ライスの元に六人も一緒に集まってから更に少し経った頃。
ブルボンは、相変わらず精力的にレースに出て、活躍を続けていた。
と言っても、G2やG3は勝てても、G1のレースとなると中々勝ち切れない日々が続いており、よくて同着1位で他のウマ娘全てを下しての勝利は無かった。
流石に二年モノブランクは長い。それに、そもそもクラシック級のG1しか経験の無いブルボンは様々な年代の強者ウマ娘の集うG1レースの経験は無いから、同期達と走っていた当時とはやはりわけが違う。
これが年代入り混じるG1か。同時代デビューのウマ娘達としか主に競って来なかったブルボンには少しばかり厳しいモノだった。
「ライスは、こんな中で勝ってきたのですね。一年先デビューのマックイーンさんにさえ勝ち切った姿は本当に見事でしたが、まさかこれ程難しい事だったとは」
ブルボンは自分の成績を見ながら呟く。自分が踏みいる事の出来なかった領域は、想像よりも遥かに厳しい世界のようだ。
「まぁ、クラシック期より皆成長してるし、勝ちたいって気持ちは強いからね。そう簡単には打ち勝てるものじゃないわ」
そんなブルボンに、一度声をかけてきて以来、自主練にずっと付き合ってくれるようになったマルゼンが答える。
「ですが、マルゼンスキーさんは一度も負けなしの8連勝を」
「私は貴方のように長期休養していたわけじゃないからね。その後に出る予定だった有馬記念は怪我で出られなかったけど」
マルゼンが笑いながら言うと、ブルボンは顔を伏せ何やら考えている様子だった。
「どうしたの、ブルボンちゃん?」
「いえ。ライスも、同じように勝ち切れない日々が続いたのを思い出しまして」
ブルボンはそのまま空を見上げた。
「マックイーンさんに春の天皇賞で勝利してから、ライスは二年モノ間勝利から遠ざかりました。それでもライスはめげる事無く走り続けた。連覇のかかった春の天皇賞の前には足を負傷して欠場しても、何を言われてもけっして折れなかった。そして、今年春の天皇賞で勝利をもぎ取りました。その挫けない心を私はずっと見て来ました。だから、私はたとえ敗れても足を止める事だけは出来ません」
「ブルボンちゃん……」
「私はライスを二年以上待たせてしまいました。だから、私も待たねばなりません。何年かかろうとも、絶対に」
ブルボンの視界で雲が流れていく。そして、体を風が撫でていく。ライスと出会って、もう随分と時間が経った。クラシックG1の前から含めて五度も対戦で、たった一度の敗北。
ブルボンに始めて土がついた瞬間であり、その敗北によってガムシャラに勝利を目指していたブルボンには本当に意味のあるモノだった。
始めて勝ちたいと思う相手が出来た。
あの強いウマ娘に勝ちたい! そんな思いを抱いたのは、彼女が始めてだった。それまでは、ただレースに勝つ事だけが目的で、誰が相手であろうが何も気にした事も無かった。
だから、そんな特別な相手を自分が待つのは当然の事だ。
「そっか。ブルボンちゃんにとって、ライスちゃんは本当に特別な存在なのね」
そんなブルボンに、マルゼンは優しく微笑んで言った。
「羨ましいわ、ライバルと呼べる人がいるなんて。私はそういう相手には出会えなかったから。私のせいで、酷い目に合わせちゃった子もいたし。ライスちゃんの境遇を考えると、彼女達の事も重なっちゃうのよね。だから、心配なのよ」
「マルゼンさん」
「さ、今日はこれくらいにしましょうか。あんまり根を詰めて怪我でもしたら大変よ」
大きく伸びをしながら、マルゼンはさっさと歩き出した。
その後ろ姿を、ブルボンは黙って見つめていた。
「マルゼンさん」
と、唐突にブルボンがマルゼンを呼び止める。
「何? どうかした?」
「マルゼンさん。ライスの事が気になるなら、お見舞いに行かれたらいかがですか?」
「ッ!?」
そう言われ、マルゼンは弾かれたように振り返る。
「え? でも、急に行ったら迷惑かかるかもしれないし。私もドライブ誘うくらいしかしてないから」
「ライスは誰でも見舞いの客を邪険に扱ったりはしません。先日、テイオーさん達が期せずして大勢で押し掛ける事になったそうですが、嫌な顔一つせずに迎えてくれたそうですから。おそらく問題はありません」
「で、でも……何か照れくさいというか……」
柄にもなくモジモジし始めるマルゼン。
その後、問答は続いたが、結局平行線を辿る形となった。
ブルボンとマルゼンが問答をしている頃。
ライスは病院でリハビリを終え、風に当たろうと松葉杖で廊下へ出ていた。
この頃になると、関節も大分伸びてきて、支えがあればかなり歩けるようにもなり、松葉杖で病室を抜け出す事も出来るようになっていた。
廊下を歩けば、怪我をした人やウマ娘達や看護師達が行きかっている。
ライスは廊下の端、階段の踊り場にあるソファのある所へ向っていた。そこが最近のお気に入りで、大きな窓から吹き込む風が気持ちいい。
リハビリ後、そこで風を感じるのが、ライスの最近のお気に入りだった。
ライスはもう鳴れた松葉杖を巧みに使って廊下を進んでいく。
「……もう良いだろ! これ以上、あの子を苦しめるわけにはいかない」
と、そんな声が聞こえて、ライスは足を止める。壁の先から聞こえたのは責める様な男性の声。ライスは壁際に身を隠し、その会話に耳を傾ける。
「でも、あの子はまだ走りたがっていますし」
答える声は聞きなれた声。ライスのトレーナーだった。よく聞けば男性の方も聞き覚えのある声だ。
「そんなのは関係ない。デビュー前に体調不良に陥り、デビューした直後に怪我をして。そこからクラシックレースに挑み、三度目の菊花賞で遂に栄冠を手にしたのに群衆からは心無い声を浴びせられて。その直後の有馬記念では調子を落として八着。そこから死に物狂いのトレーニングであのメジロマックイーンにも勝利したのに群衆はまたもあの子に心無い声を浴びせて。それから二年も不調が続き、ようやく二年ぶりに勝てた直後にこの大怪我。こんなのあんまりだろ! あの子は懸命に走っているのに!」
「だからって、復帰を望んでるあの子に、走るのを辞めろというんですか?」
「これ以上トゥインクルシリーズを走る意味は無い。無理に走らなくても十分だ。レースから引退をさせても経歴は十分だろう。これ以上の災難をあの子に背負わせるわけにはいかないだろう」
「私だってそれは分かっています。でも。あの子は今、復帰の為にリハビリを頑張ってるんです。だから……」
「あの子の意思よりも体の状態やメンタルの方が大事だろ! 頼むからいう事を聞いてくれ」
「……ぅ」
そこまで聞いて、ライスは無言で立ち去った。
お姉さま達は、ライスの事で揉めているんだ。だったら、ライスはどうしたら……。