「なぁなぁアイル!アイル!」
白皇学院の敷地北部にある理事校舎。その最上階にある理事長室は、50坪以上はあるかといわれるほど無駄に広い。
エプロンをかけてキッチンに立っていた執事、アイルを引っ張るのは小さな執事、マキナ。目を輝かせて彼を覗き込んでいる。
「どーしたマキナ?モスの新メニューでも出たのか?」
「違うぞ!そんな場合じゃないんだぞ!」
「そか、下ごしらえはもう終わるから。その後で聞いてやるからな」
ポンポンと頭に手を乗せるが、マキナは大きく首を横に振った。
「そうじゃなくて!俺もそろそろ料理がしたいんだ、デザートとかでいいから!」
「デザート?」
彼は手に持っていた雑誌を開いて見せる。そこには、ガトーショコラの作り方が写真と一緒に丁寧に書かれていた。「お子さんと一緒に簡単本格デザート」とポップな見出しが付いている。
アイルは雑誌を広げる小さな従者の様子に、そっと口元を緩めた。
「なるほど。ま、そろそろ包丁とかを握っても良い頃合いかもな」
「任せろ!がんばるぞ!」
うきうきした様子のマキナは服装こそ執事だが年相応の男の子のようで微笑ましい。
「じゃ、小さなパティシエに今日のデザートは任せるよ。ほら、エプロン持って」
「えへへ」
子供用のエプロンを広げて、そくさくと身につけ始める。
「ガトーショコラを作りたいんだよな。ただあれでお嬢様は辛党だからな、ふんだんに香辛料を入れた特別なガトーショコラを作ってあげよう」
「ほうほう!」
「だからまずはブートジョロキアとドラゴンブレス、それから青唐辛子をブレンドしたスパイスをクリームに混ぜて」
スパンっ。
頭をはたかれて、慌てて振り返るアイル。
「一体何を教え込んでいるのよ、お前は」
そこにはジト目を向けるアテネお嬢様が1人。
「あー、聞こえてました?サプライズのつもりだったんですが」
「えぇ、もう盛大にね。あと私は辛いのは苦手だと知っているでしょう」
全く油断も隙もあったものではない。
やれやれとため息を吐くと、居ずまいを正して扇子を広げるお嬢様。
「ちょっと、外に出てくるわ」
「え、どちらに?」
「校内よ、だから1人で大丈夫。ただの散歩よ」
エプロンを外そうとする執事に、煩わしそうに手を振ってみせる。
「アテネ!今日は俺がデザートを作るからな!」
「えぇ、ありがとうマキナ。楽しみにしているわね」
「えへへ」
アテネはマキナの頭をそっと撫でて見せた。くすぐったそうに笑う小さな執事の反応を見届けて、彼女はくるりと踵を返す。
「ご飯は18時からですから、帰り道で買い食いとかしてきちゃダメですよ」
「母親か」
場所は変わって剣道場。
「決闘、ですか?」
「あぁ。貴様の相手は、この
東宮少年の後ろで立ち上がったのは執事服を身に纏った女性だった。柔らかい微笑みをたたえながら、ハヤテに向けてサッと右手を振ってみせた。
「どうも、今ご紹介にあずかりました、野々原楓です。このヘタレ――ではなくて、ドヘタレの小物、東宮康太郎坊ちゃまの執事とかをしちゃってます」
「ちょ、野々原!?わざわざ言い直さなくても良くない!?」
軽やかに毒を吐きながら。
「あ、どうも。僕は綾崎ハヤテです」
「えぇ、噂は聞いてますよ。三千院家の執事君」
優しげな細目に、腰まである艶やかな銀髪を後ろでまとめている。全体的にほんわかゆるゆるとした、穏やかな雰囲気をまとった美しい女性だった。
「なんでも、自転車でリニアと併走できて、爆破崩壊する西多摩市のツインタワービルからひも無しでダイブしても無傷な超人さん、とか」
「えーと、だいぶ噂に尾ひれはひれが付いているような」
「ふふ。謙遜なのはとても良い事ですよ、綾崎君」
楓は口元に人差し指を当てて満足そうに笑む。
「おい野々原!何を仲良く和やかな雰囲気になってるんだ!さっさとその馬の骨をやっつけるんだ!」
「はぁ、全く仕方がありませんわね……相変わらず坊ちゃまはわがままで」
「ええい、うるさい!三千院家の執事なぞ、東宮家の執事の前には虚無と散るということを教えてやるんだ!」
「はいはい」
彼女はあからさまにため息をつくと、くるりと振り返り。
「で・す・が。その前に」
「ん?」
鈍い音とともに、東宮が宙を舞っていた。
そのまま地面にたたきつけられる彼を、周囲の人間はただ呆然と見送る。
愕然とする東宮本人でさえ、この状況に全く脳が追いついていなかったようだが、やがて理解する。
「の、野々原!?お前何を」
楓が振振り向きざまに、主人である彼のアゴめがけてハイキックを放っていたことに。
「坊っちゃま?私、常々申し上げていましたよね?」
「へ?」
「強い男になりたくば、敵わぬ相手にもまず当たれ、と」
笑顔のままにじり寄る楓。
表情こそ笑ってはいるものの、彼女の後ろからは黒いオーラがめらめらと噴出している。
「だというのに、戦わずして人を頼り、自分は何もしない?」
「ひ、ひぃ」
「そんな軟弱ヘタレには、キツーイお灸を据えないといけませんね」
這いずるようにして逃げようとする東宮を、その女執事は軽々と抱え上げた。仮にも男子高校生を、そこまで身長差も変わらない女性が片手で持ち上げ、担いでいるのである、異様な光景だった。
「わ、分かった野々原!俺が悪かったからもう」
「いーえ。今日という今日はしっかりと身体に教え込ませないと。個人的に私の気が済みません」
「お前の気分次第なのかよ!?」
抱えられてわめく東宮をスルーして、楓はたおやかな笑みを携えて周囲に一礼。
「では、少しこれをお借りしますね。皆さんはどうぞ、練習を続けていてくださいねー」
「あ、ちょっと楓先輩!」
ヒナギクが止める間もなく、そのまま剣道場を出て行ってしまった。
ぽかんと口を開けて見送る剣道部員やハヤテら。
「な、なんだか嵐のような人でしたね」
「野々原楓先輩。この間まで私たちの主将をやっていた人よ、昨秋に引退されたのだけど」
目をぱちくりするハヤテに、ヒナギクは困惑した面持ちのまま話しかける。
「普段は本当に穏やかで誰隔てなく優しくて、もう菩薩のような人格者なんだけど」
言葉を遮るように、外からは断末魔にも似た悲鳴が響き渡った。
剣道部員らの同情にも近い視線が外に注がれている。
「スイッチが入ると、豹変するタイプですか。怖いですね」
「そうね。基本的に東宮君にしか向いたことはないけれど」
またもや、今度は情けない悲鳴が2発、3発と立て続けに打ち上がる。
部員たちは外に向けて手を合わせてお辞儀をすると、ストレッチなど準備を始めていった。
「ふふ、野々原君は相変わらず厳しいなぁ」
いつの間にそこにいたのだろう。
入り口付近では、バラの花を口元に添えた氷室が面白そうにその様子を眺めていた。
「あ、貴方は!ネクタイの君」
「素敵なあだ名をありがとう、でもいらないよ」
ネクタイ返してください。
ハヤテの問いかけは華麗にスルーして、手に持った薔薇を弄ぶ。またしても外からは悲鳴が。
「ところで、良いんですか?あんなスパルタみたいな……執事なのに」
「ん?何を言っているんだ君は」
ハヤテの問いかけに氷室は眉をひそめる。
「少し勘違いをしているみたいだね、綾崎君。執事とは、主に言われたことをただやるだけの道具とは違うよ」
「え?」
「かつて執事は貴族の長男しかなる事を許されなかった高貴な職務だった。つまり、それだけの責任があるということさ」
主を良い方向へと導く、責任が。
「君が彼女をここに連れてきたのは何故だい?」
「それは……」
「スポーツをする喜びを教えたかったんじゃないのかな」
氷室はちらっとナギに目を向ける。
「このひきこもりで軟弱で根性なしの二次元バカに」
「誰がひきこもりで軟弱で根性なしの二次元バカだぁぁ――ッ」
お嬢様!ステイ!
飛びかからん勢いで憤るナギをなんとか抑えつつ、ハヤテは考える。確かにそうだ、僕にはお嬢様を正しく導く責任がある。なんとなく、で務まるほどこの仕事は気楽でも曖昧でもないはずだ、と。
そうこうするうちに、剣道場の扉ががらりと開いた。
顔面蒼白という言葉がこれほどぴったりくる顔色もそうはないだろうという東宮を担いで、颯爽と戻ってくる楓。
相変わらずの笑顔だが、先ほどよりもスッキリしたような雰囲気にも見える。
「あ、楓先輩」
「ごめんなさいね、ヒナちゃんも皆も。練習の邪魔をしちゃって。でももう大丈夫だから」
「いや東宮君明らかに大丈夫じゃないんですけど」
屈託無く笑う楓に、ドン引き気味のヒナギクならびに部員一同。辛うじて生命、というより尊厳の灯火は消えてはいないであろう東宮を壁に立てかけつつ、彼女はくるりと振り返ると。
「では、綾崎君」
「え、は、はい」
「始めましょうか」
スッと、どこからともなく竹刀を取り出して、そのままハヤテに向かって構えたのだ。
「え、え?」
状況が飲み込めずに困惑するハヤテ。
「あら?坊ちゃまの話を聞いていなかったのですか?三千院家の執事と決闘しろと、そう命じられましたわ」
「えっと、ですが、僕には戦う理由がないというか」
「あらあら、それはいけませんわねぇ」
楓は細い目をすっとわずかに開く。翡翠色の瞳が覗くその奥は一切の笑みなどない真剣な光が帯びていた。
「ではもし仮に、私が執事を装った暗殺者だったとしても、貴方には戦う理由がないと?」
「いや、それは……」
「貴方の立場でしたら、そういう可能性も十分に考えられると思いますよ。その首に、遺産がかかっているのであればなおさら」
確かに。
ここに来て、ようやく彼女の言わんとしていることを理解してハヤテは思わず自身の首に手を当てた。
「いつ如何なる時も命を狙われる可能性・危険性を考え、主人の守る最善を尽くすのが執事ですよ、綾崎君」
「……野々原さん」
「こと三千院家の執事というのは、それだけの責務を伴うもののはずですよね」
視線こそ鋭いが、口調はどこか柔らかさを感じるのは気のせいか。
自分が今勤めているのがどういった立場の職務なのか。それを先輩として教えようとしてくれているのではないか。
天下に轟く大財閥、三千院家の一人娘の専属執事である。それが三千院家にとってどういう意味を持つのか、どれほどの責任が伴うのか。改めて言葉にするまでもないだろう。
ハヤテは側にいるナギに視線を向ける。
「確かに、僕は少し甘く考えていたかもしれません。三千院家の遺産をこの首にかけること、お嬢様をどんな時もお守りするという本当の覚悟がどういう事か」
「ハヤテ……」
「ありがとうございます、野々原さん。危うく取り返しの付かない事態を招くところでした」
竹刀を手に取り、ハヤテは強く握りしめた。
彼の背後には今まで見たことのないような剣気がほとばしっているのが感じとれる。
「やれやれ、野々原君はやはり甘いね。あれではほぼ正解を教えていっただけじゃないか」
「もう、茶々いれないでください冴木君。これでも考えているんですから」
氷室は肩をすくめると、再び興味深そうにハヤテの方に目を向けた。
「では、胸を借りるつもりで挑ませていただきますッ」
「ふふ、大変結構ですね。ではヒナちゃん、審判をお願いしても良いかしら」
「だと思いました」
軽くため息をつくと、生徒会長であり現剣道部主将は二人の間に立つ。
「まぁ、お二人の戦いを見る方が、皆にとっても良い刺激にはなると思いますし。ただ、あまり派手に暴れないでくださいね?」
「もう、人を猛獣みたいに」
頬を膨らませる楓は、そこだけ見ればおよそ普通の女子生徒に見える。
ほんわかとした雰囲気にはまるで闘争心というものを感じ取れないと、対峙するハヤテは改めて思う。
執事の先輩だ、それは分かる。執事服を身に纏っているのだから当たり前の話だ。
とはいえ相手は女性。背丈はハヤテより少し低いくらいか、一見すれば華奢な女性である。本気の勝負と意気込むものの、やはり傷を付けてしまってはどうしようと、紳士としての配慮が脳裏をかすめざるを得ない。
だが、その考えも。
ヒナギクがそっと耳元で発した言葉で跡形もなく消え去った。
「気を付けてねハヤテ君。練習試合だけだけど、私もここにいる皆も、この人に勝ったことがないから」
「え」
楓が右手に握った竹刀を青眼に構えた。
刹那、彼女の背後からは黒いオーラが、炎が燃え上がるように噴出する。やがてそれは、頭身が8つもあるという古の化け物、八岐大蛇を形作っていった。
「……あれ?ちょっと待って。冷静に考えるとおかしいぞ。これこんなバトルものだったっけ?」
「ふふ、心配しなくとも大丈夫さ。君もノリノリだったじゃないか、執事君」
100%他人事で面白がる氷室の言葉は、彼をますます冷静にさせた。冷静に、意味不明な展開に巻き込まれていることに。おかしい、何かがおかしい。どうしてこうなった──のかは、ここまでの自分のやり取りを振り返るとそりゃそうだよなと思うけど。
やはりやはりおかしいと叫びたい。
「ひょっとして、これやらかしました僕?」
「いけー!ハヤテ!」
勝つと信じて止まないお嬢様は目を輝かせている。逃げ場はない。ギャグ時空でも逃れられない現状がここにある。
それを察したハヤテは、小さく息をはいて、こう口にするのだった。
「え?こんな状態でも入れる保険ってあるんですか?」
この世界専用ですが、執事の設定などで重要な部分があるため、長くなりそうだったので分割する形となりました。長引かせて申し訳ありません。
TS版、野々原さんの外見イメージはWORKING!!の轟八千代さんをポニテにした感じでしょうか。飽くまで外見のみですが。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい