「そろそろ日本に戻りましょうか」
唐突なアテネの言葉に、執事は給仕の手をピタリと止めた。
「またえらく急ですね」
それも一瞬の事で、すぐに陶器のティーポットからカップへと淹れ立ての紅茶を注ぐ作業へと戻る。
「こっちも落ち着いたし、細かい部分は彼らに任せても大丈夫でしょう」
右手に持った果物ナイフでささっとレモンを薄切りにすると、カップの端にそっと添えて、アイルは丁寧に彼女が座る机の前にソーサーを差し出した。
「なるほど言われてみれば、学院業務の方が放任気味ですからね」
「良いのよ、自由をモットーにする校風を重んじているのだから」
「それは体のいい丸投げ宣言では」
特に悪びれた様子もなく、カップをゆっくりと啜りながら答えるアテネ。そんな彼女を見て、アイルはわざとらしく咳払いをして注意を引くと、「いいですか?」と続ける。
「お嬢様は東京都にある国内最大規模の学園法人、白皇学院の理事長であらせられるのですから。適度な放任はともかく、完全な丸投げでは他にいらっしゃる5人の理事の方も困るでしょう。何せ白皇学院は30㎢以上の杉並区ほぼ全てを敷地に置くという日本でも有数の進学校ですからね。初等課から高等課までエスカレーター式で、その規模と高い水準の学力は──」
「何故いきなり説明口調?」
「こういった設定は、序盤のうちになるべく細かく説明した方が良いかと」
「誰に対してよ」
ともかく。
「決済が滞ってる事項も多いでしょうし、直接出向かれるのであれば理事の方々にも連絡しておかなくては」
「判子という文化は融通が効かないわね、白皇も更にデジタル化を進めなければ」
「機械音痴のアンタが言いますか」
こめかみを押さえていた執事は、ふと思い出したように手を叩く。そういえば。
「この前の生徒会選挙ではヒナギクさんが会長に当選されたそうですが」
「ええ、聞いてるわ。真面目な彼女なら滞りなく職務を全うできるでしょう」
そう言って、アテネは口元を緩めてみせた。
「お嬢様の数少ないご友人でいらっしゃいますし、ご祝辞くらい差し上げた方が良いのでは」
「今とてつもなく失礼な事を言われた気がしたのだけれど」
相変わらず一言余計な執事に対しひと睨みをくれてから、もう一度カップを口元に傾ける。
「けれど、そうね……会長職は何かと疲れも溜まるでしょうし、労いに行くの良いかもしれません」
「素直に会いに行くって言えば良いのに」
「お黙り」
ぴしゃりと言い放つと、アイルはやれやれといったふうに口をつぐんだ。
日本。先ほど執事も説明したように、仕事の関係でちょくちょく行き来はしている。というよりも、家柄は本来日本出なので、戻るといった方が正しくはあるのだが。
ただ、日本には別の用件がある。
それは間違いなく、彼女の人生を構成する上で切っても切り離せないほどに重要なピースだった。
アテネは、机に置かれていた指輪のケースを見つめる。一見して、どこにでもありそうなアクセサリー店の箱だ。中身の指輪も、決して珍しいものでも高級なものでもない。
けれどどんなに高額なものよりも、どれだけ希少なものよりも、彼女にとっては大切だった。人生の支えといっても良いほどに。
どれだけの財力に囲まれても、どれだけの名声を手にしても、その指輪の輝きには到底及ばない。
「見つかるといいですね、今度こそ」
不意にそう声をかけられた。
「え、ええ。そうね」
心を見透かされたのかと思い、思わず声がうわずってしまった。動揺したことが丸わかりだが、声をかけてきた執事は何も言及しなかった。
これ以上立ちいってはいけないと弁えているのか、あるいは単に興味がないだけか。淡々と給仕をこなす後ろ姿を見て、つい口が動いた。
「ねぇ」
「なんです?」
「例えばの、話なのだけれど」
そこまで言ってすぐに後悔する。一体自分は何を口走ろうとしているのか。
しかし、口を突いて出てしまった勢いはもう留めようがなかった。
「真実が、必ずしも報われる結果であるとは限らないわ。ずっと信じてきたことが、ものが、ばらばらに壊れてしまうこともあるかもしれない」
執事は手を止めた。
「らしくないな、拾い食いでもしたんですか」
軽口に付き合う気分でもないので無視して続ける。
「それでも、いえ……その可能性が高かったとしても、貴方は──」
「信じますよ」
彼はアテネの言葉を遮って、振り返る。
「というか。アンタが信じ続ける以上は、こっちにそれ以外選択肢なんてない」
キッパリとそう言い切った。
それは彼女にとって、理想的な回答だっただろうか。それとも、気休め程度の意味しかなかったか。
いずれにしても、正面からの直球な答えには面を食らっていた。
「それが、何の根拠もない。ただの願望だったとしても?」
「強い想いは時に何よりも根拠たりえる事だってあると、昔誰かに教えられた気がします。科学じゃ説明が出来ないような事が起こるって」
シルクの果物ナイフを丁寧に拭きながら淡々と答える執事。
「意外ね、貴方がそんなロマンチストだったなんて」
「どうかな。都合の良い方に乗っかってるだけかも」
こともなげにそう言いながら作業を進める従者。
暫く驚いたように目を丸くしていたアテネだったが、やがて口元をそっと緩めて
「ま、その点でお嬢様がどれだけ執念深い性格かはよく分かってますから。絶対的な信頼がある」
「は?」
「そんじょそこらのタチの悪いストーカーや恩讐に取り憑かれた丑の刻参りなんかよりよっぽど執着気質ですからね。それほど強い想いがあれば」
銀製のトレーが容赦なく顔面に強襲した。
「日本と言えば、ガーデニング係の後任を決めなくては」
「またいきなりね」
赤くなった鼻っ面を押さえつつ、アイルは窓の外に目を向ける。日の光を浴びた白く美し水仙の花々が、そよ風に細身の身体を預けるようにして揺られている。夜になると月明かりをうっすらと反射し、一面の水仙畑はまるで光の海のように広がる。主人のお気に入りの光景でもあった。
「暫くは
「ガーデニングだったら、専任のターニャさんがいらっしゃるじゃない。彼女の仕事ぶりは完璧よ、代わりが簡単に務まるとは思えないわ」
この男が唐突な提案をするのはいつものことだが、毎回付き合うこちらの身にもなって欲しいものだ。アテネは面倒だという気持ちを隠そうともせずに視線を投げかける。
「確かにそうですが、彼女も今年で喜寿。『まだまだいけると思ったが、昔のように若さに任せたプレーが出来なくなった。もうユニフォームを脱ぐときが着たのかもしれない』と現役引退を考えておられます」
「チームを引退するプロスポーツ選手なの?」
「パフォーマンスを維持しているうちにセカンドキャリアを考えるのは、今やアスリート界ではごく一般的ですからね」
アスリートとは何か。
しかし、と彼女は口元に手を添えて思案する。
「本人がそう考えている以上、無理に引き留める訳にもいかないわね」
「つきましては、ガーデニングに携わる者、ガーディアンの後継者を探さねばなりません」
「その呼称は痛々しいので今すぐ止めてくださる?」
構わずに持参していた資料をどこからともなく取り出すと、パラパラと捲ってみせた。
「そこで、僭越ながら自分が厳選した選りすぐりの人選を、お嬢様にご提案しようかと思いまして」
「意味重複しすぎよ」
「それだけ自信があるという事です」
その時点でもう不安しかない。
しかし、聞くだけならただではある。渋々の首肯を受けて、アイルは一番上の上を引っ張り出した。
「ではまず、市内在住のアドニス君。年齢は今年で35歳。ガーデニングの資格はおろか、経験も一切ありません」
「出だしから大問題なのだけど」
「両親と3人暮らしの実家暮らし。父親は大手商社に務めるエリートでしたがつい先日に不況のあおりを受けて早期退職と言う名のリストラに遭い再就職活動中。母親は生まれて初めてのパート勤務に四苦八苦で家事との両立が困難になりつつあります」
「それ、この国の話なの?」
アイルは構わずに険しい表情でまくし立てる。
「一気に家計のピンチが訪れ、これまで就職もせずに引きこもり続けていた彼もいい加減危機感を抱き社会に出る決意をしたはいいものの、まともな就活もしてこなかった彼は何に手をつけていいかも分からず、また自身と同年代の生活のギャップにただただ焦燥感を募らせるばかり」
「ガーデニング経験以前に社会経験がないじゃないッ」
「しかし今働かなければ家庭は崩壊必須。ぬくぬくとした無職ニート生活を再開するためにも、今は父親が安定した仕事を見つけるまでは嫌でも耐え忍ばねばならない窮地」
「しかもまた逆戻りしようとしてるのね」
一体何をどう厳選した人材なのか。
「このままだと彼を更生する最後の機会を永遠に失ってしまうことになります。下手をしたらストレスに苛まれた母親が一家心中などを考えないとも限らない。最早一刻の猶予もありません」
「最早趣旨変わってるじゃない」
あきれ果てたように額に手を当てて、苦悩をため息に変えて吐露する。
「とにかく、ガーデニング係は却下よ」
「しかしお嬢様!」
「ただし」
アイルの持っていた資料を一枚、ひったくる。
「うちの系列の建設会社が現場の人手をほしがっていました。そこに彼を。住み込みでとりあえず半年」
「正気ですか、つい先日まで引きこもりだった彼を?」
「当然よ」
アテネは努めて冷静に返す。しかしその目は完全に据わっていた。
「この期に及んで両親に甘えようという根性を、徹底的にたたき直してもらいます」
「しかし3食宿付きとは控えめながら甘さが残りますね」
アドニス君の元には後日黒服の男達が連行に訪れたとか。
アイルはコホンと咳払いを一つ。すぐに切り替えて、次の資料を
「まだ続ける気?」
「もちろん」
資料を取り出して見せた。
「次の候補は市内在住のアイラさん。27歳で総合商社の事務員を勤めていたものの、先月自主退職し、今はフリーターですね。退職理由はSNSで大炎上して個人や会社を特定されたことによる」
「さっきから私をからかってる訳?」
「炎上の理由ですか」
「聞いてませんわッ」
構わず続ける執事。
「彼女は最近、肉を食べずに野菜を食べろ的な活動に傾倒し始めたのですが、それをこじらせて先日某アミューズメント施設に集団で乗り込み、肉を食べている人に向けて攻撃的な言動や差別的な発言をまき散らし続けたという」
「ねぇ、さっきからこの国の話してる?」
「さらに小動物が狩りで獲物になった際のグロテスクな写真を掲げて、夢いっぱいの子ども達にPTSD並のトラウマを負わせたという」
「やってることはテロリストと大差ないわね」
得てして、そういった行動は確信的に行われることがほとんどである故、たちが悪い。
「で、今は再就職先を探してますが面接で落ちまくり、退職に追い込んだ世の中への逆恨みを募らせています。そろそろ何とかしないと国家反逆罪とか起こしそうだと彼女の両親から相談を受けまして」
「それもっと別の機関に委ねるべきではなくて?」
「シュ○ラシステムがあれば潜在犯認定待ったなしでしょうね」
パラ○イザーで済むうちになんとか更生してもらいたいものである。
「いうまでもなく、ガーデニングは却下よ」
「お待ちくださいお嬢様」
「ただし」
アイルの持っていた資料をまた一枚、ひったくる。
「知人で今人手をほしがっている牧畜農家があります。そこに彼女を」
「何ですって!?よりにもよって牧畜業を」
「今生きてる現実がどのように造られているか、彼女は身をもって体験する必要があるわ。話はそれからよ」
個人の主義思想は自由だ。しかしそれを他人に押しつけることは主張ではなく暴力になる場合がある。数日後に彼女が連れて行かれた農家での生きる上での様々な体験、生と死と直に触れていく上で、感じたことを是非大切にしてほしいものである。その上でまた同じ事を繰り返すか否かは彼女次第であるが。
「では次は」
「これをやっていて楽しい?」
「それなりに暇は潰せてますね」
問答無用でそのまま部屋を追い出された。一応書類の束は部屋に置いてはきたが、恐らく彼女が納得するような人材が見つかるかは怪しいところだ。
さて、宛てもなく廊下を歩いていると、窓の外、屋敷の入口付近に見知った小さな背中を見つけた。
白い髪にだほっとした黒服、少年執事のマキナである。門の前に陣取って一体何をやっているのか。
「だから!俺は泥棒じゃないって!」
「ダメだ、ここは通さないぞ!」
ドアを開けると、耳に飛び込んできたのは言い争うような声。両手を精一杯広げて通せん坊をする少年の肩に、アイルは軽く手を置いた。
「用心棒ご苦労様」
「アイル!」
振り返ったマキナの笑顔とは裏腹に、引きつったような表情を見せたのは、彼と対峙するように立っていたもう1人の少年だった。
年齢はマキナと同じくらいか。黒髪の短髪に、よれよれの白いシャツと黒い短パン姿。靴ではなくボロいサンダルを履いている。
身なりを考えると、屋敷への客というわけでは無さそうだ。
「友達って訳でもなさそうだけど」
「泥棒なんだ!今オレが見つけて追い返そうと──」
また穏やかではない単語が飛び出してきたものである。すかさず黒髪の少年は首を振った。
「だから泥棒じゃないって!」
「嘘つけ!コソコソ入ってきたじゃあないか」
「嘘じゃない!」
このまま2人に喋らせていても埒が空かない。執事は2人の少年の間に入るとそれぞれの頭に軽く手を置いた。
「まあ落ち着け。怒ってばっかりだと背伸びないぞ」
仏頂面をしてみせるが、しぶしぶ頷いて深呼吸するマキナ。
「ついこの前泥棒が入って、今ピリピリしてるんだ。気を悪くしたら謝るよ」
「べ、別に怒ってないけど……」
そう言って黒髪の少年も地面を蹴ってみせる。
「ただ、うちが招いたお客様って訳でもないよな。良かったら来た理由を教えてくれる?」
ゆっくりとそう問いかけると、やや間があって、少年は遠慮がちにアイルの方をのぞき込んできた。
「あの……僕、ここのお嬢様に……アテネ様に、プレゼントを渡したいんだッ」
いきなり用件も知らされずに呼び出されれば、誰だって愉快な気分ではいられないだろう。
アテネもまた例外ではなく、扉を開けると、訝しげな視線を従者に浴びせた。
「一体何なんですの、いきなり外に連れ出して」
「説明するのも手間なので実際に来てもらった方が早いかなって」
小首を傾げるお嬢様。
「お客様です」
「客?」
返事の代わりに首肯すると、身を引いた執事の影から恐る恐るといった様子で顔を覗かせたのは黒髪の少年だった。身に覚えのない来客に、アテネは思わず目を丸くした。
「あ、あの……」
両手を背中に回しておずおずと前に出た少年。緊張しているのかその面持ちは硬いものの。
「これ……受け取ってください!」
えいや、と両手に持った白百合の花束を差し出した。
「これを、私に?」
「ひと目見たときから、プレゼントしたかったんですって」
驚いているアテネの横から執事が耳打ちするように付け加える。いわゆる一目惚れというやつか。
アテネは花を受け取るとそっと屈んで、少年と目線の高さを合わせてあげた。
「貴方、お名前は?」
「ユーリ、です……」
顔を真っ赤にして、目をぱちくりして、必死にそう絞り出す少年。
「そう、ありがとうユーリ。綺麗なお花ですね」
先ほどまでの寝起きの不機嫌さはどこへやら。慈愛に満ちた笑顔で、少年の頭を優しく撫でた。
「ちぇー」
「拗ねない拗ねない」
後ろで唇を尖らせているマキナを苦笑交じりになだめるアイル。
が、次の瞬間だった。
「え?」
目にも止まらぬ速さで、少年の右手が、彼女の首に掛かったペンダントに伸びる。
屈んでいたアテネは咄嗟に反応できない。そのまま驚くべきほど器用な手さばきでそれを外すと
「いただき!」
猛然とダッシュして、一気に彼女らから距離を離していった。
「へへっ、やーい!騙されてやんの!」
初心そうだった少年の面影は微塵もなく、悪戯っぽい声が遠くからアテネたちに投げかけられる。何が起きたか分からないお嬢様はきょとんとしているが。
「……すごい足だな、将来五輪目指せるんじゃないかあれ」
「マジでか!」
猛スピードで去って行く少年の背中を見送りながら脳天気に感嘆の声を上げるのは執事2人。
「五輪ってすごい大会のやつだろ、確か」
「おお。優勝したら国を上げての名誉が手に入るな」
「ハンバーガー食べ放題とか?」
「モスが一生無料になるくらいだな、多分」
「おー!」
目を爛々と輝かせるマキナ。しかし2人は気が付いていない。その後ろでわなわなと震えていたお嬢様の怒りは頂点になっていることに。
「貴方たち……」
「あ」
そして気が付いた時にはもう遅い。びくりと肩を震わせる執事2人に、お嬢様は一言。
「冷静に分析してないで、早く捕まえてくださる?」
まさに、
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい