ウマ娘プリティダービー《Unusual world line》 作:K.T.G.Y
「……君が、チカチーロか?」
放課後、エアグルーヴは学園内にある生徒指導室に来ていた。
ウマ娘とてこれだけいれば性格の良い悪いはあるものだ。だがここが使われることなど滅多にない。狭い一室のテーブルには埃が積もっていた。
「…………」
チカチーロと呼ばれたウマ娘は、何も言わず、ただ、こくりと頷いた。
その眼は地獄の底を見てきたような暗く淀んだ眼だった。こんなウマ娘がいたとは……エアグルーヴは怯えた。人斬りか何かの眼に見えたからだ。
「お前は現在、トイレでタバコを吸っていた罪で、停学処分間近だ。何か申し開きすることはあるか?」
チカチーロは何も答えず、ただ首を横に振った。
「運命を受け入れる、ということか。君を処分するのは簡単だ。しかし、君には来てもらいたいところがある。生徒会室だ」
「…………」
「シンボリルドルフ会長に会い、洗いざらい話してもらう。いいな?」
「…………」
チカチーロはやはり答えない。いや、さっきから一言も喋ってない。エアグルーヴは苛だった。
「ここだ」
生徒会室の目の前に来ても、チカチーロは何も答えない。
コンコン……
「会長、失礼します」
ドアを開け、二人が入室する。
「エアグルーヴ、有難う。彼女を連れてきてくれて。私が生徒会長のシンボリルドルフだ。チカチーロ君」
「…………」
「こら、会長の御前だぞ! 返事くらいせんか!」
「…………どうも」
首を下げず、チカチーロは答えた。
シンボリルドルフは戦慄した。彼女の、この世の全てを恨み、何もかも壊してしまいたいと語っている眼に。油断したら命をもっていかれそうな眼に。
(私も度胸は据わっていると思っていたが、いやはや、この歳でも怖いものというものはあるんだな……)
「突然連れてきてしまって申し訳ない。君は今、素行の悪さにより、問題児として扱われているという。それは間違いないね」
「そうっスね……」
チカチーロは懐から何かを取り出した。タバコだった。それにライターで火を点け、口に咥える。
まるで挑発するように。
「こら! 生徒会室は禁煙だぞ!」
「ふん、これだからいい子ちゃんは。これタバコじゃないっスよ。マリファナっス」
「何だと!?」
エアグルーヴは余りの所業に激怒した。本当に麻薬なら、大麻所持法違反で即刻逮捕ものである。
「実家から苗を一本持ってきましてね。畑の隅に植えたんスよ。誰も気付かなくて内心ゲラゲラ笑ってました。……吸います?」
「ふざけるな!」
エアグルーヴは咥えていたタバコを取り上げ、足で消した。
「あーあー勿体ない……」
「おまえは逮捕されてもいいと言うのか!?」
「別にいいっスよ。少年院なら飯も食えるし雨風も凌げる。致せり尽くせりじゃないっスか」
「おまえはふざけているのか!? さっきから我々を挑発するような真似をして!
自分は不良生徒です、と言うならまだ分かる! だがおまえのやってることは明白な犯罪行為だ!」
「そりゃ、清廉潔白なウマ娘が集うトレセン学園で、大麻が見つかったとなればスキャンダルですからねー。まあマスコミは面白がるかも?」
「苗は何処だ!? 後で回収させてもらう!」
「仕方ないっスね……」
シンボリルドルフは二人のやり取りに違和感を感じた。傍目から見れば、エアグルーヴが不良生徒を叱っているだけに見える。
しかしこのチカチーロというウマ娘の態度は、どこか肝が据わっているというか、何もかも諦めているように見えた。
「やれやれ、一筋縄ではいかないウマ娘のようだな、君は」
「自分はカスですから……」
「君に幾つか質問をしたい。君は授業もろくに出ていないと聞く。それは何故かな?」
「そりゃ簡単です。全然分からないからっス。自分、最終学歴は、小学校中退ですから」
「何だと……!?」
「親が学費を払うのがもったいないってんで一年の時に辞めさせられました。おかげで漢字も九九も分かりません。勉強に付いていけないので、サボってるっス」
「待て待て待て! 義務教育は日本の決まりだろう! 家が貧乏だったということか!?」
「貧乏とかじゃないっス。クソババアはアル中で、毎日酒浸り。酒代がもったいないという理由で辞めさせられたっス」
「……父親は?」
「クソジジイはDVでした。毎日ボコられてました。赤ん坊の頃、ウサギ用のケージに入れられたこともあったっス。大きくなってフルボッコにしてやったら逃げていきましたけど」
シンボリルドルフは冷静に彼女の話の要点を摘まんでいた。
いわゆる家庭崩壊。父にも母にも頼れず己一人で生きてきたという事か……?
「でもこのままじゃ飯も食えないってんで、暴力団とつるんでました。集金、麻薬の取引、色々やらされましたよ」
「反社とつるむことがどれだけ問題なのか分かった上でか?」
「そりゃね。でも背に腹は代えられないっていうんですか? こういう時? まあ酷い目にあったことも腐るほどあったっスけど」
「当たり前だ。ところで、今はそういった連中との関係は断ち切ったんだろうな!?」
「さあね。こういう縁はそう簡単には切れませんよ……」
(さて、どうしたもんか……)
シンボリルドルフは考えた。
確かにチカチーロというウマ娘、下手をすればトレセン学園そのものを破壊してしまいかねない爆弾だ。
だがそんな彼女が特待生選抜試験の走力テストで驚異的な記録を出し、他の過程をすっ飛ばして合格通知を受けた、というのは興味深い。
地獄のような幼少時、それに反発するかのような溢れんばかりの才能。
何よりシンザンとの挑戦がある。このくらいのリスクを持たなければ勝てないのではないだろうか。
「ふむ、面白いじゃないか。君の野性味溢れる境遇、そして反骨心、だが一つ間違えればただの獣(ケダモノ)になってしまう危険性がある。私はそれを防ぎたい」
「会長……!」
「多少近眼ではあるが、私が手助けしてもいい。何なら、親代わりになってもいい。どうだ?」
「わたしに、情けをかけるつもりなんスか」
「そうとってもらっても構わないが……」
「ふざけんな!!」
チカチーロは耳をつん裂く程の怒声をあげた。
「冬の夜、ボロを着せられて物乞いをしたことがあるか!?」
「!?」
「金のために暴力団相手に体を売ったことがあるのかよ!?」
「!?」
「この世の奴はどいつもこいつもクソッタレだ! みんなわたしの敵だ!!」
「…………」
あまりの壮絶な過去に、エアグルーヴもシンボリルドルフも言葉が出なかった。
「はあ……はあ……はあ……すまないっス、興奮した」
「いや、いいんだ。君の腹の底を知ってこそ、呼んだ甲斐があるというものだ」
「……ふん、まあ、こんな素行が悪いのが、良い子ちゃん揃いのトレセン学園に居ちゃ、迷惑ですよね」
チカチーロは後ろを向いて、出ていこうとする。
「何処へ行く気だ?」
「……辞めるんスよ。こんな学園。あばよっス。……カフェテリアの飯は、美味かったですよ」
「待ちたまえ!」
ドアノブに手を掛けようとした時、シンボリルドルフが呼び止める。
「君のことはよく分かった。しかし私はそんな事を聞きたくて君を呼んだわけではない」
「……なんだと?」
「私は君の走りが見たいんだ。まあ最後のついでと思ってくれればいい。是非ターフに出て走りを見せてくれないか?」
「……ちっ! しつこい奴だ……」
「そうさ、私はしつこいんだ」
シンボリルドルフ、エアグルーヴ、チカチーロはターフに来ていた。会長自らがお越しとあって、場内の他のウマ娘も緊張している。
(会長が来てる……)
(何が目的だろ?)
「……で、どうすりゃいいんだ? 悪いが肺はヤニで汚れてるから、長い距離は走れませんよ」
チカチーロはジャージに着替え、蹄鉄があらかじめ付いた練習用シューズに履き替えさせられていた。
「そうだな、ではマイル距離……1600mでいいかい? ああ、準備運動はちゃんとするように」
「ちっ……ふざけた奴だ!」
チカチーロは言われた通り準備運動をする。
「会長。幾らなんでも滅茶苦茶です。こんな素行の悪いどころじゃない奴に期待するなど……」
「エアグルーヴ、普通ならそうだ。だが私はまだ彼女の走りを一度も見ていない。興味があるんだ。ただそれだけさ」
「会長……」
「……準備できましたけど」
「そうか。では、始めよう。よーい……」
「スタート!」
瞬間、チカチーロの体が跳ねた。
ダダダッ!! ダッダダッ! ダダダダッ!! ダッダッ!!
エアグルーヴとシンボリルドルフは、チカチーロの走りに度肝を抜かれた。
「速い……。そして何て力強い走りなんだ。芝が悲鳴をあげている……!」
「ああ。とても中等部の新人とは思えない。これはもはや重賞を狙える程の走りだ」
コーナーに入る。チカチーロはスピードを落とさない。そのせいか、大きく膨らんだ。
「基本はなってない、か。コーナーは苦手のようですね」
「おそらく我流でやってきたのだろう。誰にも学ばず、教えも請わず、才能だけでやってきたんだ」
最後の直線、チカチーロは更にスピードを上げる。
芝を跳ね上げ、ターフにいたウマ娘を突き飛ばし、一心不乱にゴールへ走る。
そして予定されていた1600mを走り抜けると、ようやく止まったが、余裕たっぷりだった。息を切らしていないのだ。
パチパチ……。パチパチパチ……。
シンボリルドルフも、エアグルーヴも、周りにいたウマ娘達も、トレーナーも、拍手でその走りを祝福した。それだけインパクトがある走りだった。
もしこれが選抜レースだったら、我先にとスカウトが集まってきただろう。
「素晴らしい!」
「……ふん、どうも」
「これ程の逸材を見逃していたとは不覚の至りだよ。しかし君、何故試験を受けたんだい?」
「……たまたま新聞で特退の選抜試験があるって知って、ひょっとしたら有名なウマ娘に会えるかもしれないって興味本位で。
まあ履歴書とか必要だったら試験受けられませんでしたけど」
「母親は喜んだのかい?」
「そんなわけないっスよ。これで競バ賭博でオッズの高いウマ娘に掛けられるかもしれないとは言ってましたけどね」
競バ賭博。ウマ娘のレースが公営ギャンブルでない日本において、暴力団関係者による有名なシノギである。
その歴史は深く、戦前のレースから始まっているといわれており、中央、地方問わず場外のトトカルチョは貴重な資金源とされており、警察はいつもそれを追っている。
当然八百長行為も行われているケースもあるが、加担したウマ娘には厳しい罰が与えられる。
「君は八百長行為に加担しないと誓えるかい?」
「時と場合に寄りますね。この社会、最後に物を言うのは金ですから」
「だが、それは君の本意ではないと思うんだが」
「…………」
「チカチーロ、私と来い。これが君がまっすぐな道を歩める最後のチャンスだ」
シンボリルドルフは彼女に手を差し伸べる。トレセン学園会長ともあろう御方が、よりにもよって不良生徒の最右翼たるウマ娘をスカウトしようとしているのだ。
隣のエアグルーヴは反対したかった。だがあの走りの中に会長も感じたのだろう。この娘には溢れんばかりの走りの才能がある。それを腐らせるには惜しい、と。
「……あんたに付いていけば、このカスみたいな人生から抜け出せるってのか?」
「そうだ。それどころか、才能と実力だけがモノを言う世界で、歓声と祝福を受けることだってできるぞ」
「……こんなごみ溜めみたいな運命をぶっ潰せるってのか?」
「そうだ。君ならGⅠのタイトルを複数取ることだって可能だ。サクセスストーリーとして充分だと思うが」
「…………。分かった。私はあんたに付いていく。今までの人生を100倍返しにしてやる。死を……運命を……ねじ伏せてやるよ!!」
「決まりだな」
シンボリルドルフは優しく微笑んだ。その微笑は、聖母のものか、果たして邪神のものか。
「あ、それから酒とタバコと薬物(ドラッグ)は止めるんだぞ」
「うっ、それは……」
「それからチカチーロという名前も演技が悪いな。そうだ。私の冠名を君にあげよう」
「今日から君は、シンボリエムブレムと名乗るがいい!」