アテネちゃんの執事!   作:通行人A'

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Task85:Porta Fatum

 

 

 夜明けの空が淡い朱に染まり始める頃。

 別荘近くの小高い丘には、まだ眠りについた街を見下ろすように、ほんの少し涼しい空気が漂っていた。

 

 約束の時刻。先に来ていたヒナギクは、両手を胸の前で組みながら緊張を押し隠すように深呼吸をする。

 足音に気づき、振り向けば──私服姿のアイルが静かに現れた。

 

「すみません、急に呼び出したりしてしまって」

「いえ、構いません」

 

 彼は軽く会釈をすると、そのまま両手を広げてみせた。

 

「ご安心ください。武器などは隠しておりませんので」

「え?」

 

 目を瞬かせるヒナギクと、同じくきょとんとした表情で返す。

 

「〝二人だけで、高架下の河川敷へ〟──そう書かれていましたので。てっきり一対一(タイマン)でも張るのかと」

「私を不良漫画の登場人物が何かだと思ってます?大体河川敷なんて書いてませんっ」

「大変失礼いたしました。どちらが〝上〟なのかはっきりさせたい、そんな感情が文面から伝わってきまして」

「ちょっ、アイルさんは私の事なんだと思ってるんですか!」

 

 それは実はちょっとだけ思ってたり。

 ヒナギクは赤らんだ頬のままわざとらしく咳払いを一つ。

 

「本気でやるなら、もっと視界が悪い場所を指定しますよ」

「冗談ですから、真面目に答えないでください」

 

 一瞬彼女の脳内で本気でそのシミュレーションがなされたような気がしなくもなく。そんな冗談もそこそこに、ヒナギクは表情を引き締め、小さく息を吸った。

 

「それで、本題に入りますけど……その」

 

 言葉を探しながら切り出そうとした瞬間、アイルの落ち着いた声がそれを先んじた。

 

「お嬢様と……綾崎くんのこと、ですか」

「え?」

 

 心の奥にしまっていた迷いを、まるで見透かされたようで──ヒナギクは息を呑んだ。驚いて顔を向ける彼女に、彼は穏やかな微笑を浮かべる。

 

「そろそろ、今の綾崎くんの事情がヒナギクさんにも伝わる頃合いかと思いまして」

「……どれだけ先読みできるんですか」

 

 驚きとも呆れともとれるようにため息をつく。この人はどこまで先を見通しているのだろうか。

 

「お嬢様と綾崎くんの話は、どこまで聞いていらっしゃいますか?」

「幼い頃の知り合いだった、と。とても大切な関係だったけど──」

 

 何らかの理由で決裂してしまった、と。

 彼女は、ハヤテから聞いた言葉をそのまま説明した。

 

「そこまで事情を詳しく聞いてる訳ではないですけど……」

 

 黙って耳を傾けていたアイルは、ゆっくりと首を横に振った。

 

「いえ、私も詳細に事情を把握している訳ではありません。貴女の認識とほとんど遜色ありませんよ」

「そうなんですか?」

「誰にだって、詮索されたくない過去もありますから」

 

 そう言ってアイルは、ふっと目を細める。

 

「ただ、恐らくヒナギクさんは引っかかっていらっしゃるんですよね。お嬢様が、綾崎くんを忘れているという点について」

「……本当に、なんでもお見通しなんですね」

「執事ですから」

 

 さらりと返すアイルに、ヒナギクは降参したように肩をすくめた。

 

「綾崎くんは〝忘れられてしまった〟と思っている。でも……あの聡明なアテネさんが、そんな大切な人のことを本当に忘れるなんて、私にはどうしても信じられないんです」

 

 アイルは口を挟まず黙ったまま彼女を見つめる。話の先を促すように。

 

 

「もし、はっきりと覚えているのなら。そして、二人の過去がハヤテくんの言う通りのものなら……アテネさんは、今凄く苦しんでるかもしれません」

「……」

「ハヤテくんだって。昨日もずっと心ここにあらずっていう感じでした。ナギも歩もすごく心配してた……」

 

 ヒナギクはグッと拳を握りしめて、彼を真っ直ぐと見据える。

 

「ハヤテくんもアテネさんも、私の大切な友人です。詮索されたくない過去かも、他人が安易に触れちゃいけないモノなのかもしれない。でも」

 

 黙ったまま、見過ごすことなんて出来ません。

 ただ真っ直ぐに。率直な思いを口にすると、アイルは目を細めて彼女を見つめる。何かを迷っているのか、あるいは何かを確かめているのか。暫く沈黙を続けていた執事だったが、やがて──

 

「お嬢様は……本当に良き友人に恵まれましたね」

 

 そう呟いて、安堵するように息をついた。そして深く首を垂れた。

 

「ありがとうございます。ヒナギクさん。お嬢様のことを、そこまで気にかけてくださって」

「い、いえ!友人なんですから当然です──だから、頭を上げて下さい!」

 

 恐縮して両手を振るヒナギク。目上のここまで深く頭を下げられるのはほとんどないのだから無理もない。

 しかし構わず、アイルは顔を上げて続ける。

 

「お嬢様は、強い方です。しかし同時に……誰よりも傷つきやすい方でもあります。ご自身の心を隠し、綾崎くんにも本当の想いを告げられずにいる。そのままでは、きっと前に進めません。きっと、綾崎くんも……今のままでは」

「アイルさん……」

「だからこそ、綾崎くんと向き合わせて差し上げる必要がある。今本気で互いがぶつからないと──お嬢様があの方に心を閉ざしてしまったままでは、何も変わらないのです」

 

 穏やかな声に宿る決意。アイルがどれほど本気でそう考えているのか、ヒナギクには痛いほど伝わった。

 

「私に、できる事はありますか?」

 

 勿論、と。アイルはわずかに微笑んだ。

 

「ヒナギクさんが力になってくださるのであれば、心強いことこの上ない」

「そんな……大袈裟ですよ」

 

 でも、やるからには必ず力になりたい。ヒナギクは小さく拳を握りしめて、決意を固めた。

 

 

「話は聞かせていただきました。世界は滅亡します!」

 

 不意に、隣の雑木林から飛び出してきたのはメイド服の女性と執事服を身につけた少年──ヨゾラとマキナであった。

 

「よ、ヨゾラさん!?」

「こんばんは、ヒナギク様」

 

 淑やかにスカートの裾を広げてお辞儀をしてみせる天王州家のメイド、ヨゾラ。隣のマキナもぺこりと恭しく礼をひとつ。

 

「一体いつから……」

「ふふ……愚問ですね。ヒナギクさんが先輩を人気のない場所に呼び出すというラブコメの波動を感じたので、これは決定的瞬間をパパラッチしなくてはとスタンバッてたのです」

「のだ!」

 

 マキナが自慢げに掲げるのは望遠レンズのついた一眼レフ。週刊誌記者もビックリな察知力である。驚き半分呆れ半分で半目になっているヒナギクだが、アイルは特に気にした様子もなく従者たちに手を向ける。

 

「ヒナギクさん、ご安心ください。彼女たちも、お嬢様を助けようと志の下に集った仲間たちです」

「いや、集ったもなにも、元々アテネさんに仕えてますよね」

 

 仰る通り。

 

 

「まぁ、冗談はさておき」

 

 ヨゾラはヒナギクの両手を包むようにして握る。

 

「ですが、アテネお嬢様を助けたいと思う気持ちに嘘偽りは一切ありません。私たちも先輩同様、ヒナギクさんが力になってくださる事をとても嬉しく思います」

「……ヨゾラさん」

 

 主人を思う従者たちの真摯な想いを前に、彼女は心を動かされ──

 

「では、アテネお嬢様を救うためのチーム『天王州組』始動ですね」

「……ヤクザみたいになってますけど」

「全員分のサングラスは用意したぞ!」

「いやいや!ますます堅気から遠くなるから」

「切り込み隊長はヒナギクさんを置いて他にはいないかと」

「やりませんからッ」

 

 本当に大丈夫なのか──。

 そんな疑念を抱きつつも、ある意味息のあった動じない精神にどこか安心感も覚えるヒナギクだった。

 

 

 

 

 夕暮れの港町は、一日の喧噪を名残りに残しながらも、ゆっくりと静けさに包まれ始めていた。

 オレンジ色に染まった海面を、帰港する漁船の影がゆらめき、遠くには大きなクルーズ船が停泊している。吹き抜ける潮風は心地よく、昼間の熱気をやわらげていた。

 

 この日は一行で近郊の港町に出かけ、買い物や食べ歩きを楽しんだ。賑やかな市場では三人娘がはしゃぎ、ナギはクールを装いながらも目を輝かせ、マリアやアイルは荷物持ちに奔走。そんな時間を過ごして、夕方になった今──ようやく港へ戻ってきたのである。

 

 仲間たちが宿へと歩みを進める中、ハヤテは少し離れて、欄干から海を見下ろしていた。潮風に揺れる髪、沈みゆく夕日を映す横顔は、どこか沈んで見える。

 

 その隣に、気配を消すように近づく人影があった。ヒナギクだ。

 

「……また、考え込んでる顔ね」

 

 小さく声をかけると、ハヤテは驚いたように振り返り、気まずそうに笑った。

 

「あ……すみません。つい」

「謝らなくていいわよ。別に悪いことじゃないし」

 

 ヒナギクは隣に並び、同じように海へと視線を向ける。

 赤く染まった水平線に沈みゆく太陽。綺麗なはずなのに、二人の間にはどこか言葉にできない重さがあった。

 

 しばらく黙ってから──ヒナギクは息を吸って、そっと切り出した。

 

「昨日の話だけど……」

 

 ハヤテの肩がわずかに揺れる。彼は言葉を探すように唇を開きかけたが、すぐに閉じてしまった。

 そんな彼に、ヒナギクは真っ直ぐな眼差しを向ける。

 

「ハヤテくんにとって、アテネさんは何?」

 

 唐突とも思える問いに、ハヤテの目が揺れる。

 

「え……?」

 

 ヒナギクは視線を外さず、さらに言葉を重ねた。

 

「単なる〝過去の人〟?忘れてしまってもいい存在なの?」

 

 その瞬間、ハヤテの表情がはっきりと変わった。

 迷いはあっても、その否定だけは強く、揺るぎなく。

 

「そ、そんな訳ありません!」

 

 感情を押し殺すことなく、彼は声を震わせた。

 

「彼女は……彼女には、返しきれない恩があるんです。十年前、僕が本当にどうしようもなくて……一人で、何もかも諦めかけていた時に……彼女が手を差し伸べてくれなかったら──僕は、今ここにいません」

 

 強い潮風が二人の間を吹き抜ける。

 

 ハヤテの声は、海鳴りに溶けるほどか細く、それでいて揺るがぬ真実だった。ヒナギクはそんな彼を見つめながら、胸の奥に抱えていた言葉をそっと口にする。

 

「アテネさんは、あなたのことを忘れてなんかいない。……私はそう思う。だって、あんなに聡明な人が、大切な想い出を簡単に手放すはずないもの」

 

 ハヤテの瞳が大きく揺れた。それは驚きか、あるいは希望か──自分でも掴みきれない感情に戸惑うように。

 

「けど……だとしたら。僕は、彼女に拒絶されたって事ですよ。もう会いたくないって……それなら」

 

 唇を噛みしめるハヤテ。その肩に、ヒナギクはそっと自分の声を重ねる。

 

「私は、きっと何か理由があるんだと思う。アテネさんは本当に優しい女性(ひと)よ。意味もなく拒絶なんてしないわ……少なくとも、私が知ってる彼女なら」

「……」

 

 それでも。

 

「ハヤテくんが、それでいいと、心の底から思えるなら……このまま別れてしまっても良いのかもしれない。どんな選択をするのも最後は自分次第」

「ヒナギクさん……」

「ただ!」

 

 ビシッとハヤテの鼻の先に指を突きつける。

 

「そう決めたなら、もうスパッと切り替えなさい。そんな顔をナギや歩の前でしちゃダメ。くよくよするなら、せめて一人の時にしなさい、貴方は三千院家の執事なんだから」

「……」

「もし、まだ迷ってるなら」

 

 この先を言うべきか、ヒナギクは一瞬迷う。赤の他人がここまで首を突っ込むことに、やはりまだ抵抗が無いわけではない。だからこれは、自己満足だ。自分自身にそう言い聞かせる。友人の力になりたい、単にそれだけ、それが自分の行動意義だ。

 

「もう一度ちゃんと向き合うべきよ。本当に忘れられたのか、そうじゃないのか。本当に拒絶されたのか……勿論、確かめるのが怖いかもしれないけど、逃げていたら、きっとずっと後悔する」

 

 海風が、二人の間を吹き抜けた。

 茜色に染まる水平線が、まるで彼の背中を押すかのように輝いている。

 ハヤテは拳を強く握りしめ、深く息を吸った。

 

「ありがとう、ヒナギクさん。僕、やっぱり……彼女に会ってきます」

 

 決意を宿した眼差しは、もう迷ってはいなかった。

 ヒナギクは小さく微笑み、短く言葉を添える。

 

「うん。それでいいと思う」

 

 その優しい肯定に、ハヤテは静かに頷いた。

 遠くから彼を呼ぶ声がする。二人が振り返ると、ナギが手を振っているのが見えた。ハヤテはもう一度会釈をすると、彼女の元に駆けていく。その足取りは、先程よりかは幾分か軽いようにみえた。

 

 

「ね?言った通りでしょ」

 

 そんな背中を見送りながら、ヒナギクは後ろの方にそっと声をかける。

 

「流石です、ヒナギク様」

 

 すぐに、石造りの建物の影からひょっこりと顔を覗かせたのは──ヨゾラだった。

 

「まさか、私と先輩が提案した、ハヤテ様を拉致してお嬢様の寝室に放り込むという“最善案”を軽々と超えていくその手腕……惚れ直しました」

「……今朝も言いましたけど、それは最終手段でも使うのを躊躇うレベルの愚策だわ」

 

 愚策中の愚策。

 

「ハヤテ様の拉致には相当な手練れが必須。ヒナギク様の加入は、この作戦の成功率を格段に上がると喜んでいた私達はまだまだ未熟だったようです」

「本当にそんな理由で喜ばれていたのなら心外です」

「あと美人で可愛くて、あと可愛い」

「とって付けたような理由すぎる!」

 

 驚きの薄っぺらさである。

 

「ともかく結果的に、ヒナギク様の圧勝。そして先輩の完敗ですね」

「しれっと自分だけ外してるし……」

 

 小さくため息をつくヒナギクに、ヨゾラは悪びれる様子もなく、むしろ誇らしげに続ける。

 

「ということで、ヒナギク様には勝利の景品として──先輩がどんな願いでも一つ、必ず聞いてくれる券を進呈いたします」

「私は小学生かッ、というかなんでヨゾラさんが勝手に決めてるんですか……」

「私のメイド生命に代えても実現させますので、ご安心ください。どんなお願いでもOKです、敗者に拒否権などありませんので」

 

 謎に気合いを入れるメイドであった。

 

 

 

 ──夜。

 月明かりに照らされたアテネ市の静かな住宅街。その奥にそびえる瀟洒な洋館の前で、ハヤテは立ち止まっていた。

 

 昼間の喧騒もなく、虫の音と木々を揺らす風の音だけが耳に届く。巨大な鉄製の門が目の前に立ちはだかり、その向こうには、灯りのほとんど落とされた屋敷の影。

 

「……ここまで来たのはいいけど」

 

 胸の奥でざわつく鼓動を押さえきれず、ハヤテは小さく息を吐いた。

 拒絶されるかもしれない。もう二度と会うなと言われるかもしれない。

 それでも、確かめなければ進めない──ヒナギクの言葉が、強く彼の背を押していた。

 

 その時だった。

 

 ぎぃ……と、重厚な門が音を立てて、ゆっくりと内側へ開いていく。

 誰かが出てきたわけではない。まるで、最初から彼を迎え入れるつもりだったかのように。

 

「……入れって、ことだよな」

 

 呟いた声は、夜風にかき消された。

 だが自分に言い聞かせるように、ハヤテは一歩、また一歩と足を踏み出すのだった。

 

 

 

 





前言撤回です。週一ペースとしてましたが、ある程度書き溜めてから連投してくスタイルにしようかと思います。コロコロ変わってすみません!
年内にアテネ編完結は変わらぬ目標として頑張ります!
と言うわけで、4話ストックがあるので、明日から4日連続で投稿していこうと思います。よろしくお願いします!

物語の終わり方について

  • エンディングは一つのみが好ましい
  • 各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
  • どうでもいい
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