憂き世。浮世の語源であり、仏教的な厭世観を現世に照らし合わせ、「つらい世の中」とする意味である。ドでかく殴り書かれた半紙を、アテネは呆れたように見つめていた。理解が追いつかないからだ。
「憂いているのじゃよ、この世の中に」
「意味が分かりませんわ」
天井を見上げながら、ポツリとこぼれた三千院帝の言葉をにべもなく一蹴。その屋敷を統べる当主はといえば、そのまましばらく上を向いたまま固まっていたが。
「ねぇ、最近いっそうに冷たくない?」
「そうでしょうか、私はいつも通りですが」
「そんなことないやい!なんじゃなんじゃ、主従共々ワシにちっとも優しくないじゃないとは何事か!日に日に反抗期が増している」
子どものように駄々をこねる老人には、さしものアテネといえど手に余る。と、どこからともなく彼女はハサミを取り出して、軽く刃の部分を開閉してみせる。
「何それちょっとどうするつもり?」
「いえ、話すのに鬱陶しそうなその髭を切り落とそうとかと」
「威厳の象徴をもっと尊重して」
帝は恐れおののきながら2,3歩後ずさる。が、すぐに咳払いを一つ。
「そう急くでない。聞きたいことは分かっとる」
先ほどとは打って変わって、神妙な表情で眉間にしわをよせると
「ゆ○りんの、今後についてじゃな?」
「お暇します。ご機嫌よう」
「うそ待ってごめんさない」
立ち上がるやいなや、踵を返して出口に向かう天王州家の当主。それにすがるようにして引き留める三千院家の当主。両財閥のトップでありながら、年齢と立場は必ずしも一致していないようだ。
「お前さんのところの、執事のことじゃな」
深くため息をつくと、アテネはおもむろに椅子に座り直した。
「それで、何か分かったことは」
「いや、さっぱりじゃ」
あっけらかんと言い放つ。
「いや別にあれじゃぞ、ふ○おたの投稿頻度が多くなってそっちにかまけてたとかそんなんじゃないから」
「は?」
「あ、いや違った間違えた」
口元がピクリと動いたお嬢様に慌てて「違うそうじゃない」と取り繕うご老体。
「お爺さま?」
「はい」
「仰いましたよね、『重要な手がかりを見つけた』と。それでこうしてお屋敷に足を運ばせていただいた訳ですが」
「はい」
実質孫娘ともいえるほど年の離れた少女の前で正座をさせられるこの光景はいかなるものか。
「それで、今なんて?」
「さっぱりと」
ケンカを売っているのだろうか。しかし老人は真面目な表情を作ると、おもむろに立ち上がる。
「より正確に言えば、三千院家の力を使った長期間の調査にもかかわらず何も分からないことが、分かった」
アテネは小さくため息をつくと、椅子の背もたれに身体を預けた。
「でしたら、最初からそう仰ってくれればいいではないですか」
「いやだって、前に自信満々に引き受けたから。『この世の全てを置いてきた島だって見つけられる』って、あれ男の意地みたいなもんじゃよ」
「知りませんわ」
足が痺れたのか、こんこんと膝を叩きながら。彼は近くの棚に置かれていたペンダントを持ち上げる。
「この模様が何を指すのか、結局分からずじまいじゃ。何かの紋章なのか、少なくとも今現在この模様と同じものは存在し得ぬ」
ひょいと、投げ渡されたペンダントをまじまじと見つめるアテネ。
細い皮のひもの先には碧い小さな丸い宝石のような石が。そこに金色の模様が刻印されていた。それは歯車のような形の模様の中に、芽のようなマークが施されたものだった。
「王玉とも似ているような気がしますが」
「いや、あれとは全くの別物じゃろうて。うちの記録にもそんな模様はついぞ出てこなかった」
「そうですか」
少し悔しそうな表情で軽く唇を噛み締めると、彼女は丁寧にひもを折りたたんで手中に納めた。
「手がかりらしいものは、それしかないからの。要するに手詰まりじゃ」
「あとは、本人の記憶次第という事ですね」
彼は一体何者なのか。
放たれた言葉は行く先を探すように彷徨い、書斎の大窓から降り注ぐ日の光は揺らめいた。
ふと、目を細めた帝がため息でもつくように口を開いた。
「やつの裾を掴んでいたくらいのお前さんが、肩を並べるくらいまで大きくなるとは、な。時間が経つというのはかくも恐ろしいものか」
「彼の年を超えるのも時間の問題かもしれませんわね、ここまでくると」
その綺麗な金髪を、白く長い人差し指が所在もなさげに弄ぶ。
「ところで奴は何歳なんじゃ」
「さぁ?本人も知らないみたいですし」
「成長しない原因も分からぬまま、病か呪いか。いずれは執事の世話ではなく、介護になるやもしれんのぅ」
「笑えませんわ」
冷めた表情で一蹴すると、話は終わりだとばかりに立ち上がるアテネ。
「ああ、そのペンダントはやつに返しておいてくれ」
「本人には?」
「うむ、伝えようとしたが……3rdステージイベントについての議論が紛糾してしまってな。忘れてた」
てへぺろ⭐︎
言い訳をわめく老人を放置して、そくさくと部屋を退散したアテネ。
屋敷の廊下に伸びるレッドカーペットをつかつかと歩いていると、ちょうど曲がり角から珍しい人物と鉢合わせをすることになった。
「あら」
少し驚いたような声。自分が発したのか、相手が発したのか。それとも同時だったか。ともあれ先に声をかけてきたのは向こうからだった。
「天王州さん、ご無沙汰しておりますわ」
そういって淑やかにお辞儀をしたのは、白いエプロンに黒いロングスカートを身につけた女性だ。一見すればこの屋敷のメイドかとも思われるが
「マリアさん。こちらこそ、お久しぶりです」
アテネもまた目を細めて、お辞儀を返した。
綺麗な栗色の髪をハーフアップにしてまとめ、街中を歩けば10人が10人振り返るであろう端正な顔立ち。たおやかな笑みを浮かべる彼女はまさしく聖母と同じ名前なのも納得である。
「いつ以来でしょう、確か数年前の社交界のときにご挨拶させていただいて」
「ええ、5年前くらいでしたね」
2人はそれぞれの目線の高さを確認するように、互いの額当たりをそっと見つめる。そのままぼんやりと頭の片隅から記憶を引っ張り上げようとして。
「あの時は」
声がハモった。
まだ身長もこんなものでしたから。多分2人ともそう口にしようとしていたに違いなかった。懐かしさに感慨に耽るような歳ではあるまいに。
そう思うと、どこかおかしさが込み上げてきて小さく口元を緩めた。それも、同時に。
「お爺さまのお孫さん、確かナギさんのところで働かれていると聞きました、うちの執事から」
「まぁ」
マリアは目を丸くした素振りを見せて。
「まだ気にかけてくださってたんですね」
「彼とは、もうしばらく会われていないのですか?」
「全く」
年賀状は毎年いただいていましたけれど。
そう言って彼女は悪戯っぽく相好を崩した。
「そうですわね、気まずいんじゃないでしょうか」
「え?」
「例えていうなら、入社1年で会社を辞めて別会社に転職したのはいいけれど、まだ前の会社の前は通りたくない、みたいな?」
イマイチ要領の得ない表情に気が付いたのか、彼女は冗談ですわといっておかしそうにまた笑う。どうも自分が考えているよりも、幾分かお茶目な性格のようだった。
「マリアさんの所で執事をしていたのは1年少しでしたでしょうか」
「ええ、ほんのちょっとです。けれど執事さんというよりは」
口元に人差し指を添えて、考えるように窓の外に視線を彷徨わせる。
「年の離れた親戚のお兄さん、って感じでしょうか」
それも、ちょっと風変わりな。
「天王州さんもそうだったんじゃありません?」
「変人という点は同意しますが、アレは」
「あらあら」
呆れたように息をついて腕を組むアテネ。そんな彼女の様子をどこか微笑ましそうに見つめるマリア。
「そういえば、どうして本日は三千院家に?」
「ええ、実は」
ドタバタ。
2人の会話の邪魔をするように、不揃いでいて大きな足音が鳴り響いた。
「ま、マリア様!」
何事かと振り返ると黒服を着た屈強な男たちが慌てた顔つきを隠そうともせずに身振り手振りで状況を伝えようとしているではないか。
「どうしたんですか、SPの皆さん」
「そ、それがですね!ちょっと目を離した隙にお嬢様が屋敷を抜け出されたようで」
「あー、またですか……」
マリアはどこからともなく、携帯端末を取り出した。
「ちょっと待ってください、あの子に付けてる発信器を見てみましょう」
「え?発信器って……そんなものを?」
「今日はお爺さまの家に来たのでたまたまです」
ここに来ると家出をすることも多いので。
屈託の無い笑顔で返すメイドさんに、若干引き気味で後ずさるアテネ。
「大丈夫です、敷地内にはいるようですわ」
この一言に黒服たちは一気に安堵の表情に。胸をなで下ろすもの、気を休め大きく伸びをするもの、あまつさえハイタッチして祝うものまで。まあ無理もない、三千院家のご令嬢の命はここにいる黒服全員の首を揃えても全く足りないくらいなのだから。
「とはいえ、皆さんちょっと頼りなさ過ぎるんじゃないですか」
しかし、メイドのジーっとした瞳を向けられ一転して肩をふるわせる屈強な男たち。
「無事だと分かっても、SPとしてすべきことがあるんじゃないですか?お給料減らしちゃいますよー」
「今すぐお嬢様の身の安全を確認して参ります!」
猛ダッシュで屋敷から駆けだしていく男たち。彼らの生殺与奪はどうやら、このメイドさんが握っているらしい。
「すみません、騒がしい人たちで」
なんと答えればいいのか。ひとまず愛想笑いをしておくに留める。
三千院家も色々な事情があるのだと、当たり前のことを今更
「お話の途中ですが、私もナギを探してきますね。本当に困った子で」
「気になさらないでください。久しぶりにお会いできて楽しかったですわ」
「こちらこそ」
お辞儀をすると、マリアはやや小走りで屋敷の出口の方へと向かっていく。と、何かを思い出したのか足を止めるとくるりと振り返って。
「私も従者の立場になりましたし。お時間があれば気にせず会いに来てと、伝えておいてください」
「ええ、伝えておきます」
満足そうに微笑むと、今度こそ彼女は角を曲がって姿を消した。
「本当に困った子で」。呆れながらに言った彼女は、それでもどこか楽しそうで。本当に主人を愛しているのだなと、去って行くその後ろ姿を見るだけでも分かるほどだ。
さて、再び宛てもなく屋敷内をうろうろしていると、エントランス付近の曲がり角からふらりと執事服の男が姿を現した。
「あら、こんな所にいたの」
もとい、彼女に執事アイルである。若干疲れた顔つきのように思えるが。
「お嬢様、用が済んだらさっさと帰りませんか」
「それはいいけれど、どうかしたの?」
「この屋敷にいるとアイデンティティが崩壊しそうで」
全く要領を得ない。が、この男がおかしいのは今に始まったことでもないので別段追及する気もなかった。
「ああ、そうでした。これを」
アテネはシルクのハンカチに包んでいたペンダントを差し出した。
「ああ、そういや帝様に預けてたんでしたっけ」
彼は礼を言って受け取るとそのままポケットに押し込める。
「気にならないの?」
「聞かなくても分かります」
「そう」
執事は特段気にした素振りもみせずに飄々としているので、彼女もそれ以上は深くは聞くこともしなかった。
「ああ、そうでした。つい今、マリアさんに会ったわ」
「マリアお嬢様に?」
マリアの名前を聞いた途端、少し表情を硬くする執事。
「本人はしばらく会ってないから、寂しそうだったけど。ひょっとして避けてる?」
「いや、避けてるというわけでは」
ない、とは言い切れないようで言葉を濁す。
「彼女、お爺さまのお孫さんのメイドになったのよね」
「そのようですね。どういった経緯かまでは聞いておりませんが」
「お時間があれば気にせず会いに来て、と」
彼はどこか困ったような表情で頷くわけでもなく、考えておきますとだけ返した。明らかに何かがあったような反応ではあるが、マリアの反応を見る限り彼女は何も気になっていないようだった。つまり彼のみの問題と言うことだろうか。軽く推察しようとして、アテネは頭の中でその考えを否定した。
当人同士の問題であるのだから、いくら主人とはいえ彼のプライバシーに踏み込む道理などありはしない。
「ま、俺の事よりも今は〝彼〟を見つけることに注力しましょう」
「えぇ、分かっています」
エントランスの玄関から、屋敷の外に。入口にある巨大な噴水からはムダに高々と水柱が上がっていた。その先には雲一つない青空が広がっている。
「もう出られますか、白皇の方に?」
「そうね。マキナは?」
「車内で寝てます」
執事とは。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい