ブルボン達がマルゼンスキーと共に走りだしたのを同じくらいの時刻、病院ではライスが懸命にリハビリに励んでいた。
彼女は医師や看護師と共に、平行棒に両手をついて、折れた左足を動かし、歩いていく。
リハビリだから当然ゆっくりとしか動けないが、それでも懸命に彼女は腕の支えで足を動かす
一応足を動かせる程度には回復しているはいるが、関節はまだまだ固く膝から先はどうしてもちゃんと動かないのだが。
平行棒の終端まで到着する。そこでライスは看護師の助けを借りて反転し、再び向こう端を目指してゆっくりを歩き出す。
そうして、そのメニューが終わると、今度は医師がまだまだ固い関節をゆっくりと持ち上げて元のように動かせるよう時間をかけてストレッチしていく。
ストレッチは結構な苦痛を伴った。
それはいつもの事で、脱臼した後の関節は想像よりも遥かに固く、一応立てるくらいまで回復するまでには相当の時間を要した。
やっとの事で歩行のリハビリに戻れるようになったのはつい最近の事だ。
足が真直ぐに戻るまでには更にまだまだ時間が掛かる事だろう。
そうして、一日のメニューが終わり、ライスは看護師の押す車いすに乗って、また病室へと戻っていった。
車いすに揺られながら、ライスは自分の足に視線を落とす。まだまだ完治にはほど遠い状態。満足に足は上がらず、まだまだ関節も固く動きもぎこちない。
それでも、ライスは絶対に戻らなければならないのだ。
ブルボンさんが、待っていてくれるから。
どれだけ時間がかかろうと、必ずまたあの舞台に帰ってみせる。
ライスはそう心に誓い、ぐっと拳を握りしめる。
顔を上げれば、病室へ続く廊下は誰もいなかった。
音もなく静かな病院の廊下。
日もやや傾き始め、西日が差し込みだす無人の廊下は、もうすっかり見慣れた光景だ。
ここからいつかトレセン学園に戻るまで、季節を越えてこの光景を見続けるのだろうと、ライスは思った。
「ッ?」
と、不意に誰かの視線を感じて、ライスはそちらを見る。
そこには松葉づえを突いたナリタタイシンの姿があった。廊下の少し奥の方でライスをじっと見詰めていた。
「タイシンさん?」
ライスが呟くと、タイシンはライスの視線に気付いたように慌ててそっぽを向き、そのまま立ち去ってしまう。
「……?」
ライスは首を傾げる。一体、彼女は何をしていたのだろうか?
ただ考えても分かる筈も無いので、ライスは一先ずその事を忘れ、彼女は病室へと入っていった。
「あたしのせいで、あいつは……」
そんな呟きが、ライスの立ち去った廊下に微かに響いた。
タイシンがライスの様子を眺めていた頃。
ブルボンは相変わらずトレーニングとレースに、ライスがリハビリに勤しんでいる中、トレセン学園ではテイオー達と同じように落ち着かない様子のウマ娘の姿があった。
ナリタブライアンである。
彼女はどこか苛立った様子で学園の廊下を一人歩く。そこへ、マヤノトップガンが姿を現した。
「あ! ブライアンさん、みっけ!」
「……はぁ~。またお前か。何の用だ?」
大きなため息とともに問うブライアン。そんなブライアンに、ビシッと指さすマヤノ。
「マヤ、ブライアンさんに野良試合を申し込むよ! 今度こそ、ブライアンさんに勝つ!」
「断る!」
「え~~、なんで~~?」
「今はそんな気分じゃない!」
頬を膨らまし駄々をこねるマヤノを、ブライアンはにべもなく切って捨てる。実際、彼女はとてもそんな気分ではなかった。後ろでマヤノが尚も騒いでいたが、全て無視する。
「こら、マヤノ。廊下で騒ぐんじゃないよ」
と、そこへヒシアマゾンがやってくる。彼女はマヤノの頭を押さえつける。
「え~! だって~、ブライアンさんがマヤの挑戦を受けてくれないから~!」
「なにぃ? タイマンか!?」
かと思えば、すぐにマヤノに乗ってタイマンタイマンと言い出す。全く、うるさい。
「しない! アマさんもマヤノも、放っておいてくれないか。今はそういう気分じゃないんだ」
「どうしたんだい、ブライアン。最近ずっと難しい顔をして。いや、最近って言うよりは結構前から。確か~……あんたが回避した宝塚記念の後辺りからかね~」
「ッ!」
言われて驚くブライアン。そこへアマゾンがすかさずツッコミを入れる。
「何か気になる事でもあるのかい?」
「別にそんな事は……」
「あるだろ! おおありだ! その顔、図星じゃないか」
「ぅ……と、ともかく! 二人とも、もうほっといてくれ!」
そう言って、ブライアンは足早に立ち去っていった。
その後ろ姿を、疑問を浮かべて見送るマヤノとアマゾン。
「私が出なかったばかりに、あいつはは無理をして」
うっすらとそんな言葉が廊下に微かに響いたが、マヤノもアマゾンもその声には気付かなかった。
ライスとブルボンがそれぞれの舞台で戦いを続けている頃。
テイオーとマックイーンは、スピカのメンバーと共にレースの近いウオッカとスカーレットの練習につきあっていた。
だが、二人はライスの状態が気になって仕方なかった。
ブルボンの決意を図らずも盗み聞きしてしまったあの日。
その後に見たレースでのあまりにも鮮烈なブルボンの勝ち方と、勝利者インタビュー。
その決意の強さに二人も感じるモノがあった。
それから暫く、ライスの足がようやく治り、彼女は意欲的にリハビリに取り組み始めたと聞いている。
何か力になれたらとは思いつつも、変にお見舞いにいってリハビリを邪魔してはと二人は動けずにいた。
なので、トレーニングは真剣に付き合いつつも、心のどこかでライスの身を案じる気持ちがあって、普段よりも集中力は落ちてしまっていた。仲間を勝たせる為にはこんなんじゃだめだと思いながらも、どうにも気になってしまうのだ。
ついでに、チームメイトのスペシャルウィークがしきりにライスの事を気にしてトレーナーに聞いたりするものだから余計にそちらに意識を持って行かれる。
「ライスさん、大丈夫でしょうか」
ある日、チームの部屋でスぺが口にする。それにテイオーもマックイーンもピクリと反応してしまった。
「あ? あ~、ライスのやつか~。トレーナーの話じゃ、リハビリ頑張ってるって言ってるけど。実際どんな状況なのかはわからないよな。気になるし、ちょっと皆で見舞いにでも行ってやるか?」
ゴールドシップがふっと笑って告げる。テイオーとマックイーンは無言で彼女を見る。
「駄目よ。迷惑かかるからあんまり大勢で押しかけるなって、トレーナーからも言われてるでしょ?」
「そうだぞ? 交流があるとは言え他のチームのウマ娘なんだから。あんまり大勢で押しかけたら気を使わせて疲れさせちゃうかもしれないんだからな!」
そんなゴルシに、今度は口々に反論するスカーレットとウオッカ。言葉こそ違うが、言ってる事は全く一緒な仲がいいんだか悪いんだかの二人だ。そして、その後はいつも通りお互い見つめ合って、真似しないで、こっちこそと始まってしまうまでがお約束だ。そして、それを聞いて、テイオーとマックイーンは乗り出してしまった身を引く。
「でも、大勢がダメなら、誰か代表で何人かで行けばいいんじゃないですか? 二人くらいだったら迷惑にはならないかも」
「ああ、それだ! じゃあ、代表決めようぜ! 誰が行く?」
ゴールドシップはすぐさまスぺの意見に乗っかって、くじ引きの準備をし出す。
「さて、行きたい奴は誰だ? スぺに私に、スカーレットとウオッカはどうする?」
「え? まぁ、少人数で行くなら……」
「あたしも、あんな事故見ちゃったら気になるしな……」
何やらモゴモゴ言う二人。それを見て、ゴルシはすかさず二人分のくじ引きを作る。
「よ~し。これで……テイオー、マックイーン。お前らはどうする?」
急に振られて、二人はビクッとする。
「あ、ぼ、僕たちは……」
「その~…」
「ん? どうした? いかないのか? だったら、あたしたちで代表決めちゃうぜ?」
「ちょ! 待った! 行くよ! 僕たちも行くから」
「そうですわ。私たちもライスさんの状況は気になりますもの」
「なんだよ~? 最初からそう言えよっと。ほい、じゃあみんな好きなの選べ」
ゴルシが持つくじ引きを差し出す。それを、みなそれぞれがつかむ。
「さぁ、行くぜ! せ~~の!」
結局、テイオーとマックイーンが代表に選ばれた。
ところ変わって今度はトレーニング場。
そこにはメジロパーマーとダイタクヘリオスの姿があった。
二人はいつも通り、スタートした瞬間からフルスロットルで爆逃げの体制。
なのだが、パーマーは何処か集中しきれていない様子でヘリオスにどんどん離されていく。
「どしたん、パーマー! 今はトレーニング中っしょ。全集中の呼吸! 全集中の呼吸!」
「それな。ただ、ちょっと気になってて……」
「あっ……察し。ライスの事っしょ!」
いつもの調子でパリピ語会話。問われたパーマーは驚き頷く。
「それな! ライスの事が気になって、全集中の呼吸できないっていうか……こういう考え、リムらなきゃいけないってわかってるけど……」
「あーね。とりま、見舞い行くっしょ!」
「え? でも、あんまり大勢で押し掛けると迷惑がかかるってトレーナーにも言われてるし」
「ダイジョブダイジョブ。もうリハビリ始まってんでしょ? 動けるぐらい回復してるんなら、問題ないっしょ! それにアタシらがささっと行って、すぐ帰って来ちゃえば問題ナシ! こういう時こそ爆逃げでしょ、爆逃げ!」
「それは、そうかもだけど……」
「なら、お見舞い、テンアゲでゴーっしょ!!」
「ま、まぁこうして考えてても仕方ないし、気になるなら行った方が良いか」
こうして、二人はトレーニングを切り上げて、さっさと病院まで爆逃げしてしまった。
またまた別の場所では、チームカノープスがトレーニングをしていた。
だが、こちらもまたタンホイザがどうにも集中しきれない様子だ。
「どうしました、タンホイザさん。心ここにあらずと言った風ですが」
「あ。ううん。大丈夫だよ。この通り、私は元気! えいえいむん!」
イクノディクタスが尋ねるのに、タンホイザはあからさまな空元気で応じる。それはチームメイトの誰もがはっきり分かるモノで、イクノだけでなくツインターボやナイスネイチャまでもが顔を見合わせる。
「どうしたの、マチタン! 最近ずっとそんな調子じゃん」
「練習に全然身が入って無いの丸わかりだよ? 何か気になる事でもあるの? ほらほら、ネイチャさんに言ってみ?」
チームメイト達から口々に問われ、タンホイザはうっとした様子でそっぽを向く。
「いや、だから全然そんなんじゃ無いって」
「ふふん。当ててみようか。ライスの事でしょ」
「ぎくッ!」
ネイチャの問に、思い切り体が反応する。タンホイザは滝のように汗を流してネイチャを見詰める。
「ど、どうしてソレを……」
「まぁね~。マチタンとは付き合いも長いから。それに、ライスとはデビュー時期が同じライバルだからね。菊花賞でもブルボン含め三頭で先頭争いしてたし」
ネイチャは肩を竦めて告げ、苦笑する。
「それに、あたしらだってライスの事は気になるよ。マチタン程じゃないけど、一緒にレースを走って来た仲だしさ」
「そうだよ。ターボもライスの怪我、どうなってるか気になるもん。また走りたいから。その時も、ターボが勝つけどね!」
「気にしてるのはタンホイザさんだけでは無いですよ。恐らく、トレセン学園でも気にしてるウマ娘は多いでしょう」
「そうなんだね。でもそっか。皆もライスちゃんと走ってるもんね。気になるよね」
口々にいう仲間達に、タンホイザは頭を掻き掻き答える。
「でも、練習に身が入らない程気になるなら、いっそお見舞いに行ったら良いんじゃない?」
「え? でも、トレーナーからはあんまりみだりにお見舞いに行かないように言われてるし。下手に大所帯になっちゃうと迷惑だからって」
「ダイジョブだよ。聞いた話じゃ、もうリハビリは始まってるみたいだし。一度位見舞いに行く程度なら咎められないって」
ネイチャは、さぁ行った行ったと手振りで示して見せる。それでも躊躇うタンホイザだったが、その背中をイクノが押す。
「さぁ、行きますよ。気になる事はさっさと片付けるが吉ですから」
「え? ちょっとイクノ?」
こうして、タンホイザとイクノもライスのお見舞いに赴く事となった。
その頃、ライスはリハビリを終えて、一人ベットで座ったまま外を見ていた。
「ライス!」「ライスさん!」
そこへ、先程到着したテイオーとマックイーンがやってくる。二人は見舞いの品を掲げてライスへと歩み寄る。
「あ、テイオーさんにマックイーンさん」
「「ライスぅ~!」」
そこへすかさず飛び込んできたのはパーマーとヘリオス。二人もまた見舞いの品を持っていたが袋はテイオー達と同じモノだった。
「ライスちゃん!」「ライスさん」
更に飛び込んできたのはタンホイザとイクノである。またしても手にはテイオー達と同じ柄の袋。
次々にやって来る客人に、ライスは吃驚と目を丸くする。
それは見舞いに来た彼らも同様で、全員がお互いの顔を見合わせる。
「え? マックイーン?」
「パーマー。こんな所で貴方に会うなんて」
「テイオー!」
「イクノにタンホイザ。それにパーマーにヘリオスまで。どうしたのさ、こんな所で」
口々に現れた相手に向けて告げ、皆それぞれ手に持った袋に気付く。
「もしかして、皆もライスのお見舞いに?」
「そうだけど……もしかして皆も?」
「ええ。でも、まさか皆が同じタイミングでお見舞いが被るなんて」
テイオーの問に、パーマーとイクノが答える。その答えにマックイーンが溜息をつく。
「まさか、皆お見舞いのタイミングが被ってしまうとは。しかも、お見舞いの品も全員一緒だなんて。こんな事、想定外ですわ」
「考える事は一緒って事っしょ。一斉に見舞いとか、チョーウケる」
「あはは。皆、ライスちゃんの事が気になって仕方ないって事かな。でも大人数で来るのは迷惑だったかな」
とうのライスを無視して、互いに苦笑いをする見舞いのウマ娘達。六人はやや困惑気味で苦笑いしか出てこない。
「皆さん」
そこへ、ベットに座るライスが声をかける。
六人は慌ててライスを見る。彼女は満面の笑みで彼女達を見上げていた。
「ライスのお見舞いに来てくれたんだよね。ありがとう」
その笑顔で、とりあえず同時に六人も来てしまった事は目を瞑る事にした。