あけましておめでとうございます。
今年も何卒、よろしくお願い致します!
3月14日。午後3時過ぎ。
都内某所にある喫茶店。
(休日、それもお茶の時間だっていうのに)
エプロンを付けた桂ヒナギクは、小さく息をついて辺りを見回していた。
(本当に暇ね……)
ガラン。そんな擬音が聞こえてきそうなほどに、テーブルやカウンターは閑散としている。
客は1人もいない。この時間帯、首都圏の喫茶店でこの客入りは一見致命的だ。ふと厨房を覗くと、同じくエプロンを付けた男性が鼻歌交じりにコーヒーカップを磨いていた。
「マスター、いい加減テコ入れしたらどうですか?いくら趣味でも、このままじゃ本当に潰れちゃいますよ?」
「あら、静かに過ぎる午後3時ってのもいいじゃない。誰にも邪魔されずに、珈琲の香りを楽しみながらカップを磨くこの時間が私の楽しみなのよ」
「いや、それ喫茶店のマスターが一番言っちゃいけないことでしょ……」
本音なのか自虐なのか。
額に傷があるのが特徴的なその男性は、閑古鳥が鳴いているこの状況を軽く笑い飛ばしてみせる。
やる気があるんだかないんだか。ヒナギクはため息をついて、何とはなしに空っぽのお盆を見つめた。いつもの長い髪をリボンでポニーテールにしている自分が、銀色のお盆にぼんやりと映っている。明らかに暇を持て余している色がありありと浮かんでいるが。
そんな時、店内に入店を知らせる鈴の音が鳴り響いた。待望の来客だ。ヒナギクは顔を上げると、小走りに入口に駆け寄っていくが。
「いらっしゃいませ――って」
入ってきた人物をみて思わず手を止めた。
「アイルさん?」
執事服を身に着けた見知った男性――アイルだった。
「すみません、ヒナギクさんがここにいると生徒会の方々にお聞きしまして」
「え、私?」
「ええ、ちょっとお聞きしたいことが……お仕事中に申し訳ないのですが」
アイルは軽く息をつくと、店内を軽く見渡して。
「今は……お客様はいらっしゃらないようですね」
「あー、繁盛してるお店じゃないですから。今日は特に暇ですけど」
苦笑気味にヒナギクがそう言うと、奥からエプロンを付けた男性が歩いてきた。
「もう、失礼ねヒナちゃん。迷える企業戦士にとって、ここは憩いの場所なのよ」
「本当のことでしょう。マスターもやる気もないみたいだし」
「貴女も大人になれば分かるわよ、こういう場所も必要だってね」
そのまま男性はアイルに向けてにっこりとほほ笑みかける。
「いらっしゃい。私はここのマスター、加賀北斗。ヒナちゃんとは古い付き合いなの」
「お初にお目にかかります、マスター。私、白皇学院で理事長秘書兼執事を務めております、アイルと申します」
恭しくお辞儀をする執事。頬に手を当てながら、どこか品定めするように見つめるマスターだったが、やがて緩やかに口元を曲げてみせた。
「営業中に大変恐縮なのですが、少しだけ彼女をお借りさせていただけないでしょうか?」
「ええ、勿論。なんなら1日貸し出しちゃっても良いわよ」
「ちょっとマスター!?」
頬に手を当てながら上機嫌に笑う加賀。
「けど、もっと早く言ってくれれば良かったのに。ヒナちゃんにこーんなイケメンな彼氏いるなんてねぇ」
「な、違いますって!」
「大変光栄です」
「アイルさんも悪ノリしないでくださいっ!」
唐突ないじりに思わず顔を赤くするも、ヒナギクは慌てて執事を奥の厨房に引っ張り込んだ。
「全くもう……変な誤解が広がっちゃうじゃないですか、マスター噂好きなんですから」
「これは失礼しました。私からも後で訂正しておきますのでご安心ください」
「いや、別に嫌ってわけじゃ……じゃなくて!一体どうしたんですか」
わざとらしく咳払いをするヒナギクは話を促す。
「ヒナギクさん、昨日綾崎くんからクッキーを貰いましたよね?」
「え?ええ、確かにそうですけど……どうしてそれを?」
「実は──」
ここまで来た経緯について、アイルはかいつまんで説明することに。
ハヤテが渡したクッキーが実は西沢さんへのプレゼントだったこと。予算を使い切ってしまった為に他の新品が買えなくなっていること。あろうことか新たな不幸に苛まれて約束の直前まで身動きが取れなくなっていること。
「なるほど」
聞き終えると同時に、思わず額を手で抑えるヒナギク。
「そんな事情とは知らずに」
「ヒナギクさんは全く悪くないので、気になさらないでください」
「思い返せば、確かに少し違和感はあったんです。あのタイミングで、どうして私たちにって。もう少しちゃんと聞いておくべきでした」
「いえ、これは誰も悪くないというか」
強いて言えば、間が悪かったというべきか。
「でもごめんなさい。今日の午前中の会議のあとに、生徒会の皆で全て食べてしまって……入れ物しか」
バツが悪そうに頬を掻くヒナギク。一応バスケットは残っていると、彼女は鞄から空っぽになった可愛らしいバスケットを取り出して見せた。
「いえ、これだけあれば十分です。中身は綾崎君が真心をこめて作るはずですから」
「分かりました。だったら調理場と材料はこっちに任せてください」
「え?」
アイルの言葉を待たずに、彼女は店内の方に顔を覗かせる。
「マスター、ちょっと事情があって。しばらくキッチンの一部を借りてもいいですか?あと冷蔵庫とかにある食材も」
「ええ、好きなだけ使っちゃって頂戴な。ヒナちゃんの彼の為だもんね!」
「だーかーら、違いますって!変な噂広げないでくださいよ」
「あら、残念」
広める気が満々だったのか、マスターのしょんぼりとした声が店内から返ってくる。
「というわけで、厨房はここを使ってください。材料も適当に使っちゃって大丈夫ですから」
「ヒナギクさん、ご迷惑をおかけした上にそこまでしていただくなんて」
「ハヤテ君、歩へホワイトデーのお返しをするつもりだったんですよね」
歩。彼女の呼び方がかなりフレンドリーなものに変っている。
知り合って間もなかったと思ったが、いつの間にか彼女たちの関係性はより近しいものになっているらしい。
「だったら、今回は私もサポートしてあげなくちゃって」
「それは一体」
「女同士の秘密です」
口元に指をあてて、ぱちりとウインクをひとつ。
これ以上首を突っ込むのは野暮というものなのだろう。アイルは頷くにとどめることにした。
「ヒナギクさんが皆さんから慕われる理由がよくわかります」
「ええ!?なんですか急に」
1時間後。
「お、お待たせしました!」
本日の主役が厨房に駆け込んできた。
いつも通りの執事服を身にまとった、いつも通りの背格好の少年、綾崎ハヤテである。
「よかった、無事に戻れたんですね。綾崎君」
「はい!おかげさまで、なんとか」
そういいつつ、若干ふらつくハヤテ。伊澄曰く、最大出力の治療だったからか、やはり何かしらの副作用が襲い掛かっているようだ。
「大丈夫ですか?やっぱり具合が悪いんじゃ」
「問題ありません!この程度のハンデ、いつものことですから」
カッコいい表情でそう言ってみせる執事。それはそれで問題なのだが、今はそうも言ってられない。
ハヤテは頬を何回かたたいて気合を入れる。
「ヒナギクさんも、ご迷惑をおかけして本当にすみませんでした。僕が言い出せなかったばかりに」
「ううん、こっちこそ。ちゃんと聞かないでごめんね」
「いえ!そんな、僕が100%悪いですから!」
謝罪の応酬がいつまでも続きそうだと感じたヒナギクは、トンとハヤテの背中をおして厨房の中央へ押しやった。
「ハヤテくんが来るのを楽しみにしている子がいるでしょ。私も、その子が悲しむところは見たくないの。だから今はそのことだけを考えなさい」
「……はい!ありがとうございます、ヒナギクさん」
ハヤテは力強く頷くと、エプロンと三角巾を素早く身に着けた。そのまま、厨房で作業に取り掛かる。
これで一件落着か。ハヤテの背中を見届けて、アイルたちは顔を見合わせて――
「なぁぁにィィィ!?」
店内から響き渡る男の怒号。
「ナポリタンが出せないだぁぁああああ!?」
いつの間に来店があったのか。
見れば、店内の一角に座っていた男たちがマスターに食って掛かっている所だった。金髪のモヒカンの頭に、いたるところに光るシルバーアクセ、とどめはアメカジのジャケットを肩で破っているといういかにも柄が悪そうな――というよりも、世紀末に取り残された遺産のような男たちだ。
「……何時代の人たちですかアレ」
「まぁ、原作の時代設定を考えたらそこまで古臭くもないかなと」
「何の話ですか何の」
厨房からその様子をこっそり覗いていた二人。
しかし事態は深刻だ。男たちの怒りは臨界点を突破しかかっているのか、ついに立ち上がり詰め寄り始める始末。
「喫茶店っていえばナポリタンだろーがよォ!!ナポリタン!!」
「真っ赤なケチャップたっぷりのよォ!それが喫茶道じゃねーのかいィ!」
「い、いえ……ですから当店ではそういうメニューは扱ってなくて」
マスターの言葉は全く耳にも入っていないようで。
「ああ!?てめーナポリタンにケチ付けようってか!?」
「許せねえ!ナポリタンを馬鹿にする喫茶店なんざ生かしておけねえ!」
「店内の壁紙をナポリタン色に染め上げてやるせぇぇぇ!」
一揆でも始まるかという勢いで、
男たちの拳がまさに天高く突き上げられたその時。
「お客様、少々よろしいでしょうか」
「え?」
不意に後ろに気配。と同時に、男たちの体がストンと落ちた。そのまま綺麗な姿勢椅子に着席。
一瞬で熱気が奪い取られたかのように、きょとんとしている彼らの前には、いつの間にかティーセットが並べられていた。
「こちら、アッサムティーでございます。はちみつのような甘い香りと濃厚な風味が特徴です」
気配なく後ろからすっと現れたのは執事。
「こ、紅茶?」
「当店からのサービスです。どうぞ、一口お飲みになって、気をお静めください」
言われるがまま、男たちは紅茶をすする。
「お、おお……なんだこのふんわりと広がる優しさは」
「五臓六腑に染み渡るこの心地よさ、これはまるで母の味」
自然と肩の力が抜ける男たち。
「お待たせしました、ナポリタンです」
続けて、今度はヒナギクが大皿をテーブルの上に運んできた。
見れば大皿には、ソーセージにピーマン、黄金色の玉ねぎ。そしてケチャップをたっぷり使った鮮やかなオレンジのパスタが盛り付けられている。これぞまさに、喫茶店のナポリタン。
「どうぞ、熱いうちに召し上がってください」
「うおおおお!!」
ヒナギクの言葉を待たずに、男たちはもう大皿の虜となっていた。
あまりの手際の良さにマスターは目を見張る。
「あ、あなた達……いつの間に」
あり合わせで作っただけです、とヒナギクは謙遜するが、とてつもないいスピードだ。執事の紅茶も一瞬で相手の勢いそぎ落とし、かつ食事を最大限楽しめるようにリラックスさせている。なんという連携か。
「欲しい、ウチにぜひ欲しい逸材だわ。あなた達ならこのレストランを救う切り札になるかもしれない……いいえ、資本主義に染まってしまった業界に風穴を開けられるかもしれないわ」
「世界観変わってませんか?」
呆れたようにため息をつくヒナギク。ちなみにここはレストランではなく、喫茶店。確認。
とはいえ、荒くれものたちは「美味い美味い」と連呼し、大盛のナポリタンを平らげ、大満足で退店していった。
「ごめんね二人とも。めったにお客さんこないんだけど、たまーに変なお客さんが来るときがあって」
「それはそれで問題なのでは」
「でももう大丈夫よ。そうそうあんなお客さんは――」
マスターが入口に目を向けた瞬間、喫茶店のドアが乱暴に開け放たれた。
「うらぁあああ!美味い特上寿司10人前が食える店ってのはここかぁあああ!!」
「カツ丼5人前大至急用意してくれぇええ!!」
「醤油味噌塩とんこつらーめん3人前ずつお願い!」
「5●1よりも美味い豚まんってのはここでいいんか!?無いときー、にはならんよな!?」
「世界のスイーツを食べ歩くこの私を満足させることはできて?とりあえずガトーショコラを所望しますわ!」
新年の福袋販売に群がる主婦たちのごとく。
喫茶店の入口では数えきれない人々が押し寄せ、ごった返していた。
「……」
ここは都内某所の「無法地帯」。
喫茶店って大変だなーと思うヒナギクたちであった。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい