台風一過のニューギニアの空は、水平線の端まで晴れ渡って見えた。
滑走路の上で、大きな輸送機がその緑の機体を晒している。傷こそないが、スードリも長い戦いを続けてきた。今はひとときの休息だろう。
ジェリドがぼんやりと肩越しにスードリを見ていると、ジープが動き出した。目線を前に戻す。
「見たところ、引っ越しは終わったようだな」
運転手はニューギニア基地の人間だ。彼は笑い飛ばす。
「外側だけですよ、ハリボテです。カラバが来たら酷い目に遭ったでしょうね」
ニューギニア基地への入口は、地下へと続いていた。ジープが近づくと、そのトンネルにライトが点いた。オレンジ色の光が彼らを照らす。
「それにしても、どうして俺だけなんだ?」
「そういうご命令なんですよ。私も詳しくは知りませんが、さる高官のご希望だそうで」
兵士は快活に答えながら、道路の先を見ている。トンネルは思いのほか短く、沈黙が負担になる前に、地下のニューギニア基地へ出た。上を見上げれば硬い岩盤と、それに取り付けられたライト。トンネルの道はそのまま、施設を見下ろす高架に繋がっている。
「ほう……地下にこんな施設を」
地下の空洞は広い。ジャブロー基地にも負けていないように見える。この広さから考えると、おそらく海底の下まで基地は続いているだろう。
無事に明るいところへ出て安心したのか、兵士が口を開いた。
「しかし、英雄の中尉に会えて幸せですよ」
「なに?」
「ジャブローから友軍を率いて脱出した、新たなガンダムパイロット! いやあ、英雄ですよ」
地下に空けた空洞にビルを建てるのは、ジャブロー基地と同じやり方だ。
「有名なのか?」
「はい。テレビでも新聞でも取り上げてますよ。ご覧にはなってないんですか?」
「ずっとスードリの上だったからな」
吐息と共にそう言って、ジェリドは座席に深く身を預ける。込み上げた笑いを抑えきれず、頬が緩んでいる。
しばらく走ると、車は一つの大きなビルの下に到着した。広い地下空洞の上まで届きそうな大きなビルだ。
「ここか?」
「ここの待合室にお連れするのが命令です」
二人は自動ドアをくぐりながら進む。警備の男がジェリドを見て敬礼する。
「失礼ながら、ジェリド・メサ中尉とお見受けいたします」
厳格そうな男だ。への字の口と鋭い目に、がっしりした大きな体格は、見るものに威圧感を与える。
「……お前は?」
「その……ファンでありまして、サインを……」
ジェリドは顔が緩むのを抑えて、努めて厳しく答える。
「任務中だろう。……帰りに渡してやる」
待合室に着くまでに、そんなやりとりが何度もあった。
「さ、こちらでお待ちください」
ジープの兵士と別れて、ジェリドは待合室のソファに腰を下ろす。軍隊であるだけ殺風景だが、清潔で快適な部屋だ。何気なく見回すと、隅の方に新聞がいくつか置いてあった。
ジェリドは先程の話を思い出し、新聞に手を伸ばす。
「こいつは……。なるほど、捨てられんというわけか」
ジェリドはにやけてしまった。待合室にあったのは今日の各社の新聞だけでなく、ジェリドがジャブローを脱出した記事が載った新聞まで残っていたのだ。
一面を飾るのはエゥーゴによるジャブロー襲撃という点。その中で彼は、エゥーゴが仕掛けた核爆弾の起爆から、友軍を率いて脱出した英雄として紹介されていた。
「……なんだと!?」
ジェリドは新聞を目に近づけ読み直す。彼はその違和感に顔を歪ませ、新聞をソファに置いた。
「エゥーゴが核爆弾を仕掛けた? バカな……!」
彼がジャブローを脱出した時、確かに核が爆発した。しかし、それはジャブローに元々埋められていた核をジャブローの基地司令が自爆のために起動したものであって、エゥーゴが仕掛けたものでは断じてないはずだ。
ジェリドの頭に浮かんだ疑いは、彼の胸にしこりとなって残る。
「ジェリド中尉。こちらへ来ていただきます」
声の方へとジェリドは振り向いた。三十過ぎの男が、待合室の入り口に立っている。表情の乏しい男だ。ジェリドは立ち上がった。
「ようやく、俺を呼んだ高官とやらと会うってわけか?」
「はい。ですがくれぐれも、粗相のないよう」
二人はエレベーターへ乗り込んだ。ジェリドは内心不快だった。この男が信用できないのだ。
「誰が呼んだか言えんのか」
「言ってまずいことになるとは思いません。ですが、ご命令です」
何度かエレベーターを乗り継いで、男はあるドアの前で立ち止まった。
「こちらです」
入るよう手で促しつつ、疑うような目で男はジェリドを見た。ジェリドも男に礼も言わず、ドアをノックする。
「ジェリド・メサ中尉であります。お呼び出しに従い、参上いたしました!」
間を置いて、低い声が返ってくる。
「入りたまえ」
威厳のある声だ。ジェリドはドアを開ける。そこは執務室だった。白髪の老人が、机の前で書類に目を通している。顔中に刻まれた皺は、深い。
「……よく来てくれたな、ジェリド・メサ中尉」
ジェリドは目を見開いた。その人物は、ティターンズの創設者であり総帥、ジャミトフ・ハイマン大将その人だ。
すぐさま敬礼し、ジェリドは唾を飲む。これは僥倖だ。ジャミトフに近づくためにティターンズでのし上がっていくつもりだったが、その機会が早くもやってきたのだ。
「ありがたいお言葉です」
「楽にしていいぞ、中尉」
ジャミトフはゆっくりと話す。ジェリドの緊張をほぐすためだろう。
「さて、私も忙しい。手早く行こう」
引き出しからジャミトフは何かを取り出し、無造作に差し出す。それは辞令だった。ジェリドは慌てて、両手でそれを手に取った。礼式も何もないが、正式な辞令だ。
「ジェリド・メサ。友軍を救助してのジャブロー脱出、およびカラバ撃滅の功績から、君を大尉にすることが決まった。これからもより一層、奮起するように」
「は……はっ! ありがとうございます」
頭を下げて、ジェリドは辞令を受け取る。彼はそのまま一歩踏み出し、声を落として言った。
「私から、閣下のお耳に入れたいことがございます」
真剣な面持ちと、声。ジャミトフは片眉を上げてジェリドの顔を見た。
「……ほう」
すでに火蓋は切ってしまった。ジェリドは緊張の表情のまま、語り出す。
「閣下は、30バンチ事件というのをご存知ですか」
ジャミトフの目つきが鋭くなる。ジェリドも、ジャミトフの目を見返す。ふん、と鼻を鳴らして、ジャミトフが背を椅子に預ける。
「どこまで知っているのだね」
「は……毒ガス、それから、バスク・オム」
ジャミトフは観念したのか、机の上のシガーボックスに手を伸ばす。葉巻とシガーカッターをまとめて片手で取り上げると、カッターをもう一方の手に持ち替えて吸い口を作った。切られた葉巻の先が机の上に転がる。
吸い口を咥えた彼は、ポケットから取り出したマッチを擦り、葉巻の先を炙る。葉巻をゆっくりと回転させながら吸って火をつけると、彼は目線を上げた。
「誰からだ?」
「……追跡中、アーガマがサイド1の30バンチに寄りました」
ジェリドは内心、不安だった。ジャミトフは30バンチ事件を知っている。つまり彼は、バスクの虐殺を黙認しているということだ。
「バスクを更迭しろというのだな」
ジェリドは重々しく頷く。
「はい。他にも、人質や……」
「いい。これはひとえに、私の力不足だ」
ジャミトフはジェリドの言葉を遮って、また葉巻を咥える。
「力不足、ですか?」
ジェリドが訊いた。頷くでもなく、ジャミトフは葉巻の煙を吐いた。紫煙が天井へと立ち上る。
「30バンチ事件については私も聞き及んでいる。だが、バスクは力を付けすぎた。迂闊に手を出せば、奴は私にすら反旗を翻すだろう」
「そんな……」
ジャミトフの力でも、バスクを裁くことはできない。ジェリドは徒労感に打ちのめされる。
「しかし、好都合だな」
葉巻の先の灰は、数センチほどの長さになっていた。ジャミトフのその言葉に、ジェリドが眉根を寄せる。
「どういうことです?」
「君をわざわざここへ呼んだのは、ある男の下で働いてもらいたいからだ」
ジャミトフは机の上の書類の山から、一つの資料を取り出す。
「地上のエゥーゴ勢力は君たちのおかげで掃討できた。これは実にありがたいことだ。これから戦場は
ジェリドは資料に目を通して顔を上げた。
「パプテマス・シロッコ……。木星帰りですか」
満足げに頷いて、ジャミトフは続ける。
「うむ。私もバスクのやり方はやりすぎだと考えている。そこで、だ」
ジェリドはシロッコの資料の略歴に、ごく最近ティターンズに入り、さらに少佐に昇進したという記述を見つけた。
「シロッコをバスクにぶつけるつもりですか」
ジャミトフは葉巻を口へ持っていく手を止めて、笑った。
「その通りだ。君の活躍もあって、今バスクは勢いに乗っている。だからシロッコを使って、バスクを牽制する」
「そして、私がシロッコの補佐をする」
「少し違うな。君にはシロッコの監視をやってもらいたい」
怪訝な表情を浮かべたジェリドに、ジャミトフがにやりと笑った。
「監視ですか?」
「審査と言った方がいいかもしれんな。シロッコは優秀だが、どこか得体の知れんところがある」
ジャミトフはここまで話すつもりはなかった。それを覆したのはバスクへのジェリドの反感だ。シロッコの監視はバスク派には任せられない。ジェリドが反バスクである以上は、裏切りはないということだ。
「シロッコは今、ティターンズの旗艦であるドゴス・ギアの指揮をとっている。君たちへの正式な命令書は、すでにスードリに行っているはずだ。何か質問はあるかね」
シロッコというバスクの対抗馬と手を組めれば、間違いなくバスクを追い落とせる。そうなれば、ティターンズは健全化し、地球圏も平和になる。ジェリドは飛び上がって喜びたいほどだった。
「ジャブローの核は、エゥーゴが仕掛けたものではありません」
ジャミトフが眉を顰め、沈黙する。
「ここに来る途中の新聞では、エゥーゴが仕掛けたものだと出ておりましたので」
「そうか……。広報部のミスだろうな。私から言っておこう。下がっていい。くれぐれも、内密にな」
薄く笑って、ジャミトフはそう言った。ジェリドは敬礼し、部屋を出る。
ドアが閉じた部屋で、ジャミトフはゆっくりと葉巻を一服した。
「駒にしては、考え過ぎるかもしれんな」
長く伸びた灰を、彼は灰皿へ落とした。
「そうか、日本へ帰るのか」
ウッダーは組んだ手を机に乗せた。彼の視線の先にいるのは、ムラサメ研究所のコーネルとフォウだ。彼女たちはニューギニア基地から小型機に乗ってムラサメ研究所へ向かう。
奪われたアウドムラを落とした今、スードリ隊は半ば解散に近い。ジェリド達ティターンズに、ブランやウッダーのオークランド研究所、ロザミアのオーガスタ研究所、さらにはフォウとコーネルのムラサメ研究所と、地球をほとんど半周する間に寄せ集め同然の組織になってしまったのだ。
スードリの運用はひとまずはオークランド研究所に任されることに決まり、いずれにしても、日本へ戻るフォウ達にとって、長居する必要はなくなっていた。
「ええ、お世話になりました。共同研究の件はぜひ」
「こちらも世話になった。感謝している」
ウッダーは微笑んでみせた。コーネルもにこやかに応えるが、フォウは顔を顰めてそっぽを向いている。
「ほら、行きますよ、フォウ」
「触るな!」
腕を引こうとしたコーネルの手を払って、フォウは歩き出した。コーネルは心配そうにその背中を追いかける。フォウにとって、スードリでの思い出は嫌なことばかりだった。
「……強化人間、か」
ブリッジから二人が出た後、ウッダーは一人つぶやいた。
「ジェリド! お前だけ昇進か! ええ、おい!」
格納庫では、基地から戻ったジェリドがカクリコンからの手厚い歓待を受けていた。強く背中を叩かれるジェリドも、にやけた笑顔を隠していない。
大荷物を持ったコーネルとフォウが、そこに通りかかった。フォウは敵意にも似た視線をジェリド達に向ける。
ジェリドがそれに気づいた。肩を叩いていたカクリコンも、ジェリドに釣られてフォウの方を見る。
フォウが足を止めた。荷物を持ったまま、二人を睨む。
「……艦を降りるのか、少尉」
「ロザミアが死んだ」
鋭い語調でフォウが言った。ジェリドは表情を変えず、彼女の顔を見返す。
「知ってるさ」
フォウが目を見開いた。手に持った荷物をジェリド達へ投げつける。カクリコンの胸板に当たって、バッグが落ちた。
「お前達が邪魔しなければ、私はホンコンで記憶を返してもらえていたんだ!!」
ジェリドとカクリコンの目は、冷ややかにも見える。それは憐みだった。フォウは激昂し、カクリコンの胸ぐらを掴む。
「ロザミアは私の記憶のためにアウドムラに突っ込んだぞ! お前達が……」
フォウはそこまで言って、とうとう泣き出してしまった。胸ぐらを掴む手は、むしろ縋るようにも見える。
「うう……! お前達がぁ……!!」
八つ当たりであることは、誰よりもフォウが理解していた。しかし彼女は、他に感情の行き場を持っていない。記憶の中の唯一の友人を失った悲しみを、受け止めきれずにいた。思い出に逃げることもできない。自分という証明さえ、彼女はできない。
ジェリドは視線を上げて、コーネルを見た。遠巻きに見ていた彼女は肩を震わせる。
「アウドムラを落としたのは誰だ」
「ガンダムMk-Ⅱのジェリド中尉が……」
ジェリドはコーネルに詰め寄る。長身のジェリドに見下ろされて、彼女は情けない声を上げた。手を上げられれば、ひとたまりもないだろう。
「ロザミア少尉が格納庫に押し入ってくれたおかげで、アウドムラは落とせた。違うか?」
コーネルは顔を伏せて黙り込んだ。唇を噛み締めて、彼女は目を閉じる。
「フォウの記憶を戻してやってくれ」
沈黙が続く。コーネルは眉間にきつく皺を寄せて、答えた。
「……わかりました」
彼女はそう言って、曖昧な気持ちを押しつぶした。上げたその顔は決意に満ち、両目が鋭くジェリドを見つめている。
彼女以外の三人の表情が固まった。正直なところ、ジェリドもカクリコンも彼女がこうも素直にこの申し出を受け入れるとは思っていなかった。
フォウがコーネルに駆け寄る。追いかけるように、カクリコンも詰め寄った。
「ほ、本当か、ナミカー!」
「できるのか、記憶を戻すなんて」
コーネルの表情が曇る。
「記憶というのは、そう簡単に消したり戻したりできるようなものではありません」
その言葉を聞いて、フォウが表情を歪める。コーネルは怯むことなく、彼女を正面から見据えた。
「だから、フォウ。時間はかかるかも知れません。でも、必ず、私があなたの記憶を戻します」
強い調子で彼女は言った。顎を引き口元を引き締めた彼女は、かつてロザミアに怯えていた頃の姿とは似ても似つかない。
「ナミカー……」
フォウが鼻を啜る。震えた声で名前を呼ぶ彼女に、ナミカーは笑みを作った。その背中に、ジェリドが質問を投げかける。
「コーネルさんよ、どうして急に……」
「私が冷血な人間だと、そう思っているでしょうね」
コーネルは苦笑した。眼鏡の下で細めた目は、申し訳なさそうにも見える。
「ロザミア少尉がフォウのために死んだ時から、決めていました。ぬか喜びさせないために、今までは黙っていたんです」
絆創膏が取れたばかりの鼻を撫でた彼女は、つぶやく。
「被験体に情が移っては、ムラサメ研の鼻つまみ者かも知れません」
どこか高慢な雰囲気に満ちていた彼女は、今までに見せたことがない柔和な表情で笑っていた。
「顎引いて! はい、そのままこっちに目線を……撮りますよー」
カメラのフラッシュが焚かれる。歯を見せた笑顔を続けていて、すっかり頬の筋肉がくたくたになってしまった。戦闘でもないのにノーマルスーツを着たジェリドは、ヘルメットを脇に抱えて写真を撮らされている。
「マウアー少尉。なんだこの騒ぎは」
遅れて格納庫にやってきたカクリコンが、マウアーに尋ねる。大きなレフ板とカメラを持った彼らは、どうにも軍人らしく見えない。
「広報部ですって。ジェリドは英雄だから、と」
「ちぇっ、俺にはお呼びがかからんか」
カクリコンは口を尖らせてひがんでみせた。実際、ジェリドが男前であることは、彼も認めるところだ。
「じゃあ最後に、ガンダムと!」
広報部の男が言う。ジェリドを連れて、彼らはコクピットの前、ガンダムの顔が見える辺りまでハンガーを上る。
「よしっ! 撮りますよー!」
シャッター音がうるさく聞こえる。ジェリドはうんざりしたものを胸の内に抱えながら、撮影を終えた。ハンガーの下から声がかけられたのは、広報部が機材を片付ける最中だった。
「おい! まだ終わらないのか!」
広報部と一緒に、ジェリドが顔を出して下を見る。作業服の集団の先頭に、冴えない中年の男が立っていた。
「今終わったところだ! ……ん?」
声を張り上げて、ジェリドはその人物に気づく。
「あんたは確か……フランクリン博士か?」
「ん……そうか、ジェリド中尉か!」
フランクリン・ビダンは、顔を綻ばせた。
ジェリドがハンガーから降りると、技師達がガンダムMk-Ⅱの作業に取り掛かり始める。装甲を外しているようだ。
「お久しぶりです、フランクリン博士」
「うむ。君のおかげで助かっているよ」
口角を上げたフランクリンを見て、ジェリドは頭に疑問符を浮かべる。彼は確か、ティターンズの主義や戦況にはまるで興味のない男だったはずだ。その疑問を知ってか知らずか、フランクリンは喋り続ける。
「Mk-Ⅱなど私にとってはどうでもいい機体だったがな、君が活躍をしてくれたおかげで、このニューギニア基地で新量産機計画にも一枚噛めた」
「新量産機?」
「ああ。Mk-Ⅱの量産機と言ったら上層部がどっさり金を出してくれたよ。バーザムという機体だ」
ジェリドの知らない機体だ。
「もうロールアウト済みのはずだが、まだ知らんのも無理はない。
フランクリンの早口が収まったところで、ジェリドは先ほどから抱えていた疑問を口にする。
「今Mk-Ⅱの装甲を剥がしているのは、何のためなんです?」
「ああ、中尉……おっと、今は大尉になったのか?」
フランクリンはようやくジェリドの階級章に気づいた。
「君の大活躍を受けて、上層部はMk-Ⅱをプロパガンダに使うつもりだ。だからオーバーホールして、その上で装甲材くらいは最新のものにして活躍をしてもらう」
フランクリンは捲したてる。
「君達がエゥーゴのリック・ディアスを捕獲したろう? あれに使われていたガンダリウムγを用いた新材質らしい」
「らしいというのは?」
「装甲材質は私の専門ではないからさ。それを使えばほとんどバランスや機体重量を変えずに、Mk-Ⅱの装甲を一線級まで強化できるというのだ。全く、大した技術だよ」
純粋に感心しているようだ。それどころか、自慢げにも見える。
横目で見た技師達の手際はいいが、それなりに時間がかかりそうだ。出発は明後日の昼。まだ夕方だから、余裕があると言えば余裕があるだろう。
Mk-Ⅱの換装が済めば、予備パーツごとスードリで成層圏まで運び、そこからシャトルで宇宙へ打ち出す予定になっている。
「それだけじゃないぞ。もうじき私はオーガスタ研に異動するが、オーガスタで研究中の新型ガンダムの開発だって、私が担当することになった。しかも今度は予算も技術も制限なしだ」
新型には君が乗るかもしれんな、と言ってフランクリンは笑った。異動と聞いて、ジェリドはある疑問を思いつく。
「確か博士はグリプスで研究なさっていたはずでは? なぜ地球でたらい回しにされているんですか?」
「たらい回しとは、言ってくれる」
フランクリンは苦笑すると、Mk-Ⅱを見上げた。
「まあ、なんだ。この間ハイスクールに入ったばかりの息子が事件を起こしたんだ。左遷のようなものさ」
「事件……。今、息子さんは?」
「行方不明だ。捕まっていたはずだが、エゥーゴの協力者が逃がして、それきり消息がつかめん」
一瞬だけ、彼の表情が暗くなる。しかしそれは本当に一瞬だった。
「大尉はまた
冗談めかしてフランクリンは笑った。実の息子が失踪していると言うのに冗談にできるのは、よほどの研究バカか、よほどの冷血漢だろう。
「ええ、もしも会ったら。息子さんのお名前は?」
「カミーユだ。……あまり真に受けるなよ」
ジェリドの返答に真剣さを感じて、フランクリンは釘を刺した。むっとしたようにジェリドは言い返す。
「実のお子さんの命がかかっているのですから、真面目にもなります」
「……恥ずかしい話だがな、私は父親失格なのだよ。愛人を作り、家には帰らず……。カミーユが事件を起こしてから、妻と久しぶりに話し合ったよ。近いうち離婚もする予定だ」
その話の内容とは対照的に、フランクリンは笑っていた。自嘲するような乾いた笑いが溢れる。
「だから私に息子を心配する資格はない。今私が大事なのは、グリプスにいる愛人とモビルスーツだけというわけだ」
技師たちが手招きしている。フランクリンを呼んでいるようだ。彼はMk-Ⅱへと向かった。
「資格というのは、妙な話です」
「君も所帯を持てばわかるさ」
肩越しに振り返って、フランクリンは答えた。
「グラナダ行き、709便。間も無く発射いたします。席につき、シートベルトをお締めください」
アナウンスを聞いて、座席に座った少年が隣に座っているサングラスの男に声をかける。
「出ますよ、アムロさん」
椅子に座ったまま、サングラスの男は少年の脛を軽く蹴る。痛みに顔を顰めて、少年は名を呼び直した。
「……じゃなくて、アルマークさん」
「そうだ。IDカードだって偽造させたんだぞ」
アムロ・レイは有名人だ。顔を見られただけでも騒ぎになりかねない。出入国においてはブラックリストに入っていてもおかしくない。
「こんなにすぐにチケットが取れるんですね」
「さすがはルオ商会だな」
アムロは夕陽に染まった窓を見る。発射前のシャトルの窓からは、広い発射場と宇宙港の棟の景色が広がっている。
「しかし、これ以上は期待できないな」
「……マシンや物資の援助ですか?」
カツは声を落として聞いた。アムロは頷く。
「ルオ商会はしばらくは大人しくするつもりだ。だから闇のチケットをおおっぴらに捌けなくなって、俺たちに譲ってくれたというわけだな」
ティターンズの前で、アムロはルオ・ウーミンの名を呼んでしまった。ルオ商会とエゥーゴの繋がりが明るみに出れば、連邦軍は大手を振ってルオ商会に捜査のメスを入れられる。警戒を強められたルオ商会は、ひとまず違法性の高い業務を減らすことにした。
従って裏のチケットの販売もなりをひそめ、余ったチケットがカツとアムロに回されたというわけだった。
「いいんですか?」
カツが心配そうに尋ねる。
「何がだ」
「……
アウドムラでは、アムロは確かに、宇宙に上がることを恐れていた。アムロは腹の上で両手を組む。
「怖いさ」
伏し目がちに、彼は窓の外へ視線を逃す。
「しかし、シャアが死んだ。……ハヤトも死んだ」
「敵討ちですか?」
「地球にも悪霊ができてしまったのさ」
アムロはそううそぶいた。連邦は、今のままでは駄目だ。そう思っていながら、彼は自分が政治的な能力に欠けていると認識していた。
「……僕は、敵討ちです」
カツはシートベルトを強く握りしめた。前の座席の背もたれを睨みつけ、彼はつぶやく。
「クワトロ大尉も父さんも、レコア少尉も、ロベルト中尉も、アウドムラのみんなも……」
「カツ……」
「わかってます、言われたことは。だけど……」
カツの手は震えていた。
ジェットエンジンが点火した。体にかかるGは次第に強くなっていく。マスドライバーのレールのわずかな振動が腹へと響く。
振動がなくなった。アムロは窓の外を一瞥する。宇宙港の建物が小さく見えた。シャトルは夕陽に腹を向けて、星の海へと駆け上がっていった。
「どうだった? はじめてのニタ研は」
「退屈なもんだ。あんな妙なシミュレーターに乗せやがって」
基地内移動用のジープが道路を走る。助手席のマウアーの髪が風に靡いた。彼らが今出てきた建物は、ニュータイプ研究所がある棟だった。二人はニュータイプ適性の高さを見込んで、検査を受けるよう命令されたのだ。
「丸一日だぜ? カクリコンが羨ましいくらいさ」
「ふふ……検査の結果は後日出るそうね」
「全く、俺たちは明日の今頃には
二人は明日、スードリで空へ上がり、さらにシャトルを使って宇宙へ出る。ティターンズの旗艦であるドゴス・ギアへの異動だ。
「ニタ研は、どこか平和ボケしているものね」
マウアーは元はジャブローのニュータイプ研究所の所属だった。
「……確かに平和だよ、ここは」
ジープは高架を走り、地下空洞の上部にある、地上へ続く長いトンネルへと入った。エンジンの音が響く。
「……また、戦場か」
マウアーのつぶやきは、トンネルに反響したエンジンの音にかき消されてしまった。走り続ける車は、すぐに地上へ出る。
滑走路にはスードリ。密林の緑に紛れるには大きすぎる艦だ。そのままジープでスードリの格納庫まで乗り入れると、手の空いている兵士たちが敬礼で出迎える。
「おう、夜までご苦労だな」
車を止めて、ジェリドが声をかけた。格納庫の兵士は笑う。
「フランクリン大尉の改修班が張り切ってますんでね。カクリコン中尉のMk-Ⅱまで、明日には終わらせてやるって」
「そんなにか?」
世間話をするジェリドの制服の裾を、マウアーが引っ張る。
「カクリコン中尉は、
首を傾げると、その艶やかな髪が重力に従って垂れる。普段は隠れている、彼女の白い首筋が晒された。
「ああ。あいつはアレキサンドリアに戻るらしいぜ」
軽く整備士に手を振って、ジェリドはマウアーに手招きした。二人はそのまま、通路の方へ歩いていく。
「地球に降りる前に居たっていう?」
「いい艦だぜ、アレキサンドリアは」
連れ立って歩く二人を、兵士が呼び止める。手に包みを持った兵士だ。
「ジェリド中尉!」
「大尉だ」
「あっ……失礼いたしました!」
背筋を伸ばして敬礼し、兵士は詫びる。ジェリドはその兵士に歩み寄った。
「それで、どうしたんだ」
「中尉……もとい! 大尉への届け物とかで」
「届け物?」
ジェリドは怪訝な顔だ。差し出された包みは一度開けられている。当然だ。爆発物の可能性もある。
「はっ! ニューギニア基地へ今日、届いた品物らしいのですが……」
緩衝材が使われた包みから、彼はその品物を取り出した。茶褐色の透き通ったボトルに、ちゃぷちゃぷと音がする。貼ってあったラベルは、ジェリドも見たことがあるものだった。
「酒……」
バーボンだ。それも、ジェリドの給料では少し手が届きにくい高級品。
ジェリドはもう一度包みを見た。発送者は酒蔵。そして注文者は、カクリコン・カクーラー。
「あっ!」
ジェリドはあることを思い出した。マウアーが声をかける。
「どうしたの?」
「いや……。あいつ、ホンコンで注文したのか」
ニューギニア基地に行くことは、半ば決まっていた。スードリは早くからアウドムラの目的はニューギニア基地への攻撃だとあたりをつけていた。通信販売を利用して、この酒をニューギニア基地に届けるのは発想さえあれば難しくない。
「おい、カクリコンは?」
「アレキサンドリアがランデブーポイントにくるのはだいぶ先になるとかで、中尉は一週間ほど休暇を……」
ジェリドはため息をついた。カクリコンのことだ。休暇を取って、婚約者のもとへ行く気だろう。
「あいつが出て行ったのはいつだ?」
「昼過ぎに……」
ニューギニア基地近くの空港から、もう飛行機に乗っていると考えていいだろう。問い詰めることも礼を言うこともできない。
ジェリドはボトルを持ち上げた。ハーフボトルサイズ。宇宙には持っていけないが、一晩で飲むには少しきつい量だ。
「参ったな……」
せっかくのいいバーボンを捨てるのは惜しい。マウアーが口を開いた。
「ねえ、ジェリド」
「うん?」
ジェリドが肩越しに振り返る。マウアーは、口角を少し上げた。
「……付き合うわよ、そのお酒」
次回、恋愛編?
カットしているエピソードも多いのに話が全然進まないのが最近の悩みです。書くの楽しいからいいけど。