司祭(ジェイラ)さんと悪魔(ルシーズ)さん   作:ゼルダ・エルリッチ

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『For a Rainy Day』

 土曜日。わたしはメアと二人でとあるキャンプ場まで出かけていた。キャンプ場といってもどこかの有名スポットまではるばる足を伸ばしたわけではない。はっきり言ってしまえば、ここはメアの実家の二つランタン亭の敷地の裏山だった。

 

 金曜日の朝に教室でメアと会ったとき、開口一番この企画に誘われた。ガランタオオキツツキという珍鳥が大陸から渡ってきたというので是非ともそれを拝んでおきたいとのこと。この鳥は二、三日もすると、あっという間に東の方へ消えていってしまうらしい。そして次にやってくるのはまた一年後だそうな。そのためメアは、このチャンスを逃してたまるかと必死になっていた。

 

 思えばこのあいだの課外授業の帰りにメアが言っていたのは、この鳥についてのことだったようだ。あのときは速攻で切り捨てたけど、今回のメアは食い下がりが凄くて断り切れなかった。キツツキの渡来が思ったより早く確認されたらしく、本人も大分慌てているらしい。

 

「えー、やだよ面倒くさい」

 

 一応いつもの返事を返したけれど、

 

「頼むよー、一生のお願い」

 

 いつもの返事が返ってきた。こうなることは分かっていたけど。ハァ。

 

 例によってテセナは部活。しかもこの土日はいよいよ大会の日だということで、なおさら遊んでなどいられるはずもなし。

 

 こうなると、わたしも部活でもやっとけば良かったかと思う。

 

「帰宅部の大会が近いので無理っス」なんてセリフじゃあ、言い訳にはならんからなあ。

 

 試しに、

 

「一人で行くのはどうでしょう。誰にも気兼ねなく過ごせるよー」

 

 などと言ってみたりもしたけれど、

 

「誰が荷物運ぶんだよー。テントとか色々あんだぜぇー」

 

 などというセリフが返ってきた。

 

 やっぱり。そんなことだと思ったんだ。また荷物持ちかい。

 

 他のクラスメイト達にも声をかけてみたけれど、みんなアウトドア派ではなかったし、家の用事やらなにやらで忙しい者が多かったらしい。それでわたしにお声がかかったというシンプルな成り行きだった。わたしならヒマだろうとでも思っているのか。失礼な。

 

 っていうか、なんの予定もなかったし、実際ヒマだったんだけど……。

 

 どうやら観念するしかないらしい。まあ、これも天災だとあきらめるしかないか。アウトドア派では全くないわたしだけれど、行ってしまえば楽しめないこともないだろうし。

 

 バートウォッチングか。今まで一回もしたことないけど。

 

 二つランタン亭の裏山は結構な広さの森になっていて、野鳥を始め小動物も多い。クマなんかの危険な動物はいないので安全さも保障されている。一番大きな動物でも、小柄なシカがいるくらい。そのため付近の家族連れなんかが楽しめるように、小さなキャンプ場が作られていた。

 

 キャンプ場を管理しているのも二つランタン亭。管理費の名目で利用者からそれなりの金銭を頂いている。なんでも商売に利用するあたり、さすがメアの実家というところか。

 

 わたしの分の利用料は、もちろんメアにもたせたけど。これで金まで取られては堪らん。

 

「やーっと着いたよ、全く」

 

 背中に取り憑りついていた巨大な怪物を降ろす。メアから渡されたリュックだった。頑丈な布でできたテントを始め、なんだか訳の分からない物が色々詰まっている。鳥を見るだけなのになんでこんなに物が必要なんだ。さっぱり分からなかったけど。

 

「こらこら、なにやってんのジェーイラちゃん」

 

 途端に、メアが口を尖らせて言ってきた。

 

「なにって、キャンプ場着いたから荷物降ろしてんだけど」

 

「ちっちっち。シロートさんは困っちゃうぜ。バードポイントはもっと森の奥地」

 

「ええっ?」

 

 どうやら今いるこの場所は、あくまでも普通のキャンプを楽しむための場所で、目的のポイントはもっと森の中まで踏み込んで行かなければならないらしい。

 

 やられた。そう思った。出発前に具体的な内容を尋ねようとしたけれど、メアは「行けば分かるよ」といって教えてくれなかった。つまりこういうことだったわけだ。言えば、わたしの気が変わるかもしれなかったから。

 

「さあさあ行くぞ。全速前進」

 

 そう言ってメアはスタスタと森の奥を目指す。メアは朝からずっとハイテンションなまんま。浮かれてるやつにはなにを言っても無駄だ。わたしが今更帰るわけにもいかないということを良く知っているので、メアの態度は強気だった。

 

 っていうか、メアのリュック小さいなっ。改めて思った。司令官は体力温存、などと訳の分からない説明をされたんだけど……なんて都合のいい司令官。兵卒はただ従うのみ。

 

 森の小道を行きながらも、メアのバード愛は止まらない。「この森には二十五種類の鳥がやってくんだぜぇ」などと自分のことのように自慢げに話している。

 

 そのつど「はいはい」と聞いて流していたけど、わたしの興味はもっぱら、この大冒険の果てについてのことだった。正直、鳥についてはカラスか鳩くらいしか知らんし。

 

「おーい、どこまで行くんだよぅ」

 

 泣き言のように問いかける。

 

「まーだ。あと三十分」

 

「マジっすか」

 

 結局ホントに三十分歩かされて、メアの言うところのバードポイントにようやく辿り着いた頃にはわたしの足は棒のように突っ張っていた。息切れも酷い。日頃の運動不足がしっかりと形になって表れてしまったわけで。

 

 一方メアの方は全く平然としている。呼吸も全然乱れていない。さすがアウトドア派のやつは違う。心肺機能が丈夫だ。バードポイントの地面を足で踏み鳴らしながら、「よしよし」と一人で納得していた。

 

「そんじゃー、テント張ってこうか」 

 

 メアがテントをかつぎ上げて、平らな地面に降ろす。

 

「ちょっと休ませて。死にそう」

 

 わたしは地面にしゃがみ込みながら、水筒から水をゴクゴク飲んでいた。

 

 しゃーないな、と言ってメアはテントを手際良く広げていく。背の低めの、横に長いテント。サイズは小さめで、二人入ったら一杯になりそう。メアの言うことには、これは屋外観測時に重用される専用のテントだということで、鳥や動物を警戒させないために人の姿を隠すことが一番の目的らしかった。あんなに重かったのでもっと大きいものを想像していたけど、意外にちっちゃいのでびっくりした。

 

 っていうか、日帰りバードウォッチングにテントが必要な理由がようやく分かってちょっと安心する。まさか本当にテントに泊まるつもりじゃないかと半分ヒヤヒヤしていたから。

 

 一応夕方までには帰ると念を押していたけど、メアなら平気で約束を覆しそうだったし。

 

「はいできた」

 

 早っ。ちょっと目を離していた隙に、目の前に友軍の前哨基地が出現していた。色は深緑色で、周囲の緑に溶け込むような形だ。そのままメアに促されて、まるでイタチが巣穴に潜り込むような姿勢になってズルズルと這い進む。

 

「へーえ、こりゃ凄い」

 

 思わず感想を述べる。中はまるっきり秘密基地だ。座った目の高さに横長の切れ込みのような窓が開いていて、そこから外が見える。覗いてみると前方に小さな森の空き地のようなところがあって、一本の木の周りに鳥用のエサ台が作りつけられていた。そこに木の実や穀物などのエサが置かれている。

 

「いいだろ。あれ、わたしが作ったんだぜ。内緒な」

 

 言いながら、メアはわたしの運んできたリュックから取り出した三脚を組み立て始める。鉄製で無骨なプロ用といったところだった。これは確かに重い。あっという間に組み立てて、今度はそのうえに大きな双眼鏡を設置し終えた。

 

「見ろー。いいだろ」

 

 鼻息を荒げて、自慢げに見せびらかしてくる。

 

「ご立派ね」

 

 適当に相槌を打つわたしを横目に、メアは自分のリュックから小さなノートを取り出してなにやらフムフムと目を通していた。タイトルには手書きの雑な文字で「フィールドノートその13」と書かれてある。シリーズ長いな。

 

「あー、一応、光る物は外しとけよー。反射するからな」

 

 黄色い鉛筆でなにかを書き込みながらメアが言った。光が反射すると鳥や動物が警戒するらしい。別にそんなものはなにも身につけてなかったから問題なかったけど。

 

 ってか、双眼鏡のレンズは大丈夫なのか?

 

「はいよ、ジェイラの分」

 

「これは良い物をどうも」

 

 わたしの分の双眼鏡を受け取る。試しに覗き込んでみると、くっきり鮮明。遠くの空き地の様子が手に取るように見えた。これはかなりの高級品だ。わたしのお小遣いなんかじゃ全然手が出せないやつ。

 

 こんなものを二つも。いったいどうやって手に入れたんだ? そこは追及しないでおこう。

 

「で、わたしの分の三脚はないの?」

 

「悪いね。わたしの分しかないの」

 

「マジっすか」

 

 リュックの中を見てもそれらしい物はもう入っていなかったので大体分かってたんだけど。まあ二人分の三脚なんか運べばもっと重かったはずだから、それは別にいいか。

 

 メアが時計を出してテントの窓の側にぶら下げる。あとはジッと、双眼鏡と肉眼との交代作業。そのガランタなんとかという鳥がやって来るまで、ここで待ち続けるとのことだった。

 

 これはキツイなー。そう思った。ただボーっとしているだけなら、なにもしないのも全然苦にならない。だけど、なにかをしようとしているのにいつその成果が表れるのか分からないというのは、精神的にもかなりキツイものがあった。

 

 そう思いながらメアを見る。メアは「おうおう」と一人で声を漏らしながら、その瞳を輝かせていた。早よこい、早よこい、という心の声が聞こえてきそうだ。

 

 こりゃ長丁場になりそうだ。心の中では早くも、あきらめの溜め息の音が聞こえていた。

 

「よー、あれどーなった? あの悪魔ちゃん」

 

 しばらくしてメアが急に話を振ってきた。神経はバードウォッチングに集中しているけれど、心に若干の余裕を持たせるために余力で話しかけてきたという感じだった。

 

「あー、まだ覚えてたの。もう忘れたのかと思った」

 

「こないだ言ったばっかだろー。わたしはバカかっての」

 

 あはははとごまかして笑う。この間その話題が出てから三日間、メアからその話題が繰り返されることはなかったので、わたしの方もなんとなく切り出すこともなくいた。だから本当に忘れているんだとばっかり思ってたんだけど、メアはやっぱり覚えていたらしい。

 

 意外にしつこいな。こりゃやっぱり、ちゃんと話を進めてみるしかないか。

 

 と言いながらわたしの方もまだルシーズに改めて話を切り出していなかったので、別になにも報告することはなかったんだけど。さてどうするか。

 

「悪い。まだ話してなかったよ。お互い忙しいですから」

 

 サボりが、と心の中でつけ足した。

 

「またかよ。伝話一本で済むことじゃん」

 

「まあそうだけど」

 

 応えて返したけど、ルシーズに伝話をかけることは滅多にないし、わたし以外の相手からの依頼でかけるというのもためらわれる気がした。わたしのささやかな交友範囲の中にルシーズの存在を広げられたら嬉しいとは思うものの、反面それはやっぱり大変なことのような気もしていたから。

 

 メアやテセナならルシーズと仲良くするのは可能だろうと思う。なにしろ交友範囲の狭小なわたしの数少ない友人だし、変わり者(?)を相手にするのはお手のものだろう。

 

 でも、ルシーズの方はどうなのか。ルシーズがどれだけ友人の輪を求めているのか、それはやっぱり、未だわたしのあずかり知らないところだったし。

 

 でも、案外すんなりルシーズは受け入れてくれるかもしれない。そんな気持ちもあった。わたしをすんなり受け入れているあたり、他の子でもうまくやっていけるんじゃないか。

 

 それともやっぱり、無理なのかなあ。

 

 んー、結局、またしても保留。

 

「んじゃー、代わりにルーシーちゃんのこと、なんか話してくれよ」

 

「そんな悪魔ちゃんだったかどうかは知らないけど。えーと、それで、なにが知りたいのかなメアーちゃんは」

 

「どんなやつだとか、なにが好きとか、色々あんじゃんよ」

 

「あー、そーね、うん。ルシーズはー、悪魔だね」

 

「それは知っとるでよ」

 

 改めて問われると、わたしはルシーズのなにを知っているのだろうと考えてしまう。

 

 人見知りで恥ずかしがり屋。

 

 

 寒さに強い。

 

 ときどき、よく分からない行動に出る。

 

 って、いかん。これじゃまるっきり変なヤツだよ。わたしの友人のことをそんな風に紹介したら、わたしまでおかしなやつだと思われるじゃないか。 

 

 ここはまあ、当たり障りのないところで行かせてもらおう。

 

「あー、そうだねえ……ルシーズは少食で、お昼は大体パン一個。飲み物は水かお茶で、一番好きなのはアビスドリンク」

 

 これ、なんか参考になるんだろうか? 言いながら思った。まあいっか。

 

「ほー、アビスが好きと。悪魔だからか?」

 

「そうかもね」

 

「んで、他には?」

 

 ちょっと考える。一つ思いついた。

 

「あと、犬飼ってる」

 

「おー、ウチにもいるぞ、でっかいのが四匹」

 

「あ、間違えた。犬じゃなくて、クアジット」

 

「クア? 使い魔のあれか? 飼えんのかそれ」

 

「実際飼ってるんだからいいんじゃないの」

 

 よく知らんけど。まさか法には触れていないよな。

 

 テキトーに並べてみたけれど、メアは案外興味深げに聞いていた。つらつらとノートにメモまで取っている。それ、野生動物用の観察ノートなんだけど。まさかルシーズ用のノートまで用意しないだろうな?

 

「ま、こんなトコですかね。なにかゴサンコーになりましたか?」

 

 感情もなく言ってみたけど、

 

「まーねー、フッフッフ」

 

 意味ありげな笑いが返ってきた。でも、こういうときのメアの笑いに意味がないということをわたしは良く知っている。こういうやつなんだよ、単に。

 

「んじゃーよ、今度どっか遊び行こうぜ。テセナも連れて。ルースーちゃんに言っといてくれよ。お呼びでござい、ってな」

 

「言っとくけど、バードウォッチングには行かないと思うよ。あと、誰だよルースーちゃんて」

 

 ルシーズがアウトドア派なのかどうかはまだなんの手がかりもなかったけど、野山で元気ハツラツとしているルシーズの姿は全く想像できなかったので多分それは違うだろうと思う。でも、インドアの教会で会うときにもルシーズがなにに興味があるのかを知るすべは全然なかったから、結局のところどうなのかは分からない。ルシーズが読書をしているところも、ゲームで遊んでいるところも見たことがない。教会での会話はいつもダラダラとした中身のない会話ばっかりだし、大体いつも、ぐでーっとした二匹の猫が寝転んでいるだけのような感じだったから。

 

 ふーむ。

 

 そう考えてみると、わたしはルシーズに対してちっとも前進していなかったのかもしれない。今の距離感のままで過ごすことに慣れてしまって、そこから新たになにかを生み出すことは考えていなかった。それがルシーズとの付き合いの中での、わたしなりの一番だと思っていたから。

 

 前に踏み出してみることが更なる飛躍を生み出すのかどうか? 普通ならそれは向上心と呼ばれるもので、推奨されているものだろう。

 

 でもルシーズとわたしの関係性の中で、それが果たして未来に光明をもたらしてくれるものになるのかどうか。逆に、わたしたちのささやかな平和協定にヒビを入れる諸刃の剣になりはしないだろうか。

 

 それが、ルシーズとわたしの……。

 

 そこまで考えたけど、やめた。

 

 なんだか世界の一大事について悩んでいるみたいになっているな。

 

 そんなに深刻に考えてもしょうがないような気もする。ただ友達と一緒に遊びに行きませんかと誘ってみるだけのことだ。嫌なら断るだろうし、いいならオーケーをもらえる。それだけのこと。

 

 向上心か……。

 

 改めて、自身のことを考えた。

 

 わたしの辞書に、そんなのあったかな。

 

 始めてみなければ分からないこともある。なにもしないよりは、そっちの方がいいのかもしれない。

 

 わたしがこの「遠征」で得たものは、そんなところだった。

 

 

 

 

「そんで結局、四時間くらいそのままだった。途中から寝ちゃったけど」

 

 月曜日。わたし達はいつもの教会にいた。二人とも嫌いな月曜日にいつにも増して、ぐでーっとだらけている。寒さは確実にこの教会内にも浸食してきていて、寒さ対策のわたしのマフラーは欠かせなくなってきていた。

 

 それに今ではルシーズもマフラーをするようになっていた。わたしは寒がりだからいいとして、ルシーズの方はこの程度の寒さならへっちゃらだと言いそうなのに。

 

 それはなんとなく、この間わたしがルシーズの首にマフラーを巻いてあげてからの行動のように思えるのは気のせいだろうか。

 

「そう。ふーん」

 

 土曜日の遠征の話をしてみたけれど、ルシーズの方は相変わらず興味なく聞いているといった感じ。その一方で、チラチラと覗き見てくるような興味の片鱗をその言葉の奥に感じるのがルシーズの特徴といったところ。だから結局のところ興味があるのかないのか、それはわたしにもイマイチ分からなかった。

 

 金曜日にメアにバードウォッチングに誘われたあとルシーズに教会でその話をしたけれど、そのときもルシーズは特に興味がなさそうな反応だった。一緒に誘ってみようかとも思ったけど、そのときはなんとなく言葉が出てこなかった。

 

 ルシーズとアウトドアがどうしても結びつかなかったということもあるし、それにまだ、期が熟していないような気もしたから。ルシーズに対しては、もっと段階を踏んでから物事を進めた方がいいんじゃないだろうか。そう思っていた。

 

 そのあと、遠征の中でメアから改めてルシーズの話題を振られて、そこでようやく、わたしの中にちょっとした向上心が芽生えた。それはやっぱり諸刃の剣のような気もするけれど、わたしとルシーズとの関係性がもう一段階向上するというのなら、賭けてみる価値はありそうに思えた。やっぱり停滞しつづけていては、未来は生まれてこないのだろうから。

 

 そんなことを思いつつルシーズの横顔を覗き込んでいたら、ルシーズがこちらを見て目が合った。瞬間、ハッと目を逸らされる。例によって頬が赤い。見つめ合う二人はお嫌いですか?ルシーズさん。

 

「で、キツツキ、見れたの?」

 

 ごまかすように質問してくる。これもルシーズの生態の一つ。

 

 って、これじゃわたしまでメアみたいだ。観察日記でも付けているわけじゃあるまいし。

 

 ルシーズさん観察日記。

 

 ちょっと面白そうで笑えた。

 

「最後にねー。いきなりメアのやつが吠え出して。おうおうおう、って。どした? と思ったら、その鳥が飛んで来てて。結構フツーの鳥だったけど、デカかった」

 

「ふーん」

 

 また素っ気ない返事。こいつめ、そっちから振っておいて。

 

「おみやげに焼き鳥でも持って来た方が良かったでしたか」

 

 ちょっと反撃してみる。これもまあ、いつものこと。

 

「肉は嫌い。ってか、そういうジョークはやめて」

 

 これもまたいつもの切り返しだった。ってか、肉は嫌いなのか。初めて知った。

 

「すいませんね、ガサツなもので」

 

 そう言いながらルシーズの足をポンポンと叩く。

 

「ガサツついでに、いいですかね」

 

 返事を待たずにルシーズの膝に頭を乗せた。お昼は済んでいたので、必然的に睡魔という別の悪魔がわたしに襲いかかってきていたから。夜更かししているわけでもないのに、なんでこんなに眠いんだ。

 

「今度はわたしが膝枕したげるからねー」

 

 寝ぼけたような声で言ってみた。けどそう言いながらも、「それだとわたしが寝づらいな」などという極めて自分勝手なことを思ってもいたのだけれど。

 

 そのまま、まどろみ始める。やっぱりルシーズの太ももはいいもんだ。

 

 って、ちょっと変態っぽくなっている気がするな。まあいっか。眠いし。

 

「あー、そんでね、またメアに誘われたんだけど」

 

 横になってしばらくして思い出した。同時に、膝枕でこの話をするのはこれで二回目だということも思い出す。やっぱりわたし進展してないな。

 

 でも一応、ルシーズに対しての前進というやつを試してみようと思っていたわけでもあるし、ここでの提案はやっぱりわたしにとっての一定の向上心であることには違いないだろう。

 

 大分寝ぼけながらの前進ではあるのだけれども。

 

「みんなで一回、どっか遊びに行こうって。大袈裟なものじゃなくて、テキトーに」

 

 ルシーズの反応を見るため目を開ける。ルシーズと目が合って、今度は上に視線を逸らされた。わたしの寝顔はそんなに面白いのか。

 

「そうなんだ。へー」

 

 心が全くこもっていない返事が返ってきた。ちゃんと聞いていたのかも怪しい。

 

「一応、アウトドア系はやめといて、って言っといたんだけど。ルシーズ好きそうじゃないし。わたしももう、バードウォッチングだけはお断りだけど」

 

 再びルシーズの反応を観察する。ルシーズはちょっと考え込んでいるみたいだった。

 

 即答で断ってくるという選択はどうやらないみたいなので、これなら脈はありそうに思える。

 

 みんなで遊ぶという提案をルシーズが受け入れてくれることは正直あんまり期待できないと思っていたので、ちょっと意外だったけれど。

 

「別に私は、どっちでもいいんだけど……」

 

 上を向いたままルシーズが応えた。首疲れない? それ。

 

「アウトドアでもインドアでも、ってこと?」

 

「そう」

 

 って、どっちでもいいのかよっ。これでもわたしなりに、ルシーズの好みに合わせて大分気を配ったつもりだったんだけど。ええい、この悪魔っ子め。世話を焼かせやがる。

 

「ってか、それって遊び、オーケーってこと?」

 

 肝心要なことを聞いてみた。拒否しないということは、つまりそういうことでいいのか?

 

「……まあ、いいけど」

 

 普通にオーケー。案外あっさり受け入れてくれたな。

 

 拍子抜けというか、なんというか。

 

 やっぱり、わたし一人が変に意識してしまっていただけだったみたいだ。そう思うと、今まで一体なにをこんなに考え込んでいたのだろうと自分が滑稽にさえ思えてくる。

 

「そうかそうか。いいね」

 

 安堵の溜め息のように漏らす。大分、紆余曲折のようなものはあったけれど、取り敢えずわたしの『向上心』の成果は上々だったから良しとしよう。

 

「……ジェイラが一緒なら、あとは別に」

 

 油断しきっていたところに、不意打ちを受けた。

 

 こんな不意打ちはずるい。

 

 これじゃ、あなたのことが目的ですと言っているようなものじゃないか。告白の言葉じゃあるまいし。

 

「それはどうも。わたしも、ルシーズさんが一緒なら」

 

 言っててなんだかわたしまで赤くなってきてしまった。

 

 これはいかん。ちょっと恥ずかしい。

 

 しかもわたしは今ルシーズに膝枕までしてもらっているのだから、余計だ。

 

 ここで飛び起きるのも不自然極まりないような気がしたので、取り敢えずこのまましらばっくれていることにしよう。

 

「じゃー、メアに言っとくよ。あと、テセナも来ると思うから。こないだの伝話の子」

 

「分かった」

 

 追加の情報だったけど、ルシーズは特に抵抗なく受け入れているみたいだった。というより、別に興味もないといった感じだったけど。かわいそうなテセナ。

 

 ともかく。やれやれ。

 

 これで一段落というものだ。

 

 なんだか無駄に神経を使ってしまったような気がする。

 

 変に胸までドキドキしてしまったし。

 

「詳細は追って連絡します」

 

 再び目を閉じて、事務的に報告した。

 

「お願いします」

 

 ルシーズの声が降ってくる。確かに感じる足のぬくもりとは別に、その声はなんだか心ここにあらずといった感じがした。

 

「ルシーズー」

 

 急に閃いて、声をかける。

 

「はい」

 

 また敬語。前にもこんなことがあったな。その基準はなんなんだ?

 

「その前に、今日二人で遊びに行きましょうか」

 

「え?」

 

「遊びっていうか、単にこのあと町行くだけだけど。別に用はないけど、なんか買って食べたりとか、テキトーに。そーいや、ルシーズと一緒に行ったことないなって思って」

 

 これはわたしなりの追加の向上心だった。すでにルシーズをみんなと一緒の遊びに誘うという大仕事を務め終えたわたしだ。今ならなんでもできそうな気さえしていた。

 

「あー、そうだね。たまにはいいかな」

 

 またオーケーの返事。今日のわたしは絶好調らしい。なんでも来いだ。

 

 ってか、「たまには」ってなんだ。「たまには」って。

 

「んじゃー、そういうことで。よろしくねー」

 

 手の指をクイクイと動かして、取り繕いの挨拶を送る。一仕事を終えたせいか、一層眠気が増してきていた。

 

 これはダメだ。チャイムが鳴るまで、また気絶確定だな。

 

 すまんルシーズ。今度はホントに、わたしが膝枕してやるから。

 

 その今度がいつになるかは分からなかったけれど、今はただ、わたしの中での微かな前進を誇って眠りにつくことにしよう。

 

 そんなことを考えて、自然と口元が緩む。

 

 目を開けたら、多分ルシーズがわたしのことを見て笑っているのだろう。寝ぼけた、だらしない猫みたいだと。

 

 それもいいかと今は思った。

 

 

 

 

「あちゃー、雨降ってんじゃん」

 

 教会を出て、恨めしそうに天を仰ぐ。折角のわたしの向上心をあざけるような雨。やっぱり日頃の行いが悪いのか。神様はちゃんと見ていらっしゃる。

 

 放課後にルシーズに起こされるまで、案の定わたしの意識は夢の次元界を旅していた。結構な大冒険だったことをなんとなく覚えている。夢の中でのわたしは、レベルカンストの大司祭だった。現実は……。

 

「折角のお出かけなのに。傘あったよな」

 

 鞄の中を探る。確か入れっ放しの折り畳み傘があったはず。

 

 購買に返すのを忘れていたミルクティーの空き瓶の下に、目当ての物があった。

 

「じゃーん、オリタタミガサー」

 

「知ってる」

 

 ふざけて言ってみたけど、ルシーズの反応は冷たい。ノリの悪いやつめ。

 

 この雨避けの道具もまた、例のノームの発明家集団達の作品だった。手に持つ棒の上に防水の布が広がるようになっていて、頭の上に差して使う。普段は小さく折り畳んでおけるところが便利。魔法の要素は無いけれど、これもまた傑作の発明品の一つとしてすぐに広まった。今までのフード付きマントに比べて手軽なところが受けたらしい。今では、雨の日には大抵の人々がこれを手に歩くようになっていた。

 

「雨は靴汚れるから嫌だよ」

 

「私は結構平気。雨、好きだし」

 

「やっぱりルシーズはアウトドア派なのかね」

 

「そういうことじゃなくて。雰囲気」

 

「雰囲気ねえ。ルシーズは詩人だね」

 

 そう言って傘を広げる。教会の軒先から飛び出した傘の前方に、パラパラと雨粒が当たって音を立てた。

 

「ジェイラには、自然を楽しむ余裕が足りない」

 

「自然か。そうかも。インドア派なもので」

 

 冗談でかわしたけど、ルシーズの反応は無い。こいつめ。

 

「では、自然を楽しみに出かけましょうか」

 

 そう言って歩き出す。出そうとした。けど。

 

「あの、ジェイラ」

 

「ん?」

 

 急に呼び止められて振り返った。

 

「一緒に、いい?」

 

「え?」

 

 なんのことだか分からなくて首をかしげる。

 

 傘を指差すルシーズのことを見てようやく気付いた。

 

「あ、傘か。いいけど、傘持ってないの?」

 

 折り畳み傘なら大抵の学生は常備しているはずだ。わたしまで持っているくらいだから。特にルシーズは日頃から準備を怠らない性格だし、忘れたのだとしたら珍しい。

 

「ある、けど」

 

「あるのかよ」

 

 そんなノリで流したけど、続く言葉は口から出せなかった。「じゃあ、なんで?」

 

 それはなんだか、今は聞かない方がいいような気がしたから。

 

 ルシーズにはルシーズなりに、なにかの心が働いたのだと思う。

 

 わたしには、それがなんなのかは分からなかったけれど。

 

「いいですよ。どうぞー」

 

 ここは軽く流すことにした。別にそんなに気にすることでもないし。休日に、傘を持ってない学生が一つの傘に二人で入っているのは見かけることがある。小さな子供と親の組み合わせなら尚更だ。

 

 制服姿の学生が二人で一緒の傘に入っているのは、確かに珍しいことではあるのだけれど。

 

 まあいっか。

 

「お邪魔します」

 

 そう言ってルシーズが入ってきた。なんだそのセリフは。人ん家に上がり込むときじゃあるまいし。

 

 しかもなんだかコチコチに緊張しているように見えるのは、なにかの演出か?

 

「わたししかいませんから、お気遣いなく」

 

 そう言ってみたけれど、ルシーズの態度は変わらない。

 

「そうします」

 

 コチコチに固まった悪魔が応えた。

 

 どうしようかと思ったけど、まあいいか。好きなようにさせてあげよう。

 

 寛容なわたし。

 

「おーい、もっとこっちこないと濡れるよ?」

 

 左に立つルシーズの身体が半分くらいはみ出していたので、手招きした。自分から言い出したというのに、これじゃ相合傘の意味が薄いじゃないか。雨、全然当たっちゃってるし。

 

「あー、うん」

 

 そう応えたけど、ルシーズの位置はそのまま。

 

 やれやれ、また手のかかるルシーズが飛び出したか。いつそれが出てくるのか分からないのでこちらとしても対応に困ってしまう。

 

 仕方ないやつだ。またこっちから助け舟か。

 

「ほらほら、風邪引くから」

 

 ルシーズの腕を取って手繰り寄せる。傘を右手に持ち替えて、左手でルシーズと腕を組む。そうでもしないと、またどこかへ逃げて行ってしまいそうな雰囲気だったから。

 

「ちょ、平気だから」

 

「だーめ。離しません」

 

 右手で持つ傘をルシーズの方へ傾ける。ちょっと手が疲れるけど、こうしないと二人が一緒に入れないし。

 

「ちゃんと入るから。大丈夫」

 

「ホントだな?」

 

 コクンと頷くルシーズを見届けてから、

 

「よし」

 

 腕を離して、傘を左手に持ち替えた。そして少し身構える。またこの間みたいに、ルシーズの方から再び腕にしがみついてくることも想定していたから。

 

 うーん、どうやら大人しくしているみたいだ。腕を前に組んで縮こまって歩いている。

 

 っていうか、なにをそんなに縮こまる要素があるのか? 全然分からなかったけど。

 

 ルシーズのこういう行動は今までも何度かあったけど、そのたびになにかの違和感のようなものを感じるのは気のせいだろうか。その底に流れる、なにか小さなエネルギーのようなもの。それがなんだかいつも、わたしに向けられているような気がして。

 

 考えてみたけれど、今のわたしにはさっぱりだった。直接本人に尋ねたところで明白な答えが返ってくるとも思えない。言葉を濁されて終わるのがオチだろう。わたしとしても、そこまで追求するつもりもないし。

 

 それはルシーズの心の鋭敏な部分だと思うし、ルシーズとしても、人にあれこれ踏み込まれたくない領分だろうと思う。

 

 こういうときは保留に限る。いつか答えを知るときがくるかもしれないし、忘れていくだけかもしれない。それは、そのときになってみれば分かることだ。

 

 結局、繁華街までの道のりの間中、ルシーズの姿勢は変わらなかった。まあ、すぐまた口の減らないルシーズが復活してくるだろうからそんなに気にすることもないかと思う。

 

 取り敢えず傘には入っているし。今はこれでよしとしておこう。

 

 

 

 

 雨に煙る町並みというのは、なにか不思議なものを感じる。いつも見慣れた町が、なんだか別の世界のように思えて。

 

 雨がなにかを運んでくるのか、なにかを洗い流していくのか。

 

 あるいはその両方か。

 

 行き交う人々の足取りからは、その答えを窺い知ることはできない。

 

 いつもの繁華街の大通りに入っていく。この大通りも含め、この町の通りだけは敷石できれいに舗装されていたので、雨が降ってもぬかるむことはない。でも、町の区画をちょっとでも離れれば、すぐにぬかるみの泥道。わたし達の靴もすでに泥にまみれていた。さすがのルシーズでも長靴までは常備してはいなかったし。これでリュックから長靴が出てきたら、それこそ魔法のリュックサックだろう。

 

 雨に煙る通りを、発着場から出発した馬車が勢いよく駆け抜けていく。こんな雨の中、お馬さんも大変だと思う。乗合所には個人客用の小型馬車も待機していて、それに乗っていく人も多く見られた。

 

「あれで学校まで通ってるんだよね」

 

 乗合馬車の一つを指差して尋ねてみる。

 

「うん」

 

 ルシーズが小さく応えた。

 

「わたし、乗合馬車って二回くらいしか乗ったことないよ。小さい頃だったから、あんまりよく覚えてないけど。でも、なんか楽しかったような気がする」

 

 そう言って、ふへへと変な笑い方をしてみせる。

 

「別に楽しいと思ったことはないけど。人だらけで」

 

「そんなもんかね。やっぱり思い出は美化されるもんだ」

 

 はあ、と溜め息をついて、幼年時代の幻想から戻ってきた。

 

「現実はこれ。お金ばっかりかかる」

 

 ルシーズがそう言って馬車の定期券を見せてきた。動物の角を薄く削って作った白い板に、緑色の文字が刻みこんである。全体を黄色い革のパスケースで覆ってあった。

 

「毎月、シリル金貨4枚」

 

「たっかっ」

 

 思わず感想が飛び出した。馬車ってそんなにするのか。乗らないから知らなかった。

 

「親が出してるんだけど、なんか悪い気もしてる」

 

「じゃあ、ちゃんとお勉強しませんとねー」

 

「ジェイラには言われたくない」

 

「これは手厳しい」

 

 あはははと笑ってごまかした。それと同時に、ルシーズがまたしゃべるようになったので少しホッとしてしまう。口の減らないところも復活。特に話すこともないまま傘の中を二人で歩いてきたので、正直助かった。

 

 教会でサボってるときならいいけど、こういう沈黙はあんまり歓迎できない。息のつまる感じがして。ルシーズがどう思っているのかは分からないけれど、少なくとも楽しそうには見えなかったし。

 

 取り敢えず、解決。やれやれ。これで何度目の『やれやれ』だろうか。

 

 まあ、メアの『一生のお願い』よりは少ないだろうけど。

 

 そのまま、大通りを乗合馬車の発着場の方まで歩いていく。発着場の周りには馬車利用者を狙った店が数多く並んでいて、特に今の時間ではわたし達のような学生が数多く出歩いていた。この時間は馬車利用者のうちのほとんどが学生だったから。

 

 うーん、やっぱり相合傘で歩いているのはわたし達だけみたい。しかも、違う制服だし。

 

 ちょっと視線を感じることもあったけれど、そこまでジロジロ見られているわけでもなかったからそんなに気にすることもないか。多分ルシーズみたいな悪魔種族の者が珍しいせいもあってのことだと思うし。

 

 ルシーズはいつも一人で、こんな視線を感じていたのだろうかと少し思った。

 

「なんか食べよっか」

 

 お菓子屋さんの前を通って提案してみる。お昼からは大分経っていたので、小腹が減ってきたといったところだった。これだから痩せられないんだけど。

 

 軒先に入って傘を畳む。店頭のショーウィンドウの中には、色取り取りのお菓子が並んでいる。ケーキにパイに、マフィンにマカロン。『シャトランデルデ』という店名の書かれた小さな紙製のタグが、お菓子の上に直接刺さっていた。毎回思うけど、これ邪魔だよね。食べられるならまだしも。

 

 おしゃれ感のないわたし。

 

「ルシーズはどれがいい?」

 

 眺めながら、隣のルシーズに尋ねる。

 

「あー、別にどれでも」

 

「こーら、ちゃんと見て決めなさい」

 

「ジェイラが決めてから決める」

 

 別に、好きなものを選べばいいのに。そう思ったけど、ここは従うことにした。

 

「しょうがないな、じゃあ……これがいいかな、バウムクーヘン」

 

 かなりベタな選択だったけど、わたしは妙にこれが好きだったし。

 

「私もそれ好き」

 

「へー、じゃあ同じのにする?」

 

「いや、違うのにする」

 

「なんでだよっ」

 

 突っ込みを入れる。わたしと同じは嫌なのか。こいつめ。

 

「これがいいかな。フィナンシェ」

 

「おしゃれだねえ、さすがお嬢様」

 

「やめて」

 

 ルシーズが脇腹をつついてくる。わひゃと声が出た。前にもこんなことがあったような。

 

 会計を済ませて商品を受け取る。そのまま店内で食べようかと思ったけど、席はすでに学生達で一杯だった。だから仕方なしに、並びの建物の軒先に立って食べることにする。流れる馬車の駆ける姿を眺めながら食べるバウムクーヘンというのも、なかなかオツなものだし。

 

 ルシーズと二人、並んでお菓子を頬張る。わたしは結構お腹が空いていたのでバクッとかぶりつく感じだったけど、ルシーズの方は一口一口が小さい。容姿の端麗さも相まって、上品に食べるその様子は本当に躾のいいお嬢様みたいな感じがした。

 

 けれどわたしは、教会でだらけるルシーズの姿を知っている。わたしだけが知っているルシーズの姿といった感じがして、変に心落ち着くものがあった。

 

「ルシーズって、学校の成績どうなの? 正直」

 

 食べながら、不意に思いついて聞いてみた。いや、思いついたのは急だったけど、これは結構前から聞いてみたいと思っていたことだったから。

 

「なに、急に」

 

「いやぁ、そろそろわたしも、進級が危ないかもって」

 

「あー、そうだね」

 

 もう冬も近いし、二学期もそろそろ終わりになる。つまり試験と進級という、学生ならではの極めて一般的な問題に直面する時期が迫っていた。授業をサボってばかりのわたしにとって、それは頭の痛い現実だったから。

 

 試験だけなら一時しのぎの詰め込み勉強を頑張ればなんとかならないこともない。でも、授業日数だけはごまかしきれない。

 

 正直、わたしの授業日数がどれだけ足りてないのか、自分でも分からなかった。でも、本当にやばかったら担任から親に連絡が行く。まだその話は聞いていなかったから多分大丈夫なんだとしても、この辺りがギリギリの水準なのかもしれないことは感じていた。これで留年なんかしたら冗談じゃなくやばい。追放呪文で異界に飛ばされかねなかった。

 

「私は成績は良いから」

 

 ルシーズが涼しげに言ってのけた。

 

 マジかーっ、と心の中で絶叫するわたし。

 

「マジかっ」 

 

 実際声にも出た。まるでおバカなキャラになっている気がするけど。

 

「マジで」

 

 得意気に言って返された。こいつめー、なんて嫌味なやつだ。

 

「勉強教えてあげよっか」

 

「それは是非とも。いや、ホントに頼む」

 

 嫌味だとかなんだとか、この際言ってもいられない。ここは素直になって本当に教えてもらった方が得策だと思った。テセナに勉強を教えてもらうこともあるにはあったけど、テセナは部活動に忙しくていつも教えてもらうわけにはいかない。その点、ルシーズなら理想的だ。部活なんてもちろんやってないだろうし、お互いの家もそこそこに近かったから。

 

 ルシーズの意外な活用方法を発見。

 

「なにが苦手科目? ジェイラは」

 

「あー、数学が特に。さっぱり」

 

 全部苦手、とはさすがに言えなかったので、一番ダメな教科を言ってみた。数字は本当にだめなわたし。なにしろあのメアより成績が悪かったのでこれはマズイなとは常々思っていたのだけど。

 

「数学は得意。一学期と二学期はみんな100点だった」

 

 マジかーっ、と心の中で絶叫するわたし。

 

「マジかっ」 

 

 声にも出る。だからおバカキャラだって、これじゃ。

 

「マジで」

 

 涼しげに返された。

 

「ジェイラはどうだったの?」

 

 それは聞かないでくれっ、と言いたいところだったけど、勉強を教えてもらうのに支障になっても困るので一応正直に言うことにする。

 

「……全部、20点くらい」

 

「赤点ですね」

 

「分かってます」

 

 なんだこの辱めは。このサディストめ。やはり悪魔だからか?

 

「要点を押さえていけば大丈夫。他の教科でも」

 

「よろしくお願いします」

 

 その瞬間、ルシーズとの間に教師と生徒の主従関係が生まれた。

 

「まあ、頑張っていこうか」

 

「お世話になります」

 

 お菓子を食べ終わってまたブラブラと歩き出す。その手には、ルシーズから渡されたアビスが握られていた。ルシーズと二人、並んでアビスを流し込む。アビスのなんとも言えない微妙な味わいが、口の中の甘さを洗い流していった。

 

 例によってルシーズはまたわたしの傘の中に入っている。今はわたしの方が格上だぜ、などとおバカなことを一人で考えている自分がいて、すぐに思い直した。これじゃまるっきりメアだよ。

 

 二人で町を軽く見回す程度の企画だったからそんなに本腰を入れて回ることもなし。みんなで遊びに行く前の予行練習みたいなものだったし。そもそも、学生二人で見て回るようなお店も限られていた。やっぱり繁華街といえども、田舎町であることには違いない。

 

「ねえルシーズ、成績はいいとしても、授業日数足りないとやばいよね」

 

 おもちゃ屋の店頭に吊られた木彫りの人形を手で揺すってみながら切り出した。実際のところ、わたしはそれが言いたかったのだ。思わぬことで成績のほうがクローズアップされてしまったわけなのだけど、本来の問題はそっち。このままサボりを続けるわけにもいかないわけで。

 

「そう、だね」

 

 ルシーズの返事は、なんとなく元気がないようだった。横目で見てみる。ルシーズは伏し目がちに、ぬいぐるみの山を眺めていた。

 

「ジェイラは、どうするつもり?」

 

「え、なにが?」

 

「その、私との……いや、教会のサボり」

 

「ああ、教会ね。うーん、実際、キビしいからなぁ」

 

「……そうだよね」

 

 本題の話になった途端、ルシーズはちょっと寂しげになった。その理由は大体わたしにも分かった。前にも思ったけど、ルシーズにとってわたしとのあのささやかなサボりの時間はそれなりに大事なものであるわけなのだ。それがなくなれば、やっぱり寂しく思うだろう。

 

 それはわたしも同じだった。これまで築いてきた世界が消えていってしまう気がして。

 

 教会での会合がなくなれば、必然的にルシーズと過ごす時間も減ってしまう。それは確かに、わたしにとって寂しいことだった。

 

 ふっと、思いが込み上げる。

 

 それを払拭するかのように。わたしの口が動いていた。

 

「……じゃあ、こうしよっか。ここで待ち合わせる」

 

「え?」

 

 わたしの急な提案に、ルシーズがきょとんとして振り返る。

 

「教会で会うのはやめにして、ここで会おうよ」

 

「ここ?」

 

「この町の、乗合馬車のところでさ。ルシーズが学校から帰ってくるの待ってるから。それならいいんじゃない? そのまま遊べるし」

 

 へっへっへと笑って言った。

 

 これが今のわたしに出せる精一杯の答えなのだと思う。頭をひねったところで、もっといい答えが見つかるとも思えなかった。だから一番シンプルに、ひねりのない答えを出してみた。

 

 自分の心に正直に。

 

 ルシーズの心に正直に。

 

「学校行って帰ってくるのって、四時頃でしょ? 馬車で二十分くらいって言ってたから。だからー、四時くらいにここにいるよ。テキトーにブラブラしてるから」

 

「いいの?」

 

 喰いつくようにルシーズが反応する。

 

「いいよ。それもなんか楽しいじゃん」

 

「そうだね」

 

 ルシーズがちょっと笑みを浮かべた。上々の結果だ。

 

「だからさ、勉強の方もよろしく頼むよ」

 

「じゃあ、どっちかの家で一緒にやる?」

 

「それいいね。お互いの家で」

 

 なんだかトントン拍子に事が進んでいくな。これもやっぱり、向上心の賜物というやつなのだろうか。わたしは今、確実に前進している。

 

「なーんか、急にマジメちゃんになっちゃったね、わたし達」

 

「私は元から真面目だけど。ジェイラが不真面目なだけ」

 

「真面目は教会でサボらんだろ」

 

 雨の降りしきる街の中。同じ一つの傘の下。二人で顔を見合わせて笑いあった。

 

 

 

 

 日が傾いていく。夕暮れが迫っていた。

 

 わたし達のささやかな外出は、小さな前進と共に終わろうとしている。この一歩は小さな一歩だ。だけどわたしにとって、偉大なる一歩だ。どこかの本で読んだ異界の名言を引用してみたけど、それはいくらなんでも大袈裟すぎるか。

 

 わたしの前進の方はいいとして、やっぱりこの町で見るものは少ない。初見でも三十分も歩けばネタに詰まってしまうほど。ウィークデイに教会の代わりにここで会うとは言ってみたけれど、実際ここで毎日時間を潰すのはどうなんだろうか。

 

 結局のところ、シャトランデルデの客席でくつろぐか、龍屋の本コーナーで雑誌でも読んで過ごすことになりそう。あるいは、ゲームセンターでコインゲームでもして遊ぶか。お金かかるし、やめとくか。

 

 まあ、そんなに悩むことでもないだろう。三十分程度ならテキトーに過ごしてればすぐ経つのかもしれない。

 

 っていうか、ルシーズはいつも一人でどう過ごしていたんだろう? 後で聞いてみよう。こういうときはパイオニアに学ぶに限る。まさかアナグマの食糧問屋で過ごしてるんじゃあるまいし。

 

「急にマジメに授業受けたりしたら、みんな驚くかもね、ルシーズ」

 

 ルシーズに当てて皮肉っぽく言ってみた。っていうか、それはわたしも同じだったんだけど。

 

 でもルシーズの方はわたしよりもよっぽど授業をサボっていたから、わたしの方にそう言う権利があるはずだ。

 

 って、こういうのを五十歩百歩って言うんだろうけど。

 

「あー、そうだね。そうかも」

 

 ちょっと考えつつ、ルシーズが応える。

 

「でもまあ、男子は喜ぶだろうねー」

 

 にへへと笑うわたしに、ルシーズが「なんで?」と聞いてきた。どうやらわたしのセリフの意味が分かっていないらしい。

 

 あんたが美人だからだよっ、と頭を叩いてやりたかったけど抑えた。

 

「あー、あれだ。才色兼備? ってやつ。華が生まれますからね」

 

「そんなことないでしょ」

 

 ちょっとは伝わったらしいけど、やっぱりルシーズに自覚はない。

 

「またまたご謙遜を。モテモテなんじゃないのー」

 

「別に、興味ないし。そーいう言い方はやめて」

 

 ルシーズが口を尖らせてきた。ごめんごめんと軽く謝って流す。

 

 そのまま話を切り上げようとしたけれど、ルシーズの学校生活のことは全く知らなかったし変に興味のある部分ではあった。サボりに繋がるなにかがそこにあるのかもしれなかったし。

 

 これはわたしとしては珍しいことだ。

 

 でも、相手がルシーズなら納得なのかもしれない。

 

「でも、ルシーズならホント、そういうのあるでしょ? その美貌ですから」

 

「だから、美人じゃないって。でも、あー、手紙とかなら良くあるけど。多分、悪魔だからだと思う」

 

 わたしの心を察してか、ルシーズの方も応えてくれた。大分しぶしぶ感が強かったけど。

 

「でも、返事はしたことないし。直接言ってきても断る」

 

「手紙って、もしかしてラブレターってこと?」

 

「そう」

 

 なんてベタな学園モノだよっ。

 

 ってか、良くあるのかよっ。

 

 直接、告られることもあるらしい。なんてやつだ。

 

 これで無自覚って、おかしいだろ。

 

「そう。あははは」

 

 なんていうか、笑うほかなかった。惨敗感に浸っていくわたし。

 

「私のことなんか別にいいって。それより、ジェイラはどうなの? ジェイラこそ、その、美人だから」

 

「はァ? あるわけないじゃん。ないない。全然ない」

 

「彼氏、とか」

 

「できるわけないでしょ、そんなの。どんな物好きだよ」

 

 また笑って流す。同時に悲愴感に浸っていくわたし。誰かわたしを慰めてくれ。

 

「私は、いいと思う」

 

 ルシーズが不意に言ってきた。

 

「いいって、なにが?」

 

「ジェイラと……、こぃ……いや、あー、まあそんなところかな」

 

 どんなところ? 言っている意味が分からん。

 

「なんか分からんけど、どうもありがとう」

 

 なんとなく褒められているような気がしたから、取り敢えずお礼を言っておいた。

 

「うん」

 

 モテモテの悪魔の顔が、また赤くなっている。

 

 その顔を見ていて、なんとなく思った。

 

 ひょっとして、「いい」ってそういうことなのか? わたしのことが「いい」ってこと?

 

 それはどういう……そこまで考えてやめにした。

 

 いやァ、そんなはずはないだろう。

 

 ルシーズが、そんな。

 

 ないない。

 

 まさかね。

 

 

 

 

 雨は相変わらず続いている。これはしばらく、やみそうもないだろう。

 

 時刻は十六時を大分回っていた。いつものルシーズが帰路に着くのもちょうどこの頃だから今日はこのへんで引き上げることにしようか。わたしがそう提案するとルシーズの方もそれで了承した。

 

 ルシーズはさっきからまた黙りがちになった。わたしの方もそれに合わせて、特に話題を振ることもなく歩いていく。

 

 短い間に良くしゃべったり黙ったり。全く忙しい子だ、ルシーズは。

 

 でも、今日は大きな収穫があったと言っていい日だった。それだけでも、目ざましい進展といっていいだろう。

 

 思いもかけない家庭教師までゲットできたし。

 

「ルシーズ、早速明日から午後の授業受ける?」

 

 明日の確認。ここでまたサボったりサボらなかったりでは、折角の決心が揺らいでしまうことになる。こういうことは踏ん切りが大切だ。

 

 そのためにも、ルシーズの支援は欠かせなかった。一人では大変なことも、二人一緒ならより強い団結になるし。ルシーズならその相手として打ってつけだった。

 

 なにしろ、『元』サボり仲間だし。

 

「あー、そうだね。そうする」

 

 ルシーズがそう言って、チラッとこっちを見てくる。目が合って、また視線を前に逸らされた。

 

「またすぐサボるなよー」

 

「ジェイラさんには言われたくないですね」

 

 冷静に返される。よしよし。こういう反応ならこっちも安心だ。

 

「わたしたちの『別荘』にも、しばらくお別れか。なんか寂しい」

 

「まあ、そうかも」

 

 教会のことを考えて、一つ思い出す。

 

「あ、メイスの道具、ベンチに置きっ放しだった」

 

「別にいいんじゃない。誰も使わないだろうし」

 

「それもそうか」

 

 あっさり納得する。ごめんメイス。また今度会いにいくからね。

 

「じゃあ、わたしたちの真面目学業、復帰を祝って」

 

 ややふざけ気味にそう言って、左に立つルシーズに右手を差し出した。わたし達のささやかな同盟に握手と行こうというわけだ。でも。

 

「ん? どうしたの?」

 

 差し出した手を見つめたまま、ルシーズが固まっている。口を小さく開けて、ポカンと眺めている感じ。突如現れた目の前の意外な光景に、どうしていいか迷っているようにも見えた。

 

 そんなにおかしなことをしてるかな、わたし。ただ握手を求めただけなんだけど。

 

「よ、よろしくお願い、しまふぇ」

 

「ふぇ? なにそれ。舌噛んだ?」

 

 言いながら、わたしの手を取るルシーズの手を上下に振って握手する。ルシーズはなんともよく分からない表情をしていた。わたしの手はそんなに奇妙なものなのか?

 

 まあいいか。別にそのままなにも考えずに握手して、手を離そうとした。

 

 けれど。

 

 ぎゅっ……。

 

 指先の離れるその瞬間。わたしの手をルシーズが再び握ってきた。

 

 一瞬、もう一度握手? と思ったけど、そういうことじゃなかった。

 

 愛おしさを表現するかのように、ぎゅっと。力を入れて。

 

 えーと。これは。

 

 どうしたらいいやつ?

 

 ルシーズに問いかけようとしたけれど、ルシーズはうつむいて下を見ている。その口からなにかが語られることもない。顔は真っ赤に染まっていた。

 

 これって、えーと。

 

 あー、うん。

 

 考えてみたけれど、理由が思いつかない。

 

 そこで急に。本当に、ハッと。さっきのことを思い出した。

 

 わたしのことを「いい」と言っていたように思えた、さっきの。

 

 真夏の入道雲みたいに思いが湧き起こってくる。

 

 ひょっとして、ルシーズがわたしのことを……。

 

 ……好きだって言い出したら?

 

 どうしよう。

 

 ルシーズの方を見ることができなかった。そんなことはないだろうと自分に言い聞かせる。でも、あの顔の赤さはどう説明すればいいんだろう。

 

 今までもこんなことは度々あったけれど、それはただルシーズのおかしな行動として片づけてしまっていた。

 

 それが実はみんな、そういう気持ちから生まれていたものだったのだとしたら……。

 

 本当にどうしたら?

 

 自分なりに考えをまとめようとしてみる。

 

 仲の良い女子同士なら、手をつないで歩いている学生二人を見ることはある。多分なんの抵抗もなくそうしているんだろうけど。

 

 でもわたしが実際そういうことをするのは、やっぱり抵抗があった。なんとなく幼い気がして気恥ずかしさもあったし、仲が良いことを周りに公表して歩いているようで、それはどうなのかとも思っていた。

 

 ルシーズはそういうことに抵抗がないということだろうか? ルシーズのことはまだまだ全然知らないことばかりだったし、わたしがそれを知らなかったとしてもおかしくない。普段のルシーズの様子からはそういう感じはしなかったけれど、それはただわたしが勝手にそう感じているだけなのかもしれなかった。

 

 そうだ、多分そういうことなのだろう。ルシーズのイメージからは意外だったというだけで、それはただ、わたしの中の思い込みに過ぎなかったというだけのことなのだ。

 

 でも……。

 

 ルシーズとは馬も合うし、一緒にいて心落ち着くものがある。

 

 色んな反応も見られて、それも楽しいと思っている。

 

 でも、こういうのはどうなんだろう?

 

 考えてみる。

 

 誰かと過剰に仲良しになるというのは、わたしが求めているものではないような気もする。

 

 でもルシーズとだったら、それも悪い気はしないような気もする。

 

 でも、仲良し以上になるというのは……。

 

 正直、今のわたしに出せる答えではなかった。

 

「あー、えと、ルシーズ?」

 

 結局、口から出た言葉はそれだけだった。なにかを聞こうとしても、適当な文章が思いつかなかったから。

 

「あ、嫌ならやめる」

 

 ルシーズが、あたふたと言ってきた。

 

「嫌、ではないけど」

 

 んー、と考える。ここは素直に考えてみることにする。

 

 ルシーズと手をつないで歩くのは、正直、嫌ではない。これがメアやテセナなら、それは勘弁してって断るだろうと思う。メアやテセナとは、そういう類の友人関係じゃないから。

 

 でも、わたしの中でルシーズは特別な友人関係ではあった。出会いも特別なら、付き合い方も特別だし、求めるものも特別だった。

 

 だから、こういう特別もありなんじゃないかと思う。仲良し以上だとか、ルシーズの気持ちが実は……とか、そういうのは後回しにして考えてみようと思う。

 

 まあ、ちょっと抵抗はあるけれど、それがルシーズのスタンダードなら、それをわたしの中のスタンダードに加えてしまってもいいんじゃないか。

 

 今は、柔軟に考えてみるのが一番なのかもしれない。

 

「ごめん。困ったかな」

 

 ルシーズが横目でこちらを見て言ってきた。

 

「うん。困った」

 

 素直に言ってみる。ちょっと意地悪だと思ったけど。

 

「あ、やっぱやめる」

 

 ルシーズがそう言って手を離そうとしたけれど、

 

「いいよ、このままで。あったかいし」

 

 こちらから手を握り返した。ルシーズの手は、この冷たい雨の中でも異質なほどに温かい。それは、ルシーズのその体温の上昇のせいか。

 

「なんか、ごめん。急に」

 

「謝んなくていいよ。ちょっと意外だったけど、ルシーズがいいなら、それで」

 

「すいません」

 

「また謝ってる」

 

「あ、ごめん」

 

 傘を左手で差した状態で左側のルシーズの手を右手で握るのは非常に不安定な格好になるので、ルシーズに右側に来てもらった。これなら傘をルシーズの方に差し出す形にすれば、手をつないでいてもそれほど不安定じゃない。

 

 改めて、わたしの右手とルシーズの左手をつなぐ。ルシーズは左利きだったから、右利きのわたしとお互い利き手の方をつなぐ形になって、つなぎ易くなった。

 

 相合傘に、手つなぎか。

 

 周りをちょっと意識してしまう。

 

 これじゃ本当に、そういうカップルに見られかねないな。

 

 ……そう思ったけど、ここは潔く開き直ってしまおうか。どうだ、こんな美人と付き合ってるんだぜ、うらやましいだろ。

 

 って、これじゃただのエロオヤジだよ……。

 

 

 

 

「えーと、で、明日は学校でいいわけだよね」

 

 さっき尋ねた質問を繰り返した。なんだか色んなことが矢継ぎ早に通り過ぎていったような感じがして、自分の質問の内容すらほとんど忘れてしまっていたから。

 

「大丈夫、ちゃんと授業出るから」

 

 ルシーズの方も、念を押すように応えてきた。そういえば、そう言ってたよな、うん。

 

「教科書忘れるなよー。って、わたしもちゃんと準備しなきゃね。優等生は大変だ」

 

 うんうん、と冗談めかして流してみる。横目でルシーズの反応を確かめてみた。

 

「大丈夫、学校の机に全部入ってるから」

 

「入れっ放しかよ。なんでそれで成績いいの」

 

「テストのときは持ち帰るし」

 

 いつも持ち帰っているわたしが成績さっぱりなのはなぜなのだろう? 神様は意地悪だ。

 

 それはいいとして、いや、よくないけど……またいつものやり取りに戻っているのを確かめて妙にホッとした気持ちになる。

 

 他愛のない会話。いつものやり取り。

 

 そこに戻ってくれれば、わたしの方も変な気持ちを膨らませなくて済む。

 

 それでも確かに違うのは、右手に伝わるルシーズの温度だった。

 

 母親に甘える小さな子供のように、その手が小さく脈動しているのが分かる。普段のルシーズの手も、こんなに温かいのだろうか。

 

 この手の温もりは、本当にどこへ向かっているのだろう。

 

「じゃあ、わたしもちゃんと授業出て、それで四時に馬車乗り場のところに行ってる。ひょっとしたらシャトランの軒先にいるかもだから、一応そっちも見て」

 

「分かった」

 

 ルシーズが小さく応える。ちょっと嬉しそうに見えたのは気のせいではないと思う。

 

「まあ、いなかったらトイレかもだから、ケータイで呼んでいただければ」

 

「なんかそれ、ムードないね」

 

 呆れたように言われてしまった。ムードが必要なのか?

 

 うーん、どうなのだろう。ここは、あははと笑って流すことにする。

 

「それで、期末も近いことだし、早速教えて頂ければ幸い」

 

 ムード云々は置いておいて、現実的な話題を振ってみた。

 

「勉強?」

 

「そう」

 

「じゃあ、これからやる? ウチでもいいけど。どっちでも」

 

「あー、ちょっと今日は。明日でいいよ。ほら、準備も必要だし」

 

 早速誘われたけど、今日はなんだか気持ちがグルグルしてしまって、とても勉強が手につかないと思う。ここは取り敢えず、気持ちの整理というものが必要だ。深呼吸して、体操でもして、お風呂入って。それで一晩寝れば、明日には多分元通りになっているだろう。と思う。

 

 わたしは昔から、切り替え早いし。

 

「準備がいるのかな」

 

 ルシーズが不思議そうに尋ねてきたけど、

 

「心の準備ってやつでして」

 

 変に笑ってごまかした。あんたのせいだとは言いづらい。

 

「ふーん、じゃあ、明日ね。数学でいい?」

 

「はい、よろしくお願いします」

 

 敬語で返してみた。一応わたしは、あなたの生徒ですから。

 

 とにかく、これで明日の予定は立ったわけだ。あちこち寄り道はしてしまったけれど、結果わたしの提案は全て現実のものとなった。午後の授業も出て、町で待ち合わせして、そのあと勉強会。思い返してみれば、なんてことはない。ただこれだけのことなのだから。

 

 なんの変哲もない、学生の日常行動。でも相手がルシーズになると、それらがなんだかみんな大事のようなものになってしまうことが多い。それはやっぱり、ルシーズとの友人関係が特別だからだと思いたい。特殊、といった方がいいかもしれない。ルシーズの一つ一つの行動が特殊であり、わたしの対応もまた特殊なのだ。

 

 それはルシーズの人格というか、性格から来るものだと思っていた。でも今日、わたしの中に影のように湧き上がった思いが、それに割り込む形になった。

 

 改めて考えてみたけれど、やっぱりそれはないと思いたい。ルシーズについて知らないことが多いから、結果としてわたしも、未知なることに対して必要以上に反応してしまったというだけのことなのだと。

 

 ルシーズが親しい友人に対してこういったことをするのは、言ってみれば当たり前のことなのだろう。でもそこにちょっと気恥ずかしさのようなものもあって、それが態度に出たり顔に出たりする。ルシーズはそういうやつなのだ。それがルシーズなのだ。

 

 そう思ってみれば、うん、なんてことはないじゃないか。

 

 わたしはなにを過剰に考え込んでいたのだろう。逆にこっちが照れ臭くなった。

 

 それとも、実はわたしの方がルシーズにそういうことを求めていたのかも……。

 

 考えてみたけれど、いや、それはない。

 

 ないでしょ。なんでいきなり、そこへ飛ぶかなあ。

 

 わたしもルシーズに染まって、ちょっと変な感じになりつつあるのだろうか。

 

 それは困るな。

 

 そんなことを考えていたら、随分と気が楽になった。今はこの手つなぎも、楽しいことのように思えてくる。いや、実際楽しいのだろう。相手がルシーズだし、ルシーズとはこれからもずっと仲良くしていきたい。友達と仲良くするのが楽しくないわけがないじゃないか。それが友達というやつなのだから。

 

 温かな手をぎゅっと握りしめる。それに応えて、ルシーズの顔がまた赤くなった。やっぱりルシーズは恥ずかしがり屋で、照れ屋で、こういうことに慣れていない。でも、機会があれば自分からそういう行動に出る。それがルシーズの、友達に対する一種の愛情表現なのだ。そう思ったら、なんだか今まで以上にルシーズに好感が持てるようになった。これもまた、向上心の一つといっていいだろう。

 

 今日のわたしは凄い。レベルがいくつも上がった感じだ。これなら、大司祭になる日もそう遠いことではないような気がする。見ててください、神様。

 

 

 

 

 帰路につくため、町の入り口まで歩いていく。そこから脇道に入って学校の方まで戻っていけば、あとはお互いの家に向かって歩いていくだけだ。

 

 文房具屋の前を通り過ぎながらチラッと店内を覗く。勉強会となると新しいノートが一冊いるかもなどと考えていた。家に余分のノートは一冊もなかったから。

 

 ルシーズなら新しいノートとか一杯持ってそうだし、もらうかな、などとケチくさい考えが浮かんできた。

 

 いかん、どこがレベルアップだよ。やっぱ全然変わってないかと一人心の中で苦笑した。

 

「あ。あれかあ」

 

「え?」

 

 急に声を上げたわたしにルシーズが尋ねる。声を上げた理由は、今まさに通り過ぎようとしていた細い路地のせいだった。その路地のちょっと先に、一軒の小さな店があった。

 

「あれ、東の国のお菓子売ってる店なんだって。凄く珍しいやつ。テセナが言ってたんだよ」

 

「そう」

 

 ルシーズもその店を眺める。店の構えも変わっていて、東の異国風に作られていた。軒先の上にはカワラと呼ばれる石の板が何枚も並べられている。木製の太い赤い柱には、変わったデザインの緑色のドラゴンが口から炎を吹き出す様子が彫刻されていた。

 

 ここは最近新しくできたばっかりで、繁華街の中でも一番端っこの方にあったし、通りからも全く目立たない。だからわたしも今の今まで気がつかないでいた。何度も町に来ているルシーズの方もこの店は知らなかったらしい。別に興味もなかったというのが一番の理由だろうけど。ルシーズは基本的に、甘いものは好まない。

 

「折角だから、ちょっと見ていこうか。おいしいんだってよ」

 

「まあ、いいけど」

 

 ルシーズの手を引っ張って、店の前まで連れて行く。ルシーズがあまり乗り気じゃないような気もするけど、それは多分気のせいだということにしておこう。

 

 ガラスのショーケースの中に色取り取りのお菓子が並んでいる。一つ一つは小さいけれど、実に多種多彩だ。そしてそのどれもが、わたしの見たこともないようなお菓子ばっかりだった。

 

 ゲッペイ、ヨーカン、マンジュー……名前の方も、わけの分からないものばっかりだ。それに、たっかっ。せいぜい二、三口で食べ終わるくらいのサイズのお菓子が、一個30リルって。これ一個でお昼のパンが三個買えるよ。

 

 あ、知ってる名前。ウィロー。これって柳の木のことだよね。でも、柳感はないな。

 

 って、よく見たら綴りが違う。ウイロウ? やっぱり分からん。

 

「なんだかさっぱりわからんな。高いし」

 

 思わず感想を口にする。見た目も名前も異質だし、味の想像も全くできなかった。でもまあテセナが言うくらいだから、食べればきっと美味しいに違いないだろう。大丈夫、わたしはアビスだって自分の好みに加えてしまうほどの逸材だ。

 

「あ、これ、テセナが言ってたやつ。あいつ、これ好きなんだって」

 

 さっき見たヨーカンという黒いお菓子の隣に鮮やかな黄色のお菓子が並んでいて、芋ヨーカンと銘打たれていた。どうやらお芋が使われているヨーカンらしい。ヨーカン自体食べたことがないのにいきなり変化球というのはどうかと思ったけど、取り敢えずわたしもこれを試してみようかな。変にそそられる見栄えとネーミング。わたしの中でなにかが騒いでいるような気がする。

 

「これ試してみよう。ルシーズはどうする?」

 

 財布を出して中を確認しながら尋ねた。

 

「私はいい。さっき食べたし」

 

 わたしもさっき食べたんだけど。バウムクーヘン。あははと苦笑いした。お腹周りが気になるお年頃。まあいっか。

 

「テセナにも買ってってやろうかな。明日、教室でびっくりさせてやろう。多分喜ぶだろうから」

 

「え……?」

 

「ん? どうかした?」

 

「いや、別に……」

 

 ルシーズの顔が曇っているように見える。なにか変なこと言ったかな。まあ大丈夫だとは思うけど。

 

「しゃあない、メアにもなんか買ってってやるか。あ、これ、メア喜びそう。パンダ・マンジューだって。見たことないけど、これ動物だよね。あいつ動物好きだからな」

 

 合計三個。これでデニル銀貨1枚がすっ飛んだ。これならノートなんか十冊買えるって。やっぱり後でルシーズにノート一冊もらおう。今月のお小遣い、ピンチ。

 

「ジェイラ」

 

「ん?」

 

 会計をしていたところで、急に名前を呼ばれる。他のことを考えていたときだったので、なんだかビクっとしてしまう。それにその声は、なにかわたしの心を突き刺すような痛みがあった。

 

 会計をするので手を離していたルシーズが、わたしの後ろに立っていた。軒先から少し離れて、身体に半分雨が当たっている。わたしの傘は今、閉じて軒先に立てかけてあった。

 

「家の用事頼まれてたから、先帰る」

 

 ルシーズが言った。いや、言い放った。なにかを訴えかけるような、そんな視線だった。

 

「え? いや、今、会計終わるから」

 

「急ぎの用事だから。じゃ、明日」

 

 そう言ってルシーズは振り返って歩き出してしまった。

 

「ちょ、待ってくれよぅ」

 

 追いかけようとしたけれど、店員さんがお菓子の入った包みを持ってやってきたので踏み止まる。改めて振り返ると、ルシーズがこちらに小さく手を振ってお別れの挨拶をしてきた。

 

 結局、そのままルシーズは足早に通りに消えてしまった。傘も差さずに。

 

 傘を持って追いかけたけど、通りに出たときにはもうルシーズの姿は見えなくなっていた。

 

 走って探せば追いつくかと思ったけど、やめておいた。なんだかさっきのルシーズが、人を寄せつけたくないような雰囲気を出していたから。

 

「……なんだよ」 

 

 別に家に用事があったって、一緒に帰るくらいわけもないことだろうに。一体全体どうしたっていうのか。分からない。

 

 メアやテセナの話をしたからか? そう思った。以前も、わたしの友人に対してそういった反応を示したことはあったから。

 

 でも、メアやテセナの話はもう何度もしているし、ルシーズの方もそういったことを拒否することはなくなっていたはずだ。特別仲が良すぎるというほどでもない、わたしのクラスメイトなのだと認識しているはず。一緒に遊びに行くことだって承知していたし。

 

 うーん、分からん。なんなんだルシーズ。

 

 ケータイを取り出して、画面を見つめた。指を触れ、ルシーズの登録画面を呼び出す。

 

 ちょっと考えて、やめておいた。

 

 今すぐ連絡するのはやめておこう。明日になったら、また待ち合わせの確認メールでも送ることにするか。その前に、ルシーズの方から連絡が来るかもしれないし。

 

 一応ルシーズも、手を振ってお別れの挨拶はしてきた。だから、全く逃げ出したというわけではないだろう。明日になれば、変わりなく元通りになると思う。

 

 多分。

 

 今日は最後までルシーズに振り回されっ放しだった。仲が良くなったのか、今まで通りなのか、それもよく分からない。プラスとマイナスの境目が、未だに曖昧なままだった。

 

 ルシーズ、傘持ってるって言ってたよな。

 

 そう考えながら、通りを見つめた。

 

 雨に煙る町は、わたしとルシーズのことをその内側に包んだまま、なにも語らない。

 

 

 

 

 

 

 

 

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