地下水道の薄暗い空間に、ひたり、と水音が響いた。
水面から顔を覗かせているのは歩。髪は水に濡れて頬に張り付き、肩から鎖骨にかけて滴る雫が淡く光を反射している。
彼女に背を向けるようにして立ち尽くすのはハヤテだ。お互い真っ赤に熱った顔のまま、ただただ背を向け合っている。
水音だけが、気まずい間を埋めるように地下に響いた。
「そ、その……! す、すみませんっ!!」
振り返らないまま、ハヤテが必死に頭を下げる。
「い、いえっ! あ、あの……こ、こちらこそ……つ、つまらないものを……お見せしてしまって……っ」
歩も両手で顔を覆い、震える声で必死に返すが、互いに謝る方向があまりにずれていて、余計に空気が苦しくなる。
ぽたり、ぽたり──水滴の落ちる音だけが、やけに大きく響いた。
「あ、あの……」
「えっと……」
沈黙に耐えきれず、二人同時に口を開いて、同時に言葉を飲み込む。
「……どうぞ」
「……いえ、ハヤテくんからどうぞ」
案の定また沈黙。どうしていいか分からず、ただ背中合わせのまま時間だけが過ぎていく──。
一方その頃。
地下の別の回廊では、冷たい石壁に囲まれながら、ナギとヒナギク、そして伊澄が足音を響かせていた。
「ここ、本当に地下道なの? 何だか、古代遺跡みたいね」
ヒナギクが携帯端末で辺りを照らしながら、眉をひそめる。苔むした石積みの壁はところどころ崩れ、冷たい空気がひたひたと流れていた。
「さぁな。この国は基本遺跡だらけだから、市街地とはいえ地下に訳が分からないものが広がってることもあるだろうが……それにしても薄気味悪いな」
務めて冷静な口調とは裏腹に、ナギは不安そうな表情のままヒナギクの服の裾を掴んで離そうとしない。
「確かに普通の建物とは違いますね」
伊澄だけは怯む様子もなく、むしろ楽しげに見回している。というか。
「いや本当になぜ伊澄がいるのだ?」
「さっきはラスベガスにいたの。ワタルくんとサキさん、咲夜も一緒だったのだけれど……あ、この辺は原作の20、21巻を参考にしてくださいね」
「アイツらラスベガスにいるのか今」
──主にワタルが、人生を賭けてビッグな大勝負に挑んでいたりいなかったり。
「けれど困ったものね、三人とも目を離した隙にどこかに迷子になってしまって」
「確実に迷子になったのは鷺ノ宮さんだと思うわよ……」
「確認だけど伊澄お前、パスポートとかは大丈夫なのか?」
ナギの言葉に、伊澄は静かに目を閉じて一呼吸。
「心配ないわナギ。太陽系から見れば地球なんて小さな粒のようなもの、国境なんてないに等しいのよ」
「あるわぁああ!! つーか犯罪だそれはッ!」
三人は、暗く長い地下の迷宮を進んでいく。
ふと、ヒナギクは空気が変わるような違和感を覚えて足を止める。なんとは無しに、携帯端末の光を壁際へと向けると、そこには、巨大な壁画が埋め込まれていた。
「……これは?」
光に照らされた壁画には、見慣れない丘の上に立つお城とそれを囲むように無数に立つ柱が描かれている。その横には王様のような男性や天から降りてくる神様が何やら向かい合っている絵が続いている。
何かの物語を紡いでいるのだろうか、見覚えのない文字が刻まれている。縦横に整然と並んだその文字は、現代のアルファベットとも、ギリシャ文字とも違う奇妙な曲線を描いていた。
「何だか古代文字みたいね。全然読めないわ……ナギは?」
ヒナギクが尋ねても、ナギは小さく首を振る。
「さぁ、少なくとも古代ギリシャ語でもないな」
「……これはフリギア語よ」
さらりと告げたのは伊澄だった。光の前に歩み寄り、なぞるように指で文字をなぞっていく。その姿は、普段の天然な雰囲気とは違い、どこか荘厳な空気を帯びていた。
「フリギア語? それって……」
「古代アナトリアに栄えた王国の言葉です。もちろん今ではもう失われた言語ですが……こうして残されているなんて」
ヒナギクとナギは顔を見合わせる。なぜこんな場所に、古代の言語で記された石碑があるのか。疑問は深まるばかりだ。
「で、何て書いてあるんだ?」
ナギの問いに、伊澄は一度目を細める。
『アブラクサスの柱の森……剣をもって正義を示せ。さすれば道は開かれる』
「アブラクサス……?それに柱の森?」
「ふむ、まるで意味が分からんな」
二人が困惑する中、伊澄だけは意味深に視線を落とし、何かを思案するように黙り込む。だが、次の瞬間にはあっさりと肩をすくめ、踵を返す。
「行きましょうナギ、生徒会長さん。特に面白いことは書いてありませんから」
きょとんとする二人だったが、少し間をあえて伊澄の後を追うのだった。
「けど、ナギちゃんたちはどこにいるんだろうね」
「そうですね、ヒナギクさんが付いててくださるので心配はしていませんが……」
衝撃の邂逅から暫くして。
着替え終わった歩は、まだ少し恥ずかしさで頬を紅潮させたまま前を歩くハヤテの背中を見つめていた。心なしか、ハヤテの耳も赤らんでいる気がする。お互い意識しないように会話上は平静を保っているものの──
(ハヤテくん、意識してくれてるのかな……恥ずかしいけどそれはそれで嬉しいような──って何考えてるの私!はぁ……こんな事なら、もっと真剣にダイエットしておくんだった)
乙女の恥じらい、を裕に飛び越えたToloveるイベントには内心あっちにこっちに感情が揺れて混乱が止まらない。恥ずかしさも去ることながら、日頃の努力不足も歩の胸をグサグサと刺してくる。
「と、ところでハヤテくん!」
「は、はい!」
気まずさとくすぐったさが入り混じった奇妙な空気。これを変えようと、彼女はわざとらしく明るい声で語りかける。
「こ、こういう遺跡みたいな地下があるって、ナギちゃんも知らなかったみたいなんだよね」
「そ、そうですね!いやー、流石お嬢様ですよね!」
「だねー」
空々しい会話だが、気まずく黙り込むよりはよっぽど楽だ。
「けど、だったら誰がメンテナンスとかしてるんだろう?」
「うーん、古い建物は放置してると崩れやすくなったりとかしますし」
ハヤテのそんな言葉に応えるように、不意に天井から細かな石片がぱらぱらと落ちてきた。
二人とも足を止めて、そして顔を見合わせる。
「いやいやいや、まさかそんな」
「そうですよ、そんなタイミングよく」
かと思うと今度は少し大きめの石片が彼女の足元に落下してきた。
「……っ!?」
反射的にハヤテが歩の手を掴み、引き寄せる。直後、先ほど二人が立っていた場所に天井の石が崩れ落ち、土煙が巻き起こる。
「大丈夫ですか、西沢さん!」
「は、はい……!」
歩は驚きで息を荒げつつも、握られた手の温かさに頬を赤らめる。
一方のハヤテも、心臓の鼓動が早まるのを感じながら、彼女を庇うように手を握り抱き寄せ続けた。
土煙の中、二人はほんの数秒だけ無言で見つめ合う。水に濡れた歩の肩を、咄嗟に抱き寄せて守ったままのハヤテ。二人は至近距離で見つめ合い、時間が止まったかのように言葉を失っていた。
「……っ」
互いの鼓動がやけに大きく響く。何かを言いかけたその時──
「ぬわぁああ! 崩れてるぅううう!!」
遠くの回廊から、ナギの悲鳴がこだました。
「お嬢様!?」
「ナギちゃんっ!」
我に返った二人は、ほとんど同時に駆け出す。
そんなナギたちは、まさに今、崩れ落ちる瓦礫を必死に避けている最中だった。
「何で自分の家でインディージョーンズみたいなことせにゃならんのだーっ!」
「私が聞きたいわよ!」
ナギの絶叫とヒナギクのツッコミが、轟音にかき消されそうになる。
その瞬間──ナギが石段に足を取られ、派手につまづいた。
「ナギっ!?」
振り返ったヒナギクの目の前で、天井から瓦礫が崩れ落ちる。
覆いかぶさる影。小さな身体が飲み込まれる……かに思えた。
間一髪、ナギを抱き上げて飛び退いたのはハヤテだった。そのまま彼はゆっくりと主人を地面に降ろす。
「お怪我はないですか、お嬢様?」
「う、うむ! ありがとうハヤテ!」
「いえいえ。助けに行くのが遅くなって──」
二人が自然に手を取り合おうとした、その瞬間。横から落下してきた巨大な石材が、ハヤテを直撃。そのまま押し潰した。
──あ、これ死んだ。
誰もがそう思った。だが、そこは三千院家の執事である。
「いやぁ、ご心配おかけしました」
石材を軽々と吹き飛ばし、血まみれの顔で爽やかに立ち上がるハヤテの姿があった。頭からは勢いよく血が噴き出しているが、表情はいつもの笑顔だ。怖い。
「皆さんもお怪我はないですか?」
「……貴方以外は皆無事よ」
ヒナギクがドン引きしながらも、差し出したハンカチで彼の額を押さえる。
「というか、伊澄さんはなぜここに?」
「説明がいるか?」
「……大体察しました」
一行が合流したのを見計らったのか、地下の揺れもひとまず収まったようだ。
「今のうちに脱出しましょう。またいつ崩れるとも分かりませんし」
「そうしたいところだけど……私たちが来た通路は埋まっちゃったのよ」
全員の顔に緊張が走る。閉じ込められたかと思いきや──歩が得意満々の笑みを浮かべて胸を軽く叩く。
「ふっふっふ、そこはモーマンタイ!さっき潜った時に外へ出られる場所を見つけたからね!」
「ほう、ハムスターにしては上出来だ」
「ハムスターは余計じゃないかな!?」
安堵の空気が広がり、一行は脱出へ向けて足早に進み始める。
と、ふとナギが声を上げた。
「って、なんでお前たち手を繋いでるのだ!」
自然に歩と繋いでいたハヤテの手を見て、目を丸くする。
「愛着の差、かな?」
「な、なんだとぉ!」
「お嬢様、落ち着いてください!深い意味はないですって」
ご主人様を何とか宥め、結局、ナギと歩の両方と手を繋ぐことに。
そんなこんなで、一行は広がる海水の前に戻ってきた。先程歩が乙女の恥じらいを犠牲にしてまで見つけた、脱出への活路である。
しかし──
「ここ、潜って全員無事に泳ぎ切れるかしら」
「確かに、個別というのは危ないですね」
ヒナギクは歩の手を引いて一歩前に。
「私は歩を抱えて泳ぐから、ハヤテくんはナギと伊澄さんをお願いできる?」
分かりました。そう言おうとしたハヤテを遮り、伊澄はパタパタと裾を振る。
「私のことはお構いなく。こんな事もあろうかと、色々飼い慣らしていますので」
その合図に応えるように、どこからともなく現れたイルカ。どんな事があればイルカを飼い慣らすんだろう。そもそもイルカはどうやってここまで来たんだろう。一行の疑問などどこ吹く風とばかりに、伊澄はイルカにすいと乗り移り、伊澄はハヤテを振り返る。
「ハヤテ様、海水は傷に大変滲みますので、お気をつけて」
そう言い残して、優雅に海中へ消えていった。ヒナギクも歩を抱き上げ、水を蹴って潜っていく。
残されたハヤテに、ナギが恐る恐る問いかける。
「……ハヤテ、本当に大丈夫なのか?」
「はっはっは。お嬢様をお守りするのが僕の使命ですから」
そう言って笑うと同時に、額からはだらりと血が流れる。痩せ我慢もここまでくれば一流だ。
「……海よりお前が怖いよ」
ハヤテは笑顔を崩さず、ナギを抱えて海中へと飛び込んでいった。
「おや、砂浜にハヤ太くんとよく似た死体が打ち上がってるぞ理沙」
「ホントだ。これはハヤ太くんによく似た死体だな」
別荘前の砂浜。ちょうど散歩をしていた美希と理沙は、倒れているハヤテを発見した。血を流しピクピクと痙攣している。どう見ても事件である。
「どうだ?何か分かるか理沙警部」
「ふむ……後ろから心臓を一突きだ。犯行に迷いがないな、よほど恨みがあったに違いない。用意周到でいて、抵抗した後もないとなると」
「顔見知りの犯行、か」
推理ごっこをして遊び始める二人。そうこうするうちに、ナギやヒナギクたちも次々と海から砂浜へと上がってきた。
「え?皆どーしたの?」
「何故海から上がってくるんですか?」
砂浜にいた泉やマリアも目を丸くする。無理もない。海辺を散歩してたのに、いきなり人間が打ち上げられてきたら誰だって困惑するだろう。いや困惑で済む話でもないが。
ヒナギクたちはといえば、顔を見合わせて苦笑するだけに留めた。経緯を1から説明するほど気力が残っている訳でもない。
その横では、伊澄がイルカに餌を与えている。「ありがとう、今日はカツオよ」と手渡された魚に、イルカは嬉しそうに鳴いていた。ますます意味がわからない光景である。
「というか、美希たちはどーしてここに?一体どこに行ってたのよ?」
「なに、別荘探索も一区切りついたからな。別荘前の浜辺で花火でも見ようかと出てきたのよ」
「やっぱ夜の浜辺は花火だよー!」
三人娘はキャッキャと盛り上がるが、手元には花火セットなどどこにもない。どこで何の花火をするつもりだろうか。
「今から買いに行くんですか?」。そう歩が首をかしげるがマリアは軽く首を振ってみせる。
「いいえ。今、アイルくんが準備しに行ってくれてます。彼、花火技師の資格も持ってるので」
さも当然、とばかりに。
「まさかの打ち上げ!?」
「私、もうあの人が何の資格を持ってても驚かない自信があるわ……」
ヒナギクも疲れたように肩を落とした。
そうこうするうちに、頭上には打ち上げ花火が上がり始める。遠三人娘はわーきゃーと楽しそうに騒ぎ、ずぶ濡れの一行も思わず脱力する。
その時、ふらつきながらもハヤテが立ち上がり、皆の元へやってきた。
「何故ハヤテくんはいつも血だらけなんですか……」
マリアがため息をつき、ヒナギクや歩は苦笑して顔を見合わせる。「色々ありまして」とバツが悪そうに頭を掻くと、そのままナギに視線を向けた。
「それよりも、お嬢様は大丈夫でしたか?」
「あ、あぁ。少しだけ海水を飲んでしまったが、お前のお陰で無事だよ」
軽く咳をしてから、ナギはまっすぐハヤテを見つめる。
「……ありがとな、ハヤテ」
その言葉と同時に、大きな花火が夜空に弾けた。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい