──夜の屋敷。
人気のない静けさの中、ハヤテは重厚な鉄門をくぐり抜けた。誰に導かれるでもなく、しかし確かに「進め」と告げられているように。
石畳の小道を一歩踏み出すと、すぐに違和感に気づく。
雑然とした庭の中、あまりに自然に置かれた小石。その向こうには、低く灯されたランタンがぽつりと揺れている。
「……これは」
思わず足を止める。
それは偶然に並んだものではなかった。小石は矢印のように配置され、ランタンは進むべき方向だけをほんのりと照らしている。
誰かが──自分を導いている?
振り返っても、人気はない。
けれど、不思議と恐怖はなかった。むしろ、確かな意志を感じる。
まるで「ここを進め」と背を押されているかのように。
ハヤテは強く唇を結び、〝目印〟を辿るように歩みを進めた。
少し離れた物陰から、その姿をじっと見つめる影があった。
──ヨゾラである。
日中のうちに用意していた小さなランタンを、遠隔で道標のようにして灯していく。ハヤテはランタンに沿って歩みを進めてはいるが、何かに導かれるかのように、その足には一縷の迷いもない。初めから進むべき方角がわかっているかのように。
「流石ハヤテ様……わざわざ誘導する必要もなかったですね」
彼女はただ静かに闇に身を隠し、次の道標を仕込むべく、影のように移動していく。
「あとはアテネお嬢様の導くのみ。マキナくん、頼みましたよ」
彼女の声は、夜風にさらわれ、誰の耳にも届かない。
ただその眼差しは鋭く、そして優しげに、運命の再会を見守っていた。
──その頃、屋敷の二階。
読書を終えたアテネは、ベッドに腰掛けて物思いにふけっていた。窓の外から差し込む月明かりが、彼女の横顔を静かに照らしている。
そんな時、勢いよく扉が開いた。
「アテネ!」
呼び捨ての声と共に飛び込んできたのはマキナだ。
「……何かしら」
「散歩だ!アテネと散歩したい!」
まるで子供のように目を輝かせ、ぐっと拳を握りしめる。
アテネは呆れを隠さず、深くため息をついた。
「……あなたね、今が何時だと思ってるの」
「夜だからいいんだって!月も出てるし、風も気持ちいい。最高の散歩タイムだ!」
説得力があるような、全くないような調子。
アテネは一瞬言葉を失い、次いで小さく首を振った。
「まったく……」
呆れ顔のまま立ち上がり、肩をすくめる。
マキナのこういう突拍子もない要求に、結局付き合ってしまう自分に内心で苦笑しながら。
「ほんの少しだけよ」
「やった!」
マキナは満面の笑みを浮かべると、遠慮もなくアテネの手を取った。
彼女は一瞬驚いたものの、すぐに手を振り払うでもなく、ただ諦めたように従う。
(……どうせ、ただの散歩じゃないのでしょうね)
この少年が、ただ思いつきで動いているわけがない。何かしらの意図がある──それくらいは容易に想像できた。
だが、問い詰めることはしない。ただ「散歩」という名目に付き合うだけ。
アテネ自身、その選択は本能に従ったものだった。敢えて流れに身を任せるがごとく、マキナの背に従うのだった。
「……広いな」
──エントランスホールに出たハヤテは、思わず辺りを見回した。無駄に荘厳な柱の数々に囲まれて、巨大な階段が目の前に広がっている。
大理石の床には、月明かりとわずかな灯火が反射して淡く輝いている。
相変わらず、お金持ちというのはどうしてこうも広い家に住みたがるのだろうか。そんな意味のない自問を思い浮かべたとき、僅かに音がした。
視線を向けた先、階段を辿ったその先にある扉が、開かれようとしている。その瞬間──ハヤテの全身に電流が走った。
心臓が一拍、大きく跳ねる。
次の瞬間、背筋をぞくりと這い上がる鳥肌。頭の奥に、旋律のようなものが閃光となって駆け抜けた。
──来る。
まだ何も見えていないのに、そう確信してしまう。
ここで、必ず出会う。逃れることのできない何かが、この場所に収束していく。
言葉にならない確信が、胸の奥で響いていた。
そして──黒いドレスをはためかせ、美しい金色の髪が灯りに艶やかに煌めく。
その姿を目にした瞬間、ハヤテの視界は彼女だけを映した。
雑音が消え、呼吸の音すら遠のく。ただ胸を打ち鳴らす鼓動だけが、自分が生きていることを証明していた。
「……っ!」
アテネの瞳が、確かに彼を認めた。
そして反射的に踵を返す。その背中は、まるで過去を断ち切るかのように冷たく速い。
しかし、その場を縫いとめたのは、彼の声だった。
「アーたん!」
かけがえのない記憶と共に呼んだその名。
アテネの足が止まる。
「……やっぱり。僕のこと、覚えてるよね。アーたん」
絞り出すような問い。
やがて、諦めたようにアテネは小さくため息をつき、ゆっくりと振り返った。
「……もう、その名で呼ぶなと言ったでしょう。ハヤテ」
冷ややかな声音。けれど、その奥にかすかな震えがあった。
アテネはふと横に視線を流す。しかしそこにいたはずのマキナの姿は、もうどこにもなかった。
(……あの子は。最初からそれ目的ってことね)
彼一人でこんな事を思い付くはずもない。黒幕は──分かり切っているが今はそんなことに考えを及ばせている暇もない。
小さく呟き、再び視線をハヤテへ戻す。
そこから始まるのは、十年前からの因縁と、決して避けられない対話。
「……10年ぶりだね」
「そうね」
頬をかきながら、ぎこちなく微笑むハヤテに務めて冷静に返すアテネ。
「白皇の理事長になってた事も驚いたけど……その、すごく綺麗になっててびっくりしたよ」
アテネは腰に手を当ててジッと目を細める。
「ハヤテ、貴方もしかして出会う女の子皆にそんな風に口説いて回っているの?」
「ち、ちが!」
大袈裟に首を振って一歩、彼女の前に足を踏み出す。
「女の子を養う甲斐性もないから……まだ、彼女だっていないよ」
「……そう」
アテネは小さく息をつくと、一歩だけ階段を降りて彼の方に近づく。
「苦労、したみたいね。あれから」
「そうだね」
ハヤテは俯いて両手を強く握る。
言うまでもない。アテネと別れてから10年──
「結局、あの時正しかったのは君で、間違っていたのは僕だ。あの後、僕は両親に捨てられた。いや、捨てられたどころか」
1億5000万円の借金を肩代わりさせられ、売り飛ばされた。
「でも、もう大丈夫なんだ!もうどうしようもなかった、去年のクリスマスイブの日にその借金を肩代わりしてくれた人がいたんだ!」
ハヤテは満面の笑みで両手を広げる。
「三千院ナギお嬢様。今の僕のご主人様、今僕、彼女の下で執事をやっているんだよ!」
アーたんに教えてもらった執事を。
──ズキッ。
屈託のないその笑顔が、彼女の胸をささくれ立てる。
「……今の生活は、楽しい?」
「もちろん!」
強く首を縦に振る。
嘘偽りのない笑顔で。
「君と別れた10年間は本当に辛くて、苦しくて……何度も死にそうになったし、死にたくなったけど」
そんな辛さなど、今は微塵もないような笑顔で。
「ナギお嬢様に助けていただいたお陰で、今はとっても幸せだよ。全部ナギお嬢様のおかげで」
彼の「幸せ」という言葉が響いた瞬間──アテネの胸の奥で、何かが大きく軋んだ。幸福を願いながら、その「幸せ」が自分以外の誰かによってもたらされた事実が、胸を鋭く抉る。
彼に幸せをもたらしたのはナギお嬢様。
彼の笑顔を取り戻したのはナギお嬢様。
ゼンブ、ナギオジョウサマノオカゲ──
「っ……」
耐えきれず胸を押さえる。焼け付くような痛み。心臓を爪でえぐられるような鈍痛。
顔を歪めながらも、必死に立ち続ける。だが瞳の奥で、金色が滲むように濁り始めた。
かすかに漏れた声は、震えていた。
アテネが胸を押さえてうずくまり、苦悶の表情を浮かべた。
「アーたん!?」
慌てて駆け寄ろうとしたハヤテの足を、彼女のか細い声が鋭く拒む。
「来るな!」
その言葉と同時に、空気が異様に揺らぐ。
アテネの金色の瞳が、黒い影に飲み込まれるように二重に瞬く。
「私は貴方を幸せにしてあげることができないから……今も昔も、貴方を救ってあげることはできないから。不幸にしかさせないから」
絞り出すような声。今にも消え入りそうなか細い声なのに、やけにはっきりと耳へと響く。
「そ、そんなことないよ!だって、アーたんはあの時助けてくれた!僕が絶望して死んでしまおうとしてた時も、一人で生きていけるように助けてくれた!そして──」
ようやく……王玉を取り戻せる
「え?」
次の瞬間、エントランスホール全体が唸りを上げた。
虚空から現れた剣の群れは、ただ漂うのではない。意思を持つ獣のように、空を切り裂いて襲いかかってきた。
「──っ!」
背後から迫る気配に、ハヤテは思わず身を投げ出す。直後、背後を薙いだ刃が彼のシャツの端を裂き、布が宙を舞った。
床に転がりながら見上げると、刃が乱舞していた。銀色の閃光が幾重にも交差し、軌跡が稲妻のように瞬く。
「アーたん!?一体何を──ッ」
必死に体を捻り、転がり、息を荒げながら次々と迫る剣を避ける。だが一振りだけは、逃すまいとするかのように彼の胸元へ真っ直ぐ迫った。
咄嗟に手を伸ばし、握り締める。
鋼の冷たさが掌を切り裂き、赤い血が滴る。それでも、掴んだ剣をそのまま振り抜き、迫る刃を必死に薙ぎ払った。
「悪くない反応だ……が、その程度でその〝石〟を守り切れるかどうか」
「アーたん…… って、なんのこと!?」
荒い息の中、問いを投げるハヤテ。
「お前の身につけている、その石──王玉だ」
アテネの声が、深い影のように響いた。
ハヤテは視線を落とす。
首にかけられたネックレス。そこに輝くのは──王玉。
「これが……」
その事実を悟った瞬間、さらに剣の群れが彼を襲う。
迫る刃を必死に振り払いながら、ハヤテは声を張り上げた。
「やめてよ、アーたん!どうして!?僕のことを……覚えてないの!?」
必死の訴えに、アテネの瞳が揺れる。
けれどその唇は、不気味に歪んだ笑みを形づくる。
「覚えているさ……」
囁くようなその言葉と同時に、アテネの背後に影が立ち上った。
重苦しい闇から現れたのは、骨で構成された巨大な手。節くれだった指がゆっくりと開かれ、空間を歪ませるほどの圧を放つ。
「あの時、殺しそびれた執事だ 」
ぞっとするような冷笑と共に、骨の手が一気に振り下ろされた。
床を割り、壁を抉り、押し潰さんと迫る。
「うわあああっ!」
間一髪で跳び退るも、その衝撃に成す術なく吹き飛ばされ、地面に叩きつけられる。
「あ、アーたん……」
「渡しはしない……石も、力も。お前らなどに」
尻餅を付いたハヤテの頭上に、その巨大な手が振り上げられる。逃げ場はない。呆然と、その化け物を見上げることしかできない。
「城の全ては、私のものだ……ッ」
しかし、容赦なく。その巨腕はハヤテごと押し潰した──
「……」
爆発のような衝撃波が巻き起こり、視界は白い煙に覆われた。
瓦礫が飛び散り、轟音が響き渡る。
煙の向こうに、アテネは細めた瞳を向ける。
「……今日はやけにお客様が多いわね」
ゆらりと影が二つ、煙の中から浮かび上がった。
「夜中に人の家に忍び込んで、一体なんのつもりかしら?」
アテネの低い問いかけに、その影の一つ──鷺ノ宮伊澄は、御札を構えたまま、すっと目を細める。
「チャイムは鳴らしました。お気づきにならなかったようですが」
アテネもまた、すっと目を細めて睨み返す。
「……名前くらい聞いておいてあげようかしら」
「名乗るほどのものではありません。単なる通りすがりの」
伊澄の言葉に続くように、もう一人──桂ヒナギクは木刀を構えたまま、ふっと微笑してみせた。
「正義の味方、かしら」
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい