライスに出迎えられた二人は、ライスのトレーナーと共に病院から借りたパイプ椅子に腰かけ、台に置かれたテレビに目を向ける。
テレビには、既に中央レースの中継が始まっており、コース上には既にゲートが出ているところだった。
カメラはこれからゲートに収まっていくウマ娘たちの様子を映し出していた。
「あ! ブルボンだ」
テイオーが声を上げると、画面の端にブルボンの姿が映し出された。彼女は落ち着いた様子で自分のゲート入りを待っている。それを見ていると、今度はブルボンが画面にアップで映し出される。
相変わらず冷静で、まるでサイボーグなのではと噂されるクールな彼女の表情。しかしそのいつもと変わらない風に見える表情の何処かに、静かな闘志が燃えているように、テイオーには見えた。
「ブルボン……冷静そうだけど、凄い気合いだ」
思わずつぶやくテイオーに、マックイーンも首肯し同意する。
どうやら彼女はこのレースに相当な思い入れで挑んでいるようだ。まるでまだデビュー間もないウマ娘のように。
何をする気なのだろうか。わざわざライスに必ず見ろというくらいだから、当然勝つつもりなのだろうが……。
そんなことを考えていたら、彼女がゲートに収まり、ゲートが開くのを待つばかりとなった。
「すべてのウマ娘がゲートに収まり……今、スタートしました」
実況アナウンサーがゲートが開くと同時に叫ぶ。
瞬間、ブルボンが仕掛けた。
「おっと! スタートした瞬間、ミホノブルボンがとんでもないスタートダッシュを決める! そのままトップに躍り出て……そのまま一気に後続を突き放す! その差、三馬身……いや既に五馬身はあるでしょうか!」
あっという間に仕掛けたブルボンが、後続を一気に突き放す。スタートして三〇〇メートル程度の段階でセオリーからはまるで考えられないような走りを仕掛けた。
「ブルボン! これってまるでパーマーみたいな……」
「あんながむしゃらな走りではありません。パーマーはスタミナなど完全に度外視のがむしゃらな全力スプリント勝負。ですがこれは……スズカさんのような。でも、これはあまりにも……」
あまりに信じられない光景に、テイオーもマックイーンも困惑した。ブルボンの脚質と戦法は逃げである。しかし、スタートした瞬間から先頭に立って、わずか数百メートルでこれだけの大差をつけての走りなど見たことが無い。
「帰ってきたあの二冠ウマ娘、ミホノブルボンがスタートした瞬間からアクセル全開! これは後続のウマ娘達も何が起きたか理解できない模様。これはあまりにも強すぎる!」
とてつもない超加速を決めたブルボンはそのまま三コーナーを過ぎ、後続に十馬身以上の差をつけたまま恐るべき速度で駆け抜けていく。後続はまるで追いつけそうもなく、ただ駆け抜けていくブルボンに畏怖を覚えた様子でそれでも懸命に走っていく。
「ミホノブルボン! 凄まじい速度のまま最終コーナーを曲がる! ここから……まさか! 更に速度が上がる! ミホノブルボンのラストスパート! 更に、まだ更に後続と差をつけて、今ゴーーーール!」
実況の叫びと共に、ブルボンはゴールを駆け抜けていく。その様子を、テイオーとマックイーンは完全に言葉を無くして呆然と見つめるしかなかった。
それはライスとトレーナーも同様、あまりにも信じられない光景に、言葉を無くした。
「坂路の申し子ミホノブルボン、完全復活! あの強いウマ娘がついに、この重賞の舞台に帰ってきた!」
観客席からの大歓声を受け、ようやく駆け抜けたブルボンが足を止め、客と同じ後からゴールしたウマ娘達に向けて一礼する。
そうして、全てのウマ娘がゴールし終えた後、勝利者インタビューとなった。
ミホノブルボンは、トレーナーと共にインタビューのボードの前に立つ。そこへインタビュワーのマイクが差し入れた。
インタビューは定番の勝利の感想から始まる。
「今回のレースは、スタートダッシュから一気に先頭に立ってからの大差の勝利でしたが、何か意図があっての事だったのでしょうか?」
そして、インタビュワーから今回のレースの戦い方についての質問が投げかけられた。そこでブルボンはゆっくりと語り始める。
「はい。今回のレースは、あるウマ娘に、私が完全に復活したと知らせたかったからです。スタートから先頭に立って大差で勝利する事で、彼女にそれを知らせたかった。私が完全に復活したことを」
「完全復活ですか。それで、そのウマ娘というのは……」
「多くを語るつもりはありません。ただ一つ言える事は、私はいつまでもターフで待っている、という事だけです」
それだけ告げると、ブルボンはインタビュワーにマイクを返し、そのままトレーナーを伴ってその場を後にした。
残されたインタビュワーや観客、テレビで見ていたテイオーやマックイーン、ライスのトレーナー、そして呼びかけられたライス本人さえ彼女の立ち去る背中を呆然と見つめるしかなかった。
そうして、ブルボンが完全にその場を後にするのをカメラに収めると、レース場からはどよめきが聞こえてきた。
病室にいたテイオーとマックイーンも、あまりのことに動揺し、何を言えばいいか分からずにいる。
「ブルボン、さん……」
と、ライスがぽつりとつぶやいた。
弾かれたようにテイオーとマックイーンがライスを見つめると、彼女は今まで暗い顔をしていたのがウソのように、希望を見つけたかのように晴れやかな顔をしていた。
「ライス……」
テイオーはその様子を見つめ、安堵にも似た気持ちが込み上げてきたのだった。
それからまた月日が経過した。
その間、ブルボンは重賞レースにいくつも出走し、勝ちを重ねた。怪我で休養する前の圧倒的な逃げで。
そして、ライスはその全てを病室で見続けた。
ブルボンの気迫の走り。その背中とインタビューで見せる力強い視線、それはレースを見ているであろうライスに向けて語りかけているように思えた。
『いつまでもターフで待っている』という言葉を繰り返し、何度でも何度でも。
「ブルボンさん……」
その胸中を理解し、ライスはこぶしを握り締めた。
ブルボンは待っている。誰の帰りかは言うまでもない。なら、その思いに答えないわけには行かなかった。
彼女の待つ場所へ帰らなくちゃ。
ライスの心に、僅かに希望の光が灯った瞬間だった。
やがて、ライスの足はようやく動ける程度まで回復した。
とは言え、移動する場合はまだ車いすを使用しなければならない状態で、松葉杖で移動する場合は結構難儀するような状態だった。
が、その頃からライスは少しずつだがリハビリを開始していった。
専門の医師がつきっきりの状態で、平行棒に両手をつき、二本の足で歩く練習などが開始される。それは最初の頃こそギクシャクして見えたが、しばらくすると徐々にスムーズに足を動かせるようになった。
実際にちゃんと歩けるようになるには相当時間はかかるだろうが、それでも大きな進歩と言えた。
一方、ブルボンは次に出走するレースに向けて、トレーニングを続けていた。
トレーニングといっても、自主トレだ。一応トレーナーにメニューを確認してもらい、了解を得ているものだが。
「ふぅ……」
足を止めて汗をぬぐう。彼女の前には、見慣れた坂路コースがあった。ここでのトレーニングは筋力とスタミナのトレーニング。彼女は既に豊富なスタミナと筋力を持っている。だから、この自主トレは別の物を見据えてのモノだった。
「……ライス」
目を細め、呟くのは彼女の友で宿敵であるウマ娘の名前。彼女は今、どうしているだろうか。
怪我の具合は?
回復の見込みはあるのか?
彼女に決意を告げて以来、一度も彼女の元へは足を運んでいない。だからライスの状態はまるで分からない。
ブルボンの思いは、全て走りに込めると決めたから。走りで、彼女に伝えるのだ。かつての彼女が、そうしてくれたように。ひたむきに、真っ直ぐ駆け抜けるのだ。
ただ、どうしても彼女の現在の容体は気にはなってしまう。
「ふぅ~……こんな事を気にするくらいなら、見舞いに行くべきなんでしょうね」
自嘲気味に呟き、ブルボンは気を紛らわす為に、坂路へと向かっていった。
「はぁ~い、ブルボンちゃん」
と、不意に陽気な声をして、振り返ればそこには赤い長髪のウマ娘が立っていた。
「マルゼンスキーさん」
「自主練かしら? せいが出るわね」
名を呼ばれ、小さく頷きながらマルゼンスキーはブルボンへと歩み寄る。
「はい。後、坂路を三本」
「流石ね。トレーナーさんとも散々トレーニングした筈なのに。坂路の申し子とはよくいったものだわ」
「……何か用でしょうか?」
世間話をするようなマルゼンスに、ブルボンは尋ねる。彼女は普段、シンボリルドルフ会長などの上級生達と行動を共にしており、滅多に声をかけてきたりしない。
それが今日はどうした事か。
「ふぅ~。ブルボンちゃん、最近絶好調だなって思ってね。逃げの切れがいいというか。どことなく走りに気迫を感じるのよ。まるで何かを語りたいみたいに」
「!」
マルゼンの言葉にブルボンは驚く。確かにブルボンは走りで語ろうとしていた。ただ当事者でもない彼女にも伝わるとは。
「何か理由があるのかなって気になっちゃって」
「どうして気になるのですか?」
問われ、マルゼンはふっと息を吐く。
「そうね。回りくどかったわ。単刀直入に言うと、貴方は誰かに語り掛けてる。その誰かは、ライスちゃんじゃないかしら?」
「ッ!」
再び息を呑むブルボン。どうして彼女はそれに気づけたのか?
「どうしてわかったって顔してるわね。貴方がわざわざ走りで語ろうとするのは、余程の縁がある相手。そんなの、ライスちゃんくらいじゃない? それに彼女は今怪我をしている。語りかける相手としてこれ以上はないでしょう」
言われて気付く。ブルボンが特に目立って親しくしているウマ娘など、せいぜいニシノフラワーとライスくらいのモノだ。
ニシノフラワーとは同室でわざわざ走りで語る必要もないだけに消去法で誰かは簡単にわかる。
「実を言うとね、私もライスちゃんの事気にしてるの。なんだか、運命的なモノを感じちゃってね。だから、貴方が何かしようとしているのにも気づいちゃったのよね」
「ライスに運命的な何か?」
「そう。貴方にはないかしら? ルドルフやシービーもたまに何か感じる子がいるみたいなんだけど。そういうのってたまにあるのよね。それでライスちゃんは体も小さいし、少し放っておけない気がしてね。密かに気にかけてて、たまにドライブに誘ったりしていたんだけど。今回は本当に大きな怪我をしちゃって……ただ、お見舞いに行っていいモノか考えちゃってね。そうしていたら、貴方の走りに気づいちゃって。だから、こうして声をかけちゃったの」
「そうでしたか…」
頬をかいているマルゼンに一言答え、ブルボンは彼女を見つめる。
運命的な何かとは、ブルボンはあまり感じた事はないが、彼女には何かあるのかもしれない。
「それでね。貴方が何かしようとしてるなら、何か手伝えないかって思ってね」
「手伝い……ですか」
「そう。これでも私、スーパーカーって呼ばれる逃げウマ娘だし。逃げの先輩として、教えてあげられる事もあるかもって思ってね。どう? 私と走ってみない? 何か見える事もあるかもしれないし。ただし、無理し過ぎない程度にね」
ウインクしてくるマルゼンに、ブルボンは少し思案する。
坂路トレーニングは十分に積んでいる。今のトレーニングは先を見据えての事だったが、確かにあのマルゼンスキーと走る事で見える事もあるかもしれない。
「わかりました。お願いできますか?」
「そうこなくっちゃ! その決断の早さ、ばっちぐ~よ!」
独特なマルゼン語録が飛び出し、二人は平地のコースへと向かった。