比企谷の判断によりユニットを組まされた川崎沙希と三浦優美子が、険悪な雰囲気で睨み合っている。
「ね、ねえ、はっちん?……。あれ大丈夫なの?……」
三峰結華――ユニット『L'Antica(アンティーカ)』のメンバーの彼女――が、比企谷の肩を揺らしながら、縋り付くように尋ねた。
「ああ、ありゃ縄張り争いってやつです。いつもの事だから気にしないでください、俺も気にしないんで。ていうか怖いから関わりたくない」
涼しい顔をしつつ、ダラダラと冷や汗をかく比企谷。
「いやいやいや、あれはっちんが組ませたんだから、はっちんが何とかしなよ!」
「大丈夫、大丈夫。あれレッスン後の意見交換してるだけなんで、ただ白熱してるだけなんで。横槍淹れると怖いんでほっときましょう」
「今さっき縄張り争いとか言ってなかった?」
目を背けるように比企谷は、彼女らとは反対側にチェアを向けた。そうして放置している内に、
「川崎さんさあ、アンタさあ、もうちょっと言い方ってもんないわけ?」
と、三浦優美子は、厳めしい眼差しで、川崎沙希を面責した。『獄炎の女王』の二つ名に違わぬ剣幕に、大抵の者は尻込みし畏敬の念を抱く一方、その力強さには思わず跪く者も居ることだろう。
「は? 忌憚のない意見言えなきゃ改善しよう無いじゃん。遊びでやってんじゃないでしょ」
それに負けじと川崎沙希は、鋭い眼で正面から迎え撃つ。いつもは冷たく流麗な彼女も、ひとたび激すれば、何もかもを薙ぎ倒して前に出る荒々しさを垣間見せる。近寄りがたくも、その頼もしさには憧憬を禁じ得ない。
「仮にもユニットメンバーに、角の立たない意見とか言えないわけ? もうちょい人との話し方練習した方がいいんじゃない?」
「はあ?」
「ああ?」
彼女らの険悪さはいや増しになっていくのである。
そんな彼女らを傍から見ていて、
「綺麗で可憐なあの二人がいがみ合っているのは、見ていて心が痛むよ。これ以上エスカレートする前に止めなければ」
俄然と名乗りを上げたのは、同じくアンティーカの白瀬咲耶という長身の少女であった。
「じゃお願いします」
咲耶の方を見ずに比企谷は流すように言った。
意気揚々と歩いていく彼女の後姿は、実に頼もしい。元モデルなだけあって、堂々としたその歩みは勇ましい。
「やあ、二人とも。意見交換というなら、ご一緒にお茶にお菓子は如何かな。甘い物を食べながらの話し合いも、また別の意見が出ると思うんだ」
宝塚の男役顔負けの、力強く、よく通っていて自身に満ち溢れた、惚れ惚れする微笑み。今までどれだけの女性を虜にしてきたことだろう。
沙希と優美子の二人も、いがみ合うのを止めて咲耶に顔を向けた。
「……」
「……」
「……」
なんか――気まずいというか、重苦しいというか――睨み合いじみた、もしくは睨む捕食者と睨まれる獲物のやり取りみたいな沈黙がたちこめている。
流石の咲耶も、笑顔こそ崩れないものの、冷や汗が見える。
長いような短いような間を置いてから、
「あー、すんません、後にします」
「今専念したいとこなんで」
優美子も沙希も、言葉では丁寧に断っていたが、それでもピリピリした気が溢れていて、迫力が抑えられていないし、今にも苛立ちが飛び火しそうな様子だ。
「そ、そうかい? うん、そうだね、邪魔しちゃったね。実は私も、行くのは後にしようかなと思っていたところなんだ……、ははは……」
と淀みがちに言って咲耶はすごすごと引き下がってきた。
「ふ、ふふふ……。彼女らは凄く、熱心だね……」
微笑を保つ彼女だが、声は震えていて、細められた目は心なしか潤んでいる。
弱い、と言うなかれ。
(駄目元だったけど……、やっぱ駄目か。白瀬さんごめんね)
携帯を取り出して操作しながら、内心で比企谷は咲耶への謝罪の念を送る。
ある電話番号を呼び出し、数コールののち、
『はい、こちら大志です。お兄さんですか』
『アンビシャス、所在を報告せよ。――あと『お兄さん』と呼ぶなウジ虫』
『アンビシャス?……。あー、はい、現在は283事務所前に居るっす。入っても大丈夫っすか』
『おう、早く入れ、寒いだろ。案内はしないでもいいよな、じゃあな』
『え、ちょ――』
と、比企谷は一方的に電話を切った。
「はっちん、今、誰と電話していたの」
「んー、救世主」
程経て、事務所の扉のドアノブが音を立てて回り、ギィと音を立てて開いた。それで顔を覗かせたのは、中学生くらいの男子である。短く刈られた青みがかった髪の毛は、先と似ている。
「すみませーん……、ここって283プロダクションであってますかー?……」
おずおずとそう言った。
「待ってたぞ、アンビシャス。エージェントKは居るな?」
「エージェントKって……。あー、居ます、居ます。ちゃんと連れてきました。いや、エージェントKって……」
比企谷がそばまで行って、その少年――大志というらしい――の代わりに扉を開け、招き入れた。
「はっちん、この子は?」
「川崎の弟、川崎大志。それともう一人の子が、エージェントKこと――」
比企谷が言いかけたところで、
「さーちゃーん!」
扉の向こうから、大志の脇をすり抜けて事務所内に、小さな女の子が入ってきてそう呼び掛けた。
「えっ! けーちゃん?」
声に反応して沙希が面食らって、優美子とのメンチを切り上げた。
「で、はっちん、あの子のほうは?」
「川崎京華。川崎の――」
「いもうとの、かわさき、けいかです! よろしくおねがいします! いつも、さーちゃんが、おせわになっています!」
満面の笑みの京華が元気良く、優美子に向かって優美子にご挨拶をした。
「あ、うん、よろしくねー。私はね、三浦優美子って言うんだー」
一瞬戸惑った顔を見せるも、咄嗟に優美子は、それまでの刺々しい振る舞いが嘘みたいに優しくご挨拶を返した。
「むお! あのゆみちーを瞬く間に懐柔しおった……。あの幼女、一体何者……」
と、同じく京華にほだされ、浮き立って呟く結華。
「三浦はオカンですからね、きっつい態度とは裏腹に、案外子供に優しいと思ったんです。半ば賭けでしたけど、流石に子供を泣かせることはないだろうとは思ってましたけど」
「賭けって……、行き会ったりばったりだねぇ……。はっちんは一体あの二人に何を期待して組ませたの」
「ざっくばらんに言うと、血迷ったんです、それ以外に無いっす。他に合いそうなのが居なかったもんで、はい」
「えぇ……」
憮然と大志が声を漏らした。
「他に合うのが居なかったって……、だからってあんな、圧縮した空気と軽油みたいなコンビ組ます普通? 一体全体何を見出したのか述べよ、三十字以内で」
「……強いて言うなら、『仲悪い系アイドル』ってのが頭に浮かんだってくらいですかね」
「仲悪い系アイドル? な、何だか斬新な響きだけど……」
「まあ、俺も斬新かなとは思いましたけど、仲悪い系ユニット『ノーブルα』」
「へー、あの二人の関係性から来てたんだ、ノーブルαって。どういう意味を込めたの」
結衣からの問いに、比企谷は掛けていた椅子の背もたれに寄りかかって足を組み、少しの間、どう解説しようかと沈思してから、おもむろに口を開き、
「まずアルファには、二つの意味があります。一つは、狼の群れに於いて最上位の階級をアルファと呼びます。次に二つ目は、星座を構成する星のアルファで、その星座の中で最も明るい星を指します」
「一つの星座に一つしかないアルファ星と、狼の群れの階級……。つまるところ、お互いに自分が『アルファ』になろうと張り合わせようってわけね……」
「そういうイメージですね」
「じゃあ、ノーブルってどういう意味なんすか」
と訊いてきたのは大志だった。
「それくらい自分で調べとけよ」
ほら、と言って、比企谷は椅子ごと退いて、大志にパソコンの画面を見せた。
【noble:高潔、高貴、尊い、てぇてぇ、崇高、高尚、壮烈、ご立派ァ!】
「何か変な語が混じってる件について」
「と、まあこんな感じです。総括すると、信念を持って邁進しなさいってことなんですかね?」
「いやいやいや三峰に訊かないでよ、考えたのはっちんでしょーが」
ビシッと結華は手の甲をで比企谷をはたいた。
大志のほうは、何とも言えない表情で、小さく乾いた笑いを出した。
比企谷の提示した方向性は、悪くはないのかもしれない。が、如何せん、考えた当の本人に、本当にプランがあるのかどうか判然としない。そも、高校生のアルバイトのマネージャに、そこまで考えろというのが、土台無理な話。
さりとて、どういうわけか大志は、自身の大切な家族の一人である姉を、このいい加減なマネージャに任せてみてもよいのではないかと、思っていた。
「さて――」
比企谷は立ち上がり、
「折角来たんだ、大志、ケーキでも食ってけ、けーちゃんと一緒に」
「あ、いえ、お構いなく……」
「遠慮すんな、どうせスーパーのやっすいケーキだ。けーちゃんを連れてきてもらったしな、でなきゃギスギスした空気に耐えられんかった」
そう言いながら、事務所の冷蔵庫まで行き、開いた。それで――
「あ? 無えし……」
一緒に入れておいたMAXコーヒーの隣にあったはずのケーキが、きれいさっぱりなくなっていたのである。
「誰か、食ったのか?……」
冷蔵庫を閉めて、事務所へ目を向ける。怪しいのは、テレビの前のテーブルの上と、ソファに座ってる奴。
「おい、そこの馬鹿二人、何食ってやがる」
と比企谷は、ケーキを頬張っている犯人の――
ノクチルの “いつの間にか人殺してそうな子” こと浅倉透と、
ノクチルの “仕事で人殺してそうな子” こと樋口円香、
の二人を問い詰める。
「ん?」
モゴモゴとケーキに舌鼓を打ちながら、透が顔を上げて、比企谷を見る。しばらくして、口の中のケーキを飲み込む。
で、それからもう一口。
「食ってねえで何か言えや」
「いやー、ごめん。MAXコーヒーの隣にあったから、ハチのかなって思って」
口元に僅かにクリームを付けて、フォークを持った手の甲に顎を乗せて笑う姿は、実に絵になる。ドラマのワンシーンみたいだ。思わず騙されそうになる。
だが忘れてはいけないのは、人のケーキ食っといてこの態度というところである。
「俺のだって分かってんなら尚更食うなよ」
「ちょうど口寂しかったし、後で買ってくればいいかなって」
「当たり前だろ、ちゃんと後で返せ。この野郎……、お前四国でもクリームパン食ったろ」
「あー……、まだ根に持ってる? いつもちゃんと返してるじゃん、心配御無用。倍返ししたげるから。倍返しの浅倉ってね、にしし……」
残ったケーキにフォークを突き立て、一気に頬張り、少し咀嚼してから飲み込んで、
「じゃ、買ってくるわ、なるはやで」
腰を持ち上げた透を、
「いや、いい。俺が直接どっかの喫茶店で食わしてくる」
と、比企谷が止めて言った。
「じゃ連れてくよ。良いお店知ってる」
「却下だ。お前が行ったらどうなる事か分かったもんじゃない。領収書持ってくっから後で払え」
「ひどーい」
と言う透を尻目に、比企谷は京華に歩み寄る。
「あっ! はーちゃんだ! こんにちはー!」
「おう、こんにちは、けーちゃん」
京華の前で屈み込み、頭を撫でてやる。
「これから、大志と……たーちゃん一緒にケーキ食べに行くんだが、一緒に行くか」
「ケーキ! うん! たべにいく! ね、さーちゃんとみーちゃんもいっしょだよね?」
キラキラと目を輝かせて京華は、沙希と優美子に交互に瞳を向けた
「あー、ごめんね、けーちゃん。これから、お仕事のお話しないといけないから」
沙希は困り交じりの微笑みを浮かべた。
「えー!」
「一緒に行けなくて残念だなぁ。ね、今度一緒に行こ? ね?」
ご機嫌を取るように優美子が早口で提案した。
「こんどー?」
「うん、うん! 今度!」
「ぜったいー?」
「絶対、絶対!」
「んー! じゃ、こんど、ね! やくそく!」
満面の笑みで、京華は小指を出して行った。
「うん、約束ー!」
その小指に自らの小指を結び付け、宛然と優美子は笑んだ。
須臾にして京華はそれをほどくと、
「またね、みーちゃん! はーちゃん、いこ!」
比企谷の手を取って、優美子と沙希に手を振りながら、引っ張っていった。
そうして事務所を出ようとしたところで、
「あ、そうだ、黒猫」
円香が引き止めた。
「どうした」
「あなたの分もこっちで持つから、ついでに何か食べてきたら? あそこの店はなかなかにメニューが充実しているから、多分黒猫の好みのもあるだろうし」
「いいのか」
「私も悪ノリしちゃったし、お詫び。店の場所は『チェイン』でマップを送っとく、ついでにオススメケーキも」
顔の横でスマホを掲げて、円香は微笑んだ。
「おう……、有難く頂いとくわ」
面映ゆそうに言って、比企谷は、京華に引っ張られるままに、大志を連れて事務所を出た。
「いやー、フォロウあんがと、樋口」
「浅倉、折半」
「分かってるって」
透はくすぐったそうに笑った。
「それより――」
と、円香が気が重そうに、
「あれどうしよう……」
沙希と優美子の方に顔を向けた。
「んで、川崎さんさあ、さっきの続きなんだけどさあ……」
「あ? まだ続けんの? しつこいんだけど」
そこでは、二人が先ほどの諍いを再燃させているところであった。
これを治めていたエージェントKこと京華は居ない、今しがた比企谷が外に連れ出したからだ。
そして皆、理解した。比企谷が京華を連れ出したのは、これを見越してのこと。二人の口喧嘩を再発させることで、嫌がらせ、特に透への意趣返しをしようという魂胆であったらしい。
「やば、ハチってばめっちゃ怒ってるっぽい。あっかんべーのスタンプ送られてきたんだけど」
呑気な顔して透は、自分のスマホの画面を、円香に見せてきた。
それを聞いて事務所に居た者たちは一様に、状況を理解して、愕然とした顔つきになった。
「エージェントKェーッ! 早く帰ってきてくれェーッ!」
彼女らの総意の叫びが、事務所を飛び出すくらい響いた。
ちなみにその後、何だかんだで責任を感じたらしい透が二人の仲裁に入ろうとしたが、余計悪化したそうな。