ライスがトレーナー達の言葉を立ち聞きしてから更に月日は流れた。
その間、ライスは大いに悩みながらのリハビリとなったが、表向きは聞いていない事なのでその思いを隠し、必死でリハビリに励んだ。
どうすれば良いかは分からないが、それでも一日も早くトレセン学園に戻りたかったから。
皆が待ってくれている事は、先日大勢がお見舞いに来てくれたところからも分かっていた。
彼らを安心させる為にも、早く戻らなければならない。
レースに出走して良いのかは分からないけれど、それでも……。
いつの間にか年は明け、冬は終わり、春も過ぎ去って行った。
梅雨で雨も増える時期。
そんな中でも、ライスはリハビリに励み、ブルボンはひたすらレースを走り続けた。
そうして、梅雨が明けて、日差しが最も厳しい時期に差し掛かった頃。
遂にライスの足の関節が完全に開くようになり、支え無しでも歩けるようになって、日常生活を送る分には支障がないレベルまでに至った。
怪我から一年。そんな短期間で彼女の足が元に戻ったのを見て、医師達も驚いていた。それもこれも、ライス自信の努力の賜物だった。
ようやく退院の日が近づいた頃、トレセン学園のウマ娘達の間では、その話に持ち切りになっていた。
スピカやカノープスのメンバー達は退院の出迎えに誰が行くかを話し、パーマーやヘリオスは退院祝いに何を渡すか話し合ったりしていた。
そんな中、やけにソワソワと気難し気に振る舞うウマ娘がいた。ナリタブライアンだ。
ブライアンはうろうろと芝の練習場を歩いたり、食事中も気もそぞろで食事にまるで集中していなかった。
そんなブライアンを気遣って、ヒシアマゾンが声をかける。
「最近どうしたんだい、ブライアン。やけにそわそわしてるようじゃないか」
「アマさん。別に何でもない」
「いーや、最近のアンタはおかしい。まるで上の空だ。何か気になる事でもあるんじゃないのかい?」
ニヤニヤと笑うアマゾンに、ブライアンは苦い顔をしてそっぽを向く。
「そういえば、ライスの奴が退院だってね。あたしも寮長として迎えてやらないとね。さて、何を作ってやろうかね~?」
そんなブライアンに、アマゾンがそんな事を口走る。たまらずブライアンがびくっと反応してしまう。ブライアンの反応を予見していたかのように、アマゾンがニヤニヤと笑う。
「あれ? どうしたんだい、ブライアン。ライスの奴が気になるのかい?」
「いや。別にそんな事は……」
「そんなわけない! ブライアンさん言ってたもん。私が出場出来てればアイツは怪我しなかった~って」
と、不意にマヤノトップガンが乱入する。
「ブライアンさん、ずっと後悔してたんだ。あの宝塚記念、自分が出なかったからライスさんが出場したって聞いてたから」
「お? マヤノ。随分直球だね~」
「な、何を言ってるんだ、二人とも!」
ニヤニヤと笑うアマゾンと詰め寄るマヤノに、ブライアンは更に顔を反らして誤魔化す。
「もう観念しな、ブライアン。アタシらはとっくに気付いてたんだよ。アンタがあの宝塚記念での事を悔いてる事を。ライスの奴は、ブライアンが出場しないって聞いて、勝てる可能性を見出したから出場したとも言われてたから、ライスの怪我は自分のせいじゃないかって思ってた事くらい」
「そうだよ。ブライアンさん、ずっと気にしてた。でも、そんなの関係ないよ。あの宝塚記念、ライスさん以外に四人も怪我しちゃってたし。逆にもしブライアンさんが出てたら、ブライアンさんが怪我してたかもしれないんだから」
「……ッ」
奥歯を噛み締めるブライアン。そんなブライアンの様子を苦笑しながら見て、アマゾンは溜息をついた。
「全く、強情だね。なら、ライスの奴をあたしらで迎えに行こうじゃないか」
「! アマさん!」
「アンタが怪我させた、と思ってる相手だ。無事な姿を見れば、アンタだって少しは落ち着くだろ? アイツはもう無事帰って来るんだ。あたしらで盛大に迎えてやろうじゃないか」
「マヤも行く! マヤもライスさんに会いたいから」
「なら決まりだね。退院の日は来週だったか? その日は明けといておくれよ、ブライアン」
強引にそう締めて、アマゾンとマヤノは何処かへ行ってしまった。
全く強引な。
強制的に約束させられ、ブライアンは心の中で溜息をついた。
一方、練習場ではブルボンとマルゼンが一緒に走っていた。ブルボンとマルゼンは一進一退のレース状況だったが、マルゼンが先にスパートをかけた瞬間、ブルボンは冷静さを欠いた様子で彼女に無理矢理追いすがった。が、ブルボンはペースを上げ過ぎたせいで最終的に失速し、マルゼンに二馬身の差をつけられてゴールとなった。
「また私の勝ちね」
マルゼンが言うと、ブルボンは悔し気に奥歯を噛み締める。
ライスが怪我した後にマルゼンに出会ってから、勝利した事は一度も無い。それは彼女のスパートタイミングがブルボンよりも遥かに速いからだ。そのせいで、ブルボンは落ち着くことが出来なくなる。
「私が前に出ると急にバタつくわね。その欠点を改善しないと、今後もG1で勝つのは難しいかもしれないわね。格下相手ならともかく、同格以上の相手では……」
「分かっています! でも……」
ブルボンは声を荒げる。しかし、すぐに冷静さを取り戻し、居住まいを正した。
「まぁ、結構走って、欠点は和らいでは来たけどね。慣れて行けば、きっと直せると思うわ」
マルゼンが余裕で笑みで告げる。対して、ブルボンは溜息をついて空を見上げた。
「そういえば、そろそろライスの退院日ですね」
「ギクッ!」
慌てたようにマルゼンが顔を強張らせる。
「退院の出迎え、マルゼンさんは行かないのですか?」
「い、行けないのよ。いくら気にかけてるって言っても、そんなに接点があるわけでもないし……私なんていたら、チョベリバだって。ブルボンちゃんこそ行かないつもりなの?」
マルゼンはあわあわと手を振る。それにブルボンは思いつめたように顔を伏せて答える。
「私は、ライスをレース場で待つと決めましたから。それに次のレースも近づいているので」
そして、ブルボンはマルゼンを真直ぐ見詰める。
「なので、マルゼンさんには私の代わりにライスを迎えに行って欲しいんです」
「ブルボンちゃん? でも、貴方が言った方が喜ぶんじゃ」
「ライスからマルゼンさんの事を聞いた事が会ったのを思い出しました。ドライブに誘ってもらったって。自分がいると信号がすぐ変わって止まってばかりだから迷惑かけてるんじゃないかとも言っていましたが」
ブルボンが告げると、改めてマルゼンに代わりの出迎えを頼んだ。その真剣なお願いを、マルゼンは断る気にはならなかった。
そうして、あっという間にライスの退院の日がやってきた。
病院の入口には、トウカイテイオー、メジロマックイーン、メジロパーマー、ダイタクヘリオス、マチカネタンホイザ、イクノディクタスのお見舞いに集結した六名だけでなく、ナリタブライアン、マヤノトップガン、ヒシアマゾン、そしてマルゼンスキーの姿があった。
「まさかマルゼン先輩までいらっしゃるとは」
「ブルボンちゃんに代わりを頼まれちゃってね。次のレースも近いからって」
マックイーンが尋ねるのに、マルゼンは少し困ったように笑って告げる。
そうして待っていると、病院の自動ドアが開き、漆黒の髪の小柄なウマ娘が姿を現す。
ライスはすぐ入口で待っていた面々に気が付き、目を丸くする。
「ライス。迎えに来たよ」
そのライスに向って、テイオーが声をかけ、見舞いにきた面々は口々に彼女の帰還を祝う言葉を投げかけた。
「あ、その。無事で良かった。ライスシャワー」
最後に、不器用なブライアンの言葉が降り注ぎ、ライスはニッコリ笑った。
ライスの退院は、瞬く間に学園全体へと広まった。
怪我の大きさや、そんな大けがをしながらも一年と少しで一応日常生活を送るには支障の無いレベルになったという事で、色んなウマ娘達の話題に上がった。
そんな中、廊下を歩きながら例に漏れずライスについて話しているウマ娘がいた。
ウイニングチケットとビワハヤヒデである。
「宝塚記念での大けがからまだ一年しか経過してないのに復帰できるなんて、凄いよね。ライスは」
「ああ。私も何度か大きな怪我に見舞われた事があったが、相当の時間を要したからな。彼女の怪我の程度を考えれば、殆ど奇跡なのではと思う。私の理論から察しても、彼女の怪我はそう簡単に癒せるような類のモノでは無かったからな」
二人はタイシンの応援で宝塚記念を訪れ、ライスの故障を目の前で見た。駆け寄ったト
ウカイテイオーなどの話によれば、夥しい血が流れていたと聞く。足の骨も膝の皮を突き破ってしまっており、怪我の程度で考えれば二人が見舞われた事のあるソレより遥かに酷い重症だったと言えよう。
そんな苦難から、一年と少しの時間をかけ、ライスシャワーはトレセン学園に舞い戻ったのである。まだ走れるような状態では無いらしいが、それでもそこまで回復したのは当人の頑張りによる所だろうと、二人は考える。
「実は僕、ずっとライスの事を心配してたんだ。ライスには何か他人じゃないような感覚を覚える事があって」
「まぁ、チケットが彼女の事を気にしている事は、聞かれなくても分かっていたがな。それに私も彼女の怪我は気がかりだった。タイシンも同じく大きな怪我を負っていたが、それ以上に彼女の怪我は酷かったし、二度も春の天皇賞を制したウマ娘があんないたましい事故で走れなくなってしまうのは惜しく感じていたからな」
そういう二人が向かうのは、もう一人の友達、ナリタタイシンの元。彼女もまた二か月ほど前に退院して、現在は療養中。足を安めながら、取り組めるトレーニングにいそしんでいる。
ただ、彼女も宝塚記念以来、何かを思いつめているようで、トレーニングを少しずつ再開してからも無理をしがちだ。
だけに、二人も目を光らせておかねばと、二人は時間が出来た時はタイシンの元へ出来る限り足を運ぶようにした。
と、二人が歩く先に小柄な体のウマ娘。確認せずとも、それがタイシンだと分かる。
「あ! タイシン!」
チケットが呼びかけ小走りに彼女の前へ。それに冷めた視線を返すタイシン。
「なんだ、チケットか。何か用?」
「何か用って。タイシンがトレーニングで無茶しないように、私達も一緒にトレーニングしようと思って」
「ああ。最近ではいつもの事だが、タイシンから目を離すのは危険だからな。ご一緒させて貰うよ」
ハヤヒデも言うと、タイシンは『別にいいけど』とそっけなく返し、三人は連れ立ってウェイト室へと向かった。
ウェイト室の更衣室で練習着がえた三人は、すぐにトレーニング器具へ向かう。
「そういえばタイシン。ライスが退院したって。聞いた?」
そこで、チケットは何の気なしに告げる。すると、タイシンはびくっと体を震わせ、顔を伏せる。その顔には何か思いつめるような表情が浮かんでいた。
「凄いよね。酷い怪我で歩けるようになるかもわからないって言われてたのに、一年と少しで帰って来ちゃうなんてさ……って、タイシン?」
「え!? あ、いや。ライスがなんだって?」
「あ、うん。一年と少しで退院なんて凄いなって。直るかも分からないって言われたくらい重症だって聞いたからさ」
チケットが言うと、『ああ、そうだね』と少し歯切れ悪く返す。
「まぁ、そんな事よりトレーニング始めるよ。私と一緒にしにきたんでしょ?」
「うん。そうだね。それじゃ始めるか」
タイシンが言い繕うように告げると、チケットは気を取り直したように器具に手をかけた。
その様子を、少し離れた場所からハヤヒデが無言で見詰めていた。
一方、芝の練習場では、ミホノブルボンが一人走っていた。
その姿は、復帰後始めての重賞と同じように、力強く激しい走りだった。
そうして、ゴール板を越えた後、ブルボンは足を止めて、空を見上げる。
「ライス……」
彼女が見上げる空には青い空に雲が流れていく。彼女が戻ってきた。まだ走れる程回復はしていないだろうが、これで二人の願いに一つ近づいた。
「もう一度あなたと……」