天王州家。誰しもが名前くらいは聞いた事がある、世界有数の大財閥である。
その家の長に君臨するのは、跳梁跋扈する魑魅魍魎を従える長老でもなければ、権力と裏切りでのし上がってきた鉄血の女帝でもない。
年端もいかない、たった1人の少女である。そんなご令嬢の、華麗なる一日を追った。
天王州アテネの朝は遅い。
「開幕から人を罵倒しないでくれる?」
「ただの事実じゃないですか」
世界のありとあらゆる財力の源とも言われている、大財閥・天王州家の当主にしてご令嬢。世界経済にも影響を与えるほどの権限も、それに見合うほどの手腕を持ち合わせながら、彼女の寝起きの悪さも相当なものである。
起床後廊下に出たときには、時計の短針も11の数字をしっかりと捉えていた。
「まだ太陽は東側にあるのだから、朝は朝よ」
「概念的にはそうなんですがねぇ」
人間的にはどうなんでしょう。主人に対して遠慮なく暴言をぶつけてくる従者にも、キッとひと睨みをくれれば一瞬で押し黙る。これもまた、天王州家当主のカリスマ性ゆえである。
「バカにされているようにしか思えませんわ」
「お嬢様?」
「いいえ、なんでも」
コホンとひとつ咳払い。
「お嬢様、今日は天気もいいですから、昼食は外のテラスでしましょう。何か希望はありますか?」
「そうね、任せます」
「そうだ、この前庭先で新鮮なオブトサソリを捕まえたんですよ。それをフライにでもして」
「訂正するわ。食用のモノでお願い」
天王州家の御令嬢ともなれば、食材選びにもまた余念がない。
「そんな、あれは世界一高価な毒と言われてるんですよ!」
「そんな話は聞いていませんわッ」
ちなみに約4㍑で40億円の価値があるとか。
朝はやや遅いアテネだが、仕事の手際は一流だ。
経営から投資まで、世界中の業界を牽引している超大財閥の長ともなればそれも当然。従者が昼食の支度をしているわずかな間でも、部下や業界人らとはクラウドコンピューティングを使用したWEB会議サービスでスマートに経営会議や相談を――
「マキナ……おかしいわ、相手に私の声が届いていないのだけれど」
「アテネ、ミュートボタンを解除しないと通話できないんだ。前にも言ったぞこれは」
「ううっ」
機械にはめっぽう弱い。
「ナレーションうるさい」
食事は用意こそ従者がすれど、食事自体は彼らも含めて全員で行うことが多い。執事が終わるまでひたすら張り付いて給仕に徹するというお金持ちのイメージかたはややかけ離れた光景かもしれない。
しかしこれは彼女自身、食事も重要なコミュニケーションの場だと考えているからだ。勝手知ったる関係の人とはもちろん、見ず知らずの人間とも卓を囲むことはマナーや食そのものへの関心を高めると同時に、健康にも大きな影響をもたらすのである。
若きカリスマの人柄が垣間見える1シーンと言えよう。
「それにしても不気味だわ」
「何がです?」
そんな彼女が経営に携わる学校法人『白皇学院』の敷地内に、天王州家のお屋敷が存在する。
「ああ、ご自慢のアホ毛が左に向いてますもんね。今日仏滅か」
「人の髪を占いアイテムみたいに言わないでくれる?」
世界中に存在する拠点の一つであるが、学院の理事長という役職上、法人の敷地内に住み込みという形式を取っているのだ。住み込みといっても、敷地自体が東京都の1区分の広さなので実感はわきにくいが。
「今日は、貴方がえらく上機嫌だからよ」
アテネの言葉に、フォークを持った手を止めたアイル。心当たりがないとばかりに首をかしげた。
「そうでしょうか。いつも通りですが」
「いいえ。先程は鼻歌交じりに仕事もしていたし……いつにも増して不気味よ」
「本人の前で言うんだそれ」
納得がいかないとばかりに、ジーっと視線を向けてくる。
「昨日は珍しく夜遅い帰りみたいでしたし」
「あれは連絡した通りですって、『難しい事は分からないけど、若さが何かを知っている』と」
「意味が分かりませんわ」
ですが、まぁ。フォークとナイフをお皿の横に置くと、純白のナプキンで上品に口元を拭って
「心当たりがあるといえばアレでしょうね」
「というと?」
「それはもちろん」
どこからともなくカラフルなフリップを取り出した!
『アテネちゃん、初めてのお友達招待の巻~ドキドキ白皇編~』
「……何ですかこれは」
「今日のイベントのタイトルです」
文字の横には、アテネをデフォルメしたプチキャラが、周囲の名も無きプチキャラたちと満面の笑顔で手を取り合い喜んでいるイラストが。
すかさずフリップを取り上げると、問答無用で八つ裂きに。
「ああっ!結構頑張って描いたのに!」
「アホな事に時間使うことを少しは躊躇なさい」
フリップの破片を拾い上げながら、執事は不満げな表情で返す。
「何言ってんですか。お嬢様のご学友が、ついに自宅に遊びにいらっしゃるんですよ。これが大人しくしていられるとでも?お家の一大事ですよ、一大事」
「アホ、大げさよ」
一蹴するお嬢様。
「でもほら、マキナも楽しみにしていますよ」
「アテネの友達がウチにくるのかー!ちゃんとおもてなししないとな!」
目をキラキラさせて食事をしている少年。屈託のないその笑顔には、アテネも言葉に詰まってしまう。
「それに、初めてのお家招待でご友情に亀裂が入っては一生後悔するというもの。私も全力でサポートしますのでその気合いととらえてください」
「学校に通わせたての親ですかお前は」
隠すことなくため息をこぼすアテネ。
ふざけているのか、心配しているのか。否どちらもだろう、否否この男のことだ、おそらく前者の方が意味合いでは強いだろう。
天下の天王州家の当主といえど、まだ成人前の子どもだ。資産家や業界人との付き合いばかりでなく、年相応の友人関係もまた重要な時期なのである。しかし、家柄を考えると同じくらいの年齢で、気軽に交際できる間柄の関係は決して多いとは言えない。仮に近しい年代の付き合いがあったとしても、それは〝そういう世界〟での付き合いがほとんどになるだろう。
純粋に、年の近い友人としての付き合い。それがどれほど彼女にとって貴重なものかは言うまでもない。
そして、この日は貴重な時間に違いない日でもあった。そう、純粋な友人が屋敷を訪ねてくるのである。
「タイトル変えます?学友、襲来とか。1話目からアル○ーヌ乗ってきそうですが」
「いりませんッ」
「うわっ、やっぱり大きいわねー」
数時間後。
桂ヒナギクは、思わず息をのんでいた。
面前に広がるのは、噴水を中心とした庭園とその先にそびえる赤い尖塔が目立つ洋館。
ここ、白皇学院には数え切れないほどの施設がある。それはもう、一つの市並に色々と。杉並区の全域に及ぶ敷地面積なのだからそりゃそうだろというツッコミはもう飽和しているので置いておいて。ともあれ、それだけ広大な敷地であれば知らない施設の10や20はあっても不思議ではない。
「っていうか、時計塔や理事館もそうだけど一体どれだけの区画があるのかしら。用途不明の針葉樹林まであるし……」
まして、彼女のように高等部からの入学組であれば尚更だ。森に至っては、学校帰りにふらりと遭難事案が発生しても何ら不思議ではない。
「早めに把握しないとね、生徒会長だし」
ヒナギクは息をつきながら、開いていた地図を折りたたんだ。
庭園の中心にある噴水から吹き上がる水柱を横目に、月桂樹のアーチの先にある大きな扉の前へと歩み寄る。
ともすれば、学校の敷地内だと忘れてしまいそうなほど立派なお屋敷だ。そんな事を考えながら、呼び鈴に手をかける。ほどなくして、見知った顔が彼女を出迎えた。
「お待ちしておりました、ヒナギクさん」
「アイルさん、こんにちは」
今日はお招きいただきありがとうございます。執事であるアイルの深々とした礼に、彼女も丁寧なお辞儀で返す。
「こちらそこ、ご足労いただき恐縮です。迎えの車を手配しなくて本当によろしかったですか?」
「いやいや、同じ学校の敷地内ですから」
時々学校内だと忘れそうにはなるが。
「それにまだ区画を全部見て回れていませんでしたから。生徒会長として」
「なるほど」
こういった責任感が、1年生にして生徒会長を任される所以なのだろう。
エントランスホールの階段を上がり、2階の一角にある客間へ。軽くノックして扉を開けると、椅子に座ったままのアテネが出迎える。
「いらっしゃい、ヒナ」
「天王州さん、お邪魔してます」
ヒナギクが笑顔を浮かべると、読みかけていた本をそっと閉じて、アテネもまた相好を崩した。
彼女といえど年頃の少女だと感じさせてくれる存在は重要だ。
「ごめんなさい、わざわざ呼び立ててしまって」
「ううん、ちょうど私も会いたかったから。お帰りなさい」
「あら、嬉しいことを言ってくれるのね」
それでも、白皇の理事長と生徒会長という立場の2人だ。淑女らしく上品に挨拶を交わす。
「――などと、つとめて冷静を保っておられますが昨晩からずっとソワソワしておりまして、ろくに眠れず今朝は寝坊する始末という」
「静まれ」
従者の顔面には容赦なく扇子の柄が強襲した。
「ヒナギクさんは、砂糖とミルクはどうされますか」
「ありがとうございます、では一杯ずつ」
テーブルに並んだティーセット。手際よく給仕をするアイルの横から、トレーを持ったマキナが恐る恐るトいった様子で近づいてきた。
「ど、どうぞ!お茶菓子だ……です」
「ありがとう、マキナくん」
ヒナギクがにっこりと笑顔でトレーを受け取ると、彼はパッと顔を輝かせて、かと思うとすぐに首を振って表情を引き締めてぺこりとお辞儀を一つ。そのままピューっとアイルの後ろに回り込んでしまうが。
「褒められた!」
「はいはい、良かった良かった」
アイルに頭をなでられてご満悦の少年執事。
なんとも微笑ましい光景に、室内の雰囲気はより柔らかくなる。
「では、何かご入り用でしたらお呼びください。お嬢様、ヒナギクさん」
「ええ、ご苦労様」
従者2人は軽く会釈をすると、部屋を後に――
「あ!あと、『お友達作り絶対成功マニュアル、シチュエーション別10選』も必要でしたらここに置いておきますから。マキナ、室内のBGMはKO○OKO様のメドレーを」
「合点!」
「もういいから行け」
従者達を追い出しにかかる主人。微笑ましいやらおかしいやら、ヒナギクは堪えきれずに笑いをこぼしてしまう。
「本当に、天王州さんとアイルさんって仲が良いですね」
「断じてないですわ」
そういう所だと、彼女は喉元まで出かかった言葉を飲み込んで、代わりにもう一度笑ってみせた。
人生、他愛ない話題というのも大切だ。
一見何の生産性がないようにみえて、人と人のコミュニケーションの根幹を担っているのは他愛もない話題である。
「あら、体育祭で?」
「そう、しかもそこでまたお姉ちゃんが暴走して──」
クラスや生徒会の話、家族や家庭の話、最近の流行。一見ごくごく普通の、学校のクラスメート同士でするような会話でも、それでも特に幼い頃から大人や仕事にばかり囲まれていたアテネにとっては、心安まる時間には違いない。
「けれど安心したわ。生徒会も問題なくやっていけそうね」
「ええ、周りの皆が優秀だから、なんとか助けられて」
言うまでも無いが、そう言う彼女がダントツで優秀なので成り立っている。アテネもわざわざそんな分かりきったことは口にはしない。
「アレも遠慮無くこき使ってくれて構いませんから」
「ありがと。甘えすぎない程度にね、放っておくとうちの一部の生徒がおんぶに抱っこになりそうで」
宿題を教えてとか課題を教えてとかテストの答案も盗んできてとか。
「出来ることなら、未来永劫押しつけたいくらいなのだけれど」
「またそんな……」
「あら、私は本気よ」
麗しい女性2人が他愛もない話に華を咲かせている頃。
「なーなー、アイル」
調理室のテーブルを拭きながら、マキナは口を開いた。
「あの人はアテネのお友達なんだよな?敵じゃないんだよな?」
「心配するな、純粋な友達だよ」
持っていた包丁を丁寧に置くと、アイルは振り返って頷いてみせる。
「でも、アテネに近づいてくるやつは同じくらいの年でも悪い奴が多かったぞ」
「そりゃあな」
人懐っこい笑顔を浮かべながら、平気で相手を裏切り貶める。誰隔てなく優しい微笑みの下に、醜悪な欲望を渦巻かせている。年端もいかない少女に、同情を向ける振りをして殺意を向けてくる。
彼女が生きてきた世界はそんな人間も少なくなかった。全員が全員ではもちろん無いが、悪い印象や思い出というのは目立ちやすい。
側にいたマキナもまた、奥底にある警戒心を手放しきれていないようだった。
「でも、
「そっか!アイルがそう言うなら信じるぞ」
少年は純粋だ。安心したようにすぐに笑顔になる。
「あの人、ヒナギクさんみたいなお友達がいっぱいできて欲しいな!」
「そうだなー、100人くらい増えたらいいな。仕事で根詰まった時は皆でハイキングいったり、映画見たり、遊園地行ったり」
そうなったら――
「アイル?」
「何でもないよ」
止めていた包丁を再び動かす。
考えてみれば、解決していない問題はまだ山積している。先の事を考えるよりも、まずは目先の課題をどうにかしなくては。
「でも、どうやって友達増やせばいいのかな?」
「そりゃ、手段なんて千差万別だからな。決まった方法なんていうのはあってないようなもんだ」
「そもそも、2人はどうやって友達になったんだ?」
また手を止めると、思い出すように笑う執事。
「中々面白い出会いだったぞ、あれは」
白皇学院の理事長と生徒会長。経営者と生徒、立場こそ違えど、それぞれの分野のトップである。まして、2人の10人が10人振り返るほど、誰もが目も引く超絶美人。
強く賢く美しい、そんな2人が一緒にいるのだから、校内でも相当な注目の的だったりする。
そんな関係が始まったのは約半年前、今年の4月――
「来年の学院のパンフレットですが、お嬢様の水着グラビア写真特集を組むというのはどうでしょう」
「お前はバカなの?死ぬの?」
「いやでも、かなりの客引き需要が――」
日本に戻っていたアテネとアイルは、敷地内の旧校舎近くにある中庭で打ち合わせをしてる時だった。
2人の後方で、わずかだが草を踏みしめるような音に気付いた。とっさに視線を向けると、そこにはぽーっとアテネの方を見つめる制服姿の少女が一人。
「新入生が私に何のご用?」
「へ!?」
それこそが、入学したばかりのヒナギクだった。
彼女のその表情から、アテネに容姿に見惚れていたのは十分に見て取れた。
「あ、え、えっと!」
「なにかしら」
その美しく、冷たい瞳に捉えられたヒナギクは何を思ったのか。
「メ、メアド!交換しない?」
堪らず吹き出したのは執事だった。
きょとんとするアテネを差し置いて、膝を叩いて笑い続ける従者。
そこでヒナギクも、アテネの近くに彼がいたことに気がついたようだ。しばらく2人は唖然としていたが、
「貴女、面白い方ね」
つられて、アテネも笑みをこぼした。
「けれど生憎、そういうものは持っていないの」
「お嬢様は極度の機械音痴ですので」
「お黙り」
笑い疲れた執事に鉄槌をくれつつ。
「それと初対面の人に何かお願いをするときは、まず自分の名前を名乗る方が良いのではなくて」
やっと自分が失礼な事を言ってしまったと気がついたのか、顔を赤らめて慌てるヒナギク。
「ご、ごめんなさい!私は桂ヒナギク、今年白皇に入った1年生……です」
「私はアテネ、天王州アテネ」
アテネは遠くに見える時計塔に目を向けて、そっと口元を緩めた。
「この星で、もっとも偉大な女神の名前よ」
これがアテネとヒナギクのファーストコンタクトである。
「そんな事があって、それからはちょくちょく会ったりして交流を深められた訳だ」
「おお、初対面のアテネにいきなりメアドか。すごいな」
「だから、純粋な友達なんだろ」
そう言って、執事はまたおかしそうに笑うのだった。
冬も近くなれば日照時間も早いもので。
「今日はありがとう。久しぶりに話せて良かったわ、天王州さん」
「こちらこそ。楽しい時間でしたわ、ヒナ」
辺りが薄暗くなってきた夕方には、もう別れの時間である。楽しい時間とは得てして早く過ぎるから不思議だ。
「天王洲さん……か」
「どうされました、ヒナギクさん?」
玄関ホールまで降りてきたところで、何やら考え込むように口元に手を当てるヒナギク。忘れ物かなにかだろうかと執事が気に掛けるが。
「あ、いえ!ちょっと気になって」
彼女はアテネとアイルを交互に見ながら続ける。
「知り合って半年なのに、『天王州さん』って何だか他人行儀だなーって」
「そんなことですか」
アテネは扇子を口元に広げてこともなげに答える。だが執事は見逃さなかった、扇子の下では彼女の頬が嬉しそうに高揚していることに。
「で、でしたら……アテネと呼んでくれて構いませんわ」
「それもそうなんだけど、せっかくならもっとフレンドーなあだ名とかで呼べないかなーって」
アテネとアイルは顔を見合わせる。そうして再び笑顔で。
「……アテネで構いませんわ」
「あれ?なんか今微妙な間なかった?」
若干アテネに困惑の色が見えるのは気のせいだろうか。すると、ここぞとばかりに横の執事がさっとフォローに。
「ヒナギクさんは大変美しく、聡明で、芯の通った方だと存じております」
「へ?」
「1年生ながら、白皇の生徒会長をお勤めになるのもある種当然とも思います」
「あ、ありがとうございます?」
急に褒めそやされて、不意打ちを食らったように目が点になる生徒会長。
「しかし、誰しも弱点はあるものです」
「え?」
「あまりハッキリとは申し上げられないのですが、ヒナギクさんはネーミングセンスの方は壊滅的でいらっしゃるので」
「いやいや言ってますよ思い切り!はっきり!」
さすが天王州家の執事。媚びも忖度もしていない。
「ですので、自称フレンドリーなあだ名を付けた場合。お二人の友情に亀裂が入りかねないという危惧が少々」
「ちょっ、どういう意味ですかそれ!」
中々に失礼な物言いであるが。
「例えば、この前学院に迷い込んだタヌキにもお名前を付けられていましたよね」
「えーと、ポコ吉の事ですか?」
主人と従者は顔を見合わせる。
「その件は追々考えましょう、しかるべき時に備える方針で検討を」
「ですね。1人1人が地球の未来を考える方が先決かと」
「絶対に進まないやつですよねそれ!」
あだ名の件は見送りとなった。
お嬢様の夜は比較的不規則である。
特に、今日のように朝が遅かった時などは夜も寝付きが悪くなりやすい。
そんな時彼女は、ベランダで月明かりの下夜風に当たったり、室内で書物を読みふけったりと時間を潰すことが多い。
その日は、ふと聞こえてきた音が気になり部屋を出た。綺麗な音色。それは1階の隅の部屋からこぼれていた。
音を立てずに部屋を覗くと、黒い大きなグランドピアノの前に座る執事の姿が。すらりとした指を滑らかに動かしている。
柔らかく聞き心地が良い、それでいて儚げな旋律。この曲にタイトルがないことを、彼女は知っていた。既存の楽曲ではない、
しかし、彼女はその旋律を昔から知っていた。
「起こしちゃいました?」
気配に気がついたのか。滑らせていた指を止めると、アイルは首から上だけ振り返る。
彼女は軽く首を振ると、ピアノの側にある赤いソファに身体を預けた。
「すみません、とっくにお休みになってるものと」
「いいえ、構いませんわ」
アテネは目を細めると、月明かりの差し込む窓に。
「音楽に罪はありませんから」
「まるで私に罪があるみたいに」
「自覚がないの?」
皮肉を込めつつ、クスリと微笑む主人。だがすぐに、鍵盤においた彼の指を見つめた。
「続けてくれる?」
その音色が聞きたい。彼女の視線は切実にそれを訴えてきていた。
「普段もそれくらい素直ならいいんですがねぇ」
「何か言いまして?」
「いいえ」
やれやれと、アイルは肩をすくめると、そっと鍵盤に指を沿わせ。
「では」
突如激しく畳みかける連打音が。
「お待ちなさい、いきなり何を弾くつもり?」
「シューベルト」
眠りに誘うわ魔王より。こうして、夜は更けていく。
「まーまー、それはそれとしてアイルはん。せっかく来てくれたんやから、なんや面白い事してくれるんやろ?ステージで」
「……え?」
次回。関西からの刺客、強襲。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい