トルコ・イスタンブール空港
「くぅー、長かったなぁ!やっとこさ外だ」
「流石に13時間は肩が凝るな」
飛行機から降りた美希たちは背伸びをしながら辺りを見回した。
「ヒナちゃんはどーう?飛行機大丈夫だった?」
泉が振り返ると、そこには安らかな笑顔のヒナギクが立っていた。
コツコツ。靴で地面の硬さを確かめるように叩いたあと、じっくりと両足で通路のタイルを踏み締める。
「大地って素晴らしい……ありがとう、奇跡の星『地球』」
「ヒナさん……」
そんな彼女を苦笑いしながらも支えるのは歩。
「無駄に大袈裟だな、ヒナは」
「うるさいわね。いい?人間は空を飛べるようには出来ていないの。太陽を目指したイカロスだって地に堕とされたでしょ?これはもう定めなのよ」
「いや飛んでるのは飛行機であって人間じゃないだろ」
そもそもロウで固めた羽では飛べない。落ちているだけだ、格好付けてな。
「んじゃ、次の便まで少し時間あるし、空港で買い物でもするか」
「さんせー!」
「良いですね!私海外初めてだから、空港のお土産やでもワクワクします!」
「ふ、良い反応だぞあゆゆ」
一行は空港に並ぶ売店に向かって歩き始め──
「ちょーっと待った!」
思わず引き止めるヒナギク。話が違うじゃないどういう事よ!
「次の便!?え、これトルコ・エーゲ海の旅行でしょ。トルコに着いたから今日はもうホテルに宿泊じゃ」
「いや、これは『輝きのギリシャ周遊、サントリーニ島・ミコノス島を巡るエーゲ海8日間』だ」
「え?だって歩が当てたのはトルコだったはず」
「Task73を見直してみろ。しれっと修正されてるから、ギリシャパッケージに。だからトルコは乗り継ぎのみで、この後また飛行機だよ」
そんな……そんな無責任な。
先程まで大地を踏み締めていた両足から力が抜け、へなへなとへたり込む生徒会長。
「わぁああ!!ヒナさんしっかり、気を確かに持って」
「歩、私貴女と友達になれて……良かった」
「辞世の句を読まないで下さい!ちょっとヒナさーん!!」
更に3時間後。
ギリシャ・アテネ空港。
「ヒナさん!!着きましたよ!!大地ですよ、私たちが恵み育まれたこの星の大地です!」
「……生き、てるのね、私たち」
歩に支えられながら、空港に降り立つ生徒会長。テロリストにハイジャックされた旅客機で、墜落するか否かの激闘でもあったかのような表情で、周囲を見回す。
「本当に極端なヤツだな、飛行機の事となると」
「雰囲気がハリソンフォードなんよもう」
大袈裟な会長の様子に、呆れ顔の三人娘たち。
とはいえ実に計16時間近いフライトは一向全員にそれなりに大きな負担をかけていた。昨今の機内は映画やテレビが見放題とはいえ、制限された空間に押し込められ続けるというのは心身に堪えるものだ。まして時差によって体内時計も狂ってしまうのだから無理もない。
飛行機から降りて、荷物を受け取り、税関を抜けると本格的に疲れが襲いかかってきた。
「今日はもうホテルでベッドにダイブだな、観光は明日からにしよう」
「わたし頭ちょっとクラクラするよー」
「ですね!いやー、私なんて初めての旅行ですから時差ボケってこんなに辛いんですねー」
歩はペットボトルを額に当てながら、苦笑混じりだ。
「あゆゆ、ところでさっきまで肩を貸していたヒナはどーした?」
「へ?」
そういえばやたらと肩が軽い。慌てて辺りを見回すと、後方の柱に寄りかかり今にも倒れそうなヒナギクの姿が。
「わーッ‼︎ヒナさんしっかり!」
「敵……は、本能寺に、あり」
「混乱してる⁉︎明智にやられたと思ってる⁉︎」
慌てて駆け寄る歩。想像以上に青白いヒナギクの顔色に、いや、想像以上に意味不明なその言動にパニックになりかけたが、そんな彼女の肩越しに声がかかってきた。
「大丈夫ですよ、まずはゆっくり身体を横にしてあげてください。ハヤテくん、ハンドタオルを濡らしてきてくださいますか?あと何か飲み物を──」
「へ?」
暗いトンネルを抜けた先には、天使がたおやかに微笑んでいました。
いつの間にか手放していた意識を取り戻したとき、ヒナギクの視界に映ったのはまさしく天使のように美しい女性だった。
「……あれ?ここ、天国……?」
頬に感じる柔らかさと、優しく微笑む女性の顔。
ヒナギクはうっとりと呟く。
「天使がいる……マリアさんみたいな……」
「天使じゃありませんし、ここはアテネ空港ですよ?」
やや呆れ顔ながらも、マリアは優しく彼女の頭を撫でていた。
膝枕をされていたのだと気づいた瞬間、ヒナギクの頬は一気に真っ赤になる。
「わ、わ、わたしは何を……っ!」
「落ち着いてください。倒れたんですよ、疲れで」
マリアの柔らかな声に、ようやく安心したのかヒナギクは小さく息を吐いた。ふと周りを見回せば美希たちも彼女を囲むようにして集まっていた。
「お、やっと起きたかヒナ」
「天下の生徒会長様も飛行機にはたまらずKOか」
「ヒナちゃんには天敵だもんねー」
軽口を叩く割には、どこか心配そうな様子の理沙や泉も安堵の息をついている。彼女たちの後ろからは歩もひょこっと顔を覗かせた。
「良かったー、ヒナさん!急に倒れちゃうんだもん、心配したよー」
「流石に20時間は酷ですよね、飛行機が苦手な方には」
彼女の隣には、見知った顔がまた一つ。三千院家の執事、ハヤテである。
「……ハヤテくん?マリアさんもだけど、どうしてここに?」
少しずつ状況が掴めてきたのか、おもむろに身体を起こして改めて辺りを見回すヒナギク。すかさず歩はハヤテの手を取ってブンブンと振り回してみせる。
「なんと!ハヤテ君たちもギリシャに旅行に来てたんですよ!なんて偶然、なんて運命って感じだよね!ハヤテ君!」
「はい!こんな遠方でも皆さんにお会いできるなんて、これも旅行の醍醐味ですね!」
初海外というのもあってか、いつも以上にテンションが高い彼女だがそれにも増してハヤテもまたハイテンションである。なかなか珍しい光景だなと、ぼんやり考えていたヒナギクだが、ふとその側で顔を顰めているお嬢様に気がついた。
「なーにが運命だ、ここまで来てハムスターに会うなど悪運以外の何者でもない」
「んなっ!?」
ため息をつくお嬢様──ナギにもちろん食ってかかるハムスター──ではなく歩。
「この!広大な!地球という星の中で!全く示し合わせもしないで巡り合ったんだよナギちゃん!これを奇跡と呼ばずしてなんと呼ぶ!」
「ええい引っ付くな鬱陶しい!さっきからなんなのだそのテンションの高さは」
「逆になんでそんなにテンション低いのかなナギちゃんは!?」
ぎゃあぎゃあと喧騒が広がるのを横目に、ヒナギクは小さく息をつく。
「大丈夫ですかヒナギクさん?まだ顔色が優れないようですが」
「ありがとうございます、マリアさん。でもこのくらい気合いで」
──では、これを。
不意に、口元に差し出されたのは金色の包みから顔を覗かせるショコラだった。その甘い香りに釣られるように、ヒナギクはほんのわずかに前へ顔を傾け、口に含む。
「……甘い」
「ええ。幾分か気分も落ち着くはずです」
ほろりと溶けるように崩れる甘さが広がり、ほんのりとした温かみを添えて身体中にじんわりと伝わっていく。
おもむろに顔を上げると、見知った執事の顔があった。
「アイルさん?」
「気合いや根性も大事ですが、ご自身の身体も労られてください」
穏やかに微笑みながらも、そう苦言を呈す執事。どうやら彼がチョコレートを差し出してくれたようだ。
「どうしてアイルさんまで、ここに?」
「訳あって今は臨時で三千院家──ナギお嬢様の執事をしております」
「え?」
アテネさんの執事は?
そう喉元まで出かかったヒナギクだが、それを遮るようにアイルがそっと耳元に口を寄せる。
「少々立て込んだ事情がございまして。大変申し訳ございませんが、私が天王州家の執事だと言うことは少しの間だけ、胸の奥に仕舞い込んでいただけませんか?」
「え、えっと……分かりました」
「助かります」
全く状況は分からないものの、彼の事だから何か事情があるのだろう。それも、きっと誰かを慮っての事なのだろう。敢えて追及することはせずに、ヒナギクは小さく頷くに留めておいた。
「それでナギちゃんたちはどこに泊まるの?」
歩の問いに、ナギはあくびを噛み殺すように肩を竦めて答えた。
「どこって、フツーに別荘に泊まるが?」
「ええ!?別荘があるの!?見てみたい!」
歩が素直に目を輝かせる横で、美希たち三人娘もニヤリと顔を見合わせた。
「おおー!三千院家の別荘、絶対すっごいぞ!」
「普通の別荘じゃ済まなさそうだね」
「これはもう探検するしかない!」
盛り上がる三人娘を見て、「でしたら」と、マリアが手を打つ。
「せっかくですから、皆さん、ナギの別荘に遊びにいらっしゃいませんか?」
「えー……」。ナギは思わず眉をひそめる。
「なんでそんな面倒な……」
「ナギ、旅行は皆で楽しまないと。ね?」
優しく諭すマリアに、ナギはむくれながらも渋々了承する。
「……分かったよ。一日くらいなら、別荘を案内してやってもいいぞ」
「やったー!」「行こう行こう!」「最高の思い出になるぞー!」
三人娘は勢いよく盛り上がり、歩もにっこり笑う。
「あ。でも、私たちホテルに到着時間とか伝えちゃってますけど……」
歩が心配そうに口を挟む歩に、アイルがすかさず口を添えた。
「その点はご安心ください。皆様がご宿泊予定のホテルの支配人とは顔見知りでして。事情を私から説明しておきます」
「さっすがアイルさん!」「どこに行っても抜かりないなぁ」と泉たちは感心の声を上げる。
「では、参りましょうか」
空港を出ると、アイルが手配した超大型リムジンが、滑らかにアテネ空港のロータリーに横付けされた。磨き上げられた黒塗りの車体は陽光を反射し、旅の疲れを忘れさせるほどの存在感を放っている。
扉が開くと、ふかふかのシートと煌びやかな照明が彼女たちを出迎えた。
「す、すご……!これ、まさか全部私たちで?」
「当然だろう。わたしの別荘に行くのだから」
唖然とする歩。無理もない、下手なアパートよりも広い車内など、生まれてこの方、彼女は足を踏み入れたことがないのだから。
リムジンが静かに走り出す。車内の柔らかなシートに身を沈めながら、一行は窓の外に目を奪われていた。夜の高速道路には赤いテールランプの列が続き、都市の光が遠ざかるにつれ、空には無数の星々が顔を覗かせ始める。
「わぁ……日本とは全然ちがう」
歩はガラス窓に額を寄せて感嘆の声を漏らす。やがて車窓の先に、丘の上にそびえる巨大な建造物が見えてきた。黄金色のライトに照らされ、夜空に浮かび上がるその姿──パルテノン神殿。
「すごい……あれが」
ハヤテもまた、普段の執事役ではなく、純粋な旅行者として景色に目を輝かせていた。
「ええ。アクロポリスの丘に建つパルテノン神殿です。古代ギリシャ文明の象徴として、今なお人々を惹きつけてやまない場所ですね」
マリアが微笑みながら説明する。その声音はまるでオーディオガイドのように流麗で、聞いているだけで旅情を誘う。
更にこのリムジンは執事付き。アイルがどこからともなく出現させたティーキャスターから、皆の手元にテーブルに、香り高い紅茶を注ぎ分けていた。静かに景色を堪能する空気を壊さぬよう気を配りながら。
まさに至れり尽くせりのリムジンツアー。
さて、リムジンはさらに市街地中心部へ。窓の外には白壁と赤い屋根の家々が並ぶ古い街並みが広がっていく。カフェや土産物店から漏れる灯りが石畳を照らし、夜風に運ばれる楽器の音色が旅情をさらに掻き立てる。
「ここはプラカ地区。アテネで最も古い街並みが残る場所です。『神々の居住区』とも呼ばれているんですよ」
まるで映画の中のようだ。
ヒナギクは窓の外をじっと見つめていた。煌びやかなネオンとは違う、静かで温かみのある灯り。石畳の道に差す柔らかな光の揺らめき。ほんの一瞬、彼女の瞳に夢見るような色が宿る。
気が付けば、街角から軽快なバイオリンの音色が流れ込んできた。
「アテネは“歴史の層”が重なり合う街なんですよ」
柔らかな声でマリアは続ける。
「古代遺跡と現代の街並みが同居していて……それが、この街の魅力です」
幻想的な景色と柔らかい紅茶の香り。一行は道中の疲れなどすっかり忘れて、始まったばかりの旅行に期待を膨らませていた。
リムジンが緩やかに坂を上ると、やがて白亜の壁と優美な柱に囲まれた邸宅が姿を現した。ライトアップされ、星空を背景に浮かび上がるその姿は、まさしく「豪邸」という言葉すら追いつかないほどの威容である。
「うおぉおお!着いたぁああ!」
「ひとまず突撃あるのみだろ!」
「探検だ探検ー!」
美希、理沙、泉の三人娘はリムジンのドアが開くや否や、勢いよく飛び出して別荘の玄関へと駆け出していく。
「ちょ、ちょっと三人とも! 少しは遠慮しなさいってば!」
その後を呆れたようにヒナギクも続く。
そんな光景を、歩は少し離れた場所から見つめていた。目の前に広がる豪邸の外観と、道中で見たアテネの夜景。そのどちらも胸いっぱいに焼きつけるようにして、ふと隣に立つナギへと笑いかける。
「……本当に楽しい旅行になりそうだよ。ありがとね、ナギちゃん」
素直な感謝と満面の笑み。
その言葉に、ナギの頬が一瞬だけかすかに赤く染まった。
「べ、別に……わたしが案内したわけじゃないし。そもそも一日くらいなら付き合ってやってもいいかなってだけだし……」
口調はそっけないが、その耳までほんのり赤い。
「まぁ、アテネ市街の観光も付き合ってやってもいいぞ、興味があれば、だけど」
「え!ホントに!?ありがとー、ナギちゃん!!」
「だぁああ!引っ付くな鬱陶しい!」
じゃれ合う2人。そんな様子を見て、マリア、ハヤテ、そしてアイルは顔を見合わせ、小さく微笑むのだった。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい