「注文!ビーフストロガノフとBLTサンド2つ、オニオングラタンとラザニア、それからカルボナーラとジェノベーゼパスタ!」
調理場は戦場である。
そんなセリフを目にすることはあるかもしれないが、実際にそんな光景を眼前にすることは多くはないだろう。
「注文!ターキーレッグ4つ!コーンマヨピザと山盛りポテト、それから参鶏湯!」
しかし、都内某所にある喫茶店の厨房はまさに戦場であった。
次から次へと飛んでくるオーダーに、アイルとヒナギクは手を休める暇もなく調理を続けている。その種類の多さは膨大極まりなく、側から見れば最早格闘技と化していると言っても過言ではない。
「す、すみません……僕も何かお手伝いできれば」
「気になさらず。私たちだけで対応しますので」
厨房の端で、申し訳なさそうに口を開くハヤテだったが、アイルは調理の手を止める事なく軽く首を振る。
「そうはいっても……これ以上人数が増えると私たちだけじゃ限界が」
「おや?もうギブアップですか、ヒナギクさん」
カチン。ヒナギクは包丁の手を止める。
「では、仕方ありません。この程度であれば私1人でも十分ですから、少しお休みになっててください」
「……ふ、安っぽい挑発ですね」
ですが、とヒナギクは目を細める。
「良いでしょう、乗ってあげます!どちらが多く作れるか勝負!」
「ええ、望むところです」
唐突に火ぶたが切られるヒナギクvsアイルの料理バトル。
「ヒナギクさんも本気になったので、こちらは大丈夫。綾崎くんは自分のことに集中してください」
「アイルさん……」
そっと耳打ちしてくれた執事に、ハヤテは安堵の表情で口元を緩める。ここまでお膳立てをしてもらって、目的を果たさなければ執事どころか漢が廃る。
ハヤテはぎゅっと目を閉じると頬を両手で叩いて気合を入れる。残された時間は僅かだが、西沢さんへの気持ちを精一杯こめ、持てる技術の粋を尽くして。いざ。
ハヤテは腕まくりをして、大きく右腕を振り上げるのだった。
1時間後、負け犬公園。
「うーん、結局制服で来てしまった」
制服姿の歩はどこか落ち着かない様子できょろきょろと辺りを見回していた。
「渡したいものって、ホワイトデーのお返し、だよねきっと。も、もしかしたらこの前の返事も」
ぶんぶんと首を振る。
「ダメだね、ダメダメ。返事はいいからって私から言ったんだし。変に期待しちゃうのは私の悪い癖だなぁ」
小さく息をついて、空をも上げる歩。
「ほんっと人間っていうのはつくづく強欲な生き物だよね……自分でいらないって言っておきながら結局ほしくなっちゃうんだから」
誰に問いかけるわけでもなくそう呟き――
「感情を処理できん人類はゴミだと教えたはずだがな」
「……え?」
いつの間にか隣にいた神父服の男が遠くの見つめながらそう返していた。
「神父さん!何をやってるんですか!」
「いや悩めるJKを導いてやるのも聖職者の仕事かと」
「余計なことをしなくていいですから……!」
かと思えば、どこからともなく現れた和服の少女が神父の腕を引っ張って引き離す。
「……誰?」
唖然とするしかない西沢さんを残し、和服の少女――伊澄は神父服の男――リィンを半ば無理やり奥の茂みに引きずりこんだ。
「一般の方に迷惑をかけないでください」
「職務を全うしようとする紳士の心ではないか」
「もう死んでるでしょう」
「是非もないな」
ぺしぺしと伊澄にたたかれて肩をすくめる神父。さて、と2人は茂みにある一本の木に目を向ける。そこには幹にお札のようなもので縛り付けられた女性が一人。恨めし気に2人を睨め付けている。ボロボロの白装束に黒い髪を振り乱したその姿はさながら貞●か。
「もう逃げ場がないぞ」
「ふん!」
唾棄せん勢いで顔をしかめている女性に、伊澄が寄っていく。
「ハヤテ様への行いなど、一般人へ害をなす所業を黙って見過ごすわけにはいきません。できれば悔いを残さずに自ら成仏していただきたいのですが……」
「はっ」
女性はどうやら件の幽霊らしい。しっかりと捕縛していたようだった。
「誰が成仏なんて……!中性顔の幼児退行化でしか得られない栄養があるのよ。それが分からない連中の口車になんて乗るもんですか!いっそ殺しなさい!」
「需要のないくっ殺だな」
「黙れ」
やれやれと肩をすくめる神父ら。
「しかし、何故執事君その2はここで待つように君に伝えたんだね」
「分かりません。ですがアイル様のことです、きっと何かお考えが」
伊澄がそう言い終わる前に、聞き覚えのある声が公園内に響き渡った。見れば、公園の入り口には息を切らしているハヤテの姿があった。
「は、ハヤテくん!」
歩はやや驚いたように目を丸くすると、彼のもとに駆け寄ってゆく。
「ど、どうしたの!?その恰好」
それもそのはず。ハヤテは額から血をだらだらと流して、執事服はところどころ焼け焦げて破けている。まるで銃弾飛び交う戦場から命からがら帰ってきたような有様である。
一般人であれば即救急車で搬送緊急手術事案であるだろうが、そこはさすがの三千院家の執事。
「いやー、お店の自転車使ってきたんですが、途中で暴走するダンプに跳ね飛ばされてしまって……居眠り運転だったみたいなのでなんとか運転席に飛び込んで代わりにダンプを制御してたら時間ギリギリに」
「何をいってるのか全然分からないけど早く病院行った方がいいのだけは確かだよ!?」
「ご心配なく。この程度慣れてますから、ハンカチで拭いておけばモーマンタイです」
「えぇ……」
ささっとハンカチで額を拭うとにこやかな笑みを作ってサムズアップするハヤテ。病院に行く気はさらさらないようだ。
公園の中央にある時計を見れば、時刻はちょうど午後6時になったところだった。
「でも良かった、時間になんとか間に合って」
「ハヤテくん……そこまでしなくても」
「いえ、西沢さんをお待たせするわけにはいきませんから」
こんなにボロボロになってまで約束を守り通そうとする。それはもちろん彼の性分なのだろうが、自分に対してもその姿勢を貫いてくれている。彼のそのひたむきさが、歩は純粋に嬉しかった。
「あの、バレンタインのときは本当にすみませんでした。その、うまく返事もできずで」
「ううん。私の方こそごめんね、突然で困らせちゃったよね」
「いえ、びっくりはしましたが、でも……とても嬉しかったです。本当に、初めてだったから」
ハヤテは上気した頬を掻きながらも、後ろからリボンでラッピングされた包みをそっと取り出す。
「それに西沢さんには前の高校の時からいっぱい助けていただいて、執事になった後もお嬢様を助けていただいたりして」
「うん」
「まだ返事、というわけではないんですが、でも感謝とか嬉しかった気持ちを全部ひっくるめて」
これを。
両手で包み込んだラッピングを差し出す。
「うん。今はその気持ちだけで十分だよ、ハヤテくん」
ありがとう。
気恥ずかしそうな表情を浮かべる彼に、歩はにっこりとほほ笑んでみせると、差し出されたラッピングを大事そうに受け取った。
「……せつなる恋の心は 尊きこと神のごとし、か」
「樋口一葉ですか」
さて、茂みからそんな様子をこっそり眺めていた伊澄たち。
「いや、若人たちの青春を目の当たりにして、つい私の青春時代を思い出してしまったのだよ」
「はあ」
黄昏るように遠い目をするリィンだが、伊澄はさして興味もないように生返事。そのまま視線を先ほどの木の方に戻す。
「おや?」
と、そこには先ほどまで縛られて忌々しげに睨みを効かせていた女の姿は跡形もなく、清らな光に包まれた淑女が背筋を伸ばして正座をしていた。
「……罪を認め、悔い改めます。伊澄様、どうか裁きをくださいませ」
「おいおいとんだ豹変ぶりだな、ノートの記憶でもなくなったのか」
先ほどまでのぼさぼさの黒髪は毛先まで艶やかに、白い服は新品のように滑らかに伸びている。
「恋とはかくも美しいものだったんですね……それを私は邪魔しようなどと。どうかしておりましたわ、どうか一思いに引導を渡してください」
切腹でもするつもりだろうか。
「どうやら彼らの青春の光に当てられたらしい」
「はぁ」
「眩しすぎて反動で聖人になってしまったようだ」
なんと単純な。喉まで出かかった言葉を飲み込む。せっかく成仏しようとしてくれるのだ、余計な言葉はかける必要もない。肩をすくめている神父の横をすり抜け、伊澄はおもむろに一歩前に出る。
「来世でも、二度と人様に迷惑をかけてはいけませんよ」
「はい、誓います」
「では」
取り出したお札を額に張り付けると、砂上の城が崩れるかのごとく、女は太陽の光に溶けていった。
「随分とあっけない幕切れだったな。妖怪討伐編が始まるものだと思っていたが」
「霊の考えることはよくわかりませんが」
成仏を見届けるように天を見上げるリィンと伊澄。
「これがアイル様のお考えだったようですね」
「ふむ」
リィンは思案するように顎に手を当てる。
「まさかこんな方法で成仏するとは到底考えられなかったが、しかしあの光景を見せて何かしらの心境の変化を促そうとしたことは間違いない。なかなかどうして、侮れない執事君だな」
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。では、私たちも帰りましょう」
何故か自慢げに帰路に着く伊澄お嬢様を半ば呆れ半分で追いかける神父であった。
「さっきまでの騒動が嘘のようにぱったり客足が途絶えましたね」
「ええ、案の定綾崎君がいなくなった途端に」
場所は戻って喫茶店では、ヒナギクとアイルが椅子に腰かけていた。さしもの2人にもその表情には疲れがありありと浮かんでいる。当然だ、一介の喫茶店ではありえないくらいの客足が絶え間なくなだれ込み続けていたのだから。
「でも良かった、なんとか全員捌くことができて」
ほっと息をつくヒナギク。辺りを見回せば先ほどまでの喧騒は嘘のように、閑散とした店内。時計の針の音がやけに大きく聞こえるほどだ。
「二人ともお疲れさまー!」
片付けが終わったのか、奥の厨房からマスターが姿を見せる。
「こんなこと年に一回もないんだけどねぇ、本当に2人がいてくれなかったらどうなってたことか」
「いい加減バイトでも雇ったらどうですか、マスター」
「うーん、そうはいっても。普段は1日に数えるほどしかお客さんこないから必要ないのよ」
それもそれでどうなんだろう。
「あ、そうそう。ちなみに結果発表の時間よ」
顔を見合わせる2人に構わず、マスターはいそいそとエプロンのポケットから紙を取り出した。
「えー、ヒナちゃんが50品目ね。すごいわ、あの短時間で」
「50……そんなにお客さんいたんですね」
それから、とマスターはもう一枚の紙を取り出す。
「えー、アイルちゃんは……あら、こっちも50品目ね」
「おや」
50vs50。同着である。
「じゃあ、決着は持ち越しですね。次は負けないですから」
「ええ、機会があれば」
どんな機会だよというツッコミはさておき、2人は互いに健闘をたたえ合う。
時計に目を向ければ、時刻は6時半を回ったところだった。窓の外はすっかり暗くなっている。アイルは上着を手に持ち、おもむろに立ち上がった。
「では、私はこれで。お先に失礼しますね」
「あら、せっかくだしコーヒーでも飲んでいかない?」
「ありがとうございます。ですが、そろそろお屋敷に戻らないといけませんので。お気持ちだけいただいておきます」
恭しくお辞儀をすると、入口のドアに手をかける執事だったが。
「そういえば」
「?」
ぴたりと足を止め、振り返った。小首をかしげるヒナギクに、リボンのついたラッピングを差し出した。
「え、これって」
「クッキーです。ホワイトデーのお返しに」
そういえば。ヒナギクはふと思い出す。
2月のバレンタインで、天王州さん達にまとめてチョコレートを渡していたっけ。
「一体いつの間に」
「厨房で注文をさばいている合間に。綾崎君が使っていた材料も残っていたので」
そう言ってほほ笑む執事。
「ささやかなもので恐縮ですが、受け取っていただけますか。このようなものだけではいつも助けていただいているお礼にもならないかもしれませんが」
「いえ!そんなことないですって!あ、ありがとうございます……」
おずおずと差し出された包を受け取るヒナギク。
よく考えてみれば、彼女にとってのホワイトデーは女子へお返しする日だった。高内外、数えきれない女の子からチョコレートを貰うというさながら女子校のようなバレンタインを送ってきたからなのだが、もうそういうものだと割り切っていたのも事実。現に今回も女子へのお返しに四苦八苦してこそいたが、こうしてお返しをもらう経験は実は少なかったのである。
「では、私はこれで。失礼いたします」
丁寧にお辞儀をすると、そのままお店を後にするアイル。その背中を見送った後、残された彼女はじっと手の中にある包を見つめる。何か、何かが引っかかる。
「……ちょっと待って」
これは、さっき厨房で作ったって言ってたわよね。要するに私たちが対決をしている合間に作られたということになる。料理対決は50vs50で引き分けだと思っていたが、このクッキーもカウントに入れられるわけで。
「あ」
つまるところ、50vs50ではなく、51vs50ということに。
「負けた……」
「いや反応絶対違うでしょ」
がっくりと肩を落とすヒナギクに、たまらずツッコむマスターであった。
因みに。
「マリア様、こちらホワイトデーのお返しです、つまらないものですが、お納めください」
「まぁ、覚えていてくださったんですね。ありがとうございます」
実は52vs50だったり。
また少し間が空いてしまい大変申し訳ございません!これにてホワイトデーも終了です。次回からやっとアテネ編に突入したいと思います。
原作ではGWでしたが、こちらでは春休みということになりそうです。何卒よろしくお願いします!
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい