「ジェリド大尉。無事で何よりだ」
ジェリドの傷の応急処置を済ませたジェリド隊は、シロッコに呼び出されていた。彼らは、つい先ほど出撃から帰ってきたばかりだ。
「訓練中にエゥーゴのモビルスーツ二機と遭遇し、撤退。モビルスーツの損害も大きい。妙な話だな、大尉」
シロッコは腰掛けたまま視線を上げた。机を挟んで、ジェリド隊の面々が立っている。サラとシドレは申し訳なさそうに身を縮めた。口を開いたのはジェリドだ。
「……責任は自分にあります。本来なら接触せずに済んだところを、自分の判断で戦闘をしました」
「交戦時の映像記録を送ってもらった。これだろう?」
壁に備え付けのモニターに、戦闘時の映像が流れる。メタスと百式が映っていた。
「見たところ、これは新型の可変モビルアーマーだな。そしてもう一方の金色の機体……」
シロッコは机の上で手を組んで続ける。
「パイロットに心当たりはあるかね、大尉」
「……金ピカの方はアムロ・レイです。もう一人も地上で会ったことがあります。おそらく、ニュータイプかと」
ジェリドが答えると、シロッコは笑い出した。
「はっはっはっは、アムロ・レイか。なら、新兵同然の三人を連れてよくやった、というべきだろうな」
「ありがとうございます」
ジェリドは小さく頭を下げた。シロッコの視線は、その包帯に引き付けられる。
「部下を守るための名誉の負傷だな、大尉。部下は大切にしてくれ」
「……子供ですから」
子供という言葉に、全員が反応した。シロッコが椅子に体重を預ける。
「子供と言っても個人差があるだろう。私は三人を一人の人間として尊敬している」
ジェリドは毅然として言い返した。
「戦場に出すというのは解せません」
「戦場という場でこそニュータイプ能力は開花する。そして彼らこそが、未来の人類を導いていくべきではないかね」
「そのためなら、判断能力のないガキを戦場に放り込んで死なせてもいいと?」
「死なせんようにするのが君の仕事だろう、大尉」
二人の論戦にサラとシドレはますます身を縮めた。カミーユはジェリドの横顔に視線を送る。
シロッコは、顔を悲しそうに歪めた。
「そうだな。戦場に出すというのは危険なことだ。だからこそ、君を頼ったのだ」
ジェリドはたまらない不快感を覚えた。しかし、言い返すことはしない。これ以上は、シロッコに危険視される。
「……了解しました」
「部下を思うが故の発言だろう。責めることはせんよ」
シロッコは微笑んでみせる。シドレとサラは、その顔を尊敬の眼差しで見つめていた。
ジェリドはカミーユを一瞥した。目が合って、ジェリドはすぐに視線を戻す。
「少佐。我々はこれで……」
「ああ、よく休めよ。アポロ作戦での君の働きに期待している」
「はっ。失礼します」
敬礼し、ジェリド隊は出ていく。シロッコは、モニターの交戦記録を巻き戻して見返した。
金色のモビルスーツが、アムロ・レイ。シロッコは、その冷たい笑みを深くする。
「ふっふっふ……アムロ・レイはジェリドを相手に互角。やはり時代は、私を必要としているようだ」
アーガマのブリッジのモニターに地図が表示される。グリプス、フォン・ブラウン、グラナダの文字が映っていた。
「来てもらって早速だが、アーガマはこれから、月へ戻ることになる。グリプスから発進したティターンズの艦艇は、月面、それも表側近くに集結している。フォン・ブラウン市を制圧させるわけにはいかん」
ヘンケンの声が響く。厳しい顔の彼の後ろに、ブレックスが立っていた。ブレックス・フォーラ。エゥーゴの指導者だ。
「だから、アーガマは他の艦と合流し、フォン・ブラウン市を防衛する。わかるな?」
ヘンケンに見つめられて、彼の正面の二人はうなずく。アムロとカツの二人だ。
「ふふ、また月へ逆戻りだな、カツ」
アムロがカツに笑いかける。
「いいでしょう? 僕はこの艦、気に入ってます」
「見た目だろ、ホワイトベースに似てるから」
ブレックスは、カツを上から下までじろじろと見つめる。おそらく十代の半ばほどか。彼は眉を寄せて、訊いた。
「アムロ・レイ大尉はわかるが、こんな子供がパイロットをやれるのかね」
それは当然の疑問だった。アムロは毅然として答える。
「一年戦争の頃の俺と変わりません」
「ん……それもそうだが」
擁護を聞いても、ブレックスは今一つ納得できないようだ。アムロが微笑む。
「腕は保証します。アーガマに来る時も、三機の新型を相手に切り抜けましたから」
「新型……バーザムというやつだな」
ヘンケンが相槌を打った。
「はい。その時、ガンダムMk-Ⅱとも戦いました」
「ガンダムMk-Ⅱ!」
ブレックスとヘンケンが口を揃えた。その反応を見て、アムロが訊いた。
「パイロットはジェリド・メサでした。ご存知ですか?」
ヘンケンは苦い顔で頷く。有名人だ。
「ヤツが地球に降りるまでの間、何度か戦ったよ。ガンダムMk-Ⅱのパイロットだとティターンズから寝返った士官から訊いた。それに、30バンチ事件の跡地のコロニーにも侵入したとか」
彼はアムロが知らないであろう情報を話した。ジャブローを脱出したなどという話はする必要がない。
「そういえば、ニュータイプの素質があるとクワトロ大尉は言っていたな」
さらにそう付け加えると、ブレックスとアムロの表情が変わった。
「クワトロ大尉か……」
ブレックスが遠い目で言うと、カツが肩を縮めた。それに気づいて、慌ててヘンケンが取りなした。
「いや、二人を責めるつもりではなかった。な、准将」
ヘンケンに問いかけられたブレックスは、窓の外に目をやった。
「ああ。……しかし、クワトロ大尉が亡くなったのだから、私も慎重にならねばならんな」
「当たり前でしょう」
ヘンケンが声の調子を強めるが、ブレックスは宇宙を見つめたままだ。その顔に覇気はない。
「彼には、私の代わりにエゥーゴを率いて欲しかった。ダカールの連邦議会にも連れて行っておきたかったが……」
「准将が死んではエゥーゴは戦えません」
ブレックスの言葉をヘンケンが遮る。指導者たるブレックスが弱音を吐いていては士気に影響が出る。
窓から視線を戻して、ブレックスはヘンケンに向き直った。
「わかっているよ。しかし、こうしてダイクンの血が消えてしまっては、いつまで経ってもスペースノイドの時代は来ないような気がしてな」
ブレックスはため息をついて、アムロを見た。アムロは笑う。
「パイロットとしてなら努力もしてみせますが、俺にシャアの代わりはできませんよ」
「いや、そうだな。すまなかった」
苦笑いして応える彼は、少し老け込んで見えた。
「遅い!」
「嘘っ、嘘嘘嘘ーっ!」
シドレが叫ぶ。彼女は三機目だった。すでにカミーユ機とサラ機は撃破されている。モニターに模擬戦の敗北を告げる文言が表示された。
Mk-Ⅱのコクピットで、ジェリドが声を張り上げる。
「そんなことじゃあアポロ作戦を生き残れんぞ! この前のように、アムロ・レイのところの坊主にやられたいのか!」
ジェリド隊は今、模擬戦形式での訓練を行なっていた。
模擬戦用設定では、発射スイッチを押したときに敵機が射線上にいれば撃墜として扱う。弾速が極めて速いビームでは、ほとんど実戦と変わらない。
そのルールにおいて、ジェリドはバーザム三機を瞬く間に撃墜してみせた。カミーユたちは呆然としている。
「シドレ曹長はデブリに気を取られすぎだ! カミーユはもっと間合いを詰めろ!」
「は、はい!」
彼らは、それなりに自信を持っていた。カミーユはジュニア・モビルスーツの大会で成績を残していたし、サラもシドレも、ニュータイプとしてだけではなく、パイロットとしての訓練も積んできたつもりだ。
だが、その自信はまたしても打ち砕かれた。三機がかりでありながら、エゥーゴの新型可変モビルアーマー、メタスに追い詰められ、さらには、ジェリドのMk-Ⅱにあっという間に全機撃墜されてしまった。
「貴様らのニュータイプとしての才能は大したもんだ。だが、パイロットとしては俺の足元にも及ばん。アムロ・レイは俺より強いぞ」
ジェリドはアムロとも渡り合えるパイロットに成長していた。つまり、連邦最強のパイロットと肩を並べる存在だ。その彼が本気を出せば、こうなるのは当然だろう。
「昨日の戦闘は少し間違えれば全滅していた。それは俺の采配ミスだ。だが、間違いなくアムロ・レイとその相棒はアポロ作戦の妨害に来る。その時もまた同じようにやられたんじゃ話にならん」
アムロ・レイと並べて語られているのはカツ・コバヤシだ。メタスに乗って、カミーユ、サラ、シドレの三人を追い詰めた。
「力がなくちゃ何もできんのだ。生き残ることもな」
「はい!」
彼らの模擬戦は、推進剤が切れるまで続いた。
「お疲れ様。上手くなったわね、三人とも」
モビルスーツから降りたジェリド隊を、マウアーが出迎えた。格納庫の通路から、彼女はドリンクを持って跳んだ。
「マウアー」
「はい、差し入れ」
手には四種のジュースのチューブが握られている。ジェリドが隊員を呼んだ。
「おい、お前たち! マウアーが差し入れだ!」
隊員たちがあっという間に集まってくる。
「ありがとうございます、マウアー少尉!」
サラは屈託なく礼を述べた。シドレとカミーユもそれに続く。カミーユが取ったオレンジフレーバーのジュースに、サラの手がかかった。
「なんだよ」
「ケチなんだから」
サラは少しだけむくれてオレンジのジュースから手を離すと、マウアーからグレープフレーバーのジュースを受け取った。
マウアーが、残ったチューブをジェリドに差し出した。
「ジェリドは?」
「もらっとく。ありがとな」
ジェリドは受け取って、マウアーに微笑む。よっと、と掛け声を出して彼は格納庫の床へ降りた。Mk-Ⅱの整備だ。
通路から下へ、マウアーが呼んだ。
「忙しいの?」
「ああ、模擬戦を何度もする予定だからな。何もかも整備士に任せっぱなしじゃあ俺の顔が立たん」
見れば、カミーユとサラもチューブを手にして自機の整備に向かっていた。シドレだけは、マウアーの横で美味しそうにジュースを味わっている。
模擬戦は非常に体力を消耗する。その上で機体の整備を行い、またすぐに模擬戦を行うことは、軍人にとっても酷なことだ。ましてや、カミーユたち三人は子供だ。マウアーはシドレに訊いた。
「つらくないの? 仕事ばかりで」
「つらいですよ?」
振り返ったシドレは、もうジュースを飲み干してしまっていた。彼女はそのまま通路の壁を蹴って、バーザムの整備に向かう。マウアーは通路から身を乗り出した。
「じゃあなぜ……!」
「生き残りたいですからー!」
シドレは肩越しに振り返って答えると、バーザムの整備に取りかかった。
「……そうね、ジェリド。あなたが正しいわ」
マウアーは呟いた。間違っているのは、子供たちが戦場に出ていることだ。子供たちを死なせないために、ジェリドは模擬戦を決意したのだろう。
彼女はカミーユを見た。他の二人と比べると、彼のバーザムは動きがよかった。カミーユはバーザムの整備をしながら声を張り上げる。
「ジェリド大尉! 俺のバーザム、わからないところがあって」
「わかった、後で行く!」
整備士たちも手伝っているが、主力はジェリド隊だ。マウアーはヘアゴムで髪を纏めると、格納庫のMk-Ⅱへ跳んだ。
「私も手伝うわ、ジェリド」
「マウアー!」
無重力の格納庫に浮いた彼女を、ジェリドは抱き止めた。Mk-Ⅱの陰になって、カミーユ達からは見えない。
「二人でやった方が早いでしょ?」
「そりゃそうさ。……」
ジェリドはマウアーを抱きしめて、唇を重ねた。マウアーが小さく声を漏らす。カミーユ達が機体を整備する音が聞こえる。
「ありがとな、マウアー」
「忙しくなるんでしょう?」
マウアーに発言を先回りされて、ジェリドははにかんだ。
「ああ。あいつらに稽古をつけてやらないと……」
今度はマウアーの方からキスをした。ジェリドの手が、彼女の背中を強く抱く。
「ジェリド、覚えておいてね。あなたの隣には、私がいるって」
「……頼らせてもらう」
もう一度二人は抱き合う。短いが固く強い抱擁を交わし、二人は整備に着手した。
ケーブルと工具を担いで、カクリコンが跳んだ。Mk-Ⅱの肩関節の整備を終え、彼は格納庫の床に降りる。アレキサンドリアの格納庫は無重力だ。
「精が出るな、カクリコン!」
彼に男が声をかけた。振り向くと、金髪を逆立てた目つきの鋭い男が通路から飛び降りてきている。
「ヤザン大尉か。仕方ないのさ、Mk-Ⅱは共用パーツがあるとはいえ、こっちじゃ俺しか乗ってないんでね」
「そうだったな。……例の援軍ってのはどこだ」
ヤザンが声を落として聞く。カクリコンが親指で示した先には、オーガスタ研究所の可変モビルアーマー、ギャプランがあった。彼のギャプランを見る目は、複雑な感情を抱えている。
「あれだ。オーガスタ研だな、ありゃあ」
「……強化人間か」
オーガスタと聞いて、ヤザンが不服そうに顔を顰めた。カクリコンは顔を引き締めて言い返した。
「強化人間ってのは人形だと思ってんでしょう?」
「違うか?」
「俺は地上で会いましたよ、二人ね」
「人形は人形だ。アポロ作戦のためとはいえ、バスクのやり方は気に入らんな」
ヤザンは床を蹴って、ギャプランの方へ向かう。足を止めて、彼はその機体を眺めながら声を上げた。
「パイロットは?」
「ジャマイカンに挨拶に行ってるって……どうしたんです?」
ヤザンの目は獲物を見つけた獣のように爛々と輝いている。口元に笑みが浮かんだ。
「なあに。俺のマシンがいつまでもバーザムじゃあ気に入らんのさ」
ギャプランを見下ろす二人の背後に、一人の男が近づいていった。
「ギャプランが気になるか」
振り向いた二人の視界には、若い男。他の人間とは雰囲気が違う。ヤザンもカクリコンも、顔を固くする。
「オーガスタ研から来た。ゲーツ・キャパだ」
敬礼と共に自己紹介をしたその男が、オーガスタからの援軍だった。
「ほう、貴様がこのモビルアーマーのパイロットか」
ヤザンが好戦的な笑みを浮かべてそう言った。ゲーツはそれを無視し、訊く。
「カクリコン中尉というのは?」
相手はオーガスタ研究所の強化人間だ。カクリコンは小さく答えた。
「……俺に何の用だい、ゲーツ・キャパ大尉」
「あんた、ロザミアと会ったんだろ」
想像よりも砕けた口調の男だ。強化人間にしては、追い詰められている感じがない、とカクリコンは思った。
「なあ、どうだったんだ、ロザミアは」
「どうって……」
カクリコンが口ごもると同時に、ヤザンがせせら笑った。
「戦闘人形のお仲間か?」
ヤザンをゲーツが睨んだ。ヤザンはにんまりと笑ったまま、その目を見返す。殺気の衝突の末、ゲーツがカクリコンに視線を戻した。
「俺はね、ロザミアと同じで孤児だったんだ。オーガスタ研に拾われて、兄弟同然に育った。だから……知っておきたいんだよ、ロザミアのことを」
気恥ずかしそうに下にぶれた彼の目に、嘘はない。
「ゲーツ大尉ー!」
眼鏡の男がゲーツを呼びながら、格納庫の床に降りてきた。
「ああ、ローレン中尉」
「まったく……投薬の時間というのに」
ローレンと呼ばれた冴えない眼鏡の男は、軍人にしてはひょろっとした体つきだ。ヤザンが聞こえよがしに吹き出す。
「はあっはっはっは! 投薬だとよ、聞いたか? カクリコン!」
「何が悪い!」
ゲーツがついに噛み付いた。ヤザンが心底楽しそうに笑った。
「いやあ、戦闘人形が人間らしく振る舞ってたからな」
「人工ニュータイプはスペースノイドとアースノイドの溝を埋める崇高な研究だ。貴様が侮辱するな!」
「侮辱だと? くくく、脳みそをいじられてる連中は言うことが違う!」
ゲーツが床を蹴った。勢いに乗せて拳を振るう。しかし、それよりも早くヤザンの蹴りがゲーツの胴体に命中していた。ゲーツの体を足場にして、その場から離れるための前蹴りだ。無重力でパンチが空振りしたゲーツは、大きくバランスを崩している。
「ゲーツ!」
カクリコンが手を伸ばして、ゲーツの体を支えた。ヤザンは高笑いをあげて、格納庫の通路へ戻っていく。ゲーツはカクリコンを振り払って、通路へ向かって跳んだ。
「なんて力だ……!」
カクリコンがつぶやく。強化人間は肉体も強化されている。ゲーツを見下ろしたヤザンは、そばを通っていた整備士の手から工具箱をひったくった。
「あっ、大尉!」
「借りるだけだ、そらよ!」
ひったくった勢いのまま、ヤザンは壁を足場にしてゲーツに工具箱を投げつける。
「うおっ!?」
無重力の空中では、ほとんど自由が効かない。ゲーツは避けることもできず、工具箱を受けて進路を大きくずらす。ヤザンが鼻で笑った。
「力はあってもケンカはできんようだな」
ヤザンは悠々と格納庫から出て行く。天井にぶつかって、ようやくゲーツは止まった。
「あんな奴に……あんな奴に、ロザミアの死を侮辱されてたまるか……!!」
表情を歪めたゲーツ。憎々しく吐き捨てた彼を、ローレンは冷たく見つめていた。
アポロ作戦。それは、月の表側にある月面都市フォン・ブラウン市の制圧を目的とした作戦である。
ドゴス・ギアのブリーフィングルームにジェリドが入ると、カミーユ、サラ、シドレの三人が振り返った。
「ジェリド隊長!」
「ふふ、元気がいいな、お前さんたちは」
ジェリドが笑う。ブリーフィングルームには、ドゴス・ギアのモビルスーツパイロット達も集まっている。マウアーは、ジェリドを見て微笑む。ジェリドも同じように視線を返した。
「怪我はいいんですか?」
「ああ、もうすっかりな」
カミーユの問いに、ジェリドは額を指で撫でて答えた。前のドアからシロッコが部屋に入ってくる。それを見て、ジェリドはカミーユの肩を軽く叩いて最前列の席へ向かった。
「うむ。全員揃っているな」
前方のモニターの前に立ったシロッコは、指示棒を手にしている。モニターに図が映った。
「では早速始めよう。我が軍は、アポロ作戦を実行に移す」
やはりか。わかっていたことではあるが、パイロットたちの間に緊張が走った。
「カミーユ曹長。アポロ作戦とはなんだ」
シロッコは、ブリーフィングルームの後ろでサラやシドレとも距離を取って立っているカミーユに問いかけた。カミーユはシロッコに視線をやることもなく答える。
「フォン・ブラウン市を制圧する。違いますか」
「その答えでは満点をやれんな。フォン・ブラウン市を抑えれば、月に対しても、各サイドに対しても強い影響力を持つことができる。フォン・ブラウン市を制するものは地球圏を制する。エゥーゴの本拠地であるグラナダを攻略するにあたって、この街は重要な意味を持つことだろう」
シロッコがリモコンを操作すると、モニターに月の地図が映し出される。
「エゥーゴも、フォン・ブラウンをやすやすとは渡さん。だからこそ、ティターンズも艦隊を組織して、このアポロ作戦を実行する。艦隊戦だな」
ごくりと音がした。誰かが唾を飲み込んだ音だ。
「安心してくれ。アポロ作戦の指揮を取るのは私だが、モビルスーツ隊の指揮をおろそかにはしない。君たちに気をつけてほしいのは、フォン・ブラウン市の中心部を傷つけんことだけだ」
シロッコが説明した内容は簡素な物だった。月面へ降下していき、フォン・ブラウンを制圧する。攻撃を加えてくるエゥーゴ艦隊には反撃をする。エゥーゴの出方がわからないとはいえ、作戦というには不確定要素が多すぎる。
「第一戦隊がジェリド隊、第二戦隊はマウアー隊だ。くれぐれも、先走った行動のないように。以上だ」
「質問があります」
ジェリドが手を挙げた。
「なんだね」
「せめてどうフォン・ブラウンの制圧をするかくらいは教えてもらいたい」
「君たちは実戦の中で私の指示に従えばいい。それだけのことだ」
ジェリドは、問い詰めたい気持ちを押し殺した。やはり、信用はできない。
「了解しました」
「他に質問があるものは?」
ブリーフィングルームのパイロットたちは険しい表情で黙っている。カミーユがシロッコを睨みつけていた。
「ならいい。機体を万全にしておけ。解散だ」
シロッコがそう言うと、パイロットたちが動き出した。大きな戦いになる。機体も体調も万全にしなければならない。
ドアに手を掛けたシロッコは、ジェリドに声をかけるカミーユを横目で捉えて、部屋を出た。
「ジェリド大尉」
カミーユはジェリドのことを隊長とは呼ばなかった。彼なりの一線の引き方だった。席を立ったジェリドは、カミーユに振り返った。
「どうした?」
「僕のバーザムの調子、おかしいんです。ちょっと見てもらいたくて」
わずかに引きつった口元を、ジェリドは見逃さなかった。
「そんなことか? いいさ、付き合ってやる」
ジェリドがそう答えると、カミーユは安心したように笑って、格納庫へのハンドグリップを掴んだ。
ジェリドはバーザムの装甲を蹴って、格納庫の床に着地した。
「よし、動かしてみろ」
「はい!」
ハッチが開いたままのコクピットから、カミーユが答える。バーザムのモノアイが点灯し、立ち上がった。軽く右腕を振り回して、指を開いて閉じる。
「……やっぱり、何か変ですよ。異音とかしませんか?」
「俺からは聞こえないな」
コクピットのカミーユにそう大声で答えたジェリドは、腕を組んで考え込んだ。モビルスーツに異常は見られない。彼は無重力の床を蹴って、バーザムのコクピットへ跳んだ。
開いたままのハッチを掴んで、コクピットの中へ体を押し込む。
「あまり整備士たちを困らせるなよ?」
「でも、変なんですよ、これ!」
カミーユの声が震えていた。ハッチを手で押して、ジェリドはコクピットのシートに座るカミーユまで一気に近づいた。
驚いて、カミーユはジェリドの顔を見上げる。
「怖いか、アポロ作戦が」
「……そりゃ、怖いですよ。人殺しだって、しなくちゃいけないんです」
カミーユは、言葉に目を伏せる。ジェリドは声を落として答えた。
「……戦争だからな。殺さなきゃ殺されるんだ」
「人殺しになれっていうんですか」
上目遣いにカミーユはジェリドを見た。
ジェリドの中の確信が、より強くなった。こうして戦場に怯えていても、カミーユはサラやシドレはもちろん、シロッコにも頼らなかった。シロッコの一派とは、確実に距離を取りたがっているのだ。
さらに声を落として、ジェリドは訊いた。
「シロッコに脅されてるんだろ」
カミーユが目を見開く。シートの上で、ジェリドを突き飛ばした。
無重力の空中に突き飛ばされたジェリドだったが、開いたままのコクピットハッチに手をかけてその慣性を止める。カミーユが怒鳴りつけた。
「なんであなたは、そう嘴を突っ込むんです!」
体勢を変えて、ジェリドがカミーユと目を合わせた。
「俺にだってやれることはある」
ファが人質になっている。カミーユはその言葉を言えなかった。
もしその秘密を他人に話せばファの命の保証もない、とシロッコは言っていた。ジェリドがシロッコを抑え込める立場にあるとは到底思えない。
カミーユは目を逸らした。操縦桿のスイッチを意味もなく撫でながら、彼は口を開いた。
「……シロッコはね、ドゴス・ギア以外を全部、囮に使うつもりなんです。他の艦も、モビルスーツ隊も」
「え?」
ジェリドが聞き返す。
「囮で時間を稼いでおいて、ドゴス・ギア単独でフォン・ブラウンに降下して制圧するのがシロッコの狙いです」
「なんでそんなことを……」
「シロッコに気に入られてるんですよ、俺は」
「そうじゃない。なぜ俺に話したんだ」
そう言われて、カミーユはジェリドを見上げた。ジェリドはまだ、カミーユの目を見つめている。カミーユは顔を背け、バーザムのハッチを閉じた。ジェリドは締め出され、コクピットに残っているのはカミーユだけだ。
「カミーユ! カミーユ! ……くそっ」
何度も呼びかけるが、答えはない。ジェリドは悪態をついた。
暗いコクピットの中で、カミーユは一人、膝を抱えていた。
シドレは水を飲んで、喉を潤した。彼女を突き動かしているのは、渇きだけではない。もう一口水を飲んで、彼女は椅子に背を預けた。
ここはドゴス・ギアの休憩スペースだ。彼女は時計を見上げる。本来なら、もう寝なくてはいけない時間だ。
「シドレか」
声の方へ振り向くと、立っていたのはシロッコだった。立ち上がって敬礼したシドレを、シロッコは叱りつけた。
「早く休みたまえ。明日のアポロ作戦に支障が出るぞ」
相手は尊敬するシロッコだ。シドレは立ち上がって敬礼し、答える。
「眠れないんです。緊張して」
そう言ってから、シドレは後悔した。こんなことでシロッコの気を煩わせてはいけない。シロッコはしばし沈黙した後、口を開いた。
「なら、少し私と話そうか。シドレ」
シロッコはシドレの向かいに座った。目を丸くする彼女に、シロッコは微笑んで、座るよう手で示した。
「よろしいのですか?」
シドレは訊いた。彼女の視線の先には、シロッコが脇に抱えていたファイルの束がある。彼は笑って首を振った。
「艦長としての仕事は慣れている。少なくとも戦闘よりはな」
彼はそう言ってファイルを机に置いた。シドレは恐縮しながらしばらくシロッコの様子をうかがって、ようやく腰を下ろした。
「失礼します!」
敬礼して着席したシドレに、シロッコは目を細めた。
「どうだ、ジェリド隊は」
「は! 良好であります!」
シドレははきはきと答えた。
「ふむ……。ジェリドはどうだ」
「ジェリド隊長は凄腕です」
「パイロットとしてはそうだろうな。隊長としては?」
「……隊員のことを考えてくれています。負傷してまで、私たちを守ってくれました」
シドレは少しはにかんでいた。シロッコはその感情の動きを見逃さなかったが、追求はしなかった。
「立派な隊長だ。他の隊員たちの様子は?」
「サラ曹長は職務にも熱心です。カミーユ曹長は……その、反抗的と言いますか」
「ジェリドにも反抗的か」
「いえ、そうではなく……。ジェリド隊長に対しては、どうにも心を開いているような感じです」
答えたシドレが顔を上げると、シロッコは顎をさすって考え込んでいた。
「何か、ありましたか?」
心配そうに彼女は尋ねる。自分の話に、何か不機嫌にさせる要素があったのだろうか。
「いや、いい傾向だと思ったまでだ。カミーユの能力をよく伸ばしてくれれば嬉しいがな」
シロッコは笑った。シドレは、まだ不安を払拭しきれていないようだ。
「大丈夫だよ、シドレ」
立ち上がり、シロッコはその手をシドレの頬へ伸ばす。彼女はその手に自分の手を重ねて、頬擦りした。
「パプティマス様……」
シドレは目を閉じて、落ち着いた笑みを浮かべる。その一方で、シロッコは空いている手で密かにファイルを捲る。彼は乗員名簿のジェリド・メサの名を、冷酷に見下ろした。