ウマ娘プリティダービー《Unusual world line》 作:K.T.G.Y
トレセン学園からそう離れていない大病院。
ライスシャワーは今日もリハビリに励んでいた。
「んっ……はっ……んっ……んんっ……」
ライスは膝にボルトを挿れた。少しでも負担を軽くするための措置なのだが、膝は言うまでもなく駆動域である。曲げることすら一苦労になる。
脚の状態だって決して良くはない。ようやく歩行訓練の許可が出たとはいえ、最初は脚を地面に付けただけで痛みが走った。
かといって何も動かさずにしていれば筋肉と関節が癒着して余計曲げることが困難になる。痛みに耐えながら脚を少しずつ降ろし、馴染ませていくしかない。
今は歩くことすら困難な時期。それを乗り越えれば走る練習を行い、そしてまともなトレーニングに到達するまでには気の遠くなるような時間が掛かる。
かつて、ライスは精神を極限まで引き上げ、メジロマックイーンに勝利した。要求されるのは、その領域かもしれない。
だがここは病院である。どれほど頑張っても、限界だと医師が判断すればその時点で今日のリハビリは終了だ。
なにせ毎日鬼気迫る表情で歩行練習に取り組んでいるのである。周りの患者たちはドン引きしており、常にハラハラしっぱなしだ。
「はあ……はあ……んんっ……んんん……~~~~~!」
ライスが倒れる。担当医が駆け寄る。
「ライスシャワーさん、今日はもう限界です。病室に戻ってください」
「大丈夫です……。ライス、まだやれます」
「駄目です。もしまた膝を壊したら叱られるのはわたし達なんですよ」
「……。分かりました」
渋々ライスは車椅子に乗り、リハビリテーションを後にする。
主治医は依然、完治は難しい、どころか、まともに歩けるようになるのが精一杯、走るなど論外という見解だった。
唯一、それを否定してくれたのがシンザンだった。
「全てのウマ娘は、不可能を超えていくものだ」と。
(……おばさま、ブルボンさん、ウララちゃん、みんな、……ライス、頑張るからね)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「さあ、カノープス本格GⅠ参戦ですよ! 皆さん、頑張りましょう!」
「えい、えい、おー!」
「みんな頑張るぞー!」
南坂トレーナーがカノープスの面々に檄を飛ばす。
これまでGⅠ参戦は何度もあった。しかし、幾度となく格上のウマ娘達に勝利を阻まれてきた。
誰だって勝てば嬉しいし、負ければ悔しい。しかしシンザンの手助けもあってカノープスの面々はこの上なく仕上がった。
今なら……そんな思いがメンバーを包んでいる。
「掴みましょう! カノープス初のGⅠ勝利を!」
「勿論です」
「やるぞー!」
「ターボも頑張るー!」
「……」
その中にあって、ナイスネイチャだけが少し元気がない。
「どうしたのネイチャ?」
「え、うん、ちょっと、ね……」
「どうしたネイチャ!? 変な者でも食べたか?」
「そんなマチタンじゃあるまいし……」
「んもー! わたし蜘蛛なんか食べてないよー!」
別に元気がないわけではない。だがネイチャはこのGⅠに対して思うところがあった。
「ねえ、トレーナー……」
「どうしました、ネイチャさん?」
「……ちょっと、食堂で二人で話せないかな?」
「一体どうしましたか?」
南坂トレーナーはいつも通り優しい表情で体面のネイチャに話しかける。
「うん……あの、あのね……今までありがとね、トレーナー……」
「え、何ですか? 藪から棒に」
ネイチャはここまでの事を思い出していた。そう、全てを。
商店街のバーの娘として生まれ、幼き頃からみんなに愛されてきた。自分の側には、いつだって応援してくれる人々がいた。
そんな皆の期待に応えたい。無謀かもしれないけど、ウマ娘として輝きたい。そう思ってトレセン学園に入学した。
でも現実は、やっぱり現実なわけで。甘くは決してないわけで……。
模擬レースも、選抜レースも、3着ぐらいが関の山。どれだけ努力しても、1着が遠かった。
しかも怪我までする。ああ、やっぱり自分はこうなんだろうな、と上手くいかずに悶々とする日々……。
そんな自分をスカウトしてくれたのが南坂トレーナーだった。それも怪我から復帰後のトレーニングをどっさり持ち込んで。
この人の期待に応えたい。そう思った。そうだ。自分はいつだって自分のために走ったことがなかった。
自分のために走ったのはトウカイテイオーと戦いたいと思った菊花賞の時が初めてだった。結局その想いは片思いで終わっちゃったけど……。
それから新メンバーが次々に入ってきて、カノープスも華やかになった。
まさかあんなへたくそな募集ポスターで入ってくる娘がいるとは思わなかったな。こんなことならもっと真面目に描くんだったなぁ……。今更だけど。
こうして心機一転、カノープスもチームとしてレースに出ることが多くなったけど、結局みんな1着が遠かった。
勿論未勝利ってわけじゃない。GⅢとかは勝ったし。
でもGⅠとなるといっつも引き立て役ばかりなのは変わらなかった。みんな勝ちたい筈なのに。
そんな私たちに転機が訪れる。伝説のウマ娘シンザンさんにターボが弟子入りした時だ。
ターボは私たちが見違えるほど走りの『質』が違っていた。
そしてトレーナーがシンザンさんに協力を申し出たのも大きかった。
特訓が始まった。地味だけど、とっても重要で、充実した時間。
手ごたえはあった。私たちは強くなった。
宝塚記念では情に流されてミホノブルボンに1着を譲っちゃったけど……。
そしてこの秋。カノープスは再びGⅠに挑戦する。
その前に、どうしてもトレーナーには伝えたいことがあった。
「私たち、シンザンさんのおかげで強くなった。強く、なったよ……。でもね、やっぱり競走バである以上、テイオーやマックイーンのように寿命はいつか来るわけで……」
「ネイチャさん……脚、厳しいんですか?」
「うん……シンザンさんに鍛えられていなかったら、とっくに限界はきてたと思う。みんなに釣られて発奮したからここまで来れた。でも……」
「…………」
「次の秋天、それが私の最後のGⅠ挑戦になると思う」
「そう、ですか……」
「でも、有難うね。トレーナー。あんまり実績ない私を秋天出場枠にねじ込んでくれて」
「私はトレーナーです。ウマ娘の皆さんが全力を出せるようにサポートすることが役目ですから。それに……私だって担当するウマ娘がGⅠを取る所を見てみたいですし」
「うん。トレーナーには感謝してる」
「でも、これだけは約束してください」
「何を?」
「カノープスは辞めないでください。ネイチャさんにはまだ皆さんを率いていく役目があります」
「……うん。分かった」
ナイスネイチャに後悔はなかった。悲痛な決心の元、天皇賞秋に挑む事を改めて決意するのだった。
そして、秋天の前週、秋華賞の日がやってきた。
カノープスからはイクノディクタス、マチカネタンホイザが出場する。ツインターボはなんでターボは出られないんだと機嫌が悪かったが、レースはちゃんと応援すると言っていた。
『春、週一ペースでGⅠレースが行われていた競バ界。暑い夏が過ぎ、今年も秋のGⅠレースが続く季節がやってきました』
『京都競バ場芝2000m秋華賞。スタンドは大勢の観客で賑わっております』
控室。イクノ、タンホイザは落ち着いていた。その中にはシンザンの姿もある。
「どうだい、調子は?」
「悪くないです。後は早めに前に出ていいポジションが取れるかですね」
「私は脚を溜めるつもりでいくよ。最後の直線までじっと我慢!」
「うんうん。悪くないね。二人ともいい面構えをしている。これならいいレースが出来そうだ」
「頑張ってね、二人とも」
「ターボのぶんまでがんばれよ、イクノ、マチタン!」
カノープスは二人出場。つまりどちらかが1着ならGⅠは取れるがもう片方は涙を流す。どちらが勝っても恨みっこなしだ。
しかしこれはGⅠ。油断しているとたちまち他の実力バにやられることも重々承知している。
ガチャ
「イクノディクタスさん、マチカネタンホイザさん、お時間です。ターフの方へお願いします」
「はい」
「はーい」
「頑張れよ! ターボめいっぱい応援するから!」
『さあ各ウマ娘、ターフの方に出てきました』
『やはり注目は一番人気、ダイワスカーレットでしょうか』
そのダイワスカーレットが現れた時、スタンドから大きな声援が起こる。なにせ去年の秋華賞優勝ウマ娘だ。2連覇に向けて準風満帆といったところか。
「カノープスのお二人!」
スカーレットが話しかけてきた。
「なんかさ、スピカとカノープスの対決、なんて学園じゃ盛り上がってるのよね。テイオーもそんな調子だったし」
「そうなんですか」
「……1番は譲らないから」
「ええ。私たちも負けるつもりはありません」
「ダスカちゃん、ウイニングライブのメインは貰うからねー」
『さあ、晴天に恵まれた本日の秋華賞。1番人気ダイワスカーレット。2番人気はマチカネタンホイザ。3番人気はイクノディクタスとなっております』
『果たしてダイワスカーレット、2連覇なるか。それとも下剋上は起こりうるのか。火花散らすデッドヒートに期待したいですね』
『各ウマ娘。ゲートイン完了。態勢整いました』
(一番人気と一着、この二つは譲らない。私が勝つ!)
(淀みなし。まずはゲート勝負に勝ちたいですね……)
(負けられない。カノープスの夢はわたしが叶える!)
ガコン!!
『スタートです。各ウマ娘綺麗なスタートです。出遅れたウマ娘はいません』
『これはかなりレベルの高いレースになりそうですね!』
「よし、飛ばす!」
『おおっと一番人気ダイワスカーレット、いきなりハナに立った』
『この走り……どうやら逃げを選択したようですね』
ダイワスカーレットはスタートから快調に飛ばす。じりじりと2番手以降に差を付けていく。3、4、5バ身と差は離れていく。
『これはどうなんでしょう、ダイワスカーレット』
『いや、このGⅠという独特の緊張感の中で競り合いを選ばないというのは面白い作戦ですよ』
一方、イクノディクタスは前段の5番手。マチカネタンホイザはバ郡の中段8番手といったところか。
「ああ、ダスカに付いて行ってるウマ娘がいない……」
「イクノー、タンホイー、追いかけろー!」
「いや、これでいいんだ。ここまではね……」
シンザンが冷静にレースを分析する。
(成程……)
ターボのような大逃げではないにしろ、序盤から2番手以降にどんどん差を付け、後続のウマ娘にプレッシャーを掛ける。
このレースはGⅠ秋華賞。走っているウマ娘達の重圧は計り知れない。当然我慢できずに追いかける者も出てくるだろう。
痺れを切らして追いかければ脚を使い込み最後に伸びず、我慢して脚を溜めれば最後に前を塞がれ差しきれずに終わる。
実に理にかなった作戦だとイクノは分析した。
(そこまではまあ……。ですがスカーレットさん、その作戦には大きな見落としがあります)
それは誰かが作戦に引っかかってくれなければ成立しないという事。その他力本願な心……。
宿題見せてーと言った瞬間、もう内容は頭に入ってない。
結婚した瞬間、もう家事をやる気はない。
そんな人任せな心では……、
((わたし達は倒せない……!))
『さあ追いかけるウマ娘がぼちぼち現れると思いますが、みんな思ったより冷静です』
『しかし、そろそろ追いかけないと逃げ切られてしまいかねませんが』
カチッ
「1000mのタイムが1分台……!? 思ったよりハイペースではありませんよ!」
手元のストップウォッチを押した南坂トレーナーがタイムに驚く。
「やはりハイペースな逃げではないね、周りをかく乱させるための逃げ、か……」
「ふん、ターボなら58秒切れるぞ!」
周りのウマ娘も、どこか甘えがある。
(いや、別に無理して付いて行く必要はないよね)
(私は行かないからあなた達が行ってよ)
(行け! 行ってっつーの!)
誘いに引っかかってもらってあわよくばおこぼれを拾おうとしている者と、
勝つためには自分の走りを貫くしかないと考えている者とでは、
((走りの質が違う……!))
『さあ、最終コーナーを回ってレースも終盤戦へと突入します』
『後ろのウマ娘もじわじわと距離を詰めてきました』
「あっれー? 追いかけてくるウマ娘がもっと来ると思ったんだけどなー?」
作戦通りと思ったダイワスカーレットもこれには困惑。
「ええい、何の! だったらこのまま逃げ切るだけよ!」
『先頭は依然ダイワスカーレット。これはセイフティリードか?』
「そうはさせない!」
「いくよダスカちゃん。この末脚は、他のウマ娘とは一味違うよ!」
『おーっと、ここでイクノディクタスがやってきた! 鋭い走りだ!』
「参ります、スカーレットさん」
「ふんっ、やるじゃない。やっぱり張り合いがある相手がいないと、ね!」
「わたしもいるよー!」
『ここでマチカネタンホイザも上がってきた! これで前は3頭態勢! やはり人気のウマ娘達の対決になるか!?』
「そうはいくかー!」
「絶対GⅠ取るんだー!」
「最後に勝つのは、あたしなんだからー!」
「わわっ、みんな来ちゃった!」
「いいですね。これでこそGⅠです」
「これを乗り越えた者だけが、栄光を掴めるんだね、燃えてきた!」
『残り200mを切った。後続のウマ娘も追いすがる。しかし、しかし、やはり3頭だ! 勝負はこの3頭に絞られた!』
「渡さない! 一番は絶対渡さない!」
「今まで培ってきた経験を、全てを! ここで出し切る!」
「今こそ見せるよ! 悪いのは運だけで、実力は本物ってところをね!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!!!!」」」
『3頭ほぼ同時にゴーーーーーーール!! これは、勝敗の判定はビデオ判定に委ねられそうです』
『どうなんでしょう……。私の目にはマチカネタンホイザが差し切ったように見えましたが……』
3人が、カノープスの面々が、観客が、電光掲示板に注目する。
ダイワスカーレットは自分の勝ちだと確信していた。
イクノディクタスは後は野となれ山となれの精神だった。
マチカネタンホイザは天運を待った。
ネイチャとターボは祈った。
シンザンは、笑った。
どうだ、誰だ、いつだ、皆が掲示板を見つめる中、遂にナンバーは灯った。
勝ったのは……、
『マチカネタンホイザ! マチカネタンホイザだー! 勝ったのはマチカネタンホイザ! 遂に、この秋、秋華賞で、見事栄冠を手にしましたぁぁぁっ!!』
ワアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!
「え、え、ええ……ほんと、まじ、わ、わたしが、勝ったの?」
「おめでとうございます。タンホイザさん」
イクノが拍手をしながら近寄ってくる。
「ふん、負けたわ。でも今日だけだから。次は勝つからね!」
ダスカがむすっとした顔で近寄ってくる。だが勝者を讃える拍手は忘れなかった。
「は、はは……ははは…………や、や、や、やった! やったあああああああああっ!!!」
マチカネタンホイザは天に向けてジャンプしながらガッツポーズをした。目元には涙が浮かび、興奮で鼻血も出したが、彼女は満足げであった。
レース後のインタビューの時がやってきた。観客席からはまだ拍手が終わっていない。
『おめでとうございます。見事な走りでしたね』
「はい、ありがとうございます」
『レース早々ダイワスカーレット選手が逃げました。思うところはありましたか?』
「さすがにこのままではまずいかもな、とは思いました。でも最後まで自分の走りを崩さずに、自分の脚を信じて走りました」
『レース結果発表が遅れて、緊張していたのではないですか?』
「そうですね。でもちょうど視界に入ってきたシンザンおばあちゃんが拍手をしていて、ああ、これは勝ったな、と思いました」
『これまで、多くのレースで、多くのウマ娘に栄冠を阻まれてきました。やはり悔しかったですか?』
「そう、ですね……。でも今日もそうだけど、最後まで自分を信じて、諦めなかったのが結果につながったんだと思います」
『諦めない、ですか……』
「そうですよ。何たって、チーム・カノープスは、諦めないウマ娘のチームですから!」
『この後のウイニングライブ、楽しみですか?』
「そりゃもう! 今まで溜まった分、思いっきり歌って踊ってきます!」
ワアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!!!
控室で、タンホイザは皆に胴上げされた。また鼻血が出た。ティッシュ持ってきてよー、とタンホイザは笑った。
(おめでとう、タンホイザ……)
ネイチャはGⅠ勝利という栄冠を手にしたチームメイトを心の底で讃え、羨ましがった。
(さあ、次はこの私の番だね……)