司祭(ジェイラ)さんと悪魔(ルシーズ)さん   作:ゼルダ・エルリッチ

4 / 5
『そいつの名はワツィ』

 ええと、なにがどうしてこうなった?

 

 様々なことが頭の中に巡り回って、ほとんど訳も分からないままに、わたしは一人、畑のあぜ道を歩いていた。

 

 日はすっかり傾いてしまっていて、本来ならば帰宅を急いで早足になるような時刻。でも、さきほど体験したあの奇妙な出来事のおかげで、わたしにはそんなことを気に留める余裕すらなかった。こう言うと、なんだかわたしがオカルトのミステリー体験でもしたかのように聞こえるかもしれないけれど、そういうことではない。でもわたしにとっては、まあ、一種似たようなものだった。

 

 つい十分ほど前まで、わたしはルシーズの家にいた。勉強会の約束をして、わたしとしてはかなり頑張って取り組んだおかげで、成果は上々だと言える。ルシーズは教え方が上手くて、数学がサッパリのわたしでもスイスイ理解が進んだ。中等学校一年の問題から始めることになったのはちょっと気になったけど。でもそのおかげで、ルシーズの言うところの数学の基礎というものを身につけることができたから良しとしておこう。

 

 こうしてみれば、うん。わたしの苦手な数学だって、なんとかなるじゃないか。なかなかどうして。わたしも捨てたもんじゃない。

 

 って、そんなことを考えている場合じゃなかった。とにかくわたしは、一人この荒野に放り出されたも同然だったのだ。

 

 勉強が終わって、例によって午後の眠気に襲われたところまでは覚えている。気が付けば、ルシーズの膝に頭を乗せてまどろんでいる自分がいた。ルシーズの膝までどうやってはるばる辿り着いたのかは分からなかったけれど、ストーブの熱とルシーズの温度が心地よくて、心がほとんど夢の次元界を彷徨い歩いていたのは確かだった。

 

 そんな頭だから、ルシーズとなにをやり取りしたのかも、あまり覚えていない。なにかルシーズが両腕を上げて「オッケー」とか言っていたみたいだけど、あれはなんのことだったのかな?

 

 そこからルシーズとのあの最後のやり取りのところまで、全く記憶がない。なんとなく変な気配を感じて目が覚めると、ルシーズの顔がわたしの顔の目の前にあった。左手で前髪を半分かき上げていたけれど、もう半分がわたしのおでこに触れていて、こそばゆかった。目が合った途端、ルシーズがおかしな叫び声を上げて、バッと飛び退く。その勢いに、わたしはバランスを崩して膝の上から転がり落ちてしまった。

 

 ゴツンとカーペットで頭を打って、痛たたた……と悶絶する。すぐさまルシーズがあたふたと寄ってきて、謝罪の言葉を述べていた。

 

「わっ、ごめん。大丈夫?」

 

「な、なになに? どうしたの」

 

 寝起きにこの一撃では、さすがに状況を把握できるはずもなかった。頭の中がすっかりシェイクされたような気がする。さっき勉強で覚えたこと、大丈夫だろうな? 全部吹き飛んだかも。

 

 そうしているうち、ルシーズが座った姿勢のままサササッと器用に部屋を横断して、ベッドの前まで行った。いや、逃げた。ベッドの方を向いてうつむいたまま、身動き一つしない。例によって、顔は茹で上がった魚介類のように真っ赤だった。

 

 考えてみたけれど、なにも思いつかない。一体なにがあったというのか? 教会のときみたいに、またわたしの顔を覗き込んでいたようだったけど。

 

 まさか、顔にペンで落書きでもされてないだろうな? ケータイの黒い画面を覗いて反射する顔を確かめたけど、それは大丈夫のようだった。

 

「おーい、悪魔っ子ー」

 

 ふざけて呼びかけてみたけれど、ルシーズはますます顔を逸らしてしまう。埒が明かないので、こっちから寄ってみることにした。

 

「えーと、どしたの? 息してる? 酸素足りてないようだけど?」

 

 ルシーズの顔を覗き込む。さっきのルシーズみたいに、すぐそばまで顔を近寄せてみることにした。これで、なにか反応があるかもしれなかったから。

 

 ルシーズの息づかいが聞こえる。ルシーズがこっちを見て、目と目が合った。

 

 顔に水をかけたら、ジュウゥッと蒸発しそうだ。思わずおでこに手を当てた。

 

「熱あるんじゃない? ほんと、大丈夫?」

 

「だ、だいじょーぶ。ほんとに」

 

「大丈夫って感じじゃないみたいだけど」

 

「ほ、ほんと、全然、オッケー」

 

 そう言って両腕を上げてガッツポーズを決めた。なんだそのポーズ。一発ギャグ?

 

「ふーむ。ならいいけど。でも、くちびる、カサカサですよ」

 

 ルシーズの口がまるっきり干からびたようになっていて、ひび割れでも起こしそうなくらいになっていた。無意識のうちに、指が伸びる。指先がスッと、ルシーズの口に触れた。

 

 途端、

 

「あっ、あのっ、トイレっ」

 

 ルシーズが物凄い勢いで飛び上がって、駆け出す。あまりに素早かったので、座った姿勢のままジャンプしたのかと思ったほど。

 

「あっ、ルシーズ」

 

 そのまま、階段をドンドンと駆け降りる音が響いた。

 

 五分くらい待ったけど、ルシーズは戻ってこない。どうしたかと思って、わたしも一人、下に降りてみた。

 

 階段を降りた脇にトイレがあったので、小声で声をかけてみる。

 

「ちょっとルシーズ、大丈夫?」

 

「ご、ごめん。今日は、これで。またっ、また明日」

 

 って、おいおい。トイレで解散って。どういう別れ方だよ。

 

「体調悪いの? おばあちゃん呼ぼうか?」

 

「いいっ。大丈夫。ちょっと、お腹痛いだけ。ほんとごめん。また明日ね」

 

 ルシーズがあんまり言ってくるので、わたしもこれ以上追及しない方がいい気がした。

 

「分かった。じゃあ、また明日。四時ね。風呂入って、ゆっくり休めよー」

 

「ありがとう。ほんとごめん」

 

 結局、本当にそのままルシーズ家を後にする。おばあちゃんの姿はなかったので、挨拶もなしで玄関を出た。

 

 外に出ると、クアジットの小屋が空だった。おばあちゃんの姿がなかったのは、このためだろう。つまり、クアジットの散歩。それは犬の場合と同じみたいだった。

 

「おばあちゃんと散歩か。ふむ」

 

 一人、帰路に着く。

 

 なんだか頭の中がごちゃごちゃして、考えもまとまらなかった。

 

 ええと、なにがどうしてこうなって? うーん分からん。

 

 いくら考えてもサッパリだったので、そのままなにも考えることなく足を動かし続ける。ケータイを取り出してみたけれど、ルシーズからのメールとかも特にないようだった。

 

 ふう、と大きな溜め息をついて、前を見つめる。

 

 なんだかおかしな日だ、今日は。

 

 わたしの混乱をあざけ笑うかのように、大きな欠伸が飛び出した。

 

 

 

 

 時刻はもうすぐ六時になろうとしている。ルシーズの家から続く雑木林に沿った道も終わって、わたしの家に伸びる道の境目までやってきた。このまま南に行けば神学校で、右に曲がっていけばわたしの家がある住宅街に続いている。左に進めば、教会のある墓地へと続く寂れた道に出て、その道の境目には例の石の柱が立っていた。ルシーズに聞いたけど、道祖神とか呼ばれているものらしい。名前があったのか、これ。まあ、名前なんてどうでもいいけれど。

 

 道にはチラホラと、遅めの帰宅の学生達が歩いていた。部活帰りとか、放課後活動の帰りの生徒達だろう。みんな三、四人で固まっていて、一人で歩いている者はいない。楽しげにはしゃぐその顔は、とても楽しそうに見えた。

 

 いつものことだけど、そんなに常にワイワイやっていて疲れないんだろうか? と思う。やっぱり若さというのは大したものだ。恐い物知らずというか、タフというか。

 

 って、自分もほとんど同い年だろうが。なんだか年寄り臭くなっている自分にちょっと苦笑いする。

 

「ん?」

 

 右に曲がって歩き始めようとした、そのとき。わたしの視界に妙な光が映った。左手に見える道祖神の前で、キラキラと光が反射している。見ると、エメラルドグリーンの光に包まれてなにかが動いていた。

 

 小さな人影のように見える。もっとよく見れば、小等学生くらいの子供が道でケンケン遊びのような動きをしていて、そのまま道祖神の基礎石の上にヨッと腰かけたところだった。

 

 足をブラブラさせて、くつろいでいる感じに見える。なんだろ? と思ったけど、結構距離もあったし、わざわざあそこまで確かめに行くのも面倒な気がした。なにか、光を出すランプ的なものでも掲げているのだろう。そこまで気にすることでもない。

 

 まあいっか。いつものごとく、そのまま流して帰宅を急ごうとした。

 

 すると、

 

「こんばんは」

 

「えっ?」

 

 急に後ろから声をかけられて、思わずギョッとする。振り返ると、道の左手に積み上がったワラの束の影から、子供が顔だけを出してこっちを覗いていた。ウチの妹と同じ十歳くらいの歳で、女の子のように見える。ようにと言ったのは、一瞬の見た目からだけではなんとも判断がつかなかったから。

 

 なによりおかしかったのは、髪も含めて、その顔全体がエメラルドグリーンの光に包まれているところだった。

 

 ええっ? と思って、道の先の道祖神の方を見る。そこにはもう誰もいなかった。

 

 まさかさっきの子供が、この一瞬の間にここまでやってきたとでもいうのだろうか?

 

 いやぁ、ホントにまさかだろう。空間をテレポートする次元扉の術でも使わない限り、そんな芸当ができるはずもない。そんな高度な呪文が使える術者なんて、そんじょそこらにいるはずがなかった。しかも、こんな小さな子供になんて。

 

「えと、誰?」

 

 少し冷静になって尋ねる。こんな子には全く心当たりがないし。ウチにはよく弟と妹が友達を連れてくるけれど、その中にも見たことがなかった。

 

「お会いするのは初めてです。でも、わたしはあなたをよく知っているのですよ」

 

 そう言って飛び出してきたそれは、全く異質とも言えるものだった。

 

 まず、その第一印象に度肝を抜かれた。顔だけでなく、身体全体がエメラルドグリーンの光に包まれている。肌は真っ白で、透き通るほど。そして特に、先程も見たその髪が一番の輝きを放っていて、まぶしいほどにキラキラしていた。

 

 そんな飛び抜けた容姿とは裏腹に、着ているものは至って普通。ウーニーで売っているようなお手軽価格の黄色のパーカーに、黄色のショートパンツ。足は素足にサンダルを履いている。パーカーの胸には『モイスチャー』という文字がプリントされていた。なんだこのデザイン。

 

「初めまして。ジェイラさんですね? その節はどーも」

 

「あ、どういたしまして。って、違うっ。誰だよ、あんた」

 

 礼儀正しく頭を下げてきたけれど、ホントに全く心当たりがない。

 

 ってか、その節って、どの節だよ。

 

 そいつが再び頭を上げると、その髪からキラキラとした光の粒が舞い散った。髪自体もエメラルド色をしていて、肩につかないほどのサッパリした子供らしい髪型。よく見れば、その髪を頭の上で編んで輪っかのようにしている。だからパッと見、頭の上にエメラルドの冠でも被っているかのように思えた。

 

 そしてやっぱり、性別は不明。

 

「ほっほっほ、これは申し遅れました」

 

 腰に手を当ててふんぞり返る。そこ、威張るところ? 分からん。

 

「わたくし、ワツィと申します。聞かれては困るので、ちょっと、お耳を拝借」

 

 手をクイクイと動かして、わたしに耳打ちしようとしてきた。ってか、周りに誰もいないのにそんなことしても意味がないだろう。しかしワツィというこの子は、その姿勢のままニコニコして動かない。仕方ないので、ここは付き合ってやることにする。

 

「ひそひそ。実はわたし、エンピリアンなのです」

 

「はあ、そうですか」

 

 最初のひそひそは声に出すところじゃないだろと思いつつ、続く言葉にもっと呆れてしまった。エンピリアンって、あのエンピリアンのこと? 天使の階級の中でも最も高位に位置するもので、その力は神にも匹敵するほど。歴史の中では、神々の住まいしセレスチャル界から天命を帯びて下界に遣わされたこともあったそうだけど。

 

 それがもし本当ならば、その見た目や瞬間移動のことも説明がつく。でも、すぐに思い直した。

 

 エンピリアンともあろう大天使様が、なんでこんな田舎町の畑の前で、わたしなんかに普通に話しかけてくるんだ。わたしのどこに天命がある? わたしが世界の救世主だとでも告げにきたのだろうか? お門違いもいいところだ。低級呪文すら使えないわたしに。

 

 それに、なんだその容姿は。エンピリアンといったら、見上げるほどの神々しい御姿をしているものだ。こんなちんちくりんなエンピリアンなんて、聞いたこともない。ウチの妹とほとんど一緒だ。

 

「その大天使様が、わたくしにどのようなご用件で?」

 

 気のない言い方で聞いてみる。でもわたしのことを知っていたという、その点だけはやはり気になるものがあった。その他の見た目云々のことは別として。

 

「よくぞ聞いてくれました」

 

 ほっほっほと笑ってくる。用があったから声をかけてきたんだろうが。そっちが言わなきゃこちらからなんの用かと尋ねるのは当然だろう。 

 

「実はわたし、ジェイラさんの妹さんの学校に転入しまして。身分を偽り、密かに活動しているというわけなのです。ジェイラさんが神学校の学生と聞いて、なにかお手伝いできればと」

 

 なんとなく事情が読めたような、読めないような。

 

 とにかく。なんだ、妹の同級生かよ。

 

 それならわたしのことを知っているというのも納得がいく。

 

 一瞬、本当に変な世界の生き物かと思ってしまったけど。

 

 でも、その妙な光のことだけはよく分からない。なにか変わったマジックアイテムでも装備しているのだろうか? そんなものは聞いたこともないけれど。

 

 っていうか、この子がわたしのなにを手伝ってくれるというのだろう? 呪文のレクチャーでもしてくれるのだろうか。間に合ってるからいい。

 

「それはどうも。でも、あいにくと今は、全部、間に合ってまして」

 

 わたしの言葉を聞いて、ワツィが人差し指を一本立てて左右に振り、チッチッチと口を鳴らす。なんか腹立つな、そのアクション。

 

「あなたとわたしは、ウンメーの糸で結ばれているのです。わたしを手伝ってください」

 

「おい、話が逆になってるぞ。ってか、なんだよウンメーって」

 

 さっきから、話の脈絡がおかしい。メアよりおかしいぞ。なんか頭痛くなってきた。 

「実はわたし、この惑星にいる他の仲間を探しにきたのです」

 

 わー、なんだか話が大きく飛躍してきたぞ。惑星って。

 

「天上界から、わたしの仲間が12人ほど脱走しまして。それでわたしが、密かに連れ戻しにきたというわけなのです。内緒でござるぞ」

 

「なんで最後、時代劇みたいになったの。ってか、12人も脱走って、天上界ヤバいな」

 

「色々ありまして。でも、悪者ではありませんから、ご心配なく。大陸を破壊したりはしませんので」

 

「破壊するなっ。ってか、そんなヤバい奴ら、さっさと連れ戻せ」

 

「まあ、地道にいこうと思います。500年くらいあればなんとかなるでしょう」

 

「もっと早くやれ」

 

 あーもう、さっぱり訳が分からなくなってきた。これ以上こいつと関わるのはヤバいような気がする。誇大妄想もいいところだ。変なマンガの読み過ぎだろう。

 

 取り敢えず、家に帰ったら妹を問い詰めてやろう。なんだお前の同級生は、って。

 

「えと、わたしもう帰らなくちゃ。あんたも早く帰りなさい。一人で出歩いてたら、親が心配するぞ」

 

 ちょっと年上めいて、説教めいた忠告をする。こんな子供が一人で出歩くには、もう遅い時間だ。

 

「平気です。すぐに帰れますから。でもまあ、ジェイラさんにお会いできたことですし、今日はこの辺で失礼しましょう。では、よろしーく」

 

 そう言って、手でパイプをふかすマネをしてきた。誰のマネ? それ。

 

「そうそう、お近づきの印に、これを差し上げましょう」

 

 ポケットから取り出したものをわたしに手渡してくる。

 

 って、アビスじゃん、これ。

 

 ってか、あんな小さなポケットから、どうやってこんなビンを出したんだ?

 

「あなたの好みは知っていますので。今、元素を組み立てて作ってみました」

 

「わー、凄いワザですね」

 

 嘘つけ、と思いながら言った。まだ、異次元空間から出しましたと言う方がマシな嘘だろう。

 

「ではでは。また、ちょいちょいお会いすることになるかと思いますが」

 

「それは嬉しい限り」

 

 そう言うと、ワツィはまたワラの束の影にスッと消えていった。

 

 まさか、ホントにテレポートしたのか? そう思って後を追ってみる。

 

 ワラの影にうずくまって隠れているワツィがいた。

 

 こんなことだと思ったんだ。

 

「なにしてんの」

 

「いや、ちょっと小休憩を」

 

「早く帰れ」

 

 

 

 

 なんだかドッと疲れが出た感じだ。ようやく家に辿り着いたわたしは、思わずハァと溜め息をつく。今日はなんだか、溜め息ばかりついているような気がするな。

 

 最初はルシーズ。それから、ワツィとかいう得体の知れない変な子供。

 

 わたしの周りって、変わり者が多いのかな?

 

 一人考えてしまう。でもまあ、わたしも結構な変わり者だし。必然なのかもしれない。

 

 ってか、今は妹だよ、妹。

 

 あの得体の知れない同級生はなんだと、早く問い詰めてやらなければ。

 

 玄関の前に、サッカー用のスパイクやらなんやらが入った数人分のスポーツバッグが散乱している。弟のやつめ、また友達を連れてきてるな。弟のクラスの悪たれ共。あの連中が家にいると、ワーワーキャーキャーうるさくて困る。まるでお手本のような悪ガキ小等学生。

 

 玄関のドアを開けようとした途端、中からその悪ガキ共が飛び出してきた。

 

「お姉さん、さよならっ」

 

「走るな、危ないから」

 

 わたしの警告は全く無視して、地面の上から自分のスポーツバッグをかっさらって駆けていく。そしてあっという間に見えなくなる。全く、元気のカタマリだよ。

 

「また泥だらけにしやがって。お母さんにしかられるぞ」

 

 玄関ホールの床は、例によって泥にまみれていた。小等部のサッカー少年が集まれば、こうなることは目に見えている。

 

「こないだは、元気でいいって言った」

 

「それは建前でしょ」

 

 泥の海の中で、弟が胸を張って言ってきた。口の減らないやつめ。

 

 やれやれと思いつつ、台所に向かう。

 

「お母さんは?」

 

「買い物。チョコフレーク買ってきてって言っといた」

 

「それはどーも」

 

 わたしの朝食は大抵チョコ味のコーンフレーク。理由は、作るのも食べるのも楽だから。もうすぐ切れそうだったので母親に頼んでおいたのを、弟が念を押してくれたらしい。母は結構普通に物忘れがひどかった。

 

「リトルシスターはどうした?」

 

「いるよ。ゲームしてる」

 

「またパズルか」

 

 子供部屋を覗くと、妹が部屋の床に座り込んで、空中投影されたパズルのゲーム画面とにらめっこしていた。妹の最近のお気に入りで、トイ・ダイナソーで買ってきたやつ。パズルボブル・ドラゴンズという人気のゲームで、ランダムに降ってくる様々な色のブロックを順番につなげていって、数多くつなげることを競う。二人で対戦するルールもあって、妹はかなりのつわものに成長していた。このゲームはどちらかというと、頭脳よりも反射神経と勘が物を言うゲームだったから。

 

「あ、姉ちゃんお帰りー」

 

 妹がこっちを見て言って、すぐに視線を戻す。姉より今はゲームの方が大事らしい。昔はわたしが帰ってくると玄関まで走って出迎えに現れたものだったけど。時の経過というものは寂しいもんだ。

 

「よく飽きないな。目、悪くするぞ」

 

「平気、ゲームは一日一時間」

 

「嘘つけ」

 

 どう見ても一日に三時間以上は遊んでるはずだ。って、そんなことは今はどうでもいい。早速、問題の話題を切り出した。

 

「ねえ、さっき、あんたの同級生のワツィとかいう子に会ったんだけど。めっちゃ光ってるヤツ。なんか色々、からんできたんだけど、あいつってなんなの?」

 

 妹の頭に向かって問いかける。妹はゲームの画面から目を離さず、関心もなさそうに応えた。

 

「ああ、ワツィねー。友達だよ」

 

「それは聞いた。そうじゃなくて、何者かってこと。エンピリアンだとか言ってたけど」

 

「うん、天使だよ」

 

「サラッと言うな。天使がこんなとこにいるわけないでしょ」

 

「でも、いるよ」

 

「だから、そんなの嘘に決まってるじゃん。思い込んでるだけでしょ」

 

「うーん、そうなのかな」

 

「そうだよ」

 

 やっぱり妹に聞いても、大した情報は聞き出せないみたいだ。まあでも、妹にとっても特に大袈裟な存在というわけでもなさそうだし、これはやっぱり、誇大妄想のおかしな子といったところで済む話だろう。天使フリーク、といったところか。

 

 あの光については、やっぱり分からなかったけれど。

 

「ところであいつ、男? 女の子? 分かんなかったんだけど」

 

「ワツィは性別がないんだよ」

 

「サラッと言うな」

 

「天使は性別がないんだって。べつにどっちでもいいじゃん」

 

「よくない気がするけど。うーん、まあいっか」

 

 持ち前の前向きさ、いや、いい加減さ? で乗り切った。対して妹の方は、実に自然に流している。さすがわたしの妹だ。いや、ただ童心なだけか。未だに、シムリルの夜には天界からプレゼントが枕元に届けられると信じてるし。

 

「姉ちゃん、パズルやろ」

 

「えーっ、姉ちゃんは疲れてるんだよ」

 

「いいからいいから」

 

「人の話を聞け」

 

 結局ゲームに付き合わされる。わたし用のコントローラーを渡されて、妹と並んで座り込んだ。

 

 ケータイ伝話と同じ、ちょっとしたマジックアイテムの技法が使われていて、ゲーム画面が空中に投影される。その画面上に、赤や青、緑といった、様々な宝石が降ってきた。その宝石を規則正しくつなげていくと、ドラゴンの姿が完成する。完成したドラゴンは炎を吐いて、相手のゲームを邪魔するといった具合。ドラゴンの色と大きさによって、その効果も様々だ。

 

 はっきりいって、ゲームは得意じゃなかった。好きというわけでもない。目茶苦茶に弾を撃ちまくるシューティングゲームなら嫌いじゃなかったけど、それは単に、なんにも考えずにできるからというのが理由。

 

 こんなパズルゲームは尚更興味がなかった。パズルをつなげて、人生のなにかが変わるわけでもないだろうに。妹はよく飽きずにやってるなぁと感心する。

 

 世間一般からしてみれば、わたしの方が少数派なのだろう。昨今のゲーム人気がそれを証明している。子供がゲームに夢中になり過ぎるのが社会問題にもなっているそうだ。

 

 ウチの妹も、世間一般というやつの部類に入るのだろうか? まあ、それが妥当なところで、わたしみたいな変わり者になるよりはマシなのかもしれないけど。

 

 特に気もなく、コントローラーをカチカチと押し続ける。妹はもう、三匹のドラゴンを完成させていた。赤や緑の炎が、わたしのゲーム画面を侵食していく。敗北は時間の問題だ。

 

「姉ちゃん弱いなー、ハンデつけたげよう」

 

 妹がそう言って寝っ転がって、わたしの足に頭を乗せてくる。寝ながらでも勝てるという自信の現れらしい。

 

「あんたと違って暇じゃないの。毎日やってりゃ上手くもなるでしょ」

 

 強がりを言ってみたけれど、妹は気にせずフンフンと上機嫌だ。寝ながらコントローラーを操作して、次の瞬間にはわたしのゲーム画面が紅蓮の炎に包まれた。『YOU LOSE』の文字が浮かび上がってくる。

 

「はい、勝ったー」

 

 そのまま、負けたという実感すら湧かないまま二ラウンドへとなだれ込む。

 

 妹はまだ、わたしの足に頭を乗せている。このまま最後まで続けるつもりらしい。

 

 その頭を見下ろして思った。そう言えば、まだルシーズのこと膝枕してやったことないな。

 

 いつだったか、教会でそんな約束をしていたことを思い出す。結局、わたしばっかりルシーズの膝枕のお世話になっていたけれど。 

 

 ちょっと想像してから、うーん、と唸る。

 

 なんか変な絵になる気もするけれど、まあいっか。

 

 今度はわたしの方から膝を提供してやろう。

 

 眠さに勝てればの話だけど。

 

 考えているうち、益々ゲームには実が入らなくなってくる。妹の方は「うりゃ」とか「おりゃ」とか、実に元気だ。このラウンドもわたしの敗北は必至。全部で五ラウンドまであったけど、その前に三連敗で決着が着きそうだった。

 

 ルシーズ、大丈夫かな?

 

 ルシーズとのやり取りのことを再び思い出した。

 

 膝枕で目が覚めて、ルシーズがトイレに駆け込むまでの、さっきの一連のアレ。

 

 ふと思い付く。

 

 あの「逃走」は、今にして思えば、わたしが詰め寄りすぎたせいなのかもしれないな。

 

 そう思って行動を思い返してみた。

 

 例によってルシーズの顔が真っ赤だったけど、今日は殊更にそれがひどかった。ルシーズの一種愛情表現といったものは理解しているつもりだったけど、さすがにわたしも心配になってしまって、ルシーズの額に手を当てたりした。本当に体調でも悪いのかと思ったから。

 

 結局、ルシーズはトイレに駆け込んでしまった。そのときはサッパリ分からなかったけれど、あれはやっぱりわたしのせいなのかもしれない。ルシーズは未だわたしとの距離を掴み切れていなくて、それでわたしが不用意に近づき過ぎたから、自分の方から距離を取った。そういうことなんだと思う。多分、それが正解なんだろう。ルシーズなら充分ありうることだ。

 

 そう考えると、ルシーズの行動にも説明がついた。思えば単純なことだった。さっきまではサッパリ分からなかったのに、気が付くときにはこんなものだ。

 

 どうもわたしは、単純に考えればいいことを複雑に曲げてしまうようなクセがあるらしい。そんな頭があるわけでもないから、結局思いは、迷宮にでも踏み込んでしまったかのように絡まっていく。

 

 あ、でも。

 

 分からないことがもう一つあった。

 

 ルシーズはなんで、わたしの顔を覗き込んでいたのか。

 

 ……でもまあ、それも説明がつくはずだ。あれも一種、ルシーズの愛情表現というやつで、わたしとの距離を縮めようと努力している結果なんだと思う。

 

 でも不器用で、それを上手く口にすることもできなければ、面と向かって行動することも苦手。

 

 結果として、人から見ればなんだかおかしな行動に映ってしまう。

 

 完全には説明できていないだろうけど、そんなところだろう。距離を縮めようとする行動が上手くできないので、わたしと物理的に距離を縮めようとしてきたという。

 

 うん、やっぱり変だ。すごく変だ。でもルシーズなら、それが普通にもなる。

 

 ルシーズのことは結構理解しているつもりでいたけれど、やっぱりまだまだ分からないことは多い。本当に、あの変な自称天使っ子くらい分からない。

 

 天使と悪魔。わたしの周囲に、この二人が同時に存在していることに苦笑した。

 

 司祭のわたしは、今後この二人にどう向き合っていくべきなのだろう。

 

 悪魔の方はいいけれど、あのエセ天使の方はあまり関わりたくない相手ではある。

また、変にからんでこなけりゃいいけど。

 

「三連勝ー」

 

 妹が意気揚々と叫ぶ。気が付くと、わたしのゲームキャラがドラゴンのお腹の中に囚われていた。食われちゃったよ。いつの間に。

 

「姉ちゃん弱すぎ。わたしが指導してやろう」

 

「それはどーもー」

 

 そう言って、妹の頭をグイとお腹に押しつけた。ぐももも、ともがいて、ジタバタと暴れる。そのまま、脇腹を丹念にくすぐってやった。

 

「わひゃひゃひゃ。やめーい」

 

 期待通りの反応を示すその姿を見て思う。

 

 こいつもまた、わたしの小さな天使には違いない。

 

 

 

 

 母親が帰宅して、台所でなにかを作り始めていた。時刻はもうすぐ七時。夕飯には遅い時間だとは思うけれど、うちの母は結構気まぐれで、自由気ままな時間に夕食を作り始める。以前には三時に夕食ということもあった。それって夕食か? とは思ったけど。

 

 まな板の上でトントンとなにかを刻んでいたので覗き込んでみると、惣菜屋で買ってきた鳥のからあげを細かく刻んでいるところだった。って、それ刻む必要があるのか?一体なにを作っているのか、分からん。

 

「ちょっとー、また変なモノ作らないでよ」

 

 思わず突っ込みを入れる。以前はコーンシチューの中にチョコレートラスクが入っている料理が出てきたことがあった。なんじゃこりゃと思ったけど、意外とイケたのを覚えている。母の不思議。

 

「無理に食わんでもいいぞー、小娘」

 

「お腹減ってんの。もう七時だし。ってか、自分の娘に小娘って」

 

 母はこんな感じに、ざっくばらんなところがある。良く言えば大らかで、悪く言えばいい加減。口の減らないところも、弟とそっくりだ。ってか、弟が母の性格を継いだんだろうけど。

 

「姉ちゃん、これ食え」

 

 食卓に着いていた妹が、そう言ってわたしの顔の前に丸いお菓子を差し出してきた。ベル・カステラといって、母がよく買ってくるやつ。甘さ控えめで、妙に癖になる味が魅力。

 

「うま」

 

 もくもくと食べる。こういう駄菓子チックな味は結構好きだ。でもこれ、口の中がパサパサになるんだよね。

 

 水でも飲もうとしたとき、

 

「こっちも食え」

 

 今度は弟がスルメの足を差し出してきた。って、カステラにスルメって。わたしを干からびさせる気か。

 

「姉ちゃんの水分を奪うな」

 

 言いながらも、しっかりと頂いたけど。

 

 十五分ほど待ってようやく夕飯が出てきた。フライパンで焼いたパンの上に、さっきのからあげとゆで卵とブロッコリーを和えた不思議色のディップが乗っている。変な赤い粒々が混じっているけど、これは一体なんなんだろうか。

 

 うーむ、またもや、味の想像のできない料理が出てきた。母は料理好きというわけではなかったけれど、意表をつく料理を作るのが上手い。どっから思いつくんだ、こんなの。

 

 食事の前には皆でお祈りをする。ちび達も、このときだけは礼儀正しく振る舞う。

 

 そのうち、わたしと同じ神学校に入るんだろうか。それはまあ、こいつらの自由なんだけど。

 

「うわ、なにこれ、うまっ」

 

 一口食べて、思わず唸ってしまった。なんというか、斬新な味。

 

 絶対これ、この赤いやつのせいだよ。

 

 辛いような、酸っぱいような。なんじゃこりゃ。分からん。

 

「わっはっは。いいだろ」

 

 母が得意気に言ってくる。あんまり調子に乗らせると、暴走した料理を作りかねないので怖いけど。

 

「さっき仕入れてきたメンタイコとナンプラーを混ぜてみたぜ」

 

「なんじゃそりゃ」

 

 どうやらどっちも、魚から作った調味料のようなものらしい。ってか、母は一体どこからこんなものを買ってくるんだ? 分からん。

 

 もう一品の野菜シチューと合わせて、弟と妹はガツガツ食べている。帰宅していた父親も、ビールを片手に上機嫌。

 

 疑問を抱かずになんでも食べるのは、うちの家系なのだろうか? 

 

 こんな不思議料理で育つきょうだいの未来が、ちょっと心配ではあるけれど。

 

 って、それはわたしも同じか。

 

 

 

 

 夕食の後、部屋に戻る。部屋は妹と共用で、一階の奥。家族からはまとめて『子供部屋』と呼ばれていた。小学五年の弟の方は、生意気にも二階の片隅の物置を改装した部屋を自室として占拠している。昔は子供部屋に三人で同室だったけど、弟もまあそれなりに年頃だし、姉や妹と同じ部屋というわけにもいかないだろうから、わたしが折れてやることにしたわけだ。

 

 すでに妹が部屋に陣取っていて、床に直接置かれた黄色の座椅子にもたれかかって早速ゲームを始めている。またかい。

 

「あんた、ゲームは一日一時間じゃなかったの」

 

「食後のゲームは別腹」

 

「なんじゃその理屈は」

 

 自分の机の椅子に腰かけて、ふうと息をつく。二つ並んだ机の左側がわたし、右は妹の机だった。机は窓際に置かれていて、窓の外にはささやかな庭木が植えられている。何気なくカーテンをめくって外を覗くと、犬の散歩をしている近所の人が通りを歩いていくのが見えた。

 

 お風呂は今父親が入っているので、わたしはその後。どうするかなと思って、鞄を取り出して中を開ける。今日の勉強会の見直しでもしてみようか。そんな気になって、教科書とノート一式を引っ張り出した。真面目だなあ、わたし。

 

 ルシーズからもらった勉強会用のノートを広げる。すでに三ページ分くらい、数式や解法のコツなどが書かれている。ルシーズに書いてもらったところもあって、そこは凄く文字が綺麗。わたしの字の方は……次からはもっと綺麗に書こう。

 

「んー?」

 

 数学の教科書を探しているうち、間から別のノートが出てきた。表紙がピンク色で、見慣れないやつ。

 

「あちゃー。これ、ルシーズのノートじゃん」

 

 間違えて持ってきちゃったよ。帰り、なんだか慌ただしかったからなぁ。

 

 試しにちょっと中を開いてみると、まるで印刷されたかのような美文字で、数学の奥義めいたことが書かれていた。って、これ絶対、教科書のレベルじゃないって。見たことない記号とか普通に使ってるし。

 

 パラパラとめくってみたけど、サッパリ分からん。わたしのレベルとはまるで比較にならない感じ。大学生と小等学生だよ、これじゃ。

 

 ルシーズの計り知れない奥底を垣間見たような気がして、恐怖を感じた。

 

 やっぱり悪魔は怖い。

 

 それはともかく、これルシーズに伝えといた方がいいよな。明日も会うからすぐに返せるわけだけど、もし探しちゃってたら悪いし、一応すぐに報せとかないと。

 

 ケータイを出して画面を開く。メールを打とうとして、思い直す。

 

 今日のこともあるし、ここは伝話してしまうか。メール打つのもめんどいし。

 

 わたしはどうも、文章を考えるのが苦手だ。自然、メールを打っても飾り気のない短絡的な内容になる。後から見直してみて、我ながらなにが言いたかったのかよく分からないものもあった。だからメールよりは、伝話で直接話す方が楽だ。

 

 呼び出し音が続く。

 

 しばらく待ったけど、ルシーズは出なかった。

 

 急な伝話だったからな。ケータイの側にいなかったのかもしれない。

 

 夕飯か? 夕飯にしては随分遅いけど。

 

 またトイレ……は多分違う。じゃあ、お風呂か。

 

 しゃあない、メールしとくか。

 

 簡単な言葉を打って、すぐ送信。内容は単純で、メール見たら伝話くれる? というだけのものだった。細かいことは伝話で言えばいいし。テセナの場合は無駄な行動を取らないという姿勢がスマートに見えるけれども、わたしの場合は単純明快。ただ横着なだけ。

 

 しばらくノートを広げて練習問題に取り組んでみたけれど、今はなんだか気が進まない。やっぱりルシーズがいないとダメなんだろうかと思う。一人だとモチベーションが上がらないというか。集中力がないのは昔っからだな、わたし。

 

 結局、全くはかどることもなくノートを閉じる。うーん、と大きく伸びをして、肩をトントンと叩く。成果はないのに、いっちょまえに肩ばかりこるから不思議だ。

 

 時計を見ると、無駄に三十分以上は経っていた。妹は相変わらず、同じ姿勢のままゲームに興じている。肩こりとは無縁なその姿を見て、うらやましいと思いつつムカッ腹も立った。

 

「お風呂入ってくるよ」

 

「いってらっしゃーい」

 

 お風呂が空いたので母より前に入ることにする。三年くらい前までは、妹も「姉ちゃん一緒に入ろ」などと可愛いことを言ってきたけれど、さすがに今はそれもなくなった。まあわたしも、この歳にもなって妹と一緒に入浴するのは考えものだとは思うけれど。

 

 わたしは結構、長風呂な方。四十分くらいは平気で出てこない。あんまり長いと母親から「こら小娘、いい加減出ろ」などと罵声(?)を浴びせられるので、最近は控えめにしているのだけれど。

 

 今日も文句を言われるギリギリまで入って、浴室を後にした。用意しておいたパジャマに着替えて、部屋に戻る。お風呂に入っている間に、妹がわたしの分の簡易ベッドも広げてくれていた。部屋が狭いから、ベッドは普段は隣の納戸にしまってある。折り畳み式で軽いため、妹一人でも簡単に運べる。その上にマットと布団一式を広げれば出来上がり。

 

 妹が自分のベッドの上に寝そべって漫画を読んでいた。方言丸出しでしゃべる女の子が主人公の、ギャグ系漫画。わたしも読んだことがあるけれど、結構面白くてハマる。漫画はあまり読まないけれど、手から波動を飛ばすバトル漫画よりはこっちの方が好みだった。

 

 ってか、ベッドに寝転んで漫画が見たいから、ついでにわたしのベッドも用意したといったところだろう。妹が率先してお手伝いをするということは、ほとんどなかったし。ほめてやろうと思ったけど、やっぱりやめといた。

 

「ふうーぃ」

 

 わたしも寝っ転がって、枕にボフンと顔を埋める。そのまま寝返りを打って、天井を向きながらケータイを手に取った。

 

 ルシーズからの着信はない。送ったメールにも、既読は付いていない。

 

 うーん、と唸って、ケータイを脇に放った。

 

 寝ちゃってたか。そう結論づける。伝話したのは八時前だったので、わたし達のような学生が寝るのには随分早い時間だったけど。

 

 やっぱ、体調悪かったのかな。

 

 ルシーズがわたしからの伝話に反応しないということは考えづらい。これでもわたし、ルシーズさんに慕われてますし。無視されてるということはないだろう。ないはず。

 

 まあルシーズのことだから、明日もいつも通りの感じで馬車乗り場に来ると思うけど。 

 

 その前に、多分朝イチで連絡が来そう。ルシーズの性格を考えて思った。

 

 ルシーズは他人のことは気に留めない感じがあるけれど、わたしに対しては妙に律儀なところがあったから。

 

 きっと、朝、目が覚めてケータイを見て、大慌てで連絡してくるだろう。

 

 想像してみて、少し口元が緩む。

 

 まあ、そんなに気にすることもないか。ここは事を大きく考えないことにして、終わりにすることにした。

 

 多分、大丈夫だろう。ルシーズが病気で寝込むなんてことも、今までなかったし。

 

 悪魔は体が丈夫。

 

 ふと見ると、妹が漫画を手にしたままスースー寝息を立てていた。道理で静かなはずだ。

 

 やれやれ。毛布と布団をかけてやる。

 

 わたしの中では、まだまだ妹は園児扱い。手のかかるやつだ。

 

 妹の寝顔に、不思議とルシーズの顔が重なる。

 

 手のかかるところはルシーズも似たようなもんだなと思って、一人ふへへと笑った。

 

 

 

 

 「あーあ、そろそろ寝るかぁ」

 

 大きく伸びをして、手にした雑誌を放り出す。時刻は十一時半を回っていた。寝るのは大体このくらいの時間で、それまでは布団の中でケータイの明かりを頼りに雑誌とか見てるのが普通。隣で妹が寝ているので音楽とかは聞けないし、明かりをつけて大々的に活動することもできないので、そもそもこのくらいしかやることはなかった。ゲームやらんし。

 

 ケータイの明かりを消して、枕元に投げる。明かりとしての機能には乏しい炭ストーブのぼんやりした光が、部屋をうっすら照らしていた。

 

 布団をかけて、目を閉じる。

 

 瞬間、

 

 チリリリリンッ。

 

「うおっ」

 

 心臓が飛び出しそうになって、がばっと身を起こす。

 

 ケータイが鳴り出した。

 

 こんな時間にかかってくるなんて、なんだなんだと思いながら手でケータイを探る。

 

 手に取って画面を確認すると、ルシーズだった。

 

「おいおい。今頃かい」

 

 ちょっと苦笑。

 

 確かに、メール見たら伝話くれる? とは言ったけど。

 

 これなら別に明日でもいいだろとは思いつつも、身を起こしながら伝話に出た。

 

「もしもーし、悪魔ちゃん?」

 

『その呼び方はやめて』

 

 第一声で突っ込みが入る。なんだか変なやり取りのような気もするけど、まあいっか。

 

 あははと笑ってごまかしつつ、まずは疑問の確認。

 

「えと、メール見たってことかな? 寝ちゃってた?」

 

『ごめん、寝ちゃってた。今、メール見て』

 

「やっぱそうだったか」

 

 言いながらも、正当な理由がはっきりして内心ホッとする。伝話してもメールしても返事がこないというのは、ある種、心への大きな負担にもなる。わたしはそんなに深く考え込まない性格をしているけれど、それでもやっぱり、そこになにかの思惑があるような感覚を覚えてしまうことは否めない。人付き合いの中に生まれる、一種のひずみとでも言おうか。

 

「あー、ちょっと待って」

 

 そう言って立ち上がる。ここでは隣に妹がいるので話しづらい。部屋を出たところにある勝手口から外に出て、庭のウッドデッキの隅に座った。

 

 夜の寒さが身を刺してくる。

 

 空には星が輝いていて、月は出ていないけれど綺麗な夜だった。

 

「ごめん、場所変えた。んでルシーズ、大丈夫?」

 

『え? なにが?』

 

「体調だよ。悪そうだったでしょ、今日」

 

『あ、そうだね、ちょっと』 

 

 伝話の向こうから、急にゴホゴホというわざとらしい咳払いが聞こえてきた。咳はしてなかったはずなんですけど。

 

「体調悪いみたいだし、じゃ、また明日にしようか、伝話」

 

 わざと意地悪めいたことを言ってみると、

 

『あ、大丈夫、もう治った』

 

「治るの早いな」

 

 結局、こんなところだと思ってたんだ。多分、仮病的なものだと。

 

 でもルシーズがこんなに早寝してしまったのには多分わたしがからんでいるわけで、そこはやっぱり責任めいたものを感じてもいた。それは、ルシーズにわたしへの距離感に対しての過度の反応を取らせてしまった結果だろうから。体力消耗的な。

 

 ルシーズとは自然体で付き合っていけると思っているけれど、まだまだその距離を計るのは難しいところもある。そっけなく思われるのも嫌だったし、あんまりベタベタするのもわたしのキャラじゃない。

 

 でもまあ、そこはそんなに思い悩むところでもないだろう。自然体のわたしが思い直させた。

 

 ルシーズの方は、まだまだわたしとの距離を計り切れていないようだけど。

 

『で、ジェイラ、なんの用?』

 

 そうだった。そもそもわたしの方から用があって呼び出したのだ。メールの内容も、伝話くれるかな? しか送ってないし。これじゃ用事が分かるはずもない。

 

「あー、別に大した用じゃないんだけど。今日、間違えてルシーズのノート持ってきちゃって。探してたら悪いと思ったから」

 

『え? それだけ?』

 

「それだけ。律儀でしょー、わたし」

 

 なははと変に笑ってみせる。ルシーズとの会話の中では、間を取り持つためにこんな笑いをはさむことが多い。

 

『別に、気にしなくてもよかったのに。明日で』

 

「そうなんだけど。あと、ルシーズ体調悪そうだったから、心配で」

 

 さらりと追加してみたところ、伝話の向こうから、ふぇ、だか、ひゃ、とかいう、発音不明の変な叫び声が聞こえた。姿は見えないけど、多分いつものルシーズの反応だろう。わたしの保護愛的な発言には、いつも恥ずかしがって応えるから。

 

 それがいつ治るのかは、先行き不透明ではあるけれど。ずっと治らんかも。

 

『ほ、ほんと。それは、ありがとーぅ』

 

「どういたしましてー」

 

 語尾の不安定な謝辞に、間延びした返答で応える。まあ心配はしてたけれど、いつものルシーズと変わらないみたいだし、これでよしとしておこうか。

 

 今日のことをちょっと聞いてみようかとも思ったけど、やっぱりそれはやめておこう。ルシーズはルシーズで、あんまり追及されたくないだろうし。

 

「ふむ、ルシーズ元気ならよかったよ。じゃあ、こんなところでいっかな。それじゃ、また明日。町でね。ノート持ってくから」

 

 色々確認も取れたし、これで充分だろう。切りのいいところで伝話を切ろうとしたけれど、

 

『あ、ちょっと待って』

 

 ルシーズが引き留めてきた。

 

「ん? なに?」

 

 尋ねてしばらくしてから、返事が返ってくる。

 

『あの、もうちょっと話さない?』

 

「んー、なんか話題あった?」

 

『そうじゃないけど。ジェイラと伝話で話すの、あんまないし』

 

 言われてみれば、確かにそうだ。普段から会っているし、会ってもそんなに会話が弾むわけではないから、わざわざ伝話で話すことは尚更少ない。多分、二回くらいしか話してないんじゃなかっただろうか。それも、教会の待ち合わせに遅れるとかなんとか。そんな類の話だけだった気がする。

 

「そうか。うん、そうかも」

 

 改めて思いを馳せてみる。

 

「じゃあルシーズ、なんか話題振って」

 

 考えても特に話題が出てこなかったので、押しつけてみることにした。そもそもルシーズの方から会話を提案してきたのだから、ここは責任を取ってもらうのが筋だろう。

 

 面倒なことは丸投げするわたし。

 

『え? えーと……』

 

 沈黙が続く。丸々三十秒ほど待ったけど、進展は無し。結局、わたしの方から話題を振ることになる。なんとなくこうなることは見えていたけれど。

 

「そうだルシーズ。今日のあのポーズ、なんだったの?」

 

 一つ思いついたので、特に考えもなしに言ってみた。

 

『ポーズって?』

 

「なんか両手上げて、全然オッケー、とか言ってなかった?」

 

『あー、あれは、別に』

 

 半分寝ぼけていたのでなんのことだか全然分からなかったから、これは結構本気の質問だった。でもルシーズの方は、なんだか話をはぐらかしたいみたい。多分、変なポーズだったから自分でも恥ずかしいと思ってるんだろう。

 

 面白いから、ここはもっと追究してやるか。

 

 悪魔を弄ぶ人間。

 

「じゃあ、もう一回やってみて」

 

『なんで』

 

「聞いてみたいから。せーの、はい」

 

『…………ぜ、全然オッケー』

 

「よくできました」

 

 ルシーズのことだから多分、片手を上げてポーズまでつけてくれたんだと思う。想像してみて、思わず、ぷぷっと笑う。

 

『ちょ、恥ずかしいんですけど』

 

 非難めいた声が聞こえてくる。

 

「姿見れないのが残念。明日もう一度見せて」

 

『やだ』

 

 断られたけど、明日またやってもらおう。決めた。

 

「はい、次の話題。ほらほら」

 

 間を空けずに催促する。黙ってたらいつまでも悪魔の沈黙が続きそうだ。

 

『え、えーと、あー、ジェイラ、ご飯食べた?』

 

 なんじゃそれは。

 

「そりゃ食べるよ。生きてるし」

 

『そ、そうだけど。あはは』

 

 ルシーズが笑いでごまかしてくるのは珍しい。ホントに話題が見つからないみたい。

わたしって、そんなに会話の弾まない相手なんだろうか。うーむ。

 

「ルシーズが笑うなんて珍しいねぇ。なんかいいことあった?」

 

『別に、そんなんじゃ。ってか、私をどんなやつだと思ってるの』

 

 今度はわたしの方から、なはははと笑ってごまかした。

 

「いやいや。ルシーズの笑顔、いいと思うよー」

 

『そ、そう』

 

 伝話の向こうで、モジモジした様子を感じる。まあ、分かって言ってみたんだけど。

 

「あ、わたし以外には見せないでねー。専売特許」

 

 ついでに、もっと踏み込んでみた。さあどう出るか。

 

『はい』

 

 意外にあっさりしてるな。もっと、ひぇっ、とか言うかと思ったけど。さすがにからかい過ぎたか。つまらん。

 

 ってか、はい、って。素直かよ。

 

「ところで、今日は夕飯にヘンなモノを食べたよ」

 

 折角なので夕飯の話題を続けてみる。

 

『ヘンなものって?』

 

「なんか、パンの上にから揚げとか刻んだものが乗ってるやつ」

 

『なんの料理? それ』

 

「分からん。母が勝手に作ったものだし。でも、これが旨くてビックリ」

 

『へー。じゃあ、私もちょっと食べてみたい』

 

「肉は嫌いじゃなかった?」

 

『別に、全く食べないわけじゃ。あれば食べるし』

 

「そうなんだ。草食かと思ってたよ」

 

『馬か、私は』

 

 話題が終われば、また沈黙。うーん、ルシーズの方から話を引っ張ってきたんだけどな。

 

 これ以上はホントに大した話題もないし、適当なところで終わりにするか。

 

 そう思っていると、

 

『あのさ、ジェイラ』

 

「うん?」

 

『ジェイラの方も、今日の、あれは、なんだった、のかな、って』

 

「あれ? あれってなに?」

 

『なんか、膝枕で寝てるときに、言ってたやつ』

 

「えーと、どんな話、してたんだっけ?」

 

 会話はしてただろうけど、なにを話してたか覚えていない。眠かったし。

 

『私のことが、とくー、べつとか、そういう』

 

「そんなこと言ったかな?」

 

『うん』

 

 ふーむ、と考えてみたけれど、思い出せん。はっきりいって寝ぼけていたので、自分がなにを言ったのかも覚えていなかった。

 

「あーと、ごめん。正直、覚えてない。寝ぼけてて」

 

『そ、そーなの?』

 

 明らかに落胆の色が見える。なんか悪いことしちゃったかな? これでルシーズがまた、変に気に病んだりしなけりゃいいけど。

 

「すまん。なんか変なこと言っちゃってたかな? ホント覚えてなくて」

 

『別に、謝らなくてもいいけど。ってか、変なことじゃなくて、私としては、もっと言ってもらった方がよくて……』

 

 そこまで言って沈黙した。なにが言いたいのかよく分からんけど、とにかくもっと褒めてもらいたいのだろうか。特別とか言ってたけど、特別扱いしてほしいってこと? それは普段のルシーズからも、ふんだんに感じられることではあるのだけれど。

 

「なんか分からんけど、特別か。特別ね。うん、ルシーズは特別だね」

 

『……そういう、サラッとしたものじゃなくて』

 

「ふーむ、わがままだな」

 

 折角フォローしてあげようとしたのに、こいつめ。

 

 結局、そのまま会話が途切れたのでこの話題も終わることにする。そんな大した話題でもないだろうし。

 

「まあいいや。じゃ、ルシーズ。他に話題なければ、そろそろ終わろっか、伝話」

 

 わたしとしては長伝話な方。それにずっと夜風に吹かれていたので、普通に寒かったし。

 

 十秒くらい待って、ようやく返事が返ってきた。どうしたの? と問いかけるまであと二秒くらいのところだった。

 

『あのさ、ジェイラ』 

 

「はい、ジェイラですよ」

 

 軽いジョークには反応せず、ルシーズが続ける。

 

『今度の土曜日なんだけど……一緒に、遊び行かない?』

 

「遊び? いいけど、どこへ?」

 

『テキトーでいいんだけど。あ、今度できたショッピングモールとかどう?』

 

「ああ、あそこか。うちにもチラシが入ってたよ。ヒノキウォークだっけ?」

 

『うん。どうかな?』

 

「わたしはいいけど、ルシーズ、バイトじゃないの?」

 

『夜からだから、昼間は平気』

 

「そっか。じゃあいいよ。わたしも行ってみたかったし」

 

『ホントに?』

 

「ホント」

 

 声が露骨に嬉しそうだ。もしルシーズが犬だったなら、尻尾をフリフリ振ってそう。

 

 なんてことを思ってたら、一つ思い出した。

 

 そういえばルシーズ、元から尻尾あったんだった。

 

 うーむ、すっかり尻尾の存在を忘れてたよ。

 

 ってか、あれってなんか使い道あるのか? まあいっか。

 

「じゃあ、詳細は明日ってことで」

 

『うん、じゃあそれで』

 

 どうやらルシーズも満足したみたい。なんか色々よく分からなかったけど、まあルシーズがいいならそれでいいか。

 

 どうもわたしは最近、物事をルシーズファーストで締めくくることが多い。まあ、わたしは自分の意見を押し出す性格をしてなかったので、そちらの方が都合がよかったというのもあるんだけど。

 

 でもルシーズが喜んでくれるのは、素直に悪い気はしないし。わたしもそれを望んでいるのだと思う。

 

「えーと、それじゃ、もういいのかな? 他にはなにかある?」

 

『大丈夫。それじゃ、また明日』

 

「ふむ、そんじゃ、おやすみー。風邪引くなよ」

 

『ジェイラもね』

 

 通話終了。随分長くしゃべってた気がするけど、表示された通話時間を見るとそんなに長いわけでもない。世間一般から見れば、ただの普通の伝話に過ぎないのだろう。でもわたしにとっては、相手が誰であろうと久々に長く伝話でしゃべったなと思った。

 

 それになぜか、変に充足感があるのはどうしてだろうか。ルシーズが伝話に出なかった理由が分かって、元気であることも分かったので、確かに安心した部分はあるのだけれど。

 

 しかし今、それ以外のなにかがわたしの心を満たしているのを感じていた。

 

 多分、ルシーズとの久々の伝話だったので、それが楽しかったのだと思う。しょっちゅう伝話をしているなら、なにも感じないんだろうけど。

 

 こういうのは、たまに、というのがいい。なにごとも、普段から接していることには慣れてしまうものだし、ありがたみも薄れてしまうだろうから。

 

 夜空を見上げる。

 

 星空の綺麗なこんな夜に、ルシーズと伝話か。

 

 微かな熱量のようなものを感じた。

 

 こういうのも、ロマンチックという部類に入るんだろうか?

 

 そんなことを考えていたら、シムリルのことが頭に浮かんできた。 

 

 毎年十二月二十日のシムリルの聖夜には、夜空を見上げながら、恋人たちが運命の星を探すという習わしがある。わたしの方は、そんなことには興味がなかったけど。

 

 わたしの運命の星というやつは、どこにあるんだろうか? 

 

 がらにもなく、思いを馳せてみる。

 

 星空の輝く夜の下に、一人。

 

 わたしは……。

 

 冷たい風が吹き抜けて、現実に戻る。

 

「うお、寒っ」

 

 身を屈めて、逃げるように家に入った。

 

 ロマンチックには、まだまだほど遠いな、わたし。

 

 

 

 

 土曜日。ルシーズのバイトが夕方五時からだということなので、朝十時の早めの集合となった。向こうで適当にお昼を食べて、なんやかんやで見て回ったりしていれば、時間もすぐに過ぎてしまうだろうから。

 

 目当てのショッピングモールはわたしの家から歩いて三十分ほどの距離。いつもの繁華街とは反対方向にあって、メアやテセナの住んでいる住宅街からほど近い場所にあった。そのため必然的に、集合はショッピングモールから近いわたしの家で、ルシーズの方がわたしの家までくることになっていた。

 

 九時五十分きっかりに、ケータイが鳴る。

 

 ルシーズからの伝話で、家の前に着いたということだった。

 

「おっす、今行く」

 

 それだけ言って伝話を切る。まだ爆睡している妹を尻目に、手早く支度をして玄関に向かった。

 

「あれ、姉ちゃんの友達?」

 

 玄関ホールの前で弟が声をかけてきた どうやら、外で待ってるルシーズの姿を見て尋ねてきたらしい。こいつの方も、土曜のサッカーの練習に向かう準備を済ませて出かけるところみたいだった。

 

「外の? そうだよ。出かけるの」

 

「カンビオンだよね。珍しい友達いるね」

 

「そう、珍しいでしょ。どうだ」

 

 変に威張ってみせる。自慢にはならないだろうけど。

 

「ってかあの人、一時間くらい前からいたよ」

 

「は? んなわけないでしょ。今来たとこだよ」

 

 冗談だと思って流したけど、弟は本気らしかった。

 

「ホントだよ。なんか、行ったり来たりしてて。向こう歩いてったと思ったら、また戻ってきたり。なにやってんの? あの人」

 

「マジか」

 

 おいおい、ホントになにやってんだルシーズ。

 

 時間でも間違えたか? 几帳面なルシーズの性格からしてそれはないと思うが。

 

 それにしても、そんな早く着いてたんなら伝話くらいすればいいのに。わたしも鬼でも蛇でもないから、家に温かく迎え入れるくらいの優しさは持っている。

 

 玄関のドアを開けて、弟と一緒に外に出る。

 

 門柱の影に半分隠れるような形で、ルシーズの姿が見えた。不審者っぽく見えなくもないけど。

 

「おーい、そこのきみ」

 

 わたしの呼びかけにビクッとして、ルシーズがこちらを振り向いた。って、なにをビクつく必要があるんだ。本当に、やましいところでもあるのか。

 

「あ……ちっす。どうも」

 

「なにその挨拶」

 

 わたしが弟と一緒だったので、変に遠慮したみたいだった。弟に向かって控えめに手を上げている。

 

「あ、これ、弟。小五」

 

「よろしく。あの、ジェイラさんの友人です」

 

「どうも。じゃ」

 

 それだけ言うと、弟はスポーツバッグを担いで駆けていった。

 

 その姿を見送って、ルシーズがようやく近づいてくる。顔が赤らんでいた。ホントに一時間前に来てたとしたら、そりゃ身体も冷えるって。

 

「ってか、ルシーズいつ来たの? 弟が随分前から来てたって言ってるんだけど。ホント?」

 

 問いかけると、またビクッとなった。なんか気まずそうな表情をしている。

 

「あの、ちょっと、早起きしちゃって。なんとなく、来てしまいました、はい」

 

 本当に来てたのかよっ。困った悪魔だ。

 

 ってか、近所の人から不審に思われてないだろうな。

 

「おいおい、伝話くれれば家で待っててもよかったのに。風邪引いたらどうすんの」

 言いながら、ルシーズの頬に手を当てる。やっぱり冷たい。

 

「寒さには強い、から。散歩がてらに……」

 

 モジモジと応えた。逃げたりはしなかったけど、やっぱりわたしが距離を詰めたりするとこうなる。

 

 ってか、いくらなんでも散歩というのは嘘だろ。

 

「うーん、まあいいや。次からは伝話しろよ」

 

「はい」

 

 やれやれ。なんか出発前から、ヤラレチャッタって感じだけど。

 

 ルシーズのおかしな生態をまた一つ確認。ホントにこの悪魔ちゃんは、いつまで経っても未知なる側面が飛び出してくる。

 

 でも最後にはいつも、それが変な安心感で終わるのはなぜだろうか。

 

 考えてみたけれど、それは多分、手のかかる妹の面倒でも見ている気になるからだと思う。

 

 それ以上の答えが見つからない。だからきっと、それが正解なんだろうと思った。

 

 

 

 

 家に上がって温かい飲み物でも飲んでいくかと勧めたけど、ルシーズが「大丈夫だから」と言ってきたのでそのまま出かけることにする。まあ、ルシーズは自分でも言ってるけど、ホント寒さには強いし。マフラーもちゃんとしてるから、大丈夫なんだろう。

 

「あの、ジェイラ」

 

「ん?」

 

 歩き出して、家が見えなくなったところを確認するかのように振り返ってから、ルシーズが言ってきた。

 

「つないでも、いいかな?」

 

 わたしの右手を指差す。

 

「ああ、手ね。はい、どーぞ」

 

 当たり前のように差し出した。最初は随分気にもしていたけれど、なんかもう慣れっこになっちゃったって感じ。町で会うときには、いつもつないで帰ってるし。

 

 ってか、別にわたしの家族の目を気にしなくてもいいだろうとは思うけど。仲良しの友達ってことで済む話なんだから。

 

「ところでルシーズ」

 

 一段落がついたところで言ってみる。

 

「え?」

 

「その服、似合ってるじゃん。どこで買ったの?」

 

 遊びに行くのにさすがに制服姿ということはないから、ルシーズは私服だった。当然、わたしも私服。遊びに行くので、それなりに、おめかしはしたつもり。

 

「別に、適当に買ったやつだけど。服とか、あんま持ってないし」

 

 ルシーズは興味もなさそうに言ってたけど、わたしとしては興味深々なところではあった。そもそもルシーズと二人で休日に遊びにいくということ自体これが初めてだし、ルシーズのプライベートな部分については知らないことばかりだったから。

 

 ルシーズは相変わらず、自分のことはしゃべりたがらない。

 

「適当に買った服が普通に似合っちゃうとか、やっぱ美人はずるい」

 

 茶化すように言ってみる。ルシーズは赤いセーターの上に深緑色のジャケットをラフに羽織っていて、その上から肩掛けの茶色いバッグを掛けていた。下は、濃い群青色のスラックス。パッと見、メンズっぽい印象の格好だけれど、それが逆にルシーズの美しさを際立たせている。

 

 これで適当とか言うのだから、わたしの立場というものがない。わたしは結構頑張って、白のコートを基調におしゃれにコーディネイトしてきたつもりなんだけど。

 

「そんなことない。ジェイラこそ、私服、ちょーカワイイ」

 

「そうー? あはは、それはどーも」

 

 うーん、それをルシーズに言われても、説得力というものがまるで無いんですけど。

 

 並んで一緒に歩く身にもなってくれ。

 

 住宅街を出てしばらく歩く。それから十分も歩くと、また別の住宅地へと入っていった。

 

 ここはメアの実家の二つランタン亭のある区域。遠巻きに丘を望めば、山の麓に一際大きな建物が見える。それが二つランタン亭で、まるでちょっとしたお城みたいだった。

 

 あれ、メアん家。すごいよね。などとささいなやり取りをして、通りを過ぎていく。こっちの町の区域にはあまり来たことがないので、手にしたチラシの地図を頼りに進んでいった。

 

 二人して手にした地図を頼りに進んでいく姿は、ちょっとした探検旅行気分だ。知らない町というほどでもないけれど、歩き慣れない場所には違いない地を、ルシーズと二人で進んでいく。それはなんだか少し、不思議な気もした。

 

 天を見上げれば、そこには見慣れた空があるわけで、それはわたしの住む住宅街でも同じ。でも目線を下げれば、そこには見たことのない建物の群れが広がっている。歩く人達の姿まで、なんだか違う人種のような気がしてくる。それはさながら、異国にでも迷い込んでしまったかのようだった。

 

 わたしは出不精の割には、知らない土地が好きだ。小さな頃からそうだった。あの頃は、どこもかしこも知らない場所ばかりで、どこへ行ってもわくわくと心を躍らせていたものだった。さすがに今となっては、そんなに心が浮き立つこともない。わたしの足は、すっかり自宅に根を下ろしてしまっている。

 

 今にして思えば、よくそんなに探究心が続いたものだと感心してしまう。一体わたしは、そこでなにを見つけて、なにを得たのだろうか? 自問してみたけれど、はっきりと言い切れるものはなに一つなかった。小さかったし、記憶も曖昧になっている。

 

 そんなことを振り返りながら、ルシーズと共に歩く。目の前に広がる道は、ごく当たり前の道で、誰もがなんの疑問も抱かずに通り過ぎている。でもわたしにとって、そこは切り開いていくべき未来への開拓地のようにも思えた。

 

 人生には様々な未開の道があって、そこを人は手探りのまま、あるいは自覚も無しに進み、切り開いている。そうやって切り開かれた道を探索し、あるいは迷い、そしてなにかを見付けていく。

 

 そしてその中から、自分にとっての大切なものを残していく。

 

 最後に残るのは、選び抜かれた光の結晶のようなものだ。その結晶がなんであるのかは、人によって様々だろうと思う。でも共通するのは、それがその人にとって人生を捧げるのに相応しい、とても愛おしいものだということ。

 

 つないだわたしの手の先にいるルシーズを見てみる。何度も見ているその横顔は、やっぱり端正で美しいものだった。触れれば砕けてしまうような、水晶のごとき儚さをも兼ね備えた横顔。

 

 その横顔を見て、思った。わたしの見つけたこのルシーズとのささやかな時間は、確かに、わたしにとっての光の結晶の一部になり得るものだと。

 

 それがどんな道へと続いているのかは、まだまだ未知数ではあるのだけれど。

 

 

 

 

「そう言えば昨日、変なヤツに会ったよ」

 

「変なやつ?」

 

 あと少しで目的地に着く頃になって、急に思い出した。昨日の伝話で話題に上げるのを忘れていたので、折角だからここで話してやろうと。

 

「なんか緑色に光ってる、自称エンピリアンちゃん」

 

「エンピリアンって。なにそれ」

 

 ルシーズの方も、まともに受け取ってはいないみたい。まあ当然だろうけど。そんなことを真に受けるやつなんて、小さな子供か、あるいはよほど頭の中がファンタジーなやつ以外いないだろう。

 

「妹の同級生らしいんだけど。まあ、変わり者ってやつ? なんかいきなり道端で話しかけてきて。こっちは全然知らないのに、やたら馴れ馴れしいし。変に懐かれちゃったって感じ」

 

「そう。ふーん」

 

 ルシーズらしい素っ気ない反応が返ってきたけれど、興味を持っているということは感じ取れた。特に、わたしの言葉の最後の部分に対して。

 

 うーむ、わたしが誰かと親しくすることに拒否反応めいた姿勢を示すことは知っているけれど、なにも妹の同級生にまでそれを及ぼさなくてもいいと思うけど。

 

 まあいっか。ルシーズにとっても、そこまで気にする相手でもないということはすぐに分かるだろうから。わたしとしても、あんな天使ちゃんにあまり懐かれても困るし。

 

「ジェイラは、どっちがいいと思う?」

 

「へ? なにが?」

 

 ルシーズが急に言ってきたので、なんのことだか分からずに尋ねる。

 

「天使と、悪魔なら」

 

「なにその質問」

 

 冗談かと思ったけど、ルシーズの表情は真剣だった。

 

 ってか、そんなこと考えたこともなかったし、答えようがないじゃないか。

 

 うーん、と考えて、わたしなりの答えを返しておくことにする。

 

「別に、どっちでもいいんじゃない? あ、これだと、妹と同じか」

 

 昨日の妹とのやり取りを思い出す。天使の性別について話したときの、あれ。

 

「ふーむ、わたしは、差なんてないと思うけど。問題は、中身だと思うよ」

 

 ルシーズの方を向いてみると、ルシーズもこっちを見ていて目が合った。でも、今回はルシーズは目を逸らすことなくこっちを見ている。逆に、わたしの方が恥ずかしくなってきた。適当なところで顔を戻す。

 

「そっか」

 

 ルシーズがそう言って、また正面を向いた。そのまま、無言が続く。

 

 なんだったのかなと思いつつ、結局そのまま、目的地に着くまで話題はなかった。

 

 

 

 

「ひぇー、凄いな」

 

 目の前に急に広がった景色を眺めて、思わず感嘆の声を漏らす。未知なる住宅地の家並みを過ぎたところで突然視界が開けて、巨大な建造物が姿を現した。

 

 思ったより普通の場所にあるんだな。続く感想がそれだった。もっと、小高い丘の上だとかに古城のように聳え立っているのだとばかり思っていたのだけど。地元住民は、家のすぐ近所にこんなものができてどう思っているんだろうか、とちょっと想像してしまった。

 

 これが例のショッピングモールで、二階建ての平べったい建物がどこまでも伸びている。建物の周りには、遠方からの来客に備えた馬車の係留スペースが延々と広がっていた。

 

 ひっきりなしに行き交う馬車の群れをすり抜けて、入り口へ向かう。オープンしたばかりだし、土曜日ということもあって、建物の中は人でごった返していた。よくもまあ、これだけの人が集まったものだと感心するほど。

 

「皆、よほど他にやることないのかね」

 

 呆れたように言ってみたけど、

 

「私達も似たようなもんじゃない?」

 

 同じく呆れたように返された。誘ったのはそっちだったはずだけど、とは思ったけど、「まあそうかも」と軽く笑って流しておく。確かにわたしも、他にやることなかったし。勉強は平日だけで充分。

 

「でもこれだけ人が集まると、なんだか居心地が悪くなってくるよ。酔いそう」

 

「私も。人ごみは好きじゃない」

 

「意見が一致しましたね」

 

 顔を見合わせて笑う。大勢の人の中にいるルシーズの姿は、なんだかとても不思議な感じがした。場違い感が凄いというか。

 

 このまま放っておいたらどこかへ消えていってしまうような気がして、つないだその手を確認する。ルシーズの手は、確かにわたしの手の中にあって。そしてその先に、ルシーズの姿もあった。

 

 当たり前だろとは思いつつも、変に安堵する。

 

 ちょっと感謝もしてしまった。

 

「じゃあ、迷子にならないように、しっかりお手々つないどいてねー」

 

「子供じゃないんだけど」

 

 拗ねたような表情を見せるその姿に、また安心した。

 

 一階は様々なテナントが並んでいて、業種も様々だった。一番多いのが食べ物屋で、各国のありとあらゆる食べ物が並んでいる。わたしの町の名物である、焼きスフレと鳥弁当を売っている店もあった。あの鳥弁当、旨いんだよな、と、一人想像を巡らせる。食いしん坊か。

 

 大ホールまで足を運ぶと、そこは二階への吹き抜けになっていた。真ん中に大きなモミの木が置かれていて、見上げると、その周りを囲むように二階の踊り場が見える。案内板が立っていて、それによれば二階はファッションとインテリア雑貨の店が多いようだった。

 

 その二階の踊り場を見上げていると、その端っこに、ちらりと緑色のものが見えた。キラキラと輝く、光の瞬きのようなもの。ハッと思ったときには、もうその光は見えなくなっていた。

 

 まさかね。

 

 そう思っていると、

 

「これは奇遇ですな」

 

「うおっ」

 

 急に背後から声をかけられて、思わず叫ぶ。

 

 振り返ると、案の定というか、ワツィがいた。

 

 ニコニコと、わたしの顔を見上げている。

 

「あなたもお買い物ですか? ここは色んな物があって迷ってしまいますね」

 

「なんでいるの、あんた」

 

「時間が空きましたので、ちょっと『ものみゆさん』に」

 

「ものみゆさん、ねぇ」

 

 ルシーズの方を見る。ルシーズの方もわたしを見ていて、「これがさっき言ってた子?」とでも言いたげな表情だった。

 

「あー、その天使ちゃん」 

 

 ルシーズの心の声に応えるように説明する。話題にしたばかりだというのに、まさかここで再び会うことになるとは思わなかった。

 

 それにしても、こんなにタイミング良く出てくるなんて。どっかから後をつけてきてるんじゃないだろうな。こいつに限っては、ありえそうだから恐いよ。

 

「ところであんた、その格好」 

 

「どうかしましたか?」

 

「天使は性別が無いんじゃなかった? まるっきり女の子なんだけど」

 

 ワツィの格好は昨日と打って変わって、そのまま女の子になっていた。薄い水色のワンピースを着ていて、肩が露出している。胸には大きなリボンが飾られていて、ヒラヒラしたレースのついた女の子の靴を履いていた。

 

 そしてその髪が一番不思議だった。相変わらずキラキラとエメラルドグリーンに輝いていたのだけれど、明らかに昨日より髪が長い。昨日は性別の分からないサッパリした髪型だったけど、今日は髪が肩を越えていて、しかも左側の髪だけ凄く長く、その髪を銀色の飾り輪で留めて胸の前に垂らしていた。

 

 ウィッグをつけているのは明白だった。でも、なんでそんなものつける必要があるんだ。

 

 その歳で女装癖でもあるのか? いや、ってか性別はないんだから、女装とも違うってことか? サッパリ分からん。

 

「いい面は色々試しておきたいので、今日はこのような姿になってみました。どうです」

 

「はあ。いいんじゃないですかね」

 

 考えるのも面倒臭いので、適当にあしらう。

 

 そのままなんとなく、その髪を触ってみると、

 

「うおっ、本物?」

 

 明らかにその髪は、ワツィの頭から直接生えていた。ウィッグが乗っているわけじゃない。

 

 なんじゃこれは。

 

「当たり前じゃないですか。自前ですよ」

 

 思わず引っ張って試してしまう。紛れもなく、それは本物の髪だった。キラキラした光の粒が、手からチラチラと舞い散っていく。

 

「いだだだっ。なにをなされる」

 

「いや、ごめん。つい」

 

 なんだかまた訳が分からなくなってきた。やっぱりこいつとは、あんまり関わらない方がよさそう。ルシーズを放っておいたら、また逃げ出しそうだし。この天使ちゃんとは、この辺でバイバイしてしまおうか。

 

「えと、じゃあ、お姉さん達はお出かけだから。それじゃ」

 

「ほーほー、お友達ですかな?」

 

 別れようかと思ったけど、ルシーズの方に食いついてくる。まだからんでくるつもりか。

 

「そうだよ。これから買い物なの」

 

「それじゃ、ご一緒しましょうか。ご案内しますよ。ここは初めてでしょう?」

 

「別にいいから。ってか、なんで初めてって分かるの」

 

「ジェイラさんのことなら大抵のことは知っていますから」

 

「嘘つけ」

 

 妹に聞いたとしても、そんなことまで分かるはずもない。ってか、今日ここへ来ることは妹だって知らないことだし、こいつが知ってるわけがない。一発で嘘と分かる。

 

「ご安心ください。わたしもここは初めてですから」

 

「えと、言ってる意味分かってる?」

 

 まともに付き合うのも面倒臭い。早く逃げないとー。

 

「初めまして。あなたのお名前は?」

 

 またルシーズに食いついてくる。

 

「え? あの、ルシーズだけど」

 

「ほーほー、あなたがルシーズさんですか。顔がそっくりですね」

 

「誰にだよ」

 

 わたしの方から思わず突っ込む。なんのことを言っているのか分からん。しかも、ルシーズのことを知っているような口ぶりだし。ルシーズのことは妹にだって話したことはない。

 

「まあ、こちらの話です」

 

 話を締められた。まあいいけど。

 

 取り敢えず、カンビオンというところには反応しないのか。

 

 一番興味を示しそうなところだと思ったけど。

 

「じゃあ、行きましょうか。美味しそうな食べ物屋さんも一杯ですし」

 

 ワツィがそう言って、わたし達の前を歩き出す。って、おいおい。わたしは別に、一緒に行くなんて一言も言ってないんだけど。

 

「大丈夫です。ついてきて損はありませんよ。わたしがおごりますから」

 

 損はないって、そういうことじゃないだろ。別にわたしは、こんな子供におごらせるほど意地汚いわけじゃないし。

 

「ちょっと。いいって」

 

 制止しようと声をかけたけど、ワツィはスタスタと歩いていってしまう。このまま放っておいて逃げてしまおうかとも思ったけど、それだとまた後を追いかけてきそうだしなあ。

 

 それにどうやら、ここへは一人で来ているみたい。この前会ったときも一人だったし、いったい親はどこでなにをしてるんだ、と、ちょっと憤ってしまう。

 

「ほらほら、迷子になってしまいますよ」

 

「それはこっちのセリフだ」

 

 ルシーズと顔を見合わせたけど、取り敢えず、あんな子供を一人でふらふらさせておくのも危なっかしいし、ちょっとだけ付き合ってやることにしようということになった。ルシーズの方は、あからさまに渋っていたけれど。不機嫌と言ってもいいくらいの様子だった。

 

 私とこの子と、どっちが大事なの? とでも言いたげなくらいだ。

 

 うーん、そう来られてもなあ。わたしのせいじゃないし。

 

 とにかくここは、変なのに捕まってしまったとあきらめるしかなさそうだ。やっぱり、普段の行いが悪いのか。

 

 学校サボるのは、もうやめたはずなんだけど。どうやら、贖罪はまだ果たされていないようだ。

 

 ワツィはそのまま、飲食店街に入っていく。居並ぶメニューを端から覗き込みながら、一人で「おぅおぅ」とわめいていた。

 

「ここがよさそうに思えます」

 

 そういって指差した店は、東の異国の変わった料理を扱った店だった。町の繁華街の、あの変わったお菓子を取り扱っている店の外観によく似ている。赤と緑の柱と壁、そして変わったデザインのドラゴンが、ここでもお出迎えしていた。東の異国、ブームなのか? 今。

 

 わたしとルシーズの承諾を待たずに、ワツィは店内に入っていってしまう。おいおい、人の意見は聞かないんかい、と思う間に、出迎えの店員さんに「三名でお願いします」と丁寧に案内を願い出ていた。店員さんの方は、この不思議天使ちゃんの外見に動揺を隠せないようではあったけれど。

 

 まだ時間が早かったので、ほとんど待たずに席に通される。案内された席は、革張りの豪華な長椅子が周りを囲んでいるボックス席だった。網目模様の入った豪華な木の格子が周りを囲んでいる。まるで王侯貴族が座るような席だけど、勘定大丈夫か? ちょっと心配してしまう。

 

 でもメニューを見れば、料金は至って普通。ランチメニューもあって、それは1デニルでお釣りがくるくらいの価格設定だった。よかった。これなら学生でも安心。まさか本当に子供に支払わせるわけにはいかないし。

 

 まあ、お金が足りないようだったなら、ルシーズに、たかればいいか。そんな黒い考えも浮かんではいたけれど。

 

「どーぞどーぞ、なかなかの座り心地ですよ」

 

 ワツィが長椅子に飛び込むように座って、隣の席を示してきた。そのままの流れで、やれやれと隣に座る。ルシーズの方は、やや遠慮がちに向かいの席に腰を下ろした。やっぱり浮かない表情をしている。

 

 やれやれ、早いとこ、この天使ちゃんとは別れて、悪魔ちゃんの方にもご機嫌を直してもらわないと。

 

 また、ややこしいことにもなりかねないし。

 

 ってか、なんでわたし、こんなに気を使っているんだ。今日はここに、遊びにきたはずだったんだけど。

 

「好きなものを選んでください。おごりますので」

 

 ワツィがまた言ってきたけど、

 

「だから、いいってば。子供のお小遣いから出させるわけにはいかないでしょ。ってか、あんた、ちゃんとお金持ってるの?」

 

 呆れたように言ってみる。三人分の食事代を支払うとなれば、子供には大金のはずだ。ウチの妹のお小遣いから考えて、三か月分の給料にはなりそう。

 

「ご安心ください。どうです」

 

 威張って差し出した手の上に、キラキラと光るものが乗っている。

 

 って、うぉい。これプラチナじゃん。

 

 シリル金貨5枚分の価値のあるプラチナ貨が1枚、その小さな手の上に乗っていた。これ1枚あれば、ルシーズの一か月分の乗合馬車の定期券が買えて、まだお釣りがくる。

 

 なんでこんなもの持ってるんだ。まさかまた、元素を組み立てて出したとは言わないだろうな。贋金作りは犯罪だぞ、天使。

 

「まさかあんた」

 

 いぶかしそうな目を送ってみる。本当に、やましいことでもしたんじゃないだろうな。

 

「大丈夫です。本物ですから。天上界から持参したミスリル原石をお店に売ったら、これがいっぱいもらえました」

 

「ミスリルって。そんなアホな」

 

 ミスリルなんていったら、それこそ天井知らずの値段のする貴重品だ。それが本当なら、プラチナ貨なんて何百枚も手に入る。嘘に決まってるだろうけど。

 

「それより、早く決めてください。お腹が空きましたので」

 

 ってか、まだ十時半過ぎだし、正直あんまりおなかは減ってなかったんだけど。

 

 仕方なしにメニューを手に取る。そのメニューを正面の席のルシーズの方に差し出して、二人で一緒に選ぶことにする。

 

「ルシーズはなにがいい?」 

 

「ジェイラと同じのでいいよ」

 

 シャトランでお菓子を選んだときにもこんなことがあったな。主体性がないというか、わたし任せというか。

 

「別のを頼んで、二人で分けない? その方が色々食べられるし」 

 

 ルシーズに気を配って提案してみる。これなら仲の良さもアピールできそうだし、これでちょっとは機嫌が直ればね。

 

「うん、それもいいかな」

 

 少し笑顔になる。よしよし、狙いはうまくいったみたい。

 

「ルシーズ、ちょっと耳貸して」

 

「え?」

 

 ルシーズの方に顔を寄せて、手で口元を隠す。そのまま、ワツィに聞こえないくらいの音量でささやいた。

 

「食べ終わったら、この天使ちゃんにはバイバイしてもらうから。そしたら二人で、ね」

 

 意味深に聞こえそうなセリフを言ってみる。まあ、二人で仲良く遊びましょうということが言いたかったわけなんだけど。ルシーズにはこんな言い方の方が効果的に思えたから。

 

「ひゃい、お願いします」

 

 また動揺。相変わらず反応が面白い。

 

 って、悪魔で遊ぶのはこのくらいにしておかないと。

 

「ちょっとちょっと、ルシーズさん。お耳を」

 

 ワツィがルシーズを手招きしてきた。どうやらわたしを真似て、ワツィもひそひそ話をしたいらしい。そういや昨日、最初に会ったときにも、ひそひそ話をしてきたな。好きなのか? ひそひそ話。

 

 わたしが「付き合ってやれば」といった感じに目配せすると、ルシーズは渋々身体を乗り出してワツィの方に頭を差し出した。

 

「やっぱりルシーズさんは、ジェイラさんのことが好きなんですね」

 

「ぶひゃ」

 

 ルシーズが吹いた。

 

 まあ、子供なりの素直な感想というところか。傍目から見ても、わたし達は仲良しに見えるらしい。ってか、仲悪かったなら、そもそも休日に二人でこんなとこ来ないだろ、とは思ったけど。

 

 あと、この距離で普通に聞こえる声量で言ったら、ひそひそ話にならんだろ。

 

「おい、筒抜けだぞ」

 

 指摘すると、ワツィは「おお、それもそうでした」と言ってニッコリ笑った。本当に分かったのかも疑わしいけど。

 

「微力ながら、このわたしがご協力いたしましょう。×▲△★§さんからも、そう言われて来ました」

 

 一応ルシーズの耳に手をかざしてはいたけれど、全く普通の音量で言ってきたので誰に言っているのかも分からない。やっぱこいつ、人の話を聞いてないな。しかも、途中で意味不明の発音が入ってるし。言葉の流れから、人名みたいだけど、誰?

 

「協力って、なんの?」

 

 一応聞いてみると、

 

「ルシーズさん、お耳を拝借」

 

 またルシーズの方に言ってくる。わたしには聞かせんのかい。

 

 ワツィがルシーズの耳にささやく。今度は本当にひそひそ話だったので、わたしにはなんて言っているのか聞こえなかった。まあ、聞いたところで大した話もしてないんだろうけど。

 

「びhyやっ」

 

 ルシーズが吹いた。またかい。

 

 ってか、なんだその発音は。ワツィの変な言語がうつったか。それとも奈落語?

 

「大丈夫ですよ。わたしにお任せください」

 

 ワツィはずっとニコニコしたまま。

 

「あなたのことは、よく分かっているのですよ」

 

 一体なんの話やら。こいつの言っていることは当てにはならんから、間に受けない方がいいんだけれど。

 

 ルシーズの方を見ると、顔が真っ赤になっている。わたしの知っている赤面レベルの中でも最上位に位置するくらいの赤さだった。

 

 一体ワツィになにを言われたのか。真に受けちゃだめだってばルシーズちゃん。

 

「ちょっと、こっち来て」

 

 突然ルシーズが立ち上がって、ワツィの手を引っ張っていった。えと、なに?

 

「強引ですな」

 

 ワツィもなすがままに連れ去られていく。まるでルシーズが誘拐犯みたいに見えなくもなかった。キラキラ輝く天使と、漆黒の悪魔。

 

 少し離れたところに二人でしゃがみ込んで、なにやら話し込んでいる。途中、ルシーズがチラチラとこっちを見てくる。わたしは一人、蚊帳の外といった感じ。っていうか、おーい、注文まだなんですけど。

 

 ようやく戻ってきて、それぞれの席に座る。ワツィは相変わらずニコニコしたままで、ルシーズの方は「ふひゅー」と息を深くついて、なんだかよく分からない表情をしていた。落ち着かないというか、嬉しそうというか。

 

 一体なにがどうなったというのやら。

 

「えと、終わった? 注文いいですかね?」

 

 本来の作業を促す。ようやく注文の段取りとなった。やれやれ。

 

 メニューの内容も、見たこともないものばかりだった。さすが、東の異国。でも、一緒にイラストが添えてあったので、どんな感じの料理なのかは大体分かる。名前だけで適当に注文などしてしまったらカエルの丸焼きでも出てきかねなかったので、その点では安心。味の方だけは、さっぱり想像できなかったけど。

 

 結局、わたしが選んだのは石焼メンタイコビビンバなる料理。メンタイコって、昨日ウチの母が言ってたやつじゃん。ということで、これに決めた。旨かったし、ルシーズとの話題も盛り上がりそうだったから。

 

 ルシーズの方は麺類にすることにして、汁無しタンタンメンとかいうやつを注文。本来、汁がある料理らしいが、元が分からなかったのでそこは気にしないことにする。どっちも珍しいことには違いなかったし。

 

 ワツィは肉まんセット。パン生地に具材が入った料理らしい。それと、チョコレートパフェを頼んだ。ってか、いきなりデザート頼むのか。しかもそれ、東の異国関係ないし。

 

「おお、ちょっと待ってください」 

 

 ワツィが急に席を立って、わたしの膝の上を飛び越えていく。しばらくして戻ってくると、その手には陶器のカップが二つ握られていて、温かいお茶が入っていた。

 

「ほーじ茶だそうですよ。どーぞ」

 

 そう言って、わたしとルシーズの前にカップを置く。どうやら、セルフサービスのドリンクコーナーでお茶を汲んできてくれたみたい。へー。

 

「おー、気が利くねえ。結構いいとこあるじゃん」

 

 そう言って、お茶をずずーっとすする。飲んだことのない味だったけど、香ばしくて美味しかった。

 

「どういたしまして。わたしも、ジェイラさんが好きなので」

 

「ぼぶっ」

 

 ルシーズが吹いた。三回目。今度は、飲みかけのお茶が口から吹き出るおまけつき。

 

 そのまま、わたしの方を気にかけつつも、ワツィに顔を寄せて小声でささやく。

 

 ルシーズがなにかを言ったあと、

 

「もちろんです」

 

「変といいますと?」

 

「だって好きですよ」

 

「ふーむ、そんなものですか?」

 

「難しいですね」

 

 ワツィの返答は全て普通の音量だったので、以上のことが聞き取れた。

 

 一体、なんの話? 分からん。

 

 ルシーズの方を見てみると、こちらはなにやら胸になにかをつかえさせてる様子。不満がありありなその態度が、ワツィに向けられているようにも見える。

 

 なんなんだ、さっきから。わたしを置いて勝手に盛り上がらないでくれ。

 

 取り敢えず、後でルシーズを問い詰めてみるか。応えなそうだけど。

 

「まあ、こちらの話です」

 

 見ると、ワツィは涼しい顔をして、グラスに入ったメロンソーダを飲んでいた。って、いつの間に? お茶のカップしか持ってこなかったはずなんだけど。

 

 まさかポケットに入れてきたのか? こぼれると思うけど。手品師か、こいつは。

 

 その前に、それ有料のドリンクバーなんだけど。ちゃんと金払えよ。

 

 てなことをやっていると、ルシーズが席を立った。しばらくして戻ってくると、その手には同じ陶製のカップが握られている。

 

「ジェイラ、こっちも美味しそうだから」

 

「はい?」

 

 わたしの前に置かれたカップを覗くと、また別のお茶が入っていた。

 

「お、うーろん茶ですな」

 

 ルシーズより先にワツィが応える。おいおい、ってか、そんなにお茶ばっかり持ってきてどうすんだ。

 

「いやいや、そんなにお茶ばかりいらないから」

 

 わたしの言葉は無視して、自分のカップをわたしの席の隣に置く。

 

「ちょっと詰めて」 

 

「え?」

 

 そのまま、わたしの隣に座ってきた。

 

 いやいや、おかしいでしょ。なぜ横並びに三人座る? 向かいの席は全然空いてるのに。

 

 今のワツィとのやり取りが原因か? だって、そのあとの行動がこれだし。

 

 あれか? ワツィがわたしに好意を示したから。

 

 わたしがワツィに取られるとでも思っているのか?

 

 ルシーズならやりそうだ。頭脳はずば抜けて優秀なのに、変に子供っぽいところがあるというか。

 

 ある種、ワツィと似たようなものかも。

 

「おー、仲良し三人組ですね」

 

 ワツィが笑顔で言ってくる。言いながらメロンソーダをすする姿は、まるっきり無垢な子供そのものだった。ストローの包み紙をくるくると巻きながら、変な新生物を作って遊んでいる。

 

「どうです。ストローツツミガミケプスですぞ」

 

「なんだその生き物は」 

 

 まあ、こっちも悪いやつってわけでもなさそうだし、仲良くしてやってもいいかな。

 

 そんな気持ちになる。

 

 チビどもの相手は慣れていたし。

 

 思いながら、ルシーズの方を見た。

 

 こっちの方も、まあ、妹みたいなものかな。ちょっと育ってるけど。

 

 なんだかよく分からない構図に、苦笑いした。

 

「大丈夫ですよ、ルシーズさん」

 

 ワツィが、わたしを通り越してルシーズに話しかける。

 

「わたしも、ルシーズさんのことが好きなので」

 

「…………ありがと」

 

 平然と言ってのけるワツィのことをチラリと見て、ルシーズが小さくつぶやく。

 

 そのまま、わたしの大きな妹は、手にしたウーロン茶のカップをテーブルに置いて、代わりに焙じ茶のカップを手に取って一口すすった。

 

 

 

 

 なんだかよく分からない食事会が終了して、店を出る。店を出る頃には、この飲食店街にも客足が集まってきていて、多くの店に行列ができていた。ちょっとワツィに感謝してしまう。普通の時間にご飯にしていたら、大分待たされただろう。ワツィのことだから、多分そこまで考えてのことではないだろうけど。

 

「えーと、で、あんたこの後どうするの?」

 

 ワツィに尋ねる。わたしの中では、ワツィとのお付き合いもここまでにしたかった。仲良くするのはいいけれど、もう結構遊んであげたし。いいでしょ?

 

 それに、あんまりこいつと一緒にいても、ルシーズの視線が気になるしなあ。

 

「そうですねえ。あ、えーが見ませんか? さいしんえい、らしいですよ」

 

 映画というのは以前から話題になっていて、ムービーシアターとも呼ばれるものだった。巨大なスクリーンに予め記録されていた映像が映し出され、スピーカー装置から大音量のサウンドや音楽が流れる。映像に合わせて、ホログラフの幻影が飛び出してくる仕掛けもあるらしかった。二、三年前に発表された当時は大都会でしか観られなかったけれど、だんだんとそれが広がっていって、ついにはこんな田舎町にも上陸したというわけだ。その映画設備を備えた通称『映画館』は、このショッピングモールの一番の目玉になっていた。

 

「いや、それはちょっと……」

 

 そのまま、ルシーズに視線を送る。このままだとまたワツィに付き合わされて、映画館まで御一緒してしまいそうだ。映画見るほど、お金に余裕は無いし。

 

「なにか観たいのあるの?」

 

 ルシーズがワツィに尋ねる。あれ? 思ったより食いつきがいいな。ひょっとして、観たかったのか? 映画。わたしはあんまり、騒がしいのは好きじゃないんだけどな。

 

「お二人の好きなもので。みんなで観るから楽しいんですよ」

 

 おー、なんだか良いことを言っているような気もする。

 

 ってか、こんなこと言われたら、なんだか断りづらくなっちゃうじゃないか。困ったな。

 

 どうするね、ルシーズさん。そっちが振ったんだから、なんとかしてくれ。

 

「見よっか。映画」

 

「ええ? ホントに?」

 

「みんなで観たら、楽しそうだし」

 

「うーん」 

 

 意外な展開になってきた。まさかルシーズの方からワツィを引き留めることになろうとは。

 

「まあ、ルシーズがいいなら、それで」

 

 いつもの主体性のなさを披露する。わたしもそこまで嫌というほどでもなかったから、まあいっか。こんな休日も、ありかもしれないし。お小遣いの方は心配だけれど。足りなかったらおごってね、ルシーズちゃん。

 

 学生二人と、子供が一人。なんか変な組み合わせではある。

 

 いや、ここは、大人一人と子供二人、といったところかもしれないけど。

 

 映画館は二階の端っこだったので、並んで階段を昇る。その前にルシーズが例によってわたしの手を握ってきたので、それに合せることにする。

 

「あ、わたしもわたしも」

 

 それを見て、ワツィが反対側の手を握ってきた。右手はルシーズで、左手がワツィ。これじゃホントに二人の子供の面倒を見ているみたいだ。保護者かよ。

 

 ちょっと、周りの視線が気になる。悪魔と天使を両手に従えている女学生だなんて、なんのこっちゃという感じだし。

 

「三人だと、どちらに集中していいのか分からなくなりますね」

 

 ワツィが言ってきた。無理に三人にしているのはあんたなんだけど。

 

「いわゆる、三角カンケーというやつですな」

 

 そういうことじゃないだろ。ってか、なんだその例えは。

 

「どこで覚えたのそんな言葉」

 

「しゅうかんしの、すきゃんだる特集なるもので読みました」

 

「そんなもの読むな」

 

 そんなやり取りにも、ルシーズの方は涼しい顔をしてピクリとも笑わない。一体、今の機嫌はどうなっているのか?

 

 一方ワツィの方は、相変わらず、ずっとニコニコしたまま。やっぱり変な取り合わせだ。

 

 映画館の前は、人でごった返していた。やっぱり、一番の売りなだけはある。

 

「これはマズイな。入れないんじゃないの?」 

 

 指摘したけど、

 

「だいじょーぶですよ、全席、してーせきですから」

 

「してーせき? ああ、席が決まってるってことね」

 

 なるほど、見ると、上映回ごとに入場者の数に上限があるらしい。その回の席がみんな売り切れたら、入場中止。だから、混雑してはいるものの、席に座れないということはないようだった。まあ、安心というところか。

 

 ってか、子供に教えられちゃったよ。ちょっと恥ずかしい。

 

 二十分ほどかかって、ようやくチケット売り場の窓口に辿り着く。ルシーズの方はちょっと離れたところで、わたしがチケットを買うのを待っていた。ワツィの方は、一緒に並ぶといって離れなかったけど。

 

「大人二枚と、天使一枚ください」

 

 ニコニコしてワツィが言ったけど、受付のお姉さんは「天使のチケットはないんですけど……」と困惑気味だった。

 

「違うだろっ。すいません、大人二枚と子供一枚でお願いします」

 

 ワツィの頭を押しのけて、慌てて訂正する。わたしの手に、キラキラとした光の粉が付着してすぐに消える。ほんとになんなんだ、この光は。

 

「おおっ、あれはなんですか」 

 

 チケットを受け取るのもそこそこに、ワツィが走り出した。「こら待て」と言っても、言うことを聞かない。全く、これだからお子様は。

 

 ワツィが食いついているのは、館内のフード販売コーナーだった。映画を観ながらつまめるような簡単な食べ物と、ドリンクを売っている。ワツィが興味津々なのは、甘いシロップのかかったキャラメルポップコーンというものだった。名物らしく、沢山の人だかりができている。

 

「おぅおぅ、おおぅおぅ」

 

 ガラスの製造器の中で弾けるポップコーンを見ながら、ワツィが歓声(?)を上げる。列に並ぶ人の邪魔になっていたので、やれやれといった感じにその首根っこをつまんで引き戻した。

 

「これ、買いましょう」

 

 ワツィは買う気まんまんらしかったけど、今ごはん食べたばっかりだろ。

 

「ふう、好きにすれば」

 

 止めたって言うことを聞かないだろうし。やれやれ、また並ぶのか。

 

 こんな行列に並んでまで食べたいのかねえ、と、ちょっと呆れてしまう。

 

「って、ルシーズ並んでるしっ」

 

 見ると、ルシーズがキャラメルポップコーンの列に並んで待っていた。いつの間に?

どうやらわたしとワツィの為にポップコーンを買ってくれるらしい。それはいいけど、どういう風の吹き回しだ?

 

 買い物が済んで、上映時間までは、あと十五分くらい。中に座って待っていればすぐに経ってしまうだろうから、早々に席に座ることにする。購入したのは、館内の一番後ろの端っこの方の席。別に見づらいということはなかったし、こんなキラキラな天使がど真ん中の席に座っていると目立ってしょうがないだろうから、かえって都合が良かった。

 

 ワツィは早速、キャラメルポップコーンをついばみながら、「おおぅ」と奇声を上げている。ルシーズが自分とわたしの分も買ってくれたので、一応わたしもポリポリとかじっていた。

 

 結構旨い。ってか、かなり旨い。人気なのも分かるな。

 

「ほらほら、こぼすんじゃないの」 

 

 左に座っているワツィがポップコーンをボロボロこぼしながら食べているので、思わず拾い上げて服を払ってやった。「やや、これはどーも。恐縮です」と、ワツィは変に大人びて応える。返事と行動が合ってないぞ、お子様よ。

 

 何気なく右側を見てみると、今度はルシーズがポップコーンをボロボロこぼして食べていた。って、おい。あんたはワザとだろ、それ。

 

「なにやってんの、ルシーズちゃん」

 

「あ、こぼしてた?」

 

「おい、白々しいぞ」

 

 一応、こちらも服をパンパンとはたいてやる。ルシーズは黙って、払われていた。なんだかなあ。

 

 いよいよ映画が始まった。館内が暗くなって、急転、ド迫力の映像とサウンドが周囲を満たす。

 

 こりゃ凄いな。

 

 映画には興味のなかったわたしだけど、ただただ圧倒されてしまった。

 

 選んだのはSFとかいう新ジャンルの作品で、スペルジャマー船という宇宙を旅する船が登場する。それに乗って主人公達が悪の宇宙帝国と戦うという、オーソドックスなストーリー。

 

 敵の宇宙船に追われたり、サン・ブレードとかいう光の剣で戦ったり、いやはや、ドタバタに次ぐドタバタ。凄いけど、やっぱりこりゃ疲れるな。

 

 途中、ワツィは「ほほう、なかなかのテクノロジーですな」とか言って感心していた。子供のくせに、感心するところが違うような気もするが。

 

「凄いね」

 

「そうだね」

 

 ルシーズの方とも、チラチラと言葉を交わす。ルシーズも、さすがにこの迫力には圧倒されたみたい。やっぱり悪魔とはいえ、驚くところは人間と一緒だ。

 

 結局、一時間四十分くらいの上映時間の間、特に会話が弾むことなく過ぎてしまった。映画の内容は素直に面白かったけど、皆で仲良くという目的は果たせたのかというと疑問ではある。そもそもこんなに音がうるさいんじゃ、ろくに会話なんてできないし。静かなシーンでしゃべると周りに声が響いて迷惑がかかるということも学習した。

 

 館内から外へ出る。急に現実に帰ってきたような気がして、なんだか変な気持ちだった。

 

「なんだか、ドッと疲れたな」

 

「そんな感じ」

 

 うーん、と伸びをして、首をコキコキと鳴らす。って、やっぱりわたし、オヤジっぽいな。

 

「もうこんな時間か」

 

 時計を見ると、二時近くになっていた。ルシーズのバイトの時間を考えると三時までには帰宅しておきたかったので、そろそろ解散の運びにもなる。もっと色々見てみたかったけれど、あと二件もお店を見て回ったら帰宅時間になってしまうだろう。

 

 映画に時間を取られちゃったな。まあ、いい経験にはなったけど。

 

「というわけで、もういい? 満足したかい? 天使ちゃん」

 

 ワツィに声をかける。さすがにこれ以上付き合えないぞ。家まで送っていくわけにもいかんし。

 

「ええ、ええ、楽しかったですよ」

 

 ワツィはニッコリ笑って、本当に楽しそうだった。やっぱり子供なんだなあと改めて思う。その素直なところが、変にほほえましい。 

 

「ジェイラさんは、いいやつですね」

 

「それはどーもー」

 

 大人をヤツ呼ばわりするな、とはちょっと思ったけど、ここは素直に受け入れておく。

「色々確認もできましたし、今日はこれで失礼したいと思います」

 

 お、ホントに帰る気らしい。ちょっとホッとする。

 

 ってか、なんの確認だよ。人を観察するな。

 

「ウンメーがまた、わたし達を引き合わせるでしょう」

 

 またウンメーか。本当に分かってて言ってるのか? まあ、どうせなにかの漫画かなにかで覚えたセリフだろうけど。運命なんて、そんなに安売りしていいもんじゃない。

 

「それじゃルシーズさん。頑張ってくださいね」

 

「ひゃっ……それはいいから」

 

 最後にルシーズに声をかけて、この変な天使は人波に消えていってしまう。

 

 うーん、帰るときはあっさりしてるんだな。

 

 ってか、なにを頑張るんだ? 分からん。

 

「えーと、うん。ようやく終わった感じ?」

 

 ルシーズの方を見て、ふうと溜め息をついた。ルシーズと二人で遊びに来たはずなのに、随分と変な方向に転んでしまったものだ。これもウンメーというやつなのか?

 

「でも、なんだか悪い気はしなかったよ」

 

 ルシーズが口にする。まあ、ルシーズはルシーズなりに、あの天使ちゃんのことが理解できたのだろう。わたしはまだ、分からんことばかりだけど。

 

「……運命、なのかな。これも」

 

 ボソリとつぶやく。あの天使ちゃんの言葉を信じたというのだろうか。

 

「運命ねえ。大袈裟過ぎない? ただの偶然だと思うよ、あの天使ちゃんがここにいたの」

 

 ワツィのことを言っているのだと思って、軽く流した。けど、

 

「そっちじゃなくて」

 

「え?」 

 

 そっちじゃなければ、どっち? と思ったけど、例によってルシーズの態度が質問を拒んでいるような感じがして、変に引き下がってしまう。

 

「なんでもない」

 

 わたしの気を察してか、やっぱりルシーズの方も引き下がってしまった。

 

 うーん、運命ねえ。

 

 考えを巡らせてみる。

 

 出会いが運命というのなら、ルシーズとの出会いもまた、運命の部類に入るのかも。

 

 でもそれだと、あの天使ちゃんとの出会いもまた、運命ってやつになるな。

 

 そこまで考えたけど、結局よく分からなくなった。

 

 取り敢えず、これもまた人生の新たな一部分ということで受け取っておこう。

 

 折角この世界で出会ったのだ。どうせなら仲良くしたいし、楽しくもありたいじゃないか。

 

 それが運命かどうかは、さておき。

 

「そうだルシーズ、あれやって」

 

 思い出して、急に振ってみた。

 

「あれって?」

 

「いくよー、はい、せーの、オッケー?」

 

 言われてルシーズも気が付いたみたい。昨日は即答で拒否られたけど、流れでやらせてしまおう。

 

「ちょ……やだって」

 

 無視して待つ。五秒くらいして、

 

「ぜ、全然オッケー」

 

 やってくれた。わははは、悪魔使いの巧みなわたし。

 

「いや、満足したよ」

 

「次は、やらない」

 

 恥ずかしがって顔を伏せてしまったけど、二人だけのときにまたやってもらおう。

 

「ちょっと見てみようか、他にも」

 

 恥ずかしがっているままの悪魔の手を引っ張って、居並ぶ店舗街の方へ行ってみる。おしゃれ雑貨の店の前で、店頭に並んだ綺麗な鉢植えを見てみたり、キーホルダーを見てみたり。

 

 また今度、二人で来てみようかな。

 

 そんな気持ちになって、心がホッコリしてくる。

 

 次があるというのは、未来に希望があるということだ。

 

 わたしの未来は明るいのだろう。

 

 小さく笑う彼女の顔を見て、思った。

 

 多分、隣にルシーズがいるのなら。

 

 

 帰り道。ようやく喧噪の世界から抜け出して、静かな住宅地にまで戻ってくる。

 

 今日はなかなかに波乱に満ちた一日だった。波乱というのは大袈裟かもしれないけど、少なくとも退屈しなかったことは確かだ。

 

 それは概ね、あの自称天使っ子のせいであると言える。ただの妹の同級生のはずなんだけど、妙に意味ありげな行動やセリフが、なんだか心に引っかかっていた。

 

 わたしとルシーズの間に、ふっと降り立った天使。仲を取り持つのか、引っ掻き回すだけなのか。それはまだ掴めないけれど。

 

 ルシーズの方は、意外(?)にもワツィのことを受け入れていたように見える。少なくとも突き放すような態度ではなかったし、馴染んでいたようにも見えた。ちょっと、敵意のようなものを見せていたときもあったけど。

 

 それにからめた、謎のひそひそ話。いったい二人でなにを話していたのか?

 

 ルシーズがわたしを置いて誰かと話をしているところは、見たことがない。家族は別にしても、隣にわたしがいるのならルシーズの関心はいつもわたしに向いているような気がしていたから、なんだか変な心持ちだった。

 

 やきもち……ではないな。違和感というか、なんというか。

 

 まあ、そこまで気にするようなことでもないのだけれど。

 

 最後にはいつも、それで片づけてしまうわたし。

 

「帰ったらこれ、鞄につけよう」

 

 小さな紙袋からキーホルダーを取り出す。赤いダウンジャケットを着たトナカイのキャラクターのぬいぐるみのついたやつで、さっきルシーズと一緒に雑貨屋で買ったものだった。わたしはこういうキャラクターものはあまり興味がない方なんだけど、なんだか変に目が合ってしまって、気に入ってしまったから。カイバーくんとかいう名前らしいけど、別に名前はどうでもよかった。

 

「わたしも、リュックにつけるよ」

 

 ルシーズも方も、同じ物を買った。買うとき、「ルシーズこういうの好きなの?」と聞いてみたけれど、「あまり興味はないけど」という返事だった。興味がないのに買ったのは、つまりわたしに合わせてのことなんだろう。これもルシーズなりの、愛情的友情表現というやつだと思う。

 

 なかなか可愛げがあるじゃないか。悪い気はしないぞ。

 

「おそろいだねぇ。また一歩、仲良しになったかな?」

 

 からかい半分に言ってみる。どうもこのキーワードが、ルシーズのツボに、はまるみたいだったし。

 

「多分」

 

 あまり反応もなく、そのまま黙ってしまう。なんだ、つまらんな。

 

 会話もないまま、並んで歩く。いつもの二人の光景。傍目から見れば楽しそうには見えないだろうけど、これがわたし達のスタンダードなのであって、それは一種、聖域みたいなものだった。きっと誰にも、このスタンダードは崩せないと思う。メアにも、テセナにも、ワツィにも。それは、わたしとルシーズ二人だけの世界といったところだったし、わたしもそれを気に入ってもいた。

 

 ただし、ルシーズとの間に変な空気が生まれていなければの話だけど。

 

「ジェイラって、面倒見がいいんだね」

 

「ん? ああ、天使ちゃんね」

 

 ルシーズの突然の言葉に応えるのも、いつもの光景。ずっと黙っているので、声がかかるのもいつも突然のタイミングになる。これもまた、必然的なスタンダード。

 

「あーいう、ちっこいのの相手は、妹と弟で慣れてるし。まあ、テキトーに相手してるだけなんだけどね」

 

 そう言って、あははと笑う。

 

「……私も、妹みたいなものなのかな?」

 

「へ?」

 

 ルシーズが塞いだようにつぶやく。顔は前を向いていたけど、ややうつむき気味だった。

 

「そうね。そうかも」

 

 言いながら、さっきルシーズのことを妹みたいなものだと思っていたことを振り返る。変に子供っぽいところがあったり、拗ねてみたり。

 

「あんまり姉ちゃんの手を焼かせないでよー、妹」

 

 ふざけて言ってみたけれど、

 

「はい、……お姉ちゃん」

 

 ホントに言うのかよ。なんだか恥ずかしい。これは違うな。

 

「冗談。ルシーズはルシーズだから」

 

「ホントに?」

 

「それ以外ないでしょ。じつは天使だったとか?」

 

「天使じゃない。悪魔」

 

「知ってますけど」

 

 なんだかよく分からなくなってきたので、この辺でやめておこう。

 

 未開の冒険の地を抜けて、ようやくホームグラウンドの町並みまで戻ってくる。いつも見慣れた風景だけど、こうして見れば、やっぱり落ち着く。生まれ育った場所というのは誰にとっても特別なところだろうし、それはやっぱりわたしも同じだった。歩いてわずか三十分の場所から帰ってきただけなのにそれを感じるのは、わたしが極度の出不精だからだと思うけど。

 

「じゃあ、わたし、こっちだから。また月曜ねー」

 

 わたしの家への分かれ道に着いて、切り出す。今日は楽しかったけど妙に気疲れもしてしまったから、家に帰って早速、横にでもなりたい気分だった。人には、色々と人生の経験を振り返る時間も必要だ。と偉そうなことを言ってみる。

 

 つないだ手を離して帰ろうとしたけれど、ルシーズは分岐点に立ち止まったまま動かない。わたしの手を握ったまま、離そうとしなかった。なんだかうつむき気味で、なにか言いたそうな雰囲気にも見える。

 

「えと、ルシーズ。手、離してくれないと帰れないんだけど」

 

 つないだ手を掲げて、これこれ、と主張する。でもルシーズはそのまま、押し黙ったままだった。

 

 なにか言いたいことでもあるのか? ルシーズの唇が、微かに震えている。

 

「……は、離しません、せん」

 

「はあ」

 

 またなにか変なことをするつもりなのかと思って、続く行動を待つ。そのまま十秒くらい、ルシーズは石のように動かなかった。コカトリスにでも突っつかれたのか?

 

「あのっ、ジェイラ」

 

「はい?」

 

 ようやく動いた。こんなことは今までにも度々あったことなので、特に気にすることもなく応対する。言いたいことがあるのに踏み出せずに躊躇するのは、ルシーズの性格の一つとも言えたし。

 

「私は別にっ、妹になりたいわけじゃ、ない、のだけれど……」

 

 初めの勢いはどこへやらといった感じに、最後の方は尻すぼみで消え入りそうなボリュームだった。

 

 ってか、妹? さっきそんな話をしてから大分経っていたのだけれど、ルシーズはずっとそのことを考えていたのだろうか? ルシーズがわたしの妹みたいなものかなという、そんな話。

 

 わたしの中では大した話題でもないと思ってたんだけど、ルシーズはまだそれを引きずっていたようだった。

 

 えーと、どうしてほしいのかな、ルシーズは。妹じゃなければ、姉になりたいのだろうか?

 

 わたしは別に、お姉ちゃんは要らないんだけど。

 

「えーと、さっきの? 別に、ホントに妹だなんて思ってないよ。冗談だし」

 

 ルシーズがなにを言おうとしているのかよく分からなかったので、思いついたままに流してみる。妹扱いされたことが嫌だったのだろうか? だとしたら、こんなところの回答で満足してくれるはずだけど。

 

「それはそれで、ちょっと嫌なんだけど……」

 

 なんだよ。

 

 うーむ、やっぱり妹扱いしてほしいってことか? 分からん。

 

「うーん、よく分からんな。ルシーズちゃんは、なにになりたいのかな?」

 

 直接尋ねることにした。このままだと、埒明かんし。帰れんし。

 

「それはっ……」

 

 言ったとたん、ルシーズの顔が真っ赤になる。なにに対しての赤面なのか。

 

 なにか恥ずかしいことでも言おうとしてたのだろうか? 

 

 妹みたいとか、姉になりたいとか、同級生の友人に対して言うならば、それは確かに恥ずかしくもある話題ではあったけれど。

 

「私は……ジェイラの……、友達、になりたい」

 

「もう友達じゃなかった?」

 

「友達です、はい」

 

「なら、いいんじゃないの?」

 

 言ってみたけど、ルシーズはまだ納得がいっていないみたいだった。

 

 困ったな。はっきりしてくれないと、わたしまで消化不良になるじゃないか。

 

「ひょっとして、ただの友達じゃ嫌ってこと?」

 

 思いついたので、そのまま尋ねてみる。多分、そういうことなんだろうと思う。

 

 昨日、伝話で「特別」がどうとかなんとか言ってたけれど、つまりわたしと、特別に仲良しになりたいとか、そういうことが言いたいのだろう。

 

 ルシーズは友達がわたししかいないと言っていたから、それなら納得もできる。

 

 ただの友達になるより、もっと仲良しの、言うならば一番の友達になりたいのだろうと。

 

 ふむ、分かる気もするけど、結構わがままだな。

 

 でもルシーズにしては踏み込んだ方だと思うから、ここは受け止めてやるか。

 

 ルシーズなら、そのわがままもまた可愛げがあるというものだし。

 

「そっ、そういうこと、です、はい」

 

 やや間があってから、ルシーズが応える。

 

 やっぱりそういうことだったか。

 

 ルシーズは一人っ子だから、そういう面も強いのだろうかと想像する。

 

 ある意味、独占欲が強いというか。

 

「しょうがないな。まあわたしもルシーズは特別な相手だと思ってるから、それでもいいよ。特別な友達で」

 

 そう言って、ルシーズの頭を撫でてやる。あ、これだとやっぱり、妹扱いになっちゃうな。

 

 まあいっか。特別な友達なら、なんでもありだろう。

 

 特別というか、特殊というか、よく分からんけど。

 

「わ、私も、頑張ります」

 

 なにを頑張るんだ? とは思ったけど、まあ、向上心があるのはいいことだ。特に、ルシーズの場合は引っ込み思案なところがあるから尚更だろう。

 

「頑張りなさい」

 

「はい」

 

 なんだか最後、教授と学生みたいになっちゃったけど。

 

 ……うん。

 

 うつむいたまま頭を撫でられているルシーズを見て、思う。

 

 やっぱり、なんだかおかしな二人だ、わたし達。

 

 

 

 

 一人、部屋に戻る。妹は不在。ゲーム機がなかったので、それを持って友達の家にでも遊びにいったのだろう。弟もまだ、サッカーの練習から帰ってきていない。

 

 時刻はまだ、三時前。随分長く外出していたような気がするけれど、まだそんなものかと思いを馳せる。でも、いくら時間が早かったとしても、このあとなにかをやろうという気にはなれなかった。多分、夕飯の時刻までなにもせず、ただボーっとしているか、寝ているか。

 

 床に置かれたソファにどっかり身体を預けて、ふうぅ、と大きく溜め息をついた。わたしの身体の中の老廃物を一気に吐き出してしまいたいという、思いの結果の産物だった。

 

 ショッピングモールの予想外の人手の多さに呑まれて、疲れが出たんだと思う。それに加えて、なんだか今日は色んなことを考えていた日だったから、それも原因には違いなかった。

 

 結局ルシーズとはなんだかよく分からないままに解散して、「じゃ、バイト頑張ってね」的なセリフを言ったのち別れた。ルシーズは「じゃ」としか言わなかったけど、なんだかまだ色々言いたそうな雰囲気だった。

 

 ルシーズが言いたいことって、あれで良かったのかな?

 

 一人考える。

 

 正直なところ、ルシーズとのやり取りの中で変な気疲れはしたくない。ルシーズとは自然体のままで付き合いたいし、そこに変な距離感が生まれるのは良くないことだとも思う。

 

 ルシーズの希望には沿いたいと思うけど、それが一方的では良くない。わたしにはわたしなりに、ルシーズに求めるものはあるのだ。こういうのは相身互いであるべきなのであって、それが人付き合いの一種理想形とも呼べるものだろうと思う。

 

 与え、そして与えられる。その割合が、どちらかに偏っていてはいけない。偏りは、すなわち、わがままの押し付けにつながってしまうから。

 

 わたしは、だれかにわがままを押し付けているだろうか?

 

 考えてみたけれど、多分それはないと思った。わたしは昔からサラサラとした性格をしていて、なにかに固執したり、必要以上に欲しがったりするということはなかったから。

 

 ルシーズの場合はどうなんだろう。ルシーズの性格は良く知っている。わたしと同じで、なにかに固執したりする性格ではない。人になにかを強要したり、押し付けがましいことをするような性格でもない。

 

 でも、近頃のルシーズは度々自分を主張することがある。それは概ね、主張とも呼べるようなものでもないのだけれど、ルシーズの性格から考えれば大きく前に踏み出す行為とも思えた。 

 

 ルシーズの中の、なにかが変わってきたということなんだろうか。だとしたら、その原因は?

 

 ………………わたしか?

 

 ルシーズは友達がわたしくらいしかいなくて、そのわたしとは大抵一緒にいるから、本当にそうなのかもしれない。

 

 もっと仲良くなりたいというその気持ちは大いに尊重したい。でもまあ、わたしは充分、仲良しだと思ってるんだけども。これ以上となると、どうなのかな?

 

 ちょっと、以前に考えたことがチラリと脳裏に浮かんで、すぐに消した。 

 

 恋人関係……いやいや。

 

 それはないという結論には、達していたはずだ。

 

 ルシーズの行動は全て、わたしへの愛情的なものを含めた友情感情から来るものなのだと。

 

 ルシーズがどこまで踏み込んで仲良くなりたいのかは分からないけれど、わたしはルシーズの気持ちを尊重したい。だからこれからも、ルシーズの意向には従っていくつもりだ。

 

 ルシーズはやっぱり、わたしの特別な相手なのだから。

 

 買ってきたキーホルダーをつまんで、目の前にぶら下げてみる。なんとなく間の抜けたその表情に、少し口元が綻んだ。

 

 ルシーズ、ワツィとなにを話していたのかな?

 

 思い出して、振り返ってみる。

 

 まあいいか、ルシーズの方から言ってくるかもしれないし。

 

 言ってこないかもしれないけど、それはそれでルシーズの希望だから、それでも。

 

 キーホルダーを胸の上に置いて、目を閉じる。多分このまま、家族に起こされるまで寝てしまうのだろう。

 

 ルシーズの膝枕の温度が思い起こされる。

 

 側にルシーズがいるような気がして、なんだか心地よかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。