逃げ惑う民衆に混じって、アムロは走った。アスファルトを砕いて歩くサイコガンダムの巨体が、彼らを追い立てる。肩を貸されていたカツが、その腕を振り払った。
「カツ!?」
「自分で走れます!」
「よし!」
アムロはペースを上げた。カツも歯を食いしばってついていく。二人の上を、大きな影が滑っていった。
「これは……」
「味方だ」
慌てたカツをアムロが落ち着かせる。その影は、彼らの進行方向から来たものだ。
振り返ると、ド・ダイ改の上に赤い背中が見えた。
「ロベルト中尉!」
空気抵抗が機体を押し付ける。眼下の景色はあっという間に港の倉庫街からホンコンの高層ビルへと移り変わっていく。
「こんな街中で……ティターンズめ!」
赤く塗られたリック・ディアスのコクピットで、ロベルトは忌々しげにつぶやいた。
「見えた!」
高層ビルと遜色ないそれは、ロベルトがこれまで見たことのあるモビルスーツのどれよりも大きかった。
「こいつはまるで……おっと!」
ギャプランの狙撃をバレルロールでかわし、ロベルトは舌打ちをする。ビルの上に佇むギャプランの中で、ロザミアが唇を歪める。
「ええい、これでは近づけん……!」
ホンコンの街を傷つけさせるわけにはいかない。ギャプランの射撃をかいくぐって、ロベルトはサイコガンダムを射程内に捉える。
「来たな、エゥーゴ!」
フォウは引き金を引く。拡散メガ粒子砲が空を染めた。
「うおおおおお!?」
ド・ダイ改にメガ粒子砲が掠めたようだ。ロベルトは冷や汗を垂らし、被弾箇所に振り向く。溶けた一部の装甲が、その威力を物語っている。
リック・ディアスが真上にいる限り、サイコガンダムのメガ粒子砲も空に向けて発射される。つまり、街の被害を抑えられるというわけだ。
「しかしこれじゃ……」
一息つく間もなく、今度はサイコガンダムの指からのビームが襲い来る。フォウは高笑いを上げた。
「あっはっはっは! 逃げてばかりか、エゥーゴ!」
「逃がさないよ!」
ギャプランが変形し、その大推力でリック・ディアスを追う。クレイバズーカの弾丸をすり抜け、次々にビームを発射する。
「く……こいつは持たんぞ、アポリー!」
今は亡き相棒の名を呼び、ロベルトは天を仰いだ。
急ブレーキをかけて車が止まる。ドアを開けて、ジェリドとマウアーが飛び出してきた。目的地だった波止場には、彼らの同僚のティターンズの兵士たちが集まっている。
「ジェリド中尉! 我々は……」
「点呼を取れ!」
「中尉とマウアー少尉が最後であります!」
部下たちの素早い行動に、ジェリドは安堵した。
フォウとロザミアの出撃は、彼らにとって想定外だった。偵察隊も、このような非常時にはボートに戻ってスードリへ帰艦するように取り決めてあった。
街の方でまた破壊音がなった。ジェリドは振り返って、表情を歪ませる。逃げ惑う人々の悲鳴も、遠く聞こえる。サイコガンダムとギャプランに対して、彼は無力だった。
「く……行くぞ、お前たち」
手はない。ジェリドは奥歯を噛み締め、指示を出す。彼らがボートへ乗り込むその時、空に一つの機影が見えた。
「あれは!?」
騒ぐ部下たち。ジェリドはその機体へ目を凝らした。
「……カクリコンか!」
ベースジャバーの上には、二機のモビルスーツ。黒い機体にブレードアンテナ。ガンダムMk-Ⅱの二番機と三番機だ。二番機はビームライフル、三番機はハイパーバズーカを装備している。
ベースジャバーがホバーで海の上に浮かんで動きを止めると、Mk-Ⅱのコクピットが開いた。カクリコンが身を乗り出して声を張り上げる。
「ジェリド! 早く乗れ!」
「いいのか?」
「連中の支援だとさ」
カクリコンは苦々しげに吐き捨てた。伸ばしたMk-Ⅱの手に、ジェリドは飛び乗る。彼の脳裏に、一つのひらめきがよぎった。それは一歩間違えば、反逆と取られかねない行為だ。
だが、動き出したMk-Ⅱの手の上から彼は叫んだ。
「カクリコン! 支援と言ったな!」
ジェリドの目は鋭い。視線を受けて、カクリコンは操縦桿を握り直した。
「やるのか、ジェリド」
「ああ。あいつらを止める!」
コクピットへジェリドは体を押し込む。マウアーが心配そうに声をかけた。
「ジェリド!」
「大丈夫だ。こんなところで死にはしない」
ジェリドは、笑ってみせた。コクピットハッチが閉まる。二機のMk-Ⅱを載せたベースジャバーが低い音を立てて上昇し、空へ向けて加速する。狙いはサイコガンダムとギャプランだ。
風圧がマウアー達を襲った。髪が風になびく。空高く飛び上がり街を目指したジェリド達を、マウアーは見つめていた。
広がった光が、天に向かって放たれる。空を飛ぶことで多少なりとも被害は抑えられているが、倒壊しかけたビルを見てロベルトは歯軋りした。
拡散メガ粒子砲は距離さえとってしまえばあまり怖くない。恐ろしいのは、指先から放たれるビームだった。遠くまで届く上、サイコガンダムからは大きな機体ゆえの鈍重さが感じられなかった。
サイコミュによる制御は、時として操縦桿より早く機体を動かす。ベテランであるロベルトも、落とされないだけで精一杯だった。
指からのビーム砲をかわした直後のリック・ディアスをギャプランが追い抜いた。高速で空を飛び回るギャプランにフォウが攻撃を一切当てていないのは、やはり彼女たちが強化人間であるからだ。
「しまった!」
変形と同時に向きを変えたギャプランは、リック・ディアスの真正面からビーム砲を撃つ。リック・ディアスの左肩が吹き飛んだ。
右へバランスを崩したロベルトは、視界の隅にサイコガンダムを捉えた。胸の拡散メガ粒子砲は、リック・ディアスに向いていた。
「そこまでだ! フォウ少尉!」
飛来する一機のベースジャバー。その上の、二機のガンダムMk-Ⅱからの通信だった。フォウの指が止まる。
「ジェリド中尉か!」
「この作戦の目的はホンコン市へ圧力をかけカラバとの連携を断たせること! その目標は達成されたと判断する!」
ベースジャバーはサイコガンダムの上を旋回している。うざったそうに、フォウは腕を振らせた。
「フォウ少尉! それ以上の行動は上官への反逆と判断するぞ!」
「私はウッダーから許可をもらった!」
ジェリドは鼻を鳴らした。ウッダーめ。あんな約束などしなければいいものを。ジェリドが促すと、カクリコンはベースジャバーを操作してサイコガンダムに進路を取る。
「あの子は記憶を取り戻そうとしている!!」
サイコガンダムへ機首を向けたベースジャバーの前に、ギャプランが割り込んだ。モビルスーツ形態に変形し、そのビーム砲を構える。
「邪魔をする気か!」
「強化人間でもないものに、フォウの苦しみがわかってたまるものか!」
ロザミアは譲らない。だがその横合いから、リック・ディアスのクレイバズーカが飛び込んだ。それはギャプランの体を打ち、体勢を大きく崩す。
その隙を突き、ベースジャバーはまた加速する。
「やめろと言っているんだ、フォウ!!」
ジェリドが叫んだ。
「う……ううう……あああああっ!!」
フォウは頭を抱え、シートの上でのたうつ。耐えがたい頭痛。それは、サイコガンダムに搭載されたサイコミュが、彼女の感覚を鋭敏にしているからだ。
フォウはモニターの中央に映る、二機のMk-Ⅱを睨んだ。
「嫌いだ……お前なんか、嫌いだ!」
「カクリコン! 避けろおおっ!!」
第六感に任せてジェリドが叫んだ次の瞬間、拡散メガ粒子砲が発射された。広範囲へ満遍なく降った光の雨は、触れれば破壊される死の光だ。
ロザミアとロベルトもその発砲に驚き振り返る。ビル群は穴だらけになり、もっともサイコガンダムに近かった高層ビルがとうとう崩れ落ちた。
「奴め……味方だぞ、俺たちは!」
ジェリドの声に従って即座にベースジャバーを加速させたカクリコンは、サイコガンダムの背後からその惨状を見た。ジェリドは、ベースジャバーからMk-Ⅱを飛び降りさせる。
「こうなれば手荒なことをさせてもらう!」
コクピットである頭部に取り付きハッチをこじ開けることが狙いだった。
「邪魔だ!!」
サイコガンダムが振り向き様、左腕を振るう。弾き飛ばされたMk-Ⅱに、頭部から発射されるビームが迫った。
「ジェリド! 無茶するんじゃない!」
あわやというところで、ジェリドのMk-Ⅱはカクリコンのベースジャバーに拾われる。もう少し遅ければ、ジェリドの命は無かった。
リック・ディアスのド・ダイ改が突然火を吹いた。掠めたメガ粒子砲のダメージか、それとも高速での旋回が祟ったか。スピードを落としたド・ダイ改にギャプランのビームが直撃した。
「くっ、くそおおおっ!!」
ロベルトは必死で機体を操作するものの、街の道路の中心へ、ド・ダイ改とともにリック・ディアスが落ちていった。
「お前の相手なんか、していられないのさ!」
ロザミアはそう残して、ジェリドとカクリコンの方へ飛び立った。
逃げ回るベースジャバーを、サイコガンダムの腕部ビーム砲が追う。ジェリド達も威嚇を兼ねて撃ち返すが、Iフィールドと重装甲に阻まれて有効打には至らない。
「記憶だ! 記憶を返してもらうんだ、私は!」
ジェリドは唇を噛んだ。彼女達強化人間は、好きで戦っている訳ではない。強化人間の歪んだ力は、サイコミュによって苦痛へと変わってしまう。
「邪魔をするな、ガンダム!!」
フォウの悲痛な声が通信機越しに聞こえる。ジェリドは引き金を引くのを躊躇した。
「おいジェリド……ぐお!?」
ギャプランのビームがベースジャバーを撃ち抜いた。高度を失って落ちていくベースジャバーに、ロザミアが追撃する。
「フォウの記憶のために死んでもらう!」
ムーバブルシールドの銃口が、日光を反射して光った。ジェリドは咄嗟に、カクリコンのMk-Ⅱを蹴り飛ばす。
蹴り飛ばされたカクリコンだけでなく、ジェリドのMk-Ⅱもその反動でベースジャバーから落ちる。ベースジャバーをギャプランのビームが撃ち抜いた。そのままジェリド達は加速して、それぞれにビルの陰へ身を隠した。
「出てこい! お前達を皆殺しにすれば私は……!」
フォウはビルを盾にして地上を走るMk-Ⅱに向けてメガ粒子砲を発射しようとする。砲口に光が集まり、今にも発射せんという瞬間、赤い影がサイコガンダムへ衝突した。
「う……!」
激しく揺れるコクピットで、フォウはうめいた。モニターいっぱいに、カラバのマラサイと、そのスパイクアーマーが映っている。
「アムロ大尉!」
「これは……! 嫌なマシンだ」
頭を踏み台にして頭部のビーム砲をかわし、マラサイはビームサーベルを抜く。アムロはマラサイのスラスターを噴射させ、再び一気に踏み込んだ。
「させるものか!」
ロザミアのギャプランがマラサイに体当たりを決行した。サイコガンダムのIフィールドのために、ビーム砲は役に立たない。
バランスを崩したかに見えたマラサイだったが、わずかにバーニアに点火させるとそのまま飛行するド・ダイ改の上に着地する。ジェリドは地上から呟いた。
「アムロだ……!」
ド・ダイ改が急降下し、リック・ディアスを拾う。
「ありがとうございます、アムロ大尉」
「いい。しかしどういうんだ? ティターンズだろ?」
アムロはビル群の隙間のMk-Ⅱに目をやった。ロベルトが答える。
「仲間割れしているようです。あのデカブツどもと、ガンダム二機で」
「そうか……。市街地での戦闘は避けようと」
合点がいったように、アムロは小さくこぼした。ロベルトのリック・ディアスが、クレイバズーカを差し出す。
「アムロ大尉、奴はIフィールドが使えるようです」
「ならば実弾というわけか。いいのか?」
ロベルトは悔しそうに表情を歪めた。
「左腕がこれじゃあ、ド・ダイの上からまともな射撃はできません」
「そうか。借りておくぞ」
クレイバズーカを受け取ったマラサイめがけてサイコガンダムのビーム砲が放たれるが、アムロの操作によってそれは難なくかわされる。
「くうっ! エゥーゴ!」
フォウが焦れた声を上げる。アムロ達を追い立てるギャプランも、リック・ディアスのビームピストルにその足を止められている。
「今だ!」
足元への注意が消えたサイコガンダムへ、ジェリドのMk-Ⅱが突進した。サイコガンダムの体を足場にし、三角跳びのように駆け上がる。
「うおおおお!!」
咄嗟にフォウは左腕を出した。ちょうど手首の部分を切断され、サイコガンダムの左手が落ちる。
斬り上げたその足で、ジェリドはMk-Ⅱをサイコガンダムの右の肩にしがみつかせた。肩が盾になって頭部のビーム砲は撃てないし、左手は斬り落とした。胸部の拡散メガ粒子砲はもってのほかだ。狙えるとすれば右手のビーム砲だが、右肩に密着しているMk-Ⅱをピンポイントで撃ち落とすだけの技量と精度は、右手のビーム砲にはない。
「離れろ! 離れろぉ!」
体を回転させたサイコガンダムは、左腕でジェリドのMk-Ⅱをはたき落とす。フォウは脂汗を流し、ぎりぎりと奥歯を噛み締めている。
「ぐおおおっ!?」
ノーマルスーツを着ていないジェリドは、コクピット内にしたたかに額を打つ。意識が朦朧とするが、彼は操縦桿を手放さなかった。
「ガンダムが動いた!? なら!」
アムロはクレイバズーカの引き金を引く。Iフィールドにも通用する実弾だが、散弾はサイコガンダムの装甲を前に、阻まれてしまう。
「くそっ……!」
万事休すか。アムロは毒づいた。サイコガンダムを止めるには、接近戦しかない。しかし、一機だけで突っ込んだところで限界があることは、ジェリドの行動で分かっていた。
「おい、カクリコン」
ビルに衝突したジェリドは、血を拭いながらカクリコンを通信で呼び出した。血は目元にまで流れてきている。
「なんだ?」
「俺のバズーカを使え」
腰にマウントしたままのバズーカを取り、ジェリドは言った。サイコガンダムの動向を見ると、アムロ達に気を取られているようだ。
「バズーカだと? 当たりどころが悪かったら……」
渋るカクリコンに、ジェリドは声を荒げた。
「やるしかないんだ! ……これ以上、市民に被害を出させてたまるかよ」
立ち上がったMk-Ⅱだが、幸いにも動きに支障はない。相手の隙を見て、カクリコンのMk-Ⅱが接近してきた。ハイパーバズーカを受け取り、カクリコンは尋ねた。
「やれるのか? どうせなら、俺とお前で突っ込んだ方が……」
ジェリドは目線をサイコガンダムから外さず答える。
「いや、それもいいが……賭けがうまくいったら、その必要はない」
賭けという言葉に、カクリコンは首を傾げた。
「どういうことだ?」
「やるしかないのさ」
そう言って、ジェリドはMk-Ⅱの通信回線を変えた。暗号ではなく、その場のモビルスーツ全てが受信できる通信だ。
「聞こえるか! アムロ・レイ!!」
マラサイのコクピットで、アムロが目を見開いた。
「あのデカブツのコクピットは頭だ! 俺と貴様で奴の首を斬る!」
「なんだと……!?」
ロベルトがギャプランに撃ち返しながら、信じられないように言った。
「罠です、大尉」
「いや、行く」
アムロの目はサイコガンダムと、ビル越しに見えたガンダムMk-Ⅱを捉えていた。
「大尉!」
「これ以上ホンコンが傷つけば補給はできなくなる! わかるだろう!」
銃を撃ち合いこそしたが、アムロはジェリドに対して単なる敵意だけを抱いたわけではなかった。それに加えて、この街をこれ以上傷つけることはティターンズの本意ではないという推測もある。
「ド・ダイは任せる!」
「はいっ!」
彼らのド・ダイ改が、サイコガンダムの背後から加速していった。
「仕掛けるぞ!」
アムロは回線を開き呼びかける。呼応するように、Mk-Ⅱがビルの屋上に登った。
「ジェリド! 貴様、裏切ったのか!」
フォウが叫んだ。サイコガンダムをMk-Ⅱに向け、胸部メガ粒子砲のチャージを始めさせる。後方からのクレイバズーカの射撃が、サイコガンダムを襲う。
「くっ、うざったい!」
致命打にはならない。しかし気を取られた一瞬の隙に、そのMk-Ⅱはサイコガンダムのメガ粒子砲めがけてハイパーバズーカを発射した。
砲門に撃ち込まれた強力な弾頭。サイコガンダムはその砲口から煙を立ち上らせる。コクピットでは警報が鳴り響き、モニターには、一時的なメガ粒子砲の使用不可を知らせる文言が並ぶ。
「おのれええ!!」
怒りに任せて、フォウはサイコガンダムの右手をMk-Ⅱの方へ伸ばし、ビーム砲の狙いをつける。
これで殺した。そう思ったフォウの視界の上方に、もう一機Mk-Ⅱが現れる。高速で向かってくるそれに、フォウは表情を歪めた。
「くっ!」
素早く頭部のビーム砲を発射しようとするフォウだったが、モニターがブラックアウトした。消える寸前のモニターには、ド・ダイ改から飛び降りつつクレイバズーカの銃口を向けるマラサイが映し出されていた。
「うぐぅううっ!!!」
たとえカメラが死んでも、彼女には強化人間の直感がある。ニュータイプとして覚醒を始めたジェリドの気配は捉えられる。サイコミュの反応速度で放たれる頭部ビーム砲をかわすことなどできない。彼女はそう思った。
次の瞬間、彼女は浮遊感に襲われた。一般のモビルスーツで言えば胴体ほどのサイズの頭部は、その首関節部分をビームサーベルに切断され、落ちようというところをMk-Ⅱにキャッチされる。
「ううっ! うううっ!! ううああああ!!」
頭部にはジェネレータはない。額のビーム砲は、何の反応も示さなくなった。目に涙を浮かべて、彼女は操縦桿をでたらめに動かした。
接触回線で、フォウの怨嗟の声が聞こえてくる。ジェリドの胸の内に、暗い罪悪感が広がっていった。
首から上を失ったサイコガンダムは、右腕を伸ばした格好のまま、まるで時間が止まったように立ち尽くしている。
サイコガンダムの頭部の重量にバランスを崩しかけたが、地面に着地したジェリドはまた通信回線を開く。
「カラバ! ……協力に感謝する」
そう言って、彼は額の血を拭った。サイコガンダムを破壊すれば、ホンコンの街に被害が出るだろう。ジェリドはサイコガンダムを置いて撤退するつもりだ。
「アムロ大尉」
「……やめておこう。街中だ」
サイコガンダムの頭が斬り落とされた瞬間、彼らの間には奇妙な達成感があった。それはそのまま、彼らの戦意を削いだ。ジェリドが撤退するであろうことは、彼も直感でわかっていた。
フォウの声は、次第にすすり泣く程度に変わっていった。
「ロザミア! 貴様も撤退だ」
ジェリドが低く命令すると、上空を旋回していたロザミアはスードリへ向かった。サイコガンダムの首を落とした時から、彼女はギャプランを上昇させ、戦闘行為はしていなかった。
戦闘が収まったと思ったのか、隠れていたホンコン市民が顔を出した。憎悪のこもった目で、彼らはモビルスーツ達を見上げる。
街は破壊されていた。倒壊したビルもある。拡散メガ粒子砲の被害は幅広い。サイコガンダムの重さでアスファルトはボロボロだ。モビルスーツが足場に使ったビルも、屋上が潰れているものもあった。
泣いている子供。呆然とへたり込んでいる老人。いったい何人の命が奪われたことだろう。
フォウのすすり泣く声をジェリドは聞いた。記憶という言葉が時折聞き取れる。太陽の光が、彼のMk-Ⅱの影を大きく映していた。
頭に包帯を巻いたジェリドは、カクリコンと並んでスードリのブリッジに立っていた。
向かい合うのは、キャプテンシートにふんぞり返ったウッダーだ。
「ジェリド、カクリコン。……申し開きはあるか」
「こっちの台詞だ」
顔をしかめたままジェリドが言い返した。ウッダーが身を乗り出す。
「貴様は俺の命令を無視した!」
「街を破壊するのが貴様の命令か!?」
ジェリドは声を張り上げて威圧する。見ていたカクリコンも、その剣幕に目を丸くしている。怯んだウッダーにジェリドはたたみかけた。
「作戦の目的がホンコン市に圧力を掛けるためならサイコガンダムはうってつけだろうが、暴れさせる必要はない」
「貴様が決めることではない」
「そこの女に吹き込まれたか!」
ブリッジの隅にいたコーネルがびくりと肩を震わせる。ジェリドの目が据わっていた。彼は間をおかず続ける。
「そうだろうな、サイコガンダムの攻撃力やフォウの能力を測るには、ホンコンのような大きな街が一番だ。だから貴様に命じてフォウを出撃させた!」
「俺の意思だ!」
「なら十分だろう! 街があれだけ叩かれればアウドムラもホンコン市には長居できん!」
ウッダーも、街を破壊することが望みではなかった。しかし、オークランド研究所所属の彼にとってムラサメ研との関係悪化は避けたいものだったし、サイコガンダムとフォウの力を見ておきたいという判断もあった。
「貴様の命令違反は」
「俺は二人の支援をしただけだ」
クルー達が固唾を呑んで見守っている。フォウの行動は、スードリのクルー達の間にも不穏な空気を漂わせていた。もともと約半分はジャブローでジェリドと共にスードリに来たジェリド派だ。
ウッダーはもう一度ふんぞり返って、小さく言った。
「……わかった」
結果に囚われていたウッダーにとっても、今日の出撃の結果は想定外だった。彼は強化人間の危険性をみくびっていた。
「行っていいぞ」
不快そうに目を閉じたウッダーは、シートに背を預けた。ジェリドは去り際に吐き捨てる。
「ティターンズの面汚しめ」
それを聞いて、ウッダーが目を開けて体を起こす。間に割り込んだマウアーが、背中を押すようにしてジェリドをブリッジから連れ出す。
「個人的な感情だけで動いていては上にはいけないと言ったはずよ」
通路に出て、マウアーはジェリドの正面に回り込んだ。咎め立てるような口調にジェリドはむっとして言い返す。
「ホンコンを放っておけばよかったってのか!?」
だが、彼女の八の字に歪んだ眉を見るとその気持ちは消えてしまった。怒鳴りつけたジェリドは、申し訳なさそうにうつむく。
「あなたのホンコンでの行動は誇らしいものだと思っている。でもジェリド、いつでもあなたの主張が通るわけじゃない」
幸いにも今回はスードリの半分がジェリド派だったために不問に処されたが、もしウッダーが強硬な姿勢をとれば、スードリの中で内乱ということにもなりかねなかった。
「上官との無駄な争いは避けるのよ。いつかは、ティターンズだってあなたのものにするんでしょ?」
マウアーが話している間、ジェリドは素直に聞いていた。感情に任せて怒鳴った負い目もあるのだろうが、小さく身をかがめているジェリドの顔は、いつもよりマウアーに近かった。
「それに……」
マウアーの手が伸びた。ジェリドの頬に手を当て、額に巻かれた包帯を、やさしく親指で撫でる。
「こんなケガはしないでほしい」
二人はそのまま見つめあった。マウアーの切れ長の目が、潤んで見える。ジェリドの手が、マウアーの肩に回された。
「見つけた! ジェリド中尉!」
二人の空間を、その声が破った。ジェリドは慌てて、マウアーを引き寄せてしまう。マウアーは何事もなかったようにジェリドの手を払った。
「ロザミア少尉か……」
彼女はホンコンでの破壊活動の張本人の一人である。ジェリドの表情が険しくなる。
長髪を揺らし、ロザミアは笑いかけた。
「ありがとうございます、ジェリド中尉」
「ありがとうだと?」
ジェリドは眉を寄せた。
「ありがとうとはどういうことだ。ホンコンをフォウ少尉と一緒に襲撃したのは本意じゃないとでも言うつもりか?」
苛立ちが混じった声でジェリドはロザミアを詰った。
「いえ、サイコガンダムを破壊してくれたことに、私は感謝しています」
ロザミアの答えに、ジェリドはますます眉間の皺を濃くする。
「サイコガンダムを俺が壊したことがどうしてありがたい! フォウ少尉は出撃できなくなって、記憶も取り戻せないんだぞ!」
「あのマシンは不愉快です」
「はあ?」
「あのマシンは不愉快です。フォウもそう感じています」
まるで要領を得ないその口ぶりに、ジェリドは苛立ちを隠さない。しかし、彼の言葉をマウアーが遮った。
「サイコミュのことか」
「サイコミュ?」
ジェリドが聞き返した。マウアーはロザミアに視線を向けたまま答える。
「一年戦争の時にジオンが開発した、ニュータイプの強い脳波を機体の制御に役立てるシステムだ。サイコガンダムにも使われている」
「そいつが不愉快か」
「連邦のサイコミュ技術は負荷が大きいと聞いている」
フォウが友軍であるジェリド達に攻撃した時、彼はわかるはずのない攻撃をかわすようにカクリコンに指示した。サイコガンダムから不気味な感覚を感じ取っていたのだ。
ジェリドは歯軋りした。拳は、痛いほど強く握りしめられている。
そんなことが言い訳になるものか。そう怒鳴りつけたい気持ちもジェリドにはあった。彼女達がホンコンの街を破壊して、何の罪もない市民達に大きな被害を出したことは紛れもない事実だ。
だが、フォウは記憶を人質に取られ、危険なマシンに無理矢理乗せられているのだ。ロザミアもおそらく強化の影響と見られる精神の混濁がある。コロニー落としへの異常な恐怖と、エゥーゴへの憎しみが、彼女には刷り込まれていた。彼女は彼女なりに、心を許せる友人であるフォウを助けようとしただけだ。
それを責める権利は、連邦軍の一員である自分にはない。ジェリドの脳裏に、フォウのすすり泣きが響いた。
「ありがとうございます、中尉。サイコガンダムを破壊してくださって」
礼を述べるロザミアに、ジェリドは腕を振って追い返す。
「……わかった……。いいから、放っておいてくれ」
ロザミアを押し除けるようにして、ジェリドは通路をずんずんと歩いて行く。マウアーはそれを追いかけた。
ジェリドは限界だった。通路の壁を殴り、包帯を巻かれた頭を叩きつける。その痛みが、今のジェリドには心地よく感じられた。
「ジェリド!」
目を丸くして、マウアーがジェリドの肩を押さえる。
「戦争に市民が巻き込まれるのも、強化人間が使い潰されていくのも……」
ジェリドはかつてエマを殺した。それは曲がりなりにも、ティターンズにも正義があると考えたからだった。
「俺は……! くそっ!」
やり場のない怒りに、彼は震えていた。