アテネで過ごす最後の朝が訪れた。
広々としたナギの別荘のリビングには、朝の光が差し込み、白い壁と大理石の床を柔らかに照らしている。観光最終日ということもあって、皆の表情にはどこか名残惜しさが漂っていた。
「明日帰国かー、寂しいなぁ」
歩がソファに腰を下ろしながら大きく伸びをする。
「まぁ良いではないか。寂しいということは、充実していた証拠だろ?」
「まーそうなんだけどさー」
ナギの言葉は最もだが、それでも終わってしまうことへ寂しさはやはり強い。楽しければ楽しいほどに。歩が肩を落とすのと同時に、三人娘が勢いよく立ち上がる。
「安心したまえ!」
「皆の衆!」
「最終日はド派手に行くぜい!」
息の合った掛け声に、リビングの空気は一気に賑やかになる。
「ちょっと、朝からうるさいわよ」
ヒナギクが呆れ声をあげるが、三人娘は聞く耳を持たず、すでに財布を取り出していた。
「街でお土産買いまくりツアーだー!」
「金を使ってこその最終日だろ!」
「財布のひもを緩める準備はできている!」
やんややんやと騒がしい三人娘に、ヒナギクが額を押さえてため息をつく。そんな一行を見まわし、マリアは優しく微笑んで両手を合わせる。
「ふふ、では皆さんでお出かけしましょうか」
「ふむ、まぁそうだな」
ナギはふと、奥にいるハヤテを横目に見る。喧騒の中、一人だけ浮かない表情のまま。一昨日からずっとそんな調子だが、今朝は特に思い詰めたような雰囲気だ。
だが、敢えて声はかけずに立ち上がるにとどめた。
「では、荷物持ちはお任せください」
「あら、頼もしい」
控えていたアイルがそう言って恭しくお辞儀をすると、マリアは可笑しそうにクスクスと笑う。
「そういえば、エドモンドは執事服なんだな」
「最終日は皆様に最大限楽しんで貰おうと、サポートに徹しようと思いまして」
「ふっ、その心意気やよし!それでこそ三千院家の執事(臨時)!」
と言うわけで、一同はアテネ市街の買い物ツアーに繰り出すことに。
「ま、後半はもっと凄いけどな」
「え?」
美希の呟きもそこそこに、いざお買い物へ──
石畳の広がるアテネの大通りは、朝から観光客と地元客で賑わっていた。白壁に映えるカラフルな看板、並んだショップのショーウィンドウには宝飾や服飾品がぎっしり並んでいる。
「買い物ならこの前も楽しんだじゃない。いくら海外だからって、何回も買い物ばかりする?」
ヒナギクが腕を組み、不思議そうに眉を寄せる。
「はぁ……分かってないなヒナは」
「ほんと、どこまでもお子様なんだから」
やれやれ、全くどこまでも小学生男子の思考なんだから。
とため息をつく美希たちに思わずむっとする生徒会長。
「海外には日本にないデザインが盛りだくさん!一期一会の出会いも盛り上がり!」
「ブランドも、ここでしか買えない物だって山ほどあるんだよ!」
三人娘は勢いよく言葉を重ねる。
「でも、今時オンラインで買えば──」
「しゃーらっぷ!」
三人娘が声を揃え、最後は理沙と美希が両手を広げて高らかに宣言する。
「なにより、無駄遣いは楽しいに決まってるのだー!」
その勢いのまま、三人は片っ端から路面店に飛び込んでいった。
「ふふ、皆さん楽しそうですね」
マリアは微笑ましそうに見守り、隣のアイルも優しく笑む。
「まぁそりゃ、金を湯水のように使うのは楽しいからなぁ」
ナギはやれやれと肩を竦めつつ続く。
ひとしきり買い物を続けていると、歩が何やら駆けてきた。
「買い物ってやっぱテンション上がるんじゃないかな!」
言いながら、彼女はどこで見つけたのか、妙に奇抜な形のサングラスをかけてポーズを取っていた。
「ちょ、ちょっと歩。どこで買ったのよそのサングラス……」
ヒナギクが思わず声を上げる。
「さっき寄ったお店にあってさ! カッコよすぎてつい買っちゃった! こんなデザイン日本にはないでしょ? それに日本じゃそもそもサングラスかける機会あんまりないし!」
無邪気に胸を張る歩は、まるで子供のように弾んでいた。そんな様子にヒナギクは何とも言えない表情で頬を掻く。
「私の知り合いに、中国に行ったときテンション上がってチャイナドレスをフルオーダーした人がいたけど、日本に帰って一度も着る機会なくて後悔してたわよ」
「ノンノン!」
歩は指を立てて、堂々と言い放った。
「確かに買い物で失敗も後悔もあるかもしれない。でも──後悔っていうのは、決して前にはできないのです!」
周囲は一瞬しんと静まった。
(名言っぽいけど、普通のことしか言ってない……!)
ヒナギクもナギも、三人娘も同時に微妙な表情になる。
だがその言葉は、ハヤテの胸に真っ直ぐ響いていた。
──後悔は、前にはできない。
それは当たり前の言葉だった。けれど、胸の奥に突き刺さったその響きは、どうしようもなく彼の心を揺らしていた。
天王州アテネ。
あの人を救えるかもしれない最後の機会。
そして、それを決断するのは自分。
手の中の石の重みが、今になって一層はっきりと感じられる。小さな石でありながら、背負っているのは世界と彼女の運命そのものだ。
周囲は笑い声と店先の呼び込みで溢れていた。だがハヤテには、その喧噪が遠く霞んで聞こえる。ふと顔を上げると、控えて立っていたアイルの姿が目に入った。人混みにも揺るがぬ背筋のまま、落ち着いた眼差しで一行を見守っている。
──この人には、話を通さなければならない。
胸の奥に押し込めてきた迷いも、決意も、真正面から打ち明けるべき相手。
ハヤテはそっとアイルに歩み寄り、声を低く落とす。
「……アイルさん」
呼ばれた青年が振り返り、静かに目を細めた。その一瞬の間に、ハヤテの表情を見ただけで察しているような気配があった。
「少し、二人だけでお話しできませんか」
言葉は掠れるように弱かったが、瞳には迷いを振り切ろうとする強さがあった。
アイルは柔らかく、しかし真剣な声で応じる。
「ええ、もちろん」
その返事に安堵しながら、ハヤテは一歩を踏み出す。
笑い声の絶えない仲間たちの輪から離れ、二人は静かな裏路地へと消えていった。
日中にも関わらず、影が落ちた静かな路地は少しだけ肌寒いような心持ちがした。それは緊張のためか、それとも──ふと前を歩くアイルは立ち止まり、振り返る。
彼は静かに吐息をこぼし、視線を空へと投げた。その横顔はどこか影を帯び、月光が浮かび上がらせる輪郭すら、重苦しい沈黙の中では冷たく見えた。
「まずは、謝罪を」
低く落ち着いた声が、暗がりの空気を震わせる。
「私はアテネお嬢様の執事でありながら、そのことを貴方に伏せ続けていました。何より、ここまで彼女を追い詰める事態を、止めることも出来なかった……これでは、執事失格だ」
それは、淡々とした口調で──しかし、その目は真っ直ぐにハヤテに向けられていた。
「……」
ハヤテは、すぐには言葉を返せなかった。唇を開きかけては閉じ、胸の奥に渦巻くものを吐き出すのを躊躇う。しかし、それでも絞り出すように口を開いた。
「違います。全部……僕のせいなんです」
その言葉は震え、しかし断ち切れぬ後悔を確かな形にする。
「十年前、僕が裏切ったせいで、アーたんは、あんな風に……」
声は掠れ、次第に言葉が途切れていく。
視線は足元に落ち、拳は膝の上で白く握りしめられていた。
けれど。
互いに自分を責め続けながらも、二人とも理解していた。今は罪を量る時ではない。誰が悪かったのか、どこで歯車が狂ったのか。そんな答えを探したところで、彼女が救われるわけではない。
沈黙の中に、同じ想いが流れていた。“いま必要なのは、後悔の分け合いではなく──ただ救うための手を伸ばすこと”
やがて、ハヤテは静かに目を伏せ、そして再びアイルを見据える。
その眼差しには、さきほどまでの悔恨の色はなく、ただ冷たく透き通った決意だけが宿っていた。
「……実は」
低く搾り出す声に、アイルが静かに目を向ける。
「伊澄さんから、二つの方法があると聞きました。石を渡すか、壊すか。それしかないって」
言いながら胸が痛んだ。思い出のすべてが詰まった石。アテネと過ごした日々の象徴でもある。だが、それをどう扱うかによってアテネの運命が決まる。いや、それだけではない。世界の行方すら左右される。
「渡せば……アーたんは助かるかもしれない。でもその代わりに、あの英霊は完全な力を取り戻す。僕たちにソレを止めることが出来るか──いや、人に止める事は不可能と、伊澄さんは言った。でも──」
アイルは軽く首を振る。
「壊せば、英霊を退けられるかもしれない。でも、暴走してお嬢様ごと巻き込む可能性だってある」
「……知っていたんですか?」
「ええ、とある有識者から」
路地の奥、冷たい石畳の上に立つ二人。アイルは一歩前に出て、正面からハヤテを見据えた。
「綾崎くん」
その声は穏やかでありながら。
その視線は優しげでありながら。
「どちらを選ぶのか。決められるのは、貴方だけです」
その言葉は、残酷だ。
ハヤテは拳を握り、視線を落とした。心臓を掴まれるような苦しさに息が詰まる。だが、視線を落とすだけで終わらせるわけにはいかない。
石畳の上に立つ二人。路地の冷たさよりも、胸を締め付ける葛藤の方が苦しかった。ハヤテは声を押し出すように、アイルへ問いかけた。
「……もし、石を渡して、アーたんが世界の敵になってしまったら、どうしますか」
その言葉は恐怖の告白でもあり、自分自身に突きつける刃でもあった。
アイルは目を細め、一瞬だけ考える素振りを見せたが、答えは驚くほど即答だった。
「その時は――私も世界の敵になるだけです」
静かで、迷いのない声。ハヤテの瞳が大きく揺れる。思わず息を呑んだ。
「私は執事ですから。最終的に、お嬢様が歩むと決めた道を共に歩む。それがたとえ全人類を敵に回すことになっても、変わりません」
アイルの口調は淡々としていたが、冷たさはなく、揺るぎない覚悟があった。
「ですから、その時は……私ごと消し去ってください」
ハヤテの胸に突き刺さる。そんな選択は許されない。アーたんを世界の敵にするなんて。だけど、もし本当にそうなってしまったら――。
そんな彼の迷いを汲んでか「ですが」とアイルは付け加える。
「渡すにせよ、壊すにせよ。どちらを選んでも、貴方が選ぶなら正しい。私はそう思います」
「……え?」
「未来を決めるのは確率でも、他人の声でもない。──自分がどう在りたいか。それに従った選択は、必ず正しい」
そして、それはきっと。
「お嬢様も、そう思ってくれているはずです」
静かで力強い響きに、ハヤテは息を呑んだ。逃げられない責任。しかし、背負うべきだと背中を押されている。
ハヤテは、しばし黙って胸に手を当てる。
小さな石の温もりを確かめながら、目を閉じ──そして静かに開いたときには、迷いを振り切った光が宿っていた。
「……分かりました」
アイルは無言で見つめ、やがて微かに口元を緩めた。その眼差しに宿る信頼と覚悟に、ハヤテは深く頭を下げる。
「ありがとうございます、アイルさん」
互いにもう言葉は要らなかった。薄暗い路地裏の冷たい空気の中、二人の間に確かな絆と、迫りくる決戦への決意が刻まれていた。
路地から姿を現したハヤテとアイル。賑やかな買い物の輪に戻ると、真っ先に声をかけてきたのはナギだった。
「おいエドモンドー!ハムスターたちが爆買いして荷物持ちが足らんみたいだぞー」
呆れ半分、諦め半分の声色。アイルは小さく苦笑すると、すっと前に出て皆の荷物を受け取っていく。
「いやー、これぞ最終日の醍醐味でしょ!」と三人娘は口々に笑い、紙袋をアイルの腕に積み上げる。
その様子を見ながら、ヒナギクはふと二人──アイルとハヤテの顔をちらりと盗み見た。なにかがあったと、直感的に察していた。けれど踏み込むべきではない。
「ちょっと、買いすぎよアナタたち!」
たしなめる口調ではあるものの、笑みを含んだ声音に三人娘も「へーい」と軽口を返す。
マリアは相変わらず微笑を浮かべたまま、控えめに皆を見守っていた。
穏やかな空気の中、ハヤテは少し後ろで足を止め、胸元のポケットに忍ばせた石をぎゅっと握りしめる。その指先に込められた力だけが、彼の心の中に渦巻く決意を物語っていた。
何度目か、ナギはふと、そんな彼の横顔に目をやった。何かを抱えているのだと分かっていても、問いただすことはしない。ただ一瞬、じっと見据え、やがていつも通りの調子で肩を竦める。
「──ったく、最終日にしてやることが多すぎるぞ」
そう言って先頭を歩き出すナギ。
一行は再び賑やかな笑いに包まれながら、石畳の大通りを進んでいった。
少し書き溜めたので、また連投していきます。
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい