ジェリド率いるルナ・ティターンズの蜂起は衝撃的なものだったが、直接的な戦闘はまだ起こっていなかった。シロッコの艦隊は、ネオ・ジオン艦隊、小惑星アクシズと共にゼダンの門へとすでに移動した後だったからだ。
ゼダンの門が存在するルナツー宙域は、地球から見て月の反対側に位置している。月のフォン・ブラウンを拠点とするルナ・ティターンズからは、手出ししづらい場所だ。
こうして、二つのティターンズは地球を挟んで睨み合いの様相を呈していた。
「うーむ……」
ジェリド派の幹部との話し合いを終えてブリーフィングルームを出たジェリドは、ファイルを手に頭を掻いた。
「やはり難しいの?」
彼の背中に、マウアーが声をかけた。両手に持ったドリンクを片方、彼に手渡す。
「ああ、ありがとう。ジャミトフの支持基盤をまるまるってわけじゃないが支援者も多い。軍内部にも声はかけてはいるが……」
ファイルをじっと見つめぼそぼそと喋るジェリドは、ドリンクにも口をつけずに通路を進む。
「ああ、その話し合いだったの」
「ん?」
「例の、アクシズのことだと思って……」
マウアーは賢い女ではあったが、政治に関しては門外漢だ。一瞬だけ上がったジェリドの視線が、また文字列の上をなぞる。
「そっちだってシミュレーションは何度もしてるが、アクシズがゼダンの門のそばにあるから手は出せん。こっちのコロニーレーザーを使ってもな。アクシズを向こうが動かしてくれれば勝負にもなるだろうが……」
ジェリドの目の下の隈が日に日に濃くなっているようにマウアーには見えた。
「……ジェリド。あまり無理をしないで」
「無理だって?」
ジェリドが顔を上げ、振り向く。マウアーが、切れ長の目でじっと見つめていた。真剣というよりは、悲しげな顔だ。
「一人ではできないことをしようとしているでしょう?」
「しかし、俺がやらなきゃ」
「それだから、ジャミトフは失敗した」
反論を、マウアーは的確に突っぱねた。
「……そうだったな」
ジェリドは苦笑いする。ファイルを閉じ、マウアーの肩を抱き寄せた。
「ジェリド……」
「俺にも休憩が要るんだよ」
角を曲がると、そこはジェリドの私室の前だった。ドアを開け、部屋に入る。
「すまんな、マウアー、お前の言う通りかもしれん」
「無茶だけはしないで、ジェリド。あなたの隣にはいつも私がいるんだから」
ドリンクを置き、ジェリドがマウアーの頬にそっと手を伸ばす。彼女はジェリドの胸板に手を置いた。どちらからともなく、二人の顔が近づいていく。そして。
壁のモニターが、呼び出し音を立てた。ジェリドは眉を寄せ、モニターのスイッチに触れる。マウアーは、カメラに映らない位置へ隠れていた。
「なんだ」
モニターに映ったのはカクリコンだった。
「ジェリド! とにかくブリッジに来い! 連邦議会の放送があってな……」
「それがどうした。放送はいつもやってるだろう。妨害電波のため、議会中継を中断いたしますって」
「とにかく来い……いや、映像をそっちに回す。おい、これ、どうするんだ?」
カクリコンが振り返って、肩越しにブリッジクルーに声をかける。この部屋のモニターに、問題の映像を映したいらしい。
「何かしらね」
「さあ……」
マウアーとジェリドは、小声で言葉を交わした。
「ああ、こうか。よし、驚くなよ、ジェリド」
モニターの映像が切り替わる。連邦議会の映像だ。中央の演台と、その後ろに座る議長たちの席が見える。それを中心にした半円状に、議員たちの席があるはずだ。
マウアーがジェリドに肩を寄せ、小さなモニターを二人で食い入るように見つめた。
カメラが、やや乱暴に演台の男にズームする。スーツを着た金髪の男。ジェリドは目を見開いた。
「シャア……!」
「えっ……シャア・アズナブル!?」
思わずマウアーが尋ねる。ジェリドは一度だけ、シャアを見たことがあった。しかし、彼は死んだはずだ。
「議会の方々と、このテレビを見ている国民の方々には、突然の無礼を許していただきたい。私は、元ジオン公国軍大佐、シャア・アズナブル、本名はキャスバル・レム・ダイクン。ジオン・ズム・ダイクンの息子です。カラバ、エゥーゴの支援を受け、こうして議会を利用しお話しする機会を得た」
「やはりシャア……エゥーゴってことは、あの金色だ。顔だって」
なぜ彼が生きているのか、という疑問はもうない。それよりも、生きていた彼の次の行動が重要だ。
「ジオン・ダイクンは、地球から放逐された宇宙移民達と共に、ニュータイプという言葉を作った。しかし、ザビ家はその思想をねじ曲げ、名前まで借用しジオン公国を作り上げてしまった」
画面の中のシャアは語る。シャア・アズナブルがザビ家への復讐を胸に行動していたという噂は本当のようだ。
「そのザビ家が率いるジオン公国が何を為したか、語る必要はもはやない。だが今、その一年戦争の惨禍を、コロニーをアクシズに変えて繰り返そうというものがいる。ネオ・ジオンのハマーン・カーンだ!」
シャアは、ハマーンを敵視している。ジェリドとマウアーの目に、より真剣さが宿る。演説は、肝心のシャアの目的の部分に入るところだ。
「地球とザビ家に歪んだ復讐心を抱いた彼女は、まだ幼いミネバ・ザビを傀儡として操り、地球を人の住めない星にしようと決めた。ジオンの名を借りたザビ家が、今はかつてのジオン・ダイクンのように名を借り出され利用されている。それは皮肉であっても正義ではない」
握り拳を振り上げ、シャアは激しく言葉を連ねる。
「今、誰もがこの美しい地球を守りたいと考えている。それは地球の引力に魂を引かれたもの達も同じである。ジェリド・メサ大尉はバスク・オムを裁き、パプテマス・シロッコに反旗を翻してルナ・ティターンズを名乗った。虐殺を繰り返したティターンズですら自浄作用が有った。ならばジオンの意思を継ぐ者達が、なぜハマーンを止められない!」
「ですって、ジェリド」
「ふん、シャアめ……」
そう言いながら、ジェリドは笑っていた。命のやり取りをし、ライラやブランを殺した男であったからこそ、仲間となれば頼もしい。
シャアがわずかな間ののち、話し始めた。今度はやや、穏やかな口調だった。
「わずか八歳のミネバ・ザビを利用して、地球に核の冬をもたらそうとするハマーンこそが悪である。かつてのジオン・ダイクンの思想を知るものならば、ネオ・ジオンのアクシズ落としなど許してはならない」
そこで映像は止まった。ネオ・ジオンの将兵たちへ、ハマーンからの離反を促す演説だった。
「マウアー」
「ええ」
ジェリドが一声かけると、マウアーはまた、カメラの死角へ身を隠す。
「どうだ、ジェリド」
「見たよ、シャア・アズナブルか」
「お前にとっちゃ因縁深い相手だな」
「憎しみだの一時の感情だのに囚われちゃ、でかいことはできんさ」
前までのジェリドならば、怒りに身を任せていたかもしれない。しかし、今の彼には余裕と冷静さがあった。
「しかし、これでおそらくネオ・ジオンからの離反者も出るだろう。それに乗じて、シロッコのティターンズからも」
カクリコンが聞き返す。
「こっちのルナ・ティターンズに?」
「そうだ。アクシズ落としが本気だってのは、連中の方がよくわかってる。ネオ・ジオンの奴らの逃げる先がエゥーゴのある月なら、ティターンズだってこっちに逃げ込むだろう」
「なるほどな……一緒に逃げてくるってわけか」
ジェリドは襟を直し、モニターのスイッチに手を伸ばす。
「迎えの艦隊を出せるようにしておきたい。足が速い艦をまとめてくれ。すぐブリッジに向かう」
「わかった。しかし、急がんでいいぞ」
「ああ? そりゃ、そうすぐに向こうも脱走者が出るわけじゃないだろうが……」
カクリコンはいたずらっぽく笑った。
「マウアー少尉がいるんだろ?」
「なっ!」
「演説の映像が流れてる間も、そっちのカメラはこっちと繋がってたんだよ」
二人は絶句した。肩を寄せ合ってモニターを見ていた姿が、カクリコンに見られていた。
「ほどほどに頼むぜ、総帥閣下」
モニターが暗転した。少し顔を赤くしたマウアーが、小さく言う。
「早く行った方がいいわね」
「そりゃそうだろうが……いや、その通りだ」
立ち上がり、部屋を出ようとしていたジェリドが、足を止めて振り返った。マウアーの言わんとしていることが、理解できたのだ。
「カミーユが、来てるかもしれないものね」
シロッコの部下となっているカミーユが、今どうしているか。その不安は、まだ消えていなかった。
「アムロ大尉!!」
慌ただしくロベルトが廊下を走っている。アムロは彼が部屋に着くより早く、ドアを開けた。
「アムロ大尉、聞きましたか!」
部屋に飛び込んできたロベルトに、アムロは落ち着いて答えた。
「ああ、シャアだろう?」
「そうです。大佐が生きていれば、スペースノイドの未来も明るいというもんです」
「うん」
拳を握り、感無量という風体のロベルトだったが、アムロの反応は薄いものだった。
「大尉は、嬉しくないんですか?」
「あいつは生きているような気がしていたんだ」
「ニュータイプの勘ですか」
感心したように言うロベルトだったが、アムロは椅子に腰掛け、顎に手をやる。
「そうかもしれない。しかし、大切なのはここからだ」
「アクシズ落としですからね」
アムロは首を振った。
「いや。シャアが表舞台に出たというなら、奴の目的次第では何が起きてもおかしくない」
「大佐は危険だと?」
「ロベルト中尉にはすまないがな」
アムロのその様子に、ロベルトも落ち着きを取り戻した。声の調子も、幾分か低くなる。
「大佐の考えは突拍子もないこともありますが……。気にしすぎですよ、アムロ大尉」
「だといいんだがな」
杞憂であることを願いつつ、アムロはシャアに思いを馳せた。
熱砂がタイヤに跳ね飛ばされる。うんざりするほどの太陽の光が、車のボンネットを輝かせていた。
ダカールでの演説を終えて、シャアは一台のジープに乗っていた。同乗者は五人。武装した兵士が四人と、シャアの隣に座るカイだった。
トーブと呼ばれるアラブ伝統のフードを被ったシャアは、小さく呟く。
「よくうまく行ったものだ……」
「カラバは組織だった抵抗ができなくなっていたから、この計画には却って乗り気だったよ。砂漠のジオン残党にも声をかけてみて正解だった」
ダカールの制圧は、モビルスーツこそ用いたものの、大規模な戦闘があったわけではなかった。アクシズ落としの情報を聞いて混乱しているダカール市を叩くという計画は成功した。シャアの演説は宇宙中に届けられたのだ。
「シャア、あんたの演説も見事だった。反応も上々だろう」
「こんなことまでして、民衆が答えなければ困るさ」
車が大きく揺れた。小高い砂丘を越えたのだ。追手は見えないが逃走中のこのジープも、スピードを緩める気配はない。
「あんた、政治家になるのかい?」
「アルテイシアに……セイラに叱られたよ。私が卑怯者だとな。だから、地球圏が落ち着くまでは、君らの支援を受けて政治家をやらせてもらう」
「落ち着いたら、ねえ。その後は?」
「……エドワウ・マスとでも名乗るさ」
嘯くような口ぶりだったが、カイはそう聞いてシャアの顔を覗き込む。彼は笑った。
「それがいい。セイラさんも、きっと喜ぶ」
ジープは砂を蹴散らして進む。オアシスが、行手に見えた。
玉座の隅で丸まる少女は、悲鳴をあげて悶えていた。天井も高くこの部屋には、まるで響くことすらなかった。
「うわあああ! 怖い……怖いよぉ〜!」
取り乱すその少女の周りを囲む侍女たちも、あたふたするばかりだ。ここまでこの少女が我を失うことは滅多にないことだった。
「ミネバ様は!?」
入り口から入ってきた女が、鋭い声で聞く。
「はい、こちらです。先ほどから、泣き喚いてばかりで……」
ハマーンは侍女に答えることなく、足音を鳴らして玉座に近づく。ミネバがハマーンに気づき、椅子の隅から顔を上げた。
「怖いよ、ハマーン……みんなが……アクシズのみんなが、私とハマーンを殺そうとしているんだ……」
ハマーンは、涙で顔をぐしゃぐしゃにしたミネバの肩を掴んで強引に体を起こすと、その頬を平手打ちした。
「ネオ・ジオンを束ねるお方が、見苦しい!」
「そんな、ハマーン様!」
「我々を導かねばならん者がこうも取り乱しては、落ち着いていられるものか!」
侍女の制止も聞かず、ハマーンはさらにミネバの頬を叩く。ミネバの泣き声は大きくなるばかりだ。
肩で息をするハマーンを、女官たちが取り押さえる。彼女の細い体は大した抵抗もできず、ミネバから引き剥がされた。
侍女の一人がミネバを慰めている。取り押さえる侍女たちの視線が、ハマーンに集まった。非難と困惑の目だ。
「ハマーン様……」
「すまない、私も冷静ではなかったようだ」
先ほどまでの荒れようからはとても想像がつかないほど、落ち着いた声だ。取り押さえる侍女たちの手を、ゆっくりと振り払う。
少し年嵩の侍女が、ハマーンの正面に立った。
「無理もありません、あんな放送があっては……」
「貴様と同じにするな。シャアごときつまらん男に、心を乱されるわけがあるか」
ぴしゃりとハマーンが言い返す。侍女は謝罪した。
「申し訳ありません」
ハマーンがちらりとミネバを見やった。
「シャアのことは?」
「ミネバ様には伝えておりません」
ふん、と小さくうなって、彼女は顎に手を当てる。
「やはりミネバ様はニュータイプだ。シャアの演説は知らせていないというのに……。子供だからこそ、悪意に敏感というわけか」
「まだ幼いというのに、こんな思いをさせて……」
侍女が心配そうにミネバの方へ振り返る。泣き疲れたのか、ミネバの声は啜り泣きに変わっていた。
「ミネバ様が悪意を感じたなら、ネオ・ジオンからの離反者も出るだろう。アクシズなど、もともといつ瓦解してもおかしくなかったとはいえ……」
「ハマーン様……?」
独り言を呟くハマーンの顔を、年嵩の侍女が覗き込んだ。
「よい。お前たちは下がれ」
不安定なハマーンの様子に侍女たちは心配そうな様子だったが、その命令に従う。
玉座の肘掛けに顔を押し付けるようにしてミネバは啜り泣いてる。その肩に、ハマーンは優しく触れた。
「ミネバ様、先ほどは失礼いたしました」
「ハマーン……ハマーン!」
ミネバはハマーンに抱きついた。まだ十歳にも満たない子供だ。彼女の背中を撫でながら、ハマーンは優しい声音で慰めた。
「ご安心ください。わたくしたちがついております」
「うう……うわあああ……!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら、ミネバはハマーンを強く抱きしめる。しばらくそうしているうち、ミネバは落ち着いたようだった。
「ハマーン、行くのか?」
「ええ。私にはやらねばならないことがあります」
心配そうなミネバを後に、ハマーンは振り向くことなく部屋の出口へ向かう。
「ハマーン様、どちらへ?」
「シロッコを呼ぶ。……ネオ・ジオンが割れる前に、アクシズ落としをしなければならん」
キーボードのタイプ音が響く。紙のファイルをめくり、シロッコはもう一度画面に向かう。紙の資料が未だ使われているのは、ミノフスキー粒子による電波障害への対策だ。
ゼダンの門の執務室に彼はいた。ルナ・ティターンズの蜂起以来、シロッコは忙しく働いていた。
呼び出し音がした。シロッコは椅子から立ち上がることなく、机のスイッチに手を伸ばした。
「パプテマスさん!」
「ん? ファ君か。どうした」
「あの、薬を……」
スライドドアが開いた。笑顔のファがシロッコを見つめている。
「薬なら棚の二段目だ。持って行きたまえ」
シロッコの視線は画面に向いたままだった。彼が示した先には、錠剤入りの小瓶があった。
ファはそれを手に取りつつ、探るように声をかけた。
「……大変ですね。ルナ・ティターンズなんかができて、シャア・アズナブルまで演説をして」
答えはない。シロッコは、傍らのコーヒーに口をつけ、また作業に戻る。
「あの、パプテマスさん。私、パプテマスさんのために頑張りますから」
やや声を張り上げたファに、ようやくシロッコの視線が向く。
「ありがとう。……しかし、都合がいいな。ファ君がいてくれるなら」
「え……嬉しいです、そう言っていただけて」
「もうしばらくここにいられるか?」
「はい! お飲み物とか……」
「いい。そろそろ来るはずだ」
シロッコがそう言った直後、また呼び出し音が鳴った。
「カミーユ・ビダン。入ります」
ファの表情が固くなった。入ってきたカミーユに、シロッコは微笑みを向ける。
「待っていたよ、カミーユ」
「何の話です?」
「ルナ・ティターンズの話だ。お前は、ジェリドのことを信頼していたようだからな」
自嘲気味にカミーユは笑った。肩をすくめるようにして言い返す。
「それがなんです。あの人は俺が敵になるってわかって、ルナ・ティターンズなんてものを立てたんですよ?」
「いつから襟を開けるようになった? 私はそんな制服の着方を教えた覚えはない」
シロッコの視線の先は、カミーユの制服の襟だった。上のホックを開け、中のマフラーが見える状態だ。それはまさに、ジェリドと同じ着こなしだった。
「……俺の勝手でしょ」
「違うな。軍にはルールがある」
「それじゃあ俺を呼んだのは、独房に入れるためですか」
「釘を刺しておきたかった。お前には、私を裏切ってほしくはない」
「裏切れない理由があるってわかってんでしょ」
まっすぐにカミーユに言葉をぶつけるシロッコだったが、カミーユは横目にファを見て答える。不服に思っていることを隠しもしていない。
「それはそうだ。しかし……」
「カミーユ! いい加減にしなさい!」
二人の会話に、ファが割り込んだ。眉を吊り上げて、カミーユを叱りつける。
「ファ……!」
「私は、ううん、パプテマスさんも、あなたのことを思って言ってるのよ。あなたは本当に信頼できる大人と一緒にいるべきだって」
「それがシロッコだって言うのかよ」
ファの言葉に、カミーユは頑として言い返す。
「カミーユ。私はあなたのことが好きなの。幸せになってほしいのよ」
「だから俺にもお前にも戦争をさせるのか!」
「それは……」
ファは口篭った。カミーユが声を荒げた理由もわかる。彼女もグラナダ攻略戦で、戦争の恐怖を知ってしまったからだ。
それを見かねたのか、シロッコが席を立った。
「人類を正しい方向に持っていくためだ。それに戦いの中にあってこそ、ニュータイプの力は目覚める」
シロッコの説得にもカミーユは耳を貸すつもりはない。
「アクシズなんかを地球に落とす人に、人を導くなんてできませんよ」
すでにアクシズ落としの話はティターンズ内部にも広まっていた。
「ジオンもティターンズも、地球を巡って争いを起こしていた。なら地球が消えれば戦争は無くなるだろう」
「わかりませんよ、そんなこと!」
怒りに任せて、カミーユは机を叩いた。机の上の書類がわずかに揺れる。シロッコを睨みつけた彼は、ふと、心配そうに見つめるファの視線に気づく。
シロッコは柔和に笑った。
「わかったよ、カミーユ。少し時間をあげよう。二人で話してきたらどうだ」
「そうします。カミーユ?」
「わかってるよ」
ファはカミーユを連れて部屋のドアへ向かう。
「失礼します」
「ああ」
振り返った彼女の言葉に、シロッコはそう返した。
カミーユとファは、連れ立って歩く。無言のまま先に進むカミーユに、ファは何も言えないでいた。
「どこへ行くの?」
「落ち着いて話せるところさ」
カミーユの足は艦船のドックへ向いていた。ドックのそばに、人気のない物置部屋のような空間があったことを思い出したのだ。
喧騒のないその小部屋に到着すると、カミーユは壁にもたれかかった。天井を見上げる彼に、ファは言葉を選びつつ話しかける。
「落ち着いて話すの、久しぶりね」
その言葉に、カミーユは床に目を落とす。金属質な床は、照明をただ反射していた。
「……うん。グリーン・ノアから今まで、ずっと離れ離れだったものな」
「この前の……グラナダの時はごめんなさい。私、初めての実戦だったから」
「仕方ないよ。戦争なんて、したくないだろ」
カミーユはついに、ファと目を合わせた。彼女は、屈託なく笑う。
「そうね。でも、こうして話せて嬉しい」
ファの以前とは変わらない笑顔が、彼女の少し痩せた頬をかえって際立たせていた、
「……ファ、俺のこと好きか」
「なによ、突然」
「いいから!」
カミーユは抑えが効かなくなった。体を起こし、ファに詰め寄る。
「好きよ。とっても大切に思ってる」
「なあ、ファ。俺と一緒に逃げよう。ジェリド大尉のルナ・ティターンズへ行くんだ」
捲し立てるようなカミーユの言葉に、ファは素っ頓狂な声を上げた。
「なんですって!?」
「そりゃ驚くよな、でも、俺はアクシズを地球に落としたりなんて、絶対にしたくないんだ!」
「あなたね、パプテマスさんに失礼よ!」
ファが怒鳴りつける。カミーユは小部屋の入り口を塞ぐように立った。
「シャア・アズナブルの放送の話、聞いただろ。今ならきっと、みんなと一緒に逃げ出せるんだ」
「それで私を連れて行くって、馬鹿げてるわ。行きたいなら一人で行けばいいじゃない」
「お前と敵同士になんてなりたくないんだ」
悲痛な声だったが、ファには通じていないようだった。
「勝手よ。ジェリド大尉には見捨てられたからって、私を頼って。パプテマスさんが目をかけてくださってるのに」
「俺は、ファを人質に取られて、それで戦わされていたんだぞ!」
かっとなって、カミーユはつい言い返した。
「そんなことだからご両親にも嫌われて、私をずっと便利に使うのね!」
「親は関係ないだろ!」
眉間に皺を寄せ、カミーユはファを見つめる。睨むというよりはすがるような、そんな目つきだ。
「ようやくわかったわ。あなたがどういう人間か」
吐き捨てるようなその言葉に、カミーユはとうとう耐えきれなくなった。ファの腕を、強く掴む。
「ファ! 頼むよ、俺と……俺と逃げてくれ」
「痛いじゃない!」
鋭い声に怯んだ隙に、ファはカミーユの手を振り払う。小部屋を飛び出したファは、ちょうど近くにいたティターンズの将校に呼びかけた。
「聞いてください! この、カミーユって子! 裏切り者なんですよ」
「なんだと?」
将校は驚いたように振り返る。
「パプテマスさんを裏切って、ルナ・ティターンズに行くつもりなんです」
「ほう、ルナ・ティターンズに……」
顎をさすりながら、将校はカミーユを上から下まで眺める。面食らいながらも、カミーユは気丈にも将校を睨む。
「確か貴様ら、シロッコのところにいたな」
「はい」
自信満々にファが頷く。
「おい! お前たち!」
将校が、通路の先の部下らしき兵士たちに声をかける。近寄ってきた兵士たちに、命令を下した。
「この小娘を拘束しろ」
「……はっ!」
兵士たちも一瞬の困惑があったが、命令通りにファの両腕を掴む。突然のことに、カミーユも状況を飲み込めない。しかし、一番驚いていたのはファだった。
「えっ!? な、何を……!?」
両手を後ろに組み、将校はファを見下ろした。
「貴様のような不勉強な子供は知らんだろうがな、私はジャマイカン・ダニンガンだぞ。本当なら、シロッコよりも先に私がティターンズの艦隊司令になっていたはずなのだ」
ジャマイカン。カミーユはその名を聞いて思い出す。
「ジャマイカンって、確かアレキサンドリアの……!コロニー落としや毒ガスの!」
「シロッコのおかげで処分を受けていたがな、先日復帰したというわけだ。さて、カミーユとかいったな、小僧」
ジャマイカンの視線がカミーユを捉えた。カミーユは身構える。軍人三人が相手では分が悪い。
「お前も来い。シロッコの弱みになるかもしれんしな」
カミーユが答えるより早く、ファが喚いた。
「何を! あなたたち、裏切るつもりなのね!?」
ジャマイカンは暴れるファの腹を殴りつける。二発、三発と続けるジャマイカンに、カミーユが叫んだ。
「貴様っ! ファを放せ!!」
顎を上げ、ジャマイカンは鼻で笑った。ファはぐったりしている。
「それはできん相談だ。この娘を解放したら計画が漏れる」
「ファに手を出したら、俺はシロッコに着いてやる」
カミーユは噛み付かんばかりの形相だ。
「ああ、わかった。手は出さん。しかし、どういう関係だ、貴様ら」
「……友達だ」
そうカミーユは絞り出した。
「友達、か。ふふん、シロッコの犬どもめ。計画の開始は今から五時間後だ。その時になれば我々脱走組が一挙にこのゼダンの門を離れるから、お前もそのつもりでいろ。ドゴス・ギアのモビルスーツ乗りだったな」
「……だったらなんだって言うんです」
ジャマイカンの傲慢な口ぶりに、カミーユは不愉快さを隠せない。一方のジャマイカンも、そのカミーユの怒りのこもった視線を楽しんでさえいた。
「ならちょうどいい。ドゴス・ギアに何発か喰らわせてやれ」
ジャマイカンがカミーユに背を向け歩き出した。カミーユが呼びかける。
「待てよ、ファはどうするんだ!」
「私の艦で捕らえておく! 貴様が気にすることではない」
立ち尽くすカミーユを置いて、彼らは進んで行った。
「ジャマイカン少佐。よろしいのですか、シロッコの子飼いを信用して」
ファを抱えた顎ひげを生やした兵士が、耳打ち同然にジャマイカンに尋ねた。
「芝居で仲間を告発はせんよ。それに、ネオ・ジオン側との連携もできている。いざとなればこのまま逃げ出すさ」
「はあ……」
「それと、その小娘は始末しておけ」
兵士はその指示の意味がわからず、聞き返す。
「始末、と言いますと」
「殺しておけ。私の出世の邪魔をしたシロッコにはいい置き土産だ」
ドックに並ぶティターンズの艦を見下ろし、ジャマイカンはほくそ笑んだ。
コクピットにケーブルで繋げたキーボードを叩きながら、ローレンが口を開く。
「ネオ・ジオンからの寝返りが出そうですね、大尉」
パイロットシートに座るゲーツは、全天周囲モニターに映る宇宙をぼうっと見つめたままだ。
「大尉?」
「ん……そうか、すまん」
ゲーツは操縦桿の上に手を置いた。しかし、彼の目はまだ宇宙を見つめたままだ。彼らはアレキサンドリアに配備されたサイコガンダムMk-Ⅱのコクピットに居た。
「やはりフォウ・ムラサメが気になりますか」
「当たり前だ、ロザミアの忘れ形見だぞ」
「記憶を戻す方法ならありますよ」
がばりとゲーツが体を起こした。
「本当か」
「ネオ・ジオンへ行くんです」
「ネオ・ジオンに……?」
一瞬、彼はローレンの言うことが飲み込めず、ネオ・ジオンという言葉をおうむ返しに口にした。そしてその意味を理解して、まなじりを吊り上げる。
「ふざけるなよ、アクシズを落とそうとしてる連中だろう! 俺たちの育った地球にそんなこと……!」
「いえ、大尉も元はジオンですよ」
「いい加減にしろよ、ローレン」
「本当のことですよ」
ローレンはノーマルスーツのポケットから、一枚の写真を取り出した。厳しい表情の髭もじゃの男と、一人の少年が何かの施設の前に立っている。少年には、ゲーツの面影があった。
「バカな……合成写真だろ、俺はずっと地球に……」
「なんでこれがコロニーの写真だってわかるんです?」
そう言われて、ゲーツは沈黙した。口を閉じ、見開いた目の中で、瞳が揺れている。
「確かにこれは、フラナガン機関の写真だよ。写ってるのはフラナガン博士とお前だ」
やや怯えた目が、ローレンを睨んだ。しかし、ローレンは構うことなく話を続ける。
「一年戦争の後、ゲーツは私と一緒に手土産としてオーガスタに来たんだよ。その時にアースノイドの記憶を刷り込んだ」
「ちがう、俺はロザミアに」
「お前とロザミアは会ったこともない。カリキュラムが違ったんだ」
ゲーツがとうとう激昂した。コクピットの中で立ち上がる。
「研究所に来た俺を、ロザミアが案内してくれた!」
「その時、お前は十歳ぐらいだっただろ」
「だったらおかしいか!」
彼の怒鳴り声がコクピットに響いた。ローレンは、うざったそうに顔をしかめ、言い返す。
「お前がフラナガン機関に来たのがそのくらいだからな、記憶が混ざってるんだろ」
「違う!」
「ロザミアがオーガスタ研に来たのはお前より後だよ。あいつは私が孤児院から拾ってきたからな。だからロザミアと会ったとしたって、お前は十六歳か十七歳ってことになるが」
ゲーツはとうとう、諭すように話すローレンの胸ぐらを掴んだ。強化人間の腕力で引きつけられ、ローレンがうめく。
「じゃあ……じゃあ、ロザミアは誰なんだよ!」
「さあ。ロザミアとの記憶は最近刷り込んだものだ。地上でロザミアがやられて、結果を出さなきゃいけなかったんでね」
「しかしあの時は……!」
「フラナガン機関のロザミアじゃない子だろう。記憶をすり替えてしまうなんてのはよくある話だ」
ゲーツは怒りに任せローレンを突き飛ばし、荒い息で頭を抱えた。
「俺は……ぐうっ!」
たまらない嫌悪感があった。頭痛と吐き気。彼はコクピットシートの中で体を丸める。
「我慢してくれ。思い出そうとすると拒否反応が出るようになってるんだ」
「お……俺……俺は……」
ゲーツの体が震える。何度も唸り声を上げ、頭を掻きむしる。地球で生まれ育ったという全ての過去が、全ての記憶が、嘘の名の下に塗りつぶされる。両親。友達。家。学校。ニュータイプ研究所での日々。何が事実で、何が嘘なのかもわからない。
数分ほどそうしていたが、やがてその震えも収まってきた。肩で息をしながら、彼はローレンの肩を掴み、その顔を覗き込む。
「思い出したか、ゲーツ!」
「……ネオ・ジオンなら、フォウを治せるんだな」
息は荒く、額には脂汗が浮かんでいたが、彼の目は冷静だった。
「ああ、そうだとも!」
「わかった。フォウを連れて、ネオ・ジオンに行くぞ」
ゲーツの両手に力がこもった。その握力に顔を歪めながら、ローレンは古巣への帰還に胸を躍らせていた。