常勝の天才と不敗の魔術師は政治という共通の話題を見つけ議論を戦わせていた。
あらゆる図書と辞書が山積みにされた人類数千年分の叡知の海の中でラインハルトがコーヒーにクリームを落とし、ヤンが紅茶にレモンを絞る。
飲み干したいくつものカップをユリアンとエーミールが片付けていく。どちらの主君も生活人としてはいまいちだったからふたりの侍童は意気投合する。
「初めての赴任地、極寒の雪山でキルヒアイスと夜を明かした時、このように甘い姉上のコーヒーがほしくなったものだ」
「グリューネワルト伯爵夫人とキルヒアイス提督のお人柄は存じております」
ヤン・ウェンリーは最大のライバルの思想背景を的確に分析していた。彼は紅茶に映る自分の顔を眺めながら続ける──
「宇宙をさすらう商人の息子の私にはたとえふたりでも待ってくれている家族が物心ついた時からいてくれるのは嬉しいものです」
ラインハルトは苦々しい笑みを浮かべ、ソーサーにコーヒーを置く。
「あの時は物理的に寒かったが、最近まで心理的にも寒かった。俺は寒かったのだ。だが、卿を予の友人に迎えて何か空虚な心が満たされた気がする」
「それは何より」
「卿には夢はあるか?」
「退役したら、暖炉の前で椅子に揺られながらブランデーをたしなみ、読書にふけることですね」
「ある日には姉上と俺を混ぜてもらおうか」
コーヒーと紅茶を飲んだふたりは深い息をつく。
「さて、銀河帝国と自由惑星同盟の違いをいちおう整理しておくが……」
「はい、閣下」
ヤンは威儀を正すと、ラインハルトはかぶりを振った。
「閣下はよせ」
キルヒアイスぐらいにしか閣下抜きは許してはいなかったはずだが。
「は、はあ」
「いずれ卿は皇帝たる予と同等同格の首相として民意を代表し、時に予の施策を民主共和主義者の立場で修正しつつ実行する真の民主主義をこの自由惑星同盟に押し広げてもらわねばならぬのだからな」
ヤンは開きかけていた分厚い本を一旦閉じ、目の前の専制君主を見据えた。その本の名は──日本国憲法。
「私をトリューニヒトの後釜に据えるということですか?」
トリューニヒトをわざわざ敬称や肩書きで呼ばなくていいという合意はふたりの英雄にこの短時間で形成されていた。それはラインハルトもわかっていたからその答えはトリューニヒト云々ではなく、
「敬語など無理に用いなくてもよいのだぞ」
口調にのみ答えられたことにヤンは焦らされた気持ちになりながら、
「では遠慮なく──ラインハルト、君は何を僕に望む」
ヤンが背もたれから身を起こし、敬語抜きで真剣にラインハルトに向き合う。
エーミールの動作がぴたりと止まり、主君の一挙手一投足を見据える。
「ヤンウェンリー。卿を自由惑星同盟領総督に任じよう」
ラインハルトのその台詞は大昔の地球の中東のとある王国で芸術の才能以外は有能な地方領主を幼い王子が幕僚に登用するかのごときものだった。
「そ、総督ですか!?」
沈着冷静なヤンの代わりに若いユリアンがすっとんきょうな声を上げる。
その一方でヤンはラインハルトの政治的センスに唸った。
「総督と言えば弁務官よりも重みのあるポストで、同盟領現地の意向に添いつつ監督するニュアンスが生まれる」
「閣下、私からもよろしいですか?」
「どうぞフロイライン」
「例えば、かつて地球では大英連邦がカナダの総督を任命するが、その総督はカナダの民が選んだと聞き及びますわ。カナダには議会が公選した首相と、英国国王が現地人から任命する総督がおります。つまり──」
ヒルダの話の結論はヤンがコーヒーを啜りながら答えた。たまにはコーヒーも悪くないだろう。
「ははは、今の最高評議会議長を首相に見立て、総督たる僕と共倒れさせるわけだね?」
「ヤン、なにやら誤解しているようだが私は卿を愚劣なトリューニヒトの贄として捧げるがごときを望まぬ。卿には次の仕事がある」
「は?」
「総督として人脈と政治権力を蓄え、同盟が崩壊したのちは銀河帝国初代内閣総理大臣としてヤン政権を組閣せよ」
「ははは、それでは先程申しましたゆっくり年金生活を送る夢が」
「総督の間はお飾りでいい。ヤン艦隊には有能な事務方がいるではないか」
キャゼルヌが盛大にくしゃみする。
「総督を務めている間に気が変わるかも知れませんよ」
「なら気が変わるまで務めてくれ」
「はあ、」
ヤンは再び背もたれにぐったりと沈みこんだ。
「気楽にやってみますよ」
……奇しくもそれはトリューニヒトの構想と同じだった。
* *
同盟首都ハイネセンの市街地、商業施設に立体映像であの忌々しいトリューニヒトのしたり顔が映る……
公共放送キャスターが淡々と告げる。
『この時間は情報交通委員長による帝国軍侵略に関する会見をお送りする予定でしたが、急遽最高評議会議長による緊急会見がセッティングされましたのでノーカットでお届けします。以降の番組では引き続き特番をお送りいたします』
トリューニヒトは前で軽く手を組み、画面の向こうの大衆が静まるのを待つ。
『え~。卑劣なる銀河帝国の首都奇襲攻撃から一夜明け、我らミラクルヤンの活躍により、ラインハルトフォンローエングラム帝国宰相より最大限の譲歩を引き出しました』
……というのを、ラインハルトとヤンは仲良く会議室のソファーで座りながら見ている。
「おや、ヤン提督は話を受けただけですぜ」
ポプランが左肘をテレビにもたれながら右手をぴらぴらと振った。
「トリューニヒトの噂は本当だったようだな」
ロイエンタールがワインを一口。
「いや~同盟の元首がこれとは嘆かわしい。こいつなら帝国に戦犯として差し上げますよ」
「利用価値がない」
一蹴したオーベルシュタインにヤン艦隊幕僚が爆笑した。
トリューニヒトは続ける。
『先ほど通信が入りましたところによりますと、我らのミラクルヤンは帝国に総督として指名されました! 救国の英雄の手により自由惑星同盟の主権は辛うじて保たれたのです』
「やれやれ、ヤンウェンリーさんは随分と出世したようだね」
救国の英雄とやらはため息をつき、ベレー帽をかぶり直した。
「行くぞヤン、俺たちの手で新しい政治をやろう」
「ああ、頼むよラインハルト」
青空に海の稜線が淡いブルーのコントラストを紡ぎ、大気圏突入シークエンスを終えたブリュンヒルトとヒューベリオンが新天地の都に降りていった……
この時、宇宙歴七九九年。帝国歴四九〇年。
ヤンウェンリー政権構想が、ここに始まる──
(第一章『皇帝万歳』)
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