――この十年。
私はずっと、後悔し続けてきた。
どうして、あの時あんな別れ方しかできなかったのか。
どうして、誰より大切だった人を、守るどころか傷つけてしまったのか。
どうして、自分の弱さを押しつけることでしか向き合えなかったのか。
与えられるばかりで、返せるものなど何ひとつ持たなかった。
必要としてくれた手を、私は自分の恐れひとつで振り払ってしまった。
自分では果たせなかった“幸せ”を、他の誰かがあの人に与えてくれたと知った時──胸が痛むほど嬉しくて、そして痛いほど苦しかった。
だから、遠くから見守ることだけを選んだ。
もう一度、同じ過ちを繰り返したくなかった。
今さら触れる資格なんて、自分にはないと思っていた。
それでも──
消えゆく意識の底で、どうしても掴みたかった光があった。
あの頃の私には、怖くて触れられなかった光。
押し殺していたはずの想いが、ぼんやりした闇の中から浮かび上がってくる。胸の奥で、ずっと呼ばれていたような気がした。
――ハヤテ。
呼んだのか、呼ばれたのか、それすら曖昧なまま。
視界に光が差し込んだ。
瓦礫と土埃の向こうから届くぬくもりに導かれるように、ゆっくりと、瞼を開く。
「……ハヤ、テ……?」
最初に見えたのは、瓦礫の中に立つ少年。
全身傷だらけで、息も荒いのに。
それでも――満面の笑顔だった。
なぜそんな顔ができるのか、わからない。
崩れかけた天井から差す光を受けて、その笑顔だけが妙に鮮烈で、胸の奥深くを突き刺す。
ただ胸に刺さり、呼吸が震える。
「アーたん!!」
ハヤテが手を伸ばす。
迷いなく、真っ直ぐに。
その伸ばされた手が、十年前からずっと止まっていた心の時間を、再び動かそうとしているように見えた。
アテネも思わず手を伸ばした。
触れられる距離まで近づいて──
しかし、震え、止まってしまう。
触れれば、また傷つけるかもしれない。
壊してしまうかもしれない。
そんな恐れが胸を締めつけた。
十年分の後悔が、一瞬で蘇って喉を塞いだ。
「私は……」
言葉にならない声が漏れた瞬間。
英霊が咆哮を上げ、黒い腕を振り上げる。
忌々しい邪魔者を、ハヤテを引き剥がすために、殺意のみを込めて潰しにかかる。
地鳴りのような風圧が吹き抜け、瓦礫が跳ねる。
しかし――。
伊澄の術式が爆ぜ、青白い光が巨腕を押し返した。
彼女の周囲に護符が舞い、破れた障壁のように光をつないでいく。
尚も彼女は更に護符を連続で放ちながら、声を張り上げる。
「ハヤテ様の手を掴んでください!理事長さん!」
「鷺ノ宮さん……」
反対側から、もう一本の腕が迫る。
瓦礫を砕いて伸びてくるその腕は、さっきよりも荒々しく、焦りのようなものすら滲ませていた。
「いい加減に──ッ」
今度は飛び上がったヒナギクが木刀を振り抜き、その腕を弾き返した。
乾いた衝撃音とともに英霊の巨腕は揺らぎ、呻きとともに地面に投げ出された。
英霊に先程までの力はなく、衰弱した怒りがかすかに震えるだけだった。
「アテネさん!!皆を……ハヤテくんを信じて!!」
「ヒナ……」
そして、視線の先。
全身切り刻まれ、横たわるアイルの姿。
言葉などない。表情など見えるはずもない。
ただ、彼の瞳は彼女を後押しするように、静かに光を帯びたような気がした。
そして、もう一度だけハヤテを見る。
少年は傷だらけなのに、変わらず笑っていた。
痛みも恐怖も隠しきれないはずなのに、それでも迷わず、手を伸ばし続けていた。
その笑顔に、視界が涙で滲む。
「ハヤ、テ……!」
迷いも、恐れも消えた。
アテネは涙をこぼして、真っ直ぐハヤテへ飛び込んだ。
「ハヤテ!!」
アテネがハヤテの胸に飛び込んだ瞬間、世界は白い光に満たされた。
砕け散るように――けれど限りなく柔らかく。
まるで長い悪夢を洗い流すような、優しい光だった。
英霊を縛っていた黒い呪いは光の粒となって宙へ溶け、
二人の周囲に祝福のように舞い降りてくる。
その光は冷たいはずなのに、頬に触れる度に不思議な温もりを残していった。
ハヤテは震える腕でアテネを抱きしめ、胸に顔を押しつけながら、途切れ途切れの声を漏らす。
少年の指先は震え、息は掠れているのに、抱き寄せる力だけは確かだった。
「ごめん……アーたん。守れなくて、ごめん……本当に……ごめんね」
その言葉は、十年前の断絶を埋めるように
胸の奥底へ静かに沈んでいく。
自分のせいで傷つく姿を見たくなかったはずなのに、
こんなにも近くで涙を零されると、心が熱く締め付けられた。
アテネは小さく首を振り、頬を濡らしながら囁き返す。
「ううん……いいの。もう、いいの。
私の方こそ……本当にごめんなさい」
赦すことは簡単ではない。忘れることもできない。
それでも二人は、互いの痛みを抱えたまま腕を回し合い、
確かめるように体温を寄せ合った。
心の奥にあった後悔や未練が、光の粒にすくわれていくようだった。
白い光に照らされた二人は、まるで物語の一幕のように静かで美しかった。
その光景を、少し離れた場所で伊澄とヒナギクが見つめている。
張りつめていた緊張が解けたように、二人の表情には安堵と達成感が滲んでいた。
伊澄は護符を握りしめたまま肩で息をし、
ヒナギクは木刀を下ろしながら、ほっとしたように一度目を閉じる。
壁にもたれ崩れ落ちたアイルもまた、
四肢を投げ出しながらも、ゆっくりと顔を上げた。
白い光の中で抱き合う二人を見つめ、安堵の息をついた。
握りしめた彼の手には、砕け散ったペンダント――
芽と歯車の紋章が刻まれた碧石の破片が静かに光を返していた。
その欠片は、まるで役目を終えた証のように微かに温かかった。
(アリアドネの糸、か……)
薄れゆく意識の中に、ふと先程の光景が蘇る。
───
ヨゾラが救急隊に運ばれ、ローターが砂埃を巻き上げる中。
混乱と緊張の余韻がまだ辺りに残っているその瞬間、
ヘリに乗り込もうとしていた姫神が、ふとこちらへ振り返った。
黒い仮面は光を反射して表情を読ませない。
けれど、その奥の視線だけは、確かにアイルを射抜いていた。
まるで“今だけは本当の言葉を告げる”とでもいうように。
「もし、事態がどうしようもなく絶望的で、すべてを諦めそうになったら」
周囲の喧騒が遠ざかり、その声だけが鮮明に耳へ落ちてきた。
ざわめく風さえ、一瞬だけ動きを止めたように感じられた。
姫神の視線は、アイルの胸元へとわずかに降りる。
「その碧石を使うといい」
アイルは僅かに目を見開く。
掌に収まるはずの小さなペンダント――だが今は、まるで別の意味を持つ“鍵”のように感じられた。
胸元へ手をやり、革紐を手繰り寄せる。
芽と歯車の紋章が刻まれた碧石が、小さく光を返した。
「……どうして、これを」
問いかけは、風に紛れるほどの弱い声だった。
本来なら答える必要などないはず。
けれどその一瞬、仮面の奥で口元がわずかに動いた気がした。
答えの代わりに返ってきたのは、謎めいた静かな響きだけ。
「保証はできない。でも、道標になるかもしれない。テセウスを助けた、アリアドネの糸のように」
「姫神さん。貴方は一体……」
アイルの問いを受け止める素振りもなく、姫神は踵を返しヘリへ乗り込む。しかし機体が浮き上がる直前、もう一度だけ、仮面の向きだけがこちらを向いた。
「世界平和を願う、正義の味方だよ」
───
(アイツ、最初からこれが目的だったな……)
まんまと一杯食わされた。
そう心の中で呟きながらも、アイルの口元は疲労に滲む顔のまま、わずかに緩んだ。
倒れ伏した身体は鉛のように重いのに、胸の内側だけが、淡い熱を帯びていた。
一方。抱き合ったままの二人を包んでいた輝きが消えるにつれ、騒然としていた空間に、温かな現実の気配が戻ってきた。
さっきまでの非現実的な光景が夢だったかのように、瓦礫の匂いと微かな土埃のざらつきが肌に戻ってくる。
アテネは胸元に感じる熱と鼓動に、ようやく意識を向けた。
涙と光の余韻のせいで気づかなかったが、腕の中の少年の身体は、自分が想像していた以上に傷ついていた。
「……っ、ちょっと待って。ハヤテ、あなたその怪我」
裂けた制服。にじむ血。その現実が一気に胸へ押し寄せ、アテネの瞳が不安に揺れた。
「わ、私のせいでこんなことに」
「大丈夫だよアーたん!だいたい次のコマで何事もなくなってるから!」
「それはそれで大丈夫じゃない気がするのだけれど……」
頼もしいのか無茶なのか分からないサムズアップ。
アテネは思わず息をのんだあと、呆れと安堵が入り混じった息を吐く。
しかしすぐに、彼女は周囲へ目を向ける。
「ヒナ、それに鷺ノ宮さん。あなたたちも怪我が」
二人は息を乱しながらも、まだ気丈に立っていた。
ヒナギクは軽く土埃を払いながら、木刀を肩に担いでみせる。
その立ち姿は、先ほどまでの戦闘の余韻さえ感じさせるほど凛としていた。
「へーきよ。これくらい、なんて事ないわ」
「私も問題ありません、かすり傷です。ですが──」
伊澄の視線の先を辿り、三人は同時に息を呑む。
崩れた壁にもたれ、四肢を投げ出すように崩れているアイルの姿。
瓦礫の影に紛れていたせいで、誰も気づかなかったのだ。
薄暗い光に照らされたその横顔は血の気が引き、胸元の呼吸もわずかで、見るだけで痛ましいほどだった。
一斉に駆け寄るが、その瞳は閉じられたまま反応がない。
「アイル!?大丈夫、私の声が聞こえる!?」
返事はない。アテネの手が震えながら伸びる。
「あぁ、なんて事……脈がないわ」
「落ち着いてアーたん!そっち手の甲側だから!脈逆!」
「そ、そうね……まずは落ち着かないと、落ち着いてタイムマシンを探しましょう」
「混乱してる!?アテネさん貴方混乱してるわ!」
「で、でもこのままじゃ死んでしまう」
アテネの声が震えかけ、その場の空気が張り詰めた瞬間。
「……勝手に殺さんでください」
かすれた声が返った。その一言だけで、場にいた全員の身体から一斉に力が抜ける。
死んではいない――その事実が、瓦礫の山より重かった恐怖を溶かしていく。
「大丈夫?今どんな感じ?結構まずそうな感じはしてるけど」
「えぇ……割と、血が……足りない」
声は弱々しいが、確かに“生きている”。しかし、意識すら朦朧としているのが現状だ。
「ご安心くださいアイル様。こんな事もあろうかと、鷺ノ宮家特製のブルーベリージュースを持ってきましたので、まずは鉄分補給を」
「いやそれより病院でしょっ!」
──ええっと、この場合の救急番号は。
ヒナギクが携帯を取り出し、救急連絡へ連絡をしようとした――その時だった。
上空から、巨大な影と轟音が迫る。
プロペラが空気を切り裂く鋭い音。天井の抜けたホールの上空を旋回しながら、ヘリが今まさに降りてくるところだった。
「……え?」
見上げる一行の顔に、驚愕が一斉に走る。そのまま瓦礫を押しのけるようにして、機体は内部へと着陸した。
唖然とする彼らを置き去りに、ヘリのタラップから次々と救急隊員が駆け降りてくる。
さらに、その後ろから――。
「やぁ、皆さん。辛うじて事なきを得たようで、まずは何より」
腰まで伸びたブロンドの髪、紺碧の瞳を持つ長身の女性──セレネが姿を現した。
舞い上がる土埃の中でも、彼女の気配だけは凛としていた。
アテネは思わず息を呑み、ハヤテとヒナギクは思わず顔を見合わせる。
つい先日メテオラで出会ったばかりの女性が、なぜこの場に――そんな疑問が胸をよぎったが、彼女の足取りは迷いがなく、すでに状況を把握しているようだった。
「何故私がここにという疑問は尽きないと思うが、その疑問を解消するよりもまず」
セレネは壁にもたれかかる執事へと視線を向ける。その瞳は冷静でありながら、どこかに確かな善意が宿っていた。
「彼を一刻も早く搬送しよう。状態が悪すぎる」
セレネが一歩踏み出した瞬間、アテネの身体は反射的に彼女の前へと動いていた。
「……セレネさん」
名を呼ぶ声には、動揺と不信と、それでも相手を拒絶しきれない微かな戸惑いが混ざっている。
セレネは立ち止まり、両手を軽く広げて敵意がないことを示した。
その所作は落ち着き払っていて、それでいて、人を安心させる不思議な気配があった。
「心配はいらない。私の家が経営する医療機関だから、大概のことは融通が効くよ」
静かで澄んだ声。土埃が舞う中でも、彼女だけは違う空気を纏っているようだった。
「勿論、君の執事を奪ったりもしないさ」
「そんな心配は微塵もしていませんが……」
アテネは返す言葉に少し詰まりながらも、視線だけは彼女から逸らさない。
「それに、今回の事も貸しだなんて思わなくても良い。これは純粋な人助けの精神だから」
セレネは優しく微笑んだ。その微笑みに嘘が混ざっていないのは、それほど長い付き合いではないはずなのに、アテネにははっきりと分かった。
アテネは執事を振り返る。壁にもたれ、呼吸すら浅い。
胸元の上下はわずかで、肌の血色は薄く、今にも意識が途切れそうだ。彼の状態がまずいのは誰の目にも明白。とすればらここで迷う理由は無いに等しい。
アテネは静かに頷き、道を開ける。
救急隊員たちはその隙を逃さず駆け寄り、アイルの身体を手際よく担架へ移す。その動きは無駄がなく、まるでこの現場の混乱すら計算に入っていたかのような鮮やかさだった。
「彼だけじゃない、君たちも傷だらけだ。一緒に病院へ」
「い、いや!僕たちはもうすぐ帰国なので、治療は──」
ハヤテの言葉を、さらりと割り込む関西弁がかき消した。
「心配あらへんよ。ナギたちにはウチが上手く説明しとくさかい」
聞き覚えのある声音。振り向けば、ヘリのタラップを軽やかに降りてくる咲夜の姿があった。驚くほど“いつも通り”なその声色は、不思議と場の空気を一気に和らげてくれるような気さえする。
「咲夜さん?何故ここに?」
混乱しながら問うハヤテに、咲夜は肩をすくめ、どこか大人びた含み笑いを浮かべる。
「実はそこのセレネさんの医療機関は、愛沢家も提携しとるんや。だから、他んことは安心してウチらに任せたらええ」
確かに今の彼らは満身創痍で、とてもこのまま帰国だの、無理を押して歩くだのという状態ではない。
ハヤテたちは顔を見合わせるが、やがて深く頷き合う。
土埃がまだ舞い続けているはずなのに、どこか、吹き抜けていく風だけが少し暖かかった。
明日で一旦連投ストップします。
アテネ編も残すところあともう少し。一番の山場はやはり原作同様、ハヤテとアテネのシーンでしょうか。そこに至るまでの展開は原作とは全く違いますが、どうかお付き合いいただけますと幸いです。よろしくお願い致します!
物語の終わり方について
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エンディングは一つのみが好ましい
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各ヒロインのルート分岐などがあっても良い
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どうでもいい