アテネちゃんの執事!   作:通行人A'

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Task31:スパイ前哨戦

 

 

 

 

 

 橙色が青い空に滲んで広がっていく。

 差し込む夕日が、窓に作られた霜を染め上げて、小さなステンドグラスのように輝いている。

 

 グラウンドからは運動部の威勢の良いかけ声が、校舎からは吹奏楽部の演奏の音が。 

 かすかにではあるが、生徒会室に流れ込んでくる。

 

 そんな、優雅な放課後。

 生徒会長の桂ヒナギクは、お気に入りのマグカップで紅茶をすする。

 アールグレイの香りが、温もりと優しさを一緒に体内を巡るのを感じる。仕事の疲れも一緒に流していってくれそうだ。

 室内にかかるのはクラシック。これも彼女のお気に入りである、ドヴォルザークの『新世界より』

 

 

 日頃から忙しない彼女にとって、安らぎのひとときである。

 

 

「あ、これ美味しい」

 

 手に取ったスコーンを口に運ぶやいなや、ヒナギクは目を丸くして思わず声をこぼした。

 

「お口にあって良かったです。今回はクリームを少しこだわってみました」

 

 そう言って、彼女のティーカップに紅茶を注ぐのは執事のアイル。

 

「口当たりが軽いですね、それでいて生クリームみたいに濃厚だわ。それに、ほのかにオレンジが香るような」

「ご明察です。英国伝統のクロテッドクリームをベースに、グラッパで仕上げを。隠し味でオレンジピューレを僅かに加えてみました」

「なるほど、アールグレイにも本当によく合いますね」

 

 そこまで言って、ヒナギクはハっとしたように首を振る。

 

「あー、ダメダメ。気を抜くと何から何までお願いしてしまいそうで……いけないわこんな事じゃ」

「構いませんよ。というか、それも仕事ですから」

「それはそうですけど、頼りすぎるのは生徒会長として負けた気が」

「何と戦ってるんですか」

 

 所在のない負けず嫌いっぷりを発揮する生徒会長に、苦笑しつつ。

 

「そういえば、今日は役員の方々は?」

「愛歌さんは家庭の用事で直帰してます。ハル子は委員会の打ち合わせで出てるし、美希たちは……まぁどこかでサボってるんでしょう」

 

 つまり今は仕事もなく、役員もいない。

 

「たまには、こういう何もない時間も良いですね」

「えぇ。ヒナギクさんの場合は、もっと定期的に取るべきだと思いますが」

 

 ゆったりと流れる時間は心にも体にも安らぎを与えてくれる。

 しかし、アイルがティーポッドを持ち上げた次の瞬間だった。

 

「助けてヒナえもん!」

 

 そんな悲鳴が、安らぎの空間をぶち壊す。

 

 なだれ込むようにして入ってきた雪路とぶつかりそうになり、間一髪のところで避けるアイル。

 

 

「ちょっ、お姉ちゃん!?」

 

 例えるなら、高校生活最後の打席で、凡打に終わったものの一塁まで懸命に走り、明らかに間に合わずとも僅かな希望を両手に託した球児のヘッドスライディングがごとく。

 勢いよく滑り込んできた雪路の様子を、2人はあ然と見守るしかなかった。

 

「た、たたた大変なのよ!ヒナえもん!」

「落ち着きなさいって、どうしたのよ一体」

 

 立ち上がるや否や、妹にすがりつく姉。

 

「それが聞いてよヒナえもん」

「ヒナえもん言うな」

「ひとまずもし○ボックスを出してちょうだい!」

「出ないわよそんなのッ」

 

 出されても困るが。

 

「あ、アイルくんもちょうど良かったわ。聞いてちょうだい」

「お疲れ様でした。それでは」

「ちょっ!何逃げようとしてんのよ、生徒会の補佐でしょ君」

「嫌な予感しかしないので、見て見ぬ振りをしようかと」

 

 お構いなしに無理矢理腕を掴まれ、動きを封じられる執事。

 

「お姉ちゃん、いい加減にしなさい!」

「姉が追い込まれているのに妹が安らいでるなんてひどい話ジャナイ!?」

「知らないわよそんなの!どうせまた給料使いきったとかそんなのでしょ」

 

 それはそれで問題である。

 

「違うもん!お姉ちゃんお給料以外でもいっぱい困ってるもん」

「威張って言うな」

「しかも今回は特に大変なのよ!ジオフロント内に使徒が入り込んだ並に大変なのッ」

 

 雪路は謎の身振り手振りで切迫感を伝えようよ声を荒げる。

 

「一人の学生の人生を棒に振ってしまうのかもしれないのよ!」

 

 は?

 思わず顔を見合わせるヒナギクとアイル。

 

「桂先生、一体どういうことですか」

「えっとえっと、まず順を追って話すわ」

 

 雪路はどこからともなく座布団を取り出すと、そこに正座して語り出す。

 

「実は先ほど、三千院家の執事君が編入試験を受けにきました」

「それはアイルさんからも聞いてるわ」

「で、試験を受けてもらって、無事試験は終わりました」

 

 しかし!雪路は目を見開く。

 

「試験問題の変更を、失念していて……既に過去に出題された問題をそのまま試験として出してしまったのです」

「は?」

「いや!元はと言えば入試課のミスなのよ?ただほら、私も連絡を受けたのが直前だったからね!新年のカリキュラムとかでバタバタしてたこともあって見逃してしまってて」

 

 つまるところ。

 

「お姉ちゃん?」

「……はい」

「結果的には誰のミスなのかしら?」

「私でございます」

 

 ふっと、ヒナギクは軽く息をついて

 

「何人の人生をダメにしてるのよーーッッ」

「ぎゃあぁぁぁッ!?」

 

 

 

 間

 

 

 

「さながら少年誌の流浪人がごとく剣捌きでしたね、さすがヒナギクさん」

「怒りに身を任せた結果です」

 

 粛正という名の斬撃が雨あられのように雪路を襲った結果。

 部屋の隅で原型をとどめないでピクピクと動いている物体に成り下がっていた。見るも無惨である。

 

「はぁ……」

 

 ヒナギクはため息をついて、机に座り直す。

 

「つまり、お姉ちゃんのミスで綾崎君の試験が危機的状況ってことね」

「左様でございます」

 

 土下座をする雪路。

 妹と姉のパワーバランスがよく分かる構図である。

 

「アイルさん、こういう場合の対応って」

「そうですね。学校側のミスとはいえ、再試験という形になるでしょうか」

 

 アイルはこめかみを指で叩きながら、思案する。

 

「紙の回答であれば、採点者に事情を説明して融通を利かせることも出来たかもしれませんが、昨今の採点はPCが全自動で行っていますから。回答が完了した時点で、サーバーに回答データが送信されます。それを無かったことにする術はありません」

「ですよね」

「ひとまず、屋敷の方に連絡してみましょうか」

 

 

 携帯を取り出すと同時に、着信が。

 画面には『マリアお嬢様』と表記が浮かび上がっていた。何というかタイミングの良さか。

 

「もしもし、マリアお嬢様ですか。」

『あ、アイルくん。今お忙しいですか?』

「あ、いえ。全然」

 

 むしろこちらから電話しようとしていた所である。

 

『実は、ナギがハヤテ君の合格パーティーを開くと言ってまして。それでアイル君も是非にと』

「合格?」

『えぇ、まだ結果が出ていないですが、ハヤテ君の話を聞くに合格点には十分だからって。気が早いですけど』

「あー、はは……なるほど」

 

 通話口から聞こえるマリアの困ったような声。

 

『ただ、私も教えた立場として自信はありますから。きっと大丈夫ですわ』

 

 訂正。困ったようでいて、嬉しそうな声。

 

『なので、アイル君も是非いかがですか?本日の夜ですが』

「そう、ですね」

『突然すぎましたよね、ごめんなさい』

「あー、いえ!ちょっと予定がありますが、途中からなら間に合うと思うので、足を運ばせていただきます」

 

 携帯を握る手に自然と力が入る。

 

『それは良かった。でも無理はなさらないでくださいね。こちらは気になさらず、アイル君の予定優先で』

「えぇ。また連絡します」

 

 ツーツー。

 無機質な電子音が静かな室内にそっと響く。

 

「あの、どうかしたんですか?」

 

 ヒナギクと雪路の心配そうな視線が彼を貫く。

 

「いや、まぁ。些細な問題が発生したくらいで」

「問題?」

「えー、ナギお嬢様もマリア様も綾崎君の合格を信じて疑っていないらしく。本日、三千院家で彼の合格パーティーが開かれるそうです」

「どこが些細ッ!?」

 

 雪路は叫びながらもんどり打った。

 

「嗚呼、終わった……私のバラ色の教員生活のビューティフルティーチャーライフが」

「意味被りまくってるわよ」

 

 ヒナギクは何度目かのため息をついて、情けない姉を一瞥。

 

「元々いつクビになってもおかしくない生活態度だったし、諦めなさい」

「そんな言い方ひどいよヒナ!これでも」

「そもそも!日頃からちゃんと片付けとかしないからこうなるんでしょっ」

 

 ぐうの音もでない正論である。

 

「もう仕方ないわ。とにかく綾崎君たちに誠心誠意謝罪するしかないわ」

「……はい」

「私も一緒に行ってあげるから。ほら、しゃんとする!」

 

 溶け出しかねないほど参っている姉を、妹は見捨てずに立たせようとする。

 なんだかんだ言っても姉妹。見捨てるような事はできないのだろう。

 

「私の方でも、何か対応策がないか検討してみます。用事が終わり次第、夜のパーティーは私もご一緒に説明しますので、暫くお待ちいただければ」

「いや、アイルさんにそこまでしてもらう訳には!完全に非はこちらにあるし──」

 

 ご心配なく。

 

「その為の執事ですから」

 

 そう言い残し、彼は生徒会室を後にした。

 そうしてエレベーターに乗り込むや否や、携帯を取り出してどこかに電話をかける。

 

「もしもし」

『好きなアイスといえば?』

 

 返ってきたのは少女の声。

 唐突で意味不明な言葉に、アイルは眉を吊り上げる。

 

「……レディ○ーデンのラムレーズン」

『好きなPCのソフトは』

「ウィザー○リィディ○ギル」

『好きな──』

「なぁ、このやり取り意味あるか?」

 

 堪らずにツッコむが、通話口からの暫く反応がない。

 やがて軽く咳払いがして。

 

『お前の携帯だとしても、相手がお前だという保証はないからな』

「声聞けば分かるだろ」

『変装ばかりしてる奴が言っても説得力がないぞ』

 

 何が可笑しいのか、けらけらと呑気な笑い声が聞こえてくる。

 

「ちょっと頼みがある」

『おぉ、なんだなんだ。このハッキングの魔術師の力を借りたとは、今度も相当ヤバい案件らしいな、大統領府にでも忍び込むのか?』

 

 言葉とは裏腹に声のトーンは上がっている。まるで小学生のような無邪気な声色だ。

 しかし、アイルは軽く首を振って続けた。

 

「白皇のセキュリティセンターに潜り込む」

『……白皇?』

 

 一転。あからさまにガッカリしたようにため息がこぼれる。

 

『発射された核弾頭をギリギリで無力化するとか、衛星にハッキングしてとか兵器の密輸を阻止するとか、そういうワクワクする案件を寄越せよ』

「そういうのは某国のIMFに任せとけ」

『その程度、その辺に転がってるヤツにでも頼めば良いだろ』

 

 明らかに乗り気ではない様子だが、アイルはなんとかと食い下がる。

 

「足が一切付かないようにしたいんだ。確実性がほしい」

『……しかしなんで白皇に?』

「とある試験のプログラムを書き換える」

 

 ほう。

 少し興味が出たのか、通話口の声色はまたうわずる。

 

『不正入試か?』

「誤って不合格になりそうな学生を合格にするだけだ」

『なんだ、隠蔽工作か』

「解釈はなんでもいい」

 

 ふむ。

 顔も見えない少女は思案していたのか、数秒間をおいて。

 

『君にはありがた迷惑にもおてんとう様の元で堂々と歩けるようにしていただいた借りもある。今回は君の不正に手を貸そう』

「どうも」

 

 彼は電話越し首肯しつつ。

 時計塔を出て、早足で敷地内を進んでいく。

 

「恐らく外のダクトから内部に忍び込めるはずだ。準備頼めるか」

『朝飯前だ、誰にものを言ってる?』

 

 言葉とは裏腹に、機嫌の良さそうな声がスピーカーから響く。

 

『報酬は例のモノで手を打とう。そろそろ切らしてしまうとこだった』

「……分かったよ、終わったら箱で届けさせる」

『アレがないと仕事にも集中できないからな、幻覚や幻聴にも悩まされる』

「アイスの話だろ、薬物みたいに言うな」

 

 報酬は案外安上がりかつ可愛らしい物品のようだ。

 

「というか、それくらい自分で買いに行け」

『お外に出たくない』

 

 

 

 

 白皇学院のセキュリティセンターは、広大な敷地内の端に位置する。

 敷地中央の時計塔から見て、校舎や生徒用の施設が東南北に広がっているが、西側には技術系統のエリアが集中している。

 

 その中の一角に、セキュリティーセンターがある。

 まさしく箱物、という形状に相応しい長方形の白く細長い平屋の建物である。

 

「入り口には警備員4人と死角なしの温度センサー付きの高性能カメラ。周囲の外壁にも無数のカメラか」

『センター関係者のIDカードの2段階認証もありか。システムをハッキングすることも出来るが?』

「内部の人間だからな、正面で余計な足跡は残したくない。外部から行く」

 

 離れた木の上から、双眼鏡で様子を眺めていたアイルは、小さく息をついた。

 ワイヤレスイヤホンから聞こえる、退屈そうな少女の声に苦笑する執事。

 

『で、試験というのは1つか?複数に分かれていると、一回一回に更新を挟む関係で少し時間がかかるぞ』

「いや、1つだけ。ついさっき実施された編入試験の問題だよ」

『データは?』

「替え用のマイクロチップに移してある」

 

 スーツのベルトにあるいくつかのポーチから、小さな黒いマイクロチップを取り出してみせる。

 

『分かった。サーバーにそいつを入れたら、カメラから私が操作を指示する。ヘマするなよ?』

「了解。カメラの感度は?」

『はいはい、視界良好どーぞ』

 

 アイルは顔にかけていたメガネを軽く揺らすと、少女の能天気な声が返ってくる。

 

『ところで素朴な疑問だが、回答データがまだプールしてある保証はあるのか?』

「さっき管理規程を確認した。サーバーに送られた回答データーは、採点システムに送信されるまで通常数時間~十数時間のラグがある。通信障害かどの不測事態などのために、しばらく保存用のクラウドに寝かせる事になってるらしい」

『なるほどな』

「つまり、今日中に手を打てば何とかなる」

 

 イヤホンからはカタカタとキーボードを打つ音が聞こえてくる。

 

『試験のプログラムはセンターのメインサーバー群のBブロックに保管されているみたいだな。区画でいうとBー26だ、今やっこさんから引っ張り出した内外の図面を端末に送った』

 

 アイルが携帯端末を見ると、画面には電子化されたセキュリティセンターの内面図と外面図が映し出される。

 

「さすが、仕事が早い」

 

 サッと電子図面に視線を滑らしていく執事。

 

「……ダクトから用具室に入れそうだな。サーバールームには、トイレのダクトを通っていけば何とかなりそうか」

『図面だとギリギリの狭さだが』

「最悪肩の骨とか外せば」

『体張りすぎだろ』

 

 あと問題があるとすれば。

 

『サーバールームくらいだな。床一面に赤外線が張り巡らされるセキュリティらしい、関係者がIDで入場すれば解除される』

「つまり、地面に付かないで移動しろってことか」

 

 アイルは小さく頷くと、地面にそっと飛び降りる。

 

『簡単で退屈極まりないミッションだろう、さっさと終わらせて私にアイスをよこせ』

「不吉なフラグを建てるなよ」

 

 

 とはいうものの、侵入は至ってスムーズに進んだ。

 繊細かつ迅速な監視カメラのハッキングもあり、内部侵入には僅か3分も満たず。

 

 忍び込んだのは清掃員室。

 3つ並んだロッカーには清掃員の服が一式揃っていたので拝借する。

 どこにでもありそうな薄青いつなぎに、帽子を目深に被る。

 

「お疲れ様でーす」

「おお、ご苦労さん」

 

 キャスターを押しながら、廊下を進む清掃員、もといアイル。

 すれ違った職員は、訝しむ様子すらなく軽やかに素通りしていく。堂々と男子トイレの前に向かうと、『清掃中』と書かれた看板を立て掛けて中へ。

 

『1番奧の掃除用具の個室だ』

「了解」

 

 個室に入ると、つなぎを脱ぎ捨てた。

 業務用の脚立に乗り、そのまま頭上にある通気口を開ける。そうして、ベルトに装着してあったポーチから、黒い円型のハンドルを二つ取り出した。

 

 通気口の左右にそれぞれ吸盤のように貼り付けると、取っ手部分に指をかけ、懸垂の要領で体を浮かせる。

 そのまま右、左の円盤を交互に上に貼り付けては、腕の力だけで通気口の中を登っていく。

 天井まで登りきり、横に続くダクトに身体を滑り込ませると、匍匐前進をしながら奥へ。

 

『ここからがサーバールームだ』

 

 しばらく進んでいくと薄暗いダクトに、下から光が漏れているのを確認する。

 網目状になった蓋の下を覗くと、サーバーが所狭しと並ぶ室内の様子が確認できた。

 

『張り合いのないセキュリティだが、床一面の赤外線は少し面倒だな。巡回中じゃなければ地面に降りられない、かといって巡回中なら見つかるリスクは跳ね上がる』

「巡回の時間まで調べてる時間もない、か」

 

 アイルは軽く息をつくと、なるべく音を立てないようにカバーを外して脇に置く。

 

「当該のサーバーは?」

『Bブロック、サーバールームの最西端だな』

 

 通過口から顔を覗かせ周囲を観察する。

 黒く長方形のサーバーが各区画ごとにずらりと並んでいる大部屋は、静かな動作音に包まれていた。

 天井から地面までの距離はおよそ5mとかなりの余裕がある反面、サーバーを操作するとなれば、地面に降りなければ手が届かない。

 

 しかも、アイルが目指すサーバーは、今顔を覗かせている天井の通気口から1番遠い区画にあるときた。

 

『ニューヨークの蜘蛛男にでもなれば簡単だろうな』

「さっさと遺伝子改良頼むよ」

 

 再びハンドルを持つと、慎重に天井にあてがう。

 右を丁寧に吸いつけると、そのまま左を前に。そうして身体ごとぶら下がった。

 今度は右の円盤を剥がすようにして外すと、振り子のように体をゆらし、その反動で左手よりも前に付ける。これを繰り返しながら、指先の力だけで天井つたいに前進していく。

 

 公園などにある雲梯(うんてい)を進む様子を思い浮かべると分かりやすいか。力の使い方は比べものにならないほどハードだ。

 

「B26、このサーバーか」

『あぁ。パネルまで降下してくれ』

 

 当該場所の頭上に位置づけると、片手で別のハンドルを天井に張り付ける。

 両腕に力を込めて、下半身を持ち上げると、片足のつま先をその取っ手に引っかける。

 

 天井に張り付いたような姿勢のまま、彼はポーチから正方形の物体を取り出した。それを片手で天井に押し込むように装着すると、中央からは黒く細いワイヤーが飛び出した。

 

 それをズボンのベルトに引っかけると、両手足を取ってから外す。そのまま少しずつワイヤーを伸ばしていき、サーバーの操作パネルに向かってゆっくりと降下していく。

 

「よし、見えるか」

『感度良好。では、例のメモリーをそのパネルの右に差し込め』

 

 アイルは器用に体を捻りつつサーバーの端子にメモリを差し込んだ。

 

「差し込んだぞ」

『では言われた通りにパネルを操作しろ。まずは――』

 

 執事服の男が、サーバーの前で宙づりにされている。異様な光景だ。

 

『よし、送信前の回答データがぎりぎり残っていたようだな。あとは任せろ』

 

 パネルの操作を終え、主導権を向こうに移す。

 カタカタとキーボードを打つ音が聞こえてきたかと思うと、わずか30秒後。

 

『よし、書き換え完了だ。メモリを抜いて引き上げろ』

「もう終わったのか」

『伊達や酔狂でこの仕事をしてるわけじゃないんでね』

 

 あくまでも退屈そうな返答だったが、アイルは軽く口元を緩めてみせた。

 ベルトに繋がれたワイヤーが少しずつ収縮し、彼は上に引っ張られていく。

 

 

 天井に設置したハンドルに手と足をかけた時だった。

 

『あー、朗報があるぞ。いや、お前にとっては悲報か』

 

 悲報というにはいさかか浮かれたような声色なのは気のせいだろうか。無言で先を促す。

 

『どうやら、我々以外にも侵入者がいるようだ』

「……なんだって?」

『暇つぶしに、施設のセキュリティシステムを巡回していたんだが』

 

 暇つぶしですることではない。

 

『別のルートからハッキングの形跡を見つけた』

「どこの?」

『正面。関係者IDのシステムをハッキングして、架空のIDで正面から侵入したようだ』

 

 アイルは唇をかみしめる。

 

『しかし、あまりにも杜撰。こりゃ素人以下だ。気づかれるのも時間の問題だな』

「……楽しそうに言うなよ」

『ミッションにトラブルは付きものだろう』

 

 脳天気に笑うイヤホン越しの声にため息をこぼれそうになるのを押さえつつ、彼は今後の対応を思案する。

 

 侵入者がいる以上、見て見ぬ振りはできない。

 しかし、相手の動きが全く分からない以上、ヘタにここから動くわけにもいかない。通報しようにも、自分自身が侵入者である手前それも説明が容易ではない。

 

「っ⁉︎」

 

 後方で電子ドアが開く音が聞こえた。同時に床の赤外線も消える。

 アイルは咄嗟に地面に飛び降りて、サーバーの影に身を隠した。

 

 関係者が入ってきたのだろう。コツコツとした足跡が徐々に近づいてくるのが分かる。

 

「面倒だな」

『……いや、これは』

 

 女性の声はやや間があって、

 

『今の入室記録を確認したが、これはさっきの架空のIDだ』

「つまり」

『〝お客様〟だよ』

 

 足音はやや早足で、彼のサーバーの近くを通過していった。

 

『さて、不測の事態だがどうする?執事君』

「そうだな」

 

 アイルは声を落としたまま、そっと身を潜めていたサーバーから這い出ると、

 

「こちらの罪も被ってもらうか」

 

 姿勢を低く、そして音もなく入り口の方へ。

 

「接続を切って撤退してくれ、あとはこっちで処理する」

『面白くなってきたというのに……ま、私としても足が付くのはゴメンだからな』

「助かったよアメリア。報酬は後ほど」

 

 『今度はもっとビッグな案件を持って来い』

 イヤホンからはそんな捨て台詞が聞こえたかと思うと、途端に音が聞こえなくなった。

 

 

 通信が切れたことを確認すると、アイルが非常用のボタンを拳でたたきつける。

 たちまち、けたたましい警報音が鳴り響いた。

 

「な、なんだ!?」

 

 慌てたような男の声が奥から。

 そのまま入り口に向かって走ってきたのは、白衣を着た中肉中背の男だ。

 

「げ」

 

 当然アイルと鉢合わせになる。

 

「センター職員じゃありませんね、なぜここに?」

「くっ、関係者か!?」

「えぇ。学院の理事会の者です」

 

 嘘ではない。

 

「くそっ、なぜバレた?」

「作戦が杜撰だったのでは」

「作戦?知るか、俺は指示された通りにここに来ただけだ」

 

 吐き捨てるようにいう言い放つ男には、明らかに焦りの色が見て取れる。それもそのはず、警報音は病むことなく鳴り続けているのだから。

 

「もうすぐ応援も駆けつけます、諦めて投降なさっては?」

「冗談じゃねえッ」

 

 男は素早く右腕をなぎ払う。

 咄嗟に避けた彼の視界には鈍く光る銀色が映る。

 

 男の手に握られていたのはナイフだった。そのまま逆手に持ち替えて構え直す。

 素手である以上うかつには近づけない、アイルはナイフを注視して機会をうかがう。

 

 

 先に動いたのは男だった。

 鋭く繰り出された右フックは、素早く身をかがめたアイルにより空を切った。

 

「くそっ!」

 

 そのまま腕を掴むと、アイルは相手の右内膝を蹴りつけた。

 

「ぐぁ」

 

 姿勢を崩す男だったが、あがくようにナイフを投げつけた。

 首筋ぎりぎりのところでそれを回避、そのまま腕を掴んでひねり上げた。

 

「ぐうッ」

 

 骨の外れる音が響き、うめき声を上げながら男は床に突っ伏した。

 上から押さえつけるアイルは、今度は左腕に固めた。

 

「何を狙った?」

「知らない!俺は何も知らないんだ」

 

 腕に力を強めるアイル。

 男は悲鳴を上げつつも、必死に首を横に振る。

 

「結局ファイルもとってないし、言われた中身も分からない!」

「誰からの命令だ?」

「それも知らない!本当だ、SNSのアカウントで指示された!ここに忍び込んで言うとおりにすれば、金をやるって!」

 

 腕はもう折れる寸前。どうらや男は本当のことを言っているらしかった。

 

 ばたばたと足音が聞こえたかと思うと、入り口のドアが開く。

 振り返れば、駆けつけた警備員ら数名が、あ然とした様子でこちらを見つめていた。

 

 無理もない。

 白衣の職員風の男に、執事服の男が覆い被さっている光景など、そうは見られない。

 

 

 アイルはすぐに立ち上がると、胸ポケットから身分証を取り出す。黒い皮のケースには白皇の紋章が金色に輝いている。

 

「理事会の者です。極秘で不法侵入の情報を受け、調査をしてました」

 

 警備員たちは一斉に背筋を伸ばす。

 

「そうでしたか!お疲れ様です!」

 

 アイルは倒れ伏した男を担ぎ上げて、警備員たちに引き渡す。

 

「彼が侵入者です。警備本部に連絡をお願いします、動機や被害の確認を。理事会にはこちらから報告しておきますので」

「承知しました!」

 

 連行されていく男を見送りながら、アイルはそっと壁によりかかった。

 

 まさか自分たち以外の、正真正銘の侵入者がいるとは思いもしなかった。

 運良く未然に防ぐことができたとも言えるが、一体どういう経緯でこんな事態が発生したのか。

 

 動機や背景は警備部の報告を待つことになるが、それとは別に理事会、ひいては自身の主への説明をどうするか。従者は深くため息をつくのだった。

 

 

 

 

 アイルが生徒会室に戻ると、何故か雪路が天井を見上げて祈りながら涙を流していた。

 

「どう、されたんですか?」

「神に祈っているのよ」

 

 見たままの回答である。

 

「つい今、理事長代理、キリカさんから連絡があったんです」

 

 代わりに、机に座っていたヒナギクが呆れたように説明する。

 

「今日の編入試験について、聞きたいことがあるって」

「なるほど」

 

 年貢の納め時と覚悟したのか。

 

「では、私もご一緒します。フォローできることがあるかもしれません」

「本当にすみません、アイルさん」

「いえいえ」

 

 3人は生徒会室を出ると、理事会に向かうことに。

 電車にのり、およそ10分。時計塔から、理事校舎へとたどり着いた。

 

 雪路はきっと目を開き、校舎を見上げる。

 

「もうなすすべはないわ。覚悟を決めて謝るのみよ」

 

 決意も万全である。

 

「あのねお姉ちゃん、柱にしがみついたまま言ってても説得力ないわよ」

 

 駅の柱にしがみついたままだが。

 

「待って待ってヒナ!もしかしたらまだ起死回生の策があるかも」

「ええい、往生際の悪い!いい加減諦めなさい!」

 

 妹に引きずられていく姉。

 理事室内のとある部室に着くと、理事長代理の葛葉キリカが出迎えた。

 

「あぁ、突然呼びだしてすまないな」

「いえ、滅相もない」

 

 青ざめた表情の雪路に、キリカは怪訝な表情を返す。

 

「どうしたユキ?すごい汗だが」

「いえ、夏はやっぱ暑いなーと」

「今は1月だが」

 

 目が泳ぎまくっている彼女の様子はただごとではない。

 

「キリカさん、姉のことは気にしないでください」

「そうか?」

「それより、話とは?編入試験のことと聞きましたが」

 

 キリカはそうだったと、机にかけ直して、ヒナギクたちに目を向ける。

 

「本日編入試験を受けた三千院家の執事君についてだが、少々君たちに聞きたいことがあってな」

 

 雪路の背筋が目に見えて伸びる。

 その緊張感にあてられ、ヒナギクも息を呑むが――

 

「彼、綾崎ハヤテと言ったかな。お前達から見てどうだ」

 

 かけられた問いに、彼女たちは思わず目を丸くする。

 

「どう、とは?」

「人柄とか、印象だ。最近関わったことがあったようだからな、念のために聞いておこうと思ったまでだ」

 

 淡々と続ける理事長代理に、ヒナギクも雪路も意図が分からず、思わず顔を見合わせる。

 

「知っての通り、編入試験に面接はないからな。一応入学後に問題を起こされては困るからな。そのための簡単な質問だ」

「入学後?」

「あぁ。彼は合格だ」

 

 キリカはそう言って、一枚の封筒を取り出した。

 

「先程採点結果が送られてきた。筆記試験は申し分ない結果だよ。これから十分うちでもやっていけるだろう」

「え」

「ただ、念のために人柄など簡単な印象を、生徒会長と監督した教員に聞いておこうとおもってな」

 

 ぱちくち。

 何度か瞬きをしていた雪路。

 

「そ、そりゃもう!あんな優秀な子は私は見たことがありませんよ!」

「ほう」

「そうそう!優しく強く平等な博愛精神を持ち合わせた生徒は、間違いなく我が校の人気者ですし、学校の評価もうなぎ登り!これはもううちで獲得するしかないですね!他校に取られる前に」

「……なぜお前が営業しているんだ」

 

 べた褒めする雪路に若干引き気味の理事長代理。

 

「ヒナ、君はどうだ?」

「え?え、えぇ、優秀な人だと思います。戦闘能力もかなり高いですし」

「いや戦闘能力は聞いてないんだが」

 

 ため息をこぼすと、視線をアイルに向けた。

 

「アイル、君はどう思う?学園関係者としての視点で教えてくれ」

「努力家ですし、忠誠心も強い好青年だと思います。彼が通えば、ナギお嬢様ももっと積極的に学校に通ってくれるかもしれませんね」

「そうか、なるほど」

 

 キリカは何度か頷くと、封筒を取り上げて雪路に差し出す。

 

「ではユキ。この合格通知を、彼に持っていってくれ」

「は、はい!必ず、命に代えても届けさせていただきます」

「大げさなヤツだな……なんなんださっきから」

 

 

 狐にでもつままれた気分とはこのような時に使うのだろう。

 理事室を出た雪路とヒナギクは、まだ困惑した表情のままであった。

 

「え?なんで?どうして?」

 

 ひたすら目をぱちくりする雪路だったが、アイルは務めて冷静に口を開いた。

 

「桂先生、ひょっとしてちゃんと問題を差し替えていたのでは?気が付かなかっただけで」

「え、でも私入れ替えた覚えないし……」

「試験の時、問題内容を確認されました?」

「い、いや……枚数とか印刷ズレがないかくらいしか」

 

 こめかみに指を当てて唸る雪路。

 

「先生、試験問題はどう保管されてたんです?」

「机に置きっぱなしにしてた、はず」

 

 なるほど。

 アイルは合点がいったと軽く手を打った。

 

「もしかして、入試課の方が替えの問題を置いていたのかもしれませんよ」

「え?」

「桂先生の忘れっぽさを考慮した職員が、机の上は前もって置いててくれたのかもしれません」

 

 雪路はしばし考えるように腕を組んでいたが、やがて自分に言い聞かせるように頷いてみせる。

 

「た、確かに!それなら私も気が付かないかも!」

「だけど、それなら職員の人がお姉ちゃんにそう伝えるはずじゃない?」

 

 腑に落ちないといった表情で、ヒナギクは疑問を示すが。

 

「ただ、現に回答は無事に採点されているようですから。結果的に問題はなかったという事でしょう」

「そう、そうよね!これは何とかなったってことよね!」

 

 目を輝かせて、雪路は両手を天に掲げる。

 まさに直前まで神に祈った甲斐があったというものだ。

 

「よっしゃああああ!!今日は宴よ、祝杯よ!ヒナ、アイル君!今日ばかりは私が奢るから、とことんまで呑むわよ!!」

「ちょっ、何馬鹿なこと言ってるのよッ。私未成年だし!」

 

 浮かれて肩を組んでくる姉を、鬱陶しそうに引き剥がず妹。

 

「それに、綾崎君に通知を渡すのが先でしょ?」

「あっと、そうだったわね!ならまずナギちゃんの屋敷に直行よ!」

「あ、ちょっとお姉ちゃん!」

 

 一目散に駆け出していく雪路。

 待てという間もなく、その姿は見えなくなってしまった。

 

 残されたヒナギクは、今日何度目かのため息を深く一つ。

 

「本当にすみません、あんな姉で」

「まぁ、結果オーライということで」

 

 そんな様子にアイルは苦笑しながらも。

 

「では、私たちも三千院家に向かいましょうか。正真正銘の合格パーティーになりましたし」

「……ですね。お姉ちゃんが暴走しないとも限らないから、急ぎましょう」

 

 雪路のあとを、追いかけるように歩き始めるのだった。

 

 

 

 

 

 






 ツッコミどころが多い上、長くなってしまいすみません。アクションシーンを書くのが非常に難しいと痛感する今日この頃です。

 次回もよろしくお願いします!
 
 

物語の終わり方について

  • エンディングは一つのみが好ましい
  • 各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
  • どうでもいい
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