「メイドの夜空です。本日からお嬢様の下でお世話になります、よろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をするのは、可愛らしいフリルのメイド服を身につけた翡翠色の綺麗な髪を伸ばした少女だった。
彼女の隣でつとめて冷静な表情で座っている〝お嬢様〟とは裏腹に、目を丸くしているのは周囲に座る白皇学院の理事たちだった。
その中の一人、葛葉キリカは軽く咳払いをしつつ、おもむろに口を開いた。
「これはまた、意外な展開だな」
「意外、ですか?」
「君が、そこまで情に厚い性格だとは知らなかったよ」
そう問われたアテネは、少しだけ怪訝そうに視線を返す。
「情ではありません。諸般の事情を考慮して、これが最善と判断したまで」
「……なるほど」
何か言いたげだったようだが、キリカは小さく口元を緩めるに留めた。そうして、周囲に目を向ける。椅子に座った他の理事たちは、何かを思案するように腕を組んだり、視線を明後日のように向けたりとしていたが、ついぞ意見は出てこないようだった。
アテネが新しく雇った従者を、理事会で紹介すると言い出したのは、会議開始のつい10分前のこと。
「こういう事は早い方が良いのよ。変に詮索されても面倒だし、牽制する意味も込めてね」
「まぁ、確かに」
納得したように頷きつつも、意味ありげな視線を向ける
「何かしら」
「いえ。ただ、理事長らしくなってこられたなー、と」
「それ、全然褒め言葉ではないですわ」
会の冒頭にいきなり新人メイドを紹介するというややサプライズに富んだ出だしとなったが。結局、その後の理事会で少女について理事らが言及することはなく、つつがなく会議は進行し、約1時間で終了した。
「あの、本当に良かったのでしょうか」
会議が終わった帰り道。
廊下を歩いていたアテネは、不安そうな少女の声に足を止めて、振り返った。
「あまり、周りの皆様に歓迎されていないような気がして」
「大丈夫よ。
さして気にも留めていないと軽く首を横に振ると再び歩き始める。
「さっきは最低限の仁義を切っただけ。あとはもう気にする必要はないわ」
理事長室の扉を開くと、執事2人が彼女たちを迎え入れた。否、正確に言えば迎え入れたのはアイルだった。もう一人の執事、マキナはといえば……
「ですが、お嬢様の……執事の方にも、警戒されているようで」
「この子も、例外ね」
アイルの後ろに隠れるようにして、恐る恐るといったように少女の方に視線を向けているのだった。
「安心して。この子は多少人見知りなだけだから」
「というより、警戒されている気がします。当然といえば当然ですが」
「まぁ、同じ意味かもね」
アテネはややをもってため息をつくと、マキナの方に歩み寄ってゆっくりと屈んでみせた。
「マキナ、彼女は別に悪い人じゃないから」
「……アテネをいじめないか?」
「えぇ、そんなことはないわよ。安心して」
「そ、そっか」
優しく投げかけられた言葉に、彼はおずおずと頷いてみせるが、それでもアイルの後ろに隠れたまま。
「ま、身元不明という意味では十分怪しい人物ではありますが」
「お黙り」
補足しようとしたもう一人の執事にアテネは容赦なく鳩尾を肘で一突き。「お嬢様、ナイス一撃」という言葉を残して執事は撃沈。
「ともかくマキナ。彼女はアナタの同僚、仲間になるの、色々と教えてあげてちょうだいね」
「お、おお!同僚、同僚かー」
同僚。
少数精鋭がモットーの天王州家の従者にとって、これは非常に魅惑のワードである。思わず両手を握りしめて目を輝かせる少年執事。
「ふつつかなメイドですが、何卒よろしくお願いします」
そして、絶妙なタイミングでぺこりと斜め45度の完璧なお辞儀を追撃する新人メイド。
「分かったぞ、夜空!これから困ったことがあったら何でも頼ってくれ!」
小さな背を精一杯伸ばして、胸をトンと叩くその様子は頼もしさよりもどこか危なっかしさの方が勝っている。それでも微笑ましいことに変わりは無い、アテネと夜空はそっと顔を見合わせて口元を緩めた。
「あ、もうこんな時間か!じゃ、俺は仕事があるからこれで!」
そう言って、マキナはとてとてと部屋の奥に駆けていった。
「あの、マキナくんはどこに?」
「えぇ。本日8チャンと6チャン、そして動画サイトで可愛いワンコ、ネコ特集が続けてありました。彼は最高画質での録画確認並びにVチェックなどの重要作業にいったのです」
「……なるほど」
この職場では色々と余計な勉強することが多そうだ。夜空は下手に言及せず、脳内で独りごちた。
「ところでアイル、どうしてずっと屈んでいるのです?体調が悪いの?」
「流石お嬢様。数行前のことは綺麗さっぱりお忘れになっていらっしゃるとは」
軽く咳き込みながら、よろよろと立ち上がるアイル。
「機械の操作はマキナに教わるとして、貴方は他の仕事を教えてあげて」
「えぇ、承知しました」
「私は部屋で執務をしていますから」。アテネはそう言い残すと、奥の執務部屋へと消えていく。残されたアイルは、夜空の方に向き直った。
「改めまして、お嬢様の執事をしております、アイルです。記憶がない中、大変かとは思いますがどうかよろしくお願い致します」
「こちらこそ、私などのためにここまでしていただいて。感謝の言葉もありません」
メイドさんは再度深々とお辞儀をしてみせる。
「そんなかしこまらないでください、困った時はお互い様です」
「そういうわけにはいきません。お嬢様やアイル様には病院まで直接運んでいただいたとお聞きしました。助けていただかなければ死んでいたかもしれません」
仰々しい言葉にも聞こえるが、あながち間違いでもない。それだけ白皇の敷地は広く、冗談抜きに過去に生徒が遭難して行方不明になったという噂まであるほど。アテネたちが見つけなければ、滅多に人の寄りつかない場所であるため白骨化するまで見つからないなんていう可能性も。
「大げさです。それに、私に「様」はいりません。記憶が戻るまでとはいえ、これから同僚になるのですから」
「そんな、皆様は私の命の恩人ですから」
気持ちはありがたいのですが。
アイルは両手を振って困惑したように一歩下がる。
「堅苦しいのは苦手なんです。ですから、普通の同僚のように接していただきたく」
これは私個人の要望です。そう付け加えると、夜空は暫く考え込むように口元に手を添えて。
「分かりました。では、『先輩』とお呼びします」
「……まぁ、それなら」
いいのか?
同僚での上下間なら別に何もおかしいことはない。ないハズなんだが、言い知れない妙な感覚になるのは気のせいだろうか。
「いや、やはりその呼び方もどうかと――」
「いえ、これは譲れません。さながら水泳部のクール系後輩のように呼ぶべきかと」
「君ホントに記憶ないの?」
「ありません。ですがこれは伝えておかないといけないと私の本能が告げています」
先ほどとは打って変わって、キリッとした表情を向けてくる夜空。
ただ科目で大人しいと思っていた彼女だが、どうもそういうわけではないらしい。彼女なりにボケているのか、それとも真面目なのか。
「分かりました、呼び方はお任せします」
「感謝します、先輩」
ぺこり。また仰々しくお辞儀をするメイドさん。変に頑固な彼女の部分を垣間見て、思わずため息をつく〝先輩〟。
「では、仕事の説明をします。ここも広いので、人手があるのは助かります」
「はい、よろしくお願いします」
白皇の理事長室は、ただの一個室ではない。
理事長、もといアテネの部屋に執務室、応接室、厨房、別途会議室が5つ、それぞれ執事の個室、他にも使いどころがよく分からない部屋が複数。テラスや巨大な水槽、無駄に長い廊下に会食用の大食堂。
無論ギリシャにある天王州家の屋敷の広さにはほど遠いが、それでもアテネと執事2人だけでは手に余るという表現も小さいくらいだ。
故に、掃除の手間だけでもかなりの労力を要するわけだ。
無駄に広い応接室に入った2人は、入り口近くの銀の銅像に視線を向けた。
「この像は専用の真鍮ブラシを使って……あぁ、道具の場所は」
「これ、でしょうか」
スッと、的確な掃除用具を差し出す夜空。
「いつの間に」
「いえ。ただ何となく身体が勝手に」
自然と動いたということか。
思わぬ言葉に、アイルは軽く眉をつり上げた。
「もしかして、こういった掃除に慣れているのでしょうか。記憶がなくなる前は、どこかのお屋敷で働いていたとか」
「そう……なのでしょうか」
確かに、メイド服で倒れていたのだからその可能性は十分にあった。コスプレイヤーというより、そちらの可能性が極めて高かったのだからその線で捜索をかけている。残念ながら今のところ手がかりはないのだが。
とはいえ、掃除に反応したというのは大きな手がかりになるのではないか。
「良ければ、今応接室の掃除をされてみますか?」
「ですが、ちゃんとできるかどうか」
「構いませんよ、ここは仮拠点のようなものですから」
それに、掃除をされているうちに、なにか思い出すことがあるかもしれません。
アイルはその言葉に、彼女はまた考えるように視線を左右に彷徨わせていたが、やがて小さく頷いた。
「分かりました、ではお言葉に甘えて」
「私は隣の部屋におりますので、なにかあればお声がけを――」
以前三千院家で同じような状況があったような。ふと、そんな思い出が頭をよぎり足を止める。あのときは確か、お嬢様の暴走で応接室が戦場となり、優秀なメイドさんに烈火のごとく雷を落とされたような。
「多少の被害があっても、何とかなるだろう」。そう頭の中で呟きながら、若干気が引ける思いもあったが、何かのきっかけになればと部屋を後にすることに。
しかし、1時間後。応接室に戻ったアイルは思わず目を見開いた。
「なんと、これは」
見事な手際。
その一言に尽きる仕事ぶりだった。
丹念に洗浄されたカーペットやソファ、カーテンはシャンデリアからのその高級さをいっそうに強調せんばかり艶やかに、隅々まで丁寧に磨き上げられた調度品や装飾品の数々はシャンデリアからの光を増して輝きを放っている。細かく見れば見るほど、目に届きにくい箇所への丁寧な作業はしっかりと感じ取れる出来映えだ。
普段から目にはしている応接室が、なんだか別の場所のように気品と威厳に満ち満ちているようにも感じる。
「すみません、先輩。手順を確認していただいてもよろしいでしょうか」
「え、えぇ」
加えて、彼女が示した手順は完璧だった。
普通、初めてこんな広い部屋を掃除しろと言われれば、驚き困惑するのは掃除する側であることが多いのに、今回見事に面を食らっていたのは執事の方だった。
「すごいですね、夜空さん。やはり、こういったお仕事をされていたのでは」
「いえ、記憶にあるわけではないのですが」
彼女は自分の両手を見つめながら、力なく首を振る。
「自然と身体が動いた、という感覚といいますか」
「なるほど」
身体に染みついた動作ということだろうか。しばらく俯いていた彼女はやがて息をついて、顔を上げた。
「ともかく、手順が間違っていなくてホッとしました」
「どころか、その辺の業者よりもよっぽど素晴らしい仕事ぶりですよ」
「そんなお世辞を言われても、出せるものがありません。記憶すらないというのに」
「タイムリーなブラックジョークですね」
説得力があるんだかないんだか。ひょっとして元々ノリの良い性格なんだろうか。
「では、他の部屋の掃除もお願いできますか?」
「はい、もちろんです。先輩の命とあらば、誠心誠意奉仕させていただきます」
「誤解を生みかねない発言はやめてくださいね」
恐らく張り切っているのだろう。表情の変化こそ乏しいものの、小さく両手でグーを作る夜空。そのまま掃除用具を手に静かながら軽やかな足取りで、隣の部屋へと向かっていくのだった。
木製の扉を軽くノックすると、「どうぞ」と主人の声。それを確認して、アイルは執務室のドアノブに手をかけた。
「どう、彼女は?」
「驚きました」
問いかけながら、書類に向けて万年筆を走らせているお嬢様。執事は軽く肩をすくめて返す。
「手際も良いですし、作業も丹念かつ丁寧。メイド服は飾りじゃなかったみたいですね」
「そう」
「本人は覚えていないようですが、きっと同じような仕事をされていたのだろうと感じます」
そう言って、アテネはやっと書類から顔を上げる。
「手がかりになりそうね」
「同感です。その線でもう少し絞っていきます」
「えぇ、お願いね」
彼女はペンを再び握ると、書類に視線を落とす。
「けど、意外だったわ」
「何がです」
「彼女を預かったこと」
アイルは数秒逡巡するように視線を宙に彷徨わせたが。
「反対するかと思ったけど」
「反対ですよ、立場上は」
どう考えても危険がないとは言い切れませんから。
「けど、うちの子が少しでも外の人と関わりを持つならそれも良いかなって」
「引きこもりの親か」
「多分根は良い子なんです、ただちょっと人よりも拘りが強いだけで。小学生のころは勉強も運動も一番で」
「誰に向けて言ってますの?昼のラジオ?」
「塾も通わせて習い事もいっぱいさせて、進学校に通うことが将来に何よりも大事だからって。なのにいつの間にか勉強についていけずに高校中退なんて……一体何処で間違えたのか」
「家庭の影響ですわ、きっと本人だってなりたくてそうなってる訳じゃありません。親がしっかり子どものケアをすべき時にしていないから――」
「本人って、誰の話ですか」
「お前が始めた話でしょうッ」
まあ、冗談はさておき。
「お嬢様の周囲に人が増えることは、悪いことばかりじゃないでしょう」
「急に冷静にならないでくれる?」
「これを機に、警備のSPも一気に増強するとか」
「それは却下」
疲れたようにため息をついて、背もたれに身体を預けるお嬢様。
「ま、色々思うことはありますが」
「思いすぎて話逸れてませんこと?」
一つ言えることがあるとすれば。
「記憶も身寄りもない時に、手を差し伸べられることがどれだけ救いになるか。それも知っていますから」
「……」
執事は静かにそう口にした。
「そう」
故に、深くは追及せずに、主人は頷くに留める。彼が何を思い、何に自分を重ねているのか。思いを巡らせることも野暮だと、彼女は勝手に結論づけた。
そして、再びペンを手に執務に戻ろうと――
「それに彼女がいてくれれば、〝三千院家〟の動向を注視しやすいですから」
その言葉に、ピクリと動きを止めるアテネ。
「ハヤテの件は、一旦中断と言わなかった?優先すべきは扉の件だと」
「分かってます。ただ、彼がよからぬ事に巻き込まれたりしないように、見守るくらいは構わないでしょう」
「えぇ、まぁ、そうね」
煮え切らないように言葉を濁す。何かを言いたいが、上手い言葉が見つからない。そんな主人の様子を見つめていた執事だったが、ドアをノックする音に気がついて振り返った。
「失礼します、お嬢様、先輩」
入ってきたのは夜空だった。手には一枚の封筒を持っている。さらに後ろからは、主人の白い視線が執事に容赦なく突き刺さった。
「お前、あろうことか記憶喪失の少女にそんな呼ばせ方をしているわけ?」
「言い訳はしませんが、私の意思ではないという事だけは言っておきます」
それはそうと、一体何の用かと視線を送ると、夜空が持っていた封筒を差し出した。
「すみません。先ほど、理事長室に荷物が届いたので」
アイルが受け取ってみると、封筒の表には『エドモンドへ』とでかでかと書かれていた。
「エドモンド?人違いじゃない?」
「あー、いや。大丈夫です、私宛ですね。恐らく」
封筒を空けると、中から出てきたのはMDプレーヤーのような四角い機械だった。黒く、手のひらサイズのそれを見つめて、なんだコレはと3人は顔を見合わせる。
「もしかして、これが新しいあいふぉんというやつですか」
「いえお嬢様。私は記憶喪失の身ですがそれは違うと断言できます」
お嬢様は機械が苦手でいらっしゃる。
ふと見ると、機械の横に白い小さなボタンがついている。アイルは迷わずにそれを押す。
突然、機械からホログラムが浮かび上がった。地球のような球体のホログラムには『NAGI』との文字が。
「な、なんですのこれは」
「三千院家の技術は無駄に凄いですね」
暫くすると、そのホログラムから聞き覚えのある少女の声が。
『おはよう、エドモンド君。さて、今回の任務だが下記の地図に記した場所に潜入し、この施設の実態を調査してもらいたい。かつそこに訪れるであろうハヤテ――じゃなかった、ある人物の警護も平行してもらいたい。密かに、バレないようにだ』
「某作品に思い切り影響を受けてそうな指令文ですね」
「そもそも任務を受ける身でもないんですが」
顔を見合わせるメイドと執事。
『とある人物については、潜入先で君が把握できるように手配しておく。例によって、君や君の仲間が捕らえられても当局は一切関知しないのでそのつもりで』
「仲間いないんですが」
「現地に待機してるのでしょうか」
『なお、このメッセージは5秒後に消去される』
「なるほど、最後は煙が出るお決まりのパターンですか」
「君本当に記憶喪失?」
暫くすると、案の定機械から煙が出て、ホログラムは消失。その後はボタンを押しても一切機械は反応しなくなった。
3人はもう一度顔を見合わせる。
「最近の技術は凄いのね」
「いやお嬢様、ツッコミ所はそこじゃない気がします」
むしろツッコミ所しかない。一体三千院家のお嬢様は何をやっているのか。
「まぁいいわ。よく分かりませんが、困っているようですし助けになってあげなさい」
「困っている人が送るメッセージには思えませんが」
「ハヤテが関わっているようですし、無視はできませんわ」
とはいえ、主人の命令とあれば、従うのが執事。
天王州家の執事、もといエージェントは突如として降ってわいた任務に挑むことになるのだった。
「では、私は英国の女スパイとして、先輩を時に魅惑し時に出し抜く役割などに徹しましょう」
「絶対に記憶あるよなアンタ」
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい