「それじゃあ、あの戦いのあと救助されたのか」
「リック・ディアスの脱出ポッドは地上ではあまり頼れませんから不安でしたが、どうにかね。下が海で助かりましたよ」
「あの嵐でよく無事だったものだ」
アムロの言葉に、ロベルトは苦笑いした。彼らは、アーガマの格納庫に駐車している月面車の後ろで足を止めた。月面車の周りには数人の人だかりができている。アムロとロベルトは、その見送りに来たのだ。
ロベルトが声をかけた。
「行くのか、カツ」
月面車に乗り込もうとしていた少年が振り返る。彼は屈託なく笑った。
「心配いりませんよ。フォン・ブラウンの様子と、できればティターンズの戦力を見てくるだけですから」
カツはそう言って偽造身分証を見せる。エゥーゴには地下組織としての側面もある。こういった偽装工作はお手のものだ。
「気をつけろよ。敵の口の中に飛び込むようなものだ」
「僕をこの任務に推薦してくれたのはアムロさんでしょ?」
アムロは心配そうに声をかけるが、カツは動じていない。警戒されにくい子供ということもあって、フォン・ブラウン市内への偵察には彼が選ばれていた。ティターンズからフォン・ブラウン市を奪い返す前準備である。
月面車の背中を見送って、アムロはつぶやく。
「カツ……」
「大丈夫ですよ」
アムロは、ロベルトの声に振り向いた。
「成長してます、あいつは」
「あははっ! サラ曹長、縁談ありですって!」
「やめてよ、シドレ。……あっ、ジェリド隊長!」
部屋に入ってきたジェリドが見たのは、機械を手にはしゃいでいるサラとシドレと、その奥でむすっとしているカミーユだった。
「おい、何やってるんだ」
「この機械、占いができるんですよ」
「カミーユもやったんです、大凶ですって!」
「占い?」
ジェリドは怪訝な顔だ。シドレがその手のひらよりいくらか大きい機械を手に、ジェリドに詰め寄る。
「ジェリド隊長の生年月日は?」
「よせよ、そんなのでたらめだ」
「手相も調べられるんですよ、ほら!」
強引に彼女はジェリドの手を取って、その機械へ押し付ける。
「やめろよ、バカなことは」
カミーユが口を尖らせて言った。案外、カミーユはサラとシドレには心を開いているらしいとジェリドは思った。
シドレが目尻を下げて笑う。
「自分が大凶だからってひがんでるんですよ、カミーユ曹長は」
「結果が出たわ、シドレ」
サラはひったくるように機械を取って、ジェリドの手相の結果を見る。
「あははっ! ジェリド隊長、三重生命線ですって!」
「三重!? 二重じゃなくて!?」
サラとシドレが甲高い声をあげる。彼女達は、まだ十代半ばの少女だ。むくれたカミーユが、話題を変えようとジェリドに訊く。
「それで、ジェリド大尉は何のために来たんです?」
場の雰囲気に流されていたジェリドも、目的を思い出した。
「半舷上陸だろ? 気晴らしにフォン・ブラウンに出ようかと思ってな」
サラとシドレの黄色い声が、いっそう大きくなった。
ジャマイカンは表情を歪めて、ドゴス・ギアの移動用グリップを掴んだ。
「シロッコめ……!」
握る手に力がこもる。ジャマイカンは苛立っていた。すれ違う兵の敬礼すら不快に感じるほどだ。
目的地は、ドゴス・ギアのブリッジだ。ジャマイカンが気密ドアを開けると、シロッコが振り向いて彼を迎えた。
「これはジャマイカン少佐。アポロ作戦では見事な……」
ジャマイカンの拳が振るわれる。目を見開きはしたが、シロッコは上体を反らしてかわした。
床を蹴って距離を取り、シロッコはジャマイカンを見つめる。
「……穏やかではありませんな」
「いい気になるなよ、シロッコ!」
ジャマイカンはシロッコを怒鳴りつける。
「フォン・ブラウン市への強行着陸! もしエゥーゴが兵を引かなければどうなっていたと思っているのだ! 勝手なマネをしおって!」
「支援者の多いフォン・ブラウンを破壊させるつもりなどエゥーゴにはありませんよ。月の支持者の多くを失えばエゥーゴの存続すら危うい」
「……ほう。そうか。そういう態度を取るつもりか」
ジャマイカンは口の端を吊り上げて見せながらも、その目元には怒りが滲んでいる。彼に逆らうということは、すなわちバスクに逆らうということだ。政敵となるなら容赦はしないと、ジャマイカンは言外に威嚇しているのだ。
シロッコは毅然として、真っ向から向かい合う。
「取引をしましょう、ジャマイカン少佐」
「取引だと?」
ジャマイカンが疑いの目で聞き返す。シロッコは微笑んでいた。
「ええ、どちらにも得のある取引です」
得のある取引という言葉に、ジャマイカンはわずかに表情を変えた。シロッコがアポロ作戦を成功させた今、未だ目立った戦果のないジャマイカンは焦っている。シロッコは確信し、ゆっくりと続ける。
「ええ。フォン・ブラウン市の管理は私に任せてもらう。その代わり……」
ジャマイカンは、シロッコの次の言葉を待った。そのわずかな沈黙すら、シロッコにとってはジャマイカンの焦りを裏付ける証拠になる。
「ジェリド・メサを貸し出しましょう」
シロッコは、その整った顔に、冷たい笑みを宿らせた。
丸い天窓から見えるのは宇宙。角度の都合か、地球は見えない。それどころか、月の居住区の明かりのせいで、星の光もほとんど目立たなかった。
オフィス街というには明るいが、繁華街というには静かな街だ。もしもティターンズがこの街を制圧しなければ、このアームストロング広場は利用者で溢れかえっていただろう。
そのアームストロング広場に、ティターンズの制服を着た五人組が足を踏み入れた。男女二人組と、十代半ばほどの少年少女の五人組だ。
カミーユが隣のジェリドに話しかける。
「それにしても、大尉がこんなところに来たがるなんて意外でした」
「せっかくの半舷上陸だ。それに、ティターンズをフォン・ブラウン市に馴染ませる目的もある」
フォン・ブラウン市は人類が初めて月に着陸した場所に建設された。このアームストロング広場の名称も、人類初の月面着陸を成功させた船長の名にちなんでいる。広場のど真ん中にはその着陸船が設置され、豊かな緑地もその周りに広がっている。
サラはその緑地をうっとりと見つめて息を吐いた。
「いいじゃない、カミーユ。私、こういうところ好きよ」
「綺麗な広場ですよね。フォン・ブラウンなんて私も初めてだし」
シドレがそれに続く。二人はあどけない笑みを浮かべていた。
表に出ているわずかばかりの住民が、じろじろとティターンズの五人組を見る。ジェリドが視線を返した途端、彼らは怯えて目を逸らした。
「ジェリド。人通りの少ないところは……」
「わかってる」
マウアーの耳打ちに、ジェリドは頷く。人通りの少ないところは避けるのが無難だろう。やはり、月の住民のティターンズへの反感は大きい。ジェリドはわずかに表情を曇らせた。
「お前たち、俺から逸れるなよ」
ジェリドの言葉に、返事が返ってこなかった。サラとシドレが、二人でぺちゃくちゃとしゃべっている。ジェリドは振り向いてもう一度声を張り上げた。
「逸れるなよ!」
「はっ、はい!」
ふと、マウアーはサラの視線に気づいた。彼女の目は、アイスクリームの屋台に釘付けになっている。
「サラ曹長?」
「はっ!? いえ、なんでも……」
「食べたいのね」
誤魔化そうとするサラに、マウアーは微笑んだ。ジェリドもそれを見て、ポケットに手を伸ばす。
「こいつで買ってこい。五人分な」
差し出された二枚の紙幣に、サラは目を丸くした。彼女の肩越しに、シドレも目を輝かせている。
「よろしいのですか?」
「ティターンズの大尉だぜ? 安月給じゃないんだよ」
ジェリドの紙幣を受け取って、二人は満面の笑みを浮かべた。
「行って参ります!」
「ほら、カミーユも!」
「何で俺も……」
カミーユの腕を引きながら駆けていく二人を見て、ジェリドとマウアーは目を細めた。屋台に身を乗り出すようにして、サラとシドレが注文している。
「すまんな、マウアー。せっかくの半舷上陸に子守に付き合わせて」
期せずして二人きりになって、ジェリドは言った。
「三人は子供よ。特に、カミーユには裏があるんでしょ?」
気にしていないようにマウアーが微笑む。ジェリドはますます申し訳なくなって、足元に目を落とす。
「シロッコが絡んでることは間違いないはずだが……」
「時間の問題でしょう? カミーユも、あなたには心を開いてきてるようだし」
「……そうだな」
三人が屋台から戻ってきた。カミーユはもうアイスクリームを舐めている。ジェリドとマウアーに駆け寄ったシドレが、両手に持ったアイスクリームを差し出した。
「どうぞ!」
「おう。ありがとな」
「ありがとう、シドレ」
シドレは顔を緩ませながらサラからアイスクリームを受け取った。
五人は歩き出した。サラとシドレは満面の笑みでアイスクリームに味わっている。
「うまいか、二人とも」
「はっ、はい!」
「私、こうして街で遊ぶのなんて初めてですから」
答えたサラとシドレに、カミーユが口を挟んだ。
「へえ、貧しい青春なんだ」
「カミーユ」
ジェリドがきつい声で諌めるが、カミーユは構わずに続ける。
「大尉も庇うんですか? こいつらは、シロッコの人形です。気を回す必要なんて……」
サラとシドレは互いに視線を交わした。小さく頷き、サラが口を開く。
「私たち、一年戦争の孤児なんです。スペースノイドの」
その言葉を、ジェリドは繰り返した。
「孤児か……」
一年戦争は、総人口の半分を死に至らしめたとも言われている。それから現在までわずか七年。孤児というのも、そう珍しいことではない。未だ復興の真っ最中である人類にとって、孤児への支援は後回しになってしまうのが実情だ。
「ハンバーガーショップで働いたりもしました。シドレも、似たようなものです」
サラの後ろでシドレがしきりに頷く。カミーユはばつが悪そうに視線を足元へ落としていた。
「それで、ティターンズにニュータイプ候補生として拾われて……」
「パプティマス様に見出していただいたのです」
サラの言をシドレが継いだ。彼女達の目は、ここにはいないシロッコを見ていた。
すでに公園からは離れて、一行は繁華街へ差し掛かっている。派手で垢抜けた店が立ち並ぶその繁華街は、月の裕福さを映す鏡でもある。
「だから、シロッコを尊敬してるって訳か……」
ジェリドはため息を漏らし、そう言った。
「カミーユ曹長はどうなんですか?」
「そうね、私も聞きたい」
シドレとサラがカミーユに水を向けた。
「関係ないだろ」
「いいじゃない、カミーユ」
ぶっきらぼうに答えたカミーユに、サラが食い下がった。
二人の押し問答にシドレまで口を挟んだところで、マウアーは一人歩調を早めた。先頭を歩くジェリドの横に並んで声をかける。
「ジェリド」
アイコンタクトだけで彼女の意思を読み取ったジェリドは、サラ達に聞き取られないよう、小声で答える。
「あんな子供が戦わされるなんてな」
「……それがシロッコのやり方よ」
二人の小声の会話は、繁華街の喧騒にかき消されている。棘のある言い方だ。ジェリドは顔を近づけ、さらに声を潜める。
「何かあったのか?」
「……アポロ作戦の時、シロッコはあなたを見捨てるつもりだった。私の隊が出撃できなかったのも、シロッコの差金よ」
「シロッコめ……! 俺の隊をなんだと思ってやがる……!」
ジェリドは思わず舌打ちした。フォン・ブラウン市を制圧するためのアポロ作戦で、ジェリド隊はアムロとカツのコンビに苦戦を強いられていた。もしもマウアーの隊が出ていれば、戦況は有利になっていたはずだ。
密かに伸びたマウアーの手が、ジェリドの手を握った。手を引いて、ほとんど囁くような声で尋ねる。
「……サラ曹長達も、騙されていると思う?」
すでにジェリドとマウアーにとって、シロッコがカミーユを無理やり戦わせていることは確定的となっている。
「さあな。だが、俺はあいつらの隊長で、シロッコの監視役だ」
ジェリドは笑う。
「片がつくまでは、やらせてもらうさ」
マウアーが目を細めた。ジェリドがこう答えるだろうことは、彼女にはわかっている。
少しだけ背伸びをして、彼女はジェリドの頬に口づけした。頬に触れるしっとりとした柔らかな暖かさに、ジェリドは顔を緩ませた。
思わず抱き締めそうになって、彼は我に返る。カミーユ達に見られていないだろうか。
振り向くと、そこにはついてきているはずの三人の姿はなかった。
「な……!」
ジェリドとマウアーは目を丸くする。
「はぐれた!? ……いや、これは……!」
マウアーが顎に手を当て、表情を歪める。ジェリドも眉を寄せた。
フォン・ブラウン市にとってティターンズは侵略者だ。人数が多ければともかく、ティターンズの制服を着た子供が三人では、襲われる危険性もある。
「まずいな……。探すぞ!」
「ええ!」
二人の目つきは、すでに軍人のものになっていた。
サラとシドレが足を止めたのは、あるブティックの前だった。ショーウインドウの中では、着飾ったマネキンが自身の美しさを誇っている。
「おい、何やってるんだよ!」
カミーユが、二人を咎め立てた。先頭を行くジェリドとマウアーは、カミーユ達の遅れに気づいていないようだ。
「ほら、はぐれたら……」
二人の顔を覗き込むようにして、カミーユは言葉を失った。二人は目を輝かせて、そのショーウインドウに釘付けになっている。
貧しい青春。カミーユは先ほどの自分の言葉が恥ずかしくなった。
彼自身、親子仲が良好という訳ではなかったが、それでも両親が居た。軍に技術士官として招かれるほど優秀だった両親のおかげで、金銭的な不自由はほとんどなかった。何かを買うと両親に伝えれば、長くとも数日のうちには、家に帰ってきた母親がテーブルの上に十分な額の金を置いてくれていた。
しかし、サラとシドレは違う。いい親だったとは言えないまでも、カミーユが持っていた両親は、彼女達にはない。一年戦争に両親を奪われた彼女たちは生きるのに必死で、同じ年頃の女の子のように着飾ることもできない。
カミーユは前方を見た。ジェリド達の背中は遠い。マウアーとジェリドは、何事か囁き合っている。
「……へえ、やっぱり」
恋人同士ということか。カミーユは小さく笑って、足を止めた。
周囲を見回しても、怪しい姿はない。歩いているのは買い物客ばかりだ。その買い物客も、カミーユ達のティターンズの制服を見て距離を取る。
カミーユは、サラ達の肩に手を置いた。驚いて振り返った彼女達の手をカミーユは引いた。
「入りたいんだろ、この店」
「カミーユ……」
「いいんだよ。時間までに港に戻れば、ジェリド大尉も文句は言えないだろ」
サラとシドレは二人で顔を見合わせる。二人の手を取ったまま、カミーユはその店に入ってしまった。
「いらっしゃいませー」
挨拶をした女店員は、すぐさま顔を逸らす。フォン・ブラウン市において、ティターンズの制服は異物だ。彼女はカミーユ達を刺激しないよう、遠巻きに観察している。
「……ほら、好きなもの、買えばいいじゃないか」
サラとシドレは恐る恐る、店内を見回す。彼女達はおしゃれに憧れていながら、こういった店に入った経験はほとんどない。勢いと心の準備さえあればどうにでもなっただろうが、カミーユに無理やり押し込められた形だ。
シドレに至っては怯えているようで、カミーユの袖口を掴んで放さない。
「……こういう時に服を買っても、怒られないのでしょうか」
「知るかよ、そんなこと。もし怒られたら、軍人なんて辞めてしまえばいいんだ」
カミーユはそう言い切ってしまった。手持ち無沙汰なようにまごついているシドレの隣で、サラはハンガーにかかっているコート類へ手を伸ばした。シドレが驚いて彼女を見る。
「サラ曹長!?」
「カミーユの言う通りね。私たち、軍人だもの。半舷上陸で遊んじゃいけないなんてこと、あると思う?」
「それは……でも……」
サラはしどろもどろのシドレの腕に絡みつき、陳列棚へ引っ張っていく。
恐る恐る一着のコートを手に取った彼女は、サラと一緒にはしゃぎ出した。
カミーユにとって、これは鬱憤晴らしだった。自分よりも年下の孤児が戦争に利用され、満足に遊ぶこともできていない。せめてサラとシドレには、普通の女の子らしい楽しみを味わって欲しかった。
だが、サラ達を見ても気分は晴れなかった。ファは未だシロッコに囚われている。その事実は重い鎖となって、カミーユの心に十重二十重に絡みついていた。
三十分後、三人は店を出た。サラは紙袋を携えてほくほく顔だ。いろいろ見て回ったものの、結局金銭的な都合で一つしか買えなかった。
「ね、カミーユ。パプティマス様、喜んでくださるかしら」
「さあね。マフラーなんて、艦に乗ってたらつける機会もないだろ?」
「でも、パプティマス様の白い制服に合うように選んだんですよ?」
シドレが口を尖らせた。紙袋の中のマフラーは、シロッコのためにサラとシドレが二人で買ったものだ。
「お前たち、そんなにシロッコが好きなのかよ」
カミーユにとって、シロッコは許し難い相手だ。拳を握りしめた彼は足を止めて、体の内から絞り出すように言った。怒りのにじんだ低い声だ。
「……私たちの勝手でしょう?」
サラが言い返した。彼女も足を止め、カミーユに振り返った。店の前に険悪な雰囲気が漂う。
しかし、その雰囲気も長くは続かなかった。サラもカミーユも、自分達を取り囲む不穏な気配に気付いたからだ。
歩道の前後を固める五人ほどの男達。カミーユ達を取り囲むように、男達は輪を縮める。
「……なんですか、あんたたちは」
男達は下品に笑った。にやにやと笑いながら、カミーユ達を舐め回すように見る。
シドレがサラの背に隠れて訊く。
「サラ曹長、これって……」
「ええ。フォン・ブラウンの市民……特に、ティターンズに反感を持っている連中よ」
サラは弱みを見せまいと睨み返す。とうとう、男達は手を伸ばせばカミーユ達に届くほどにまで近づいた。
カミーユがサラ達を庇うように腕を伸ばした。
「僕たちはティターンズです。そこ、通してもらえますか」
毅然とした態度だ。五人に囲まれているというのに、声に怯えは見られない。
先頭の男は大きな声で笑い出した。酒臭い息が広がる。カミーユは、思わずサラ達を庇ったまま後ずさった。男の手が、カミーユの胸ぐらを掴んだ。鼻先がぶつかり合いそうな距離まで引き寄せて、挑発する。
「へっへっへ。ティターンズ? 俺はまた、ハイスクールの生徒かと思ったぜ。女三人でショッピングってな」
リーダーがもう一度笑うと、他の男達も釣られて笑い出した。相手はガキが三人、殴りかかってくることはないだろうとたかを括っているのだ。
次の瞬間、カミーユの拳が、リーダーの男の顔面を打ち抜いた。鼻血を垂らして男は尻餅をつく。胸ぐらを掴んでいた手も外れ、カミーユの襟のホックが外れた。
「こっ、このガキ……!」
「カミーユ!」
慌てたサラ達がカミーユを咎めるが、彼は整った顔を怒りに歪めたままだ。
「どうしたんだよ。喧嘩を売ってきたのはそっちだろ!」
突然の反撃に、男達は面食らっているようだ。彼らは互いに視線を交わし合い、まごついている。
「やるじゃねえか、兄ちゃんよ……」
カミーユに殴られたリーダーの男が立ち上がった。その男は、懐から折りたたみナイフを取り出していた。
カミーユ達に戦慄が走った。サラは怯えたシドレの手を握る。
「やっちまおうぜ! なあ!」
リーダーの男がそう呼びかけると、周りの男達も同調した。群集心理にあてられて、彼らは気が大きくなっている。
「やめろ! お前たち……ティターンズに逆らったらタダじゃ済まないぞ!」
ナイフが光を反射して妖しく光る。リーダーの男は、折れた前歯を見せつけるように笑う。
「ははははは! てめえ、相手がナイフ取り出したらそのザマか! みっともねえなあ!」
カミーユは腕に覚えがある。いざとなればナイフを持っている相手でも、素人ならば制圧できる能力と自信があった。しかし、男たち全員を相手にするとなれば話は違う。
取り囲んでいる男の一人が、サラに手を伸ばした。腕を掴まれ、彼女は慌てる。
「はっ、放して!」
男達は二人がかりでサラを取り押さえる。両腕を掴み、喉元にナイフを突きつけた。冷たいナイフが細い首筋に触れた。白い肌に、赤い点が浮く。表皮をわずかに切っただけだが、その血の球はみるみるうちに大きくなって、首筋を垂れていく。
カミーユが叫んだ。
「貴様! サラを放せ!」
「じゃあ俺の前歯を治してくれよぉ」
リーダーの男は取り合うつもりもない。ナイフをちらつかせ、折れた前歯を見せつけるように笑った。
「やめろ……今ティターンズを相手に事件を起こしたら、二、三日の勾留じゃ済まないんだぞ!」
「フォン・ブラウンでティターンズがデカい面をしているなんて気に入らないんだよ!」
カミーユは言い返す術もなく、黙り込む。ティターンズは悪だ。男はさらに怒りを込めて怒鳴った。
「ティターンズは地球を汚し尽くす悪魔の集団だろうが! この街から出て行け!」
リーダーから、カミーユ達を挟んで反対側で、男達がざわめいた。思わず、カミーユも振り向く。
そこにあったのは、拳銃だった。シドレは、サラを取り押さえる男達に拳銃を突きつけていた。
「やめて、シドレ!」
「うっ、撃つぞ! お前たち!」
ここで頭を下げれば、無事なまま帰れた可能性はあった。カミーユがリーダーの男を殴った以上、二、三発は殴られるかもしれないが、死にはしない。しかし、シドレが取り出した拳銃は、そんな想定を吹き飛ばした。
もしそれを撃てば、男達も黙ってはいない。サラかシドレは間違いなく死ぬ。その事件が引き金になって、フォン・ブラウン市全体がティターンズの無差別攻撃に晒されるかもしれない。何の罪もない市民達が死ぬ。それはカミーユにとって最悪の結果だった。
「よせ! シドレ!」
「サラ曹長を放せ!」
震えた声でシドレが叫ぶ。男達も怯えている。だが、退くわけにもいかない。ここで弱みを見せれば、ティターンズの、それもガキに屈服したことになる。
「う……撃ってみろよ! ティターンズのクズの弾が、人間様に当たるかよ!」
サラを取り押さえている男の一人が虚勢を張った。もはや退けない。それを見て、他の男達もますます熱くなる。
首筋を流れる血の線が太くなった。サラは奥歯を噛み締める。
「シドレ! 撃っては駄目!」
「このガキ! 暴れるんじゃねえよ!」
ナイフの柄が、サラの頬を打つ。
「サラ曹長!」
シドレは、引き金にかけた指に力を込めた。
サラは目をつぶった。その惨状を想像し、彼女は震える。しかし、銃声も、男の悲鳴も、溢れ出る温かい血も、そこにはなかった。
シドレ自身、驚いていた。いくら力をこめようと、引き金が引けない。彼女の拳銃は、安全装置が外されていなかったのだ。
肩透かしを食ったように、全員唖然として硬直する。時間にして、わずか数秒にも満たない。
「そこのあんたたち! 全員、ちょっと待った!」
その隙を利用する。突然の呼びかけに、一瞬ではあるが緊張の途切れた彼らは視線を向けた。
そこにいたのは、十代半ばほどの少年。カツ・コバヤシだった。
男が睨みつける。
「何だお前は!」
「誰だっていい! それより、みんな落ち着いて!」
突然の乱入者は丸腰の少年。気の抜ける展開が続き、男達は呆気に取られている。カツはその感情の隙間に、論理を叩き込んだ。
「いいかい、あんた達がここで暴れてティターンズの兵隊を殺したら、ティターンズにこの街を弾圧する口実を与えることになるんだよ。そうなったら、この街の住人全員が死んだっておかしくない!」
リーダーの男は気圧されたように口をひくつかせる。それを見て、カツはさらに声を張り上げた。
「あんた達だって、そんなことはわかってた! だけど、ティターンズの制服を見たら我慢ができない。それも子供が高い声で喚いてるんだ、頭にもくる!」
声こそ大きいが、カツの口調は宥めるようだ。言いたいことを先に言われてしまった男達は、どうしたものかと思案し、たがいに目を合わせるばかりだ。
彼らも、ティターンズを相手に喧嘩など、この状況では自殺行為だと分かっていた。しかし、酒の勢いと群集心理が、相手の少女達を軽んじさせた。
「大丈夫。すぐにエゥーゴが助けに来て、ティターンズを追い払ってくれる。本当のことさ」
もともと男達はカミーユ達を少し怯えさせて、ほどほどにからかったら解放するつもりだった。しかし、先に手を出されたことでたがが外れてしまった。
暴走した彼らの頭を冷やしたのはカツだ。この揉め事が互いにとって不利益であることは、すでにこの場の全員が理解していた。
「だから、みんな武器を下ろして……女の子も放してやってほしいんです」
カツが頭を下げる。男達はナイフを構えた手を下ろし、シドレも銃をしまった。
サラを掴んでいた男が、舌打ちして力を緩めた。彼女は首筋の傷口を押さえながら離れていく。シドレが彼女を抱き寄せた。
男達は、まだカミーユ達を睨んでいる。彼らも戦いは望んでいないが、かといって、そうそう態度を変えるわけにもいかない。
カツはカミーユ達に声をかけた。
「そこのティターンズも、ここで絡まれたこと、絶対に報告しないでくれ」
「ああ……わかってる」
その返事を聞き、男達はひそかに胸を撫で下ろす。彼らにも生活がある。たった一度の過ちで、ティターンズに目をつけられてはたまったものではない。
カミーユはサラとシドレの背中を押して、足早に歩き去ろうとする。カツは、その三人をじっと見つめた。
「待て!」
思わず、カツは呼び止めてしまった。驚いて、カミーユ達が振り返る。
「あんた達、ティターンズなんだな?」
「……そうだ。もう行く」
カミーユは言葉少なに答えた。男達の気が変わる可能性もある。サラとシドレを先に行かせ、彼も早足に歩いていく。
カツは三人の背中を見送りながら、つぶやいた。
「あの感じ……バーザムの……?」
「お前達! 無事だったか!」
「ジェリド大尉!」
「ジェリド隊長!」
三人がジェリドに駆け寄る。ジェリドとマウアーは、息が上がっているようだった。
サラは自分の首筋を手で押さえていた。
「サラ、あなた、首のその傷」
「深くはありませんが……。あの、事故なんです」
「事故だと?」
「お、俺が話します!」
カミーユが一歩進み出た。ジェリドは怪訝そうにカミーユを眺める。
「お前、その襟はどうした」
「あ……」
カミーユは襟に視線を落とす。襟のホックが壊れる事故など思いつかない。うつむいた彼はやや上目遣いにジェリドを見る。
「……言えません。半舷上陸中のことなんて、報告の義務はありませんから」
減らず口ではあったが、カミーユのその口ぶりは落ち着いていた。
「こいつ」
ジェリドは笑って、カミーユの胸を小突いた。胸に拳をつけたまま、彼はカミーユの耳元に口を寄せる。
「サラ達を守ろうとしたんだろ?」
「……さあ、どうでしょうね」
「名誉の負傷だな、カミーユ」
サラの首の傷は、まともに街を歩いていただけでつくはずがない。カミーユのホックが曲がったのも、胸ぐらを掴まれたと考えれば説明はつく。
「できたわ」
「ありがとうございます、少尉!」
シドレとサラが、マウアーに頭を下げた。サラの首筋の傷には、よく見れば絆創膏が貼られているようだ。
「まあ、このくらいの傷なら軍医にかかる必要はないでしょう」
「助かりました、少尉が絆創膏を持ってて」
礼を言うサラとシドレ。ジェリドは親指で、カミーユの襟を軽く弾いた。
「男なら、襟くらい開けて見せなくっちゃあな」
そう言ってジェリドは笑った。彼が視線で示した先は、彼の制服の襟だ。上のホックを閉じずに中のスカーフが見えるよう着崩している。
「大尉とお揃いってことですか」
「まあな」
カミーユは、襟を直さなかった。ジャケットの内側のスカーフを、誇らしげに覗かせた。
シロッコはブリーフィングルームの椅子に座っていた。足を組み、目を閉じた彼は資料を手で弄ぶ。白い手袋越しの親指を、捲られた紙の端が撫でている。規則的な音と刺激を愉しみながら、彼は思索に耽っていた。
ドアが開いた。シロッコは片目を開けて、そちらを見る。
「ジェリド・メサ大尉、サラ・ザビアロフ曹長、入ります」
ジェリドとサラが敬礼していた。シロッコは微笑をたたえて訊く。
「半舷上陸はどうだったかね、ジェリド」
「フォン・ブラウンに来たのは初めてだがな、なかなかいいところだった」
「ふふ、カミーユも楽しんでいたかね」
「……ああ」
言い淀んだその一瞬を、シロッコは見逃さない。ジェリドはやはり、カミーユとシロッコの間を分断しようとしている。
サラの高い声が、ブリーフィングルームに響いた。
「パプティマス様は、なぜ私たちを呼んだのです?」
シロッコが笑い声を漏らした。サラはやきもちを焼いているのだ。
「世間話はもういらんな。君たちにはしばしこの艦を離れてもらう。信頼しているからこそ、この重大な任務を任せる」
「重大な任務、ですか?」
聞き返したのはサラだ。そんなものより、シロッコのそばにいたいとでも言いたげな様子だ。
「ああ。断っておくが、これは命令だ。君たちは従うほかない」
「……わかっています」
口ではそう言いながら、サラの眉間には皺が寄っている。彼女は今日、カミーユと見知らぬ少年に救われた。自分の無力さを思い知ったのだ。カミーユに対抗心が芽生えるのも当然のことだ
「サラ、君は私にとって最も信頼がおける部下だ。だから、この任務を君に任せる」
「それで、任務というのは」
痺れを切らしてジェリドが訊いた。彼はシロッコを信用していない。まだ分別のつかないサラを惑わし、利用しているようにしか見えなかった。
シロッコの余裕は崩れない。
「このブリーフィングルームの周りは人払いをしておいた……わかるな?」
「密命、ということでしょうか」
ジェリドはすぐに答えた。彼は幸か不幸か、これまでも何度か密命を受けていた。今シロッコの下にいるのも、彼の監視をジャミトフから密かに命じられているからだ。
密命という言葉に、サラは唾を飲み込んだ。重大な任務だ。失敗すれば、シロッコの立場すら危うくなる任務かもしれない。
シロッコは立ち上がった。緊張の面持ちのサラに笑いかけ、彼は言う。
「私が仕入れた情報によれば、ジャマイカンは、グラナダにコロニー落としをするつもりだ」
サラとジェリドが目を丸くした。
「コロニー落とし……!」
その衝撃に、思わずおうむ返しするジェリド。サラは声も上げられず、口元を手で押さえている。その反応を楽しむようにシロッコは続けた。
「コロニー落とし……。これは人類最大の愚行だ。かつてジオンは地球にコロニーを落とし、多くの人命を奪った。それはたとえ月へのものであろうと、許すわけにはいかない。君たちならばわかるはずだ」
シロッコにフォン・ブラウンをあっさりと制圧され、ジャマイカンは功を焦っている。頷ける話だ。ジェリドは思った。しかし同時に、シロッコへの疑いも鎌首をもたげる。ジャマイカンに手柄を挙げられて困るのも、またシロッコだ。
「しかしこのコロニー落としを未然に防げば、ジャマイカンへの、ひいてはバスクへの強力な牽制になる」
その言葉に、ジェリドは眉をうごめかせた。三十バンチ事件。捕虜を利した人質作戦。エマが裏切る要因を作ったバスクを、彼は許せない。
「サラ、ジェリド。力を貸してくれるな」
横目に見たサラは、力強く頷く。自分は、人殺しはいたしません。初対面の時、サラがそう言っていたことをジェリドは思い出した。
「ジェリド、君は?」
今は、ジャミトフの密命など気にしている場合ではない。コロニー落としは、断じて許してはならない。それがひいては、バスクの失脚にもつながる。
「……やってやるさ」
眉間に皺を寄せ、ジェリドはそう答えた。