主人公はジェリド・メサ   作:中津戸バズ

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黒雨を抜けて(前)

「触るなよ」

「わかってますって」

 スイッチを入れると、全天周モニターが点灯する。ジェリドは満足げに頷き、整備士の方へ振り返った。

「よし、終わりか」

「はい。中尉に手伝っていただけると整備が早く済みます」

「いや、こいつをボロボロにしちまったのは俺だからな」

 コクピットから出て、ジェリドはMk-Ⅱを見上げた。何度も跳ね飛ばされたおかげで、フレームにも装甲にも歪みが出ていた。額の汗を拭おうとして、包帯に手が当たる。

「中尉の出撃は間違っていませんよ」

「ああ?」

 声をかけられて、ジェリドはまた整備士に振り返った。

「そうでしょう? 地球のあんな街中で戦闘をやるなんて、私には信じられません」

 整備士は口を尖らせている。

「お前さん、確か……」

「オークランド研究所です。でも、ウッダー大尉のやり方は、私は許容できません!」

 声を荒げた整備士は、その憤りを隠さない。ジェリドはなだめるように言った。

「よせよ」

「ブラン隊長の敵討ちにしたって、あんな所で戦闘をしなくちゃいけないなんて間違っています!」

「やめろ」

「強化人間のせいだなんて、言い訳ですよ! ウッダー大尉には失望しました!」

 ジェリドに否定をされ続け、整備士の声はますます大きくなる。顔を赤くしたその整備士の横をすり抜けるように、ジェリドは歩き出した。

「ちょっと、中尉……。あっ!」

 整備士はジェリドを目で追って、自分の背後にいた人間に気づいた。ジェリドはきつい目つきのまま、その人物へ言葉を投げかける。

「どういう風の吹き回しだ、お前さんの方から俺に会いに来るなんてのは」

 不機嫌そうな表情を浮かべたウッダーが、そこに立っていた。

 整備士は素早く敬礼はしたものの、睨むべきか、取り繕うべきか決めかねて、ジェリドの方へ目をやっている。

 ウッダーは整備士を一瞥して、ジェリドに言った。

「ルオ商会で貴様はアムロ・レイに会ったらしいな」

「貴様のせいで何人の人間が死んだと思っている!」

 ジェリドはかっとなって怒鳴った。詫びに来たとは思っていなかった。だが、その悪びれもしない態度が許せなかった。

「ウッダー! 貴様だって、フォウ達を出せばどうなるか、わからなかったわけじゃあるまい!」

「黙れ!」

 ウッダーの拳が、ジェリドの右の頬を捉えた。ジェリドは整備ハンガーの手すりにもたれかかる。

「貴様! 先に手を出した!」

 顔を上げたジェリドが殴りかかった。ウッダーの右ストレートをくぐってかわし、相手の右腕に被せるように左フックを顔面に打ち込む。

「この人殺しが!」

 ジェリドはさらに右の拳でウッダーの顎を跳ね上げると、前蹴りで胴体を蹴り飛ばした。今度はウッダーが手すりにもたれる。

「ティターンズがあ!」

 ウッダーは左の拳を振りかぶりつつ立ち上がろうとする。だが素早く間合いを詰めたジェリドは、その左拳より早くウッダーの髪を掴んだ。

 がつん。包帯を巻いたままの額を、ジェリドはウッダーの顔面に叩きつけた。ウッダーの鼻から血が溢れる。間髪いれず、ジェリドはもう一発頭突きする。吹き出した血には、ジェリドの額の傷口からのものもあった。

「おおお!」

 三発目を振りかぶった時、ウッダーの両手がジェリドの頭を掴んだ。打ち付けるジェリドの額に、自分の額を合わせる。顔面よりも固い額の骨同士が衝突した。

 表情を歪めたのはジェリドだ。ウッダーは髪を掴んでいるジェリドの手を振り払って、体重を乗せた拳で顔面を殴り抜いた。

 ジェリドは倒れなかった。息は上がっているが、両手を構えて力強く睨みつける。

 ウッダーの頭が後方へ揺れた。鋭い左のジャブからの右ストレート。ガードをすり抜けた二発の打撃の直後、ジェリドは左のローキックを振り抜く。

「がああっ!」

 ウッダーは痛みにうめいた。今の一撃で、完全に意識が下に向いている。ジェリドは一歩踏み出した。腰を入れたハイキックが、ウッダーの側頭部を刈った。

 整備ハンガーの床へ崩れ落ちるウッダーはジェリドを睨んだ。手すりに体重をかけ、ふらつく足で立ち上がろうとする。鼻は血で塞がっている。荒い呼吸を繰り返しながら、ウッダーは絞り出した。

「俺だって……わかっている……!」

 低くうめくような声だった。どうにか両足で立ったウッダーを前にしても、ジェリドは拳を構えたままだ。言うことを聞かない足に鞭打って、ウッダーが突っ掛ける。

「やめてください! 二人とも!」

 突然、格納庫にいた兵士達が割り込んできた。その中には、ジェリドとMk-Ⅱの整備をしていた整備士の姿もある。ウッダーとジェリドを羽交い締めにし、強引に引き剥がした。

「来いよ! どうしたウッダー!」

「なめるな! 新参者のティターンズが!!」

 二人は取り押さえられながらも、互いに怒鳴り続けた。

 

 

 

「ジェリド!」

 マウアーの手がジェリドの頬を打った。不服そうな顔のジェリドは、スードリの艦内通路に出した椅子に座っている。

「なぜあなたはいつも……」

 ジェリドは表情を変えず、通路の壁を見ている。呆れたように、マウアーが救急箱を開けた。

 本来ならジェリドも医務室に入るべきなのだが、ウッダーと同時に医務室に入れれば揉め事は避けられないだろう。そこで、より重傷のウッダーを医務室に入れ、ジェリドは通路で手当てをすることになった。

「じっとしてなさい」

 額の包帯を解き、新しい包帯をジェリドの額に力強く巻く。額が締め付けられ、ジェリドはわずかに顔をしかめた。

 結び目をきつく縛っている時、ジェリドがぼそりと言った。

「ウッダーは、そんなに悪い奴じゃない」

「……え?」

 マウアーは思わずジェリドの顔を見た。

「ブラン少佐の敵討ちとか、ティターンズへの対抗心とか、そういうことにこだわって、あいつは視野が狭かった」

 淡々と話すジェリドからは、憎しみは感じられない。マウアーは尋ねる。

「それで、ホンコンの件は許すの?」

「許せやしないさ。だが、連邦やティターンズが、みんなあいつみたいな人間だったとしたら……」

 ジェリドは考え込むようにうつむく。ウッダーがフォウ達を出撃させたことを悔いていることはわかった。そうでなければ、ジェリドを上官への反抗を名目に処分することもできたはずだ。

 ぶつかり合っただけ、ジェリドはウッダーのことを理解できた。そんな感覚があった。

 マウアーはその顔を上げさせ、頬に絆創膏を貼る。

「いいわね、男同士って」

「え?」

「ああして殴り合ったら、お互いのことがわかったような気になれるんでしょう?」

 気恥ずかしくなって、ジェリドは黙った。一通りの手当が終わる頃、壁に目をやったまま彼は口を開く。

「すまん、マウアー。昨日の今日で……」

 それは率直な謝罪の言葉だった。ホンコンでの破壊活動や強化人間の実態を知ってしまったために、マウアーもジェリドの気持ちはわかっているつもりだ。だが、それにしても、ジェリドの行動は過激すぎる。

「何かあったの?」

 立ち上がってマウアーは、座っているジェリドに目線を合わせるように、膝に手をつく。

「何かって……」

「連邦が……いえ、ティターンズが信じられなくなるようなことが、ジャブローの他にも」

 ジェリドは口をつぐんだ。唾を飲み、マウアーを見上げる。マウアーの目は、ジェリドが目を逸らしたくなるほどまっすぐで、優しかった。言うべきか、言わないべきか。ジェリドは迷った。

「……すまん、マウアー」

 結局、ジェリドは床に視線を落とした。

「ジェリド……」

「俺は……まだお前を、信じられん」

 苦虫を噛み潰したような顔で、ジェリドは言った。マウアーは、かける言葉が見つからなかった。

 

 

 遠くの空が紅く染まっていた。海のある東側の空はすっかり暗い紺色で、ちらほらと星が見える。

 運び込まれる大量の食料や日用品を、時に格納庫に、時に厨房へ持っていくのは、並大抵の仕事ではない。

 だが、日が沈む頃となると、業者も少なくなる。カツはアウドムラの格納庫の隅に腰を下ろした。

 リック・ディアスはまたもや片腕になってしまったが、ともかく、ホンコンに現れたサイコガンダムの脅威は去った。

 カツは結局モビルスーツに乗って出撃しなかった。頭の傷の大事をとってということだったが、今ではすっかり良くなっている。

 それが悔しかった。もしも自分が出撃していれば、ホンコンの被害は抑えられたのではないか。

 彼は座り込んだ床を睨んだ。ふとその床が、影で暗くなる。

「おい、カツ」

 カツはその男を見上げて、すぐさま立ち上がった。慌てて敬礼の姿勢を取る。

「ロ……ロベルト中尉!」

「ああ。どうだった、ルオ商会は」

 ロベルトも忙しくて、ルオ商会の件は聞いていないらしい。アムロはハヤトに報告のためにブリッジへ上がったきりだから、彼はカツに聞くしかなかった。

「はい……それが」

 カツが口籠る。ロベルトは眉間に皺を寄せた。

「なんだ、はっきり言え」

「その、アムロさんが、ルオ・ウーミンはいるかって聞いたんですよ。そしたら、黒服達が一斉にアムロさんに殴りかかって……」

 ロベルトは呆れたように言う。

「なんだそれは」

「そうなんですよ。そうとしか言えないんですけど、そうなんです」

 弁明するようなカツの口ぶりに、ロベルトは口ひげの下で思わず笑ってしまった。

「そうか……ルオ商会とは接触できなかったか」

 カツが背を預けていた壁に、ロベルトももたれかかった。カツは怯えたようにロベルトへ体を向ける。

 二人の間に流れたのは沈黙だった。それに耐えきれず、カツは口を開く。

「あの、すみませんでした」

 ロベルトが目だけでカツを見たその時、格納庫の入り口で大声が上がる。

「待てよ! あんたのとことは取引してないぞ!」

 入ってきたのは一台の古ぼけた車だ。警備の兵士に詰め寄られながら、車のドアを開けて運転手が降りてくる。作業着を着て帽子を目深に被ったその出立ちは不審だ。

 彼女は帽子を脱いだ。

「私はステファニー・ルオと言います。ルオ商会から参りました」

 ルオ商会。その言葉を聞いて、ロベルトまでも身を固くした。ステファニーの目が一度カツに止まって、また外れる。

「この部隊のリーダーに取り次ぎなさい」

 彼女は、作業着の下のハイヒールを鳴らして言った。

 

 

 

 談話室に通されたステファニーは、すでにスーツ姿だった。乗りつけた車には着替えも乗せてあった。ソファに腰掛けて、相手を待つ。

 木製の触り心地のいい机も海千山千の商売人である彼女の眼鏡にはかなわなかったようで、一撫でするとまた膝の上に手を戻した。

 ドアが開き、入ってきたのはがっしりした体つきの小男と、くせっ毛の青年だ。アムロとハヤトは席につく前に、ステファニーに右手を差し出す。

「あなたが、ステファニー・ルオ?」

「ルオ・ウーミンの代理とお考えください」

 彼女は握手を返しながらそう答える。ルオ・ウーミンという名が出たことに、アムロ達は表情を固くした。

「ルオ商会は我々カラバの支援をしてくださる、ということでよろしいですね?」

 口火を切ったのはハヤトだ。話がどう転がるにしろ、悠長な前置きをしている時間はない。

「はい。十分な量のド・ダイ改を明日の朝にでも搬入しますわ」

「それはありがたい」

 ハヤトが礼を言った。

「どうぞ」

 横からコーヒーを三人の前に差し出したのはベルトーチカだ。ステファニーは目礼してまた話を続ける。

「モビルスーツのパーツについては、もし月とのルオ商会のルートを使ってアナハイムと協力しても、一週間近くかかるとお考えください」

「一週間、ですか……」

 ハヤトの声が淀んだ。ステファニーは、組んでいた足を解いた。

「どうなさるおつもりですか、ハヤト艦長」

「今の戦力でニューギニア基地を叩くのは無理だろう」

「だがハヤト、一週間経てばニューギニア基地の戦力も揃ってしまうぞ。引っ越しから間もない今しかニューギニアを制圧することはできないはずだ。そうでもしなければ、エゥーゴの存在はアピールできん」

 口を挟んだアムロにハヤトが言い返す。

「ならどうする。今の戦力で戦うつもりか」

「時間をかければかけるだけ不利になるんだ。ぐずぐずしていると、今度はスードリの部隊が直接ここを叩くぞ」

 二人の話し合いは決して平行線ではない。だが、背負っているものが大きいだけ、彼らの口調は激しくなっていく。

 ステファニーが手を挙げて、二人の言い合いを中断させた。

「私からも。例の大型ガンダムについてはルオ商会ができる範囲で回収を遅らせています」

「道路を封鎖したのか?」

「いえ。我々のトラックを使って渋滞を」

 さすがだ、と言ってアムロが笑った。

「ですから、ティターンズがあの大型ガンダムを回収するまではそれなりの時間がかかります。モビルスーツの補給を待たないのであれば……」

「スードリはサイコガンダムを置き去りにするしかないわけか」

 コーヒーのカップに一番最初に手を伸ばしたのはアムロだった。すすった熱い液体は口の中へ流れ込んで、豆の香りが鼻へと抜ける。ステファニーがじろりとアムロを見る。

「ルオ商会としても、できる限りエゥーゴを支援するつもりです。ですが、アムロ大尉がルオ商会に接触しようとしているのをティターンズの士官に目撃されてしまいました」

「あ……!」

 アムロは思わず声を漏らした。カラバがルオ商会に接触を図っていたことは誰の目にも明らかだ。

「ホンコン・シティにいては敵がどこにいるかわかりません。ルオ・ウーミンの名は、気軽に口にしてはいけないのです」

「だからあの黒服は俺を……」

 うつむき、アムロは自分の浅慮を恥じた。アムロからハヤトへと、ステファニーは視線を移す。

「あれだけの戦闘を起こされた以上、一刻も早くカラバにもティターンズにも出ていってもらいたい」

「それは、ルオ商会としての言葉でしょうか」

「ホンコンに住むものとしての言葉です。ルオ商会は出資者に過ぎませんから、カラバの方針に従います」

「ううむ……」

 ハヤトは唸って、黙り込んだ。眉間の深い皺は、彼の苦悩の大きさを表している。

 ティターンズの力は大きい。だからこそ、ティターンズに対して秘かに反感を抱いている者は多いはずだ。そういった人々からの支持を受けるためにも、エゥーゴはティターンズとも戦える力を持った組織であることを示さなければならない。

 ホンコンに長く居座り戦闘を行えば、カラバはティターンズの同類と思われてしまうかもしれない。ハヤトはもう一度、低く唸る。

 カップのコーヒーは、もう湯気を立てなくなっていた。

 

 

 

 顔中に湿布や絆創膏を貼り付けたウッダーは、仏頂面でキャプテンシートに座っている。頬杖をついて、痛みに顔をしかめた。

 窓の外の空には、分厚い雲が被っていた。台風が近づいているという報告がウッダーの元には届いている。

 ドアが開く。ジェリドがブリッジに足を踏み入れた。ウッダーは睨むように視線をやったが、ジェリドが窓の外を見つめているのを見て、また視線を外した。ジェリドの顔も傷だらけだ。

 同じく仏頂面で、ジェリドはウッダーの隣へと歩く。目線は窓の外にやったままだ。

「ルオ商会について、聞きたがってたろ」

 その言葉に驚いて、ウッダーはジェリドを見た。ジェリドの目は窓から離れない。ウッダーは、机の上の資料を手に取りつつ、答える。

「アムロ・レイはルオ・ウーミンの名を言っていたのだな?」

 彼らは目を合わせない。合わせればまた殴り合ってしまう自信があった。なにせ、彼らが殴り合ったのはつい前日のことだ。

「……ああ。間違いなく、ルオ商会は黒だ。だが、ルオ商会はそうそうしっぽは出さんだろう。俺はルオ商会の連中に顔を見られた」

「そうか……。なら、アウドムラの出港は間違いないな」

「なぜだ?」

 ウッダーは意味もなく書類の束をめくる。

「物的証拠がなくとも、ルオ商会とカラバのつながりはまず間違いなくなった。奴らはそう連邦が睨んでいることもわかっているから、これ以上ボロを出さんためにもアウドムラを追い出すしかない」

 ルオ商会と連邦の微妙な力関係は、どちらかが不用意な手を打った途端に崩壊する。現に、ルオ商会がシャトルのチケットを不法に捌いていることは黙認されていた。ルオ商会の財力と経済界への影響力は、到底無視できるものではない。

 だが、ルオ商会がエゥーゴと繋がっている決定的な証拠さえ掴めば、ティターンズはルオ商会を潰すことができる。

 ジェリドはアナハイム・エレクトロニクスを思い出して、言った。

「ルオ商会はそれほど強力な出資者か?」

「アウドムラを追い出さんようなら、増員した連邦の捜査官がルオ商会を摘発するだろうよ」

 ふむ、とジェリドは唸った。窓の外の雲は、暗く海に影を落としている。

 サイコガンダムの攻撃が、ホンコン市民への強力な圧力になっていたこともまた事実だ。それを口に出さなかったのは、ウッダーなりにフォウ達を出撃させたことを恥じていたからでもあった。

「この天気でもか」

「むしろ有利だろう」

 風の影響を受けやすいのはスードリもアウドムラも同じだ。SFSに乗ったモビルスーツは、より強力に風の影響を受ける。

 攻撃のためにSFSを接近させなければならないスードリの方が、わずかにだが不利と言えた。

「……アウドムラを落とすぞ」

 ウッダーが小さく言った。独り言のような声量だったが、ジェリドを鼓舞するようにも聞こえた。

 しばらくの間沈黙して、ジェリドはブリッジから出て行った。

 

 

 

 アウドムラの食堂は広く、大きい。新型であるだけあって、厨房の設備も揃っている。

 トレイの上には、ワンタン入りのスープと、肉や野菜の炊き込みご飯。小皿に載った新鮮な茹でエビが独特の香りを放っている。

 口の中の炊き込みご飯を飲み込んで、カツが目を輝かせた。

「おいしいんですね、ホンコンって」

「うん」

 アムロはスープを一口飲んで、頷く。

「こうして港にいる時でないと、新鮮な食材は手に入らないからな」

 茹でエビにソースを絡めて、アムロは口に放り込んだ。新鮮なエビの跳ねるような食感が弾け、ソースとエビの香りが口の中に広がる。弾力が歯を押し返すような心地よい感覚は噛み切った瞬間に消え、表面のソースに使われた唐辛子の刺激に、エビの濃い旨みと甘味が入り混じる。

 アムロとカツが着いているテーブルには、他に誰も座っていない。カツはまだ、アウドムラのメンバーに受け入れられたわけではなかった。

「なんだか懐かしいや。アムロと一緒に、軍艦で食事するなんて」

「そうだな」

 一年戦争から七年が経った。だが人は、まだ戦いをやめていない。

 わずかに過去に浸った二人に、女が声をかけた。

「いいかしら」

 その声に驚いて、カツもアムロも顔をあげる。

「……レコア少尉か」

 アムロの声は低い。若干の警戒心がその声にはあった。カツは怯え切って、声を出すこともできない。

 レコアはカツに向けて、微笑んでみせた。

「いいわ。もう、あなたを恨んでない」

 レコアは食事の入ったトレイをテーブルに置いて、席に着く。

「あ……あの……」

「食堂に来るのは久しぶりだからかしら。座る席が見当たらなくて」

 レコアはスープをかき混ぜた。誰も着いていないテーブルはいくつもあった。

 彼女はここのところ、部屋で塞ぎ込んでいた。正式な人員でもなく、またアウドムラの運営にも支障はなかったために、誰かが連れ出すということもない。クルーが持ち回りで食事を運び、ほとんど手をつけられていないままのトレイを持ち帰る。彼女とクルーとの関わりは、ただそれだけだった。

 レコアがカップに口をつけた。

「クワトロ大尉って、どんな人だったんです?」

 落ち着いた声音だった。アムロが顔を上げた。カツは焦って食事を口に押し込むばかりだ。

「……俺だって、詳しくない」

「シャア・アズナブルを知っているのはあなただけでしょう?」

 レコアの口調は詰るようでもあり、すがるようでもあった。アムロは黙り込む。

「お願いです、アムロ大尉」

 レコアの目から逃れるように、アムロは目を閉じて、うつむいた。カツは成り行きを見守るように時折り目を上げては、また食事に戻る。

 わずかな間の後、アムロが喋り出した。

「俺がシャアと初めて会ったのはサイド6に寄った時だった」

 テーブルの空気が緊張した。レコアもカツも、この話には興味をそそられている。

「その時、シャアはララァというニュータイプを連れていた」

「ララァ……」

 レコアがその名を反芻するように口にする。カツが水餃子を急いで飲み込んで、尋ねた。

「女性ですか」

「十六くらいの子供だった。シャアは惚れ込んでいたよ。だが、俺が殺した」

 アムロの表情がかげった。声色からか、あるいはニュータイプとしての勘だろうか。カツは、アムロのララァへの好意を感じ取った。

「シャアは寂しい男だった。だからララァのような自分をわかってくれる女性を欲したんだろう」

 アムロはシャアについて詳しくない。直接会っていた時間は合計にしても、わずか半日にも満たないだろう。

 だが、アムロの論評はレコアにとっても納得がいくものだった。それだけ、彼らが過ごした時間は濃密だった。

 ジオン軍の仮面の大エースであり、その正体は、ザビ家への復讐のために戦うジオン・ズム・ダイクンの遺児。

 アムロが話し終えると、誰も口を聞かなかった。カツは黙々と食事を続け、アムロも水餃子を齧った。

「クワトロ大尉は……キスの時も、サングラスを外してくださらなかった」

 レコアは最後にそう漏らして席を立った。トレイの上の食事は、ほとんど減っていなかった。

 

 

 

「ナミカー! なぜサイコガンダムを回収しない!」

 フォウは胸ぐらを掴んでコーネルに詰め寄った。顔を見るなり怒鳴りつけられ、コーネルは完全に呑まれてしまっている。

「答えろ!」

「そ、それは……すぐにアウドムラが出港するはずだと艦長が……」

 コーネルは鼻声で絞り出す。鼻に貼られた絆創膏が、フォウに揺すられるたびに震えていた。

「ウッダーめ!」

 サイコガンダムが無ければ、記憶は返ってこない。

 フォウはコーネルを突き飛ばして、通路を駆け出した。彼女の目的地は格納庫だ。

「まっ、待ちなさい! フォウ!」

 ナミカーの声が通路にこだまする。格納庫に走り込んだ勢いで、フォウは兵士を突き飛ばした。空いているハイザックへ彼女は向かった。

「待て! フォウ少尉!」

 行手に立ち塞がっているのは帽子の軍人。カクリコンだ。

 フォウは彼の顔を見て、ますます表情を歪める。

「お前は……!」

 ホンコンで邪魔をしたガンダムのパイロット。フォウの表情が敵意に満ちる。

「どうする気だ、少尉!」

「サイコガンダムを回収するんだ、私が!」

「ウッダーの考えには筋が通ってる。アウドムラの出港に間に合わんことをするのはごめんだ」

 フォウは駆け出した。その腕を掴んで、カクリコンが止める。

「お前のためにアウドムラを逃すわけにはいかん!」

「なら私だけホンコンに下ろせ!」

「馬鹿を言うな!」

 カクリコンは鍛えられた軍人だ。フォウは強化人間で訓練を受けているとはいえ、所詮女の細腕では逃れられるはずもない。彼女はロザミアのような身体能力への強化は受けていなかった。

 背後から両腕を掴まれたフォウは逃げられないことを悟ると、両目から涙を流し始めた。

「う……うっうぅう……!」

「な……泣いてるのか、お前さん」

 カクリコンはフォウの横顔を見て、驚いた。フォウはまた暴れる。

「どうして私をいじめるんだ、お前達は!!」

 フォウの後頭部が頭突きのようにカクリコンの顔に当たった。帽子が落ちる。顔をしかめたカクリコンだが、手の力は緩めない。

「ホンコンでもお前達は……! 私は……記憶が欲しいだけなのにぃ……!」

「おおっ!?」

 掴み合いの最中、カクリコンは帽子を踏んでバランスを崩す。フォウはカクリコンを振り払おうと腕を振った。

「やめろ、フォウ!」

 よく通る声がフォウの手を止める。ロザミアがそこには立っていた。腕の関節を極められて、コーネルも無理やり連れてこられている。

「ロザミア!」

「フォウ。記憶が欲しければ私の言うことを聞くんだよ」

 その口ぶりに、フォウは顔を赤くして睨みつける。取り押さえているカクリコンはそのフォウを刺激するような発言に慌てていた。

「フォウの代わりに私が戦うんだ」

「何を!」

「私がアウドムラを沈めれば記憶を返すってさ」

 フォウの口が止まる。ロザミアがコーネルの腕をさらに深く極めた。コーネルの右腕を片手で握っているだけだが、彼女の強化された筋肉では十分すぎる力が出る。

「そうだろ?」

「はっ、はいっ!」

 眼鏡の奥でコーネルは両眼を強くつぶる。

「本当? 本当なの、コーネル!」

 カクリコンに腕を掴まれたまま、フォウが叫んだ。疑いと喜びの入り混じった表情だ。ロザミアがコーネルを引き寄せ、睨みつけた。鼻をへし折られた恐怖から、コーネルが悲鳴のように声を張り上げる。

「ほっ、本当よ、フォウ! だっ、だから……っ!」

 彼女はロザミアに目線をやった。ロザミアの視線は、ずっとフォウに向いている。

「ロザミア。放してやって」

 解放されたコーネルは、掴まれていた手首をさする。ロザミアの手の跡が着いていた。そんなコーネルの髪を掴んで、ロザミアは顔を近づけた。

「ひっ……」

「もし嘘だったら、お前、許さないからね」

 ロザミアに睨みつけられ、コーネルはもうほとんど口が利けなかった。鼻を折られた時から、彼女はロザミアに怯えている。首をただひたすらに縦に振った。

 フォウも後ろのカクリコンを睨む。どうやらフォウも落ち着いたようだ。カクリコンも手を放した。

「ロザミア!」

 フォウがロザミアに抱きついた。ロザミアの肩に顎を乗せたフォウの目は、また涙ぐんでいる。

「フォウ……」

 ロザミアは優しくその背中を撫でる。愛おしむような目つきは、まるで強化人間には見えなかった。カクリコンは床にへたり込んだコーネルを一瞥して、ロザミアに話しかけた。

「フォウ少尉に優しくするのは、同じ強化人間だからか?」

 一度睨むような目つきで見た後、ロザミアはフォウの背中に目を落として微笑んだ。

「記憶があるから私は強化人間の訓練にだって耐えられた。家族の……お父さんやお母さんの思い出」

 しゃくりあげるフォウをあやすように、ロザミアは彼女の髪を手で撫でた。撫で下ろした手が、フォウの背中で握り締められる。

「カクリコン中尉。私は、アウドムラを落とします」

 ロザミアはより強く、フォウを抱き返した。

 

 

 

「やはり出たか」

 ジェリドはそうつぶやきながらコクピットへ上がる。格納庫の外から暴風が吹き込み、大粒の雨粒を音を立てて打ち付ける。ニューホンコンを襲った台風は、わずか十メートル先すら見えなくなるほどの嵐だった。

 接近した台風に乗じて、アウドムラはホンコンを出港した。引っ越ししたばかりの新しい連邦本部、ニューギニア基地を叩くつもりだ。

 シートに体を預け、ジェリドは全天周囲モニターを点ける。鼓動が早くなっていく。しかし、焦りはない。戦闘準備を済ませた体は、出撃を今か今かと待っているようだった。

「ジェリド!」

 カクリコンからの通信だ。ジェリドはモニターにそれを映す。

「どうしたよ」

「アウドムラはロザミア少尉に譲ってやれんか」

「ああ?」

 首を傾げるジェリドに、カクリコンは事情を話した。

「ロザミアがアウドムラを沈めれば、フォウは記憶を戻してもらえるらしい」

「本当か!」

 ジェリドが目を丸くして驚く。カクリコンが頷いた。

「ああ。あのインストラクターの女が約束した。ロザミアに脅されてな」

「そうか……ロザミア少尉が」

 ジェリドはまた背もたれに体重を預けた。意図せず口元が緩む。フォウが記憶を取り戻すチャンスを奪ったのはジェリド達だ。ホンコンの街のためとはいえ、罪悪感は大きい。

 声を落としてジェリドが言った。

「余裕があれば、だぞ」

「わかってるさ」

 カクリコンが口角を吊り上げて笑った。

 ウッダーの艦内放送が響く。

「ここを逃せば連中はニューギニア基地へ向かう! 我らの手でカラバを討つ最後のチャンスと思え!」

「政治家のつもりか、あいつは」

 ヘルメットの中でジェリドは毒づいた。うっすらと浮かべた笑みは、嘲笑ではない。絆創膏を貼った頬がつっぱった。

「第一戦闘配置! モビルスーツはベースジャバーに乗って待機だ!」

 格納庫の入り口近くには、うんざりするほどの水溜りができていた。雨の向こうに光が見えた。

「モビルスーツ隊、出撃だ!」

 ウッダーが受話器に怒鳴った。ジェリドは操縦桿を握り直す。

「やってやるさ……」

 発進準備はできた。ニューギニア基地に行かせる訳にはいかない。ティターンズで力を得るためには、ニューギニア基地を攻撃しようとするカラバを叩きのめすのが一番の近道だ。

「ジェリド・メサ、ガンダムMk-Ⅱ! 出る!!」

 Mk-Ⅱがベースジャバーの上で身をかがめる。同時に、ジェリドの体にも強いGがかかる。ベースジャバーのジェット噴射が、彼らを嵐の空へ押し出した。

 

 

 

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