アテネちゃんの執事!   作:通行人A'

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Task82:女神の名が響く刻

 

 

 天を衝くような奇岩群。その断崖の上に中世の修道院が点在する――。

 ここメテオラは、天空に浮かぶような光景で知られる世界遺産だ。乾いた風が吹き抜け、陽光を浴びた岩肌は白く輝き、訪れる者を圧倒する。

 

 そんな圧倒的な景色をたっぷり堪能していた一行だが、気が付けばもう太陽もすっかり傾き、夕刻に差し掛かっていることに気が付いた。

 

「ヒナさん、大丈夫?」

「……何とかね。けど、これからまた飛行機かと思うと」

 

 どんよりとしたヒナギクに苦笑しつつも、歩たちは帰路に着くことに。

 そんな時だった。

 

「うわ、あの人すっごい美人だよナギちゃん!」

 

 歩が思わず声を上げ、人差し指を突き出した。

 その先にいたのは、一行の視線をさらってしまうほどの女性。腰まで伸びたブロンドの髪は陽光に照らされ、丁寧に巻かれた毛先まで艶やかに輝いている。年の頃は二十代前半ほど。背丈は平均より一回り高く、すらりとした肢体を持ち、そして紺碧の瞳は澄み切った湖面のように深く、吸い込まれてしまいそうなほどだった。

 

「指を刺すなお前は!小学生か!」

「わ、わわっ!」

 

 慌てて手を引っ込める歩。だが、その女性――セレネは微笑みを浮かべたまま、ゆったりとした足取りで彼女たちに近づいてきた。

 

「あれ?あの人、こっちに来てない?」

「みたいですね……」

「わ、私が指差しちゃったからかな!?」

 

 歩が慌てて身を縮めるが、女性は優雅に足を止め、朗らかな声を掛けた。

 

「ごきげんよう。世界遺産の観光に相応しい、素晴らしい天気ですね」

 

 その声音は澄んだ鈴の音のように心地よく、場の空気を自然と和ませる。アイルはわずかに小さく息をつき、観念したように前に出て一礼した。

 

「ご無沙汰しております、セレネ様」

 

 なんだ、アイルさんの知り合いか──そう理解して、一行は少し肩の力を抜いた。アイルはそのまま一同に振り返り、その女性に手を向けてみせる。

 

「こちら、英国の公爵位・クイーンズフォード家のセレネ様です」

 

 アイルの紹介に、一行は一瞬ぽかんとした。

 公爵位──その言葉の響きだけで、空気が少しだけ張り詰める。

 

「公爵位って……なんですか?」

 

 ぽろりと口にした歩に、ナギはすかさず小突きを入れる。

 

 英国において「公爵位」とは、爵位制度の最上位。限られた家にしか与えられない格式高い称号であり、いわば貴族の頂点に立つ家柄の証だ。もちろん、それだけで本人を縛るものではないのだが、普通の日本人高校生から見れば、まるでおとぎ話に出てくる存在のように映るのも無理はない。

 

「大袈裟だよ、アイルくん」

 

 当のセレネは、たおやかに微笑むばかりだった。

 

「爵位は家のものであって、私自身の価値ではない。生まれた場所が少し違った──それだけの話さ」

 

 肩の力を抜いたその言葉に、緊張していたハヤテやヒナギクはようやく胸を撫で下ろすのだった。セレネの視線は、アイルから別の女性へと移動する。

 

「君が、三千院帝さんのお孫さん……三千院ナギさん、だね」

「え、はい……そうですが」

 

 いきなり話を振られて、戸惑うナギだったが。セレネは気にすることなく、スカートの両裾を摘んで、優雅にお辞儀をする。

 

「帝さんには昔、助けてもらったことがあってね。いつか一度挨拶をさせていただきたいと思っていたんだ。こうしてお会いできて、光栄です」

「は、はぁ……こちらこそ」

 

 差し出された右手に、ナギはおずおずと返す。絹のように白く、そして滑らかなその肌の感触が非常に印象的だった。

 

「それと……貴女は、マリアさんだったね。お久しぶりです」

「え?」

 

 視線を向けられたマリアは目を見開く。

 

「まぁ……覚えていらして下さったのですか。以前一度お会いしたことはありましたけど……当時は確か」

「うん。まだ貴女は小さかったね。ミカドさんの側にいたと記憶していたな」

 

 セレネの言葉に、マリアは「そうでしたね」と軽く頷いてみせる。

 

「君のように美しい女性を、私が忘れるはずがない。またお会いできて光栄だよ」

「……まぁ」

 

 不意の言葉にマリアの頬がわずかに朱を差す。そのやりとりに、歩もハヤテもヒナギクも目を丸くするばかりだった。

 

「ありがとうございます。今はナギお嬢様の元で、メイドをさせていただいておりますわ」

「なるほど」

 

 丁寧にお辞儀を返すマリアに、セレネは小さく頷き返してみせる。

 やがて彼女は一行に視線を戻し、優雅に言葉を重ねた。

 

「さて、あまり皆さんのお時間を頂くのも失礼だね。ただ、少しだけそこのアイルくんをお借りしたい。なに、少しビジネスの話をしたいんだ。込み入った話はまた後日で構わないのだが」

 

 予想していたのかアイルは静かに頷き、一行に視線を向けた。

 

「すみません。後ほど向かいますので、一度別行動とさせていただけませんか?」

「構わんぞ。まぁお前のことだ。心配はいらんだろう」

 

 ナギはあっさりと了承し、一行はアイルを残してジェット機でアテネ市へ戻ることに。

 去り際に振り返れば、セレネとアイルが並んで和やかに言葉を交わしているのが見える。

 

「マリアさん、あの人って……」

「私も数年前におじい様の付き合いでお会いしたきりです。まさか、アイルくんと繋がりがあるとは知りませんでした」

 

 ビジネスの話、といっていたが何かの商談相手なのだろうか。アイルの交友関係は未知数である。

 

「ははーん……もしかしてアイルさんの昔の女性って可能性も」

「いや、どう見てもそんな感じではないだろ」

「いやいや、甘いよナギちゃん!大人の恋愛っていうのはそんな単純じゃないのよ。素っ気なさの中に隠れた繊細さとか情愛の機微があるんだから、二十歳を超えた恋愛っていうのはね」

 

 歩の妄想を、ナギは即一刀両断する。それでも引かないのが華のJK、どんな些細なものも恋愛話にこじつける能力には彼女たちの右に出るものはいないのである。経験もない大人の恋愛ですら、さも実体験のように語れるのだから。

 

「マリア、この恋愛脳に何とか言ってやれ。二十歳超えた恋愛とは何かを」

「あら。私、17歳ですよ?」 

「──しまった素でミスった、違うんだよこれは」

「ナギ、何故視線を逸らすのですか?こっち向いてもらえます?」

 

 満面の笑顔のままぐいぐいとメイドに迫られるお嬢様。

 そんな一方で、ヒナギクはただ一人、真剣な表情で遠ざかるセレネを見つめていた。

 

「あ!やっぱりヒナさんも気になっちゃってます?」

「ちがッ──そうじゃなくて!なんか、あの人……普通の人と違うような気がして」

「違う?」

 

 首を傾げる一行。彼女も何か言葉にしにくいようで釈然としない表情のまま、口元に拳を当てる。

 

「気のせいかもしれないですけど……妙な違和感があるというか。その、本当に……同じ人間なのかなって」 

「どういう意味?」

「ごめんなさい、上手く表現できないのだけど……ただならないオーラっていうか」

 

 言葉にしがたい「圧」を感じ取っていた、と。

 

「刃⚫︎の登場キャラかお前は」

「ははは……」

 

 ナギの半ば投げやりなツッコミを最後に、一行はアテネへと戻っていくのだった。

 

 

 仲間たちを見送った後、残されたのはアイルとセレネの二人だけだった。夕陽を浴びた奇岩群の影が長く伸び、乾いた風が岩肌をなでていく。人影も少なくなり、静寂と荘厳さだけが支配する世界。

 

 セレネは手すりに片肘をかけ、視線を遠くの断崖へと投げかけていた。横顔を照らす光は、黄金の髪をさらに輝かせ、まるで神話の女神のような佇まいを形作っている。

 

「やはり、旅は良い」 

 

 紺碧の瞳を細め、セレネはふと微笑んだ。

 

「こうして偶然の出会いがあることも、旅の醍醐味だ。本当に」

「ええ、そうですね」

 

 お互いの表情は柔らかい。しかし、その声の端々には「ただの偶然ではない」と匂わせるような含みがあった。

 

 しばらくの間、二人はただ景色を眺め、他愛もない世間話を交わした。天候のこと、訪れた都市の印象、ギリシャ料理の話題――。互いに特別な抑揚もなく、穏やかに言葉が行き交う。

 

 しかし、会話のどの部分にもお互いの本心を探ろうとする思惑があることを、お互いによく理解していた。

 アイルは微かに視線を落とし、静かに切り出した。

 

「それで、本題をお伺いしても?」

 

 決して、偶然などではない筈だ。穏やかさを崩さぬまま、しかし確信めいた問いかけ。観念したように、セレネは軽く肩をすくめる。

 

「悪かった。本当は君が一人の時に接触するべきだったんだが」

「いえ、確実に逃がさないタイミングであれば、今を置いて他ならないでしょう」

「心外だな。まるで私が計画したような口ぶりだ。私はそこまで性格は悪くないはずだよ」

 

 セレネは首を横に振ると、少し子供っぽく唇を尖らせる。

 

「私は、一人のタイミングを見計らって接触した方が良いと提言したんだ。ただ、〝彼〟が今だと急かすものでね」

「……彼?」

 

 アイルの眉がわずかに動いた、その瞬間だった。

 背後の空気がふっと揺れる。

 振り返れば、いつの間にか一人の影が立っていた。

 

 漆黒のフードに、白い仮面。

 夕暮れの光に逆行して、その存在は輪郭だけが強調される。

 ゆっくりと近づいてくるその人物は、やがて手を上げて仮面を外した。

 

「やぁ。初めまして」

 

 仮面の下から現れたのは、鋭さを帯びながらもどこか余裕を感じさせる顔立ちだった。

 

「貴方は……」

「元・三千院家の執事――姫神です」

 

 

 

 

 

 ──夜のアテネ。

 夕刻の朱が消え、紺碧の夜空が街を覆う。アクロポリスの丘は黄金色にライトアップされ、白亜の神殿群はまるで夜空に浮かぶ幻影のようだった。石畳をなぞる街灯の明かりが、柔らかく光を散らし、遠くからは賑やかな演奏と人々の笑い声が響いてくる。

 

 その喧騒から少し離れた高台に、三千院家の別荘が佇んでいた。古風なギリシャ建築を模した優雅な造りの庭では、今まさにバーベキューパーティーが始まっている。

 

「お、これ良い焼き加減ね」

「あぁ!美希貴様、それは私が丹精込めて育てた肉だぞ!」

「いや理沙さんも私の肉奪わないでくださいよー!」

「皆落ち着いて!こっちにもまだお肉あるから!」

 

 三人娘と歩は鉄板の前で大はしゃぎ。ナギは「まったく子どもか……」と呆れたように言いつつも、結局その輪に巻き込まれていた。

 マリアはそんな様子を、微笑ましく見守っている。メイド服こそ着ていないものの、彼女にとっては珍しくもない光景──無邪気に笑い合う仲間たちを前にすれば、自然と頬が緩む。

 

 一方その喧騒から少しだけ離れ、ハヤテはバルコニーに立っていた。

 眼下に広がるアテネの夜景は、無数の灯が星々のように瞬き、遠く丘の上に浮かぶパルテノン神殿が神々しく輝いている。風はやや冷たく、喧騒の熱気を冷ますように頬を撫でていった。

 

「こんな街に、アテネって名前の人が住んでるっていうのも……なんだか不思議だな」

 

 アテネ──アテネだから、アーたん。

 

 頭の奥底に響いた昔の声は、不意に後ろから掛かってきた別の声にかき消された。

 

「なーに黄昏れてるの?」

 

 振り返ると、カーディガンを羽織ったヒナギクが立っていた。夜風に少し髪をなびかせ、きらりとした瞳がこちらを覗き込んでいる。

 

「あ、ヒナギクさん……いえ、ちょっと感傷に浸ってただけです」

「感傷?」

「はい。初めての海外旅行で、こんなに楽しい思い出を作らせてもらって……僕は幸せだなーって」

 

 どこか照れくさそうに言うハヤテに、ヒナギクはくすっと笑った。

 

「ふふ、らしいわね。けど確かに……来てよかったって思うわ」

「ええ、同感です」

「ただし!」

 

 指を立てて、真剣な表情を作るヒナギク。

 

「空飛ぶ交通手段だけはナンセンスよ。あれは絶対に看過できないわ」

「ははは……それだけは仕方ないですよ。文明の力ですから」

「大丈夫よ。世界の中心でちゃんと祈ってきたから」

「……あれ、本気で言ってたんですか」

 

 互いに冗談を交わし、笑い合う。後ろからは響く宴会の喧騒とは対照的に、静かで穏やかな時間がそこにはあった。

 やがて、夜空を仰いでいたハヤテが、ぽつりと呟く。

 

「けど……アテネの夜景は、本当に綺麗ですよね」

「ええ、本当に」

 

 二人が眺める先には、街の灯火が瞬く音まで聞こえそうだった。

 しばらくして、彼はまた口を開いた。

 

「アテネって……この星で、最も偉大な女神の名前なんですよね」

 

 その言葉に、ヒナギクは目を瞬かせ、それから柔らかに笑った。

 

「そういえば……〝彼女〟もよくそんなことを言ってたわ」

「彼女?」

「ええ。名前がアテネだから、その言葉には特別な想いがあるみたいで」

 

 ……え?

 ハヤテの心臓が跳ねる。視線が大きく揺らぎ、呼吸が浅くなる。

 

「す、すみません! あの、その方のお名前って、なんていうんですか!?」

 

 急な食いつきに、ヒナギクは目を丸くしながら答えた。

 

「て、天王州アテネさん、だけど……」

 

 天王州アテネ──

 

 アテネ──

 

 アーたん──

 

 

 彼の瞳が大きく見開かれ、胸の奥で何かが弾けたように鼓動が速まった。忘れ得ぬ響きが耳を打ち、頭の中ではいい知らぬ感覚が渦を巻き始める。

 

 

 止まっていたはずの時間が、音を立てて動き出した。

 

 

 

 

 

 





連投してきましたが、一旦ここで更新速度は緩めます。申し訳ございません!
とはいえ、週に一回は更新出来るようなスピード感で進めていければと考えております。引き続き何卒よろしくお願いします!

物語の終わり方について

  • エンディングは一つのみが好ましい
  • 各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
  • どうでもいい
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