司祭(ジェイラ)さんと悪魔(ルシーズ)さん 作:ゼルダ・エルリッチ
思ったよりフツーなんだな。それが、ルシーズを見た最初の感想だった。
ルシーズは悪魔だ。悪魔めいている悪戯っ子とか、悪魔的性格の持ち主、というわけではない。本物なのだ。カンビオンというのが正式な種族の名称らしい。要は、わたしの種族が人間なのと同じ。
でも悪魔といっても、そんなにオドロオドロしいわけじゃない。そりゃ、悪魔の本場のアビス・ワールドなんかに行ったらそんな悪魔たちもウジャウジャいるらしいけど。少なくともわたしの住んでる世界ではそんなに怖いものじゃない。と思う。多分。だってわたし、ルシーズ以外の悪魔なんて見たことないし。
それはただ、わたしの住んでいる町が文明の輝きの中心部からちょっと離れたところにあるせいかもしれない。ちょっと詩的っぽいことを言ってみたけど、要するに田舎町ってこと。町の真ん中には結構たくさんの商店や施設が並んでいるけど、そこから少し離れれば、見渡す限りの畑、畑、そして牧場。牛さん達にとってはのんびりくつろげる楽園かもしれないけど、わたしにとっては退屈なところと言わざるを得ない。
つまり、わたしだってそれなりに『お年頃』なのだ。神学校のピカピカの一年生。
つまり十五歳。
わたしみたいな年頃の女子が楽しく遊べるような場所は、わたしの町にはほとんどない。そりゃ、野山を無心に駆け回るのが楽しかった頃にはここも素敵なところだと思っていたけど、さすがにこの歳になってそんな無邪気にはしゃぐ気にはなれませんもの。
わたしも歳を取ったのか?
う~ん。ここは『大人になったんだ』ということにしておこう。
まあ、それはさておき。そんなところだから、ルシーズみたいな悪魔さんなんてのはとても珍しい。どのくらい珍しいかというと、ルシーズを見た町の子供たちがキャーキャー騒いでその後をついていって、ねえねえ、口から火を吐いてみせてよぉ、とか、呪文使って見せてー、とか騒ぐくらい。
ちょっとわかりづらいか? でもまあ、そんな感じに珍しいということだ。
そんなときのルシーズの対応は決まっている。「悪魔と関わっちゃいけないから」ぼそっとつぶやいて、手でシッシッと子供たちを振り払う。これでも本人は悪魔的な怖さを演出しているつもりらしいけど、わたしの目には全然そうは見えない。
もっと、手を振りかざしてガオー! とか吠えたりするのなら、小さな子供を驚かすのには有効的かもしれない。でも、ルシーズはそういう性格をしていない。
自分が悪魔であるということにも、あまり関心はないらしい。
ただ悪魔として生まれただけのことだ、と以前に言っていたことがある。ルシーズらしい言葉だと思った。成り行きに身を任せるタイプというか、劇的な物は求めていないというか。
わたしが初めてルシーズに会ったのは、わたしの通っている神学校の敷地の外れ。寂れた古い墓地の中に建っている、これまた古い古い小さな教会の中だった。教会といっても、今はもう全然使われていない。ほとんど遺跡といった感じだ。
だから掃除も全然されていないし、床にはどこからか入り込んで溜まった落ち葉が、うっすら積もっている有様。
時折、リスがちょろちょろ走り回っていることさえある。ネズミでなくて良かった。
そんな場所だから当然、学校の生徒たちがやってくることなんて全くない。たまーに、用務員のおばさんが窓やステンドグラスに破損がないかどうか見回りに来るくらい。それも、月イチであるかどうかといったところ。
そんな場所にわたしがなんとなく足を伸ばし始めたのが、ここ二ヶ月ほど前からのこと。それは、新しい学校生活に染まり切って、疲れが出てきたからだったと思う。ちょっと散歩気分で学校の裏手をぶらぶらしていたとき、この教会を見つけた。
墓地があることは知ってたけど、こんな教会があるなんてことは知らなかった。
入り口の大きな木のドアは、表面がボロボロと剥がれ始めている。鍵が掛かっているだろうと思ったけど、試しに手で押してみると簡単に開いた。なんて不用心な、と思いつつ、わたしの町のことをすぐに思い起こしてみて変に納得した。鍵を掛ける必要もないくらいの、開けっ広げな感じの町。言い換えれば、悲しき田舎町の習慣とも言えるか。
正面に祭壇があって、小さな女神様の像が祭られている。小さくお祈りしてから、中を見回してみる。四人掛けくらいの木のベンチが三つずつ、二列に並んでいた。左右の壁の上の方には綺麗なステンドグラスが飾られていて、キラキラと輝いていた。
ふーん、と観察しながら歩みを踏み出した、そのとき。
誰かが一人、ベンチに座っていた。
わっ。心臓がドキッと鳴って、思わず飛び退く。
少し呼吸が整ってから、改めて観察してみた。
そこにいたのは、わたしと同い年くらいの女の子。肩くらいまでのサラサラとした綺麗な黒髪が微かに揺れている。学校の制服を着ていたけど、わたしの学校の服じゃなかった。神学校の服でもない。多分これは、隣町の学校のものだと思う。どこの学校だろう。そこまでは分からなかった。
横には紺色のリュックサックが置いてある。これは通学鞄の代わりだろう。その鞄にちょっと寄り添うようにして、身体を楽に崩した彼女が眠りこけていた。
悪魔だった。それはすぐに分かった。
肌の色が赤いわけでも、背中にコウモリの羽が生えているわけでもなかったけど、黒髪の間からちょこんと突き出た小さな二本の黒い角が、それを物語っていた。
でも逆に言えば、それ以外のところは至ってフツー。人間とあんまり変わらない。
だからわたしも、特別「へえ!」といった感じにはならなかった。ごく普通の感じ。学校の同級生が一人、そこにいるといった感じ。
思ったよりフツーなんだな。冒頭の感想がわたしの中に沸き起こる。
そんな中、不意に、
あ、尻尾はどうなってるのかな? 確か悪魔って、尻尾あったような。
なんてことが頭の中によぎって、彼女のスカートの間に目線を向けて手を伸ばす。でも、すぐにその手を引っ込めて視線を逸らした。なにをやってるんだわたしは。
ちょっと後悔めいたものを感じて、思わず苦笑いする。もう少し踏み込んだら、寝ている彼女の隙に付け込んでそのスカートをぴらっとめくってしまいそうになる所だった。
危ない危ない。セクハラはいけません、奥様。
そんなとき。
彼女が目を覚ました。
瞳をぱちぱちとしばたかせて、戻ってきた現実の世界に目を慣らしている。やや吊り上がった、まどろんだ黒い大きな目が印象的だった。かなりの美人さん。
絵になってるなぁ、などと思わず見入ってしまったけど、わたしはすぐに思い起こした。目が覚めて隣にいきなり見たこともないやつが立っていたら、そりゃびっくりするだろう。
やば。起こしてしまったことと、さっきまで彼女のスカートに手を伸ばそうと考えていた気まずさが両方手伝って、なんとも複雑な思いになりながらわたしは一歩足を引いた。
目を覚ました悪魔と顔を突き合わせたこともその中に加わっていた。さっきまでは眠っていたけど、今度は起きているのだ。
いくら見た目は普通でも、やっぱり悪魔って人間とは大分違うのだろうか。
「え?」
彼女が小さくつぶやく。まだ周囲の様子がはっきりしていないみたいだ。
でもそれは、ほんの一瞬の間のことだった。
「わっ、誰」
ようやく本格的にわたしのことに気が付いた。悪魔でも寝ぼけるんだなあ、なんてことを思いながら、ごまかしも含めて、わたしは取り繕いの笑顔を作って軽く右手を上げる。
「よ、おはよ」
彼女は、きょとんとしつつも同じく右手を小さく上げて、こちらも取り繕いの挨拶を返してきた。
「えと……おはよう」
社交辞令が済んでしまうと、辺りは急に静かになった。
お互い特に、話題が出てこない。
普通だったらこんなとき、あれこれ質問が飛び交うのだろう。でもわたしは、相手に必要以上のことは聞かないという性格をしている。それが、相手を気遣うことができるという長所と捉えて頂ければ幸い。でも、ただ単に人付き合いが上手くないだけなんだけどね。それがわたし。
彼女の方は、単に見たこともない相手と話すことも特にないといった感じ。まあそれが普通なんだろうけど。ちょっとおとなしそうな印象がしたから、口数が少ないのはそれも手伝っているんだと思う。
取り敢えず、スカートに手を伸ばそうとしてるときに彼女が起きなくて良かった。わたしは一人そんなことを考えていた。わたしは痴女じゃない。
「怖く、ないの?」
だいぶ経って、彼女が急に聞いてきた。
「え?」
「私。その……悪魔だから」
そう言って、彼女はややうつむき気味になってこちらをチラチラ横目で見てくる。悪魔を前にして少しも物怖じしないわたしのことを見て、そう聞いたらしい。
やっぱり相手が悪魔だと、怖がる人もいるのだろう。ちょっとだけ、彼女の気持ちが分かったような気になった。彼女の頬は、少し赤らんでいた。
「怖いの?」
ちょっと意地悪な言い方をして返す。彼女の気持ちに応えようとした結果だ。
「べ、別に、怖くなんか、ない」
彼女が、ぼそっとつぶやいて返した。なんとも言えない表情をしている。恥ずかしがっているというか、むくれているというか。
「じゃ、怖くない」
そう言って、わたしは笑ってみせた。
「ここ、いい?」
彼女の隣の席を指差して尋ねる。
彼女は少し戸惑っていたが、小さく頷いて返した。
「いや、おやつ食べようかと」
わたしが取り出した紙袋を彼女が見つめてくる。袋の中には、学校の購買で買った甘いパンが入っている。後で食べようと通学鞄の外ポケットの中に入れっぱなしにしていたのを思い出して、ここで食べようという気になった。
なんでそんな気になったのだろう? それは多分、なんとなくもう少し彼女と同じ空間にいてみたいという気になったせいだと思う。
それもまた、なんでそう思ったのかはわたしにもよく分からない。
でもまあ、学校の騒がしい食堂で食べるよりは、ここで静かに座って食べるのも良いもんじゃないかな、という軽い気持ちもあったのは確かだ。
そこまで深い思い入れは、多分ない。
「いる?」
二つあった菓子パンのうちの一つを差し出して、彼女に聞いてみた。クリームの入ったドーナツ生地に、シュガーパウダーとカラフルなチョコチップがトッピングされたやつだ。
寝起きの相手に勧めるのはどうだったかと、勧めた後で気が付いたけど。
「も、もらっとく」
戸惑いながらも、彼女がそれを受け取る。
「結構おいしんだよねー、これ」
そう言ってパクつくわたしを見て、彼女の方も手にしたそのパンを口に運んだ。なんだか成り行きで無理やり食べているような感じだったので、ちょっと悪いことしたかなとも思ったけど。まあいいや。
ベンチに並んで二人。黙々と食べる。
やっぱり、特に話題はない。
でもなんだかわたしは、妙に落ち着いていた。なんだろう? 突然思いもかけず爽やかな微風が私の頬をくすぐっていったときのような、リラックスした気持ち。安心感?そんな空気に包まれているのを感じた。
それは彼女のせいなのか? それとも単に、この静かな空間が気に入っただけなのか?
やっぱり分からなかった。
彼女をちらっと横目で見てみる。彼女はうつむいて、ただ黙々と食べていた。
そりゃそうだ。見ず知らずのやつといきなり、並んでパンを食べているのだから。
それが普通のことなんだろうなあ、と思いつつも、わたしはパンの最後の一口を口に運んだ。
「ごちそうさま」
服についたシュガーパウダーを手でパンパンと落として、ふうっと溜め息をつく。
「ごちそうさま」
彼女も、わたしよりも大きな最後のパンの塊を口に運んで飲み込んでから、続けた。
「あちゃー、飲み物がないや」
鞄の中を改めて、気付く。甘いパンの後は飲み物だろうが。失敗したと思った。
「ごめん、私も、持ってない」
「いいよ、帰りになんか買ってくから。ありがとう」
食べたら急に眠気を感じる。動物かわたしは。でもまあ、それは自然の摂理だから。人間だって動物だ。多分、悪魔も。
「じゃ、私は」
瞳を閉じてまどろむ私の耳に、彼女の声が響く。
瞳を開くと、彼女が立ち上がって帰ろうとしているところだった。
「うん、じゃーね」
手をひらひらと振って応えるわたしに、彼女がペコっと小さく頭を下げた。頬はやっぱり赤らんでいる。恥ずかしがり屋なのか。
そのとき。なにかの違和感があったのを感じて、入り口に向かう彼女をふっと振り返ってみた。去っていく彼女のスカートの間から、黒くて細長い尻尾がぴょこんと伸びていた。
違和感の正体は、これか。
「やっぱ、尻尾あるんだ」
ドアの向こうに消えていく彼女の後姿を眺めながら、つぶやく。
再び瞳を閉じるわたしの口の中には、甘いクリームの味がいつまでも残っていた。
翌日。わたしは再び教会を訪れた。昨日のこともあったし、なにかの胸騒ぎがしたような気がしたから。ひょっとしたら彼女がまたいるかもしれない。そんな気がしていたのも事実だ。
特になにかを期待しているわけでもないけど、わたしの単純な学校生活の中で、それは確かに一つの小さな刺激であることには違いなかった。
ボロボロになった入り口の木の扉をそっと開けてみる。昨日と同じ空気。午後の柔らかい日差しがステンドガラス越しに降り注いでいる。
昨日と同じベンチ。昨日と同じ場所。そこに目をやったわたしの目に、すぐに飛び込んできたものがあった。
彼女だった。後姿ではあったけれど、すぐに分かった。
雰囲気というか、オーラというか。そんなものが彼女の周りには纏わりついているような気がしたから。悪魔だからか? やっぱり、変なパワーでも持っているのか。
馬鹿げた妄想を巡らせながら近づく。彼女もすぐに、わたしに気付いた。
「よ、いたね」
「うん、いた」
振り返った彼女と目を合わせて、挨拶を交わす。彼女がすぐに前を向いたので、わたしはそのまま隣の席に座った。
「ここ、常連なの?」
前を向いたまま尋ねる。
「昨日は、たまたま」
「今日も? たまたま?」
その問いには、彼女は応えなかった。
偶然に出会った見ず知らずの相手と、こうしてまた過ごしている。
それは確かに、なにかの巡り会わせだろうと思う。
でも、運命と言えるほどでもない。
ここからなにかが生まれるかもしれないし、生まれないかもしれない。
そんなものだろう、人と人との出会いなんて。なにかが大きく変わることの方がおかしなことなのだ。
人生の変化なんて、気付かないくらい小さなことの積み重ねだと思う。そんなものが積み重なって、それがあるときふっと、自分の中に立ち現われてくる。そのくらいになって初めて、自分の中の変化に気付く。
彼女の存在は、わたしの中の変化にどのくらい関わってくるのだろう? さっぱり分からないけど、少なくとも、積み重ねの中の一つには違いなかった。
そんなことを考えていたら、急に彼女が話しかけてきた。
「あの」
「んー?」
気の抜けた返事を返して、彼女の方を見る。
「これ」
彼女が茶色い紙袋を差し出してきた。
「え?」
「昨日の、お返し」
袋の中には、ハニーシロップのかかったドーナツが二つ入っていた。だいぶ時間が経ってベトベトになってしまってたけど。多分、朝イチで買ってきてくれたのだろう。今は午後だ。
「リチギだねー」
笑って受け取るわたしを見て、彼女がまた頬を赤くした。だから、恥ずかしがり屋なのかって。
彼女も自分の分を取って、二人して食べる。昨日と同じだ。二日連続とは思わなかった。
既視感めいた感覚が生まれていく。むせ返るようなはちみつの甘い香りが、辺りを包んでいった。
ひょっとしたら、わたしにこれを渡すために彼女は今日ここにいたのかもしれない。
そんなことが頭によぎった。
律儀なのか。なんなのか。
「わたしはジェイラ。今後ともよろしく」
「ルシーズ。よろしく」
二日目にして自己紹介。ルシーズか。悪魔っぽい名前ともいえる。少なくとも、人間の名前としてはあんまり聞かない名前だ。
「どんな意味? 名前」
つい聞いてしまった。単純に興味があったからなんだけど、いきなり聞くのはどうだったろうか。
「え? ああ。えと……その。大昔の、悪魔の王様に仕えてた、女戦士の名前なんだって。よく知らないけど」
ルシーズが、そう言ってちょっとだけはにかむ。案外素直に説明してくれたけど、自分のことを話すのは慣れていないらしい。そんな引っ込み思案なところがルシーズにはあった。
「強そう」
「やめてください」
茶化して笑うわたしに、ルシーズもそう言ってちょっと微笑む。悪魔の笑顔、初体験。
「……ジェイラは? どんな意味?」
今度はルシーズが聞いてきた。お返しなのか? でも、ちょっとだけ彼女との距離が縮まったような気がしてなんとなく嬉しかった。
「うん。昔々、ある所に立派な司祭様がいらっしゃいました。司祭様は我が身を犠牲にして、災いから人々を救ったんだそうな。その司祭様の名前がジェイラ」
ルシーズが、へえと頷く。すごく感心しているみたい。そんなに立派なことも言ってないような気がするけど。
「偉い人の名前って、割とベタだよねー。そんなに期待されてもなあ、って感じ。わたしなんか、全然フツーの人だっての。世界を救えるわけないし」
ははと笑って流す。でもルシーズは、じっとわたしを見つめたまま。
「ん?」
目が合った途端、ルシーズはハッと目を逸らす。どうかしたのか?
「どうかした?」
わたしが尋ねると、彼女はチラッとこっちを見て、ぼそっと言った。
「そんなことない」
「え?」
「救えると思う」
「はあ」
きょとんとするわたしを見て、彼女はまた目を逸らした。やっぱり頬が赤い。体質なのか?
「……なんでもない」
「そうですか」
なんだったのかな? そう思いつつも、その話題はそこで打ち切りになった。
それから現在に至るまで。わたしとルシーズはお互いにこの教会で時間を潰すことが多くなっていた。それはルシーズの方が先だったわけだけど、今ではわたしもそのささやかなミッションに参加するようになったというわけ。
時間を潰している理由は簡単。
つまりは、サボりだ。
この教会がわたしとルシーズの共通の居場所になってから、学校のあるウィークデーには大抵ここで顔を合わせている。休みの日にはもちろんお互い家にいるので顔を合わせることもないけれど、それでも学校の同級生の誰よりも、わたしはルシーズと一緒にいることが多くなっていた。ルシーズもわたしと同学年の十五歳。このこともルシーズに親近感を抱く理由になっていた。やっぱり先輩とかだったら、一緒にいるのも気を使うだろうし。
ルシーズは隣町の学校に通っている。でも家はこの町にあって、ここから歩いて二十分ほどの山間にあるそうだ。それで、午後の授業をすっぽかして早く帰ってきたり、あるいは学校を全くすっぽかしたりするときには、この教会で時間を潰している。この教会はルシーズの通学路の間にあって、人気も全くない。それでルシーズは、ここを時間潰しのいい隠れ家にしていた。町の繁華街を早い時間に制服姿がうろついていては怪しまれるし、ここなら雨風もしのげるというわけだ。
ルシーズが学校をサボっている理由は敢えて聞いていない。それは個人の自由というやつだろうから、余計な詮索はしない。
でも、悪魔だから悪い扱いを受けているというわけではなさそうだった。一瞬、イジメだとか虐待だとか、そんな暗い想像が頭をよぎったけど、それもどうやら違うらしい。多分、一種の気疲れというか、なんというか、そんなものがサボりの原因になっているのだろうと思う。それは、ルシーズのみが知ることだった。
一方わたしが授業をよくサボるのも、やっぱり学校が悪いわけではない。それなりに友人達もいるし、教師達とも上手くやっている。
だけどわたしは度々、そこから逃れたいと思う気持ちの方が強くなってしまう。
そんなとき、わたしはここへ来る。時間は大抵、午後早く。
それは、午前の学校の騒がしさと午後のけだるさに耐え切れなくなって、わたしがここに避難を求めるからに他ならない。
それに加えて、ルシーズとのささやかな時間を過ごすのはわたしにとって妙に落ち着くものがあった。
ルシーズが学校の同級生の誰とも違っていたからかもしれない。悪魔だからというのは特に関係無い。ルシーズには、どこかサラサラとした水の流れのようなものがあった。
熱くもなく冷たくもない。心地良い適温の水の流れのようなもの。
それがわたしの中の、なにかモヤモヤとした心の澱みを流していくような感じ。
要するに、これが『馬が合う』というやつなのだろう。それ以上のものは、多分ないのだと思う。ルシーズにとっても。
ルシーズがどう思っているかは、わたしには正直分からない。人の心の中なんて、分かったようなつもりになっていても実は全然分かっていなかったりするものだから。
特にルシーズは自分のことをあまり話さない性格をしているので、余計にそう感じる。そのうえわたしもルシーズの性格を立てて必要以上のことは聞かないタイプなので、なおさらだろう。
でも、わたしとルシーズの関係が希薄であるということはないと思う。人付き合いには色んな形があると思うけど、わたしはそんなに人とベタベタするのは好きじゃない。ほどよい距離間。それが、人付き合いの中では大事なことだと思っている。
突き放すこともなく、押しつけることもなく。
それが、わたしの中の人付き合いの理想の形だった。
ルシーズとの会合の中で、最近密かなブームになっていることがあった。
その名も、メイス対抗試合。
そもそものきっかけは教会の奥の控室で見つけた、競技用の運動器具一式のせい。なんで教会にこんなものがあるんだと思ったけど、そこはお互い深く追求することはなかった。多分、学校の関係者がここを物置代わりに使っていたのだろう。罰当たりな。
縄跳びだとか木製のボールだとか色々あったけど、その中で妙に気に入ったのがこの競技用のメイスと防具一式だった。作り物の軽めの素材でできていて、打ち合ってもそんなに痛くない。でもやっぱり安全のことは考えて、ちゃんと身につける防具もある。それと、メイスをかわすための小さな盾。これが重要。
身体につける防具類は古くて砂だらけでとても身につける気にならなかったので、盾だけを腕に留めてメイスを構える。地面に描いた円の中から外に出てはいけないというのがこの競技の正式なルール。押し出されたら、減点一。
「よっしゃ、こい」
パシンパシンとメイスが盾に当たる音が響く。メイスを相手の胴体か足に的確に当てれば得点一。防具がないからそんなに本気で打ち込むわけじゃない。あってもそこまで本気には打たないけど。
ひゅん。ルシーズが急にわたしの目の前からいなくなる。あっと思ったときには、身を屈めたルシーズをわたしが見下ろしていて、足に有効打を喰らっていた。
「いったー」
「ご、ごめん」
「なーんて。うっそー、痛くない」
わたしの演技をルシーズが非難してきたので、応えて笑ってみせる。
そのまま今度は、格好つけて変な決めポーズを決めながら、おどけたセリフを吐いてみた。
「こいつ、本気出しやがったな。次はそうはいかん」
「お断わり。次も私の勝ち」
本気を出してみたり、適当に流したり。わたし達がこの遊びを始めたのも、きっとそのせい。その場から動かなくていいから、その点でも楽だ。でも動きは結構激しいので、いい運動にはなる。お互い学校の制服姿なので、それも運動量に影響していた。動きづらい。
ルシーズは結構、運動神経がいいみたい。その細っこい身体に似合わず、バネがあって瞬発力もある。しなやかに動くその姿を見て、わたしはついつい思った。
まるで猫みたい。
悪魔猫? 猫悪魔? どっちでもいいけど。
「ジェイラって、スポーツしてる?」
次の得点の合間に、ルシーズが聞いてきた。ルシーズがわたしのことを聞いてくるのはあまりないので、こういう質問は少し意外に感じる。
「うーん、昔は結構、走り回ったりはしてたけど。今は全然だねえ。あ、ボウガンとかなら学校で習ったことがある」
「ふーん、そう」
割と素っ気ない返事が返ってきたので、わたしは少しムッとなった。
「こいつめ、運動不足だと言いたいのか」
そう言って次の打ち合いを開始する。不意打ちのつもりだったけど、ルシーズはわたしの攻撃をパパッと盾で受け流してしまった。むむ、やるなこいつ。
「悪魔と人間じゃ、基礎体力が違うのかもね。魔界の力を見よ」
ルシーズが、すごい速さでメイスを振るう。今度はメイスの先っぽで、おなかを突かれていた。また有効打。また本気出したな、こいつ。
「魔界の力はずるい」
非難めかして言ってみたけど、ルシーズは涼しい顔で、ふふんと勝ち誇っている。本当になにかのパワーでも持っているのかもしれない。それはずるいぞルシーズ。こっちは人間だ。
そんなことを考えて、わたしも結構熱くなった。
「喰らえ、うりゃ」
「遅い」
なかなか当たらない。この悪魔っ子め。
「ジェイラは日々の精進が足らんのです」
勝ち誇った顔のまま、ルシーズがたしなめる。お互いのことはあまり話さないけれど、それ以外のところではルシーズは以前よりも随分よくしゃべるようになった。
初めは全然おとなしかったのに。それとも、よくしゃべるルシーズの方が普通なのか? それはまだ分からなかったけど。
「ルシーズ、きみは随分おしゃべりになったこと。昔はもっと無口で、かわいかったのにねえ」
「ふぇ……」
冗談っぽく言ってみたけど、ルシーズの態度が急に変わった。どうかしたのか?
頬が赤い。それは何度か見て知ってたけど、今回はもっと赤かった。恥ずかしがり屋のルシーズが復活か?
ひょっとして、かわいいと言われて照れたとか。
それはないと思うけど。
「隙あり。おりゃ」
見逃さず、メイスを打ち込む。ルシーズの脇腹に命中。やったよ、有効打。
「うう……」
脇腹を抑えてルシーズがうめく。そんなに強くは打っていないはずだけど。
悔しかったのか。
「ずるい。不意打ち」
ルシーズが、じっとりとした目つきで訴えてきた。
「油断しているルシーズが悪い」
メイスをふりふりと振って、得意げに返す。
その後のルシーズは、また一段と強くなった。結局、わたしの有効打はその一本だけ。
その日の対戦は五体一でわたしの惨敗だった。
「あっつー。今日はここまで」
メイスと盾を放り出して思わず叫ぶ。季節は秋をだいぶ回っていたけど、それでもこの室内空間でそれなりに激しい運動などすれば当然こうなる。窓はステンドグラスしかないので開けられない。入り口のドアを開けると遠くから誰かに見られてしまいそうだったので、結局こちらも開けられなかった。
「アビスならある」
ルシーズが飲み物を差し出してきた。ガラス瓶入りのドリンクで、中身はオレンジ色。赤い悪魔めいた猫のイラスト入りラベルがかわいい。それにしてもアビスとは。なんて安直なネーミング。
「ほんとルシーズは、そればっかりだねぇ」
「無理には勧めない」
「飲むけど」
ぐいぐいと飲み干す。ほとんど水に近いすっきり感で、火照った身体にちょうどいい。味は……なんとも表現できないけど。毎回思うけど、なにが入ってるんだ? これ。
頭で考えるより先に、水分を欲した身体が瓶を空にしてしまった。
「すまん、全部飲んじった」
「いいよ、まだあるし」
そういってルシーズは鞄から次のアビスを出す。それを今度は自分で飲み始めた。
わたしがルシーズから最初にこの飲み物をもらったのは、彼女と二回目にこの教会で会ったとき。ルシーズがパンのお返しにとドーナツをわたしにくれて、食べ終わった後でこのドリンクもわたしにくれた。初めて会ったときルシーズは飲み物を持っていなかったので、それを気にかけていたらしい。このドリンクも、そのお返しだということだった。律儀な悪魔だ。
それ以来、ルシーズはこのドリンクをリュックに常に二本は持ち歩いている。
ひょっとしてそれは、わたしのためなのか? 最近、心なしかそう思うようになった。初めて飲んだとき、わたしは妙にこのドリンクが気に入ったから。それでルシーズは、このドリンクばっかり用意してくれているのだろうか?
そうだとしたら、まあ悪い気はしない。それは単純に人からの善意だから。でも、なんだか無理をさせてしまっているような気もするのも事実だ。正直わたしは、そんなにアビスばっかり求めているわけでもないし。他のドリンクでもいいのだけれど……。
「くー!」
三分の一くらい飲み干して、ルシーズが声を張り上げた。たまにルシーズはこういうことをする。
「オッサンくせー」
「……うるさい」
ルシーズが非難めいた目をわたしに向けた。
「チャイム鳴った」
教会のベンチに寄りかかりながら、けだるそうにつぶやく。
「鳴ったね」
応えるルシーズは両足を投げ出して、更にだらけきった格好をしている。ほとんど、はしたないほど。
「これこれ、年頃の娘が、はしたない。パンツ見えるぞー」
わたしが言うと、ルシーズはパッと飛び起きてスカートを押さえた。顔全体が赤い。
こういうルシーズの反応を見るのは、最近結構楽しくなってきた。
わたしも性格が悪い。
「……セクハラおやじ」
ルシーズが、ぼそっとつぶやく。
へっへっへとふざけて笑って、わたしも鞄を持って立ち上がった。
「じゃ、帰ろうかね」
チャイムが鳴り終わる。遠くの方から聞こえてくるわたしの神学校のこのチャイムの音が、わたし達の会合のお開きの合図になっていた。しょっちゅうここで時間を潰しているので、それがすっかり、わたしとルシーズの習慣になってしまったというわけ。
「結構、寒いね」
教会の外に踏み出すと、ひんやりとした空気が肌にまとわりついてくる。メイス対抗試合のときは結構暑いけど、そこから離れて外に出れば、やっぱり季節を感じるようになった。地面に流れる落ち葉がその思いを更に強めている。
「そろそろマフラーの出番かも。寒いのは勘弁してほしい」
そう言って手を擦り合わせるわたしに、ルシーズは涼しい顔をして応えた。
「私は結構平気」
「悪魔は熱血主義なのかね」
「そういうジョークは言わないこと」
口を尖らせてルシーズが脇腹をつついてきた。わたしは思わず「わひゃ」と漏らす。
そんな子供じみた行為にお互いちょっと恥ずかしさを覚えつつ、歩み出した。
わたしの家は、ここから歩いて十五分くらい。町の繁華街からは反対方向なので、わたしは特に寄り道することもなく真っ直ぐ家に帰ることが多い。そういうところは真面目な優等生と言える。わたしこれでも、司祭のたまご様ですから。
逆にルシーズの方は、この後いつも、町の繁華街に寄り道してから帰る。それはつまり、帰宅時間の調整のせい。ルシーズの学校が終わってからこの町まで、乗合馬車に乗って都合三十分くらいかけて帰ってくることになるのだけど、ここから本格的に帰宅する前に、その分の時間も追加で潰していかなければならないというわけ。
あんまり早く帰ってしまえば、なんでこんなに早いのかと家族に問われることになって、サボりがばれてしまうから。
始めはわたしも一緒に時間を潰そうかと言ってみた。でもルシーズは「三十分くらいだから大丈夫」と言って断ってきた。わたしに余計な気を使わせているみたいで悪い、というのが理由のようだった。
ルシーズにはこういうところがよくある。アビスをいつも用意してくれているのもその一つ。
それがわたしに対してだけなのか、他の誰にでもそうなのか、それは分からないけれど。
ルシーズの交友関係については、わたしは全くなにも知らない。家族構成も、学校生活も。
わたしはルシーズにとっての特別なのか?
それもまだ、未知数だった。
ルシーズは相変わらず、自分のことはほとんど語らない。
「やばい」
歩き始めてすぐ、わたし達の目に人影が映った。墓地の入り口で、用務員のおばさんが柵を直していた。
二人で茂みに隠れる。見られたら、なにをしてたんだと怒られそうだから。
「入り口だね。どうしよーか」
遠巻きに眺めながら、わたしが尋ねる。この墓地はほとんど手入れがされていないから、入り口以外の道は全然整備もされていない。墓地の裏側なんかは、伸び放題のつる草で道が塞がっているような有様だった。ここで今更、入り口だけ直されてもなあ。
「脇道から出る? 服汚れそうだけど」
ルシーズが墓地の向こうを指差す。そっちの方は柵が元々なかったから出るのは簡単だけど、墓地の外は草ボーボーで、人が歩きたいような場所でもなかった。多分、脱出できた頃には、制服は草の葉や種でえらいことになっているだろう。
「うーん、司祭の服を汚すのもなあ。親に怒られそうだし」
そう言いながら、早く修理が終わってくれないかなと願う。でも、まだまだかかりそうだった。そんなに熱心に取りかかっているようにも見えない。面倒だけど仕方ないといった感じだった。
「ゾンビー、とか言いながら、ふらふら真似して出て行ってみようか。逃げてくかも」
ふふふと笑いながら、わたしが提案した。
「一発でばれるでしょ。怒られるのがオチ」
ルシーズがそう言って、わたしの肩を小突く。
「呪文でも使えたら墓地の外までワープできるのに。霧隠れの術っ」
ふざけて指を構えてみる。でも、駆け出し学生にそんな術が使えるはずもなし。
「なにも起きませんね」
呆れるルシーズに、試しに聞いてみる。
「魔界の力をもってしてもだめですかね」
「悪魔をなんだと思ってるんですかね」
このままいても埒が明かないので、結局わたし達は脇道から外に出ることにした。草まみれの二人が出来上がって、二人で服をぱんぱんと叩く。
「草の怪物に襲われたということにしておこう」
「どんな言い訳だよ」
わたしの考えなしの思いつきに、ルシーズがまた呆れ顔で言った。
ルシーズとのこんな他愛のないやり取りは、なかなかに居心地がいい。わたし達だけが知っている秘密を共有しているみたいで、子供の頃に戻ったような気になってくる。
わたしもまだまだ子供なのかなあ。
そう感じて、わたしは思わず、えっへっへとおかしな笑い声を上げた。
「司祭の道はまだまだ険しい」
そう言って走り出すわたしを、ルシーズが捕まえようと追ってくる。
ルシーズと二人、共に笑顔ではしゃぐ。
子供じみたその行為が、今はなんだかやけに楽しかった。
その日もいつも通りの平日だった。午後をルシーズと教会で過ごし、放課後。ルシーズと別れた後、わたしは一人、とぼとぼと帰路に着く。ごく普通の日常。今日も普通の一日だったなあ、などと考えながら、学校の敷地を回って反対側へ。
学校が終わって、あちこちに帰宅途中の生徒達を見かける。談笑したり、ふざけ合ったり。
これから部活なんだろう。スポーツ用具を肩に担いで、四、五人で楽しそうに和気あいあいとしている生徒たちもいる。青春してるんだろうなあ。そんな彼らを遠巻きに見ながら、わたしはまるで異世界からの傍観者のように考える。わたしには、やっぱり馴染めない世界。
そんな若者たちの間に、なに食わぬ顔をして紛れ込んでいく。
彼らとわたしは、なにが違うのか?
わたしは一体、何者なんだろう?
そんな考えさえ頭の中によぎった。
ふうっと息をついて、足早にその場を通り抜ける。考えたって答えが出るわけもなし。
そんな中、いつもの住宅街に抜けていく小道に差しかかった所で、同じクラスの女子に出会った。誰を見ても他人。同じなのは共通の制服だけ。そんな完全アウェーのただ中で、ようやく知っている顔に出会えて、わたしは少しだけホッとした気持ちになった。
「おお、ジェイラーちゃん」
おどけたような言い方で手をひらひらと振ってくる。名前はメア。わたしと同じ、長めのブロンドヘアー。わたしはストレートに降ろしているだけだけど、メアの方は両端で束ねてツインテールにしていた。そのせいで、背丈はわたしと同じくらいなのにメアの方はなんだかやけに幼い印象を与えている。
実際こいつの行動は、子供じみているところが多いのだけれど。同い年とは思えない。
わたしもあんまり人のことは言えないけどね。
「その呼び方やめてくんない。看守みたいに聞こえる」
わたしの名前のジェイラを変なアクセントで呼んできたので、それが牢屋を表す『ジェイル』みたいになってしまっていた。わたしは度々、そんな経験をしたことがある。レイラとかライラとかいう名前の方が良かった。
「これは失敬。ジェーイラちゃん」
満面の笑顔で訂正した。って、あんまり変わってないって。こういうところが、子供じみているという評価の所以だ。少しバカが入っていると言ってもいい。
わたしは「はぁ」と溜め息を漏らして、早々にあきらめることにした。
「まあいいや。で、今帰り? テセナは一緒じゃないの?」
「あいつ、部活の大会が近いとかで、最近遊んでくんないんだよ。薄情者め」
ははと適当に苦笑いして流す。テセナは同じく、同じクラスの女の子。メアとは一番の仲良しで、大抵二人でくっついている。背は女子の中では高い方で、髪はブラウンのセミショート。運動神経も良く、勉強もできる。弓道部に入っていて、なかなかの有望株だと教師達からの評価も高いらしかった。つまりは、文武両道の優等生というやつだ。
その優等生がメアみたいな天然おとぼけ娘と仲がいいのは意外かもしれないけど、それは彼女たちの間での問題である。特に気にする必要もない。優等生だからこそ、ちょっとおバカが入った相手を求めるのかもしれない。多分、心が休まるのだと思う。ペット的な?
人が人を求めるのには、様々が理由があるのだ。そう解釈している。
メアがテセナにくっついている理由は……うーん、分からん。
「だからジェーイラちゃん。薄情者の代わりに、買い物手伝ってくれよぉ」
メアが両手を擦り合わせて頼んできた。
「えと、話のミャクラクが見えないんですけど」
「家の買い出し頼まれてて、町で買ってかなきゃならんの。わんさか。前にテセナに荷物一杯運んでもらって、それ以来、我が母が図に乗って毎回頼んでくるわけよ。友達に運んでもらいなさーい、って」
どんな母だよ。思わず心の中で突っ込みを入れる。でもまあ、メアの母だからということでやけに納得できた部分もあった。悪気のない家族。
ってか、テセナは毎回こんなことを頼まれていたのか。急にテセナに同情してしまった。
しかしそれがわたしの身に降りかかるとなると……テセナを恨めしく思う気持ちも少し芽生えてくる。あの優等生め、後で宿題写させてもらおう。
「えー、やだよ面倒くさい」
一応拒んでみる。そう言いながらも、結果はほとんど分かっていた。
わたしも人がいいからなあ。メアに押し切られてしまうのは目に見えている。
「頼むよー、一生のお願い」
「あんたの一生、何回あるの」
これで何回、こいつの一生のお願いを聞いただろうか。少なくとも十回は聞いている。死んで蘇える吸血鬼か、こいつは。
ふう、と大きな溜め息をつく。あきらめの合図だ。
あーあ。やっぱり押し切られてしまった。
「やれやれ、後でパンおごれよ」
一応、申し訳程度の要求は添えておく。せめてこのくらいはしてもらわなければ。
「やったぜ、ジェーイちゃん」
「誰だよそいつは」
聞いたことのない人物の名を呼びながらわたしの肩を両手で押してくる同級生と二人、わたしはクルリと取って返して、そのまま町の真ん中の繁華街を目指すことになった。
面倒くさいなあ。家に帰る途中だったから余計に感じる。
早く済ませてくれるといいけど。
「それできみは、またサボりかね」
歩き始めてメアが聞いてきた。ぶらぶらと歩き出してまだ一分も経っていないというのに、メアはもう歩くのが飽きたといった感じだ。尋ねながらも、両手をせわしなく左右にヒラヒラ動かして遊んでいた。
「あー、まあ、大体そんなトコ」
適当に応えて流す。そんなところというか、ズバリなんだけど。メアに対しては、こんなとき適当に応えて流すのが一番いいと知っていたので、今回もそうした。
メアやテセナとは神学校に入ってからの友人関係。だからそんなに深いつきあいじゃないんだけど、なにかしっくりくるものがあって、学校では結構よく話すし、心を許している部分もある。
その一番の理由は、多分、彼女達があれこれわたしのことを詮索してこないということだろう。友人だからといって、私生活のことまで逐一報告しなければならないのは重荷以外のなにものでもない。なんだか管理されているみたいで。自由を奪われているとさえ感じる。
お互いに与え合うのが友達だろうと思う。そりゃ、ときには要求の方が上回ることもしばしばあるけれど、結局はギブアンドテイクの範囲内に収まってくれる。それが、良い友人関係というものだろう。奪われる一方ではたまらない。
その点で、メアもテセナも優れている。テセナの場合はわたしの性格を察して、踏み込みすぎると感じたなら一歩引いてくれるところがいい。それが彼女の目配せや態度から分かる。そのうえで、態度が冷たく感じることもない。静かに見守ってくれているという感じ。控えめな温かさと奥ゆかしさ。それがテセナのいいところ。
一方メアの方は、テセナほどの気遣いができているとは到底思えないのだけど、メアはメアで人のことを深く追求してこないというありがたい特徴を持っている。それは単に、彼女が物事の一つ一つに対して深く考えを巡らせていないというだけのことかもしれないのだけれど。聞きづらいような質問でもズバッと直球で聞いてくる辺りが、そう感じる所以。
でもこちらが適当に流してしまえば、それ以上のことは聞いてこない。話はそこでおしまいになることが多い。つまりは、初めからそこまで真剣に答えを求めているというわけではないのだろう。一種の本能的な行動とでも言うべきか。
だからテセナと同じく、メアと接するときにはこちらも気遣いがなくて済む。だからありがたいと思うし、なにより落ち着く。
他の同級生達では、こうはいかない。
ベタベタと、わたしを『追及』してくる。
友達になろうとコミュニケーションを取ってくれる態度は純粋に嬉しいと思う。わたしもそんなに酷い性格をしているわけではないから、彼等の気持ちも分かりたい。
でもいかんせん、わたしにとっては苦になる部分の方が勝ってしまう。無理なつながりを強いられる気がして。断りたいけど、強引に。
結局、彼等の方が普通なのだろう。わたしの方が普通じゃないのだ。でもわたしはわたしだから、今更、他の何者になることもできない。
わたしはこのまま行くのだろう。五年後も、十年後も。
良い未来は、待ってくれているだろうか。そう思った。
ルシーズは……。
そのとき、なぜかルシーズのことが頭によぎった。
ルシーズとは、いつまで一緒にいられるのかな。
お互い学校を卒業してしまえば、それっきり。それぞれの未来が待っているのだろう。
ルシーズとの関係も、なんとなくで終わっていくのだろうか?
がらにもないことが頭によぎって、自分でもちょっと驚く。
時の流れの残酷さというものが、脳裏に浮かんで消えていった。
「暇なら、キャンプ行こうぜー。山、山」
メアが唐突に振ってきた。ほら、もう話題が代わっている。
「やだよ、寒いし」
そっけなく突き放したけど、メアは元気だ。
打たれ強い。
「銀ギツネの住んでる森があんのよ。ヤツらは寒さに強いからな。テセナも連れて見に行こう」
メアはやたらに野生動物を見に行きたがる。仲間意識を覚えているのか、とすら感じる。わたしのクラスにはアウトドア派のやつが少ないから、同好の志を募るのは大変らしい。でも、わたしは連れ出さないでね。わたしはインドア派。
その後もメアは、つらつらと動物の話をしていた。自分の趣味の話題になると、メアはしつこいくらいに話す。こちらがウンザリ気味でも気にしない。っていうか、相手がどう思っているかということ自体考えていないように思える。完全にメアの世界。
まあ大体いつものことだから、わたしも適当に流してるんだけど。
繁華街までは歩いて十分もすれば着いてしまう。学校に続く狭い路地を抜けてくると、急に目の前に、様々な商店の並んだ大通りが現われる。田舎町とはいえ、ここだけ見れば結構栄えた都市のように見えないこともない。でもやっぱり、ここをちょっと離れれば、紛うことなき田舎の景色。家々の間から垣間見える田園風景が、そのことを物語っていた。
夕刻が近いので、買い物する人達も結構出ている。大賑わいというほどではないけれど、それなりに人は多い。町の中央にある発着所に出入りする乗合馬車が、人の束を包んで元気に行き交っていた。
「お、新刊出てんじゃん、よしよし」
メアがそういって本屋の中に滑り込む。その手には、店頭に並んでいた人気の漫画雑誌が広げられていた。おーい、買い物はどうした?
「こらこら、なにしに来たんだよ」
頭をペチッと叩いてたしなめてみたけど、効果があるわけもなし。
「これだけ。これ面白いんだぜー。今度、舞台化されるんだって。見に行こう」
覗き込んでみると、ページ一杯に筋肉モリモリの武術家が描かれていて、その手から気功のようなエネルギーを飛ばしているところだった。なんだかよく分からない技名を叫んでいる。
「めちゃくちゃバトル漫画じゃん」
正直、わたしには興味の薄いジャンルだ。少年漫画だし。
「カッコいいんだぜぇ。ボボーン! ギュイーン!」
技の効果音を親切に演出してくれながらも、メアの手はスイスイとページをめくっていく。ものの二十秒ほどで一話を読み終えてしまった。早っ。
「おー、良かった」
メアが感想を述べる。今の早さで本当にストーリーが頭に入ったのか、大分怪しい。
「はいはい、じゃ、買い物しましょうね」
メアの肩を両手で掴んで方向転換させながら、強引に引っ張っていった。
「なんだかやたらにあんなー。しゃあない」
母親から渡されたらしき大きなメモ書きを恨めしそうに眺めつつ、メアが溜め息をつく。そう言いながら、一件の大きな食糧品店の中に消えていった。アナグマらしき動物の描かれた看板が目立つ。これがこの店のイメージキャラクターで、ここは結構有名な店らしかった。大都市はもちろん、こんな田舎町にまで支店を広げている。商売根性は立派。
メアが買い物をしている間、わたしは店の外で待っていた。この店は一種の問屋みたいなもので、わたしみたいな女子学生がたむろするような店じゃない。細々とした物を選びたければ、もっと他に気の利いた店がいくつもある。この店を利用するのは商売人がほとんど。そしてメアの場合もその例外ではなかった。
メアの家は宿屋を経営している。その名も『二つランタン亭』。入り口にかかった大きな二つのランタンが、その名の由来。町では一番の大きさで、評判も上々。特に神学校の関係者はお得意先で、余所の町から学校にやってくる来客達を泊めるための宿としてよく利用されていた。
つまり今回の買い出しは、宿の必要物資を調達に来たというわけだ。大まかなところは出入りの業者に頼んでいるらしいけど、急に要り用になった物とか細かな品々については、自分達で買い揃えなければならない。
メアの家が宿屋だということは聞いていたけど、こんな買い出しまでしなきゃならないとは思っていなかった。商売人の家に生まれるというのも結構大変だ。
メアは宿屋の仕事を嫌がっていて、わたしは度々、愚痴を聞かされることがあった。進学せずに家の仕事に専念しろとまで言われたらしいけど、結局、神学校への入学を許してもらえたとのこと。家の仕事から逃れる口実に進学したという部分が大きかったようだけど。
わたしの方も、まあ似たようなものだ。特別、進学に思い入れがあったわけじゃない。ただ両親が聖職関係の仕事に就いていたので、必然的にわたしも神学校に入学することになった。
でも、神様を邪険にしているというわけでは決してない。わたしもこれで、人並みの信仰心はありますから。
ただわたしの場合は、神様に対しても必要以上にベタベタするのは良くないと思っている。神様もお忙しいでしょうから、自分で出来ることはなるべく自分でやるよう努めている。
人付き合いと同じ。人にも神様にもその姿勢は崩していない。
ある意味では立派と言えるかもしれない。それとも、不信心者と言われるだろうか?
それは個人の判断を尊重したい。
陽が傾き始めてきた。夏の盛りよりも明らかに陽の落ちるのが早くなってきている。あと一時間もすれば、町の街灯にも明かりが灯るだろう。通りを過ぎていく人達の足取りが、なんだかせわしないものに感じた。思いを乗せて、それぞれの足に、それぞれの帰る場所があるのだろう。
そんなものを見つめていると、なんとなく感傷的な気分に浸ってしまう。まだまだ老け込むような歳ではないはずだけれど、時々わたしの中にそんな思いの片鱗がチラつくことがある。
わたしの向かうべき場所は、まだ見えてこない。
わたしの足は、いつかその場所へわたしを運んでくれるのだろうか。
やれやれ。
溜め息をついて、店の中を振り返ってみる。店の奥でメアが店主となにやら言い合っていた。どうやら値段交渉の真っ最中らしい。なんて逞しい女子学生だ。商売っ気は親譲りなのか。
苦笑いを浮かべつつ、また通りを眺めた。時計に目をやる。四時を五分ほど回っていた。
そういえば、ルシーズも来てるはず。不意に思った。
まだいるかな。もう帰ったかもしれない。
なにか買い物したりするのだろうか。
そういえばわたし、教会以外でのルシーズのことなにも知らないや。
サボり目的の教会で会うだけの、特別な相手。仲間……ではある。サボり仲間だし。
でも、はっきり『友達』と呼んでいいのかな。
そもそも、友達の定義ってなんなんだろう。
一緒に遊んだり、いつも一緒にいることだろうか?
一緒にいることは多い。平日は大抵顔を合わせる。
でも、ルシーズと一緒にどこかへ出かけたことは一度もない。この町の繁華街へも。
それは、ルシーズが断ってきたから。わたしに気を遣わせないようにと。
わたしにとっては、定義はどうあれルシーズとは立派に友達のつもりでいる。でも、ルシーズの方はどうなんだろう?
考えたこともなかった。
そんなこと、改めて聞くようなことでもないし。
わたし達、友達? なんて。
それは労せず生まれるものなのであって、友達づきあいに本来そんなものは必要ないはず。
……ないはずだよね。
そのとき。
急に、わたしの服が後ろからクイッと引っ張られた。
「ジェイラ」
振り返ると、そこにいたのはルシーズだった。なんてタイミング。通りの向こうから、わたしを見つけてやってきたらしい。田舎町とはいえ、結構な広さのこの繁華街の中でお互いに出会うのはそうあることでもないだろう。しかも、今の今まで相手のことを考えていた矢先に出会うなんて、ドラマじみている。
当然の結果として、わたしはホッコリ嬉しくなった。まるで運命の人にでも巡り会えたような気持ちになったから。
つい一時間ほど前まで、一緒にいた相手だというのに。
「おっす、まだいたね」
にっこり笑って手を上げる。
「ちっす、ジェイラも来てたんだ」
ルシーズがわたしの真似をして手を上げた。声が抑揚しているのが分かる。ルシーズの方もわたしと会えたことが嬉しかったみたい。いつにもないほど顔がほころんでいた。
「買い物? 珍しいね」
「んー、まあそんなトコ」
言葉を交わす。ただの会話のはずなのに、今はそれがとても新鮮なことのように感じた。
「あー、重いぃ」
突然、声が近づいてきた。見ると、店の中からメアが大きな袋を二つ、両手にぶら下げて出てきたところだった。袋の中には、油や調味料の瓶などが大量に入っている。
「ジェーイラー、これ持ってくれよー。臨界点を超えとる」
「あ……」
わたしの名前を呼びながら近づいてくる同級生を見て、ルシーズが声を漏らした。その顔は明らかに曇っている。さっきまでの笑顔が急にしぼんでしまったかのようだった。どうかしたのか?
「えと……ごめん。一人かと思ったから」
ルシーズがそう言って視線を逸らす。両手を前で組んで、まるで恥ずかしがり屋の子供のような感じだった。
「ああ、クラスの子。買い物の手伝い」
ルシーズのことを気にかけつつも応える。ごく普通の返答といったところだろう。でも、ルシーズの様子は変わらなかった。
「……じゃ、また」
「あ、ルシーズ」
わたしの返事を聞く間もなく、ルシーズはくるりと踵を返し、一人離れていってしまう。
そのまま一度もこちらを振り返ることなく、人並みの中に消えていってしまった。
メアが「友達かー?」と言いながら隣に来た。適当に返事をして返したけど、わたしはそれよりルシーズの方が気になった。
なんとも言えない表情をしていた。寂しそうな、切なそうな。
ひょっとしたら、メアに対しての人見知りの結果なのかもしれない。ルシーズが誰かと一緒にいるところは見たことがないけれど、ルシーズなら有り得そうだった。
人に対して、極度に心を開かないというか。
「大丈夫だよね」
ルシーズの消えていった通りを眺めながら、つぶやく。
まるで、大気に溶けていく光の粒子を掴もうと努力しているかのような、不思議な感覚が芽生えた。
そのときわたしは、なんだかルシーズにもう二度と会えないような気さえしていた。
翌日、金曜日。
わたしは一人、いつもの教会にいた。昨日のことがあって、わたしはなんとなく心に引っかかるものを抱えながら教会のドアを開いたのだけれど、そこにルシーズはいなかった。
予感はしていた。
わたしはその日の授業次第で、お昼を食べてからここに来ることも、パンを買ってきてここで食べることもあるけれど、どちらの場合も大抵はルシーズの方が先にここに来ている。パンを買ってきてここで食べるときは、ルシーズもわたしと一緒にお昼を食べることが多い。時間を申し合わせているわけではないけど、ルシーズは頃合いの時間が来るまでここで待っているらしい。
学校で食べるときにはわたしの方が少し遅れるので、そんなときルシーズはもうお昼を済ませている。そしてわたしがやってくる頃には、ベンチで、ぐなーっと寝転んでいることが多い。
毎日ここでお昼を食べる約束でもしているのなら、わたしも時間きっちりにここに来ることになるだろう。でもわたしの方も全ての授業をサボっているわけではないし、ルシーズはルシーズで彼女なりの学校生活がある。ルシーズの方が遅れてやってくることだってあるし、来ないことだってたまにはある。もっとも、そんなときは予め前日に告げてくれるんだけど。
だから、わたしの方が先に教会に来るというレアケースが今日であったことには、なにか意味があるような気がしてならなかった。
いつものベンチに腰かけながら、改めて周囲に目をやってみる。ホコリと落ち葉に包まれた空間。わたし達が割り込んだその場所だけが、いつのまにか綺麗に整えられていた。
無言のまま、いつもの席に座り続ける。
隣にはもう一人分の座席が、まだ来ぬ主人を待ち続けていた。
「大丈夫だよね」
ふっと、つぶやく。昨日のルシーズの姿が脳裏によぎった。
懐きかけていた野良猫が、こちらのふとした不注意から、警戒を甦らせて逃げていってしまったような感じ。いくら手招きしても、もうこちらには近寄ってこない。人に懐かない猫。そんなイメージがルシーズにはあった。
わたしには懐いてくれてたと思ったんだけど。
人付き合いの難しさというものを改めて感じた。人と人との関わり方の全てを網羅したテキストなんて、とても作れるものじゃない。日常のなに気ないやり取りの中で、なにが相手の心を乱すことになるのかなんて、とても把握しきれるものじゃないのだ。こちらが思ってもいなかったことが大きな障害に発展することだってある。同じ『人』であるはずなのに、まるっきり別の生き物を相手にしているかのような感覚さえ覚えることもある。
探り合い、そして、答えや妥協点を見い出す。なにが最良かは分からないけれど、少なくとも自分の中での一番を見つけて、それをぶつけてみる。それは、対戦ゲームの駆け引きのようなものだ。どう出るか? どうごまかすか?
そんなことを考えているうちに、わたしは少し不安になった。ルシーズとの距離が、なんとなく広がってしまったような気がして。
ルシーズはこのまま、わたしの知らないどこかへ行ってしまうのだろうか。
このまま……。
考え過ぎだろう。すぐに思い直した。
ルシーズには元々、人見知りのところがあるのだ。ただ、それが形となって表れただけのこと。それ以上のことは、なにもないはず。
ルシーズとは、これからも上手くやっていける。そう結論づけた。
例え今日会えなくても、また月曜には会うことになる。
ただそれだけのことだ。
そんな思いを抱えたまま、時計を見た。二時四十分を回っていた。今日はルシーズはこないのだろうか。だとしたら、なにかの用事があったのだろう。そう納得することにした。
そのとき、入り口のドアがわずかに軋む音がした。反射的に振り向く。瞬間、わたしの心にホッと安堵の熱が広がった。
ルシーズだった。
いつもと同じ格好。いつものリュックサック。
わたしの中の全ての不安が、一気に払拭されたような気持ちだった。
「よ。遅かったじゃん」
右手を掲げて、声をかける。自分でも考えなしに、軽い感じのノリで流していることが分かった。それが今のわたしにとっての、ルシーズに対する最良の対応の形だったのだろう。
「あ……えと、馬車に乗り遅れちゃったから」
ルシーズが反射的に目を逸らして、伏し目がちに弁明した。すぐにバレる嘘だ。乗合馬車は二十分置きに出ているはずだから、一本乗り遅れたとしてもここまで遅くはならない。三本も四本も乗り遅れたというのなら話は別だけど。
でも、ここは敢えて追求しないことにした。言いたくないことだってあるだろう。
「先帰っちゃおうかと思ったよ。どっか適当にブラブラして」
わざと意地悪なことを言ってみる。この程度ならまあ大丈夫だろう。
「ごめん」
ルシーズが縮こまって応えた。もうこれくらいにしておくか。
「座ってくー?」
「うん」
ポンポンと叩いて促した席に、ルシーズがちょこんと座る。両手を足の間に突っ込んで、委縮した感じ。
そのまま時間が過ぎる。ルシーズはなにもしゃべらない。
だから、わたしの方から振ってみることにした。
「昨日、偶然だったね」
前を向いたまま尋ねる。
「うん、偶然だった」
ルシーズも、前を向いたまま小さく言った。
「運命の巡り会わせかねぇ」
冗談めかして言ってみる。なんとなく生まれたこの微妙な空気を吹き消すための、わたしなりの努力の結果だ。
「あのさ、ジェイラ」
少しの沈黙の後、ルシーズが早口で言った。喉につかえていたものを、パッと吐き出したような感じだった。
「ん?」
「昨日の、あの子。仲、いいの?」
続く質問は、とてもゆっくりだった。緩急の差が激しい。
「ああ、メアね。まあ、仲はいいかな。よく話すし」
「そうなんだ。ジェイラって、友達多いんだね」
ルシーズの顔を覗いてみる。なんだかすごく切なそうな顔をしていた。まるで、わたしが誰かに奪われていってしまうとでも思っているような感じだ。
ここは、「大丈夫、わたしはここにいるよ」とでも言ってあげるべきところなのだろうか?
う~ん。
でも、これでルシーズの行動の説明はできたと思う。結局、ルシーズはわたしと築いたこのささやかな関係を壊したくないのだろう。それで、そこに突如現れた他の同級生という異物に対して反応を示しただけのことなのだ。
そういうことか。
ルシーズらしいと言えば言えないこともない。ルシーズはある種、自身の閉鎖的な世界に閉じこもっているような感じだから。
やれやれ、ここはわたしの方から手を差し伸べてあげようか。これは特別サービス。手のかかる悪魔だ。
「多くないよー。メアの他には、テセナって子がいるくらい。それもまあ、学校入ってからの浅いつきあいだし、そんなにベタベタはしてないから。安心した?」
いたずらっぽくルシーズの顔を覗き込んでみる。ルシーズは反射的に顔を逸らして距離を取った。頬が赤い。よく見るルシーズの生態を再確認。
「それはどういう……」
「さあ、どんな意味でしょう?」
そう言って、わたしは、なっはっはと変な笑い方をしてみせた。
「今度はそっちの番。ルシーズこそ、友達はー?」
「ジェイラくらいなもん」
ルシーズの顔にちょっとだけ笑顔が戻る。大分この場の空気も和んできたみたい。
よしよし。長い道のりだった。
「孤高ー。プライド高いと損するよー」
「そういうジョークはやめて」
次第に、わたし達の間にいつものやり取りが戻っていく。会話が弾むとまではいかないけれど、停滞し続けることもない。程よい空気。程よい距離感。
ルシーズから感じるあのサラサラとした水の流れのような感覚が蘇えって、再び流れ始めた。
いつもの時間が過ぎていく。
けれどわたしにとって、今日は何割増しにも居心地が良かった。
遠くから、学校のチャイムの音が聞こえてきた。それはわたしとルシーズとの間に響く、お節介な第三者からの介入のようにも聞こえた。
「チャイム鳴った」
「鳴ったね」
先に立ち上がったのはルシーズの方だった。
「帰ろっか」
そのままわたしを促したけど、わたしはまだ座ったまま。
「あのさ、ルシーズ。今日は、一緒に帰ってみない?」
「え?」
「適当に時間潰してからさ。それから、ルシーズの家まで」
「あ……えと」
ルシーズが戸惑いの表情を浮かべる。どう反応すればいいか困っている様子だ。突然の提案だったので、無理もないかと納得した。
なんでこんなことを言ったのか、わたしにもはっきりとは言い切れない。ただ、このままルシーズと別れてまた月曜まで会わないというのは、なにかの問題があるような気がした。
折角掴みかけていたなにかが、手の中からこぼれ落ちていってしまうかのような。
昨日も感じていた、光の粒子のようなもの。今捉えなければ、それを永遠に失ってしまうような気がして。
多分、大袈裟すぎなんだろうけどさ。
「いい、けど」
ルシーズが応える。わたしは内心、少しだけホッとした。ルシーズのことだから、普通に断られることも覚悟はしていたから。
「素直でよろしい。じゃあ、どうしようかね。町まで一緒に行く?」
提案して立ち上がろうとしたけれど、ルシーズがそのままわたしの隣に再び座ってきた。
「いいよ、ここで」
ルシーズがわたしの顔を横目で見てくる。
「三十分くらいだし。ちょっと話してれば、すぐ経つから」
「それもそうかな」
うん、と頷いて、鞄から時間潰しのお供を引っ張り出す。要するに飲食物のことだ。食べる物はなにも残っていなかったけど、購買で買った瓶入りミルクティーだけは手つかずで入っていた。
「あー、忘れてた。お昼に飲もうと思ってたんだ」
わたしが言うと、ルシーズが自分のリュックから同じく飲み物を出して差し出してきた。
例のやつだ。
「これ、あるのに」
「そうでしたね」
そういってアビスを受け取る。これで今月、何本これを飲んだだろうか。すっかりわたしの身体の栄養素の一部になっていた。角が生えてきそう。
「じゃあ、これあげる。物々交換ということで」
代わりにミルクティーを差し出した。ルシーズは小さく、「ありがと」と言って受け取る。
今日のルシーズは中々素直でいい。
「ルシーズさんは甘いのは嫌いだったかな。見たトコないし」
アビスを開けて口にしながら尋ねる。ルシーズが飲むのは大抵アビスで、たまに水やストレートティーを飲むくらい。サラサラとしたルシーズの特徴はここに由来しているのか?
「別にそういうわけでもないけど。あれば飲みます」
ミルクティーをこくこくと口にするルシーズの姿は、なんだか新鮮な感じだ。
「……ジェイラがくれたものだし」
ぼそっと、そうつけ足した。
「ほー、それは光栄です」
小さくお辞儀をして返したけど、ルシーズは目もくれず飲み物を口に運んでいた。
特に弾む会話もなく、時間が過ぎる。
四時を回った頃、二人でそっと教会を出た。
今日の景色はなんだかいつもとは違う感じだ。
それは確かに、ルシーズのせいだろう。
季節は着実に進んでいた。ほんの三十分遅く教会を出ただけなのに、すっかり宵の帳が降り始めている。
それに加えて、今日は山からの風が一段と激しい。いわゆる空っ風というやつだ。わたしの町は北側に大きな裾野の山が広がっていて、この時期になるとそこから吹き下ろされる強風にしばしば見舞われる。他の地域から来た人などに、こんな強風が吹いてて大丈夫なのか? と心配されるほど。でも地元の住民はすっかり慣れっこになっていて、普通普通と涼しい顔をして返すのが常になっていた。
「ひゃー、凄いなこりゃ」
バサバサと翻る髪を抑える。油断してたら身体ごと持っていかれそうなくらいだ。
「これ貸す」
ルシーズが赤いマフラーを差し出してきた。ルシーズのリュックからは様々な物が飛び出してくる。
そんな異界のキャラクターの話をどこかで読んだような気がしたけど。
ポケット・オヴ・ホールディングだっけ?
「お、気が利くねえ」
受け取ろうとしたけれど、ルシーズはわたしの手を避けて首に直接マフラーを巻いてきた。ちょっと意外だったけど、ここは大人しく受け入れておこう。
「どうー?」
ドレスアップした姿をおどけて披露しながら、ルシーズに尋ねてみた。
「似合ってると思います」
無表情のまま返される。こいつめ、わたしだけが子供みたいじゃないか。
「……かわいいし」
追加の評価が返ってきた。ルシーズは言葉の不意打ちが多い。メイス対抗試合のときは、わたしの方が不意打ちばかりだけれど。
「それはどうも」
返しながらも、なぜか照れてしまう。おいおい、これじゃまるで思春期カップルだよ。
「ルシーズはいいの?」
「私は平気。それ、ジェイラの分だから」
「え?」
「前に、マフラーがいるかもって言ってたから。一応」
なんて用意周到な。こういうところがルシーズの凄いところだ。
いよいよ寒くならない限りマフラーの準備すらしないような物グサのわたしとは、凄く対照的なところがある。それで見かねて、いつでも出せるように準備してくれていたのだろう。さすがルシーズといったところか。
「ルシーズちゃんはホントにいい子だ」
そう言ってルシーズの頭をポンポンと叩いてみた。途端に、ルシーズの顔が真っ赤になる。
あらら、またか。
恥ずかしがり屋のルシーズが飛び出すタイミングが未だに掴めない。
「子ども扱いはやめてほしい」
顔を逸らしてルシーズが口を尖らす。それを見て、本当に子供みたいだとわたしは少し可笑しくなった。
「ジェイラの家って、どの辺?」
ルシーズが本来の話題を振ってきた。というよりも、頬の赤味をごまかすために話をはぐらかした感じだったけど。
「ああ、向こうの丘の住宅街」
学校の向こうに広がる丘は一面が住宅街になっていて、わたしの家もそこにあった。同じような二階建ての家のひしめく、極めて一般階級的な民家だ。違いといえば屋根の色くらいだろう。
「私の家とは逆方向だね」
ルシーズが畑の脇に続く坂道を指差した。今いる場所は学校の近くで、住宅もそれなりにあって人口も多い。ルシーズの示した方角はそこからちょっと離れたところで、周りは畑だらけ。道の隣は一面の雑木林。どうヒイキ目に見ても、田舎の風景以外のなにものでもなかった。
「ジェイラの家の方が近いみたいだし、やっぱそっちから帰る?」
ルシーズが気を回して言ってきたけど、この企画を提案したのはわたしだ。ルシーズに遠回りを強いるのもなんだか悪い気がするし。それにもう、ルシーズの帰宅に合わせて時間まで潰しているのだから、ここは予定通りに行かせてもらおう。
「いいよ、気にしなくて。ルシーズの家、見てみたいし」
なに気なく言ってみたけど、それは確かに本心だった。わたしがなにを掴もうとしていたのかも分からない状況で、それは確かに一つの形ある答えだったから。
わたしはルシーズの心にもっと踏み込んでみたいと思っていたのかもしれない。わたしにとってはとても意外なことだったけど、ルシーズに対しての興味、好奇心? そんなものがわたしの中に生まれ始めていて、それに対しての答えを求めていたのだ。
単なる集団下校といえばそれまでだろう。でも、小さな子供時代の頃では普通のことだったそれが、今のわたしにとってはとても異質なものになっていた。この歳になってわざわざそんなことを行うのは、余程の仲良しか、余程の幼稚者か、そんなところだろうと思っていたから。
だからわたしにとっては、この寄り道はある種の冒険のようなものだった。
実際には、ただの田舎道を歩いていくだけなんだけどさ。
「じゃあ、行っちゃおうかね」
ルシーズと二人、連れ添って歩いていく。なんだか本当に宝探しにでもいくような気分だ。わたしのパーティには、司祭が一人、悪魔が一人。あと、腕利きの戦士でも二人くらい欲しいところだけど。
そんなことを考えていたら、無性に楽しくなってきた。要するに、はしゃいでいたのだと思う。わたしもやっぱり、まだまだ子供だと思った。けれど今は、これで良しとしておこう。
「家行っても、なにもないけど。フツーの家だよ」
ルシーズが呆れ気味に言った。ルシーズの家に行くのが楽しい遠足とでも思っているかのような態度のわたしに、予め釘を刺しておこうというわけだ。行ってガッカリしたとしても、保証はできませんよという。
「あー、大丈夫。上り込んで長居するってわけじゃないし。ちょっと見るだけ」
「え、そうなの?」
ルシーズが、意外といった感じに応えた。どうやら、わたしが家に上がり込んでくつろいでいくとでも思っていたみたいだ。
そんなに図々しいやつだと思われていたのか? わたし。
「どんなやつだと思ってたんだよ」
「さあ、どうですかね」
ルシーズがとぼけて返してきた。
畑のあぜ道みたいな道をくねくね曲がりながら進む。相変わらずの強風が、土埃を巻き上げて吹きつけてきた。
歩いて二十分。ようやく辿り着いたルシーズの家は、本線から脇に伸びた小さな登り坂の先にある、何軒かの家の内の一番手前の家だった。みんな二階建ての、ごく普通の家並み。ルシーズの家だけ屋根が青くて、あとは赤か茶色。家があるのはそこだけで、周りはみんな畑になっていた。
「ふむ、フツーだ」
「そう言った」
わたしが漏らした感想にルシーズが口を尖らせる。直後、ごめんごめんと軽く流したわたしに向かって、キャンキャンと吠える声が響いた。
「へえ、犬飼ってたんだ」
庭先に同じく青い屋根の犬小屋があって、その前で小さな犬がわたしに向かって吠えていた。毛並は緑っぽくて、目がやたらに大きい。尻尾の形も若干おかしな気がした。
「あー、それ、犬じゃなくて、クアジット」
クアジットって、確か悪魔の由来の動物で、それなりに凶暴な生き物だったような。学校で昔習ったことがあったけど、使い魔にもよく使われているとか。本場の魔界ではコウモリとかにも変身できるらしいけど、わたしの世界ではそこまでの力はないらしい。
っていうか、若干の違いを除けばほとんど小型犬と同じ見た目だった。普通に可愛いし。そもそも、普通に犬小屋で飼ってていいのか?
まあいっか。どこから連れてきたのか、とか、そういうことも聞かないことにしておこう。
ルシーズ家の謎。
「あんま近寄らない方がいいよ。噛むから」
「噛むんかい」
頭をなでてやろうとしたけれど、手を引っ込める。やっぱ悪魔の家は怖い、なんて冗談を心の中で思ったりしてみた。
「んで、どーする? お茶くらい出すけど」
「んー、あんま遅くなると親がうるさいからなぁ。この不良娘、って」
ちょっと考えたけど、結局そのまま帰ることにした。本当に、なにをしに来たんだと言われてしまいそうだ。自分でも明確な答えもなしに来たのだから、当然といえば当然の結果だけど。
でも、わたしの中で今日は大きな収穫があったということは感じていた。
わたしはルシーズになにを求めているのだろう?
不意に、そんなことを考えた。
友情を深めたいのか?
それとも、落ち着く居場所を求めているのか?
そんなに深く考えるようなことでもないと思い直す。
要するに、自然体でいられる相手を求めているのだろうと思う。
メアやテセナとの関わり方とも違う、言わば、心に沁み入るような間柄というか。
そういう意味で、やはりルシーズは特別なのだろう。
わたしは、特別な相手に普通のことを求めている。
少しおかしな感じだけれど、今のわたしにはそれが一番しっくりくる答えだった。
「あ、これ」
ルシーズに貸りたマフラーを返そうと首に手を伸ばす。でも、すぐにルシーズの手が伸びてわたしの手を止めた。
「いいよ、寒いからしばらく貸しとく」
「おお、それはどうも」
へっへと笑って、マフラーにモフモフと顔を埋めた。
「ルシーズさんの匂い」
「それ、洗い立てなんだけど」
ルシーズがまた口を尖らせる。まあ、知っててからかってみたんだけど。
「私はそんなに臭くない」
拗ねたようにルシーズが言った。
「月曜に返すから。わたしも自分のマフラー持ってくる。いい加減もう寒いし」
「それがいいと思います」
それからルシーズに小さく手を振って、帰路に着いた。そんなわたしにまたクアジットがキャンキャン吠えてくる。目をやると、犬小屋の入り口には『ナルフェシュネー』という名前が書かれていた。やっぱり名前も変わっている。
「じゃあねー、ナルちゃん」
愛嬌を振り撒いたつもりだったが、クアジットは益々大きな声で吠え出した。う~ん。
しばらく進んだところで、ちょっと振り返ってみる。ルシーズが二階の窓から顔を出していた。わざわざわたしを見やすい場所に移ったらしい。わたしと目が合うなりハッと身を隠そうとしていたけど、隠す時間などあるわけもなし。心配性の親かよ、と思ってちょっと可笑しかった。
「また月曜ね」
そう言ってルシーズが小さく手を振ってくる。
「うん、また月曜」
言いながらも、学校が違うのにまたわたしの学校の敷地内で会う約束をしているというのはちょっと変だと我ながらに思った。でも、ルシーズとの日常ではこれが普通なのだ。
「帰り道、ちゃんと分かる?」
「おーい、もう子供じゃないんだよ」
ルシーズの家が見えなくなって、トボトボと歩いていく。風は少し弱くなってきていた。その分、ルシーズのマフラーがより温かく感じる。
今日はルシーズにとってどんな一日だっただろうか? そんなことが頭の中で堂々巡りをしていた。
月曜日、ルシーズは何時に教会に来るだろう?
一人、未来のことを考えてみた。
それは身近すぎても、誰も答えを知らない
月曜日。学校の始まる週明けというのはいつも憂鬱な気分になる。また一週間が始まるのかと、溜め息ばかりが飛び出してくる感じだ。
でも今日はちょっとだけ、そんな気分を晴らしてくれるものがあった。
それは、わたしの鞄の中に潜んでいる赤い物体。
恐怖活劇めいた言い方をしてみたけれど、要するにルシーズから借りたマフラーのことだ。これをルシーズに返すというささやかな使命がわたしを待っている。だからなんだと言われればそれまでだけど、こういうなんでもないことが変に楽しかったりするときもある。特に、つまらないことばかりの月曜日には。
いつも通りに購買でお昼のパンを買って、早々に教会に向かう。サボり行為がいつも通りというのは我ながら罪悪感のようなものを未だに感じるけれども、今は同志の後押しがわたしを勇気づけていた。ルシーズの存在だ。
っていうか、サボり仲間の存在を理由にして、サボりを無理矢理、正当化しているだけというのが本音だけどね。勇気の意味、違うし。
それから、午後は嫌いな体育と数学だから、それもサボりの正当化の理由の中に加えてもいいだろう。正当化って言えるのか? それ。
人目を忍んで教会へ。まるで秘密の逢引きだよ、と思ってちょっと苦笑いした。
中に入ってドアを閉める。
案の定、ルシーズの方が先に来ていた。月曜が嫌いなのはルシーズも同じ。それで月曜は大抵わたしよりも先にここへ来ている。
よしよし、偉いぞルシーズ。それでこそサボりの先導者だ。
わけの分からない感心をしつつ、金曜日の出来事が思い起こされて無性にホッとした気分になる。
「よ、早いね大将」
「居酒屋かよ」
へっへっへと笑いながら、いつもの予約席へ座った。ルシーズは早々にお昼のパンをリュックから出し始める。お供にはいつものアビス……ではなくて、今日は水だった。いつも思うけど、パンに水って味気なくないんだろうか? せめて牛乳くらい飲めばいいのにと思うけど、それはルシーズの好みだから特に強制はしないでおこう。
アビスがパンに合うとも全く思えないんだけど。
「今日、マフラーしてきたんだね」
ルシーズがわたしを見て言った。今日はちゃんと自分のマフラーを巻いてきたから。一年振りにタンスの奥から引っ張り出してきたやつを、母親に頼んで洗濯してもらったものだ。月曜までに乾いてくれて良かった。
「ルシーズさんに面倒はかけられませんから」
冗談めかして言って、鞄の中から赤いマフラーを取り出す。もちろんこっちはルシーズのやつ。わたしのマフラーより全然いい匂いがする。柔軟剤が違うんだろうか。それとも、悪魔の成せる技か。
「どうもありがとうございました。大変助かりました」
大仰に謝辞を述べて、ルシーズに差し出す。まるで表彰状でも渡すような気分だ。
「ああ、こないだの」
ルシーズが、そう言えばそんなもの貸したっけといったような感じで応える。今日のわたしの一大イベントだったというのに、こいつめ、忘れてたのか。
「そんなに急がなくても良かったのに」
「わたしこれでも、リチギですからー」
ルシーズに当てて、ふざけて言ってみた。ルシーズはちょっとフテ腐れ気味になる。
「ルシーズ、ちょっとこっち向いて」
「え?」
ルシーズの首に赤いマフラーを巻いてあげた。この前はわたしだったから、これでおあいこだ。
「うん、いいね」
ふむふむと頷いて、自らの作り上げた作品を見渡してみる。
「ルシーズ、かわいいじゃん」
素直な感想が飛び出した。
マフラーを巻いたルシーズは、いかにも美少女めいていた。わたしもこんなに美形だったらなあと思う。やっぱり悪魔って、美人揃いなのだろうか。うらやましいぞ、悪魔。
「そんなこと、ない」
ルシーズが顔を真っ赤にして応えた。まあ、こうなるとは思っていたけど。
「……ジェイラの方が、かわいいし」
「へ? いやいや、それ、嫌味だから」
ルシーズのお世辞を思わず全否定で返してしまう。今までも何回かこういうことがあったけど、ルシーズはなぜか自分よりわたしの方が美人だと思っているような節があった。ひょっとして、自分の容姿に気づいていないのか? それもそれで、まあ、嫌味ではあるけれど。
ま、いいや。無自覚の悪魔ちゃんを放置して、買ってきたパンを引っ張り出した。お供にはまたミルクティー。そんなに大好きというわけでもないけれど、まあ、パンには無難な選択だし。アビスはアビスで、食後のお楽しみということで。毎回もらうわけじゃないけど。
ってか、パンを食べようとして、首に巻いたマフラーが邪魔だということに今頃気づいた。外しながら、わたしもちょっと抜けているところがあると苦笑してしまう。メアなら食べ終わった後で気づきそうだけど。
見ると、ルシーズがマフラーを首に巻いたまま自分のデニッシュパンを頬張っていた。デニッシュ生地がポロポロ、マフラーにこぼれ落ちている。
いやいや、その組み合わせは最悪でしょ。だけどルシーズは気にしていないみたいだった。
「お行儀悪いぞー。マフラー取れば?」
指摘したけれど、ルシーズは拒み続ける。
「いい。寒いし」
赤いホッペでそれを言われてもなあ、とまた苦笑いした。まあ、好きなようにさせてあげよう。
食べたら急に眠くなる。だから動物かわたしは。毎度のことながら自分でもちょっと呆れ気味ではあるのだけれど、こればっかりは仕方ないと反面で納得させている部分もあった。
あきらめの良いのがわたしの長所だ。長所かな?
「なんだか今日は、特に眠いねえ。もう春かな」
マフラーを締め直して、ベンチにもたれかかる。
「いよいよ冬なんですけど」
冷静に返された。春はあんたの頭だよ、とでも言いたげな様子だ。失礼な。
ルシーズはパンを食べ終わって水をコクコク飲んでいた。ルシーズのお昼は、大体パンが一個だ。それでお腹一杯になるらしい。経済的だなあ、と感心する一方で、栄養足りてるのか? と心配もしてしまう自分がいた。
「それじゃ、あったかい枕が必要だねえ」
そのまま自然な流れでルシーズの足に頭を乗せる。いわゆる膝枕というやつだ。もう何度も枕を拝借しているけど、ルシーズは案外、抵抗なくそれを許してくれていた。初めにそれをやったときには、全身まで真っ赤に染まり上がっていたようだけど。おかげで枕の温度が上がって良かった、などと思っていたことを記憶している。
どうもルシーズは、わたしのコミュニケーションに過剰反応するところが多い。回数を重ねれば慣れてくれるんだけど、初めての場合には特にそれを感じる。マフラーを巻いたときもそうだったし。
まあ、そういうところもルシーズらしいと理解することにしていた。
恥ずかしがり屋とも違った、緊張しいというか。
「ルシーズー」
寝ぼけた声で呼んで、目を開けて見上げた。目が合って、ルシーズがパッと目を逸らす。わたしをジッと見つめていたかのような感じだ。昼寝する猫でも見ている気になっていたのか。
「え、と、なに?」
目を逸らしたままルシーズが言った。目が完全に泳いでいる。なんだこの反応。
「冬になったら、どうしよっか? ここも寒くなっちゃうしねぇ」
半分寝たままの頭で、言葉を絞り出した。深く考えてもいない。自然な流れで出た言葉だ。
「別に。考えたことなかった」
ルシーズの方は特段気にもしていない様子。そう言えばルシーズは寒さに強かったんだっけ。熱血悪魔ちゃん。一人で考えて、自然と口元が緩んでいた。
「ま、そのときになったら考えればいっか」
目を閉じて、うんうんと一人で頷く。今は食後で全然頭が回らない。頭の血がみんな、胃にお出かけしているみたいだった。
「そういえばさぁ、ルシーズ。こないだのあの子、覚えてる?」
「え?」
急に思い出して、話を振ってみる。
「町で会ったじゃん。あの、同級生の、メア」
「あー、あんまり見てなかったから」
「ルシーズ、すぐ逃げちゃったしねえ」
「別に、そういうわけじゃ」
目を開けてルシーズを見る。ルシーズはずっと横を向いていたけど、目だけをチラチラこちらへ向けていた。挙動不審に見えないこともないけれど、そこは追及しないでおこう。
「買い物の邪魔しちゃ悪いと思っただけで」
一応納得できる理由のような気もするけれど、そう言うルシーズの反応は全く説得力がなかった。でもまあ、人見知りして逃げました、なんて、はっきり言う方がおかしなことなのかもしれないけれど。
「あいつがルシーズのこと聞いてきてね。あの悪魔ちゃんときみは、一体どういう関係なのかね? って」
なはははと変に笑う。特に意味はないけど。
「紹介してーって言ってるんだけど。どうしようかね」
「えぇ? いや、それは……」
ルシーズは反応に困っている様子。まあルシーズならこうなるか、と思う。
「一応考えとくって言っといたけど。ルシーズそういうの嫌がりそうだし」
「私は……別に」
ルシーズはそう言ったけど、本音のところは乗り気じゃないのは明白だ。一応メアはわたしの友達だから、あまり邪険に突っぱねるのもどうかといったところだろう。
まあでも、もしメアやテセナとルシーズが仲良くなってくれたなら、それはそれで素直に嬉しいと思う部分はあった。友達の輪というやつが広がることにもなるし。お節介なのは分かっているけど、ルシーズにとっても社交を広げるための機会と言えなくもないはず。
人付き合いに疎遠なわたしが社交のことを云々言うのは、どう考えても間違っているとは思うけれど。
「じゃあ、ま、テキトーに流しとく」
「そうしてください」
ルシーズの返事を待って、また目を閉じた。温かい枕が眠気を加速させる。
結局、放課後のチャイムが鳴る寸前にルシーズに起こされるまで、わたしは完全に気を失っていた。つまり、寝ていた。
ここは、ルシーズの枕のせいだと言い訳させてもらおう。
じゃあ帰ろっか、とようやく重い腰を上げる。自分の意志とは無関係に、欠伸の連発だった。
目が覚めたとき、相変わらずわたしの頭はルシーズの太ももに乗っていたので、ルシーズはずっと枕を提供してくれていたのだろう。そう考えると、なんだか申し訳ない気にもなってきた。足、痺れてないだろうか。
「ごめんねー。完全に寝落ちしてたゎあぁぁ」
言いながらも、また欠伸が飛び出す。これじゃ、謝ってるのか、おちょくってるのかも、分からない。
「あんまり良く寝てたから、起こすにも起こせなかったよ」
呆れ顔で言われてしまう。でもなんだか嬉しそうに感じるのはどうしてだろう?
「次からは、毛布でも持ってこようかな」
ルシーズが言ったけど、多分それは冗談だろう。こんなところで本格的に寝泊りしてどうする。それとも、わたしならやりかねないということか? 野生児にでも見えるのか。
ここは取り敢えず、あははと変に笑って応えるだけにしておいた。掘り下げられたくないトピックス。
そのとき、その場の空気を破って突然割り込んできたものがあった。
チリリリリンという、やや耳をつんざくベルの連続音。
「うおっ」
変に胸がドキッとして、鞄の中に手を突っ込む。わたしのケータイが鳴っている音だった。
黒くて平べったい、四角い石の板。手のひらに程よく収まるサイズで、重すぎもせず軽すぎもしない。『携帯伝話器』というのがこのアイテムの正式名称だった。
ノームの発明家集団による近年の大傑作で、これを使えば遠く離れたところにいる相手とその場で会話することができる。話す相手は予め十一文字のルーン文字を入力して登録しておく必要があるけれど、登録さえしてしまえば、後は名前を選択するだけで相手を呼び出すことができた。通話機能の他にもメール(手紙)機能というものがあって、入力したメッセージを相手に送ることもできる。
一昔前にはセンディング・ストーンというものが存在していたらしく、限定的なメッセージを相手に送ることができたらしい。この携帯伝話器はその大幅な改良版で、発明されるや否やあっというまに世界中に広まった。『伝話する・伝話をかける』というのが、新たな動詞として生まれたほど。価格もお手頃なので、今ではわたしのような若者はほとんどがこれを持っている。小さな子でも、防犯の為に親から持たされていることが多かった。
そしてもちろんルシーズもケータイは持っていたので、わたし達は早々に登録ルーンを交換し合っていた。でも、教会で会って話すことがほとんどなので、わざわざ伝話で話すこともそうはなかったんだけれど。
「テセナか。珍しいな」
表示を確認してつぶやく。全くないというわけではなかったけど、テセナがわたしに伝話をかけてくるのはやっぱりそうそうあることでもなかったから。どうかしたのか?と自然な流れで思った。
「えー、と」
チリリンと主張を繰り返す伝話器を手に、ルシーズを見る。ルシーズは興味のないようなそぶりを見せていたけど、わたしにかかってきた伝話を気にかけているのは一目瞭然だった。
「すいません。出てもいいですかね?」
わたしが他の同級生と一緒にいるというだけで逃亡を図るようなやつだ。このタイミングでわたしが他の友人と一対一で話している状況になれば、また逃走しかねない。取り敢えず、この悪魔ちゃんの許可を取っておかないと。
「別に、私に言わなくても」
ルシーズがやや拗ねたように応えた。まあ一応、許可は取れた。
「ではでは」
そう言って伝話に出る……前に、ルシーズの腕を取った。このまままた逃げられたとしたらまたこの悪魔っ子のご機嫌伺いをするはめになる。この前だって、結構な面倒臭さだったのだ。わたし一人が思いあぐねてしまった感じがして、妙に気疲れもしてしまったし。
ルシーズ、そういうのはもう勘弁だぞ。
「ちょ、ジェイラ」
「ルシーズ、逃げるなよー」
ややふざけ気味に変な目配せを送ってみる。こういう軽い感じなら、ルシーズも素直に応じてくれそうな気がしたから。
「逃げない、から」
これでようやく伝話に出られるわけだ。やれやれ、困った悪魔ちゃんだと思った。
すぐに手を離す。けど、逆にルシーズの方がわたしの腕を取ってきた。
えーと、どういう意味なの? これって。
さっぱり分からなかったけど、まあいいか。
「もしもーし」
ルシーズが腕にくっついた状態で伝話に出る。なんだこの構図は。
『あ、ジェイラ。出ないかと思ったよ』
伝話器の中からテセナの声が聞こえてくる。毎回思うけど、本当に相手がそこにいるみたいな感じだ。仕組みは全く分からないけど。
「ちょっと取り込み中でして。あははは」
取り込み中となった原因を横目で見ながら、笑ってごまかした。その『原因』の方は、目を逸らしてわたしと反対方向を向いている。
「どうしたの? 珍しいけど。今日、交流試合じゃなかったっけ。メアが言ってた」
メアにちょっと聞いた通りテセナは部活の大会が近かったので、最近他校との交流試合のためにちょいちょい出かけていた。こんな平日にまで大変だな、と思う一方、堂々と授業をすっぽかすことができるのでうらやましいとも思ってたんだけど。
でもその分、運動に精を出さなくてはならないので、それなら授業受ける方がマシかとも思うわたしがいた。わたしってホント、運動は苦手だ。
『あー、そうなんだけど、今、出先。さっき、メアと伝話で話してさ。ジェイラに買い出し手伝ってもらったって聞いて。悪かったなあ、って思ったから』
なるほど、そういうことでしたか。あれは確かに面倒だったし、テセナを恨めしく思ったことも事実だ。それを察してかどうかは知らないけど、わざわざこうして伝話をかけてくるあたり、テセナは几帳面と言える。やっぱり、優秀な頭脳の成せる気遣いというやつなのか。
一方メアの方は、朝にわたしが改めて文句を言ったときも、「なんのことだ?」と鮮やかに忘れていた。しらばっくれているのではなく、本当に忘れているから凄い。
というわけで、ここはその分、保護者のテセナの方に責任を取ってもらうことにしようか。
「ホント、酷い目にあったぞ。というわけで、後でノート写させてもらおうか」
授業をサボってばかりいるわたしにとって、テセナのノートは学業の生命線と言えた。メアのノートでは……こうはいかない。
『それっていつものことじゃん』
テセナが笑って応える。それもそうかと思わず苦笑してしまった。
「で、えーと、それだけ?」
『うん、それだけ』
本当にこれだけの用事だったらしい。テセナらしいとも言える。余計なことは一切言わないというか、時間をフルに活用しているというか。だからこそ、あの優秀な頭脳が生まれたのかもしれない。
わたしの場合は……うーん、やっぱりムダが多い。得られた時間は、主にボーっとしてるか睡眠に費やしているか、そのどっちかだし。
「じゃあ、また学校で。あんまメアにこき使われるなよ。部活頑張ってなー」
『ありがとありがと。じゃあね』
伝話終了。短い会合だった。
で、続いてこっちの処理に移るというわけだけど……。
「ルシーズー、お待たせー」
あからさまな笑顔を作ってルシーズの方を向いてみる。ルシーズは相変わらず向こうを向いていたけど、手だけはしっかりとわたしの腕を掴んだままだった。
まるで駄々っ子がママの腕にしがみついているみたいで、なんとも言えない気持ちになったけど。それとも、主人が構ってくれるのを待っているワンコというか。
ルシーズは猫みたいでもあるし、犬のようなところもあるみたいだ。ワンコのルシーズの方は手がかかって困る。
「ルシーズ」
ルシーズの顔を覗き込んでみる。目と目が合って、そのあまりの距離の近さにルシーズがパッと身を翻した。
「ふぇ、な、なに?」
相変わらずのその反応に、少し安堵する自分がいる。大分、変な安堵ではあるのだけれど。
「伝話。メアの買い物、代わりに手伝ってくれてありがとー、だってさ」
伝話の内容を報告した。なんというか、知りたがっているように見えたから。まあ、会話の内容から大体想像つくとは思うけど、一応。
「そう。別に、私に言わなくても」
「そうー? まあ一応ね」
あははと笑う。取り敢えず、これで一段落がついた。やれやれ。
「で、ルシーズ」
改めて声をかける。
「はい」
なんで敬語? と思ったけど、気にせず続けた。
「そろそろ、腕、離してもらいたいんですけど」
さっきからルシーズはずっと、わたしの腕にくっついたままだった。このまま腕を組んで帰宅しようかと思ったほどだ。でもまあ、歩くのに邪魔になるから、ここは離してもらうことにしよう。
「あ、えと、うん」
言いながらも、ルシーズはわたしの腕を離さない。そのままリュックを持って、わたしと一緒に歩き出した。
「途中まで、一緒に」
ルシーズが目を逸らして、小さな声でつぶやく。全く困ったやつだと思った。本当に、わたしが誰かに持って行かれてしまうとでも思っているみたいだ。
わたしは誰の所有物でもない。わたしはわたしなのに。
「やれやれ、困った子だね」
溜め息をついてあきらめる。そのまま、わたしの方からもルシーズの腕を取った。腕を組んでデートにいくカップルみたいな形になったけど、ここはまあ、好きなようにさせてやろう。
求められてなかなか断れないのがわたしの性格。優柔不断とも言えるけど。
「ま、寒いから、くっついてるのもいいかもね」
わたしの言葉にルシーズはコクコクと頷いて返したけど、やっぱり体は熱く火照っていて、とても寒さを感じているようには見えなかった。なるほど、これならマフラーも要らないかと変に納得してしまう。
結局、帰宅の分かれ道のところでようやくルシーズも腕を離してくれたけど、わたしには最後まで意図が把握できなかった。
やっぱりルシーズについては、まだまだ知らないことばかりだと改めて思う。なにを考えているのか。なにをどこまで求めているのか。
ふーむ。
どこかの私立探偵ばりに腕を組んで思案にくれてみる。
腕に残ったルシーズの温度に、その答えはあるのだろうか。
翌日、火曜日。まだまだ一週間は始まったばかり。ハァ。
しかも今日は、わたしにとってその思いが一段と加速される日だった。つまり、今日は午後から課外授業に参加しなければならなかったから。
わたしの学校は神学校ということもあって、生徒は皆、介護の技術を学ばなければならない。その勉強と実践的な技術を学ぶため、月イチくらいの頻度で、学校を出て関連の介護施設まで出向いていかなければならなかった。要は、ほとんどボランティア活動といったところだ。
この課外授業ばかりは、さすがのわたしもサボるわけにはいかない。欠席の回数はすぐさま進学に影響してくるので、まずいことになる。わけもなく姿を消そうものなら、それこそ謹慎処分といったところ。
お年寄りの介護とか、一緒に団欒を楽しんだりとか、そういうのはいい。お年寄りは好きだし、話をしてホッコリした気分になるのはわたしも好きだ。
でも、そればかりではないということをわたしは良く知っていた。それは、いわゆる教官めいた指導員の存在。わたし達の行動にあれこれ指導を加えてくる。しかもそれらは皆、技術的な指導ばかりで、そこに細やかな心配りがあるとはどうしても思えなかった。
もちろん、確かな技術がなければきちんとした仕事はできないということは理解できるのだけれど、介護の本質というのは本来そういうことではないと思う。お世話する相手を思いやって、真心を込める。そして、お世話される方もそれに応えて、真心を返す。それが一番大事なことだろうと思う。
わたしみたいな小娘が随分偉そうなことを言っているとは思うけれど、やっぱりそれは、誰にとっても大事なことなんじゃないだろうか。相手を思いやる心がなければ、人と人との良い関係も生まれないし、ただの身勝手な人間が存在するだけになるのだから。
まあ、人付き合いを避けて授業をよくサボっているわたしが言うのは、やっぱり分不相応であるとは思うのだけれど。
そんな思いを抱えつつ、介護の授業は刻々と過ぎて、ようやく放課の時刻。この課外授業の終了も、通常の放課時刻と同じ時間に設定されていた。
やれやれといった感じで自分の肩を叩く。今日は何回怒られただろうか、数え切れない。
なんか、わたしばっかり目の敵にしてないか? あの鬼教官。
「お疲れー。今日も絞られちゃったね」
解散となってさて帰ろうかというとき、テセナがわたしのところにやってきた。部活の遠征は昨日までだったので、テセナもきちんとこの課外授業に参加していたわけだ。午後の授業をサボってばかりいるわたしにとって、この時刻にまともにテセナに会うのは凄く久しぶりな感じがしたけれど。
「かなわんよ、もう。誰かわたしを介護してほしい」
首をコキコキ回しながら冗談めかして言った。さっきからわたし、動きがなんかオッサンみたいになってるけど。
「あっちはまだまだ元気そうだけどね」
そう言って、テセナが向こうを指差す。見ると、メアが七、八人のお年寄り達の輪の中にいて、別れの挨拶を交わしているところだった。
「婆っちゃん、また来っかんなー、元気でおれー」
おーいおーいと本気泣きしながら、お婆ちゃんと抱き合っている。その後も、ハグや握手が止まらない。メアはここのお年寄り達の人気者で、とても評判が良かった。そのため、仲良しのお爺ちゃんお婆ちゃんも一杯いて、メアは特にこの介護訪問を楽しみにしていた。
少しメアがうらやましく思えた。わたしもあんな風に、物事を自然に受け入れることができればいいんだけれど。それはメアの才能とも言えるだろう。わたしの場合は、どうしても打算が混ざってしまいがちだから。
メアの解放を待って声をかける。そのまま、三人で一緒に帰ることにした。三人並んでの帰宅というのは、こんなときくらいしかなかったし。それは概ね、わたしのサボりのせいなんだけど。
「そーいやジェイラ、あれどーなった? あの悪魔ちゃん」
帰り道、メアがこの間の『頼み』について振ってきた。ルシーズのことを紹介してほしいという、あれだ。どうやら結構本気に興味があるらしい。やっぱり悪魔というのは、人を惹きつける魅力があるのだろうか。
っていうか、まさか悪魔を野生動物と一緒みたいに思ってるんじゃないだろうな? それで、見てみたいという。かなり失礼な話だが、メアなら自然体でそういうことを言いそうだし。
「あー、ルシーズね。言ったよ、一応」
「一応ってなんだ。友の頼みを」
メアが口を尖らせる。
「悪魔ちゃんって? どの悪魔ちゃん?」
テセナも興味を持ってきた。メアはまだ、テセナにルシーズのことは話していないらしい。そのときの気分で話題がコロコロ変わるのはメアの性質だから、その話題はまだ登場していなかったのだろう。単に忘れていただけかもしれないけど。
「おお、こないだ町でジェイラの友達に会ったんよ。悪魔ちゃん。カンビオンの女子で、同い年。隣町のガッコーだって」
「へえ。カンビオンって珍しいね。都会に行かなきゃ会えないような種族だと思ってた」
「でしょ? でも見た目フツーっ子なんよ。そんでもやっぱ、悪魔らしいトコもあったぞ。シッポあったし」
チラッと見ただけにしては良く覚えてるなコイツ。っていうか、シッポに興味があるところ、やっぱ動物に関連づいているな。
「それはちょっと会ってみたいかも。ジェイラとは、どういう馴れ初めで?」
馴れ初めというのは語弊があるけれど。まあいっか。
「まあ、ちょっとした御関係でして」
あははと笑ってごまかした。サボりの会合仲間だとは言いづらい。そこは掘り下げないでほしい。
でも、そう言いながらも、改めてルシーズがわたし達のささやかな友人関係の輪に加わっているところを想像してみる自分がいた。学校が違うからいつも一緒にはいられないけれど、休みの日に皆で遊びに行ったりするのも結構楽しいんじゃないだろうか。
ルシーズがメアやテセナと仲良くしている図は、やっぱり中々想像できなかったけれど。
「あんま社交的な子じゃないからね、ルシーズ。でも、付き合いが悪いってわけでもなさそうだから、誘えばオッケーしてくれるかな」
うんうんと一人頷いてみる。
「まあ、また今度伝えてみるよ」
一人で勝手に総括した。メアは「またかよ」と不満そうだったけど。
課外授業先の介護施設は神学校の近くだったので、ほどなくして学校の側までやってきた。わたしの家はこのまま学校を過ぎて真っ直ぐ行った丘の上。メアとテセナはもっと西の方まで旅を続けなければならないけど、そこまで遠くはない。そちらは小さな商店街を含んだ居住区域で、メアの実家の二つランタン亭はそこの高台に堂々と聳え立っていた。
一方テセナの家はその区域にある小さな造り酒屋で、町では結構老舗。二つランタン亭は一番のお得意で、宿で出す酒類は全てテセナの家から仕入れたもの。そのせいもあってか、メアとテセナは小さな頃からの仲良しらしい。
学校の敷地の前を通る。遠巻きには、わたしがいつもお世話になっている教会のある墓地がわずかに見えた。こちらからは建物や木が邪魔になってほとんど見えないし、教会に至ってはその存在すら確認できない。だからこそ、サボりの場所として理想的なのだ。
「あー、今日はわたし、こっちから帰るから」
ふと思い立って、二人に告げた。一緒に帰るならまだまだ先まで付き合える。けれど、ちょっと心に引っかかることがあったから。
「なんだ、付き合い悪いぞ。キツツキ見に行こう」
「行くか」
メアの提案をバッサリ切り捨てて、小さく手を振る。テセナが「じゃ、またね」と返してきた。
少し歩いてから振り返ってみる。メアがテセナに「だからキツツキってヤツらはよー」としつこく絡んでいた。帰るまでずっと話を聞かされることになるテセナに、ちょっと同情してしまう。早めに離脱して良かった。
ふう、と溜め息をつく。今日は疲れた。こりゃ、週の残りは昼からサボり決定だな。
時計を見る。四時を回っていた。
わたしの心に引っかかっていたもの。それはやっぱりルシーズだった。今日は課外授業だったから、ルシーズには会っていない。今日教会に行けないということは、ルシーズにも昨日のうちに連絡済みだった。ルシーズは「じゃ、一人で寝てようかな」などと言っていたけど。
今から教会に行ったところで、ルシーズはもういないだろう。三時半のチャイムが鳴れば教会を後にして、適当に町で時間を潰すのがルシーズの日課だった。町を回っていれば色々時間潰しのネタもあるだろうし、一人で教会にいるよりは気晴らしにもなる。ずっと寝てるよりはマシだろう。
じゃあなんでわざわざ教会まで行ってみようと思ったのか。自分でもよく分からなかった。
ひょっとしたら、ルシーズがまだ寝ているかもしれないと思ったのかもしれない。でも、別に今日会えなくても明日には普通に会える。今日である必要はなかった。
それでもやっぱり教会へ足を運んだのは、なにかの思いがわたしを突き動かしたからなのだろう。この間も、それを感じていた。
手の中からこぼれていく、光の粒子のようなもの。今それを掴まなければ、二度と得ることはできないという感覚。
今のわたしの行動は、それを得るための努力なのだろう。そう思った。
墓地に入り、教会までやってくる。その内部空間とわたしとを隔てるドアが、なんだか物々しく思えた。
中に入ってドアを閉める。空気はひんやりしていて、外との気温差はあまり感じられなかった。
やっぱりルシーズはいない。それもそうだろう。
いつものベンチ。
端に置いてある、二組のメイスと盾。
いつものその光景が、今のわたしの胸の中にセピア色の感覚を生み出していった。
がらにもないな。やれやれ。
溜め息をついて教会を後にする。外に出ると、陽がすっかり傾いているのが分かった。今こんな寂れたところにいるのは、わたしくらいなものだろう。普通に墓地だし。
やっぱり、来てもしょうがなかったか。
そう思ってちょっと後悔した。
同級生達や、介護施設の人達。今日はわたしにとっては、たくさんの人付き合いの中に飲み込まれた日と言える。普通の人にとってなんでもないようなことでも、わたしには負荷が大きかった。
傾いていく陽を見つめながら、ふと気付いた。
わたしがここへ来た理由。
そうか、わたしはルシーズに癒しのようなものを求めていたのだ。
ルシーズとの時間。
それは確かに、わたしの中の澱みを洗い流してくれるものだった。
足を踏み出し、一人歩き始める。そのまま墓地の入り口の門を抜けて、荒れた道を右へ。辺りには誰もいない。こんなところを歩いているやつなんて、昼間でもそうはいなかった。
前方に大きな石塚が見えてくる。学校や住宅街に続く整備された道とこの荒れた道との境目にあるもので、それなりに由緒のあるものらしい。けど、わたしにはただの石の柱にしか見えなかった。なんの彫刻もされていないし、色も普通。誰かが供えていった稲の束が、すっかり乾いて風にさらされていた。
そのまま道を曲がっていこうとしたときのこと。
わたしはそこで、思いもかけない不意打ちを受けた。
「とーう」
「うわっ」
ボフンッと背中全体に、圧迫感のある一撃を喰らう。ダメージはなかったけど、はずみでそのまま前方に押し出される格好になった。
どっかの悪ガキが悪戯でぶつかってきたのか? 半ば混乱したまま、よろける足で振り返る。
そこにいたのは、子供ではなくわたしと同じくらいの背丈と体格をした相手だった。偶然にも、悪ガキの『悪』の部分だけが共通している。
ルシーズだった。背中のリュックをお腹に装着して、そのまま体当たりしてきたらしい。思ったより勢いが強かったようで、ちょっと心配気にわたしの方へ手を伸ばしていた。
「あ……ごめん。加減したつもりだったんだけど」
その割にはかなりの衝撃だったんですけど。とーう、とか掛け声が聞こえたし。
これが暗殺者だったなら背中にダガーを突き立てられて、わたしは絶対にあの世行きだ。
暗殺者に命を狙われるようなタマではないんだけれども。
「えーと、ルシーズさん。なにをやってるんですかね」
ちょっと非難めいて言ってみたけど、内心やっぱり嬉しかった。もうとっくに帰ったと思っていたから。まあ、こんな悪戯は歓迎できなかったけれど。
「帰ろうとしてたら、ジェイラの姿が見えて。そんで、ちょっと」
「背後から忍び寄ってみたと」
「そんなトコです。すいません」
そう言ってルシーズは両手を前で組んで縮こまる。先生に怒られている児童みたいだ。リュックをお腹に装着しているのがやたらに可笑しく見えた。
「あははは」
堪えきれずに笑ってしまった。ルシーズは「え?」とびっくりしていたけど、わたしがお腹のリュックを指摘した途端、恥ずかしそうにリュックを背中に背負い直した。顔がすっかり赤くなっている。
「まあ、結構面白かったよ、うん」
そう言ってルシーズの頭を手でポンポン叩いた。子供にやるような扱いだけれど、ルシーズの顔はますます赤くなっていく。ホント、面白い子だルシーズは。
二人で歩き出す。ルシーズの家に続く道の前に来たけど、ルシーズはそのまま通り過ぎてしまった。
「えーと、どちらへ?」
「あー、ええと、もうちょっと先まで」
わたしが尋ねても、ルシーズは話をはぐらかす。ひょっとしたら、もう少しわたしと一緒にいたかったのかもしれない。今日はわたしと会っていなかったから。
ちょうど、わたしと同じように。
「せっかくだから、わたしの家まで御一緒しましょうか」
手のひらを差し出して、貴族のようにポーズを取ってみる。この間はルシーズの家だったから今日はわたしの家まで二人で行ってみようかという、ただそれだけの思いつきだった。
「うん、まあ、それもいいかも」
ルシーズの反応は薄かったけど、興味がないわけでもなさそうだった。
「このまま帰っても、どうせ暇だし」
ぼそっとつけ足す。
「わたしの家はヒマ潰しの道具かい」
思わず突っ込みを入れた。まるで喜劇のコントみたいだ。
今日の課外授業の話をしてみようかと思ったけど、やめた。また嫌な思い出を甦らせることになるし、ルシーズと二人で話すような話題でもないと思ったから。
ルシーズとの会話は、そんなものじゃなくていいのだ。そういうのは他の同級生とすればいい。なんというか、団欒めいたものは、そこに求めてはいなかった。
別に、会話に内容がなくてもいい。ルシーズとの時間は、そういうものじゃないのだ。
ルシーズの横顔を見つめてみる。
整った顔立ちは、まるで繊細なガラス工芸品のようにも思えた。
ルシーズはずっと前を向いたまま歩いていて、表情一つ変えない。
さっきまで赤面していたのが嘘みたいに見える。これが普段のルシーズで、さっきみたいに恥ずかしがったりするのはレアな方のルシーズなのだろう。
ルシーズの性格からして、きっと他の相手にはそういった態度を示すことはないと思う。多分、わたしだけだ。
そう思うと、ちょっと優越感めいたものを感じてしまった。
「ジェイラ、これ」
「ん?」
わたしの視線に気付いてか、ルシーズがわたしの方を見てから言った。
「のど乾いてないかと思って」
アビスだった。わたしが受け取ると、自分の分も取り出す。わたしがいない日でも、ルシーズはしっかりアビスを用意していたらしい。それとも、いつでもこれがリュックに入っているだけなのか。
「おー、今日は疲れたから助かる。ルシーズちゃんはホント、気が利くねえ」
ゴクゴクと飲み下す。今日は本当に疲れていて、帰りに飲み物を買っていくような気力もなかったから素直に助かった。
「ルシーズ」
「え?」
「明日もこれ、よろしくね」
アビスを目の高さに掲げて要求した。ルシーズは小さく笑って、自分もアビスを一口飲む。
「代金は後で請求するから」
「せこっ」
こんなささやかなやり取りが、わたしの中に沁み込んでいった。
舌に広がるアビスの味がそれを加速させていく。
ほんの数か月前までは、こんな日常は予測もつかなかった。それは多分、ほんのささやかな変化に過ぎないのだろう。でもわたしにとっては、それは確かな地位として確立されるべきものだった。
それは多分、ルシーズの方も。
未来を思う。確かな未来なんてものは存在しない。でも、わたしの未来にちょっとした光の兆しが見えたことは確かだ。
そう思って口元を緩ませる。
わたしは、光の粒子を捕まえたのかもしれない。
「ウサギ足の術」
そう言って駆け出す。しばらく行って振り返ると、ルシーズの姿が離れたところに見えた。
一緒に乗ってくれるはずもなし。呆れ顔でこっちを見ている。
ふう、と息を吐く。
ルシーズが追いつくまでの十数秒。
アビスでも飲んで落ち着くことにしよう。