主人公はジェリド・メサ   作:中津戸バズ

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大気圏突入

 赤熱した機体。高度計の表示はぐんぐんと下がっていく。視界は、青。水の惑星というのも納得だ。

 機体の表面温度の上昇が止まらない。モビルスーツが百八十度回って、視界が地球から宇宙へ変わる。がくん、とシートが揺れて、表面温度が下がり始めた。

 バリュートが開かれた。画面には大きく、成功の文字が出る。

 ジェリドはシートから立ち上がり、すぐ横のドアを開けた。これはシミュレーターだ。モビルスーツ戦闘の再現度は高くないが、大気圏突入の練習はこれで十分だ。

 カクリコンが声をかけた。

「ご苦労さん」

「どうせ本番じゃ、オートマチックでも開く。減速のタイミングでも掴めりゃあいい」

 アレキサンドリアがアーガマに追いつくのは地球軌道上だ。大気圏再突入と同時の戦闘になる。

 もちろんアレキサンドリアは地球に降りないが、ジェリドを含めたモビルスーツ隊はバリュートを使って地球に降下する予定だった。

 カクリコンは手に持ったハンバーガーを齧った。

「しかしよくやるよ、お前は。あの金ピカを本気で落とす気だ」

 ジェリドも少し休憩して、自販機でハンバーガーを買う。冷めている上、バンズもパティもパサパサで風味にも欠ける代物だが、血肉にはなる。ジェリドは大きくかぶりつき、口いっぱいのハンバーガーを噛んだ。

「ライラか?」

 カクリコンが訊いた。ジェリドは答えない。

 金ピカ、つまりクワトロはライラを殺した。しかし、ジェリドのクワトロへの憎しみはそれだけではなかった。

 ジェリドは自身の手でエマの命を奪った。エマが寝返った原因も、三十バンチ事件の真相への鬱憤も、ジェリドは無意識にクワトロに押し付けている。

 クワトロさえ落とせばいい。今の彼にとって、それが全てだ。

 ハンバーガーをわずか三口で食べ切ると、ジェリドはその部屋を出た。

「どこ行くんだ?」

「俺の部屋だ」

「またお勉強か。真面目なことで」

 カクリコンはからかいまじりにジェリドの背を見送った。

 ジェリドはここのところ、何度もクワトロとの戦闘映像を見ている。リック・ディアスの頃の映像も、百式に乗り換えてからの映像も。

 見れば見るほど、自身とのレベルの差を思い知らされる。しかしジェリドはめげなかった。クワトロの動きには、常に意味がある。動きの理由を見つけ出し、それを習得し血肉にする。ジェリドは今、貪欲だった。

 

 

 

「カミーユ……私たち、どうなるのかしら」

「知らないよ。ブライトキャプテンが居たって、もうダメかもしれない」

 カミーユは悲観した。隣のシートに座って目に涙を浮かべる少女以上に、彼は追い詰められている。嫌な予感が、彼にまとわりついていた。

 窓の外には、暗い宇宙が見える。周囲の乗客たちもまた、先の見えない恐怖と戦っている。

 彼らは皆ティターンズに迫害された人々だ。反ティターンズ運動をやった者もいれば、その巻き添えや、全く無関係の者もいる。

 また、ひとくちに反ティターンズ運動といっても、それが平和的なデモの範囲なのか、それとも武力を伴ったテロなのか、そういった意味でも、この艦の人員は多岐にわたる。

 カミーユは、反ティターンズ運動に参加していた。ジェリドに殴りかかったあの日、カミーユは結局ティターンズの関係者であった両親のおかげで釈放された。ジェリドに情けをかけられた事も、後日ファから聞いた。

 彼の自尊心はずたずたになった。名前を侮辱した傲慢な軍人も反感を抱えた両親も、程度の差はあれ彼にとって嫌悪の対象だ。子供からの脱却を図る十七歳のナイーブな少年にとって、それらに助けられた事実は許し難い。

 両親への反抗、ティターンズへの復讐。二つを同時に満たせる反ティターンズ運動は、カミーユにとって魅力的だった。

 その後、両親でも庇いきれないほどの事件を起こし収監されたカミーユを救ったのがブライトだった。彼はカミーユの他の難民たちを乗せて、シャトルで逃げ出した。他の難民達の中には、カミーユの巻き添えで捕まったファも含まれていた。

「ティターンズめ!」

 カミーユは思わず壁を殴りつけた。ファが宥めようとするが、それも余計に腹が立った。ファがこうして泣いているのも、自分のせいだ。自分が反ティターンズ運動なんかをやってしまったから、ファも泣いている。

 そんなファに宥められること自体、カミーユにとっては自身の失態すらも棚に上げられているようで、自尊心が深く傷ついた。いっそのこと責めてくれた方が、気が楽だった。

 窓の外を、何かが通過した。前方へ向かったその何かを追って、カミーユは立ち上がる。

「カミーユ!?」

「操縦席の方に行ってみる!」

 せめて、ファだけは守ってみせる。それはファへの奇妙な対抗心だけではなく、単純な愛情だった。

「開けてください! 何か起こってるんでしょう? 手伝います!」

 カミーユは操縦席のドアを叩く。しばらく叩き続けると、うんざりしたように副操縦士の男が出てきた。カミーユはその男の横をくぐり、叫ぶ。

「あっ、待て!」

「ブライトキャプテン! あれはモビルスーツです!」

「モビルアーマーだ。……誰だね」

 渋い顔でキャプテンシートに座るブライトが振り向いた。

「カミーユです、カミーユ・ビダンです。ほら、助けていただいた時にサインをねだった」

「なんで君のような子供が操縦席に来ているんだ!」

 ブライトが声を荒げた。船が激しく揺れる。

 カミーユを通した副操縦士が間の抜けた声をあげる。

「そんな大声を出さなくても……」

「違う! 攻撃だ!」

 副操縦士をぴしゃりと叱って、ブライトは口元に手をやった。このままではまずい。

 高速の謎のモビルアーマー。パニックになった船室の声が聞こえる。カミーユも焦った。

「なんとかできないんですか? ホワイトベースの艦長でしょう!」

「連絡船だぞ! 武装なんかあるか!」

 この子が軍人なら修正しているところだ、とブライトは思った。

「通信をキャッチ! 流します!」

「聞こ……か、テ……テーション、聞こえるか。こちらは地球……邦軍所属、パプ……ス・シ……」

 通信が悪い。しかし、ブライトにもわかる。連邦軍、つまりティターンズの息がかかった者だ。

「くそっ!」

 ブライトが悪態をついた。カミーユはそれを見て、苛立つ。憧れたキャプテンがこんな風に追い詰められる姿など、見たくない。

「停船せよ。……プテーションを拿捕する」

 モビルアーマーはテンプテーションの斜め前方を並行して進んでいる。カミーユが突然駆け出した。

「何をする!?」

「信号弾があるんでしょう!」

 乗員を押しのけて、カミーユがスイッチを押した。テンプテーションから放たれた信号弾は、謎のモビルアーマーに向かって飛んでいく。

 信号弾を迎撃できそうな武装はない。当たった。カミーユは思った。

 そのモビルアーマーは、モビルアーマーではなかった。

 機体の下部は真下に伸ばして足になる。ブースターとビーム砲はそのまま肩に変わり、ボディは九十度回転し胴体に。

 モビルスーツだ。このモビルアーマーは、モビルスーツに変形できる。

 変形を済ませたモビルスーツは、手首の発振器を掴んで振るう。ビームサーベルだ。

 信号弾を切って落とし、再び通信を送る。

「抵抗するつもりならば沈める!」

「待て! ……投降する!」

 ブライトの苦渋に満ちた声が応えた。テンプテーションのクルーも、異議はない。

 カミーユはクルーに取り押さえられている。

「了解だ。メッサーラについて来てもらう」

 和らいだ声が、通信越しにテンプテーションに届いた。

 再び変形しモビルアーマーに戻ったメッサーラは、テンプテーションの前に出る。操縦席から見える宇宙は、深く暗かった。

 

 

 

 地球連邦軍所属、アレキサンドリア級ハリオのデッキにメッサーラが着艦する。先に着艦したテンプテーションの周りを兵士が取り囲んでいた。

 メッサーラのコクピットが開いた。

 中から出て来たのは、細いヘアバンドを頭に巻いた、若い男。怜悧な視線をテンプテーションに向けている。

 自身の直感が当たっていることを確信し、彼は呟いた。

「急いだ甲斐があった」

「冗談じゃない。こんな漂流船を勝手に拾うなんて!」

 ハリオの艦長のテッド・アヤチが、わざわざMSデッキまで降りてそのパイロット、パプテマス・シロッコに詰め寄る。

「すぐに私のジュピトリスに引き上げさせますよ」

 シロッコの興味はもう、テンプテーションから降りてきた民間人に注がれている。兵士たちに銃を向けられながら、彼らは手を挙げて列をなして出てくる。

 民間人の列の先頭は、ブライトを含むクルー達だった。

 無重力に任せて、シロッコはメッサーラを足場にして跳んだ。ブライト達が並ぶすぐそばのバーを掴んで止まる。

「艦と貴官の名前を教えてもらおう」

「テンプテーション……ブライト・ノアだ」

「ブライト? ふっふっふ、あのホワイトベースの艦長ですか」

 ブライトの表情が曇る。シロッコは口角を吊り上げる。彼がテンプテーションの位置を掴んだのも、ニュータイプとして感じるものがあったからだ。

 ニュータイプはニュータイプを感じ取る。シロッコはテンプテーションから感じた優れたニュータイプの気配の正体を見極めるつもりだ。

「ご自身もニュータイプなのですか?」

「……答える義務はない」

 シロッコの尋問とも呼べない質問を、ブライトはつっぱねた。

「では、ブライトキャプテン。信号弾を私のメッサーラに撃ったのは?」

 シロッコはパイロット一同に目をやる。彼の目に止まったのは、取り押さえられているカミーユだ。

 ブライトは迷った。ここで正直にカミーユを突き出すべきか。民間人の子供のやったことなら、庇うべきか。そもそも難民を連れて逃げた時点で極刑ものならば、いまさら罪状が増えても同じだろう。しかし、ブライトにも家族がいる。

 逡巡するブライトをよそに、副操縦士の男がカミーユの背中を強く押し出した。

「この子供だ! こいつが、信号弾を!」

 突き飛ばされたカミーユは、シロッコを強く睨んだ。

「やはり君か」

「……どの道名乗り出るつもりでしたよ。いけませんか、俺が撃っちゃ」

「……ほう、なるほど。君か、あのプレッシャーの正体は。ふっふっふ、はっはっはっは!」

 シロッコの高笑いが響いた。難民たちの眼差しは怯えている。

「この少年を少し借りて行く。あとの者は、追って指示を出す」

 手がカミーユの腰に回された。その腕を反射的にカミーユは掴む。

「カミーユ!!」

 ファが叫んだ。シロッコの目は、もし暴れれば、ファも他の乗客もただでは済まないと言っていた。カミーユは、シロッコに従うほかにない。

「……行きましょう、シロッコさん」

 格納庫を離れ通路をしばらく行くと、ドアの前でシロッコが立ち止まった。

「ここだ。……入りたまえ」

 狭い部屋だ。真ん中に小さな机があり、それを挟んで向かい合うように椅子が二つ並んでいる。カミーユは、ジェリドに殴りかかった日に入れられた取調室を思い出した。

「さて、カミーユ。私はパプテマス・シロッコ。木星船団で働いていたが、今は連邦の大尉だ」

 シロッコは手前側の椅子に腰掛けた。腰掛けたと言っても無重力だ。机と椅子の間に挟まったような形になる。

 手で促され、カミーユは向かいの椅子に座った。それを見て、シロッコは微笑む。

「素直で嬉しいよ、カミーユ」

「やめてくださいよ、その喋り方」

 カミーユは、シロッコの白々しさにはうんざりだった。だがシロッコは一瞬意外そうな顔をしてから、猫撫で声のまま続ける。

「私があのシャトルを見つけられたのは君がいたからだ。君にも、私が近づいたのがわかっただろう?」

「わかりませんね」

「いや、わかるはずだ」

 シロッコは余裕を崩さず、しかし有無を言わせぬ口調でそう言った。カミーユが口ごもる。

「漠然としか感じなかったかもしれん……しかし君は、私を感じた。私が君を感じたように」

 ゆっくりと、耳に滑り込む声が続く。

「君は私をも超えるニュータイプになる素質がある。私の元でなら、その力を伸ばせる」

「ニュータイプなんて本気で信じてるんですか?」

 カミーユは答えた。シロッコの言葉は、心地よく入り込もうとしすぎている。少しでもケチをつけて、シロッコのペースを崩すつもりだ。

「君がいなければ疑ったかもしれんな。このニュータイプ的な物の感じ方を、天才ゆえのものだと思い込むようになって」

「天才だって、自分で言うんですね」

 言い返したカミーユだが、シロッコはまるで堪えない。

「天才なのだから仕方あるまい。……ふむ、君は今の地球連邦をどう思う?」

 シロッコは、机の上で手を組んだ。机の下で拳を握りしめるカミーユと違い、その手には余裕がある。

「どうって……僕があの船に乗ってた時点でわかるでしょ」

「私も連邦政府のやり方には不満がある。世界を動かすに値しない人間が、上に居すぎるのだよ」

 シロッコは椅子から立ち上がって、さらに身を乗り出す。カミーユは当然、見上げる形になった。

「世界を動かすのは一握りの天才だ。……私や、君のような」

 カミーユの頬に、シロッコの手が伸びる。白い布手袋は固いが、その下の手は温かい。ゆっくりと顔を撫で上げるその刺激に、カミーユは背筋に走るものを感じた。

「冗談じゃありませんよ!」

 カミーユの手が、それを払いのける。噛みつくような目でシロッコを睨んだ。

「おやおや」

 カミーユの息が荒い。小さな口から呼吸音が漏れる。カミーユを怯えさせたものは、殺気とはまるで逆の感覚だった。シロッコから感じる雰囲気は、カミーユを取り込みかけた。

 それだけの大きな力に、身を委ねたくない。シロッコがカミーユを利用するつもりならば、取り込まれれば一巻の終わりだ。

「あなたは……あなたは一体何がしたいんです!」

「ふふふ、言った通りだ。世の中は天才が支配する。無能者は退場するか、その下で働けばいい」

 カミーユは冷静ではない。シロッコの論理の小さな粗をあげつらうが、無駄だった。

「王様にでもなるんですか? 幼稚ですね」

「王様になるつもりはないが、君ならなれるだろう。王様にも、女王様にも」

 カミーユは手を机に叩きつけて立ち上がった。これ以上、この男と話すつもりはない。

「よくわかりましたよ、あなたって人が。俺は絶対にあなたに協力なんてしません!」

 シロッコはそれを見てもなお、笑っている。その理由をカミーユは思考し、奥歯を噛んだ。

「貴様、ファに手を出すつもりか!」

「……ふっふっふ、それがニュータイプの物の感じ方だ。私が何も言わずともわかってくれるとは、やはり君はニュータイプだ」

 カミーユはシロッコの胸ぐらを掴んだ。

「ファに手を出してみろ、承知しないぞ!」

「そうか、彼女の名はファというのか」

 シロッコはとぼけてみせた。カミーユはシロッコの手のひらの上だ。ファの名前すら、自分から吐いてしまう。

「連邦やティターンズの高官は君が思っている以上に悪どい。彼女くらいの歳の少女を特に愛好したりな」

 アクセントは、「特に愛好」の部分にかかっている。カミーユは黙り込んだ。胸ぐらを掴ませていながら、シロッコはカミーユを支配してみせた。

「カミーユ、君の選択肢は二つだ。私に従い、ファ君だけでも安全を確保するか、それともこの取引に応じず、ファ君を……」

「わかりましたよ……」

 カミーユは胸ぐらを掴んだまま、額をシロッコの胸に押し付けるようにして言った。

「……従います。あなたの……部下になります。なりゃあ、いいんでしょ……!」

「いい子だ」

 シロッコはほくそ笑み、カミーユの頭を撫でる。その指は、滑りのいい髪の中を、思いのままに伸びていった。

 

 

 

 モビルスーツデッキから飛び出したガンダムが、アレキサンドリアの前方を飛ぶ。ジェリドのガンダムMk-Ⅱだ。少し遅れて、カクリコンのMk-Ⅱも飛ぶ。

 ジャマイカンにも許可を取った。彼らは実機で訓練を行うつもりだ。

 彼らのMk-Ⅱは、胸部と脚部に追加のブースターを設置し、さらに背中には大きな背負い物がある。

 これこそが大気圏突入用の装備、バリュートだ。バリュートのテストを行うのかと言えば、そうではない。彼らのビームライフルは、模擬戦用のペイント弾に変えてある。

「行くぞ、カクリコン!」

「おう!」

 ジェリドのMk-Ⅱが、宇宙の虚空に向かって一発ペイント弾を撃つ。開始の合図だ。

 スペースデブリもない宙域だ。障害物は何もない。決着は早いはずだった。

 先手はカクリコン。エリート部隊ティターンズに入隊しガンダムMk-Ⅱのテストパイロットに選ばれるほどだ。彼も腕はいい。正確な狙いで、ペイント弾を撃つ。

 だが、ジェリドには当たらなかった。すでに四、五発は撃っているが、どれもかすりもしない。

「なぜだ……なぜ当たらん!」

 モビルスーツの強みはその手足を利用した反動による方向転換、AMBACだ。姿勢制御には他にバーニアも用いるが、それら二つを最大限に活かし、メインスラスターを有効に稼働させることが宇宙空間におけるモビルスーツ戦の極意だ。ジェリドはそう結論を下した。

 もちろん、各機ごとに各バーニアの推力も手足の重量のバランスも異なる。しかしジェリドはそれも、クワトロが操るリック・ディアスと百式の二つのモビルスーツを見たことによって適応方法も見出している。

 敵の攻撃のタイミングを見切り、減速、加速を自由自在に操れれば、たとえ複数が相手でもかわしきれる。ジェリドはカクリコンを圧倒していた。

「ジェリドの野郎!」

 操作にクセはあるものの、Mk-Ⅱはできのいいモビルスーツだ。実戦経験を積み機体にも慣れた今、カクリコンもエースの実力がある。彼は銃を構え直し、ジェリドを追った。

 コクピットが揺れる。カクリコンのMk-Ⅱの胴体がピンク色に染まった。ペイント弾の色だ。もし本物のビームならMk-Ⅱは爆発していた。

「何っ!? いつ撃ったぁ!?」

「終わりだぜ、カクリコン!」

 カクリコンは呆気に取られていたが、笑って首を振った。

「ふふふ、負けたぜジェリド。大した腕だ」

「もう一度やるか?」

「パイロットやってく自信がなくなっちまうよ」

「そうか……すまんな、付き合ってもらって」

 そう言いながら、ジェリドは今回の模擬戦を反芻する。やはりバリュートのパックが付いていては動きが変わる。

「気にするな。さて、バリュートのテストに移ろうぜ」

 二人とも、バリュートの大きさも開き方も正常だった。

 カクリコンは大きくうなずく。

「よし、戻るぞジェリド。もうじき地球だ」

「ああ、楽しみだぜ。ようやくシャアを殺せる」

 ジェリドの表情に笑みが戻る。

 着艦したジェリドがコクピットを出ると、カクリコンが整備士に指示しているところだった。

「あのペイント弾の絵の具をきっちり落としておけよ。縁起が悪いからな」

「はいっ!」

 小さく笑ってジェリドはカクリコンの肩に手を置いた。

「ずいぶん入れ込んでるんだな、次の作戦。模擬戦まで付き合って」

「まあな」

「地球に女でもいるのかよ」

 ジェリドはからかったが、カクリコンは平然としている。

「ああ。いけないかよ」

 カクリコンの答えに、ジェリドは鼻を鳴らした。それを見て、カクリコンは吹き出した。

「はっはっは、そうひがむなよ、ジェリドくん!」

 カクリコンはジェリドの背中を叩く。ジェリドが感じるのも、不愉快さだけではなかった。

「一杯やるか」

「オレンジジュースでか?」

 二人は声をあげて笑った。確かな手応えが、ジェリドを支えている。

 その足で酒保に向かい、飲み物と軽食を買って隣の飲食室に入る。二機を一機に見せる作戦の訓練の時も、いつもそうだった。

 オレンジジュースにポテトチップス、チョコ菓子などを両手に携えて、飲食室のドアを開けた。

「腕を上げたな」

 黒いコートに黒い帽子。鋭い目つきで二人を迎えたのは、アレキサンドリアの艦長、ガディ・キンゼーだ。

「見てらっしゃったのですか?」

 敬礼し、ジェリドは尋ねる。

「ああ」

 ガディはドーナツをかじって答えた。その鋭い目は、ジェリドを離さない。ジェリドも負けじと、その目を見返す。

 小さく笑って、ガディは目を閉じた。そのトレードマークの帽子を脱ぐ。帽子に見慣れているジェリドたちからすると、少し物足りない。

「中尉はいいパイロットになる。……だが、気負いすぎるなよ」

 クワトロにこだわるな。ジェリドはそう受け取った。

 こうして腕を上げたのもクワトロへの復讐のためだ。そのこだわりを捨てるわけにはいかない。しかし、クワトロに何もかもを押し付けるのは間違っていることも心のどこかで感じていた。

 ティターンズに正義はないかもしれない。エゥーゴの方が正しいかもしれない。ジェリドの胸中は複雑だ。

 カクリコンが口を挟んだ。

「それは無理というものです。ライラ大尉と親しかったことは艦長もご存知でしょう」

「そうだが……。いや、気負うなと言って気負わせるのも妙な話だな」

 ドーナツを口に詰め込んで、ガディは席を立った。見送るジェリドたちの敬礼に敬礼を返して、部屋を出て行った。

 

 

 

「いよいよ、ジャブローだな」

 アーガマの食堂で、ロベルトは食事が載ったトレイをテーブルに置いた。食堂が位置する居住ブロックは、遠心力によって擬似重力を発生させている。

 隣の席のアポリーも、切り分けたステーキを噛んでいる。

「懐かしいか?」

「敵の基地だぞ、懐かしくなんかあるか」

 口髭の下で、ロベルトは笑った。

「前の時はひどかったからな」

「今回は大気圏降下と一緒だろ? まったく信じられんよ」

「違いないな」

 机に肘をついて、アポリーは同意した。言葉は怯えているようだが、彼らはベテランのモビルスーツパイロットだ。むしろそれを楽しむ余裕すらある口ぶりだった。

「あ、大尉」

 クワトロも、食事のトレイを持っている。ステーキにパン、ポタージュスープに生野菜のサラダだ。ロベルトが声をかけると、彼らの向かいの席に座った。

「ジャブロー攻撃の話をしてたんです。大尉も二度目ですね」

「アーガマのクルーには、前のジャブロー防衛に参加した者もいるだろう」

「攻め入ったことがあるのは我々だけです」

 声を落として、アポリーは言った。クワトロは頷きパンを齧った。

 思い出したようにロベルトが尋ねる。

「そういえば、レコア少尉はどうなんです?」

「それだよ、連絡が取れんのだ」

 クワトロが顔を上げた。サングラスの奥の瞳の表情は読めない

「それは……ジャブローの偵察に失敗したということで?」

「わからんよ。捕虜になっているかもしれんし、殺されているかもしれん。通信機器の故障であることを願いたいがな」

 サラダにフォークを突き刺して、クワトロは口元へ運んだ。生野菜を宇宙で安定的に供給できるのは、居住性に力を入れたアーガマのなせる技だ。

 アーガマがエゥーゴのフラグシップというのは、戦闘力だけではない。アナハイム・エレクトロニクスの最新技術を盛り込み、居住性すらも含めたあらゆる意味で高性能な軍艦として作られている。

「あれだけの思いをして地球に降下させたのですから……」

「言うなよ」

 アポリーをロベルトが咎めた。無事でいてほしい、というアポリーの願いだが、どこか責める風になってしまった。ましてやレコアと恋仲だったクワトロの前だ。アポリーはばつが悪そうに、コーヒーを喉に流し込む。

 エマが死に、レコアは音信不通。ヘンケンこそ威勢はいいが、関わりの深い人間ほど、それが空元気だとわかってしまう。

 ジャブロー侵攻を前にして、アーガマの雰囲気は沈んでいた。

 

 

 

 オペレーターの声は落ち着いている。モニターに映った彼の肩越しに、ノーマルスーツを着込んだジャマイカンが見えた。

「ジェリド中尉、発進してください」

 Mk-Ⅱがデッキを踏みしめ、カタパルトに足をセットする。砲撃が交わされる前方宙域には、大きな青い星。地球だ。

 赤い彗星もいるはずだ。バリュートパックを装備したMk-Ⅱの中で、ジェリドの操縦桿を強く握った。

「ガンダムMk-Ⅱ! ジェリド! 出る!」

 加速するカタパルトから投げ出される寸前、足裏を含めた各部のスラスターをいっぱいに噴かす。発艦のタイミングを狙い撃ちされないための、モビルスーツ発明以前から洗練され続けたその仕組みが、ジェリドを戦場に送り出した。

 エゥーゴの作戦は宇宙からジャブローめがけて降下し攻撃、占領するものだ。ジェリド達はエゥーゴのモビルスーツが大気圏に降下する際の隙を突いて攻撃し、ジャブローに降りてからはジャブロー防衛に手を貸すことになる。

 月から地球圏までの旅路で、ジェリドは確実に腕を上げた。手に持っているのはハイパーバズーカ。ビームライフルは腰にマウントされている。

「そこっ!」

 そのハイパーバズーカが、出撃早々発射される。カタパルトとスラスターの加速を乗せた弾丸が、エゥーゴのリック・ディアスに激突し、炸裂する。

「どこだ? 金ピカ! シャア!」

 ジェリドはコクピットの中で左右に視線を動かす。リック・ディアスが落ちるのを横目で確認し、地球の方向へ目をやった。ティターンズカラーのハイザックが、右足を撃ち抜かれ怯えている。

「そこか!」

 ハイザックを撃ち抜いたビームの主へ、ジェリドはバズーカを放った。ビームに比べ弾速が遅かったためか、その弾丸は見切られ躱されてしまう。しかしジェリドは確かに見た。金ピカ。シャア。

「そこのハイザック! 大気圏突入は無理だ、とっとと下がれ!」

「わっ、わかった!」

 言われた通り、ハイザックは引き上げていく。片足を失ってバランスが取りにくそうだが、見る限りでは母艦に帰れそうだ。

「よしよし……勝負だ、赤い彗星!」

 百式がビームライフルを撃つ。だがジェリドはそれをよけ、勢いよく百式の下方へ向けて加速しながらバズーカを撃った。

「当たらんよ」

 弾丸を交わしつつターンし、クワトロはジェリドのMk-Ⅱに機体前面を向けた。ジェリドはまたバズーカで百式に狙いをつける。

「ほう!」

 百式がすばやく真横に移動した。百式がたった今いた場所を、ビームが通過する。そして続け様のバズーカの弾が、百式に迫る。

 ジェリドのMk-Ⅱは、右手にハイパーバズーカを、左手にビームライフルを携えていた。実弾に目を慣らさせてからの、実弾とビームの時間差射撃。

 いくらシャアといえども、この攻撃ならば。ジェリドのその予測は、裏切られた。

 バズーカの弾が、宇宙で炸裂する。弾を貫いたビームが、まっすぐMk-Ⅱに伸びていく。

 百式は、飛んでくる敵のバズーカの弾を狙撃したのだ。自身に向かって撃たれたら弾丸なら、発射タイミングを見切っていれば不可能な話ではない。

「うおおお!?」

 かろうじてシールドの防御が間に合った。しかしもう、百式はMk-Ⅱの背後に回り込んでいる。

「落ちろ!」

 放たれたビームを、ジェリドは身をよじってかわした。背後から近づいてくることは、気配で勘づいている。

「やる!」

 振り向き様ジェリドはバズーカを構える。苦し紛れの動きだ。百式は素早く接近し、そのバズーカの距離を外す。

 バズーカの銃身が、百式の肩に当たった。Mk-Ⅱはビームライフルを持った左手で、同じくビームライフルを持った百式の右手を押さえ込む。

 百式は左手を引いた。間違いなく、ビームサーベルを抜く気だ。Mk-Ⅱはスラスターを使って、百式の上方に逃れる。

「真似るぜ、シャア!」

 五発目のハイパーバズーカ。それは百式に届かず、爆発する。弾丸を撃ちぬいたのは、ジェリドのビームライフルだ。

 宇宙であっても爆煙は出る。それに紛れて、ジェリドのMk-Ⅱは百式へビームライフルを撃ち込む。

 ビームが数発、爆煙の中に消える。当たっていたなら爆発が起こるはずだ。バズーカの爆煙の周囲に目を凝らしても、百式の姿は見えない。

「馬鹿な……どこだ、シャア!」

 背後か。ジェリドは三百六十度にまで警戒を広げる。

 通信が飛び込んだ。カクリコンだ。

「ジェリド! 正面だ!」

 爆煙の中からビームが返ってくる。クワトロは爆煙に身を隠したまま、出どころが見えないビームをかわしたのだ。ジェリドは背筋が寒くなった。

 カクリコンが両者の側面から割って入ると、百式はすぐさまライフルを向け撃ち返しながら逃げていった。

「逃がさんぞ!」

「待て、ジェリド!」

 カクリコンのMk-Ⅱの手が、ジェリドの機体の肩を掴んだ。

「ちょうどいい! あの金ピカを二人で!」

「高度計を見ろ! もう持たんぞ!」

 カクリコンは冷静だ。熱くなっていたジェリドは、久々に高度計を見た。

「まだ行ける!」

「落とせなかった時の体勢次第じゃ、バリュートで身動きも取れず死ぬ!」

「二人がかりなら落とせる! だから逃げた!」

 ジェリドは叫んだ。金ピカを必ず落とすつもりだ。

「バリュートが怖いんだよ、シャアは! だから逃げ回って、俺たちと戦わない!」

 クワトロは、二人がかりでも相手にできる自信はあった。だが、バリュートによる不測の事態を避け、ジェリドとカクリコンから逃げた。

「ジャブローに降りてからでいい! ……それならシャアの方から来てくれるさ」

「しかし!!」

「熱くなりすぎるんだよ、お前は! 熱くなるから、その分俺はクールでいなきゃならん。手柄が立てられんわけさ」

 事実、カクリコンの冷静さはジェリドあってこそでもあった。模擬戦で打ちのめされ、今もこうしてカッとなったジェリドを見たことで、冷静さを強く意識するようになった。

「……すまん、カクリコン」

 言い合いの末、頭を下げたのはジェリドだった。大気圏突入の恐怖は彼も感じている。一度立ち止まれば、冷えた頭が恐怖を思い出す。

「いいのさ。……バリュートが開いてる時に撃たれたらたまったもんじゃない。行くぞ」

 二人は敵の少ないところへ腰を据え、バリュートを開いた。

 重力の井戸の底へ、落ちる。彼らの故郷、地球へ。

 

 

 


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