ハヤテのごとくの完全版が発売されるみたいですね!
書き下ろしされる新作おまけ漫画が非常に気になって眠れない今日この頃です
「探せ、草の根分けてもいぶし出せェッ!!」
深夜。都内にある倉庫で、パンチパーマの男が声を張り上げていた。肩に担いでいた竹刀を思い切り地面に叩きつけると、目の前に並んだスーツの男たちは萎縮したように肩を震わせた。
「アイツは1億5000万円の担保だ。失敗は許されねェぞ」
今度は隣にいた黒髪の男が静かに言葉を引き取った。
顔にくっきりと見える傷が、部下に威圧感をかけてくる。失敗したらどうなるのか、それは言葉にせずとも伝わってくる。
「ともかくローラーするしかねェ、吉田は自宅を張れ。柴村、てめーは級友宅周辺だ。が、間違ってもカタギに直接手を出すんじゃねェぞ。あとはてめえ自身のツテも使いながらくまなく歩け、見つけるまで帰ってくるな。以上解散」
男の指示に十数人ほどの男達は大きく頷くと、脱兎のごとく掛けだしていった。
パンチパーマの男はため息をつくと、倒れ込むようにしてパイプ椅子に体を預ける。
「奴は金を持ってねェ、十中八九近くにいる。公共施設か友人宅くらいしか選択肢はねェはずだ」
「ま、時間の問題でしょう」
傷の男も冷静に首肯してみせる。ふと前方に目を向けると、スーツの男が1人、こちらに引き返してきた。
「兄貴!」
「おうヤス、オメーどこに行ってたんだ」
「すいやせん!ちょっと便所に行ってまして、昼間食った豆パンが腐ってたみてえで」
相変わらずバカだなテメーは。パンチパーマの男は豪快に笑うと、そのまま竹刀を突きつけた。
「ヤス、オメーも都内を探してこい。水色の髪をした綾崎ってガキだ。生け捕りにしてここに持ってこい、いいな」
「へ、へい」
ヤスと呼ばれた男は素早く頭を下げる。そのまま恐る恐る顔を上げると、口を開いた。
「兄貴たちがそこまで血眼になってるガキってのは、何者なんですかい?」
「なんだお前、今日はやけに好奇心旺盛だな。いつもは何も考えないで動き回るじゃねーか」
「ちょっと気になって、イブの夜にガキさらうってのはただ事じゃねえですから」
パンチパーマの男は腕を組んだまま眉間にしわを寄せていたが、やがて懐から一枚の紙を取り出した。
「これを見ろ」
それは借用書だった。額は0が7つに、5と1と……1億5000万円。とんでもない大金である。
しかし下に書かれている内容はもっと異質で。
「職もしねえで遊び回っては借金を増やしてるクソ共だがな、そいつらがいよいよ返すアテもないってんで、実の息子を売るって言い出した」
「は!?」
「このクリスマスイブにな。人の血が流れてないらしい」
パンチはたばこをふかしながら、吐き捨てるように呟いた。隣の傷も呆れたように息をついて同調する。
「正真正銘社会のゴミだ。俺らが言えた立場じゃねーがな」
「あぁ、それを買う俺らも正真正銘のクズだからな。けどボスがそうしろって言うんだ、従うしかねえ」
こちとら商売よ。パンチはにやりと口元をゆがめてみせた。
「分かったらさっさと行けヤス、見つけるまで帰ってくるなよ」
「へい!わかりやした」
ヤスはもう一度頭を下げると、ダッシュでその場から離れていく。そんな後ろ姿を眺めながら、パンチは小首をかしげた。
「アイツ、なんか今日やけに物わかり良いな、いつもはもっとバカ丸出しじゃねーか」
「食あたりで脳もやられたんじゃねーですかい。こっちとしてはありがてーが」
「はっは、違いねェ」
ヤスは倉庫を出て、しばらく走り続けていたが、とある雑木林の前で足を止めた。そのまま奥に入っていく。
さすがに気付かれたかもな。
そう独りごちながら、彼は首元から〝上の皮〟を引っぺがした。まもなく姿を表したのは、例のごとく天王州家の執事。
やむを得なかったとはいえ、今回は準備が足らなすぎた。とはいえ呑気に反省している時間もない。今優先すべきは、連中より先に綾崎君を見つけ出すことだ。
一瞬でスーツからいつもの執事服に着替えると、丸めたスーツを手前に放り投げる。目の前の木の下には、パンイチ姿で気絶した本物のヤスの姿が。
「悪いな。これ、レンタル代」
アイルは数枚の札を彼の左手に握らせると、雑木林を後にするのだった。
見知らぬ天井。
ぼんやりと開かれた視界に飛び込んできたのは、見たこともない豪華なシャンデリアだった。
煌びやかに光り輝くそれはあまりにもまぶしくて、思わず目を細める。体を起こして辺りを見回すと、そこは随分と広い部屋だった。自身が寝ていた大きなベッド、一見して分かるほどに高価な家具の数々が整頓され、床にはペルシア絨毯が敷かれている。
「もしかして、ここは天国?」
そう呟いてしまうのも無理はないほどに、この空間は異質だった。
天国ならば、自分は死んだという事になる。どのような経緯だっただろうか。ハヤテは思い出そうと懸命に記憶を探る。確か少女を誘拐しようとして、でも逃げるに逃げれない状況になって、しまいには見たこともない黒服の男達に囲まれて――
そうか。あのとき黒服の男達に殺されたんだ。きっと薬でも打たれて、意識を失っている間にさくっとやられれしまったに違いない。
そんな頭を悪い瞑想を続けていた彼だったが、おもむろに開いた扉の音に思考を止めた。
「あら、目を覚ましましたか綾崎ハヤテくん」
入ってきたのはメイド服を着た美しい女性であった。それはこれまで、彼が目にした中でも最も美しいといっても過言ではない容姿で、あまりにも神々しく、そして慈愛に満ち満ちた微笑みを向けてきたという。
「もしかして、貴女は天界の案内人でしょうか。やはり天使?」
「いえ違いますよ?」
突然この少年は何を言い出すのだろう。そんな困惑をおくびにも出さないように、彼女は笑顔のまま続ける。
「それより、ご気分はいかがですか?体調などは悪くないですか?」
「はい、特には」
心配そうにこちらをのぞき込む女性に、彼は見覚えがあった。
そういえば、誘拐しようとした少女に女性2人が駆け寄ってきたような。あのときは私服姿だったような気がするが。
地続きな記憶が脳裏に流れる。点と点が線でつながるような感覚。
「え、これもしかして現実?夢とか天国とか天界じゃない?」
「もしかしなくても現実です」
リアル。井上○彦先生じゃない方の
みるみる顔がこわ張っていくハヤテ。落ち着いて脳内で現状を整理しようと試みるが、どうにも結論ありきになって救いがない。これはつまりアレか?詰みか?
「え、えーとメイドさん。つまりまとめると、幼なじみと一緒に遊園地に来ていた僕は、見知らぬ男達が薬を受け渡しする場面に遭遇してしまった。取引に夢中になっていた僕は後ろから来るもう1人の男に気が付かなかった。そして無理矢理薬を飲まされ、気が付いたらベッドで寝ていた……と?」
「そんな愉快な理由ではないですよ?」
「あの、確保された僕はどうなるのでしょう」
「確保?いえ、というより保護したという方が正しいと思いますが」
やたらと不安そうなハヤテ。まだ混乱しているのだろうか、安心させるために彼女は軽く会釈をしてみせた。
「私はマリアと申します。アナタが先程会っていたあの女の子――ナギお嬢様の下でメイドをさせていただいております」
「あ、あの女の子の」
ハヤテが接触した女の子は、お金持ちの少女で間違いなかったわけだ。いよいよやばい事になっていると確信する。
「それより、ハヤテ君の事情をお聞きしたいのですが」
「じ、事情ですか!?と、というかどうして僕の名前を」
マリアは申し訳なさそうに一枚の紙を手に。
「ごめんなさい。アナタのポケットに入っていた借用書を、勝手に拝見させていただきました」
「oh」
借金1億5680万4000円の借用書。
両親がハヤテに「博打に熱が入ってつい借金しちゃった☆働いて返すの怠いし、息子を売るのであとはガンバ」と書かれた手紙も一緒にある。拝見したということは、このメイドさんは彼の事情はもう説明するまでもなく分かっているはずだ。
「随分とひどい目にあっているようですね」
「あ、ははは。まあよくある話ですよ」
「あってたまりますかこんな事」
ひきつった笑みを浮かべるハヤテ。何処の世界に1億5000万で親に売られて笑顔で返す少年がいるのか、マリアは彼の並々ならぬ苦労をその反応だけでも察してしまう。
「それで、先程のお嬢様との一件でお話したい事がありまして」
「え゛」
笑顔が一気に硬直する。先程の一件、それは紛れもなくハヤテによる誘拐未遂を指しているだろう。
彼は先程の屈強な黒服達を思い出した。お嬢様のSPかなにかだろう、そしてこのメイドさんももう何もかもお見通しで、僕からの自白を促しているんだと。そういえば聞いた事がある、世界の金持ちは娯楽に飢えているがゆえ、可能な限り過激な拷問方法を持っているんだと。
あらゆる考えを一瞬のうちに巡らせていたが、やがて彼の脳は結論をはじき出す。
悪い、僕死んだ。でも一味とか1人もいないや。
「えっと、どうされました?もしかして具合でも悪いですか?」
次の瞬間、ハヤテはベッドを飛び出して脇の地面に額をつけていた。
角度、スピード、平身低頭さ。どこをとっても、それはそれは鮮やかな土下座だった。
「大変申し訳ございませんでしたぁ!!」
「え?え?」
あまりに唐突な展開にメイドさんは理解が追いついていかない。
「いえその、顔を上げてください。むしろ謝るのはこちらというか、お嬢様を助けていただいたお礼を――」
「お嬢様を誘拐しようとしていたのは事実です!ですが、もう二度とこんなことはしないとお約束します!」
ですから、ここはどうか!何卒!
なんの反応もないので、おそるおそる顔を上げると、きょとんしたメイドさんが。
「誘拐?」
「はい、って、あれ?」
2人の間になんとも言えない空気が流れる。
ハヤテは跪いたまま混乱する。おかしい、相手の反応がまるで初めて聞いたような――おや?もしかして話ってこの件じゃなかった。これはあれか、まさかの自爆か。
先程と変わらぬ笑顔、ただし目は一切笑っていないメイドさんが、再度問いかける。
「あの、〝その件〟について詳しくお話を聞かせていただけますか」
「……イエス、サー」
同時刻。
「え、告白?」
「う、うむ。そういう事らしい」
三千院家別邸、別室。
椅子に座ったナギが顔を真っ赤にしながら、ティーカップを傾けていた。
「アイツは、絡まれていた男達にペガ○ス流星拳を見舞って撃退してくれて、さらに、その、告白まできてきたんだ。「一目見て決めてた」とか「君をさらいたい」とか、情熱的に」
向かいに座ったヒナギクは心配そうにのぞき込む。
「ナギ、アナタ疲れているのよ。大丈夫、ちゃんと学校に来るようになれば少しずつ改善すると思うわ」
「うおい!どういう意味だヒナギク!!人を幻覚症状者みたいに言うな!」
さらっと毒を吐くヒナギクに異議ありと立ち上がるお嬢様。
「本当なのだ!アイツはきっと聖闘士の生まれ変わりに違いない」
「そうは言ってもね」
どこの世界にチンピラ相手に
「まぁ、告白されたのはそうとして、ナギはどうするの?」
「う、うむ……いきなりだったから、考える時間もなかったというか」
もじもじとして人差し指を合わせながら大人しく座り直す。
「ただ、強くて優しくて……それにカッコ良かったし」
「あー」
耳まで紅潮しているお嬢様。
これはもう完全に惚れちゃってるわね。内心でそう呟きながら、ヒナギクは困ったように頬をかく。
「それにな、私が絡まれた時にこうやって、天馬星座の軌跡を描きながらアイツがバーン、ドカーンって」
「はいはい」
ナギは信じてやまないようで、目を輝かせて助けられた時の光景を再現している。それを軽くいなしながら、彼女はそっと思案する。
しかし。本当にこれはロマンチックな告白なのだろうか。
先程見たあの少年。真冬の寒空の下だというのに、コートの下はTシャツ一枚だった。バッグ類もなく、一見したところお金を持っているようにも見えなかった。近くに家があって、ちょっとそこのコンビニまで出かけるような簡素な身なり、しかしあの公園周辺はオフィス街が多く、住宅街は少ない。
となれば、無一文で外に投げ出された可能性もあるのでは。
その前提で考えるとするならば。ナギに向けて言った「さらいたい」というワード、これは情緒的な愛を伝える表現である以前に、読んで字のごとくの解釈をする方がしっくりくす気がする。
つまり食うにこまった人間が企てる犯罪で、身代金誘拐とか――
「考えすぎかしら」
「何がだ?」
「あ、ううん。何でも無い」
この類いまれなる洞察・考察力は、白皇学院生徒会長たる所以である。
「ナギ、ちょっといいですか?」
と、部屋の扉がノックされて、マリアが遠慮がちに入ってきた。
「さきほど、恩人の方が目を覚まされたのですが」
「本当か!」
「ただ少しややこしい事情があるようで。その説明を――って、ちょっとナギ!」
彼女の言葉を待たずに、ナギは一目散に駆けだしていってしまう。
「マリアさん、あの人は結局」
「えーっと、そうですね」
マリアは小首をかしげつつ、ハヤテの事情を簡潔に説明する。
両親に大量の借金を押しつけられ、身売りされたこと。借金取りから無一文で逃げていたがどうしようもなく、たまたま見つけたナギで身代金誘拐を企んだこと。
しかし図らずもチンピラやマリアたちが次から次へとやって来て、言うに言い出せなくなってしまったこと。
「すみませんすみません!もう二度とこんな事はしないですし、どうか謝りますからこの件は見逃してほしいと言いますか」
「ま、まぁ確かに。人にはやむを得ない事情がありますし、多分アナタには特に」
といったやり取りもあって、ひとまず彼はそのまま客間に待機させていること。
「両親に借金を……そうだったんですか、両親に」
「ヒナギクさん?」
「あ。いえ!なんでもないです」
一瞬暗い顔になったヒナギクだったが、慌てて首を振る。
「しかし身代金誘拐、ですか。やっぱり」
「やっぱり?」
「ナギの話を聞いてたら、なんとなくその可能性もあるんじゃないかなーって」
2人もナギのあとを追って客間へ。
歩きながらヒナギクはふと考える。これは思った以上に厄介な事態になっているんじゃないか、と。
「そういえば、ナギはあの方について何か言ってました?」
「えっと、それが……」
ナギが情熱的に告白されたと勘違いしている。そう伝えると、マリアもまた非常に困惑したようにこめかみを指で押さえる。
「誤解が解けてればいいんですが」
「それはそれで大変な事になりそうですけどね……」
しかし、客間に戻った2人はそう容易い話ではないことを思い知ることになる。
ベッドを挟んで向かい合っているナギとハヤテ。男は申し訳なさそうに俯き、お嬢様は気恥ずかしそうに視線を彷徨わせている。
「それにしても、さっきはゴメン。公園であんな事」
ハヤテの脳裏によぎるのは、自販機の前で少女に誘拐を迫った悪魔のような自分の光景。未遂とはいえ犯罪である。謝って済むような事ではないことは重々承知だ。
「ん、いや……その、いきなりだったからな」
ナギはといえば、恥ずかしさから顔を背けながらも言葉を選ぶ。
「私たちはお互いの事をよく知らないから。やっぱり、すぐに答えを出せっていうのは」
ナギの脳裏に浮かぶのは、自販機の前で少年に情熱的に愛を迫られた自分の光景。初対面とはいえ告白である。無下にするようなことではないのは重々承知だ。
「そうだよね、謝って許してなんて。そんな都合の良い話はないよね」
「いや、別に謝ってもらう必要はないぞ?びっくりしたのは事実だけど」
さて、会話はかみ合っているように見えるものの、2人の頭の中に描かれている光景は全くもって正反対で。なんとなくその事情を察したマリアとヒナギクはアイコンタクトを交わし合う。
早まって全ての事情をつまびらかにすることは簡単だ。しかし、そんな事をしてはナギのこの輝かんばかりの瞳を曇らせてしまいかねない。ハヤテにしても、彼のおかれた過酷極まりない状況を悪化させることは間違いないだろう。冷静かつ慎重に、当人同士の間で誤解が解けるのが現状はベストではないか。
「そういえば、もうこんな時間だが家とかに連絡は平気なのか」
「あぁ、今の僕は借金の形に親に売られたから。帰る場所も心配する人もいないから大丈夫だよ」
「笑顔でさらっとする話じゃないよなそれ」
ナギは咳払いを一つ、ハヤテに向き直る。
「なら、この屋敷に住まないか?」
「え?」
「い、いや、お互いを知るためにはやはり一緒に暮らすことが一番の近道かと思ってな」
初対面で告白、そのまま同棲とはなんとアグレッシブなことか。
「そ、そんな悪いよ!こんな事をしておいて、そんな図々しいことはさすがに」
「なにも悪いことはないとはないぞ。まぁ狭い屋敷だが、1人くらい増えても問題はない」
「けど、僕仕事も今なくて、家賃とかも払えないし」
「なんだお前、仕事もなかったのか」
お嬢様は軽く考えるようにあごに手を当てていたが、やがて
「なら、私の執事をやらないか?」
「……え?」
「それならば、住み込みで一緒に暮らせるだろう」
ハヤテはその言葉の意味をゆっくりと咀嚼する。
僕は彼女を誘拐しようとした。なのに、彼女はそんな僕に贖罪の機会を、住み込みの仕事を与えてくれるというのだ。なんて慈悲深く、優しい少女なのだろうか。
「ちょっとナギ!そんな急に決める事じゃないでしょ?」
「何を言うヒナギク。善は急げという言葉もあるではないか」
「けれど、そういうことはこの方の事情を聞いてから無いと」
「マリアよ、姫神の後任を決めろと言っていたではないか」
ヒナギクとマリアの言葉も軽くあしらいつつ、お嬢様はもう一度問いかける。
「どうだ?私の執事をやってはくれないか」
この少女の恩に報いたい。
ハヤテは目を輝かせて、差し出された手を握った。
「お任せくださいお嬢様!何があろうとこの僕――綾崎ハヤテが、命にかえても貴女をお守りします」
「よせ、マリア達の前で……照れることを言うでない」
満更でもなく頬を赤らめて反応するナギ。
天然に天然を重ねながらも、奇跡的な利害の一致をみせてまとまった主従関係。そんな様子をメイドさんと生徒会長は何とも言えない表情で眺めていた。
「まぁでも、結果オーライなのかも」
「だといいですが……」
ポケットの中が何度か振動している。電話だ。
端末を取り出すと、画面には「マリアお嬢様」の文字が浮かんでいる。アイルは手早く通話のアイコンをフリップした。
『ごめんなさい、こんな夜分に。今、お電話大丈夫でしょうか』
スピーカーからは申し訳なさそうなマリアの声が聞こえてきた。
「構いませんよ。ヤクザの根城に侵入して情報盗もうとしてた所ですが、そう時間はかかりませんし」
『大いに構いますわ、止めてくださいそんな事は』
端末を片手に、前方にそびえる雑居ビルに目を向けるアイル。
電話の向こうからは呆れたようなため息が聞こえたが、すぐに真剣な調子に戻った。
『実は、ナギが新しく執事になる方を決めたんです。ちょっと色々あって知り合った初対面の方でして』
「へぇ、それは」
脳裏にはナギが執事候補を煙たがっている光景がよみがえる。何とか執事を付けようと祖父の帝が四苦八苦と策を講じていたが、それらも何ら響いていなかったくらいだ。もっとも純粋な心配をしているとも限らないので離れていく一方な訳だが。
「良かったですね。これで三千院家の皆様もご安心なさるでしょう」
『それが、色々と複雑な方向に話が転がって行ってしまって』
アリアの歯切れの悪い声色が続く。
『クラウスさんはすぐに追い出せの一点張りなんです。お爺さまにはまだ報告もしていませんが、それ以前の問題といいますか』
「三千院家の執事長が。それはまだ穏やかじゃないですね」
『ええ。ですがナギが気に入った以上、強制的にそんな事もできません。あの子、姫神くんがいなくなってから本当に落ち込んでいましたから』
新しく見つけた執事候補にお熱なお嬢様とお気に召さない執事長。彼女はどうやら上司2人の板挟みという困った状態にあるらしい。
「ですが、執事長がそこまで反対されるのは……その方の事情に問題が?」
アイルの問いかけに、電話越しからは言いよどむようなやや間があって。
『親御さんに1億5000万円の借金の形に高利貸屋に売られてしまったという子なんですが。行く当てもなく逃げ回っていたところをお嬢様とお会いしたようで……それで、意気投合したというかなんというか』
言いよどむだけはある過酷な事情である。世界名作劇場の主人公並に不幸な状況だなと、彼はぼんやりと思った。
「訳ありどころじゃないって事ですか」
『はい。それで、アイルくんに一度、その子のことを見て頂けないかと思いまして。天王州家の執事さんの言葉であればクラウスさんも聞く耳をもってもらえるでしょうから』
「なるほど、そういう事でしたか」
『ごめんなさい、急にこんな話』
「いえ、マリアお嬢様もお困りのようですし、私で良ければ――」
言いながら、端末を片手に小首をかしげるアイル。
なんだか似たような話をついさっきどこかで聞かなかったか。なんなら、その似たような状況にある少年を探し回っているのではなかったか。
「あの、マリアお嬢様」
『はい?』
「つかぬ事をお伺いしますが、その方のお名前は?」
どうしてそんな質問をするのか。そんな疑問を抱いているのが容易に想像できる間があって、マリアからの返答が。
『綾崎、ハヤテ君というそうです。お名前に心当たりとか?』
端末を片手に、力なく空を見上げた。
「全く。初めて聞いた名前ですね」
状況は一転。ある意味、メイドさんよりも厄介なことになった。
執事はやるせない気持ちをため息に変えて、人知れず深夜の星空にぶつける。脳内にはこれからすべき課題が、テトリスのごとく次々と積み上がっていく。何よりもまず、この状況を主人にどう説明すべきか。
『アイルくん、どうかされました?』
「あーいえ、ちょうど0時になったので。こんな状況でもクリスマスってやってくるんだなと思って」
電話越しにクスリとマリアの笑みがこぼれた。
『ふふ、本当ですね。メリークリスマス』
「えぇ、メリークリスマス」
良い子の皆がサンタクロースに望むプレゼントは何だろう。
良い執事には、現状の打開策を贈ってほしい。なんとも虚しい願いが、聖夜の夜に捧げられるのだった。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい