「ああ、ここだ。ここに覚えがあります」
長く続いていた坂道を登り切ると、見えてきたのは緑の山々を背景にそびえる、白い質素な建物だった。
入口付近「灯見病院」と書かれた、古めかしい看板が立てられている。タクシーが1台止まっており、看護師が車椅子を押しながら、患者と親しげに話したりする様子も見受けられた。
スーツ姿の男は大きく両手を広げて、その光景に懐かしむように目を細めてみせた。
「ここに入院していた、ということでしょうか」
「さぁ……そこまでは」
男の後ろから、バイクを手で押したアイルがゆっくりと坂を上ってきた。しかし彼の問いかけに男はぎこちなく首を傾げるばかり。
「わざわざここまで来たんですから、何か手がかりを掴まないとな」
「うわっ、社畜精神バリバリだ。そんな結果ばかりこだわっちゃダメですよ、今時は結果よりも過程を重視してあげて、過度なプレッシャーはかけないようにしないと。パワハラ認定されかねないですから」
「何の話をしてるんですか……」
お前の記憶の話をしているんだ、とばかりに非難めいた視線を送るアイル。
「ともかく、中に入りましょう。あんたの事を知ってる人が――ってそうか、見えないのか。まぁでもあんたが見たことある人もいるかもしれない」
立ち尽くす男の横を通り過ぎて歩いて行く。しかし、男は足を止めて建物を見つめ続けている。
「どうかしました?」
「いえ、なんでもありません」
やがて首を軽く振ると、執事のあとについていくのだった。
外観こそ年季の入った建物だったが、ロビーは非常に綺麗で清潔感が行き届いた空間だった。今日は来院者もさほど多くないのか、受付の人間も私語を交わす程度にはゆったりとした時間が流れているらしい。
「どうですか、何か思い出しました?」
アイルは視線だけを動かし、そっと囁くように問いかける。
人が少ないとはいえ、男は一般の人には見えない特別な存在。普通に話しかけていたら、通りかかった看護師にもれたく入院を勧められることは間違いない。
「そうですね……ああ、そういえば」
男は一瞬首を傾げる仕草をしたものの、すぐにある場所を指さした。
「中庭が」
「え?」
「中庭が、あった気がします。そこにオレンジの木が」
ロビーの奥にある渡り廊下。そこに面した窓からは、木製のベンチがいくつか並ぶ中庭が見えた。なるほど、その中央には橙色の実を付けた木が一本、多くの葉をつけてそびえている。
男はその木に見覚えがあるらしい。ふらふらと中庭にむけて動いていく男を追うように、アイルも外に出ることにした。
小さな中庭だ。2人も座ればいっぱいになりそうな木製のベンチが2つ、そして中央には日差しよけの傘になりそうなほど、葉が生い茂った木が一本立っている。枝先にはそろそろ旬になりそうなのか、大ぶりなオレンジの実がいくつもぶら下がっている。
葉の間から差し込む木漏れ日は暖かく、そよ風にのってほのかに香るオレンジは自然と心を落ち着けてくれそうだ。
男はといえば、その木を無言のままじっと見つめている。何かを思い出したのか、それとも思い出そうとしているのか。神妙なその表情には横から口を挟むのも憚られる気がした。
「この木に、興味がありますか?」
しばらく木を見つめていると、背中越しのそんな声が聞こえてくる。振り返ると、白衣を身につけた看護師の女性がアイルに近寄ってきていた。年齢は30代後半くらいか、黒髪は毛先まで丁寧にケアしてあるのか艶がかっており、見た目よりも若く見える。
「あぁ、すみません。ちょっと、知り合いを探しておりまして」
執事服を着た部外者がいきなり中庭にいれば不審者そのものである。話題こそ「木」についての世間話だったが、彼女の表情からは「お前は何者だ」という怪訝さが拭えていないのは明らかだった。
アイルは笑顔を繕うと、看護師の女性に向き直る。
「お知り合いを?」
「そう、ですね。ちょっと、このオレンジの木に縁があるみたいで」
その場しのぎの言い訳を並べる執事だが、現に隣の幽霊はじっと木を見つめたまま。そこまで的外れでもないのではないだろうか。
すると、看護師の表情から警戒の色が消えた。そして少し期待を込めた瞳で、両手を合わせて笑顔を見せる。
「ひょっとして、蓮美さんのお知り合いの方ですか」
全く聞き馴染みのない人名が飛び出した。
「このオレンジの木、蓮美さんが植えられたんですよ。オレンジが大好物だからって、種をもってこられて」
そう言って懐かしそうに口元を緩める看護師。一体誰の話か、思わず聞き返そうとしたが、とっさに話を合わせることにした。
「ご存じなんですか?」
「はい。4年くらい前にここで亡くなられたました。最期は私が看取ったのでよく覚えています」
目を閉じて思いを馳せる看護師の女性。その隙に隣を盗み見ると、男が何度かかみしめるように頷いていた。そして呟くように一言。
「……聞き覚えが、あります」
大きな手がかりだ、ここを落とすわけにはいかない。アイルは軽く頷き返すと、看護師に声を掛ける。
「そうでしたか……亡くなられているとは知りませんでした。ああ、私は古い知人です、以前に仕事の関係でお世話になりまして」
「ああ、やっぱり蓮美さんの知人の方なんですね。この度は大変お気の毒様でした」
「いえ、そんな」
看護師は笑顔を引っ込めると、丁寧にお辞儀をしてみせた。話を合わせているだけに多少の罪悪感を覚えつつも、内心でそれを振り払う。
「ですが、本当にちょうど良かった。見ていただきたいものがあるんです」
「え」
「ちょっと待っててください、今取ってきますから」
看護師は慌てたように建物に駆けていくと、数分も経たずにアイルの元に戻ってきた。肩で息を切らしている様子から
「あの、これを」
差し出されたのは1枚の白い封筒だった。太陽に透かしてみると、中に便せんのようなものが入っている。
「これは……手紙、ですか」
「はい、そうなんです」
看護師はおもむろに頷いて続ける。
「蓮美さんは入院中、家族はおろか、お知り合いの方も誰1人病院にはいらっしゃらなくて……」
「無縁仏ってやつですか」
「はい。本人もそれでいいんだって、頑なにご家族やお知り合いのことは口にされなかったんです。「当然の報いなんだ」っていつも口にしてました」
話が見えないながら、頷きつつ先を促す。
「でも、いよいよお亡くなりになるってときに、私にこの封筒を渡してくれたんです。それで私に言ってくれました。「いつかこれを受取にくる人がいるから、渡してほしい」って。それだけ言い残して……」
「手紙のようですが、宛先は」
「それが……」
看護師は言いにくそうに視線を左右に彷徨わせる。
「開けて、いないんです。どうしても見てはいけないような気がして」
アイルは封筒を受け取って、裏なども見てみるが、宛先らしい文字は一つも書かれていなかった。
「いつか取りに来るって。最期にそうおっしゃってたので……すみません、もっと早く見て心当たりがある方を探していれば」
「いえ、それは違います。相手を尊重したからこその判断でしょう。現にこうしてずっと覚えていてくださったんですから」
アイルが軽く首を振ってそう言葉をかけると、彼女は少し安堵したように肩を落とした。
「ところで、蓮美さんはここで亡くなった後はどちらに?」
「えぇ、無縁仏だったので引き取りに来る方もおらず。ですが、お墓はあるんです」
看護師はそう言うと、ポケットからスマホを取り出す。
「ここの医院長先生のお知り合いの方に住職の方がいらっしゃって。それで事情を聴いて不憫に思われたのか、引き取ってくださって火葬や納骨までしてくださって、お寺の敷地内にお墓も建ててくださったんです」
差し出されたスマホの画面には、お寺の名前と地図が映っている。
「ありがとうございます。ちょっと寄ってみます」
「はい、そうしてあげてください。あと、この手紙を預けてもいいでしょうか?」
看護師はそういって白い封筒を差し出す。ここに置いておいてもなにも進展がないと、彼女は判断したらしい。
「分かりました。実は私も交友関係に詳しいわけではありませんが、アテを探してみましょう」
「ありがとうございます。これでずっとつっかえていたものがとれました」
看護師は心底すっきりとした笑顔を浮かべる。そしてもう一度お辞儀をすると、中庭を後にするのだった。
「このお寺は、なにか覚えはありますか」
残されたアイルは、自分のスマホでお寺を検索し、隣にずっといたはずの男に向ける。しかし男は眉間にしわを寄せて腕組みをしてみせた。
「……あるような、ないような」
「急に曖昧ですね」
「いや、実際おぼろげなんです。どれもどこかで聞いたことあるような気がするだけで……蓮美という名前だって、なんとなく聞いたことがある気がするだけで、顔も姿も思い出したわけでもないんです。そもそも彼女と知り合いなのかどうかさえ分からないんですから」
そう言って頭を抱える仕草をする。トントン拍子に進展するのは映画やドラマの中だけか。アイルは軽くため息をついて、ふらふらと漂う男のあとを付いていくのだった。
病院からバイクを飛ばして約30分。住宅街が立ち並ぶ一角に、目的地のお寺はあった。
「便利ですね、空飛んで移動できるなんて」
「ははは。それが唯一のメリットかもしれないですね」
道路脇にバイクを停めると、アイルは中に浮かぶ男に視線を向けた。
「それで、この寺院に見覚えは?」
「うーん、どうでしょう」
長い石段の先を見上げると、お寺の門がそびえている。男は漂いながらその石段を滑り上がっていく。
「お寺なんてどれもこれも一緒に見えますからねぇ」
「分かりますけど、アンタがそれ言っちゃダメでしょう」
30段ほどの続いた石段を登ると、2㍍ちょっとの小さな門が2人を出迎えた。静まりかえった空気の奥には、こじんまりとした本堂と、賽銭箱が一つ。その隣には、小さな社務所がぽつんとあるのみ。
アイルは門の前で1礼すると、そっと敷地内に足を踏み入れた。
「お墓は裏手みたいですね……って、あれ?」
さっと辺りを見回して、男の方を振り返ったが、その姿はこつぜんと消えていた。キョロキョロと辺りを見回すものの見当たらない。気まぐれでどこかに飛んでいってしまったのか、或いはもう裏手に回ってしまっているのか。
執事は社務所の横にあった細い路地を通り抜けて、本堂の裏に回り込んだ。
案の定、そこにはいくらかの墓石が並んでいた。とはいえ、埃を被っている墓石もちらほら、周りを囲む塀も所々崩れかかっていて、お世辞にも手入れがされているようには見えない。
「アイルくん?」
その時、不意にかかってきた女性の声に思わず足を止める。聞き覚えのある声だ、おもむろに振り返ると――
「桂先生……」
見覚えがあるどころか、同じ職場の教員の姿がそこにはあった。桂雪路。白皇学院の教職員で、世界史担当。無類の酒好き、特に日本酒。しばしば教職を放棄して、日本の秘湯ならぬ秘酒を探す旅に出たりもしている。座右の銘は宵越しの銭は持たない。もらった給料はその日には使い切れ。白皇の両津とは――
「ちょっとー、紹介の仕方に他意がない?」
「あ、いえ。お気になさらず」
そして現生徒会長のヒナギクの実姉である。
「それより先生。一体、どうしてここに」
「それはこっちの台詞よ。誰かのお墓参り?」
雪路はそういって、怪訝そうにアイルを見つめる。
「あ、いえ私は……先生こそ?」
「違う……っても、この格好じゃ誤魔化すのも無理か」
雪路はどこか諦めたように笑うと、手に持っていたビニール袋を軽く掲げて見せた。袋の中には安っぽい日本酒の一升瓶と、菊の花束。
「うちの
亀のごとく進捗ですみません。このヒナ祭り祭り編も折り返しという感じです。ここからは原作で計画に言及がない部分ですので、扉絵や資料などで示唆されていそうなところをこちらで勝手に解釈して、オリジナル展開にする予定です。何卒ご容赦いただければ幸いです、よろしくお願いします!
物語の終わり方について
-
エンディングは一つのみが好ましい
-
各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
-
どうでもいい