アスカ・ラングレーが多すぎる   作:しゅとるむ

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第四話 三人の新アスカ

 だだ広い空間の入り口近くに、複数のコンソールが設置され、その画面の明るさが周囲を照らしているが、茫洋とした空間全体に明度が行き渡るには程遠い。

 

 コンソールの前では、ベージュのセーラー服を着た──栗色の髪色が目を惹くツーサイドアップの少女が椅子に座り、つまらなそうにモニターを監視している。名前を惣流・アスカ・ラングレーといった。すっと鼻筋が通り、目鼻立ちがはっきりしたなかなかの美少女だ。その瞳の色は蒼く、外国の血を引いていることが看て取れる。

 

 夜勤の「交代監視任務」だ。どうせ最新鋭の監視システム(グリゴリ)が異常を検知すれば警告は自動的に発報されるが、何かが起こったら即応しない訳にはいかない。その為の保険だ。前に深夜に及ぶ勤務について葛城ミサトに不平を言ったら、「千丈の堤も蟻の一穴より崩れる、よ……しかも掛かっているのは私たちの世界全部なんだから」と窘められた。まあ確かにそれは正論だろう。

 

 今日の夜勤の当番は、このアスカと、背中合わせに同様の内容が表示された別のモニターを眺めている同い年の少年、碇シンジだった。学校の制服だろうか──アスカのセーラー服と同系色の学ランを着ている。アスカとシンジは今日二人で出掛けていたのだが、夕食を外で共にして戻ってくると、あまり間を置かずに、前の当番だった綾波レイと渚カヲルからの引き継ぎを済ませて、速やかに任務に就いたのだった。

 

 コツコツコツ……

 

(アスカ、あれからちょっと荒れてるな)

 

 アスカが指で机を叩く音の強さと間隔の早さに、シンジは少女の苛立ちを感じて、苦笑する。宥めるように、アスカに声を掛ける。

 

「やっぱりアスカ、ご機嫌斜めだね」

 

 アスカはその物言いに片眉を上げる。聞き様によっては子供扱いしてバカにしてるような言葉にも思える。恐らく二年前にこいつに同じ事を言われたら、爆発していただろう。

 

 ──あんたに私の何が分かる!

 

 とでも言葉の礫を投げつけて。でも今は、それがシンジなりの不器用な気遣いなのだと思っている。語彙の選択に慎重さが無いことを除けば、起伏の激しい性格のアスカの事を気にかけてくれているのは分かる。あの二年前の事件を乗り越えて、少しだけこの少年の性格が分かるようになっていた。

 

 だからアスカは気安く、シンジに愚痴のような言葉を聞かせてしまう。

 

「ったく、あの髭眼鏡め……最後の最後までちっとも折れやしない」

「凄い白熱の議論だったね……安埜(あんの)教授だったっけ。有名な学者さんなんでしょ」

「日本のみならず世界的な宇宙物理学の権威ね。宇宙はビッグバンとビッグクランチを繰り返して、ループしているという説を提唱した」

「そんな大学者と議論をして一歩も引かないなんて、アスカも凄いじゃないか、まだ高校生なのに」

 

 なぜ未だ高校生のアスカがそれほどの世界的学者と論争したのかと言えば、ネルフ学園に近接する大学の学祭講演会に招かれた安埜教授の講演の後、質疑応答の時間にアスカが物怖じもせず、大学生も差し置いて質問をしたからだった。

 

 シンジはその講演に興味津々のアスカに無理やりお供をさせられたのだった。加持さんを誘ったけど、断られたからあんたが代打よ、と言われて。せっかくの学祭なのに、アスカはその講演だけが目当てだった。でも男を連れていないとナンパされたりがウザイから、と彼女は言った。つまり、シンジは即席の偽彼氏であり、ていのいい虫除けスプレーというわけだ。

 

(それでも結構な男子が、アスカに声を掛けたそうにしていたな)

 

 仮初めのエスコート役に過ぎないシンジが、遠巻きにアスカの様子をチラチラと伺う彼ら男子に対して優越感のようなものを感じることは無かったが、アスカと一緒に歩いているだけで華やいだ気持ちになれたのも事実だ。

 

 質疑応答ではアスカは真っ先に、モデルのようにすらりとした腕を真っ直ぐ伸ばし、指されるとすっくと立ち上がって、凛とした声で訊ねた。

 

「安埜教授はなぜ、世界はループしている──言い換えれば、複数の世界同士に先後関係という順序、すなわち特定の世界の持つ特権性があると考えられたのでしょうか?」

 

 自由な雰囲気を売りにした一般人や学部学生向けの講演会とはいえ、いきなり教授の専門分野の核心に斬り込むような質問だった。専門外の人間がしてよい生半な質問ではない。

 

 高校の制服に身を包んだまだ幼さの残る少女の質問を、しかし安埜は無視したり、軽侮する様子は見られなかった。

 

「それは、その方が美しいと思うんだよね──答えはそれでいい?」

 

 と頭を掻きながらの安埜の答えは意外なものだった。髪も髭もモジャモジャと伸ばし放題で、一見、風采の上がらない男ではある。しかしその身内には一歩も引かないような強情さを宿している──そんな、初老の男だ。アスカは押し負けまいと強い口調で反論する。

 

「数式の描く答えは一意に決まり、美しさは関係ないと思うのですが。ToEはまだ完全に解明されてはいませんが、MWI(多世界解釈)──エヴェレット解釈を適用すれば、世界は分岐し続ける枝のように、樹木のように広がっていくように描写される筈です。猫が死んでいる世界と生きている世界の重みは同じで、先後のような特権性はどちらの世界にもないと考えるべきではありませんか?」

「まあ、君たちがそう考えたっていいんだが、ボクはそうは思わない──最後にたどり着く世界は一つで──」

 

 っとに、あの教授の頑固さときたら!

 

 アスカは論争を思い出して思わず怒りをぶり返す。あの後、アスカは超弦理論やらM理論やらを持ち出し高等数学を援用して様々に反論した。しかし安埜はアスカの主張に時々、その理を認めるかのように相槌を打ちながらも、最後まで肯んじる事は無かった。

 

 そんな二人の平行線を描きつつも白熱する議論に、専門の理学部の学生たちも唖然とするばかりで──。

 

「でもアスカはなんだか格好良かったよ」

「そ、そう?」

 

 シンジがそう褒めると、アスカは満更でもない表情で肯いた。──「でも僕にはさっぱり議論の中身は分からなかったけどね」と苦笑すると、アスカは目をパチパチと瞬かせた。えっ、あんた分かってなかったの、と言わんばかりに。

 

「いいわ……あんたでも分かるようにわかりやすく説明してあげると、ToE……Theory of Everything、すなわち万物理論によって自然界の四つの力──電磁気力、弱い力、強い力、重力──が統一的に解釈されれば、多元的な世界の構造が明らかになるとされているの。超弦理論やM理論はその万物理論の候補の一つ。それによって導かれる世界の構造は目下、あの安埜の言ったループ型が一番有力とされている──あいつがそう主張する論文が世界を驚嘆させたからね──だけど、私はそれは違うと言った。だって──」

 

 それは大学生を遥かに超えるアスカの知力を以てして初めて理解が可能になる世界の真理だ。それでも、アスカは少し後ろめたい気持ちを感じざるを得ない。それはカンニングペーパーや試験問題を事前に覗き見て、試験に臨んだような感覚。安埜氏ら一介の学者たちが決して知り得ない世界の裏側の事実を、アスカたちは見知っているからだ──。

 

「私たち監視者(シェムハザ)は世界の本当の姿を知っている。だからあのオッサンには悪いけれど、世界はループしていない──全ての可能性は等価に存在しているのよ」

 

 アスカはそう言いながら、この「柱の間」と呼ばれる空間の中心に聳える世界樹(イグドラシル)──世界の中心であり、そのあるべき姿──を見上げる。

 

 柱に支えられるようにして空中に浮かんだ影のような樹は──四次元超多胞体の三次元投影図のように実体がない、いわば「立体的な影」のような存在なのだが──

 

 世界樹(イグドラシル)は、次元を支える礎であり、人々の選択によって都度構築される枝分かれした世界の形そのものだ。時間を経過する毎に繁茂する樹木のように、それぞれの枝や葉は増え続ける世界であり、通常、互いに混じり合う事は決してない。

 

 世界の可能性は、どんなものでも等しく。

 特定の世界に特権性はない──というその歴然とした証拠だ。

 

「未だに僕は、アスカが安埜教授に反論して主張していた世界のかたちというのが分からないな」

 

 これだからバカシンジは。何度もブリーフィングでも説明されてる筈じゃないか──とアスカは呆れるが──割と面倒見の良い性格かつ話し好きだとシンジも最近ではよく理解している──なので、シンジに丁寧に解説を始めた。

 

「そうね──例えば私が人生のパートナーとして、加持さんを選ぶか、あんたを選ぶかで世界が分岐するとする」

「なんだよ、その喩え」

「う、うっさいわね。勘違いするんじゃないわよ。只の喩え話! 身近な例だと理解しやすいだろうという私の配慮よっ」

 

 アスカはしまったという顔をして、顔を紅潮させる。なんでまたこんな喩えを持ち出してしまったのだろうか。よりにもよってバカシンジなんかと加持さんを較べるだなんて──。

 

 シンジはシンジで、その心中で、加持さんには子供のアスカなんて全く相手にされていないじゃないか。僕だって、相手を選ぶ権利があるんだし──と半ば呆れている。

 

「と、とにかく……そこで世界は世界樹の枝が伸びて分かれるように、二つに分岐する。私と加持さんの子孫が栄える未来と、私とあんたの子孫が栄える未来とに」

「全然可能性のない世界だってあるんじゃないの」

「そりゃそうよ。私にだって選ぶ権利はあるわよ。全然知らない相手、知っててもこいつはキツいわという相手なら可能性はゼロでしょ」

「選ぶ権利なら、僕や加持さんにも有るよね」

「あんたが──私に迫られて──勿論もしもの話に過ぎないけれど──それなのに拒絶するですって? なんて生意気な……」

 

 なぜか無性に腹が立ってアスカはシンジを睨み付けるが、シンジは無言で不器用に肩を竦めるだけだった。大抵の男ならちょっと話しかけてやると、すぐアスカにのぼせてくるものだが、シンジにはいつまで経ってもそんな様子はなく、どうにも調子を狂わされる。

 

 まあそもそも普段からアスカは外部の人間には猫を被っており、こんな風に強気な本来の性格を見せる異性自体が限られていたが──だから、素の私を知るシンジはこんなじゃじゃ馬娘は拒絶するっての?

 

 それはそれでムカつくわね──。

 

「ったく単なる喩え話なんだから、混ぜ返すなっつーの」

 

 腕を組んでプリプリとするアスカに、シンジは少し甘えるように言った。

 

「悪かったよ。真面目に聞くから、続き聞かせてよ」

「しょうがないわね──つまり、あらゆる世界に特権性がないという私の主張はね。そうやって分岐した世界には特に何かしらの特別な意味を持つ世界はないということなの。可能性は全て等価でしょ。だからどんな世界でも重みは同じなのよ。──でも、あの安埜の世界像だとループし続ける世界には先後がある。後の世界は前の世界の現実を上書きしてしまう。それはおかしいと思うの、だって……」

 

 シンジが微笑んで、アスカの言葉を補うように続ける。

 

「僕たちの選択に意味がないように思えるから?」

「そう──それじゃ私たちが必死で考え抜いて、選び抜いて、痛みを乗り越えて選んだ事が無意味になってしまう。最後の一回だけを上手くやればよかったということになってしまう。最後の一回が上手く出来なければ、どんなにそれまで上手く行っていても、幸せにはなれない──なんてのは……」

 

 ──絶対に認めたくない──

 

 胸になぜか疼くような、誓いにも似た想いを秘めて、アスカはその気持ちを新たにする。そんな彼女をシンジが少し心配そうな顔をして見ている。

 

 こいつと知り合ったのは二年ほど前だ。元々クラスメートだったけど、最初はろくに話をしたこともない無色透明な一男子に過ぎなかった。しかし、そのシンジがひょんな事から使徒のコアを拾ってしまい、否応なく彼の運命は彼女と交わる事になってしまった──

 

 シンジは銃型の神器(エヴァ)を持つ監視者としての能力に目覚め、不器用ながらも使徒と対決するという使命に段々と慣れていった。やがてシェムハザの司令である碇ゲンドウの息子であることが判明し、更には友人となった渚カヲルの口から、ゲンドウが別の世界から渡ってきた偽の父であると伝えられて、それに立ち向かい何とか乗り越えた──。

 

 その後、シンジは日常と平穏を取り戻し、アスカ、綾波レイ、カヲルらと一緒に小中高一貫エスカレーター式のネルフ学園で高等部に進学している。

 

 あまり口に出して言うことはないが、そんな縁もあって、シンジは今ではアスカにとって一番頻繁に話をする異性にはなっていた。でも、単にそれだけの関係ではある。

 

 ──何よ、そんなに心配そうに私を見ちゃって。

 

 だから、アスカはふんと鼻を鳴らして、むしろシンジの不安を吹き飛ばしてやろうと声を張り上げた。

 

「あのね、これは宇宙的マクロスケールの話なのよ! 私が誰を選ぶとかはあくまでも喩えなの。仮に安埜のループ説が正しくても、宇宙の寿命はまだ千四百億年はあると推定されている──私たちの人生とは無関係な巨大なスケールの話なの」

「なんだそうなんだね、安心したよ」

「神は天にいまし、世は全て事もなし、ってわけね」

 

 アスカがそう言った正にその瞬間だった。

 

 ビーッ、と鋭い警告音が鳴り響き、モニターが一斉に変化する。単なるシステムエラーとかではない。その耳を聾するような警告音はまるで、ヨハネの黙示録で描かれた災厄の前に7人の天使が吹くという7つの喇叭のようにアスカの耳朶に不吉に響く。

 

「世界樹監視システムのアラート!? 何が起きているのッ」

 

 アスカは真っ赤なアラートが大きく表示されたモニターにかじり付くようにがぶり寄り、システムの警告データを視線を左右にせわしなく動かして分析していく。

 

「何なのよ、この現象は──」

 

 システムが監視している世界樹──すなわち平行世界の集合体に変異が生じて、一部に融合的な接触が生じている。既に十四、五個の世界が接触しており、その数も逓増するだろうとコンピュータは予測している。

 

 でもその融合量は、世界の情報や物質量の莫大な総量に較べればごくごく僅かだ。そう、せいぜいが各世界から人間一人分が弾き出されて、別の世界に移動させられる程度の軽微な接触。

 

「なら大事ではないの……? でも接触する世界数は十を超えている。これはやっぱり異常事態だ──シンジ、すぐミサトたちを呼んでっ」

 

 既にアラートはシェムハザの本部内全域に発せられている。シンジがわざわざ呼ばなくても、ミサトは駆けつける筈だが、言われるままにシンジは慌てて宿直室で仮眠中の筈のミサトへの連絡用の内線直通電話の受話器を取った。

 

「あのミサトさん、何だか大変なことに!」

『シンジくん、私の部屋からもデータを観測してる。今すぐ着替えてそちらに行くから、このまま電話で状況を報告してっ』

 

 反応の迅速さから察するにミサトは起きていたようで、シンジが素早く、衣擦れの音と一緒に聞こえてくるミサトの音声をアスカにも聞こえるように外部スピーカーに切り替える。

 

「特異点が生じている? それも人間がトリガーに?」

 

 アスカはミサトの声には注意を払わず、警告メッセージに表れた内容を呟きながら首を捻る。世界樹は使徒のコアをある種の人柱のように組み込む「柱システム」によって安定している。シンジの亡母碇ユイが開発した世界安定の為のシステムだ。もし世界樹が安定を喪い、枯れるようなことになれば、次元と次元の境は溶融し、別々の世界がごちゃ混ぜになるような混沌が現出する。しかし、今この特異点は世界樹の中のコアとは別の場所にある──

 

「はっ、ちょうど今学祭シーズンの十月だけど、10月1日では遅すぎるってワケ?」

 

 というアスカの軽口は、高名な天文学者であるフレッド・ホイルが執筆したSF『10月1日では遅すぎる』で描かれたようなまぜこぜの世界を想起してのものだ。世界を画然と分離し保持してきた世界樹が枯れた後、生ずるであろう混沌は、一九六六年のイギリス、一九一七年のヨーロッパ、紀元前四二五年のギリシャが混合したあの作品の世界のようになるのだろう。

 

 だがそんなもので済めばまだマシで、かねてシェムハザ技術部の赤木リツコ博士が分析する所では、こうした混沌は長く続かず、やがてその局所的不安定さから、宇宙まるごとを無に帰すとされている。今起きている現象がそうした破滅的混沌の前駆的な現象ならば、二年前に乗り越えた危機がまた別の形でシェムハザの前に立ちはだかっているということになる。今からの対処では──それこそ十月一日では遅すぎる──そんな風に嘆くような手遅れでなければよいのだが──

 

 二年前の使徒との戦いで、倒して再コア化した使徒を柱に戻し、更にはリリスの代替として碇ゲンドウを柱に取り込むことで、世界樹は一旦、安定性を取り戻した筈なのに──。それもこれも、一時の安寧に過ぎなかったというのだろうか。

 

 アスカは特異点に関する詳細のデータを求めて、コンソールを操作する。まずはそれぞれの世界に於ける場所を見極めなければ。座標が特定できれば、その空間を占有する物質ないしは生命に関する詳細情報を特定することが、世界樹監視システムには可能だった。

 

 監視システムが複数の世界地図のウィンドウを画面上に開き、そのうちの一つの日本の関東地方南部に紫色のマーカー一つと、各世界地図ごとに赤いマーカーを付けた。そういえば、地図によってその関東地方南部の様相には違いがあり、一部の地図では東京周辺が水没している──それは新型爆弾が東京に投下され、南極の氷の融解により沿岸部が水没した世界とそうではない世界──この世界は後者だった──の二通りの世界があることを指し示していた。やがて、各地図に存在していた赤いマーカーが一つまた一つと消えていき、紫色のマーカーに重なるように一枚の地図上にプロットされていく。

 

「特異点に向かって世界を超えて移動する個体……こんなのって──。何が……いや、誰が……特異点なのよっ?」

『アスカっ、特異点を見極められるのね。こちらのコンソールではそこまで操作できない、頼むわっ』

 

 アスカの言葉を伝言ゲーム式に伝えるシンジに、ミサトはそう反応して命令を伝えるが、アスカは苛立ったように反駁する。

 

「言われなくても今やってる!」

 

 タッチタイピングも滑らかに、アスカは額から落ちる汗も拭わずに、計算機に指示を落とし込む。結果はすぐに返ってくる。相手は人間ではなくコンピュータシステムだ。人間の指示さえ的確ならば、たちどころに正解に辿り着いてくれる。

 

「嘘でしょ──なんなのよコレ」

 

 シンジがその声にアスカの方を見る。アスカが振り返ってシンジを見る。その普段から抜けるように白い肌には、しかし、明らかに血の気が喪われていた。

 

「あんた、何をやったのよ──バカシンジ」

「な、何のこと、アスカ?」

 

 不吉な予感を感じながら、シンジが訊ね返すと、アスカはふらふらと席から立ち上がって、今までかぶりついてきたモニターの前の空間を空けた。

 

 モニターの前にはシンジの写真とID、全ゲノムデータを数列化したウィンドウが中央に大きく表示されている。その周辺には十四、五枚の、アスカの写真画像──いや、またアスカの画像が一枚増えた。それらの写真は何れも間違いなくアスカと思えるのだが、年齢は三十代から中学生までと様々で、眼帯や包帯、あるいはカラフルなボディースーツ姿に私服や制服と取り留めがない。アスカ自身の過去からの画像ライブラリ──という訳では明らかにない様子だった。それなら三十代の彼女や、宙に浮かんでいる彼女の画像などが並ぶはずがないのだから──

 

 それは明らかに多様な異世界におけるアスカ。アスカの数多の可能性だった。

 

「あの、特異点って──」

「特異点はあんたらしい。……そこがこのインシデントの発生源」

「えっ、まさか」

 

 特異点というのは、この場合、この緊急事態の根本的原因のようだ。ところが、それが──僕のことだとアスカは言う。俄かに信じられる事ではなかった。第一、僕は今日何もしていない。アスカと一緒に大学の学祭に行っただけなのに……

 

「──あんたじゃなくて、別の世界のあんた──碇シンジのことよ」

「そんな──」

 

 確かに平行世界とも言うべき別の世界には自分と同等の存在がいるらしいと言うのは知っている。かつてシンジが対峙し、最終的には世界樹に取り込まれる形で消滅した碇ゲンドウも、実はこの世界出身ではなく、別の世界の碇ゲンドウだったのだ。だから、別の世界にはきっと、シンジやアスカも存在する。それは理解できるのだが──。

 

「そしてまもなく、この世界も接合する」

「なっ」

「あんたに惹きつけられるのは、どうやら各世界の私らしい──向こうの世界に引っ張られて──特異点のシンジに他世界の私が引き寄せられてる……」

 

 その言葉に不安を感じシンジは慌ててアスカに手を伸ばす。アスカもそれに応じて手を取ろうとするが、あと僅かという距離で、やにわにアスカを中心に拡がった白光が視界を制圧する。何も見えない──アスカもシンジもお互いに見えなくて。その手と手は遂に触れ合わず。

 

「もうダメっ──私も消える」

「ア、アスカっ。助けるよっ、僕が必ず助けるからっ!」

「──ふふっ。バカシンジが? いいわ、待ってる。助けに来て──」

 

 そして、静寂。白光の光度が段々と落ちてきて、世界はもとの姿を取り戻す。 

 

 そこにいたはずのアスカはどこにも見当たらない。

 

「アスカ、嘘だろ──こんなの」

 

 エイプリルフールか何かの冗談であって欲しい。そんな風に思いながらも、それが虚しい願望に過ぎない事にシンジは気付いていた。

 

 白光が発生する前と何一つ変わりはしない。ただ一つだけの例外を除いては。

 

 欠けてはならない世界のピース一つを欠いた「もとの姿」だ。ソレは奪い去られた。シンジの元から。もう毎日の口喧嘩も出来ない──案外、そんな他愛のない日々を自分は気に入っていたんだなと、シンジは唇を噛む。

 

『シンジ君っ、何が起こったの!? データの数字が軒並み、振り切れている。アスカに代わって!』

 

 ミサトの焦った声が電話のスピーカーから流れている。こんな事なら、寝間着のままで駆けつければ良かったのだ、と半裸のまま彼女は後悔に臍を噛む。

 

「ミサトさん、アスカは──」

 

 呆然としながらも、いつの間にか床に落ちていた受話器を拾って、シンジは応える。

 

『どうしたの、早くアスカを──』

「アスカは消えました。この世界から。僕の異世界体が特異点だとアスカは言っていた。それに引き寄せられて──僕のせいでアスカがいなくなった──!」

『シンジくん!?』

 

 シンジはぐぐっと拳を握り込んだ。

 

「僕のせい、なのか……」

 

 シンジは消え去った少女のコンソールの前に立ち、アスカが見ていた画面を改めて確認する。シンジの写真入りIDの周りを取り囲むように、恐らくは様々な世界のアスカの画像が並べられていた。その中に、最後に追加された画像は、ベージュのセーラー服を着たシンジもよく知る少女の笑顔だった。ただ一人だけの、この世界の惣流・アスカ・ラングレーなのだ。

 

「でもそれなら、アスカは僕が取り戻す──必ず」

 

 ぎりりと血が滲むほどに唇を噛みしめながら、シンジはそう誓う。

 

 

 その夜は昼間に比べればずいぶん涼しくなったとはいえ、それでも扇風機一つない我が家にとっては、寝苦しい残暑の夜だった。 

 

 狭苦しく、建て付けの悪い長屋。その粗末な造りはいっそバラックと呼んだ方が良いかも知れない。

 

「シンジ、もう寝ちゃった?」

 

 僕がいつものように、床の中で昼間のこと、アスカに冷たくされた事を思い出して哀しい物思いにふけっていると、ピッタリ隣に並べられた煎餅布団から、アスカの小さな声が尋ねてきた。

 

「いや、まだだけど。何か用なの? アスカ」

 

 僕はすこし憮然として答えた。アスカが心配そうな声を上げる。

 

「まだ昼間、叩いたこと怒ってるの?」

「……ちょっとだけ」

 

 正直なところ、アスカの怒りをぶつけられ通しで、僕はかなり落ち込んだり、塞ぎ込んだりしていた。

 

 僕は昔エヴァンゲリオン初号機のパイロットで、サードインパクトを起こして、世界を滅茶苦茶にしてしまった。人が多数亡くなったりしたわけじゃないけど、破壊された建物やインフラなどに係る多額の賠償を負わされ、一度は自己破産して、その後も安定した仕事には就けないでいる。

 

 だからアスカは稼ぎがなく甲斐性のない僕を、造花造りや封筒貼りの内職などの合間に責め立てる。責める資格は確かにある。だって、アスカは僕のお嫁さんだから──。

 

 曰く、「こんなつまらない仕事、やってられない」「甲斐性なし」「亭主なら、ちゃんと女房や娘三人腹一杯食べさせて見なさいよ」などなど。

 

 だから、それがアスカのいつもの愚痴だと知りつつも、僕はつい言ってしまったのだ。

 

「だったらどうして僕なんかと一緒になったんだよ──アスカなら他にいくらでも」

 

 そこでアスカの手が出て、僕を打擲したのだった。

 

「あんた、ふざけるんじゃないわよ──」

 

 アスカはとても怒っていた。震えながら、涙を滲ませる程に、悔しさを堪えているようだった。

 

 僕の言い過ぎだったんだろうか──。でも、アスカだってその方が本当は幸せなはずで……

 

「ごめんね。シンジ……。あの、シンジのお布団に入ってもいい?」

 

 ためらいがちな口調でアスカは言うが、僕は天井を見つめたまま、にべもなく拒絶した。

 

「駄目だよ。隣の部屋の子供たちが起きるよ」

「やっぱり、まだ怒ってるのね。もう許してよ、シンジ」

 

 アスカは布団から出した片手でふにふにと僕の頬を引っ張りながら、懇願するような調子で言うのだった。ちょうどいい機会だった。僕はかねてから疑問に思っていたことをアスカにぶつけてみた。

 

「アスカは、いつも僕にひどいことをしておいて、夜になると謝るんだね。昨日も、一昨日もそうだった。それって一体どうしてなの?」

「そ、それは、その……」

 

 突然の反駁にアスカは僕の視線をそらすようにうつむいて、明らかに返答に窮している。

 

「もしかして……僕のこと、そういう風にしか見てないの? そういうことをするための道具だと思ってるの?」

 

 昼間は冷たくて僕に対して過酷なアスカが、毎晩のように、布団に横になるとすぐ和解を申し出てくる理由は分かっていた。アスカがいうところの「仲良し」をするためなんだってこと。

 

 勿論、仲良しというのは隠語だ。大人にしか出来ないやり方、夫婦のやり方で、男女の絆を深めることだとアスカはいつも言う。

 

 アスカがその「仲良し」という行為をいたく気に入っているのは知っている。気持ちは分からないでもない。貧乏人の子沢山と言うように、他に娯楽のない僕たちみたいな夫婦にとって、子作りが唯一の愉しみだと正面から言われれば、僕にはアスカの欲求を否定する事なんて出来やしない。僕にはアスカにそういう愉しみや幸せしか与えられないと分かっている……。

 

 それでも昼と夜の態度がここまで露骨に違うと、落ち込んでしまう。アスカは、僕のことなんかせいぜいそんな風にしか思っていないんだと突き付けられる感じだ。そうでなかったら、どうしてあんなに僕のことを虐めるのだろう。どうして夜を迎えるたびに仲良くしようと迫ってくるのだろう。

 

「違うわよ!! あたしはシンジのこと、そんな風に思ってなんかいない!」

 

 アスカは真剣な瞳を僕に向けると、強い語気でそれを否定した。

 

「ホントに?」

「ホントよ! アタシ、シンジのことすきすきだモン」

 

 意外な言葉が、アスカの口から紡ぎ出されたが、にわかには信じられなかった。

 

「その割には……昼間と全然態度が違うじゃない。やっぱりこんなの変だよ!」

「し、知らない!……シンジが、嫌だって言ってもアタシ、シンジのお布団に入るんだからねっ!」

 

 熟したトマトの色に顔を染めたアスカはそう宣言するなり、僕の布団を足の方からはぐると、頭から強引に潜り込もうとする。

 

「ちょ、ちょっと……アスカっ」

 

 あっという間に、彼女の着ているピンクのベビードールが足だけとなり、やがてそれも布団の中に消えた。ごそごそ、もぞもぞと、シーツの擦れる音がする。

 

「な、アスカ、やめてよ!」

 

僕は当然抗議の声を上げるが、僕の身体の上をアスカの柔らかな肢体がせり上がってくる感触に抵抗する気力はどんどん弱められて行った。

 

「ああっ……アスカ、そんな風にのしかからないでよっ。お願いだから……」

 

 うめくように、僕は懇願する。このままだと自分を失ってしまいそうで恐かった。

 

「どうしてぇ、シンジぃ? あたしたちは夫婦なんだよ。だから一緒のお布団で寝ても全然おかしくないんだよ」

 

 潜り込んだ僕の布団からやっと首を出し、舌足らずなしゃべりかたと潤んだ蒼い瞳でアスカは僕を不思議そうに見つめる。

 

 そんなアスカの表情は殺人的に可愛くて……。僕はのし掛かってくる彼女の身体の温かさと柔らかさにどきまぎしてしまい、何も言えなくなる。

 

「いや、それはそうだけど。でも、あの……」

 

 思わずアスカを直視できなくて目を背けた。そんな僕の様子を見て、アスカは顔をほころばせる。

 

「うふふ。かぁわいいっ、シンジっ」

 

 毎晩毎夜、アスカは僕のことを「かわいい」と言う。そんなこと、昼間には只の一度だって、言ってくれたことは無いのに。

 

 そして、僕の首筋に腕を絡め、僕の顔を強引に自分の方へと向けさせる。

 

「シンジィ……夫婦らしいやり方で仲良し……しようね」

 

 甘えた声で、アスカは僕にしなだれかかり、僕の唇を強引に奪う。

 

 アスカの手が、僕のパジャマの下腹部に延びる。もぞもぞとまさぐるヒンヤリとした手の感触に僕は理性を失いそうになる。

 

「熱いね……うふふっ」

 

 何が熱いのかはもう分からない。沸騰しそうな僕の頭の中なのか、それとも抑えようとしても漏れ出る呼気の熱さなのか。

 

 でも、その時だった。突然、押し入れの襖が鈍い光を放ち始めたのだ。

 

「な、なんだろう、あの光」

「え、光なんかどうでもいいじゃないの。──今は仲良しの方が──」

 

 でもその白光はどんどん強さを増してくる。

 

「んもう、いい所だったのに、一体何事なのよっ」

 

 布団からまろび出たアスカは、腹立ちも露わにして、押し入れの襖を開けて、中に入り込む。

 

「確かに奥がなんか光ってる。見てみよう」

「あ、アスカ。危ないよ、もうやめて……戻って」

 

 家の中で心配することなど無いはずなのに、なぜだか胸騒ぎが止まらない。

 

 でも、僕の制止をよそに、好奇心旺盛なアスカは足の先まで、押し入れに入り込んでしまう。襖の陰でアスカが見えなくなる。

 

「あの……アスカ」

 

 返事が返ってこない。突然、訪れた静寂。そして光がパッタリと消えてしまう。

 

 不吉な予感に慌てて、押し入れの襖を押し開き、中を覗き込むと、そこには誰もおらず、光もない。

 

「ア、アスカっ!!」

 

 あんなにも昼と夜との二つの貌で僕を翻弄してきたアスカなのに。突然に消えてしまうと、僕は苦しくてたまらなくなった。

 

「なんで、なんでなんだよ、アスカっ!

どこに行っちゃったんだよっ!!」

 

 アスカは僕に答えを返してはくれない。 

 

 

「アスカ、そこの大岩も畑の外に運んでくれるかな。うん、それだ。慎重にね。……トウジを踏んだりしないでね──えっ、怒らないでよ、ちょっとした冗談じゃないか」

 

 高所にも届くように大きな声でそう言ったのは、伸ばした髪をポニーテールのように後ろで結わえた少年で、碇シンジ。今は17歳となり、ネルフJPN所属の汎用人型決戦兵器、スーパーエヴァンゲリオンのパイロットをしている。

 

 晴れ晴れとした秋空は青く高く、シンジがアスカと呼びかけた巨人は赤く高く佇立する──

 

 そう。声を掛けられた相手は、長い髪をなびかせた赤い巨人だったのだ。「彼女」は自分の足元にいる──といっても、よろけた彼女に万一踏みつぶされては大変だから、シンジもそれなりに距離は置いている──芥子粒のように小さな少年の指示で、一時間ほど前から甲斐甲斐しく立ち働いていた。

 

 人間から見たら大岩を、人差し指と親指でちょんと小石のように摘み、畑の外に弾き出す。

 

「ここも、戦闘の影響でずいぶん荒れ果てちゃってたから──アスカが手伝ってくれて助かるよ」

 

 その巨人は、本来はエヴァンゲリオン弐号機で、今はそこになだらかな肢体を持つ人間の女性が奇妙に混じり合った姿の異形となって、ネルフJPNの決めた暫定コードでは「クリムゾンA1」と呼ばれている。しかし戦場ではともかく──いや、たとえ戦場であっても──シンジは、彼女をそんな風には呼びたくはなかった。だから、シンジは今も彼女をアスカとだけ呼んでいる。

 

 クリムゾンA1は、「箱船」の中から放出された無数の生物情報からアスカを守ろうとして、弐号機の中に存在しているアスカの母親が、アスカの本質的な部分をエヴァに上書きして成立した「アスカエヴァ統合体」であろうと推測されている。それは当初、アスカの親友である洞木ヒカリによる推測に過ぎなかったが、その後、科学部主任の伊吹マヤにも肯定されていた。少なくとも積極的に否定する根拠は何もないわ──それがマヤなりの肯定の表現だった。

 

 世界の新たな敵である黒い巨人アルマロスとの再戦に備えて、今はシンジとスーパーエヴァンゲリオン、そしてクリムゾンA1も待命状態にあり、人類との通常のコミュニケーション手段を持たないクリムゾンA1については、シンジが事実上、保護者役に任ぜられていた。だから、シンジはアスカとこうして日々をスイカ畑で過ごしている。朝早く起きて、シンジが畑に向かうと、クリムゾンA1──アスカがちょこんと畑の外の畦道に女の子座りをして、かならず待っている。シンジが行くと、それまでは寂しそうにしていた彼女がいつも嬉しそうに立ち上がる──言葉ではないけれど、シンジにはなぜかアスカのそんな気持ちが伝わってくるようで──だから、ついつい早起きをして彼女に会いに来てしまう。

 

 この畑は、シンジがエヴァを使ってジオフロントから地上へと移植した元々は加持リョウジのスイカ畑で、シンジはアスカが元に戻るまで二人で世話をしようと決めたのだった。スイカという生き物に二人で触れる。生命を慈しみ、育てる。生命を育てることは生命にしか出来ない。だからそれはまた、アスカもなお生き物であり続けているという事実を確認するための手段のような気がシンジにはしていて。だから、とても大切だったのだ。

 

「シンジ、惣流が何を言うとるのか、お前にはちゃんとわかるんやな」

「そりゃわかるよ」

 

 感心したようにシンジの後ろに立っていた少年が呟き、シンジもそれに応じる。今日は、ネルフ副司令代理の命を帯びているシンジの親友、鈴原トウジも一緒なのだ。このところトウジは二人のお目付け役といったところで、アスカエヴァ統合体とシンジの様子を司令部に報告する役割を担っているのだろう。その報告はあくまでも二人に対して、好意的だ。その点、シンジはトウジのことを全面的に信頼していた。トウジもまた、クリムゾンA1というコードではなく、彼女を惣流としか呼ばない。

 

 シンジは眩しそうな顔をして、巨大な赤い巨人を見上げた。

 

「──だって、アスカはアスカだ」

 

 その言葉に、巨人の動きがシンジをじっと見るように止まった。シンジはそのアスカを見て、にっこりとほほ笑む。

 

「だから、アスカが言いたいことは何だってわかるよ。言葉を交わせていた時には、ちゃんと伝わらなくて、誤解もすれ違いもあったけど、今はそういうのを乗り越えている感じだ」

「せやな。惣流は惣流か。……なんや惣流のやつ、いっちょ前に照れとんのか……」

 

 微妙な逡巡というか恥じらいのような仕草を巨大なアスカの動きの中に看取して、トウジは朗らかに笑った。

 

「トウジも、アスカの言葉が分かるようになってきたね」

「さすがにお前にはかなわんけどな、シンジ」

 

 シンジたちの尽力でサードインパクトと人類補完計画の発動を回避した地球は今、アルマロスたちの攻撃に晒されている。円環状になって地球を取り巻き始めたロンギヌスの槍に世界は締め付けられ、地球は月に質量が奪われて、月と地球の役割が入れ替えられようとしている。彼らにとってどうやら人類補完計画発動が失敗したこの世界はすでに用済みで、アルマロスたちが粛々と進めるこの異様なプロセスは次の世界でもう一度補完計画をやり直すために必要なものとして実行されているらしい。でも、世界にはまだ人類が生きているのだ。ネルフや人類としては、易々と彼らに従ってやって、このまま滅びるわけには行かなかった。だが、状況は日々人類には不利に推移しており、その絶望的な状況の中で、スイカ畑の日々は、不釣り合いなほどに平穏だった。

 

「今度、ミサトさんや綾波たち──ネルフのみんなもここに呼んでピクニックでもしようよ、アスカ」

 

 畑の外に広がる小高い草原を見据え、シンジはアスカに誘い掛ける。

 

 アスカがその誘いを受け入れたのかはよくわからない。この姿になってからの彼女の反応はどこか幼女のようで、気まぐれかつ唐突なところがあった。いつもすぐに答えが返ってくるとは限らない。その代わりに、彼女は道端の小さな白い花に目を止めて、ゆっくりとその巨大な体躯を屈め、そっと手を伸ばす。

 

「アスカ、綺麗だけど花は摘まないでね──その子もちゃんと生きている。アスカと一緒なんだ」

 

 シンジの言葉にアスカは手を伸ばすのを止めた。シンジの方にそっと顔を向ける。

 

「ありがとう、アスカ。──アスカは優しいね」

 

 シンジは、これだけ巨大な存在で、一言も言葉を発することが出来ないのに、このアスカのことを恐ろしいと感じたことはなかった。どんな姿をしているかに関わらず、アスカはいつだってアスカだったから。

 

 その時だった。アスカが突然、片膝を付いた。

 

「どうしたの、アスカ。少し疲れた? ちょっと休もうか」

 

 今のアスカが通常の人体における疲労のようなものを感じるのか定かではない。でも、そうではないようだった。気が付くとアスカが膝を突いた足の足元が奇妙に白く光っている。光との関係は不明だが、どうやら地盤が不安定になって膝を突いたらしかった。

 

 次の瞬間、そのまま、ザザッと轟音が響き、その足の方から、巨大なアスカの半身が吞み込まれていく。

 

 シンジとトウジは一瞬たりとも予想していなかった光景にまともに反応も出来ない。

 

「アスカっ!!」

「そ、惣流……」

 

 蒼白になった二人が口々に呼ばわる声も、土砂が崩落した地面の穴に雪崩れ込む音にかき消されてしまう。もうもうと立ち上った土埃が遮った視界が、数分後ようやく元に戻った時には、クリムゾンA1の姿はどこにもなく、地面には巨大な黒色の穴が残されるだけだった。

 

「アスカ……ッ。お願いだから返事をしてよっ。アスカっ、アスカーーーっ!!」

 

 底が見えないほど深い穴には、声がこだまのように返ってくる気配もない。そもそもアスカエヴァ統合体は言葉を発することが出来ないのに、それでもシンジはアスカの声が返ってくることを期待してしまう。あの一度聴いたら忘れない、優しく甘い特徴的な女の子の声。シンジにとっては一番大切なあの声を、どうか、もう一度聞かせてよ──と。

 

 

「噓でしょ、あれはエヴァ弐号機? いや、違う。弐号機がまるで人間の女と混じり合ったみたいな……」

 

 またベランダに戻って、所在無げにもう夕方になりつつある街を眺めていた三十路さんが声を上げた。あたしもその言葉を聞いて、窓の外に目を向けて、思わずあっと声を上げた。巨大な女のような姿をした赤い巨人が街路の上に立って、きょろきょろと周囲を眺めている。あたしが慌ててベランダに出ると、パーカーちゃんが「あれ」と地面に向かって指を指した。ずっとベランダで立っていて、パーカーの下は水着姿という彼女はさすがに夕方になると寒そうだ。そろそろみんな部屋に入った方がいい気がする。狭すぎるけど。

 

 彼女に言われるままに示された辺りを観察していると、巨人の足元には公道があり、車が何台も走っているというのに、車の運転手たちは巨人の存在になどまるで気づかずにそのまま通行し、衝突することもなく巨人の脚を素通りしてしまう。まるでこの赤い巨人は映像だけで、実体がないみたいだった。パーカーちゃんは興味深そうに言った。

 

「あたしたちにしか見えないみたいだね、彼女」

「彼女……」

 

 確かに、その巨人の身体は女性的ななだらかな曲線を描いており、彼女と呼ぶのが相応しいように感じられる。でも、頭にはのっぺらぼうの顔と長い髪があるだけで、表情など何もない、それでも、なぜかその「女」には、まるで自分自身であるかのような親近感を感じた。そして彼女が見慣れぬ状況に対して今感じている少女らしい当たり前の戸惑いも伝わってきた。

 

「存在が曖昧なのかな、だから他の存在と物理的に干渉できない。エヴァであったり、あたしたちであったり、両者が重ね合わされているような状態で……」

 

 パーカーちゃんはそう分析してみせる。

 

 エヴァ……そういえば、さっき三十路さんもそう呼んでいたな。

 

 皆が口にしているエヴァってあの巨人のことなの? 謎の単語の手掛かりに予想しない形でたどり着いてあたしは改めて驚愕する。他の世界では一体何が起こっているというのだろう。

 

 どことなく不安や居心地の悪さを感じて、背後の室内へと視線を向けると、ガタガタッという音がして、部屋が大きく揺れた。襖を通して透かし見えた一瞬の閃光の後に、押し入れの中から複数の女の声が聞こえて、襖がさっと開く。

 

「な、何なのよ、急に二人になって狭いわねっ、あんた誰なのよ……ってここは何よ。シンジはどこなの?」

「ちょっとおばさん邪魔でしょ、私を先に出させなさいよ! 私はこの状況を説明できる唯一の人間なのよっ」

 

 そんな風に言い合いながら、絡み合い競い合うようにして、押し入れからシンジの部屋にまろびながら現れたのは二人の女──ベージュ色のセーラー服姿のあたしと、今のあたしの倍ぐらいに年を重ねた色気たっぷりのピンクのベビードール姿のあたしだった。

 

 どうやらいつの間にか一座の中では「本妻」ということになっている(まあ、少なくとも本人の中では)らしい包帯ちゃんがベッドの上で胡坐をかいて、まるで牢名主が裁定するみたいな口調で言った。

 

「またあたしが来たみたいね、今度は二人いっぺんに」

 

 それに対して果実のようにたわわな巨乳につい目が惹き寄せられるメロンちゃんが首を横に振った──窓の外の赤い巨人を指さしながら。

 

「ごめん、私には何故か分かる──あれはもう一人の私だ。だから二人じゃなくて、三人になるわ」

 

 となると、あの巨人もやはりあたしたちの一人と認めないわけにはいかない。渾名は巨人ちゃんというところかな。

 

「もうキリがないわね。一体全体どうなっているのよ」

 

 黄色ワンピちゃんが、呆れたように肩をすくめる。

 その原因不明の状況への嘆きに、待ってましたとばかりに部屋の中央に進み出た子がいた。

 

「しょうがないわね──私が説明してあげる。今、状況を説明できるのは私だけの筈だから」

 

 押し入れから共々に現れたうちの一人、セーラー服のあたしがスカートから埃をはたきながら立ち上がって、少し自慢げに言った。セーラーちゃん、と呼ぶことにしよう。年齢的には高校生ぐらいで、あたし基準で言えば2年後ぐらいのあたしに当たるだろうか。来たばかりだというのに随分と意気軒高だ。

 

「私は惣流・アスカ・ラングレー。世界樹を監視する組織、シェムハザの一員よ」

「世界樹? シェムハザ?」

「──聞いたことないわね」

 

 皆が口々に懐疑的に首を捻ると、プライドが刺激されたのか、セーラーちゃんは表情筋をひくつかせた。

 

「まあうちは、世界の真の姿を見守る、知る人ぞ知る組織だから──知らないのは恥じゃないわよ」

 

 少し言い訳するようにセーラーちゃんは言って、説明を続ける。部屋の中心にいるシンジに顔を向けて、沢山のあたしたちの注目を促す。

 

「この子、碇シンジがこの事態の原因である特異点なのよ。いろんな世界から特異点であるシンジに惹かれて、たくさんの私──惣流・アスカ・ラングレーが集まっている」

「やっぱり僕が原因なの……?」

 

 シンジは少しバツが悪そうな顔をして俯いた。別にシンジが悪いわけじゃないだろうに、可哀そうに。

 

 しかもセーラーちゃんは見かけ上、シンジが年下に見えるからか、シンジの肩の上に手を置いて、それから背中に回って身体を近づけるなど、妙に馴れ馴れしかった。シンジが顔を赤くしているじゃないのよッ。ったく、男は年上のお姉ちゃんとかセーラー服に弱いんだから……。でも、セーラーちゃんは年下の男を甘く見ているのか、そんなシンジの反応には気付いていないようだった。

 

「特異点なんてみんな知らなかったでしょ? 私がこちらに来て良かったわ」

 

 やや得意げに説明をするセーラーちゃんに、あたしたちは一斉に突っ込みを入れていた。

 

「とっくに知ってた」

「それはもうリツコに聞いたわよ」

「あたしの元の世界では、シンジは元々特異点だったわよ。しょっちゅう転んで女の子を押し倒したり、あたしたちの股間に鼻先を突っ込んだり」

「それは特異点というより、故意じゃないの?」

「確かに、恋かもしれない……(ぽ)」

「ねえねえ、シンちゃんの象さんのサイズって知ってる?」

「あたしは惣流じゃなくて、碇だってば。シンジとはもう結婚してるんだから。結婚・新婚・既婚!!!」

「結婚詐欺師は少し黙ってなさいよ」

「私は式波よ」

 

 後半は話、関係ないし。セーラーちゃんはせっかく張り切って説明を始めたのに皆の茶々入れで尻つぼみになって、すごすごと話を畳んで、うずくまってしまった。少し気の毒だけど、あんな風に自慢げに注目を浴びようとして失敗すること、あたしにはよくある事だよね……たぶん他の「あたし」も同じなんだろうな。あんな風に失敗すると、シンジはよく慰めてくれるんだけど、それぞれの世界のシンジと引き離されているあの子たちは……。

 

 そして、その様子を見ながら、ベビードール姿の人妻風のあたしが呆然として呟く。

 

「ここは一体、何なのよ。さっきの話、本当なの。いろんな世界の惣流・アスカ・ラングレーが集まっているって?」

「そうよ。信じようと信じまいとそれは冷厳な事実。諦めて順応することね」

 

 と相変わらずベッドの上で腕を組む眼帯ちゃんこと式波戦時特務少佐はバッサリ。でも、この人、ザ・軍人な感じで、この状況にはあんまり順応しているように見えないんだけど。

 

「そんな。……せっかく、シンジと昼間けんかしたから、夜は仲良しで仲直りしようと張り切っていたところだったのに! シンジのところにはいつ帰れるのよぉ!」

 

 果たして元の世界には帰れるのか。帰れるのならばそれはいつ、どうやって実現するのか。まあ確かに、それが一番の気掛かりだというのは分かる。だけど、あたしはベビードールを着たあたしのその前の言葉にむしろ引っかかっていた。

 

「仲良し?」

 

 仲良しで仲直り? 変な形容詞の使い方をするんだな……とあたしが首を傾げていると、三十路さんとテンコーちゃんが顔をちょっと赤らめた。

 

「あたしには『仲良し』の意味が分かるわ……」

「うん。ナニのことだよね。毎晩夫婦がヤることだ」

「夫婦じゃなくても、愛人でも『仲良し』はするけどね」

「爛れているわねぇ」

 

 三十路さんとテンコーちゃんのそんなやり取りで、おぼこなあたしにもなんとなく「仲良し」の意味が分かってしまった。そりゃまあ、男女が仲良しでなければそんなことはしないからそう言うのだろうけど。……あ、でも、ベビードール姿のあたしは、いかにも人妻風だけど、シンジとは昼間けんかをしていたって言ったわね。だからあたしは訊ねてみる。

 

「けんかって一体どんな事でシンジとけんかしたの?」

「夫のシンジのせいで、我が家は赤貧洗うが如しなのよ。だから、内職が嫌だとか、あたしと子供たちをお腹いっぱい食べさせろとか、文句を言ってもいいじゃないか」

 

 あらら。あちらの世界のシンジは、あんまり稼ぎがよくないのか。うちのシンジも将来はちゃんと稼がせないと不安よね……。今から色々指導監督しておかないといけないのかな。……と、それはともかく。

 

「それはそうだろうけど、そんな風にけんかをしても、夜は……できるものなの?」

 

 そういうことってメンタルの問題が大きそうだし、「仲良しで仲直り」っていうのは違うんじゃないだろうか。それは目的と手段を大きく取り違えている気がする──「仲直りしたから仲良し」ならよく分かるんだけど。

 

「……できるし。それにシンジがいやがっても、無理にでもお布団に潜り込めば、イチコロだよ。あたしはまだまだ魅力的だし、シンジはすぐ流されるんだから。気持ちいいことは強引にでもヤらなくちゃ損!」

「えぇ……」

 

 何だかそれじゃシンジが少し可哀そうじゃない? 昼には家計や収入のことで責め立てて、夜には仲直りが目的だとはいえ、妻主導で強引にそういうことを迫る……。男のプライドがボロボロになってしまいそうだけど。……と思うと、あたしは少しシンジに同情して、腹立たしくなってしまった。

 

──決めた、このひとはきっと「悪妻」なんだわ。呼び名として付けるのに相応しい渾名は、そうね──悪妻アスカちゃん。一応、年上ではあるけどね。

 

 室内にセーラーちゃんと悪妻アスカちゃん、街路には幻みたいな曖昧な状態だけど巨人ちゃん。この三人を加えて、シンジの部屋はますます混沌としてきた。

 

 ──差し当たっては、部屋が狭すぎて、今晩は一体どこで眠ればいいってのよ?

 

 いや、あたしは一旦、自分の家に帰ればいいだけなんだけど、シンジの部屋にこんなにたくさんのあたしを残して帰るわけにはいかない。そんなの、狼の群れに子羊を残すようなもの。異世界のあたしたちの情欲の強さはこれまでのやり取りで、十分理解している。余りにもシンジの貞操が危うすぎるからね。

 

 

出演アスカ一覧(登場順)

 

語り手ちゃん

惣流・明日香・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン(TVシリーズ)第二十六話・学園エヴァ

 

~~室内組~~

 

眼帯ちゃん

式波・アスカ・ラングレー from シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

 

包帯ちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に

 

黄色ワンピちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン(貞本義行作漫画版)

 

魔導師ちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン ピコピコ中学生伝説

 

コージーちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド

 

浴衣ちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン 鋼鉄のガールフレンド2nd(漫画版)

 

ツインテちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン 碇シンジ育成計画

 

メロンちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from エヴァンゲリオンANIMA

 

オリジナルアスカ(登場予定)

式波・アスカ・ラングレー from シン・エヴァンゲリオン劇場版:||

 

~~ベランダ組~~

 

三十路さん

惣流・アスカ・ラングレー from 二次創作「大人のエヴァンゲリオン」by しゅとるむ

 

テンコーちゃん

式波・アスカ・ラングレー from 二次創作「式波さんちのダンナさん」byしゅとるむ

 

結婚詐欺師ちゃん

碇・アスカ・ラングレー from 二次創作「碇・アスカ・ラングレーの逆襲」byしゅとるむ

 

ポークビッチちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 二次創作「シンちゃん!シンちゃん!大好きよ!」by しゅとるむ

 

パーカーちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 二次創作「楽園」by しゅとるむ

 

~~今回参戦組~~

 

セーラーちゃん

惣流・アスカ・ラングレー from 新世紀エヴァンゲリオン 学園堕天録

 

悪妻アスカちゃん

碇・アスカ・ラングレー  from 二次創作「悪妻アスカちゃん」シリーズ by しゅとるむ/すのーろーど

 

巨人ちゃん

クリムゾンA1      from エヴァンゲリオンANIMA

 

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