アテネちゃんの執事!   作:通行人A'

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Task67:家族

 

 

「ふぅ」

 

 思わずこぼれる安堵の息。そうして、桂ヒナギクは輝かんばかりの瞳で夜空を見上げた。

 

「大地って、素晴らしい」

 

 両足に踏みしめるは固い地面の感触。圧倒的な力強さと安心感がそこにはある。

まさに慈父がごとき大地。

 

「そんな大げさな」

「どこが大げさですか!高層階の校舎の屋上を、勇気と無茶をはき違えた若者のパルクールみたいに!一歩バランスを崩せば真っ逆さまですよ、真っ逆さま!」

「ドバイフレームの屋上から落ちても生還したこともありますし、大丈夫ですよ」

「死にますから!とにかく、もう二度と上ルートは無しです!」

 

 下ルートなら良いのだろうか。

 時計に目をやると、時刻は8時53分。約束の時間までもう目前と迫っていた。

 

「うん、ご体調は心配なさそうですね」

 

 アイルは軽く微笑むと、くるりと背を向けた。

 

「では、私はここで」

「え、あの」

「お連れするのが役目ですから、これ以上首を突っ込むのは野暮かと」

 

 随分と妙な言い回しだ。相手が誰なのかも伝えられていないヒナギクだったが、それは少なからず自分と関係が深いのだろうか。

 

「分かりました。必ず勝ってきます」

 

 問いかけは無駄と判断し、彼女も背を向ける。そして前方にそびえる武道場に向けて、ゆっくりと歩き出した。

 

 

 

 遠ざかっていくヒナギクの後ろ姿。そっと振り返って確認したアイルは、小さく息をついた。

 

「行かなくていいんですか」

 

 つぶやくようにこぼれた言葉に反応するものはなにもいない。だが、彼は構わずに続ける。

 

「あなたには、見届ける必要があるんじゃないのかな」

 

 やはり反応はない。ただアイルの言葉だけが当てもなく宙を彷徨っているばかり……のはずだったのだが。

 

「……私が」

 

 声が聞こえた気がした。

 

「私が、見えているんですか」

 

 アイルの視界には、どこからともなくあのサラリーマンの格好をした男性が映っていた。驚愕したような表情で、こちらを見つめている。

 

「もしかして、今までずっと?」

「いえ」

 

 アイルは首を横に振る。

 

「お寺にいったときから、忽然と見えなくなりました。もしかしたらなんかのきっかけで、成仏したもんだとも思いましたけど」

 

 男性はますます驚いたように目を見開く。

 

「だったら、どうして?」

「なんとなく、まだいるんじゃないかなって。だって――」

 

 執事は空を見上げて、目を細めた。

 

「父親でしょう」

 

 

 

 

 

 木がこすれて軋む鈍い音には、築年数以上の年季を感じざるを得ない。自然と指先に集まる緊張を、そんなどうでも良い考えで紛らわせながら、ヒナギクは武道場の扉を開けた。

 

 道場の中央には、防具で身を包んだ相手が、こちらに背を向けて座っていた。

 

「お待たせしました。主将の桂ヒナギクです」

 

 声をかけても反応はない。だが、気が付いていないわけでは決してない。

 防具越しにも隠しきれない、全身から放たれる鋭い気が、彼女にひりつくようなプレッシャーを与えてくるからだ。

 

「着替えてきますので、もう少しだけお待ちください」

 

 相変わらず反応はなかったが、彼女は道場の奥にある更衣室のドアを開けた。部屋に足を踏み入れた瞬間、深く深呼吸をする。

 

(……かなりの手練れね)

 

 胴着に手をかける彼女の両手には力がこもる。少し震えている指先の理由は、緊張か、武者震いか。あるいはどっちもか。だが、同時に心は高ぶっているのも分かる。

 帯をきつく結び、防具を身につけ、面を左手に抱える。そして右手で竹刀を握りしめた。大きく息を吸い込んで、道場へと再び足を踏み入れる。

 

 鎮座する相手を見下ろすようにして仁王立つ。しかし相手は微動だにしない。

 

「せめて、面くらい取ったらいかがかしら?道場破りさん?」

 

 スッと、相手は右手に竹刀を持つや否や、目の前のヒナギクに向けて突きつけた。まるで「挨拶は剣の腕で示せ」とでも言わんばかりの不遜な態度である。少しだけムッとしたように、ヒナギクは目を細めた。

 

「なるほど……無駄口は不要ってわけですか」

 

 彼女も面を被ると、竹刀を構えて距離を取る。それに反応して、相手もようやく立ち上がった。竹刀と剣先が、互いを貫かんばかりに向けられる。

 

「勝負は一本勝負。時間は無制限。構わないわね?」

 

 ヒナギクの言葉に、顔の見えない相手は小さく頷く。

 

 対峙する2人の間に流れるのは、ただの沈黙にあらず。張り詰めきったその糸は、わずかな気の緩みによって、均衡が破られるに違いない。一瞬たりとも意識が手放せない。

 

 

 そうしてどれくらい対峙していたのだろう。時が止まったような気がする一方で、ものすごい速度で時間が流れたような。どこまでも終わりがないトンネルを走っているような奇妙な感覚が続いていたが、それもやがて終わりを迎える。

 ふと、前方に出口らしき光が見えた気がした次の瞬間。2つの竹刀は音をたてて交錯した。

 

 鍔迫り合い。

 一進一退の押し合いが数秒続き、弾かれたように互いが大きく下がった。

 

「はあぁ――ッ」

 

 かと思いきや。

 即座に踏み込み、ヒナギクの竹刀が相手の小手めがけて放たれる。相手に考える時間を与えさせず、反動を勢いに変えて突撃する。瞬時の判断力とずばぬけた運動神経がなせる彼女らしい速攻。

 

(速い――ッ)

 

 が、相手もまた素早い対応でそれをいとも容易く弾く。読まれていたか。ヒナギクは唇をかみしめる間もなく、今度は振り抜かれた相手の竹刀が胴に襲いかかる。

 間一髪でかわしたが、立て続けに振り下ろされた竹刀を防ぐので精一杯。体制も悪く、そのまま力で突き飛ばされてしまう。

 

 一筋縄ではいかない相手だ。わずか数秒の攻防で、彼女は確信する。しかし同時に。

 

(この剣……どこかで)

 

 竹刀を構える相手に、ヒナギクは僅かながら違和感を覚えていた。一旦距離を取り、再び対峙する2人。この妙な違和感の正体はなんだろうか。しかし、それについてじっくりと考えている時間は無い。今は試合中なのだから。しかしそれでも、頭にかすめる違和感は無視できないほど大きくなっている。

 

(ダメよ、今は集中しないと)

 

 内心で思いきり首を振る。相手の一挙手一投足に神経を集中し、隙を見せないように竹刀で牽制する。

 ふと、相手の肩から力が抜けた。気が緩んだか?ならば今が好機。ヒナギクはすかさず一歩踏み出して――

 

(違う、罠かッ)

 

 気が付いたときにはもう遅い。とっさに足を退いたがそれに合わせるように、鋭い一閃が相手から放たれた。

 

「しまッ――」

 

 重心が移動する最中に横殴りのような形で竹刀を弾かれ、よろめいた彼女の胴はがら空きに。気が付けば相手の竹刀がヒナギクの胴を捉えていた。

 

 乾いた音が道場内に響き渡る。

 まごう事なき、一本だ。

 

(やられた……)

 

 思わず膝をつくヒナギク。一瞬のためらい、中途半端な思考が招いた隙。後悔も反省も後の祭り。あるのは、敗北の二文字のみ。

 悔しさからか、地面においた手にも力がこもる。

 

 

 しかし、負けは負けだ。認めざるを得ない。一瞬唇をかみしめるもの、すぐに顔を上げる。

 

「え?」

 

 しかし、相手はこちらに向けて竹刀を突き出してきた。

 意図が分からない。勝負は決まったのだ。彼女はそう思って小首を傾げる仕草をするが、相手は軽く首を振る。

 

 竹刀を降ろすと、ヒナギクに向けて挑発するように手招きをしてみせる。

 言葉はない。だが、言わんとしている趣旨ははっきりと感じ取れた。

 

 〝本気で来い〟

 

 相手は間違いなくそう言っている。見抜かれていたのか。行動も思考が中途半端で、ベストなパフォーマンスができなかったこと。それも実力といってしまえばそれまでだが、それでは勝ったことにならない。

 相手はそう考えているようだ。

 

「……」

 

 不甲斐ない結果を示したにも関わらず、随分と買ってくれているらしい。竹刀を握る力に再び力がこもる。彼女の口角は自然とつり上がっていた。

 

「……礼に欠けていたわ。試合中に考え事なんて」

 

 目を閉じて、深呼吸を一つ。すっと肩を力を抜いて、ゆらりと竹刀を構える。

 

「機会を与えてくれて感謝します。今度こそ、全力でいかせてもらいます」

 

 表情は読み取れない。だが、面の奥で、相手が笑ったような気がした。

 

 

 

 そこからどれくらい、剣を交えたのだろう。

 

 一刻だりとも気を抜けず、しかし疲労など微塵も感じず、集中力は極限まで研ぎ澄まされていた。全身全霊で打ち込み、無我夢中に防ぐ。

 

「――ッ」

 

 響いた竹の音。そして手先に感じる痺れが、ようやくヒナギクの意識を引っ張り戻した。

 

 見れば彼女の剣先が、相手の小手を捉えていた。小手、一本。

 つまりこの勝負はヒナギクの勝利だ。

 

 沸騰していたように熱くなっていた頭が少しずつ冷めていく。相手は一礼して、踵を返したが。

 

「これで1対1、勝負はあと一本――ですよね」

 

 彼女の一言で、その足をピタリと止める。

 

 こんな決着は納得しない。彼女の瞳ははっきりとそう語っていた。

 相手はしばらく微動だにせずにヒナギクの方を見つめていたが、やがて意に介したように小さく頷いた。

 

 竹刀を彼女に真っすぐ向ける。そして、竹刀をそのまま上段に構えた。言葉はない。だが、伝えたいことは明白だった。

 

 

 ――この1打で、決着を

 

 

(……望むところよ)

 

 ヒナギクも目を細めると、上段の構えをとった。

 

 熾烈な打ち合いに没頭していく中で、ヒナギクの脳裏にくすぶっていた一つのモヤモヤがたった今、すっきりと晴れ渡っていくのを感じていた。

 

 竹刀を握りしめる力はますます強く、身体は燃えるように熱を帯びている。だが頭は至って冷静だ。驚くほど冷めきっている。まるで、身体と脳が分離したかのように。

 音が消え去り、モノクロの世界が一面に広がる。だが時間の流れは、恐ろしく緩やかだ。空気の流れが視えるような錯覚に陥るほどに。

 

 均衡は永遠には保たれない。何がきっかけか、示し合わせた合図もないというのに、2人は全くの同時に畳を蹴り、そして交錯した。

 

 

 きっと、その試合をみている人がいたならば、瞬きをした次の瞬間には決着がついたことに愕然としていただろう。あまりの速さに目で追うことは諦めるほかない。

 

(……勝、った?)

 

 実感がわかない。

 それでも決着は付いていた。半信半疑のまま、恐る恐るといった調子で顔を上げると、ヒナギクの繰り出した竹刀の先が、相手の面を捉えている。相手の鋒は自分の面すれすれで止まっている。

 

 

 面あり。文句なしの一本。

 

 

 背中めがけて登山用リュックでも放り投げられたかのように、一気に両肩に疲労がのしかかってくるのを感じる。それでも前を向いて一歩距離を取ると、目の前の好敵手に向けて深く頭を垂れた。それまで微動だにしなかった相手もまた、お辞儀を返す。言葉こそないものの、そこには互いの実力を認め合う空気が確かにあった。

 

 こうして勝負は決着。敗者はただ去るのみ。

 

「待って」

 

 踵を返したその背中にヒナギクは声をかけた。足を止め、振り返る相手。一瞬逡巡するように目を閉じたヒナギクだったが、やがて意を決したように小さく息を吸い込んだ。

 

「お姉ちゃん、でしょ?」

 

 反応はない。だが、彼女は確信めいたようにまっすぐと相手の面を見つめ続ける。

 

 

「あちゃー」

 

 沈黙を破ったのは、なんとも間の抜けた声だった。

 

「やっぱバレちゃったか」

 

 そうして面を取り顔を覗かせた雪路は観念したように、笑ってみせる。

 

「分かるよ……〝家族〟だもん」

 

 そんな姉を見て、ヒナギクはそっと目を閉じて答えた。自分自身に言い聞かせるように。

 

 

 

 

 

 

 

 





 また間が空いてしまいすみませんでした!私生活がややバタバタでなかなか執筆が進まず・・・とはいえ、ヒナ祭り編も大詰めなので、あと少しだけお付き合いいただければ幸いです!よろしくお願いいたします!

物語の終わり方について

  • エンディングは一つのみが好ましい
  • 各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
  • どうでもいい
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