主人公はジェリド・メサ   作:中津戸バズ

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ホンコン・シティ(前)

 

「やはり、ニューホンコンか」

 アムロは確かめるように言った。その声には幾分かの落胆が見え隠れしていた。

「ああ。カイが紹介してくれたルオ商会を利用させてもらおう」

 アムロの向かいで、ハヤトはコンテナに腰掛ける。表情には、確かな疲れが伺えた。

「たしかに、今の戦力ではニューギニアは叩けない」

「エゥーゴの存在をアピールするにも、補給は必要だ。そういうわけだから、ロベルト中尉を宇宙に上げるのは後回しになってしまうな」

 ハヤトは弱気になっているようだった。アウドムラの戦力は不足している。艦長としての重圧から逃れて弱音を吐けるのは、アムロが相手の時だけだった。

「宇宙に上げなきゃならんのはカツも同じだ」

 アムロの言葉に、ハヤトは顔を上げた。

「カツか……」

 前回の出撃では、カツは敵のモビルアーマーの動きを止める活躍を見せた。モビルスーツ隊が撃墜されていく中でアウドムラのダメージを抑えられたのは間違いなくカツのおかげだ。

「どうだ、よくやってくれてるのか」

「わからんさ。ただ、パイロットとしての筋はいい」

 まともに戦ったのは一戦だけだったが、アムロの目から見ても悪くはなかった。

「なあ、アムロ。カツはあんなことをしたから、俺は艦長として、あまりあいつの親父ができん」

 ハヤトは知らず知らずのうちに、拳を握りしめていた。張り詰め続けた心中を、彼は吐露する。

「カツのこと、気にしてやってくれ」

「ああ」

 アムロは力強く頷いた。

 

 

 

「どういうことだ! ウッダー!!」

 ジェリドは机に拳を叩きつけて怒鳴った。ウッダーは椅子に深く腰掛けたまま、冷たくそれを睨んでいる。

「また強化人間を使うつもりか!」

「ロザミア少尉は貴様よりよほど戦果を上げている!」

「命令違反だってした!!」

「あの時は帰ってきただろう!」

 二人は激しく怒鳴りつけ合う。その背後から、女の笑い声が水を差した。

 嘲笑か。ジェリドとウッダーは二人でその声の主を睨んだ。

 口元に手を当て、二十歳前ほどの少女が肩を震わせている。その隣の眼鏡の女は彼女を止めようと焦っていたが、ジェリド達の視線に気づいて小さく敬礼をする。

「ナミカー・コーネルです。ムラサメ研の主任インストラクター。それで……」

「ふふっ、ふふふふふっ!」

 少女はまだ笑い続けている。毒気を抜かれて、ジェリドが呆れたように口を開いた。

「あんたが、ムラサメ研究所の強化人間か」

 強化人間という言葉に、少女は眉をひそめた。

「そういう言い方は嫌いだ」

「フォウ!」

 コーネルが咎めだてた。納得がいかない様子だったが、少女は渋々敬礼をする。

「フォウ・ムラサメ少尉」

「ああ、わかった。……女なのだな」

 ウッダーは少し意外そうに言った。強化人間は女ばかりなのか、という疑念が彼の中にあった。

「大尉にお願いがあります」

「なんだ」

 フォウはためらう様子もなく続ける。

「モビルスーツの出撃後は、私の自由にやらせていただきたいのです」

「なんだと!?」

 声を荒げたのはジェリドだ。ウッダーも怪訝そうにフォウを見る。

「私、人の指図では動けないのです」

「そんな言い訳が通るか!」

 ジェリドが机を叩いた。フォウを睨みつけ、続ける。

「貴様だって軍人ならば、上の命令には従えんのか!」

「なら、私は日本へ帰らせてもらう」

 ぷいと顔を背けてフォウは言った。慌てるコーネルを、ウッダーが制する。

「いいだろう」

 ジェリドが振り向いた。ウッダーにつかみかからんばかりの形相だ。

「どういうつもりだ!」

「あれだけのモビルスーツを動かせるならば、それなりに自由にやらせてやらねばなるまい」

 まるで悪びれた様子のないウッダーに、ジェリドはさらに噛みつく。

「手綱を握るつもりもないのか!」

「柔軟性がなければ!」

「強化人間でも軍人だろう!」

「貴様ではアムロ・レイに勝てまい!」

 事実ではあった。ジェリドは歯を食いしばる。二人の睨み合いが続いた。

 先に目を伏せたのは、ウッダーだった。

「隊長の仇討ちは、俺たちにしかできんのだ」

 彼はぼそりと、そう呟いた。ジェリドは小さくうなり、そのまま黙り込んでしまった。

「行きますよ、フォウ」

 コーネルが、こっそりとフォウの手を引いた。これ以上この場にいても、先程の決定をひっくり返されるかもしれない。フォウは小さく頷いて、彼女に従った。

 ブリッジから通路に出ると、ロザミアがフォウに視線を送っていた。フォウが睨み返すと、ロザミアは笑った。

「あんたが、あの大きなガンダムのパイロットか?」

「そうだ」

 コーネルが不安そうにフォウの腕を握る。フォウの表情からは険しさが取れていった。

「私はロザミア・バダム少尉だ。あんたは?」

 フォウは視線を床に落とした。

「フォウ・ムラサメ。好きな名前じゃないけどね」

「四番目だから、フォウ・ムラサメかい?」

「黙れ!!」

 突然フォウが叫んだ。ロザミアには侮辱する意図はなかったが、相手の気に障った部分はわかった。

 ロザミアはコーネルをじろりと見た。彼女は怯えて、フォウの後ろへ身を隠そうとする。ため息をついて、ロザミアは言った。

「私も強化人間さ。ムラサメ研なんてやめてオーガスタへおいで。いいやつも多い」

 合点が行って、フォウは小さく声を漏らした。強化人間の感じ。ニュータイプではなく、自分と同じ境遇。

 しかし、フォウは首を振った。ロザミアが首を傾げる。

「どうしたんだい?」

 フォウは沈んだ様子で、唇を噛んだ。

「私は記憶が欲しいの。あの研究所にいれば、記憶を返してもらえる」

「記憶……」

 ロザミアの声が険しくなる。それは研究所の非人道的な記憶操作への憤慨だった。

「私は、自分の本当の名前だって思い出せない。知りたいんだ、昔の自分のこと」

 伸ばされた手が、コーネルの胸ぐらを掴んだ。フォウの背後から引きずり出され、彼女は慌てる。

 鈍い音がして、コーネルは床に倒れ込んだ。一瞬遅れて、眼鏡が床に落ちる。鼻血まみれの顔の彼女の胸ぐらを、もう一度ロザミアが掴む。

「や……やめ……」

「記憶を操作だと? 反吐が出る! ムラサメ研のウジ虫が!」

 ロザミアは拳を振り上げた。

「そのくらいにしておけ、ロザミア少尉」

 三人の女の視線が一点に集まる。通路の端から声をかけたのはジェリドだった。

「さっきは見苦しいところを見せちまったな、フォウ少尉。俺はジェリド・メサ。中尉だ」

 ロザミアが言い返した。

「中尉は下がっていてください」

「いや、譲らんぜ。管轄が違うところ同士で揉めると面倒だ。上官の指示に従ってもらう」

 ナミカー・コーネルはムラサメ研究所、ロザミアはオーガスタ研究所だ。ジェリドはフォウの横を通ってロザミアとコーネルの間に割り込む。

 ちらりと横目で見やったが、コーネルの鼻は折れているようだった。女の細腕の破壊力ではない。ジェリドは強化人間に背筋が凍るものを感じた。

「すまん、ここは俺の顔を立ててくれるか」

「……フォウはどうなの?」

 ロザミアはまだコーネルの胸ぐらを掴んでいる。フォウは困惑した様子だ。

「やめて。私もそいつは嫌いだけど、記憶を戻せるのもそいつだけだ」

 フォウは細い眉を寄せて、そう言った。彼女の決断に、ロザミアはコーネルを軽く小突いて手を離した。コーネルはそのまま尻もちをつく。

「フォウ。スードリを案内してあげるよ」

「ふふっ、よろしく、ロザミア」

 ジェリドは二人の背中を見送るのもそこそこに、コーネルの眼鏡を拾ってやった。レンズが割れている。

 床から起き上がれないままのコーネルに、それを手渡す。

「ほら、あんたのメガネだ、コーネルさんよ」

「は、はいっ、ありがとうございます……」

 慌てて眼鏡をかけ、コーネルは頭を下げた。レンズはひび割れだらけだ。ジェリドは彼女に手を貸してやる。その手を取って、彼女は愛想笑いを浮かべて立ち上がった。

「さっきフォウ少尉が言っていたことは本当か」

 コーネルの表情が凍りついた。ジェリドの視線は厳しい。

「きっ、聞いていたんですか?」

「途中からな。記憶を奪うのがムラサメ研のやり口か」

 その叱責に、コーネルは眼鏡の位置を直す。

「私達はニュータイプを作り出すために必要なことをしているだけです」

「必要だと? オーガスタ研じゃあやってないと言っていたが」

「あれはロザミア少尉が気づいていないだけで、オーガスタだって同じことをやっている! ニュータイプを作り出す過程で記憶が……」

 取り乱してはいても、コーネルはふてぶてしい。鼻を折られた鼻声で、彼女はべらべらと並べ立てた。ジェリドはうんざりして、彼女の手を離す。

「医務室は、あのエレベーターで格納庫のフロアに降りればすぐだ」

「え……」

「俺はあんたが許せんが、殴るわけにもいかんのだ」

 じろりと睨むと、コーネルは身を縮めてエレベーターへ消えていった。

「何を考えているんだ、連邦は……!」

 壁に拳を打ち付け、ジェリドは憎々しげに呟いた。

 

 

 

 ホンコンの街並みは、カツの目にも新しい。彼はアウドムラの窓に釘付けになった。

 今、アウドムラはホンコン・シティの港に泊まっている。水上機としても機能するアウドムラは、さすがはガルダ級と言うべきか。目立ちはするが、とにかく補給を済ませなければならない。

「カツ。いるか?」

「あっ、アムロさん」

 アムロに呼ばれて、カツは振り向いた。自室から呼び出され、カツはドアを開ける。

「ホンコンは初めてか?」

「はい。すごい街ですね」

 カツは目を輝かせた。わずか十五年に満たない彼の人生では、新鮮に感じるのも当然だ。

「俺はこれから、ルオ商会に会ってくる」

「僕も行きます」

 一も二もなくカツは食いついた。

「遊びに行くんじゃないぞ」

 釘を刺され、カツも頭に血を上らせて言い返す。

「わかってますよ。いざとなったら、僕だって戦えます」

「わかってないんだよ」

 ため息まじりのアムロの発言は、尚のことカツを苛立たせた。

「いいでしょ、ついて行ったって」

「ああ。勝手なことはするなよ」

 アムロはフライトジャケットを脱いだ。普段着と変わらない。

「ルオ商会って、どんなところなんですか?」

「さあな。だが、ホンコンの裏社会を牛耳っているらしい」

 カツが唾を飲み込んだ。

「大丈夫だ。ルオ商会はアナハイムと仲がいいから、そうそう派手なことは起きないさ」

 アムロが笑いかけたが、カツはまだどこか怯えているようにも見えた。息を吐いて、アムロは脱いだばかりのフライトジャケットを持ち上げた。彼はそのふところから、一丁の拳銃を取り出す。

「受け取れ、カツ」

「これは?」

 それなりに年季が入っているようにも見える。カツがアムロを見上げた。連邦軍の官給品と同じ型だ。

「一年戦争の時、俺が持っていた拳銃だ。シャアとも撃ち合った」

「え!?」

 カツは凍りついた。彼も薄々は勘づいている。シャア・アズナブルとは、すなわちクワトロ・バジーナ。自分の独断行動の結果、死なせてしまった男だ。

 アムロは強引に、カツの手に拳銃を押し付けた。カツも手を振って拒む。

「もっ、貰えませんよ、そんなもの!」

「受け取れ!」

 一喝されて、カツは黙り込んだ。二人は沈黙する。アウドムラの小さな喧騒と、波の音だけが彼らを包んだ。

「銃の撃ち方はわかるな?」

「い、一応は。でも……」

 カツが口籠る間に、アムロは歩き出してしまった。カツは慌ててその拳銃をリュックサックに入れ、その後を追う。

「いいんですか、アムロさん!」

「ルオ商会では迂闊に見せるなよ。無駄に警戒されたくはない」

 リュックサックがずしりと重くなった気がした。

 

 

 

 ボートがホンコン・シティの港に着いた。見張りを残し、その集団は立ち上がった。

「よし、手筈通り行くぞ」

 ジェリドが小さく言った。ホンコン・シティへの偵察だ。アウドムラがあるだろうことは分かっているが、その正確な位置は掴めない。ジェリドの発案で、クルーの何名かで、手分けしてカラバの動きを掴む。

 ボートから降り、ジェリドは軽く伸びをする。続いて降りようとした女に、彼は手を貸した。

「行くぞ、マウアー」

「ええ」

 マウアーがうなずく。車の手配もできていた。波止場に並んだ車に、彼らは乗り込んでいく。

「すまんな、カクリコンの代わりをやってもらって」

 ジェリドは運転席に座って、ハンドルを確かめた。エンジンキーを入れると、車が低く唸り始めた。

「気にしないで。……カクリコン中尉の電話の相手って、やっぱり?」

「ああ、婚約者だよ。アメリアとかって」

 マウアーが助手席に座ったのを確かめて、ジェリドはギアを入れた。

「こうして大都市の近くに来た時くらいしか電話なんてできんからな」

 任務の連続のために、カクリコンは婚約者への連絡を入れる機会を失っていた。

 アーガマ追跡が決まった時にも連絡を入れられず、ジャブローへの降下でようやく会えたかに思えたが、ジャブローの自爆とアウドムラの追撃でついにその機会はなかった。

「ヤツの長電話などのために、君を駆り出すつもりはなかったんだが」

「女連れの方がエゥーゴも油断するのではなくて?」

 マウアーはいたずらっぽく笑った。切長の瞳がジェリドを見つめる。

 潜入のために、当然彼らは軍服を着ていない。ホンコンの高い気温に合わせて、マウアーの服装は露出が多いものだった。ゆったりとしたカットソーの広い首元から、鎖骨が覗いている。

 マウアーは地図をハンドバッグから取り出す。

「どこから行く?」

「港を当たるつもりはない。ルオ商会へ行くぞ」

「ルオ商会へ?」

 ジェリドは頷いた。車は港に並んだ倉庫の間を抜け、すっかり市街地に入っていた。

「ああ。ホンコンで補給を受けるなら、政府かルオ商会の協力がいる。となれば、ルオ商会だろう」

「もうすでにパイプができていて、補給が進んでいる可能性は?」

 高層ビルの足元で、勝手気ままに看板が顔を出している。雑然としてはいるが、美しかった。

「どうかな。ルオ商会としても、カラバがニューホンコンへやってくるのは想定外だったはずだし、アウドムラは大規模な補給が必要だ」

 これまでの戦闘で戦力を大きく削っていることが、ジェリドの推理を補強していた。

「そのためにルオ商会へカラバの一員をよこすはず、というわけね」

「そんな訳だ」

 助手席のマウアーは、ジェリドよりも歩道に近い。通行人の中に腕を絡ませたカップルを見つけて、マウアーは視線を地図へ戻した。

「次の信号を左。……もし、カラバとルオ商会の繋がりを証明できれば、ティターンズも大手を振ってルオ商会を摘発できる」

「ああ。ルオ商会の力は絶大だからな。ジャミトフ総帥もなかなか手が出せんそうだ」

 それは、迂闊に手を出せばこちらも火だるまになるということだ。ハンドルを握る手にも、力が籠った。

 

 

 

「ここが、ルオ商会なんですか?」

 カツが怪訝そうに聞いた。ルオ商会の一階は、人でごった返していた。

「そのはずだが……」

 受付窓口には長蛇の列。待合の椅子も満席のようだ。窓口に詰めかけた客は、次々に文句を垂れている。

「いい加減にしてくれよ、いつになったらチケットが取れるんだ」

「こら、割り込むんじゃない!」

「シャトルに空きがあるんだろ、本当は!」

 このホンコン・シティを裏で牛耳る集団としてカツが想像していたものよりは、幾分か平和で、幾分か不恰好だった。

 落胆にも似た感情を抱えたカツを尻目に、アムロの目は一点に釘付けになった。ショートヘアの、待合席に座った女性だ。二人の小さな子供を世話しながら、彼女は時折窓口を見やっている。

 アムロは一歩ずつ、その女性に近づいていく。

「ミライさん?」

「えっ?」

 女性が振り向く。彼女の顔がぱっと明るくなった。

「ミライさんだ!」

「アムロ! アムロなの!?」

 思いがけない再会に、彼女は喜んだ。ミライという名を聞きつけて、カツも驚いている。

 アムロは微笑んだ。

「アムロ・レイです。こっちが、あのカツですよ」

「カツ……。ええ、覚えてるわ。大きくなったわね、カツ」

「お久しぶりです、ミライさん!!」

 ホワイトベースでの日々が思い出される。ミライは一年戦争の時と同じように、優しい視線を二人に向けていた。

「確か、カツ達はハヤトとフラウの養子になって……」

 そこまで言って、ミライは口元を手で覆った。ハヤトがカラバを率いているということは、彼女も知っている情報だった。ほとんど囁くような声で、ミライは言った。

「エゥーゴ?」

「ええ」

 アムロは首を縦に振った。横目でカツを見る。

「カツ、子供達を……ええと」

「ハサウェイとチェーミンよ。ごめんね、カツ。ちょっと見ていてあげて」

 ミライはそう言って、子供達に二、三言い含めると席を立った。

「子供達には聞かせたくない。頼むぞ、カツ」

 不服そうだったが、カツはミライが座っていた席に座った。

「よし、お兄ちゃんと話そうか」

 ハサウェイとチェーミンをカツが相手している間に、アムロはミライと部屋の隅へ向かった。

「宇宙に上がるんですか、ミライさん」

 ここで取引されているのは、非合法の、いわゆる裏の宇宙行きチケットだ。

「ええ。あの子達は宇宙で育てたいの。ブライトも拘留されてるというし」

 後半は、アムロにとっても初耳だった。アムロの声が鋭くなる。

「……本当ですか?」

「ええ。グリーンオアシスで、ティターンズに捕まっていた人たちを連れて脱走したって」

 アムロは低く唸った。

「そうか……ブライトが」

 沈痛な表情の彼に、ミライは笑いかけた。

「いいのよ、アムロ。蓄えはあるし、宇宙に上がってしまえばそうそう手は出されないわ」

 ミライは母親だった。ホワイトベースの操舵手として活躍していたあの頃以上に、彼女は強くなっていた。

「もう七年よ。人は変わっていくものだから」

 少し憂いのある目で、彼女は二人の我が子を見た。その二人は、ブライトの忘れ形見になってしまうかもしれなかった。

 アムロは、彼女が心配だった。

「ミライさんは、今どちらに」

「コーラル・オリエンタル号。港の大きな船よ」

「そうですか……。書くもの、ありますか?」

 アムロの突然の申し出に、ミライは驚いていた。

「え? ええ……」

 彼女がカバンからメモ帳を差し出すと、アムロはポケットのボールペンで、そこに何事か殴り書いた。

「僕たちの艦です。何かあったら、ここへ」

 アムロはメモ帳を返して、その文面をボールペンの先で軽くなぞる。ミライはそのメモ帳を受け取る間際、アムロの手を握った。

「ありがとう、アムロ……。私もね、ブライトが捕まったと聞いた時は、どうかなってしまいそうだったわ」

 彼女の目は、わずかだが潤んでいる。アムロは、その手を払うことができない。数秒そうしていて、ミライは笑って手を放した。

 彼女はもう、すっかり母親の顔に戻っていた。

「ありがとう、アムロ。ここには、あなたは何のために?」

「そうだった。行ってくるよ、ミライさん」

 アムロは軽く笑って歩き出した。肩越しに小さく手を振り、窓口へ割り込む。

「おっ、おい!」

 並んでいた客の抗議にも耳を貸さず、アムロは口を開く。

「ルオ・ウーミンさんにお会いしたいのだが」

 窓口の女は、ぎょっとしたような顔でアムロを見返し、背後に目をやる。

「ん? どうした」

 窓口からは答えが返ってこない。不思議に思ったアムロに、カツの悲鳴まじりの声が届く。

「アムロさん、危ない!!」

 背後から肩を掴まれ、アムロはそのまま顔を殴り飛ばされた。待合席まで殴り飛ばされ、アムロは倒れ込む。

 フロアは怯えた叫び声で満たされた。客のほとんどが逃げ出している。

 下手人は屈強な黒服の男だった。ルオ商会のものだろうか。アムロが、待合席の間から立ち上がった。カツの声のおかげで、ガードが間に合ったのだ。

「カツ!! みんなを連れて逃げろ!」

 アムロはそう叫び、黒服へ飛びかかる。ミライがカツの手を引いた。カツは歯噛みしながら、ハサウェイとチェーミンを抱き上げて走り出す。

 黒服を一人叩きのめしたアムロだったが、増援の黒服に胸ぐらを掴まれてしまった。

「ううっ!」

 無理やり上体を起こされ、おもいきり殴りつけられる。床へ転がされたアムロへ、黒服の踏み付けが迫った。

「おおおっ!!」

 人影が飛び込んだ。人影は待合席の背を踏み台にした飛び蹴りをその黒服の後頭部へ叩き込む。さらに床に手をついて蹲った黒服の鼻めがけて返す刀の膝蹴りを入れると、黒服はぐったりと倒れこんだ。

「立てるか!」

 人影はアムロに声を掛ける。鼻血を押さえながら立ち上がったアムロを見て、その男は微笑む。人影の正体は、ジェリドだった。

 三人目の黒服が襲いかかる。ジェリドはすぐさまその男にレスリングのように組み合うと、相手のバランスを崩して床へ転がす。

 一歩踏み込んだアムロと同時に、ジェリドはその男の頭を挟み込むように蹴飛ばした。両側頭部に激しい衝撃を受け、黒服は昏倒する。

「逃げるぞ!!」

「ああ!」

 ジェリドはアムロの手を引いて駆け出した。

 

 

 

 ホンコン・シティは入り組んでいた。アムロとジェリドにとって見ず知らずの街ではあったが、通行人に紛れればそう簡単には見つからなかった。

 一歩裏路地に踏み込んだだけで、表通りの喧騒は消えてしまう。細い路地に入ると、アムロが息を切らして膝に手をついた。

「大丈夫か?」

「ああ、もう、大丈夫、だろう……」

 ジェリドの言葉に、アムロはわずかに背後を気にしながら答えた。やはり軍人であるだけ、ジェリドは鍛えられていた。

「何者なんだ、お前は」

 アムロが聞いた。ジェリドは、息も絶え絶えなアムロの背後、表通りの方へ顔を出した。追手は撒けたようだ。

「おい、答えないか」

 表通りの明るい日差しを背に、ジェリドは挑発的に笑った。

「あんたがカラバのアムロ・レイだからさ」

 ジェリドの手に握られていたのは、拳銃だった。その銃口は、言うまでもなくアムロに向いていた。

「貴様っ!」

「ルオ商会の様子を見にきたつもりだったが、想像以上の大物がかかってくれた!」

 アムロは両手を上げた。睨み合いは続く。

「なぜ俺を助けた!」

「ルオ商会の狙いはわからんが、お前さんを連れて帰ればカラバとルオ商会の繋がりも暴けるからな」

 暗い路地裏は、どこかかび臭い。街の喧騒が聞こえる中で、アムロはからからになった口を開いた。

「その声、シャアを落としたMk-Ⅱのパイロットか」

 ジェリドの片眉が上がった。声だけでわかるとは思えない。やはり、これがニュータイプというものなのか。

「……ああ。ティターンズのジェリド・メサ中尉だ」

 薄く笑い、ジェリドは答えた。

「そうか……シャアとは宇宙からずっと戦っていたらしいな」

「だったらどうだってんだ? 背中を向けろ」

 マウアーが来るまでの辛抱だ。ジェリドは心の中で呟いた。

「動くなあっ!!」

 背後から貫くような大声。ジェリドが肩越しに振り返ると、拳銃を構えている十五歳前後の少年が見えた。

 彼の声で、通行人たちも振り返る。そして構えた拳銃を見て、悲鳴を上げて逃げ出していく。

 アムロが叫んだ。

「カツ!?」

 拳銃を握りしめた少年は、カツだった。額に浮かんだ汗は、走ってアムロを探したためだけではないだろう。

 ジェリドは笑い飛ばした。

「おい坊や、俺が撃てるのか?」

「撃てるさ!」

「ただでさえ跳弾しやすいんだぜ、その拳銃は。構え方もなってないようなお前さんじゃあ、俺は撃ててもアムロがただじゃ済まん」

 これはジェリドの虚勢だった。アムロがただでは済まないと聞けば、カツの指も強ばる。遠巻きに取り囲んだ野次馬たちの潜めた声は、カツの耳には入ってこない。

 カツは拳銃を構え直して、じりじりと近づいていく。自分の鼓動と息遣いが、やけに大きく感じた。ジェリドの背中が遠く見える。モビルスーツでの戦いは経験済みでも、生身の相手を撃つことには抵抗があった。

「じゅっ、銃を捨てろ! 撃つぞ!!」

 銃を手放さないジェリドに業を煮やして、カツはまた叫んだ。ジェリドは逡巡し、そして銃を捨てた。

「俺の負けだな、坊や」

 ジェリドはうつむき加減に笑った。諦めも自嘲も、アムロはその笑みからは感じなかった。

 カツは大きく安堵の息を吐いた。それと同時に、彼の視界の中央のジェリドが動く。

 わずかに力を抜かせてしまったカツの両手は、重力に従って下がっていた。振り向き様の右後ろ回し蹴りが、その拳銃を弾き飛ばす。

「ああっ!?」

 回転の勢いに乗せて、ジェリドは左手をカツの頭に向けて振るう。それは、先程地面へ落とした拳銃だった。後ろ回し蹴りの際に上体を深く沈め、流れるように拳銃を拾っていたのだ。

 多少加減されていたとはいえ、グリップの底をこめかみに打ち付けられたカツは頭を押さえて倒れ込む。

 アムロの目が鋭く光る。蹴り飛ばされたカツの拳銃は路地裏の壁にぶつかって跳ね返ってアスファルトを滑っている。素早く飛びついたアムロが、その拳銃に手を伸ばす。

 銃声が鳴った。アムロは手を伸ばしかけた格好のまま、動きを止める。ジェリドの拳銃の銃口が、アムロを狙っていた。

「カラバはよほど人材不足らしいな。こんな坊主がお前の護衛とは」

 ジェリドの足がカツを小突く。カツは動けず、拳銃も拾えていない。アムロはジェリドを睨みつけた。

「カツを侮辱するな!」

「ガキを戦場に出すのがカラバのやり方か!!」

 判断力のない子供を戦争に駆り出すなど、ジェリドは気に入らなかった。フォウ・ムラサメの事情を聞いたばかりのジェリドは、なおのこと苛立っていた。

 カツが小さくうめいた。それを一瞥して、ジェリドは告げる。

「じき俺の連れの車が来る。そうすりゃあスードリに……」

 悲鳴が聞こえた。その悲鳴は、彼らが拳銃を持ち出した時の比ではない。大勢の人間の悲鳴だ。ジェリドは思わず、大通りの方を見る。

「バカな!」

 彼の目が驚愕に見開かれた。

 ホンコン・シティの高層ビルのその上から、それは降下する。巨大なその四角い物体は、黒く塗装され、金属の光沢で日光を反射している。翼ともシールドともつかない両脇に迫り出した板。機体の前面の砲門は、威圧的に街を見下ろす。ゆうに三十メートルはあるその異形の機体は、機動兵器の中でも、特にモビルフォートレスと呼ばれるものだった。

「サイコガンダムだと……!?」

 呆然としたジェリドに、カツは食らいついた。ふらつく体を立ち上がらせ、ジェリドにしがみつく。

「しまった! こいつ……!」

「アムロさん! 撃ってください!!」

 野次馬たちはすでに逃げ出していた。サイコガンダムの突然の襲来に、彼らは怯え切っている。

 アムロは拳銃を拾って、構える。野次馬はいなくなったが、カツがしがみついたままでは撃つことはできない。

「伏せろ、カツ!!」

 アムロは声の限りに叫んだ。カツは指示に従い、ジェリドを放して地面に伏せる。アムロの銃口はジェリドに向いていた。

「こっちだ、ジェリド!!」

 ジェリドはその声の方へ飛び込んだ。開いたままの車の窓へ彼がその身を躍らせると、再びアクセルが踏み込まれる。

 ジェリドは肩で息をしながら座り直した。リアウインドウには、小さくなっていくアムロたちが見える。彼は銃を構えていたが、ある程度離れるとカツに肩を貸していた。

 バックミラー越しに、マウアーの瞳がジェリドを見つめている。

「悪かったわね、遅くなって」

「いや、いい。それよりあれは……!」

 ジェリドはまた振り返った。モビルフォートレスの肩越しに、もう一機、高速で旋回する機体が見えた。ギャプランだ。マウアーも苦い顔で答える。

「……フォウ・ムラサメとロザミア少尉でしょうね」

 モビルスーツ形態に変形したギャプランは、ビルの屋上に着地する。道路に着地したサイコガンダムもまた、その姿を変えていく。折り畳まれていた両足は伸びて、地面を強く踏みしめる。立ち上がった両肩から頭がせり出し、機体を挟んでいたシールドは一枚に合体し、大きな盾になる。

「ウッダーめ……! 街でサイコガンダムを使うなど!」

 ブレードアンテナと、デュアルアイ。四十メートルを越すそのモビルスーツは、咆哮を上げるように胸の拡散メガ粒子砲を発射した。

 

 

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