主人公はジェリド・メサ   作:中津戸バズ

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サイド1の追撃

 

「悪くないな、これ」

「ああ。俺も意外だ」

 手元の袋から取り出したナッツを口に運ぶ彼ら二人の空気は弛緩していた。

 袋の口を閉めるように握り、もう片方の手でチューブ入り飲料を開けて咥える。

「せめて酒が飲めたらな」

「こんなジュースじゃ耐えられんよ」

 アレキサンドリアの酒保には、飲食用の休憩室が隣接されている。それなりの大部屋だが、今はジェリドとカクリコンの二人きりだ。

「ま、酒が飲めたところでこのチューブじゃ味気なかろう」

 二人は声を合わせて笑った。

 ナッツの袋が、がさりと音を立てる。空になったその袋をカクリコンは握りしめた。

 休憩室のドアが開いた。ジェリドとカクリコンのだらけた雰囲気はすぐに消え、立ち上がって敬礼する。

「む、ジェリド中尉にカクリコン中尉か」

 手に包みを持った軍人はアレキサンドリアの艦長であるガディ・キンゼーだ。黒いコートに黒い帽子を被り、そのひさしの下からは鋭い眼光が覗く。

 今はジャマイカンが艦隊を率いているため艦長として指揮を取ることは比較的少ないが、優れた船乗りとして艦内でも知られている。

「ガディ艦長も、何かお買い上げですか?」

「ん……まあな」

 照れ臭そうに笑うと、ガディは手に持った菓子を見せた。袋入りのシュークリームだ。

 ガディの人格に合わない甘い食べ物を見て、ジェリドとカクリコンの表情がやわらぐ。

 袋を開け、シュークリームを齧ってガディは尋ねた。

「確か二人は同期だったな」

「はっ」

「……エマ中尉も、だったか?」

 ガディの鋭い目がジェリドを射抜く。エマの裏切りにおいて、たしかにジェリドの行動は怪しい。

「はい。エマ中尉も同期です」

 甘いカスタードクリームを嚥下したガディは、ジェリドから視線を外さない。

「気の毒だったな、伝達ミスによる無断出撃に加え、同期が目の前で寝返るなど」

「お心遣い、痛み入ります」

「その二つが同時に起こるなど、ただの不運とは考えられん」

「……どういう意味でしょうか」

 ガディはジェリドを疑っている。ジャマイカンとの違いは、その優秀さだ。

 艦内放送が休憩室に鳴った。ジェリドに呼び出しがかかっている。

「む」

「自分が呼ばれているようですね。それでは、これで」

 ジェリドは残ったナッツを全て手に取って、口に放り込んだ。バリバリと音を立てて噛み、飲み込む。

 休憩室を出るジェリドの背中に、ガディの視線が突き刺さっていた。

 

 

 

「遅かったな、ジェリド中尉」

 呼び出しがかかってすぐ、ジェリドはジャマイカンの元に駆けつけた。それにも関わらずジャマイカンが彼をなじるのは、個人的感情に他ならない。

「失敗ばかりの貴様を役立てる方法を思いついたのだ」

 今度は何だ。いちいち嫌味っぽい言い方をするジャマイカンに、ジェリドは腹を立てた。

「貴様なりに今の状況を説明してみろ」

「はあ……」

 うんざりしながら、ジェリドは言われた通り説明した。

「アーガマは先日の地球衛星軌道上での戦い以降、サイド4の暗礁宙域へ逃げ込みました。デブリが多く、追跡は難しいと考えられます」

「追跡は難しいのではない、失敗したのだよ。アーガマの行き先として考えられるのは?」

 ジャマイカンは揚げ足を取った。

「サイド1、サイド2……それに月でしょうか」

「戦力はどうだ」

 ジャマイカンはジェリドが答えを言い終えるより早く次の問いを投げかける。

「戦力ですか。アーガマは先日の戦いでそれなりに痛手を負っています。こちらのモビルスーツ隊で残っているのはサチワヌはほぼ無傷、アレキサンドリアとボスニアのモビルスーツ隊はそれぞれ半数近くにまで落ち込んでいます」

「そう、そこでだ。中尉には助っ人に行ってもらいたい」

 ジャマイカンの指がぴんと立ち、口角が吊り上がった。

「助っ人?」

「ああ……そういう要望があった」

 

 

 

 ボスニアのモビルスーツデッキで、誘導灯が色とりどりに光っている。ティターンズよりも荒い。ジェリドは内心そう感じた。

 膝を曲げて衝撃を吸収しながら着艦したのは、ジェリドのガンダムMk-Ⅱだ。

 開いたコクピットのハッチを蹴って、無重力の格納庫へ降りる。ふわりとした浮遊感にも慣れてきた。

「ジェリド!」

 手を振っているパイロット。ライラだ。

 ジェリドは一時的にではあるが、ボスニアに配属になった。

 ジャマイカンは、痛手を与えたアーガマならば単艦でも沈められる公算は高いと読んでいた。しかし、そのアーガマの航路もわからない。

 そこで、サチワヌ、ボスニア、アレキサンドリアの三隻で手分けして、推定されたアーガマのルートを辿ることになった。

 問題は二つあった。一つは、痛手を負っているとはいえ、アーガマに発見され返り討ちにされる可能性があること。もう一つは、万が一にもアーガマを沈めた場合の手柄だった。

 アレキサンドリアとサチワヌはティターンズの所属だが、ボスニアは違う。もしボスニアがアーガマを拿捕なり撃沈なりしてしまえば、ティターンズの面目は丸潰れだ。そして反対に、現時点で戦力が最も少ないのもボスニアだった。

 ボスニアを沈めさせず、万一アーガマを沈めた場合は手柄をティターンズの物にする方法。

 ジェリドは自虐的に笑った。

「ジャマイカンに俺は疎まれてるからな。いい厄介払いの口実だったろう」

「こっちは望んであんたを呼んだんだ。いっそティターンズなんて辞めて、ウチに来ないかい?」

 冗談だろう、と言ったジェリドは、まだ笑っていた。

「それにしても、やっぱりあんたの要望か」

「まあね。まだ教え足りないのさ」

 ジェリドが乗ってきたMk-Ⅱにはもう、整備兵が群がっている。ムーバブルフレーム機を扱うのは彼らにとっても初めてだろう。

「ジェリド、あんたにはいい男になる素質がある」

「いい男か」

「いい男ならもたれかかって酒が飲める……いいものだよ」

 ライラの柔らかそうな唇は、そう言葉を続けた。

 格納庫を眺める彼女の横顔に、ジェリドは見惚れていた。

 

 

 

「エマ中尉」

 廊下を移動するエマは呼び止められ、移動用のハンドグリップを停めた。

「なんでしょう」

 振り向いた先には、髭面の大男。アーガマの艦長のヘンケン・ベッケナーだ。

「うむ……お茶でもどうかと思って」

「お茶ですか?」

 エマは怪訝な表情だ。ヘンケンは頭を掻いた。

「その……アーガマの食堂で……」

「……昨日もお付き合いしたばかりです」

 昨日も同じように、ヘンケンはエマを誘っていた。

「せっかくのお誘いですが、もうすぐ艦を出ますので」

 エマはすげなく断って、再び廊下を移動し始めた。彼女には大事な予定がある。

 ヘンケンはがっくりと肩を落とした。やはり、昨日お茶した時に、何かミスでもあったのだろうか。思い返せば緊張して、カットされたケーキをあっという間にばくばくと平らげてしまった。一口が小さいエマを急かすように見えてしまったかもしれない。ヘンケンは逡巡する。

 エマはそんなヘンケンを見かねたのか、首だけを振り向かせて付け加えた。

「私、明日の午後空いてます」

 ヘンケンは呆気に取られてしばらくエマの背中を眺めてから、ぱあっと顔を明るくする。彼はにやけた顔で、ブリッジに戻った。

 

 

 

 ボスニアの艦長であるチャン・ヤーにも挨拶を済ませ、ジェリドはのんびり過ごしていた。ライラの言葉は覚えていたが、珍しさが勝った。サラミス級に乗るのは訓練生の頃の一授業以来だ。

 一年戦争中に造られたものだろう。七年ほどの月日を感じさせるのは、やはり通路だ。船内移動用のハンドグリップには滑り止めが擦り切れているものもある。

 まだ老朽というほどではないが、経年劣化の相は否めない。

 ジェリドが向かったのは酒保だ。ティターンズの制服を見て、酒保の兵士は無言で敬礼した。

「シュークリーム、あるか?」

「いえ」

 酒保の兵士は無愛想だ。嫌われたものだ、と思いつつ、ジェリドは品揃えを見た。やはりアレキサンドリアと比べると見劣りする。ティターンズの特別扱いもずいぶん行き過ぎている。

 ジェリドの目が一点に止まった。

「酒じゃないか」

 ジュースと同じチューブ入りのアルコール飲料だ。軍規では基本的に、航宙中の飲酒はご法度。ボスニアでは軍規違反が横行しているようだ。

 しかしジェリドも、軍規に忠実というわけではなかった。

「……いくらだ」

「現金払いですよ」

「二本くれ」

 酒保ではツケが一般的だ。軍人手帳の磁気カードで買い物をすると、給料から天引きされる。当然ながら、軍規違反のこの飲み物を記録に残すわけにはいかない。

 ジェリドはポケットに手をやって、財布から小銭を取り出し、渡す。

 釣り銭と酒が、ぶっきらぼうに突き出された。酒のチューブは、艦内の明かりを琥珀色の液体に映している。

 ライラの部屋はどこだったか。浮かれたジェリドに、艦内放送で呼び出しがかかった。

 

 

 

「本当にアーガマがここに入ったのかよ」

「あたしを疑うのかい?」

 30バンチコロニー。今から二年ほど前、伝染病の流行によって住民が全滅したという曰く付きのコロニーだ。

 コロニー内部へ続く通路は、そのコロニーの前評判に反してさほど汚れていない。

 宇宙では堆積する埃もないものだ。

 ティターンズの黒いパイロットスーツの左胸には、赤い星が描かれている。ジェリドのパーソナルマークだ。

「人が全員死んだっていうなら、秘密基地にはうってつけか」

 そう呟きながらジェリドはコロニー内部へ出た。

 一見する限りでは、とても内部の人間が全滅したとは思えなかった。街の景色も、正常そのもの。重力もある。パイロットスーツは、空気が正常であることを示している。

「二年もすれば病原菌も全滅してるさ」

 バイザーを開けるか迷っていたジェリドの内心を、ライラは言い当てた。

 ボスニアのクルーも二人ついてきている。彼らは二人ずつのペアになって、敵の基地があるかも知れない三十バンチを調べることになっていた。

「なあ、ライラ」

 ボスニアのクルーと離れてすぐに、ジェリドはライラに話しかけた。

「なんだい?」

「ボスニアじゃあ酒が売ってるんだな」

 ライラは小さく笑った。

「憲兵にチクるのかい?」

「いや、大好物さ。……二本買ったんだ。帰ったら飲もうぜ」

「その時は、もたれかかって飲ませてくれ」

 ジェリドは目を丸くしてから、力強く頷いた。

 公園のベンチに人影が見える。二人は銃を構えた。

「これは……」

「死体か」

 すでにミイラ化している。気にしていなかったが、コロニー内の気温も高い。ミラーが動かないからだ。

「妙だ」

 ジェリドはその死体に近づき、しゃがみ込む。

「伝染病なら、もっと苦しんで死ぬはずだぜ。だが見ろ、まるでデートの待ち合わせだ」

 死体は、若い女のような装いだ。かわいらしい細身の腕時計に、華奢なデザインのミュール。今では見る影もないが、おそらくはうら若き乙女というべき人物だっただろう。

「病気で死にかけながらデートに行くか?」

 振り向いたジェリドの表情が固くなった。どこかから、話し声がする。おそらくエゥーゴだ。ライラも周囲を警戒する。

 二人は足音を立てずに近くの建物に隠れる。聞き耳を立てると、その声は男女一人ずつとわかってきた。

「ここで起こった反地球連邦のデモは、大規模ではあったが暴力的ではなかった」

「それではなぜ?」

 女の声を聞いて、ジェリドは二人が見える場所を慌てて探し始めた。やがて彼は、建物の陰から、会話する二人を覗き込んだ。

「エマ……!」

 やはり。ジェリドは自身の直感が的中したことを悔やんだ。

 ライラははやるジェリドの肩越しに、エゥーゴの二人を見た。

「あれは確かエマ中尉……。あの赤いパイロットスーツは何者だ?」

 赤いパイロットスーツの男は、ジェリド達に背を向けていた。

「地球連邦は、宇宙という環境に適応した人々を恐れている。自分たちの立場が脅かされると思ったのだろう」

「ニュータイプの力が怖かったと?」

「そうだ。ニュータイプのことを知らんから連邦の上層部は怯えて、デモの鎮圧をティターンズに委ねた。スペースノイドの力を削ぐためだ」

 赤いパイロットスーツの男が振り向いた。会話の内容はジェリド達にも聞こえている。その内容は、彼らも気づいていたコロニーの不可解な状態に関するものだ。

「シャア……!」

 グリーンノアでの戦闘の後、ジェリドは赤い彗星について調べていた。赤いパイロットスーツの男の輪郭や口元は、旧ジオン公国の記事などに載っていた仮面の男と一致している。

 そして何より、このコロニーに来た時から感じる圧迫感は、間違いなく、あの赤いリック・ディアスが放っていたものと同質の物だった。

 ライラはジェリドに囁く。

「出るよ。三、二、一……」

「動くな!」

 ジェリドとライラは物陰から飛び出し、拳銃を二人に向けた。振り向いたエマの表情が驚愕に歪む。

「ジェリド!」

「手を上げろ! 動けば撃つ!」

 エゥーゴの二人は銃を抜いてもいない。クワトロが何事かエマに言い含めると、二人は大人しく手を上げた。

「……シャア・アズナブルだな」

 ジェリドの視線がクワトロを捉えた。エマの瞳が揺れる。

「今の私はクワトロ・バジーナだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「言ってろよ。ちょいと付き合ってもらうぜ」

 一歩前に進み出て、ライラはジェリドに目配せする。

「たのむ、ライラ」

 ジェリドがうなずくと、ライラは銃を構えたまま、エマとクワトロに近づいていった。

「まず、アーガマはここに何の用があって来た? やはり基地があるのか?」

「ここの死体を見たか?」

 クワトロは問いに答えなかった。会話がスムーズにいかないことに、ジェリドは苛立った。

 発砲音。クワトロの足元に、弾痕が残っている。ライラは思わず振り向いた。

「質問に答えろ! 次は当てるぞ……!」

 ジェリドは確かに熱くなっているが、まだ許容範囲だ。むしろ、感情的になったふりをして相手を揺さぶるつもりかもしれない。ライラはエマのパイロットスーツから拳銃を奪い、今度はクワトロに近づいていく。

 たった今発砲されたというのに、クワトロは落ち着いていた。手を上げたまま、言葉を続ける。

「公に発表されている伝染病と考えると、説明ができんことがある。それは君たちもわかっている通りだ」

「黙れ!」

 今度はジェリドは発砲しなかった。ライラがクワトロの近くにいるからだ。

「二年前、ここ三十バンチには毒ガスが撒かれた。犯人はバスクとティターンズだ」

「黙れと言っている!」

「悪しきザビ家を、連邦がやり直そうとしているのだよ!」

 ジェリドの冷静さが失われていく。ライラもこれ以上クワトロに話させまいとまなじりを決した。

 その一瞬の隙をつき、エマは駆け出す。振り向いたライラがその体当たりでバランスを崩したところを、クワトロが捉えた。

 首に手を回し、手に持った拳銃をライラのこめかみに押し当てる。

「嘘だ! いくらバスクでも、そんなことをするものか!」

 ジェリドは両手で銃のグリップを握りしめる。パイロットスーツの内側にじっとりと汗が染みていた。

「ジェリド、ティターンズはジャミトフの私兵よ。そうして意地を張るのはやめなさい」

「エゥーゴだってアナハイムの私兵だろうが!」

 ジェリドはエマに怒鳴り返す。エゥーゴという組織が独自のモビルスーツを運用できるのは、大きな後ろ盾があるからだ。その後ろ盾がアナハイム・エレクトロニクスというのが、もっぱらの噂だった。

「ジェリド君。エゥーゴに来るつもりはないのか」

 情報統制を取れるのは連邦だ。つまり、三十バンチ事件の犯人が連邦の所属であることはほぼ間違いない。

 バスクは一千万人近い民間人の命を奪った。ジェリドも、できることなら否定したいことだ。だが、バスクならやりかねない。

 ジェリドはティターンズをはじめとするアースノイドのスペースノイドへの差別意識を知っている。連邦軍の一部が暴走したとしたら、ありえない話ではない。ティターンズは、はたして一千万人の命の上に立つ正義を持っているだろうか。

 ジェリドの額の脂汗が、目元にまで垂れてくる。クワトロから外した視線は、ライラに引きつけられる。

「貴様らエゥーゴは、正義なのかよ」

 消え入りそうな声で、ジェリドは言った。

「人類の半分を殺したジオンのなりそこないが、正義であるものかよ!!」

 悲痛な叫びが三十バンチにこだまする。一年戦争のコロニー落とし、それに次ぐジオンの侵攻。ジェリドは友人を失い、ジオン軍人の横暴に逃げ惑った。まだ復興は終わっていない。ボロボロになった街も、失われた命も戻ってこない。

 一年戦争で、ジェリドの母親は心を病んでしまった。夫は戦地で死に、これまで暮らしてきた家は戦火に焼かれた。彼女は今も、帰ってくるはずのない夫を待ち続けている。今は親戚の家に預けているが、もし彼がティターンズに反旗を翻してエゥーゴに行けば、その母親や親戚は逮捕されひどい仕打ちを受けるだろう。バスクの非情さを知ったジェリドは、それも恐れている。

 ジオンへの怒りと、母親への配慮と、ティターンズへの忠誠。それら三つの割合など、熱くなったジェリドにはわからない。

「君の論理はすり替えだ。エゥーゴはジオンではない」

「じゃあなんで赤い彗星がエゥーゴだ!」

 遠くにエンジン音が聞こえる。二手に分かれていたボスニアのクルーが、銃声を聞きつけて近くに来ている。

「……また会おう、ジェリド君」

 クワトロはライラを捕らえたまま、じりじりと後ずさった。

 逃がすまいとするジェリドが一歩踏み込んだ。その瞬間、クワトロはライラを突き飛ばす。

 後ずさるクワトロに引っ張られたライラは、後方へ傾いた体勢を戻そうと体重を前にかけていた。クワトロに突き飛ばされた彼女は、前方へ倒れこむ。

「ライラ!」

 ジェリドは駆け寄り、ライラの体を支える。ライラの脇から通した手がエゥーゴの二人へ拳銃を向けるが、ちょうど二人は建物の死角に隠れるところだった。

「……ライラ、ボスニアに戻ろう。モビルスーツ戦になる」

 ジェリドは言った。その目はクワトロ達が消えた曲がり角を、じっと見つめていた。

 

 

 

 エマ・シーンの印象は、その生真面目さに終始している。

 日系人ゆえの彫りの浅い顔立ちと、くりっとした愛らしい瞳。細い眉を吊り上げて他者の甘えや失態を口うるさく指摘する彼女の姿は、その態度とは裏腹な、ある種の愛嬌を感じさせる。

 軍人家庭に生まれた彼女は、両親から深い愛情を受けて育った。軍人とは国家の持つ暴力であり、それゆえに自らを強く律する必要があるとの考え方も、両親からの影響だ。

 後方勤務の軍人だった父親は、低いバリトンボイスと大きな体に似合わず、エマを叱る際にも声を荒げることがなかった。家に居ることは少なかったが、彼の姿はエマにとって理想の軍人だった。

 真面目な性格とパイロットとしての高い資質を持った彼女は連邦軍内でめきめきと頭角を表し、ティターンズへの入隊まで認められた。

 しかし、彼女の運命はそこで変わった。

「エマ中尉……気をつけてくれ」

 モニターからは髭を生やした武骨な顔が見つめている。エマは、艦長がこうして私情を挟むことを好ましく思う女ではない。

 しかし、存外悪い気分ではなかった。それはわずかなりとも触れたヘンケンの人格を気に入っているからだろうか。

「……はい」

 エマの答えは、短かった。

 アーガマは戦力不足に悩まされていた。グリーン・ノア1での戦いを皮切りに、アーガマのモビルスーツは次々と落とされていく。

 想定以上のペースで撃墜されたモビルスーツ隊のおかげで、予備パーツは大量に余っていた。それを使って組み上げたリック・ディアスが、今エマが搭乗しているモビルスーツだ。

「エマ・シーン、リック・ディアス! 出ます!」

 カタパルトデッキに出たモビルスーツからの眺めは、他では味わえない。視界の右側はアーガマの艦体によって塞がれ、前面では、星空を爆発の光が彩っている。

 体がシートに押し付けられた。アーガマは視界の後ろの方へ流れていく。カタパルトでの加速は、鍛えられたパイロットでも堪える物だ。

 エゥーゴで不足していたのはモビルスーツだけではない。パイロットもだ。このサイド1へ進路をとったのも、エマを即戦力として活用するためでもあった。

 たった今、エマの保護観察期間は終わった。腕のいいパイロットを遊ばせておくわけにはいかない。

 エマ機に通信が入った。またヘンケンからだ。

「エマ中尉、さっきも言ったがあまりアーガマから離れんでくれ。足は敵よりアーガマの方が速い」

「……それでいいんですか?」

 アーガマの推力ならば、サラミス改級であるボスニアを振り切ることができる。また、アーガマ発見の報はアレキサンドリアにも届いているだろう。もたもたしていては包囲されてしまう危険性もある。そういう意味では、ヘンケンの指示は理にかなっている。

 しかし、前面に比して装甲で劣る背面を向けて逃げればアーガマとて無事では済まない。

 今求められていることは、一刻も早くボスニアに打撃を与えることだ。それも、しばらくはアーガマを追跡できなくなるほどの大打撃だ。その証拠に、ヘンケンはクワトロにボスニア攻撃を命じている。

「……中尉には、アーガマのそばにいてもらいたい」

 苦虫を噛み潰したような表情で、ヘンケンは絞り出した。エマの胸に、暗い罪悪感が差す。

「命令ならば従います」

「……エマ中尉。ただちに敵艦へ攻撃を開始してくれ」

 わずかばかりのモビルスーツ隊がアーガマの防衛についている。

 隊の割り振りに含まれていないエマは、クワトロと同じく敵艦への攻撃に振り分けるのが最良であるとの判断を、ヘンケンは下した。

「了解」

「……生き残ってくれ」

 ヘンケンからの通信は、それで途切れた。エマは息を吐き、フットペダルを踏み込んだ。

 

 

 

「シャアだ! シャアを止めろ!」

 ジェリドのMk-Ⅱが、クワトロのリック・ディアスの進路に割り込む。すぐさま向けられたクレイバズーカに臆することなく、ジェリドは加速した。

「三十バンチでは世話になった!」

 ジェリドのMk-Ⅱはわずかに右に針路を取る。左手につけたシールドに、散弾の傷がついた。クワトロのクレイバズーカだ。

「おおおおおおお!!」

 プロレス技のラリアットのように、強引に左腕をリック・ディアスの顔面に叩きつける。

 そのまま引き込み、右手のビームライフルをリック・ディアスの背面に突きつける。

「ええい!」

 クワトロは超一流のパイロットだ。背後のビームライフルを素早く蹴り上げ、銃撃を許さない。

 ジェリドは手元から離れたビームライフルを見て歯噛みする。振り向き様、クワトロはビームサーベルを抜いた。

 Mk-Ⅱのシールドにビームサーベルが食い込む。溶けるシールドを感じて、ジェリドもまたビームサーベルを抜き打つ。

 ビームサーベルの鍔迫り合いは、近くにビームの粒子が飛び散る。本来なら互いに推力に任せてサーベルを次々に押し付けあうのだが、クワトロはそうしなかった。ジェリドのサーベルに押されるまま、吹き飛ばされるように距離を取る。

「しまった!」

 クレイバズーカの銃口は、Mk-Ⅱを捉えていた。今のMk-Ⅱに、射撃武器はない。

「させないよ!」

 横合いからの数発のビームが、クレイバズーカを撃ち抜く。

「ライラ!」

 ガルバルディβ。ジェリドは通信を聞くまでもなく、そのパイロットを見抜く。

「忘れたかい、ジェリド! 敵に合わせて戦い方を変える、基本だろ!」

 ガルバルディβのビームライフルが次々に放たれた。クワトロほどの腕でも、ボスニアへの道を阻まれる的確な射撃だ。

 クワトロは唸った。ここでジェリドとライラの相手をしていては、ボスニアを攻撃できない。

 一瞬の膠着を破って、後方からリック・ディアスが猛然と追い上げる。エマだ。

「大尉! ここは私が!」

「すまん、恩に着る!」

 片手にクレイバズーカ、もう片手にビームピストルを構え、エマはライラのガルバルディβを銃撃する。ジェリドのMk-Ⅱは加速力では優っていても、ライフルを失っている今、クワトロを追う脅威とは認識されない。

「邪魔をするな、エマ!!」

 Mk-Ⅱが斬りかかった。後ろへ下がったエマのリック・ディアスの胸部装甲を、その切先が掠める。

「ジェリド!」

「……エマだと!?」

 ジェリドは自分の発言が信じられなかった。目の前のモビルスーツは、リック・ディアス。通信もつながっていない。しかし、ジェリドはそのモビルスーツのパイロットがエマだと理解していた。

「まやかしだ! エマのはずがない!」

 向けられた二つの射撃武器の狙いを、ジェリドは下方へ急加速して外す。Mk-Ⅱを目で追うエマの隙をライラのガルバルディが突いた。

 体を庇ったリック・ディアスの右腕が切り落とされた。エマは残った左腕で、ビームピストルの狙いをつける。

 ジェリドのMk-Ⅱが、その左腕を掴んだ。下方から背後に回り込んだMk-Ⅱは、右腕のビームサーベルを振り上げる。

「墜ちろ!」

「ああああああ!!」

 接触回線でMk-Ⅱのコクピットに届いた悲鳴は、エマのものだった。ビームサーベルを振り下ろす刹那、ジェリドの視界の端にリック・ディアスのバックパックにマウントされたビームピストルの銃口が映った。

「やった!」

 ライラは小さくつぶやく。頭の上から唐竹に真っ二つに斬られたリック・ディアスは、Mk-Ⅱが離れると同時に爆発した。そこには、命は残っていなかった。

「いかん! ボスニアが!」

 ライラはガルバルディβを加速させる。アーガマへ戻るクワトロのリック・ディアスが、ボスニアから離れていった。ボスニアは損傷している。

 チャン艦長の悲鳴まじりの通信がライラに届いた。

「ライラ! 何をやってるんだ! あの赤い機体だ。ボスニアは機関部に損傷を受けた!」

「なに!? 持つのか」

「持つには持つらしいが……しばらくは動けん!」

 ライラは舌打ちした。エゥーゴのモビルスーツはあっという間にアーガマに引っ込み、アーガマは月に向けて発進する。

 アーガマにまんまと逃げられてしまった。またもや赤い彗星に、してやられたのだ。

「……ジェリド」

 ライラはジェリドのMk-Ⅱに振り向いた。Mk-Ⅱは、力なく、そこを漂っている。

「ジェリド! どうした、ジェリド!」

「……あの時、エマのリック・ディアスの背中の銃は、俺を向いていたんだ」

 ジェリドは操縦桿を動かす様子もない。ライラはガルバルディにMk-Ⅱを抱えさせ、加速した。

「エマは……俺を撃たなかった! 俺を、俺を撃てたはずなんだ、あいつは!!」

 ヘルメットの中で、ジェリドは呟き続ける。表情はライラには見えなかった。

「同期だった。情は捨てたと言っていた。俺も情は捨てた。しかしエマは……そうじゃなかった!」

 情けをかけてくれた同期を、躊躇なく殺した。それだけではない。突きつけられた、三十バンチの真実。感情が噴出した。

「あたしもあんたも軍人だ」

 ジェリドの倍以上の実戦経験を持つライラは、ルーキーの涙まじりの懺悔に、そう答えた。

「……よくやったよ」

 ガルバルディは、加速にあてられて揺れるMk-Ⅱを抱きしめた。

 

 

 

「ボスニア、追ってきません!」

「よし! ……あとで大尉には礼を言わんとな」

 キャプテンシートで小さくつぶやいたヘンケンは、一見したところ冷静だった。

 呼び出しに応じて、シート脇の受話器を取る。

「うむ……ああ、わかった。了解だ」

 艦長として、パイロットの命に優劣をつけるわけにはいかない。だがやはり、エマは帰ってこなかった。

 非情に徹するのが軍人である。ヘンケンは彼の経験からそう理解していた。

 だが、もしもこのアーガマがエゥーゴの旗艦でなければ、エゥーゴの代表であるブレックスが乗っていなければ、ヘンケンはエマを助けるために艦を前進させたかもしれない。次々と人の命が失われる戦争の中で、何かを残せるのなら。

 ヘンケンは、自分の選択を悔いなかった。あの状況における最高の選択をした。そう思わなければ、彼は押し潰されてしまいそうだった。

 

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