「にゃあ」
猫なで声と聞くと、昨今はあまり良いイメージを抱かなくなった気がする。例えば邪な下心があり、それを悟られないように近づく為に出す声とか。そんな考えが真っ先に思いついてしまう。
しかし、文字通りネコが発する猫なで声は天使の寝息と大差がないのではないか。天王州アテネは手に感じる温もりとふさふさした感触を楽しみながら、全力で痛感していた。
「ふわぁぁ……」
「学校では見せられないくらい緩みまくってますね」
「関係者なんて誰もいないし良いのよ、あと私は今理事長ではなくただの猫が好きな女子よ」
緩みまくった頬を正すこともなく、とろんだ瞳でそうのたまうお嬢様。こんな様子は理事会にも生徒会にも見せられないなと、執事のアイルは内心苦笑する。
「ほら、アイルも隣にいらっしゃい。新しくきた子『ローズ』というそうよ。目がピンク色だから、そう名付けたんですって」
「おっと」
そっと腕に抱かされたのは白毛のネコだった。アテネは微笑みながら、執事の腕の中にいるネコのアゴを優しく撫でている。
さて、いつも凛としているお嬢様がここまでほんわかふにゃんと、ネコたちと戯れているのは何故か。
話は約2時間前に遡る。
「時は満ちました。アイル、出撃の準備を」
「了解しました」
2月も終わりかけている白皇学院理事長室。
険しい表情で立ち上がった主人を見て、従者はお一礼すると部屋を出て行く。しかしすぐに、洋服や帽子を手に戻ってくると、彼女に差し出した。
「どうぞお嬢様、変装用のお召し物です」
「ありがとう。お前も着替えてきなさい」
暫くして、着替え終わった2人が部屋に戻ってくる。
アテネはグレーのニットセーターに、キャラメル色のプリーツスカート。後ろ髪は黒いキャスケットにしまい込み、首元には赤いマフラーを巻いている。アイルは黒いニットにズボン、紺のチェスターコートを羽織っていた。
明らかに外出する格好に、気が付いたマキナは小首を傾げて近づいてきた。
「アテネ?どこに行くんだ?」
「極めて重要かつ早急な案件よ」
アテネは優しくそう微笑むと、マキナの頭に手を乗せる。
「良い子でお留守番していたら好きなハンバーガーを買ってきてあげるから」
「おう、分かったぞ!お掃除もしておくぞ!」
「ありがとう、マキナ」
胸をぽんと叩いて自信満々に頷く小さな従者。
「ヨゾラさんは今ヒナギクさんの家にいますが……」
「まぁ、大丈夫でしょう。今日はもう仕事の予定もありませんし」
それもそうですね。アイルは納得したように頷くと、2人はそのまま理事舎をあとにした。
「しかし、髪をしまうと別人ですね。さながら東京のJKの休日そのものだ」
「それは褒めていますの?」
「多分?」
「何故疑問形……」
数十分後、2人は都内某所にある建物の前まで足を運んでいた。
赤煉瓦の純喫茶風の外観、入口には『保護ネコカフェ&バー・ニャオール』と可愛らしい文字で書かれている。
「考えてみると、猫カフェに行くのに毎度変装する必要ありますかね」
「形から入るのも重要でしょ。服装だけでもこれはプライベート、というのを意識するもの」
確かに、彼女の場合は私服そのものが目立つかもしれない。プライベートを重視するならば、芸能人よろしく変装は必須だろう。
「あらー、アテネちゃん!」
木製のドアを開けると、カランコロンと鈴の音が響き渡り、同時に上機嫌かつやや野太い声がかかってきた。
「ごきげんよう、マスター」
「いらっしゃい、よく来てくれたわね。アイルちゃんも」
カウンターから回り込んで近づいてきたのは、やたらとガタイの良い男性だった。赤いバンダナを頭に巻いており、冬なのに半袖のシャツから覗く上腕二頭筋は肉塊かと見間違うほどに太い。口元たアゴを覆った髭は荒々しく伸びており、毛先をミサンガで結んでいる。初見の人であれば『黒ヒゲ』というあだ名がぴったりだと思うことだろう見た目である。
「あらあら、暫く見ないうちにまーた一段とイイ男になっちゃって!」
「1ヶ月ぶりですよねマスター」
しかし、口調は明るくそして女性的だ。バシンっと、無遠慮にアイルの肩を叩きながら終始ニコニコとしている。
「舐めちゃいけないわ!男子一ヶ月会わざれば刮目して見よって言うじゃない!」
「それは三日では」
バシバシと肩を何度も叩かれて、引きつった苦笑しか返せない執事。
「どっちでも一緒よん!それよりどう?私たちのグループ飲み会に参加する気にはなってくれた?」
「……ちょっと私には早い世界かなって」
「なによもう!つれないわねぇ、きっと皆アイルちゃんの事を気に入ってくれると思うのに」
「ははは」
小さくなっている執事の様子に、吹き出しそうになるのを堪えながら、アテネはゆっくりと問いかける。
「それよりもマスター、今日もよろしいでしょうか?」
「えぇ、もっちろん!アテネちゃんには里親や経営支援で本当にお世話になってるんだから!いくらでも使ってくれて構わないわ」
男性は顔に似合わぬウインクをパッチリとしてみせると、そのままカウンターの奥の部屋に入っていく。
「せっかくだからお呼ばれされてきたら?」
「一度捕まったら二度とシャバの空気を吸えなさそうなので遠慮します」
「あら、だから勧めているのに」
「鬼か」
さて。
ここは都内にある保護ネコと戯れることができるカフェ兼バーのお店である。
昼間はカフェに、夜はバーに。奥の広場では保護ネコを解放して、お客さんと戯れてもらい、互いに愛情と元気をもらうことを目的に、元トリマーのマスターが数年前にオープンしたのである。店では里親も募集しており、従業員には元公務員で保健所で働いていた人間もおり、獣医などともしっかりとした連携している。
そんなお店とお嬢様の付き合いは、およそ2年前。仕事やその他のストレスに疲弊しつつあったご主人様の一助になればと、執事が店やマスターを紹介したのが始まりであった。
そして訪れた店内で、保護ネコたちの〝おもてなし〟に魅了され、日本にいる間は月に1回程度は通うようになったのだ。
「自分1人でできることは限られているけど、何もしないわけにはいかない」と一念発起で店を始めたマスターの心意気に感銘を受け、業界の関係者をつないだり、里親探しにも店を紹介して積極的に協力しているのである。
お嬢様とて、これは人間の偽善、エゴだということを理解しつつも、しかし処分されてしまうネコをなんとか救いたくて、こうして協力している。そんな心優しいお嬢様に清き一票をどうかよろしくお願いします」
「長々と何の説明してるのよお前は」
執事を軽く小突くお嬢様。
そうこうするうちに、カウンターの裏から、男性が「お待たせ」と軽い足取りで戻ってくる。
「では、アテネちゃんとアイルちゃんの分の〝入場証〟。他にも数名のお客さんがいるけど大丈夫かしら?」
「えぇ、もちろん。いつもありがとうございます」
男性は2人の首にひもの付いたカードを手渡す。そのまま、カウンターやテーブル席があるフロアを横切って奥に歩いて行くと、ガラス張りになった広場が見えてくる。キャットタワーや様々なおもちゃが設置されたそのフロアには、様々なネコたちがのんびりと気ままに過ごしていたり、客と戯れたりしていた。
「にゃう!」
とことこと、彼女の足下に駆けよってきたのは茶色のネコだ。
「まぁ、お迎えしてくれたの?」
「にゃ!」
アテネは笑みをこぼして、そのネコを優しく抱き上げる。その表情は既にもう幸せと書いてあるかのように緩んでいたのだった。
そんなこんなで冒頭へ。
2,3匹のネコや子ネコに囲まれて
「月1回ネコたちと戯れるのが、お嬢様の精神安定に寄与し、日々の活力になる、と」
「えぇ、ネコは世界平和に寄与する存在です」
違いない。
今目の前にいる少女の幸せそうな顔を見れば、それも思わず納得してしまいそうになる。
しかし、だ。
だからこそ、彼女にも忸怩たる想いがある。
「里親になってあげられないのが残念ですね」
腕に抱いたネコ、ローズを喉をそっと撫でるアイル。
「仕方ないわ。マキナがあれだけネコアレルギーなのだから」
そう、従者の1人が重度のネコアレルギーなのだ。故に、彼女はそばにネコを置いておくことが出来ないのである。
「体毛とかにも敏感ですからね、帰る前にしっかり」
「そうね、気を付けるわ」
そう言うと、またネコたちと戯れ始めるお嬢様。彼女が置いた手の甲の上に、ネコたちがちょこんと手を置く。アテネが手をずらして移動させると、ネコたちは追いかけるように手を乗せる。
それを数回繰り返して、くすくすと微笑むアテネ。ネコたちは可愛らしくネコ撫で声を上げてみせた。
(……こんな笑顔を、もし〝彼〟に向けることができれば)
屈託無く笑う、そんな彼女を見る機会は本当に少ない。いや、少なくなった。アイルはそっと目を閉じる。
(そのためには、やはり……あの件を)
くいっと、服の袖を引っ張られる感覚。見れば、腕に抱いたままのローズが覗き込むようにして彼に視線を向けていた。
「どした、お前もお嬢様と遊びたいのか?」
「にゃふっ」
ネコは目を閉じたまま小さな頭をくりくりと彼の胸元に押しつけてくる。どうやら彼の腕が心地よいらしい。
「まぁお嬢様は意外と怖いからな。見た目に惑わされないのは良いことだぞ」
「聞こえてますわよ」
今し方の聖母のような笑みはどこへやら。聞き捨てならないとキッと睨みを飛ばしてくるお嬢様。
しかし、腕に抱かれて和んだような表情をしているローズを見て、すぐに目つきを和らげる。
「随分と、その子に懐かれてるみたいね」
「どうかな、ちょうどいい安楽椅子を見つけたくらいなんじゃないですかね」
アイルの返事に呼応するように、ローズはのんびりと鳴いてみせる。そんな可愛らしい姿には、さしものお嬢様も態度を軟化せざるを得なかった。
「ほら、お嬢様とも遊んであげてくれ。社会に出たらこびを売る相手を見極めるのも大切なんだぞ」
「言い方が釋に触りますが、まあいいでしょう」
ローズはよちよちとアテネの元に近寄っていく。お嬢様はすぐに笑みを作って、ネコを抱き上げると、他のネコたちと一緒にまた戯れ始めるのだった。
ネコとの戯れに満喫しているお嬢様からそっと離れ、アイルはカウンターの方へと移動した。昼下がりということもあって、テーブル席にはサラリーマン風の客がぽつりといる程度、カウンターは無人である。
「いつもすみません、マスター。おかげさまでお嬢様も栄養をチャージできているようで」
「あらいいのよ、私とアイルちゃんの付き合いでしょ。それにアテネちゃんにもすっごく助けてもらってるしね」
グラスを拭いていたマスターは、ぱちりとウインクをしてみせる。
「教会の件も、情報ありがとうございました。名前を聞いたときはまさかとは思いましたが……無事に解決しました」
「そう、力になれたようで何よりだわ」
「シスターも父親と一緒に祖国に帰られたようですし、もう三千院家にちょっかいをかけることもないかと」
「ま、悪人には向いてなかったんでしょう。界隈じゃよくある話ね」
アイルが懐からそっと金貨のようなものを差し出すと、マスターは微笑みながらそれをさりげなく受け取った。それはいかにも手慣れたやり取りで、一種の儀式のようでもあった。
「そういや、あのネコは随分珍しいですね。目の色がピンク色なんて」
「あぁ、ローズちゃんね。最近あるご夫婦が訪ねてきてね……少しだけ預かってほしいってね」
マスターは再びグラスを拭きに戻りながら話を続ける。
「あぁ、里親募集のネコってわけじゃないんですか。出張中だけ預かる、みたいな」
「うーん、そういうわけでもなさそうなのよねぇ。あまりに真剣な表情だったから詳しい話は聞いてないんだけど」
少し思案するように、グラスを置いて視線を彷徨わせる。
「なんだか、大事な使命があって一大決心をしたとかなんとか。それが成功したら、必ずまた引取にきたいって」
「……それは、ネコにしたら酷い話ですね」
体よく捨てられた、とも見ることができるからだ。
「まぁねぇ。暫く連絡がなければ、もちろんウチで引き取るつもりよ。ただ、ね」
「ただ?」
「とっても大切にお世話されていたのは見て分かるのよ。なんでも、あの子は元々拾いネコだったみたいなの。友人から託された子なんだって」
困った時はお互い様だし、詳しい話はほとんど聞いてないけどね。
そう言って笑うマスター。何やらその夫婦にも深い事情をありそうだが、自分には関係ないだろうと曖昧に頷くに留めておく。
やがて、アテネも戯れフロアから出てきた。そろそろ帰宅の時間である。
「ありがとうございました、マスター。たくさん元気をいただきましたわ」
「良かったわー!アテネちゃん前よりも疲れた表情することも多くなってる気がするから、心配してたのよ」
いつでも癒されにきてね。そういってグッと親指を立ててみせるマスター。聞きようによってはかなり危ない話のようにも思えそうだが。
「アイルちゃん!ちゃんと守ってあげなさいよ、貴方だけが頼りなんだから!」
「はぁ」
バシバシとまた無遠慮に肩を叩かれてる執事。
そうしてお店から出たところで、ふと何かを思い出したようにマスターが声をかけてきた。
「あ、そうだ。ちょっとだけ2人にお願いしてもいいかしら」
「どうかしまして?」
「逃げ出しちゃった子ネコがいてね、今探してるのよ」
マスターはカウンターの奥にある棚からなにやらチラシの束をもって来た。
「この前拾われてきた子ネコなんだけど、うちのスタッフちゃんがちょっと目を離した隙に逃げ出しちゃって……まだ子ネコだから、1人で外にいられるのも時間の問題だし、心配で」
そう言って、2人にイラストの描かれたチラシをみせる。「この子、探してます」と大きく書かれた文字の下には、黒い子ネコが描かれていた。額にはバッテン模様の傷があった。
「残念ながら写真がないんだけど、珍しい特徴もあるからひとまずイラストで探してるの。もし情報とかがあったら、教えてくれないかしら」
「分かりました、可能な限り協力します」
「ありがとう、アテネちゃん」
アテネは優しく頷くと、店を後にするのだった。
「ところでお嬢様」
「何かしら」
凛とした表情で、隣の執事を振り返る。その瞳には先ほどまでの緩んだ色は一切無く、天王州家の当主としての強い色が戻っていた。
「その子ネコ、学院に連れてく気ですか?」
「……え?」
が、腕には小さな子ネコを抱いたまま。
真っ赤になって、慌ててお店に戻しにいくお嬢様であった。
ヒロインの風格()
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい