最高の一時を過ごしたいとき。貴方ならどうするか。
ある人は海に望むと答えた。そう、海はいい。全てを包み込む母なる海。どこまでも広がる地球の奇跡。
ある人は山を望むと答えた。そう、山はいい。全てを支える父なる山。いつまでも広がる地球の奇跡。
しかし僕はこう答える。一杯のコーヒーが欲しい。
そう、コーヒーがいい。変わらない安心感、変わり続ける探究心。人類の生み出した叡智の結晶。
いつもの日常を、エグゼクティブなひとときに。
ただ一杯のコーヒーを。
「CMみたいなキャッチコピーはいいですから、早く話を進めてくださる?」
不機嫌そうな声を受けて、寄りかかっていた壁から身体を起こしたアイル。片手に持った缶コーヒーを一気に口元に傾ける。
「ピリピリしなくても、泥棒は逃げませんよ」
「そんな事は分かっていますわ」
空になった缶をゴミ箱に放ると、遠慮無くジーっと目を細める主人に向けて肩を竦めた。
日が傾いてきた頃合いで、上空を見上げれば広がる水色にじんわりとあかね色が染み始めている。薄く伸びた雲も少しずつ暗く、端から色づいていた。
アクロポリス丘の麓に広がるプラカの街並みは、石畳の通りが迷路のように張り巡らされ、遺跡群から引き続き旧市街の面影を残している。住宅街が並ぶ裏通りの細い路地の一角に入ると
「放せ――ッ」
縄に巻かれた黒髪の少年が、地面に尻餅をついて両足をジタバタさせていた。
「ちゃんと監視してたぞ!」
「ご苦労さん」
口を真一文字に結んだような表情で立っているマキナを労うと、アイルはそっと少年の元に屈む。
「悪いことは言わないが、うちのお嬢様怒らせるくらいなら警察にしとけな」
「うーッ‼︎」
もがきながら、今にも嚙み付きそうにして唸る少年。執事はため息をついて主人の方へと振り返る。
「さっきから、ずっとこの調子で」
遡ること数時間前。天王州家邸宅にて発生した、アテネ嬢ペンダント強奪事件。白昼堂々と面会を申し込み、花束のプレゼントしたいという純粋な少年を装った大胆な犯行であった。
驚異的な足の速度で姿をくらました少年を主人の命を受けて執事たちが捜索を開始。闇雲に探してもみつかるはずもないので、「奪ったモノは本日中に売るだろう」との考えたアイルは、少年の容姿の聞き込みを迅速に進めながら行きつけと思われる質屋を割り出し張り込みをしていた。そうして、ほとぼりが冷めた頃合いを見計らって、案の定少年が質屋に顔を出したところをとっ捕まえて今に至る。
「お前、逃げ足は速いのに頭の回転は遅いんだな」
「うるさい!いい大人がダッセー格好しやがって」
ピクリと、冷静だった執事の眉が釣り上がる。後ろではプルプルとお嬢様が笑い出すのを堪えているようだったが。
「反省の色も見えないんで、市中引き回しの刑にでも処しますか」
「落ち着きなさい」
真顔で極刑提案をし始めた執事の頭を軽く扇子で叩いて宥める主人。
「何言ってんすかお嬢様。こういう悪の芽は早く摘まないと」
「貴方、子供に存在を否定されたくらいで取り乱すなんて情けないわよ」
「そこまで酷い事言われてない」
やれやれ全く。アテネは大袈裟にため息をつくと、そっと少年の前に屈んで微笑みかけた。
「ねぇ、坊や。もし良かったら、どうしてこんな事をしたのか私達に教えてくれないかしら」
「嫌だね、おばさん!」
突如、氷を砕いたような音が周囲に響き渡った。彼女は笑みのまま固まっている。
マキナはギョッとして青ざめ、アイルは思わず吹き出した。
お嬢様は笑顔のまま立ち上がると、くるりと執事達の方に向き直る。
「折衷案で、火炙りの刑にしましょう。アイル、薪の準備を」
「待て待て待て」
どの辺が折衷なのかも分からない。
「アンタ数秒前になんて言ってたか忘れてたんですか」
「過去を振り返ってばかりでは前に進めないのよ。世の中は常に動いているの」
「すごいブーメラン投げるなこの人」
そんな2人を見かねたのか、マキナが腰に手を当てて少年の方を睨みつけた。
「おい、お前!いいかげんにしろ、何で泥棒なんてしたんだ!」
「偉そうに言うなチビ」
「何だとぉ!お前の方がチビだろーッ」
両手をぶんぶんと振り回して飛びかかろうとする少年を「どうどう」と宥めながら何とか抑えるアイル。
そんな様子を眺めていたアテネは疲れたようにため息をついていると。
「あの、あの!すみません!」
彼女たちの後ろから、悲鳴に近いような声が飛んできた。振り返る間もなく、その声の主は滑り込むようにして少年とアテネたちの間に割って入った。
女の子だ。年は少年よりもいくらか上だろうか、彼と同じ黒髪を肩まで伸ばして、よれよれのワンピースを身につけている。
「ごめんなさい!弟が、弟がまた粗相をしてしまいましたか⁉︎」
アテネたちは顔を見合わせる。そんな彼女たちの様子を少女の瞳が不安げに見つめている。
「この子のお姉さん?」
「はい、あの、えっと」
アテネは少女を怖がらせないように、微笑んでゆっくりと語りかけた。
「心配しなくても平気よ。別にとって食おうなんてしないから」
「大した説得力だ、縄でふん縛ってるこの状況で」
ひと睨みされて茶々を引っ込める執事。
「私はアテネと言います。貴女のお名前は?」
「な、ナターシャです。弟はユーリと言います」
オロオロとした様子で自己紹介する少女はナターシャと名乗った。そして弟は偽名でもなく本名だったらしい。
アテネは頷きつつ、周囲を見回した。人気がない代わりに、狭く日当たりも悪い裏路地。ここで人数を交えて話をするのはあまり得策ではないように思える。
「まずは場所を変えましょうか」
「あの、でしたら」
私たちのお店に、良かったら。
まだ戸惑いを残した表情で、少女はおずおずとそう切り出す。店とは一体、意外な単語にアテネたちは怪訝な表情で見合わせる。
「うち、生花店をしてるんです。その、向こうの角で」
少女たちが言う花屋は、通りの角に建っていた。
こじんまりとした店内には色とりどりの美しい花が綺麗に並ぶ。店舗は煉瓦づくりに薄青の看板がかかった控えめな外観の一方、人通りが多い大通りに面し、中々立地は良さそうだ。
「本当にすみませんでした!」
店内奥にある部屋。テーブルを挟んで深々と頭を下げたのは、眼鏡をかけたエプロン姿の中年男性だった。
「息子がまたとんだ事を!なんとお詫びをしていいものか」
黒髪には所々白髪が混じっており、顔にはくっきりとした皺が引かれ、目元には深いクマ。年齢以上に苦労している様子が垣間見える。
彼の隣では、先程の少女もそれに習うように頭を下げていた。
「ほら、お前もこっちに来なさい!」
色とりどりの花が並んだ棚の隙間から様子を伺っていた少年。彼の首根っこを掴んで引き寄せると、頭を手で押さえつけるようにして頭を下げさせた。
「ごめんなさい」
唇を尖らせながらではあるが、渋々といった様子で謝罪の言葉を述べる少年。その態度に男性がキッと目を吊り上げて叱咤をしようとするが、アテネは宥めるようにしてそれに割って入る。
「顔を上げてください。特に大きな被害もなかった訳ですから」
しかし男性は深々と頭を下げたまま。何と言えば良いのか、慣れているというのがアテネの感じた印象だった。謝る対応もそうだが、先ほどの少女の発言を考慮しても、こういった出来事が一度や二度ではないだろうことは何となく推察できる。
ひょっとしてしょっちゅうこういったトラブルを少年が持ち込んできてしまっているのだろうか。
「何か、お困り事があるのですか?」
事情を聴いてみなければ分からない。アテネが男性にそう声をかけると、彼はようやくその顔をためらいがちに上げてみせたのだった。
トニオと名乗った男性はこの花屋の店主であり、2人の父親だった。
聞けば妻を数年前に亡くし、男手一つで姉弟を育ててきたという。元々はイタリアの方で一家で生花店を営んでいたらしいが、彼らは妻を亡くしたあとはこちらに移住し、この場所で店を開いたらしい。
「妻は花が大好きでした。自分にも相手にも、ささやかながら確かな幸せを与えられるって。だから花屋は彼女のためにも続けていきたかった。それは子ども達も一緒でした」
花を見れば彼女を思い出す。店を畳むことも考えたが、彼女の生前の思いを受け継ぐ方が大事だと。
気持ちを切り替えるため、故郷を離れギリシャに移住して店を開店。決して大きい利益はないながらも、母の分まで頑張ろうとするひたむきな一家の頑張りの甲斐あってかその花屋は笑顔の絶えぬ住民たちに愛されるお店だったという。
「けれど、それも数ヶ月前までの話で」
と、そこで店主の話は途切れた。
「店主さーん」
「いらっしゃるんでしょー」
外から男たちの声が飛んできたからだ。その低いダミ声に、男性たちの表情は一気に強張る。理由を尋ねる間もなく、「少し失礼します」と男性はアテネたちの前から中座して店の外に出て行った。
「姉ちゃん」
姉弟も緊張した面持ちで顔を見合わせる。
少し間を置いて、怒鳴り声のようなものが外から響いてきた。2人はハッとしたように目を見開くと、やがて父親に習うように外へと駆けていく。
「お客ってわけじゃなさそうですね」
雰囲気を察するに、トラブルの匂いがそこかしこから漂ってきそうだ。アイルが怪訝そうな表情でそう言うと、アテネは考え込むように口元に手を当てる。
店内は外の喧噪とは打って変わってシンと静まりかえっている。奥でマキナが棚に並んだ薄紅色の花を興味深そうに、色んな角度から眺めているくらいで、
「やめてッ‼︎」
突然、悲鳴に近い声が響いた。
「うるせぇ!邪魔すんな」
「止めてください!」
続けて打撲音。
いよいよ穏やかな状況ではないようだ。慌てて入口に駆け寄ると、店先には男性とそれに対峙するように睨みをきかせる若い男が3人もいた。全員シャツをだらしなく着崩して、腕や首に金色の貴金属を散りばめている。
そのうちの1人、金髪頭をした若い男のすぐ側で、少女が倒れている。膝を擦りむいたのか、血が伝っていた。男性が少女の間に入って止めようとしていた。
咄嗟に飛び出そうとしたアテネの肩を、執事は慌てて掴んで止めた。
「何のつもり?」
飛んでくる鋭い視線をいなして、努めて冷静にたしなめる。
「事情は分かりませんが、ここでお嬢様が出て行っても混乱するだけです」
確かに全く事情は分かっていない、彼女たちは100%部外者だ。その上天王州家の人間が割って入ればどんな事態になるかは想像もつかない。彼女も執事の言い分が正しい事は理解しているようで、小さく息をついて頷いてみせた。
「では、ひとまずこの場の収集を」
店先では茶髪の男はすごむように、男性へと顔を近づけた。
「だーかーらー、いい加減払うもん払ってくれないとさぁ。できないなら店を売るなり出来るだろーがッ」
「それは……」
凄まれて怖じ気づいたように顔を俯かせる男性。
そんな男の肩を引いて、黒髪の男が「落ち着けよ」とぬらりとした動きで間に入った。そのまま、今度は彼が男性に顔を近づける。
「なあ店主さん、世の中のルールは守らないと。お金っていうのはな、借りたら返さないといけないんだよ、分かる?」
「うぅ」
「こんな事、子どもでも分かるでしょう」
先ほどと異なり、ゆったりとした口調。いや、陰湿なねっとりとした口調で、頬を叩くように語りかける。男性は何も言い返せない様子で立ち尽くしているが。
「こんなくだらない花、いくら売ったって金になりゃしねーんだよッ」
店先にある花壇の土を、金髪の男が蹴り上げる。綺麗に並んでいた白いユリが折れ曲がってしまう。風に揺れる花々は心なしか泣いているようにも見えた。
「だめ、止めて!」
少女は男の足に摑みかかったが、逆に蹴り払われて地面に叩きつけられてしまった。擦りむいた膝に続いて、今度は腕に内出血が。
その後ろで拳を握りしめていた少年が、大きく目を見開いた。
「てめー、姉ちゃんになにしやがる!」
「なッ」
金髪の摑みかかって、勢いそのままに頭突きをかます。咄嗟のことで反応できなかった男は堪らずに地面に転がった。
「このガキ……ッ」
茶髪の男が、少年を首根っこを掴んで引きはがす。
「おーおー、威勢の良いガキだな」
宙づり状態になった少年に、黒髪の男がニヤついた顔を近づけた。少年は精一杯の睨みをきかせると、男の鼻っ面につばを吐きかけた。
男は驚いたように目を丸くしたが、すぐに少年の頬を裏拳でひっぱたいた。
「やめなさいユーリ!」
「だめ、弟に乱暴しないで!」
姉の悲鳴も空しく、茶髪の男が少年を地面に叩きつけた。
「ただ、礼儀ってやつを教えてやらんとな」
そのままお腹を足で踏みつけると、金髪の男が鬼の形相でよろよろと起き上がる。
ただでは済まさない、その顔にはありありとそう浮かんでいた。これから起こる事態にどうすればいいかと、父子が半ばパニックで固まっている時だった。
「何をしてるんだお前たち!」
突然かかってきた男性の声に、男たちはおもむろに振り返る。
駆け寄ってくるのは紺色の制服を身につけた男性だった。肩にはオリーブの葉に金色の天秤があしらわれたワッペン、それを見た男たちは一瞬苦虫をかみ潰したような顔付きに。
「ああ、お巡りさん。いえ、ちょっとしたビジネスの話をね」
「子どもをいたぶるのがビジネスか?」
黒髪の男は茶化すように肩を竦めてみせると、少年からそろりと離れた。一方、警察官の男性はじっと目を細めて辺りを見回した。怯えたような男性と少女、傷だらけになった少年。
眉間に皺を寄せた険しい表情だが、年齢は20代後半くらいか。
「言いがかりはよしてくれ。仕事で少し揉めただけだよ、これは事故だ」
「話は屯所で聞いても良いんだがな」
警察官は吐き捨てるようにそう言うと、茶髪の男がにじり寄ってきた。
「いい加減にしろよおっさん。こっちにはドン・アルコが付いてるんだぜ。あの人のビジネスで動いてんだ」
「それが?」
平然と警察官が言い放つと、男たちは面を食らったように目を見開いた。
「おいおい、アンタ何を言ってんだよ、正気か」
「ひょっとして新人さんか」
金髪の男が無遠慮に警察官に近づくと、その胸ぐらを勢いよく掴んで。
「だったらテメーの所の上司に会わせろよ、話を通して――あッ!?」
あっさりとその腕をねじられて組み伏せられた。凄もうとしたものの、男は痛みよりも驚きで甲高いうめき声をあげてしまう。
「だったら、連れてってやるから全員来い」
返事を待たずに更に関節を決めると、悲鳴に近い嗚咽をもらす男。それでも警察官は捻りを更に強めていく。
「その前に……腕の一本くらいなら別に構わんよな」
「や、やめ……ッ」
先ほどの勢いはどこへやら。一転して、ミシミシと音を立てていく自身の身体に男は痛みと恐怖で目を見開いて
「分かったよお巡りさん。俺らはこれで帰りますから、離して貰えませんかね」
黒髪の男がため息をこぼした言った。警察官も同じように息をついて、金髪の男からゆっくりと離れる。
「アンタ、顔覚えたからな。早めに再就職先を探しておくといい」
「ご忠告どうも」
皮肉めいて敬礼すると、男たちはつばを吐き捨てて、その場から去って行った。
警察官は少年を助け起こすと、「一応調書を取りますから」と言いつつ、男性たちと一緒に店の中へ。
「大丈夫でしたか、お怪我は」
しかし、男性は恐縮したように慌てて頭を下げてみせる。
「あ、あの、申し訳ございません!まさかお巡りさんにご迷惑をかけしてしまうなんて」
「どうして謝るんです?」
逆に何故聞き返すのかと、男性はまじまじと見つめ返す。
「いえ、どうしてと言われましても……彼らはただでは済まさないと言ってましたし、職場にも迷惑を」
「ああ。心配は無用ですよ」
警察官は初めて柔らかい表情で破顔すると、首元に手をかける。皮膚をつまみ、べりべりと剝がしていくではないか。まるで顔面を脱皮である。
あ然として固まる男性たちに構わず、突然出現した赤い髪の青年は口元に人差し指を当ててみせた。
「偽警官ですから」
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい