主人公はジェリド・メサ   作:中津戸バズ

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シロッコ立つ

 

 ロンバルディアのブリッジを満たす威圧感。軍艦ゆえのものではない。ティターンズの総司令官バスク・オムが、その敵意を隠そうとすらしていないためだ。

「ドゴス・ギアからこちらまでわざわざ出迎えに来るとはいい心がけだな、シロッコ」

 そう声をかけられて、シロッコは微笑む。横に控えるサラたちの顔は固い。

「ええ。お見せしたいものが」

「……何を考えている?」

 シロッコが目配せすると、シドレは手にしていたポータブルプレイヤーの画面を見せる。その画面に映っているのは、コロニーに核パルスエンジンを取り付ける、ティターンズのモビルスーツの姿だった。

「ティターンズのコロニー落としの証拠です。ジャマイカンの命令の音声記録もありますが」

 バスクの表情が凍りつく。沈黙したまま息を吐き、彼はシロッコを見やった。

「それが私の指示だとどう証明する? ジャマイカンの独断だ」

 シロッコがもう一度目配せすると、シドレがプレイヤーを操作する。

「すべてバスク大佐の命令だ。私は、バスク大佐の命令に従っただけだ!」

 プレイヤーのちっぽけなスピーカーから、ジャマイカンの声がする。

「この毒ガス作戦は、バスク大佐の命令だ。ああ、そうだとも、コロニー落としもそうだ!」

「こちらは先ほどアレキサンドリアからフォン・ブラウンへ送られた通信です。正式な命令書も確保してあります。発信者はジェリド・メサ」

 証拠は全て掴まれた。公表されれば、バスクは職を失う程度では済まない。

 追い詰められたバスクを、クルーたちは固唾を呑んで見つめる。ブリッジの中を重苦しい沈黙が支配した。

「ふ……はっはっはっはっは!」

 バスクは、狂ったように笑い出した。サラが息を呑んだ。追い詰められた人間とは、このようにして壊れてしまうのか。

 バスクの手が、コートの内側に滑り込む。次の瞬間、黒い物体がシロッコへ向けられた。拳銃。クルーが声を上げる間もない、一瞬のことだった。

「死ねシロッコ!」

 銃声が鳴った。銃口から吐き出されたその弾丸が、肉を貫き骨を砕いた。

 シロッコとバスクの間に立ちはだかり、シドレは両手を広げていた。身を挺してシロッコを守ろうとした彼女は、自分の目を疑った。

 うめき声をあげ、その場に膝をつくバスク。胸元を押さえる彼の指の間から、激しく血が溢れ出ている。

 シドレは恐る恐る、横を見る。ファが両手で構えた拳銃は、うずくまるバスクへと向いていた。

「衛生兵を! バスクには喋ってもらわねばならんことがある!」

「あ……」

 拳銃を持った両手を震わせ、怯えた目で彼女はシロッコを見た。たった今人を撃ったという実感が、遅れて彼女を襲っている。

 シロッコの手が、ファの拳銃の銃身を掴んだ。震えを止めるよう、彼はそっとファを抱きしめる。

「大丈夫だ、ファ君。シドレ、彼女をブリッジの外へ」

 ファに肩を貸して、シドレは床を蹴った。心配そうな顔で敬礼をし、彼女はブリッジを出る。

 ブリッジのドアが閉まると、シロッコは息をついて上着に手をかける。彼が白い制服を脱ぐと、その下には黒く無骨な、分厚いベストがあった。

 思わず、サラが聞いた。

「まさか、防弾ベスト?」

「命を懸けるほどではない。違うか?」

「……違いません」

 サラは目を逸らした。大慌ての衛生兵たちがバスクを連れ出す喧騒にも、彼女には現実味を感じられなかった。

 

 

 

 サングラスの男が、路地裏のバーガーショップへ入る。汚れた床を踏み越えて店員と目配せを交わすと、彼は真っ直ぐに店の奥、従業員用と書かれた扉へ向かい、それを押し開けた。

 白いテーブルクロスがかかった円卓の上に、いくつもの料理が並んでいる。天井からは煌びやかに飾られた照明が下がり、安っぽいバーガーショップとは全くの別空間がそこには広がっていた。

「やあ、アムロ大尉」

「ええ、どうも……」

 先に着席していたブレックスにそう挨拶を返した彼は、テーブルに着いている三人の男たちに視線を巡らせる。エゥーゴとの折衝を担当するアナハイムの幹部、ウォン・リー。エゥーゴの代表であるブレックス。そしてもう一人とは、直接顔を合わせるのは初めてだった。

「君はまだ会ったことがなかっただろう、大尉。彼がアナハイム・エレクトロニクスの会長、メラニー・ヒュー・カーバインだ」

 ブレックスがそう紹介すると、メラニーはアムロへ視線を上げた。

「君がアムロ大尉か。まあ座りたまえ」

「はい」

 発せられる緊張感は尋常ではなかった。何度もメラニーと会っているはずのウォンですら、その表情は固い。

「25バンチ事件……と呼ばれているそうだな。例の一件は」

 シロッコは、コロニー落としや毒ガス作戦の情報を公表した。シロッコによるバスクの更迭劇を含め、メディアによって25バンチ事件と銘打たれている。

 ブレックスが答える。

「パプテマス・シロッコとジェリド・メサによるクーデターと見るべきでしょうな。ティターンズが瓦解してもおかしくない大スキャンダルだが、民衆の中には彼らを英雄視する流れもあるようだ」

「地上でバスクを裁く軍法会議が開かれている。全ての罪を奴に着せるつもりだろう。今、ティターンズは?」

「今のところ艦隊がフォン・ブラウンから動く気配はありません。例のグラナダ攻略も延期でしょう」

 ウォンが素早くメラニーの問いに答えた。エゥーゴからの情報だ。ブレックスが頷き、言葉を継ぐ。

「ジャミトフ自らか、シロッコか……。いずれにせよ、次の司令官が正式に決まるまではまともには動かないでしょうからな」

「これを機に攻め込むべきだったのではないか?」

「よせ、ウォン。フォン・ブラウンに駐留する軍はシロッコが指揮を取っている。フォン・ブラウン内部の地上部隊と連携せねば、こちらの戦力を減らすだけだ」

 メラニーに諌められ、ウォンはしおらしくなった。いかに彼といえども、アナハイム・エレクトロニクスの会長には逆らえないようだ。いくらか弱くなった語勢で、ウォンが尋ねる。

「これからエゥーゴはどう動くつもりだ?」

「フォン・ブラウン内の地上部隊に、いつでも蜂起できる態勢を整えさせるつもりです。プロパガンダも継続して行い、二ヶ月後を目処にフォン・ブラウンを奪還する」

 メラニーたちにとっては予想通りの答えだった。

「いつまでも喉元に奴らを置いておくわけにもいかんのだがな。アムロ大尉、君はどう見る?」

 メラニーの声にはいささかの落胆が混じっていた。アムロは水の入ったグラスを置き、答える。

「自分はパイロットに過ぎません」

「どう見るのかと聞いている」

「……おそらく、シロッコが次のティターンズの司令官になると」

「ふむ、例の木星帰りの男か。……使えるかもしれんな」

 そう言うと、メラニーは口元に手を当て、指で軽く頬を叩き始めた。ウォンは固唾を飲んで見守る。メラニーが何か面白いことを思いついた時には必ずこの癖が出ると、ウォンは知っていた。

「彼は木星公社のジュピトリスを指揮下に持っていたはずだ。うまくすれば、そこから切り崩せるかもしれん」

「切り崩す?」

「ああ。ジュピトリス内部にエゥーゴの工作員を潜入させ調査しろ」

 驚きのあまり、ブレックスが立ち上がった。

「バカな!」

「フォン・ブラウンを奪還するよりは現実的だ」

 メラニーがぴしゃりと言い返した。勢いをくじかれて、ブレックスは口を閉じた。

「シロッコはアースノイドではない。バスクよりもよほど話が通じる相手だ」

「了解した。それでは我々はここで失礼する……行くぞ、アムロ大尉」

 不愉快そうにそう吐き捨てるブレックスに、ウォンが聞く。

「食事は」

「結構です」

 メラニーがまた、ウォンを制した。

「彼らには忙しく働いてもらっている。そんな時間もないのだ」

「はあ……」

 ウォンは納得していないようだった。メラニーが、今度はブレックスに笑いかける。

「准将、我々は一蓮托生だろう?」

「……もちろんだとも」

 ティターンズのトップがすげ替えられれば、バスクほど強硬な姿勢は取れなくなる。それでアナハイムへの弾圧が止むならば、もはや戦う理由はない。メラニーの視野には、エゥーゴを切り捨てることも入っているはずだ。ブレックスはそれが悔しかった。

「……失礼します」

 席を立ったアムロは、ブレックスと共に部屋を出た。ドアが閉まった音の後、ウォンが尋ねる。

「会長。なぜジュピトリスへの潜入を?」

「ジュピトリス内部の様子がわかれば、木星公社の技術を取り込めるやもしれん」

 ウォンは目を見開いた。

「それでは……!」

「もちろん、エゥーゴに勝ってもらうことが第一だ。だが、それだけに囚われていてアナハイム・エレクトロニクスの発展を捨ててはいかんだろう?」

 メラニー・ヒュー・カーバインにとって、エゥーゴは道具に過ぎない。彼はすでに、この争いが終わった後のことも見据えていた。

 

 

 

「この毒ガス作戦は、バスク大佐の命令だ。ああ、そうだとも、コロニー落としもそうだ!」

 どこから漏れたのか、この音声記録は翌日にはフォン・ブラウンのメディアで取り上げられ、その日のうちに地球圏を揺るがす大ニュースになった。

 噂に過ぎなかったティターンズのスペースノイド弾圧は、当のティターンズの幹部の自白によって確証を得た。ティターンズ、ひいては連邦軍への不信も広まったが、その一方で、悪事を暴いた二人の将校を英雄視する人々も多かった。

 パプテマス・シロッコとジェリド・メサ。もとよりジャブロー脱出の立役者でありシャアを倒したガンダムパイロットとして有名だったジェリドだけでなく、アポロ作戦を指揮しフォン・ブラウンを制圧したシロッコも、その特異な経歴に注目が集まっていた。

「勝手なことをしてくれたものだ」

 ジェリドは黙り込んだまま、老人の次の言葉を待った。椅子を小さく軋ませて、その老人は背もたれに体重を預ける。

 この執務室に、ジェリドは一度だけ来たことがあった。

「私の下した命令はシロッコの監視だったはずだ。それがなぜシロッコの元を離れ、バスクを弾劾している」

 ぎろり、と老人の目がジェリドを睨む。今や地球連邦軍の最高権力者となったその老人は、眉間の皺をさらに濃くした。

「答えたまえ、ジェリド・メサ大尉」

 ジャミトフ・ハイマンのその声に、ジェリドは気圧される。バスクの蛮行が世界に明かされてすぐ、ジェリドにジャミトフの下への出頭命令が出された。

「……お言葉を返すようですが、コロニー落としと毒ガスを防ぐためには、自分はああする他なかったと考えております」

「そのためならばバスクを失脚させても構わん、と」

「バスクが毒ガスを計画していたことは事実です。閣下も30バンチ事件と同じことが起きるのは、望んではいないと……」

「シロッコの監視はどうした」

 ジェリドの言葉を、ジャミトフは不愉快そうに遮った。彼にとってそれは、くだらない言い訳だ。

「申し訳ありません、閣下。パプテマス・シロッコの話の前に、閣下にお聞きしたいことがあります」

「君のことを買い被っていたようだ」

「閣下、お願いします」

「……話したまえ」

 苛立ちを隠さずにジャミトフは聞いた。

「閣下の目的は本当に、地球圏の平定なのですか?」

 ジャミトフは沈黙した。敷かれたカーペットに踵を打ちつけるような、小さな貧乏ゆすり。ジェリドは唇を舐める。

「自分が見る限り、バスクをティターンズのトップに据える理由はありません。30バンチ事件以降にバスクを更迭することもできたはずです。ですが、閣下はそうしなかった」

 ジャミトフは身を乗り出し、机に肘をついた。

「バスクを更迭できたというのは、君の考え違いだ」

「閣下には、バスクをトップに置かねばならない理由があった。それは、彼のスペースノイドへの憎しみです」

 これはジェリドにとって一か八かの賭けだった。心臓の鼓動を掻き消すように、彼は話し続けた。

「スペースノイドをティターンズが弾圧すれば、反対勢力が生まれる。そうすれば戦争は終わらない。ジャブローの核自爆もそうです。基地防衛に失敗し、核自爆の暴挙に出たジャブローの基地司令、彼は中将に昇進して閣下の参謀部にいると聞きました」

 ベン・ウッダーからの情報だった。ジャミトフの視線が鋭くなる。

「本部をニューギニアへ移すなら、ジャブローは用無しだ。エゥーゴがジャブローを核で吹き飛ばしたことにすれば、アースノイドのエゥーゴへの敵意をあおることができる。ジャブローの基地司令には、閣下からの自爆命令があったのではありませんか?」

 ジェリドの問いかけにも、ジャミトフは答えない。声を低くして、ジェリドは続ける。

「戦争が続けば、金が必要になる。閣下が地球の金持ちに号令をかけて軍資金を出させれば、次第に地球の権力者は力を失う。地球から人類を追い出すことも簡単だ」

 知らぬ間に、息が上がっていた。最後に小さく呼吸を整えると、ジェリドはもう一度、ジャミトフを見つめ直した。

「閣下の本当の目的は、地球の環境を守ること。そのために、戦争を長引かせ、権力者を追い出そうとしているのではありませんか?」

 再び、部屋を沈黙が支配した。長い沈黙は、数分も続いたようにジェリドには思えた。

「……なぜそう思うのかね」

「以前お会いした時、敵対勢力を地上から追い出したことを閣下は喜んでおいででした」

「それだけか?」

「……いえ。この推測は、元はパプテマス・シロッコの物です」

 ジャミトフが目を見開いた。

「シロッコだと?」

「はい」

「そうか、あの男が……」

 ジャミトフは意外そうに呟いて、再び背もたれに体を預ける。

「……君の推測は正解だよ」

「閣下。考え直してはいただけないでしょうか」

「考え直すだと? バスクを失脚させておいて何を」

「人の命を軽んじるやり方を、自分は認められません。人類を全て宇宙に上げるとしても、別の方法があるはずです」

 ジャミトフは大きくため息をつき、立ち上がった。不運にも、ジェリドはティターンズの英雄としてメディアでは扱われている。彼の扱い方は、ジャミトフも細心の注意を払わなければならない。

「地球は疲れ切っているのだよ。このニューギニアの海を見たかね。鉄クズとガラクタで溢れかえり、かつての砂浜は消え去った。今連邦議会が置かれているダカールも砂漠に飲み込まれるのだ。人間の愚行がどれほど地球を痛めつけてきたか、君も知っているだろう」

 今度はジェリドが沈黙する番だった。

 ジャミトフは拳を強く握った。

「地球をこれ以上人の手で汚してはならん……地球を自然の中に戻すために、地球上の人類を抹殺する」

「過激なやり方しかないというのですか」

 絞り出したジェリドの言葉にジャミトフはすぐさま顔を上げた。

「これまで地球を汚してきておいて!」

「地上で核を使う必要は……」

「ないのだ、わしには時間が!」

 ジェリドの反論が押し止められた。

「わしがこうして地球連邦軍を支配しても、所詮は老い先短い身だ。十年も持つまい。真っ当なやり方では、十年足らずで地球を復活させることはできん」

 わずかな沈黙が流れる。その後のジャミトフの声は、いくらか小さかった。

「ティターンズを率いると決めた時、わしは親類と縁を切った。後の世にどれほど蔑まれようと、地球にとって必須のことをやらねばならん」

 ジャミトフの言葉の裏の苦悩は、重い。ジェリドはその重みに耐え、絞り出した。

「……でしたら、自分がいます」

 ジェリドの言葉は、ジャミトフの決意を軽んじているようには聞こえなかった。ジャミトフは、驚いて彼を見る。

「地球を残すために、自分が閣下の後を継ぎます。ですから、過激なやり方は」

「無理だ、真っ当なやり方では」

 ジャミトフはジェリドに背を向けた。何も知らない若造の言葉になど、惑わされるつもりはない。

「どれほど時間を掛けても、やってみせます」

「宇宙世紀以前から地球環境を守ろうとする者はいた。貴様一人の寿命ではできんことだ」

「その時は、後の世の者がきっとやってくれます」

「もういい!」

 ジャミトフはこの場で初めて、声を荒げた。振り返った彼は、忌まわしそうに眉を顰めている。

「君の話は絵空事だ。……バスクはわしの計画に必要な駒だった。スペースノイドを弾圧し戦争を継続させることは、奴にしかできん」

 たとえ命じられたとしても、これはジェリドにはできないことだろう。バスクの傲慢かつ残虐な性格によってのみ可能なことだ。

「計画を変更せねばならんな。……ジェリド大尉、シロッコは私の思想を理解した上で、ティターンズに着いているということだな?」

「その通りです。ですが、彼は信用できません。シロッコは人質を使って、民間人のカミーユ・ビダンという少年を戦わせているのです」

 ジャミトフは呆れ返ったように椅子に腰を下ろした。

「人質の証拠は?」

「……今はありません」

 苦虫を噛み潰したような顔のジェリドを前に、ジャミトフはため息をついた。

「君が命令を破りバスクを失脚させたおかげで、私の計画は狂った。軍法会議にかけられてもおかしくないのだぞ」

 ジャミトフの声は、冷たかった。その声に込められた感情は、失望と落胆。

「……とはいえ、英雄となった君を軽々に処分するわけにもいかん。二度と私に逆らうな」

「寛大な処分、感謝いたします」

 ジェリドは敬礼して応える。バスクは排除できたものの、彼が危険視するシロッコはますます力を伸ばしてしまった。自分を責めるように、彼は足早にドアへ向かった。

「待ちたまえ」

「はっ」

「君は私の思想を知って、どうする気かね」

「……閣下の命に従います。今のところは」

「正直すぎる男だな」

 ジャミトフは呆れを通り越して笑ってしまった。

「いいだろう。お前のために用意させていた機体がある。オーガスタ研へ行け。話は通しておく」

「は……?」

「少しは嘘をつくことを学べ。以上だ」

 そう言うと、ジャミトフは追い払うように手を振った。

「はっ、失礼します!」

「わしの理想を理解できる人間がいるとはな……」

 ジャミトフは閉じたドアを見つめ、そう独りごちる。ジェリドの報告が正しければ、その男はジャミトフの思想を見抜き、共感しているはずだ。

 彼は受話器を取った。

「ああ、私だ。この数日のうちに宇宙へ上がる。そうだ」

 計画を変更する必要がある。思想はどうあれティターンズが他の全ての勢力を排除すれば、地球から人間を駆除することも簡単だ。

「シロッコに会う。その場を設けておけ」

 受話器を置き、ほっとしたように彼は息を吐く。まだ全てが終わったわけではない。しかし、孤独から解放される希望は眩しかった。

 

 

 

 蛇口から出る冷たい水に、男は頭を突っ込んだ。熱と汗と砂埃を、ざぶざぶと流れる水が洗い落とす。時折水を手で掬い、ぶつけるように顔を洗った。

 ふう、と息を吐き、蛇口の栓を閉める。顔から滴る水が、彼のTシャツの首元を濡らしていた。

 背後からタオルが投げつけられる。ジェリドは振り返ると、顔をしかめた。

「エマかよ」

「明日あなたと同じ班なのよ。風邪でもひかれたら困るわ」

「余計なお世話だよ」

 そっぽを向いたジェリドに、エマは眉を吊り上げる。

「また走らされて、いい加減学習なさい。教官の言うことは聞くものよ」

「優等生ぶって……。あんな教官、実戦なら俺が落としてやるさ」

「バカなことを言わないの。軍人として恥ずかしいわ」

 エマの口ぶりに、ジェリドは少し腹を立てた。からかうように、彼は笑う。

「軍人なんてのは上に従ってりゃそれでいいんだろ。お前が死んだって仇は取ってやらんぜ」

「仇を取るとかって……。そういうことじゃないの」

「じゃあ何だ」

「あなたがするべきことは、もっと他にあるんじゃなくて?」

 日没が近づいて、エマの姿は夕暮れの赤々とした光に照らされていた。

「出ますよ、ジェリド大尉」

 技術士官の声が、ジェリドを記憶の中から引き戻す。ジェリドは遠くに浮かぶ、「新型」に目をやった。

 宙を浮く巨大な箱の周りを、バラバラと舞う小さな欠片。箱の無数の砲口から、一斉に光が放たれた。放たれた光が小さな欠片の板に命中して跳ね返る。光の筋は一瞬で、空間を埋め尽くした。

 ゆっくりと、その「箱」が開いていく。畳まれた手足が伸び、そこに現れる、大地を踏み壊すような、天を衝く巨人。

「まさにだな」

「やあ、せっかくですし、ニュータイプの大尉の意見が聞きたいですね」

 隣の技官がにこやかに話しかけてくる。

「どうです? サイコガンダムMk-Ⅱの性能は」

「大したものだ。パイロットの負荷は?」

「ええ、従来よりは軽くなってます。ムラサメ研の方針だそうで」

「そうか……」

 そう言って、ジェリドは歩き出した。サイコガンダムMkーⅡのパイロットに、彼はどうしても会わなければならない気がしていた。

 デモンストレーションを兼ねた試験を終え、格納庫に巨大な体を鎮座させるサイコガンダムMkーⅡ。その頭部コクピットから、一人の少女が顔を出した。おぼつかない足取りだ。眼鏡の女が、彼女に肩を貸している。

「従来よりもサイコミュの負荷は軽くなっていると聞いたが?」

「重力下でのレフ・ビットの操作は別です。……あなたは」

 振り返った眼鏡の女は、目を丸くしてその男の顔を見る。ジェリドだ。

「久しぶりだろう、ナミカー・コーネル」

「……ええ」

 コーネルは目を伏せる。同時に、パイロットの少女が顔を上げた。彼女はフォウ・ムラサメ。ニュータイプ研究所に記憶を奪われた少女だ。

「ジェリド……」

「フォウがなぜまだ戦っている! あんたはまた、フォウを戦わせるつもりか?」

 ジェリドの語調は厳しかった。整備士たちも、彼らのただならぬ雰囲気に言葉を失っている。コーネルが言い返した。

「所長は優しい方ではないわ。サイコガンダムMkーⅡの実戦でのテストが終わるまでは記憶を戻させるつもりはないと」

「記憶ならあんたから教えてやればいいだろう」

 詰問が続く。コーネルは以前、フォウの記憶を戻すと約束したはずだ。

「私が知っているのは、彼女が研究所に来てからのことだけです。それ以前のことは彼女しか知らないし、彼女も忘れている」

「忘れている?」

「一年戦争の前後から、彼女には記憶がないわ。孤児として養護施設に入れられて、脱走して……それからは不良少女だったと、記録には」

「その時の名は?」

「キョウ、と呼ばれていたそうです」

 コーネルの受け答えには、嘘があるようには見えなかった。しかし、彼女の行動に、問題がないとは言えない。ジェリドは鼻を鳴らした。

「それで、フォウを戦わせようってか?」

 ジェリドがそう言うと、コーネルの肩を借りているフォウが顔を上げる。

「待って、ジェリド中尉!」

「今はもう大尉だ」

「ナミカーをいじめないで。彼女のせいじゃない」

「フォウ、あなたは早く戻って休みなさい!」

 まなじりを吊り上げるコーネルにも、フォウは怯まなかった。

「本当だからよ! 私の記憶は二度無くなっているの。一年戦争の時と、ムラサメ研究所での実験中の事故。だから、記憶を取り戻すには、もっと継続的な治療が……」

「貴様は黙っていろ。俺は今この女と話している」

「お前っ!」

 疲れ切っていたはずのフォウが、ジェリドに向かって飛びかかろうとした。コーネルに押さえられたが、彼女の目は強くジェリドを非難している。

「コーネル。一度はフォウの記憶を戻すと言っておいてこの様か」

「申し訳ないとは思います。ですが、この他に道はありません」

「ここにいたか、ジェリド大尉!」

 男の大声が割り込んだ。中年の男が、薄い笑みを浮かべている。

「遅れてすまないな、少し用事が立て込んでいて……」

 フランクリン・ビダンだ。彼からは、少しだけ女物の香水の匂いがした。ジェリドはそれに気づかないふりをした。

「いや、気にしちゃいませんよ。それより……」

「そうだったな、さあ来てくれ!」

 資料を渡すや否や、フランクリンは手を引いて歩き出した。別れも言えず、フォウたちと引き離される。ジェリドは後ろ髪を引かれる思いだったが、フランクリンは上機嫌だった。

「やったそうじゃないか、バスク・オムの不正を暴いたとか!」

「ええ、まあ……」

 ジェリドにとっては所属する組織の看板に泥を塗ったような形でもある。その上、ジャミトフにはシロッコの危険性を聞き入れてもらえなかったのだから、複雑な気持ちだ。

「君のおかげであのMk-Ⅱが傑作機扱いだ。ムーバブルフレームのためのあれが」

「はあ」

「ジャブローの兵士達を救い、赤い彗星もカラバも倒し、上層部の悪行を正すガンダムパイロット! ははは、少し出来過ぎなくらいだ」

 気のないジェリドの返事に構わず、彼は喋り続けた。おだてているようにも見える彼の言葉が止まった時、彼らの視線の先には一機のモビルスーツが立っていた。

 忙しなく稼働する重機の騒音の中で、フランクリンはにんまりと笑った。

「君のための新型だよ」

「……これは……ガンダムか……!?」

 一般的なモビルスーツよりも二回りほど大きい、二十メートル級の高さを見て、ジェリドはそう呟いていた。ガンダムタイプの特徴であるV字アンテナとツインアイこそあるが、頭部パーツだけではどうにもガンダムらしさがない。カラーリングはMk-Ⅱと同じ、黒と濃紺を基調にしたものだ。

 バックパックに取り付けられた二本のビームサーベルは、その大きな機体に対してもなお大きい。特徴的な尖ったつま先。大きなシールドは流線型で、見たところその後部にもスラスターがついているようだ。

「一般機の三倍近い出力! このサイズを自在に動かす機動性、運動性!」

 フランクリンの演説が始まった。

「開発者の間で流行っている概念だがな、モビルスーツを世代分けしているんだ。ザクをはじめとする従来の第一世代モビルスーツ、ムーバブルフレームとガンダリウムγを用いた第二世代モビルスーツ、第二世代の条件に加えモビルアーマーへの変形機構を備えた第三世代モビルスーツ!」

 フランクリンは喉の奥で笑った。Mk-Ⅱと違い、このモビルスーツは思い通りに設計できたようだ。

「こいつはそれを超えるぞ。高出力、高火力、高性能な大型機。この先のトレンドになる第四世代モビルスーツ! ガンダム、ガンダムMk-Ⅱ、サイコガンダム、サイコガンダムMk-Ⅱ……。こいつは試作ガンダムのナンバリングでは五番目にあたる。開発コードは……」

 興奮した様子のフランクリンをよそに、ジェリドは渡された資料をめくった。彼の目に飛び込んでくる、シンプルだが力強い名前。

 渡された資料から顔を上げ、ジェリドは笑みをこぼした。

「ガンダム……Mk-Vか」

「いい名前だろう? サーベル兼用のビームキャノンや専用のビームライフルに加えて、オールレンジ攻撃を可能にする新兵装インコムも搭載している。私のこの機体がモビルスーツの歴史を変えるぞ」

 ページをめくると、インコムについての記述があった。オールレンジ攻撃を一般の兵士でも使えるように開発された新兵器。コンピュータ制御によって誘導される有線ビーム砲で、敵の死角から攻撃する。

「こいつの高出力を活かした兵装も考えている。奥のアレを見てみろ」

 彼が示した先にはモビルスーツ用の大きな火器があった。二十メートルほどはあるだろうか。

 ジェリドはその砲身に見覚えがあった。

「大尉も知ってるだろうが、ハイザックなんかが使うメガ・ランチャーだ。こいつのサイズに合わせたグリップを作ったから使いやすいだろ。二、三発は撃てる計算になってるはずだ」

「ほう……」

 両手にグリップを持ち頭の上に構える一般の仕様とは違い、バズーカのような肩掛け式になっている。従来のメガ・ランチャーからグリップパーツを換装するだけで、Mk-V仕様に変更できるようだ。

「戦艦も一撃で沈められるぞ。肩に担いで撃つ時はビームサーベルは脇に回しておけ」

「意外だな。あんたにしちゃあ親切すぎる」

 ジェリドにとって、フランクリンは典型的な民間徴用の技術士官だった。Mk-Ⅱの開発の際も、彼は自分の機体の完成度を追求し、実戦での利便性はあまり重視していなかった。

 そのフランクリンがここまで実戦での運用を考えたモビルスーツを作ったことが、ジェリドには意外だった。

「技術屋には技術屋の情報網があるのさ」

「え?」

「うちの息子は出来が悪いだろう」

 驚いたジェリドがフランクリンに目をやると、彼はMk-Vを見上げていた。大型機械の唸りが、工場中に響いている。

「あれがティターンズに入るとは、何かあったんだろう。とはいえ、君が上官で安心した」

 フランクリンの視線は、Mk-Vへ注がれている。

「どこまでも不出来な息子だ。他人への迷惑など考えもしない」

「見くびりすぎでしょう、自分の息子もモビルスーツも」

「どうかな」

「Mk-Ⅱはいいマシンです。カミーユだって、あんたが思っているよりずっといい少年です」

 ジェリドの言葉に熱が入ると、フランクリンが再び彼を見据える。

「もういいよ、ジェリド大尉。私はカミーユに嫌われている。だから、話し合うつもりはない」

「しかし、死んでほしくはない」

「……息子だからな」

「なら、もう一度会って話をしてみるんですね。カミーユだって、あんたが思ってるよりも大人になってるはずです」

 耳障りだった機械の駆動音が、フランクリンには小さく聞こえた。

「もう一度、カミーユと会う?」

「そのためにも、自分は宇宙へ上がるんです」

 ジャミトフは、シロッコに実権を委ねるだろう。それでもジェリドは、カミーユを見捨てる訳にはいかなかった。

 

 

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