限界グランマ
朝が来た。
木々は再会した朝日に挨拶を返すように緑を輝かせ、色気づいた若い小鳥は発声練習を繰り返す。
そんな平穏な朝の森に飛行船が突き刺さっていた。
明らかに異常事態である。
しかし、その当事者達の姿は未だ見えない。
それもそのはず、彼等は一晩中エンジンの消火という激務に追われ続け、1時間ほど前にようやく大爆発の危機を脱したばかりで一塊になって眠っている最中だったのだ。
懸命な消火の甲斐あってか周囲の森にも飛び火した様子は無く、被害は最小限といえる。(大木が何本も薙ぎ倒されてはいるが)
だから、戦い抜いた彼等には泥のように眠る権利があるはずだった。
少なくとも、彼等自身はそう考えていた。
だが、そこに住まう者達にとってはそうではなかったようだ。
『おい!起きろ‼︎』
その初めて聞く声に最初に反応したのはジュラだった。
反射的に魔剣を取り出そうとする少年の首筋に冷たい感触が触れる。
(形状から察するに…槍か?完全に初動を押さえられた…!)
状況把握のため目の動きだけで可能な限り当たりを見回す。
ケーキ、襲撃、墜落、炎上ときて目の前には超ワイルド系のマッチョ軍団だ。
毛皮なんか腰に巻いちゃったりして、すごく気難しい顔をしている。
もうここ一晩で1ヶ月分の不幸を味わったといっても過言ではないのではないだろうか。
包囲こそされているが、幸いイオンやカブウの急所に槍は突きつけられていない。(というかまだ寝てる、のんきな連中である。)
これが並の野盗であれば即座に目眩しをかましてイオン達を叩き起こすところだが、また一つ望まぬ戦場を潜り抜けたジュラ・パズズはマッチョ軍団の武器以上にあるものを警戒していた。
(いくら寝てたっつっても、この大人数だぞ?囲まれるまで気取れないことなんてありあるのか?)
数秒の後、マッチョ軍団のリーダーらしき男が口を開いた。
『無闇矢鱈と暴れない程度の知性はあるらしいな、侵入者。本題から入ろう、昨晩の騒ぎはここを神聖なる「魔閣樹海」と知っての狼藉か?』
そんなことはまったく知らないジュラであったが、この場合は知ってることにしておくべきか、正直に無知を告白するか、どちらが有益かを一瞬で計算しようと頭を回す。
『その様子だと知らなかったとみえるな。だが無知もまた罪だ。来てもらうぞ。』
どうやら、ジュラの脳を1秒間フル回転させた分のグルコースは無駄になったらしい。
(俺ってそんなに隠し事下手なのか…)などと思いつつ、反論のため口を開く。
『ちょっと待ってくれ、あんたら森林警備隊か何か知らないが憲兵を通さない諍いはゴメンだぜ!憲兵をよべー!』
旅で得たジュラ先生の知恵袋その1、『とりあえず公権力を呼べとゴネてみる』の発動である。
この技を伝授したイオン曰く、こういう場所の自警団的な組織は割と憲兵や騎士団と仲が悪いことが多いという。
うまくいけば軽めの罰金ぐらいでなあなあにしてもらえることもあるが、本当に呼ばれたら二重に絞られる諸刃の剣だとも聞いている。
当然地界ビギナーのジュラにはよく使い方のわからないテクニックだったが、晴れて今回一か八かで実戦の場に投入することに挑戦したのだ!
さてこの技法、吉と出るか凶と出るか…
『であれば問題はない。外で言う『ソレ』に当たるのが我々だからな。』
『へ?中央連合の制服ってそんなワイルドだっけ?』
予想外の返答に若干ズレた質問を返すジュラ。
若い男は眉を顰めつつ会話を続ける。
『ワイルド…?まさかこれも知らずに来たのか?この魔閣樹海とその周辺は、我々猿人の自治権が認められている正当なエリアだぞ?』
よくよく見れば、巻いた毛皮の下から1人1本ブライト・ロマネスコのそれと同じような長い尻尾が覗いている。
先程の戦法、憲兵役本人に使った場合はどうするのか、そこまではイオンに聞いていない。
付け焼き刃の技術など土壇場で試してみるものではないということか、ジュラはまた一つ教訓を得たのだった。
『ん〜おはよ…なんか騒がし…』
ようやくお目覚めになられた親愛なる雇い主閣下に対し、ジュラは手短に状況を説明する。
『船、落ちる。森、壊れる。この人ら、怒る。OK?』
『オーケーオーケー…誠にすみませんでしたー!でも、私たちここの森を傷つけるつもりなんて無くて…』
『その審問と懲罰は我々の集落で行おう。それがルールだ。同行願えるな?』
多勢に無勢、ジュラ達は従わざるを得なかった。
『お、ダンゴムシみっけ。ピンボールでもする?』
数時間後、ジュラ達一行はまとめてカビ臭い牢屋へと放り込まれていた。(カブウは即効で正体がバレて壁から切り出された。でかいイビキをかいてるからだ。)
ゼロだけは傷の処置が必要だと見なされたらしく、別の場所に連れて行かれたため、牢内に残されたのはジュラ・イオン・カブウの三名だけである。
『あのなぁ、ダンゴムシなんて見てる場合か?誤解は解かなきゃだし、飛行船の修理だってやんなきゃならねーんだぞ?』
『でも8センチはあるよ?すごくない?』
『え…キモ…ちょっと見せてくれ!』
いい年こいてデカい虫に変なテンションで接する2人を眺め、カブウは聖母のごとく微笑む。
(それ、ダンゴムシじゃなくてタマヤスデなんだけどなぁ。触るとすごい臭くなるし、美味しくないんだよなぁ。)
2人は暇つぶしにタマヤスデ・キャッチボールを始めていた。
無論、10分後に死ぬほど後悔することになったのは言うまでもない。
バキンと大きな音が鳴り響き、ジュラがそちらに目線を投げる。
錆びた鉄格子と漆喰で固められた土壁、ちょうどその隙間に巨大な氷の塊が作られていた。
一瞬の後、それは周囲の土を伴って崩壊する。
魔力も使わずそんな真似ができるのは1人しかいない。
『出るぞ、小悪魔とその愉快な一行。』
『て…てめーは何しとんじゃーっ!仮にも天使だろーが!法治国家で1番やっちゃいけないのが罪状確定前の逃亡だって知らねーのかーっ⁉︎』
涼しい顔のゼロが答える。
『思考が捕まる前提の悪党だなジュラ・パズズ。一方的な裁判なんぞごめん被る、隙をみて脱走してきた。』
『あーもー!檻破壊なんて黒確定行動じゃねーか!天使ってヤツはテメーの翼で脳みそまでぶっ飛んでんのかーっ⁉︎』
『うるさいな…それで、行くのか?行かないのか?』
『あーもーイオン、どうする‼︎』
『まぁもう出る以外ないよねぇ。大丈夫、まだ連続脱獄犯じゃないから。』
『脱獄に初回限定サービスなんてねーんだよぅ…あーちくしょう!こうなりゃやけっぱちだ!とっとと逃げるぞ!』
『それでいい。俺とてこんなところに留まっているヒマは無い。だが、その前に…』
ゼロが牢の隅の水桶を指さす。
『何してんだ、テメー。』
『手を洗ってから来い。なんか酷い臭いがする…』
真に恐るべきはタマヤスデ様のお怒りである。
集落の中を身を縮めた影が3つ(+それでも尚大きい影が1つ)走り抜けていく。
『脱走…ってことは暴れたのか?』
『天使をナメるな、スニーキングの訓練くらい全員が受けている。牢屋番1人を気絶させただけだ。』
どうやら、未だ誰もジュラ達はおろかゼロの脱走にすら未だ気づいてないようだ。
集落は静まり返り、見張用の櫓だけに煌々と灯が燈っていた。
『てことは猶予は見張りが交代する3時間…いや、2時間弱ってところか。抜けるルートは決めてあるのか?』
『それだけあれば十分。いいか、この集落の周りは昼間見た通り木の柵と茨で覆われている。そのほかにも鳴子なんかが仕掛けられてる可能性は高い…必然的に門を潜って出ることになる。』
ゼロが地面に簡易的な地図を描き、作戦を説明する。
『門から出るっつっても夜勤の門番はいるし、見張り櫓も近い。無茶じゃね?』
『心配するな、策はある。』
ゼロが片手を天に掲げた。
月光を全身に浴びて今宵の門番を務める青年、ハスマルは退屈していた。
ただでさえ日を跨いだ狩(成果無し)に出ていて疲れているというのに、里に帰ってみれば犯罪者が一気に4人も捕まったから警備を強化せよとかなんとかで、いつもなら見張り櫓の監視が兼ねている門番を任されてしまったのだ。
こちとら新婚3日目なんだから長老達にも気を遣って欲しいものである。
しかもうち2日は狩りに費やしているため、今日は実質最初の2人の蜜月にする予定だったのだ。
その暁にはハチミツを濃縮還元したような甘い時間を過ごすつもりだったが、なんの罰か、今最も近くにいる者は髭の硬さが自慢のヒルキー叔父さんなのである。
それだけでやる気半減、テンションガタ落ち待ったなしだ。
だが、それでも彼は誇り高き魔閣樹海の戦士である。
いかに気落ちしていようと警戒を緩めることは決して無いし、仕事を任されたなら一瞬たりとも睡魔に身を預けたりもしない。
それは、上にいる彼の叔父とて同じはずだった。
ドタリ…そういう、何か重いものが落ちた音だった。
ハスマルが反射的に壁を背にして身を屈める。
門の周りにあらかじめ敷き詰めておいた枯れ枝の配置を確認しつつ、音源を確認した青年が見たものはピクリとも動かず大の字で倒れる叔父の姿だった。
急いで上を見ても敵の姿は確認できない。
ひとまず彼は叔父の無事を確かめることにしたようだ。
目線だけは常に動かしたまま、囁くように呼びかける。
『叔父さん…ヒルキー叔父さん…大丈夫か…?』
しかし返事は無い。
幸い、浅い呼吸はあるようで、松明の光で外傷が無さそうなことも確認できた。
(ならなぜ?叔父さんは強い、ベテランの戦士だ…傷一つつけずに倒すなんて…)
ふと、風もないのに松明の火が消える。
辺りは完全な闇に包まれた。
(何か奇妙だ…だが何が?)
闇討ちに対する危機感より先に来た本能的違和感。
その正体に気づくのがほんの少し早ければ結果はまた変わっていたかもしれない。
(待てよ?月はどこへ行った?今夜は雲が少ない…こんな暗闇になるわけがない!)
戦士ハスマルは改めて視線を上に向ける。
そこには彼の読み通り月光を遮る、何か巨大な物体が浮かんでいた。
(あれがっ、叔父さんを…!)
山刀を抜き、応援を呼ぶため息を全力で吸い込む。
それっきりだった。
瞬間、ハスマルの全身は緊張を解き、電池が切れたオモチャのように倒れ伏したのだった。
その体に一切の外傷も無く。
『上手くいったか…後は門のそばについてる滑車を回せばそれで開く。』
ゼロが指を1回しすると、宙に浮遊していた巨大な塊が霧散していく。
それは、冷気を操る男の能力にしては奇妙な現象だった。
怪訝な表情を浮かべるジュラの疑問を察してか、ゼロがボソリと話し出す。
『生物は呼吸が止まっても数分は意識を保っていられる。が、別の要因が加わればその限りじゃない。大気中の二酸化炭素、コイツを凝集させ冷却とともに生まれる気流に乗せてやれば…ほんの少し空気成分を弄って昏倒させるのも容易い。…尤も、所詮は一発芸だがな。』
初めて因縁を付けられたあの日から、天使ゼロ・ゼロの技量は格段に高くなっていた。
隠していたわけではないだろう、隠す意味が無い。
『わお、てことは−80℃?いや、こんなに早く固まるなら−100℃くらいかなぁ。』
後ろのイオンから尋常ならざる数値が聞こえてくる。
もはやそこまでいくと、冷たいのか熱いのかさえわからなそうで恐ろしい。
もし今この男が敵に回ったら、果たしてジュラは勝利することができるのだろうか?
(今こそコイツに戦意は感じないが…用心しておかねーとな。)
外も中も気を張り詰めなければならない状況とは疲れるものだ、とジュラは1人さらにゲンナリするのだった。
『どしたのジュラ、萎れたピーマンみたいな顔になってるよ?』
『同情するなら水(あんねい)をくれ〜』
『キミ達…あっちでゼロ君が早く来いって感じだよ。』
カブウに言われて門の方を振り向く。
いつのまにか門は上に開き、その向こうでゼロが腕を組んで無言の圧をかけてきていた。
放っておくと足までトントンし始めそうだ。
ジュラ達は門に向かって小走りで駆け始めた。
『すみません…寝ている間に門を開けられました…』
ほっぺたを赤く腫れあがらせ、目に涙を浮かべたハスマルの報告を聞いた青年は考え込む。
彼は、昼間にジュラ一行と相対し身柄を押さえた張本人である。
『責任とって今すぐ追ってきま…』
『いや、いい。門番中に眠るほどだ、よほど疲れているんだろう。今日はもう帰って寝ていろ。それが指令だ。』
『しかし…』
『まだ内部に潜伏している可能性もある状況で、1人でも戦力を切り離すのは下策ということ。それに…森がこんな状況だ、いかなる戦士だろうと単独行動は許可できない。それが必然だ。それに連中もここに戻ってくるしかないだろう。………まだ生きていれば、だが。』
最後に意味ありげなセリフを呟いた青年の顔には暗い陰が落ちていた。
『…ッス、では休息を取らせてもらいます…』
『ああそうだ、ちょっと待ってくれ。』
戦士詰所から立ち去ろうとするハスマルを青年が呼び止める。
『?…なんですか?』
『その頰はどうした?連中の攻撃か?』
目線を逸らしたハスマルがしばし沈黙し、バツが悪そうに話し出す。
『コレは…その…、嫁さんにさっきのこと話したらボコボコに折檻されまして…逃げ出したの捕まえるまで帰ってくるなって。』
『………その、なんだ…指令、出しといてよかったらしいな…』
『なははは、とかなんとか言いながら今俺のためにメシ作ってくれてんですよぉ。そういうところに惚れ込みましてぇ…』
『聞いてもないのに惚気るな。それが指令だ。』
速やかにどうでもいい話の気配を察知し、牽制をかける。
この男こそ集落の若きリーダー、ハイロバ・ビヌヤンカその人であった。
樹海の中をとにかく移動し続ける3つの影があった。
彼等にとって重要なのはお互いに離れないこと、その一点のみ。
この鬱蒼と茂る樹海の中で、孤立は死に直結する。
そこに力の強弱は関係無い。
ただ、大体の意思ある存在は本当の孤独を感じると、希死の念が沸いてくる可能性があるというだけなのだ。
1時間ほど樹海の中を動き回った彼等の1人がもう追手を撒いたと判断し、大樹の側で足を止める。
続いて、残る2人も若干慣性に振り回されつつ走りを停止した。(1人は木の根につまづいて盛大にすっ転んだが。)
『なにをしているジュラ・パズズ、腐葉土はベッドには向かないと思うが?』
『うるへー、他人のことカブトムシの幼虫みてーに言いやがってぇ。』
『ジュラー、だいじょぶー?』
カブウの口の中からイオンがひょっこり顔を出す。
全力の逃避行では、確実に自分だけ置いていかれると判断してカブウの口内に篭っていたのだ。
『大丈夫大丈夫、それよりソッチこそなんともないのか?ちょっと消化されたりしてね?』
『あーひどい!今このカブさんを疑ったよねぇ!傷心だよぉ、ご飯4割増しを要求するよぅ。』
カブウから抗議の声が上がるが、これは無視する。
どこで消化してるかもわからないくせして、しっかり大食らいなヤツを甘やかせるほどこの世は甘くないのだ!
『んー、ちょっとピリピリするけど平気かなぁ。因みにここどこ?』
『さぁ………樹海は出てないと思う、たぶん。』
何しろ追手を撒くことだけを考えて走ってきたのだ、イオンの疑問への答えは誰も待ち合わせていない。
『場所は朝になってから木に登って確認すればいい。集落は必ず煙を上げる、それを目印に飛行船のある場所に向かえば問題ないはずだ。』
『なるほど、でもそんな重要ポイントなんてもう張られてると思うけどなぁ。船の修理も必要になんだろ?』
『その時は二酸化炭素攻撃をもっと大規模にやるまでだ。あそこから集落までは猿人でも20分はかかる。往復ならもっとか、1人2人逃してもその間に防衛戦線を張るのは十分可能なはず…』
『……ちょっと待て、なんか急ぎすぎじゃねーか?まだ不確定要素に賭ける段階じゃねーだろ。』
『あくまで可能性の話だ、失敗を常に想定して動けよコウモリヤロー。』
『はーいジュラさんカチンときました。今ここで目の前のカラスヤローを森に還したくなっちゃうなー!』
『フン、向こう見ずな王を持つ魔界も大変だな。同情する。』
『上等だコラ、一生天界から出てこれないレベルの悪魔恐怖症にしてやイビッ‼︎』
口喧嘩を始めた2人の頭に何かがぶつかる。
頭をさすりながら2人が地面に転がったその実行犯を見ると、それは一抱えほどのサイズの枯れ木だった。
『健全な喧嘩は若人の特権だけどね、話は前に進めるのが吉なんじゃあないかな。こういう時、まずは火だよ。乾いた枯れ木をあつめてきてくれたまえ。生木はいらないよ。』
見れば、カブウはすでに枯葉や小枝を掻き集めてきており、イオンも地面に何やら図を描いてブツブツ言っている。
出遅れた2人は無言でいそいそと枯れ木集めに奔走するのだった。
幸いにもこの樹海、やたらと枯れ木や倒木が多く薪に困ることは無さそうである。
ものの10分程度で積み上げられた枯れ木の山を見て、カブウが満足そうに頷く。
『ウム、予備も含めて申し分ない量が集まった。これなら一晩を明かすのも楽なモノだろう。さてと…じゃあみんな!ジャンケンしようか!』
『へ?カブさん何言って…』
返答は無かった。
『最初っはグー!じゃぁんけんっ、ポンッ‼︎』
『いつまでメソメソしてるんだい、ジュラ?ちょうどいいクールビズじゃあないか。』
『森の中でッ!真夜中にッ!何が悲しくてこんな格好せにゃならんのだ‼︎』
ジュラ・パズズ少年は上着を上下とも剥ぎ取られ、下着だけの姿になっていた。
そして憐れな上着は…ずっと燻されていた。
『川で濡らした衣服を火の上に張り、煙を吸わせる…理にかなっているな。』
そう言いつつゼロがジュラの上着に対して十字を切る。
『ヤメロテメー!もうすでに燻製状態の悪魔ウェアにトドメ刺そうとしてんじゃねー‼︎』
『天界の僕として大神様のシンボルを使うのは当然だが?』
『悪意しか感じねーよ!んな心こもってない十字初めて見たわ!てかこんな薄着だと虫刺されとかキツそうでやなんですけど!』
『それもそうだ、じゃあこれ塗るかい?』
カブウの表面から極彩色のどろりとした液体が溢れ出す。
『カヒュ…え、なにそれこわい。』
『虫除け油、暇だったから冥界通信教育受けて出せるようになったんだー』
『これ、何一つ理解できない俺が悪いのか?ちくしょう。ハァ…ほんじゃまぁ使わせてもらうけど…』
カブウの分泌した謎の液体を(本当に嫌々渋々)頭からかぶるジュラの死角で、天使ゼロは悪意に満ちた十字を切っていた。
とことん不憫な目に遭うジュラであったが、雰囲気は和やかになり真っ当な話し合いができそうな場は整った。
犠牲は大きかったが、これは間違いなく前進であろう。
『うーん、なんかこの汁生魚の臭いがする…じゃ話の続きだけど、飛行船に張ってる敵の数も質も分からないんだから、ホイホイ作戦は立てれねーんじゃ?』
『問題無い、この世のどんなモノより軽い天使の翼…要は俺の羽根を使えば連中の体温が起こす僅かな気流、それを探知できる。』
『はえー、便利。それで1人ずつ叩くってわけか。』
『無論、一手しくじれば乱戦になるとは思っておけ。ミスアイシクル、修理にかかる時間は?』
『………あ、私か!えーと、連れてかれる前に見た感じぶっ通しなら1日あれば終わるかなーと。最悪予備パーツで組み立て直すんですけど、それでも1日あればたぶんいけます。』
『早いな、助かる。なら、決行は明け方、それまでは各自自由に過ごす…これでいいか?』
誰からも異論は出なかった。
カブウは舌を振り回して虫を食べているし、イオンは謎のキノコを串に刺して焼いている。
『大丈夫!これうちの近所で見たことあるやつだから!』
とかなんとか言っていたが、ここはトトルス村からかなり離れている。
ホントに同じモノなんだろうか…
『……でさぁ、てめーはダンマリ決め込むなよ。なんか喋らないと息苦しくてしゃーねー。』
真横に座るゼロとの無言の時間に耐えかね、ジュラが嫌々話しかける。
『特に話すことなどない。』
『んなこと言われても、こっちがやりづらいんだよ…何をそんな焦ってんだ?』
『焦ってなどいない!』
ゼロの語気が強まる。
『……あっそ、せーぜー潰れないこった。じゃ話変えてやるけど、さっきはなんでわざわざ俺たちを助けにきたんだ?どんくさいイオンにでかいカブさんもいるんだから、1人でさっさと逃げちまったほうが楽だったろーに。』
『プラス腹立たしいコウモリヤローもな。…今の俺は負傷で飛べない。この樹海を脱するには飛行船に同乗するのが確実だっただけだ。』
『その結果、数の不利をとって連中と戦うことになってもか?てめー天使なら養成所で習ってるだろ、回復魔法。アレ翼にかけりゃあいいのに。』
『余計なことに気づくな。…できなくはないが魔力・体力ともに対価が大きい。消耗は避けたい。…それで納得できないなら、天使の性だとでも思っておけ。受けた義理は確実に返す。そういうように精神ができている、お前たち悪魔が約束を最も重要視するようにな。』
『あー、わかるわかる。その感覚かぁ。』
世間では、冗談めかして天使と悪魔は表裏一体などと言われることもあるが、それもあながち間違いではないのかもしれない。
どちらも頑強な肉体を持ち、人外の力を振るうことができる一方で精神を無意識下のルールで縛り、それを突かれると瞬時に崩れる。
いわば肉体よりむしろ精神に依存する生命存在といえる点で、間違いなく共通するところはあるのだろう。
(だからって、コイツと肩組んで仲良しこよしする日はこねーがな、ケッ!)
そんなことを考えつつ、焚き火をボーっと眺めるジュラの耳に乾いた小さな音が届いた。
音が聞こえた方に視線を向ける。
ゼロと動作が被ったことから空耳というわけではないらしい。
その視線の先、若い木の幹にいたのは小さなリスのような動物だった。
巨大生物2人の視線に気づき、硬直する小動物。
それはしばらく2人を睨みつけた後、徐に手足を広げて幹の表面に這いつくばった。
同時に手足の間に張られた弛んだ皮が伸び、描かれた目玉模様が見せつけられるかたちとなる。
派手なカラーリングの目玉模様はそれだけで威嚇として十分な効果が見込めるだろう。
だが、彼等はまだ知らない。
目玉模様のさらなる秘密を、そしてこの小動物が『樹海の番人』と呼ばれる数々の探検隊の命を奪った存在の一種であることを。
目玉模様に対し逃げる素振りを見せない敵(っぽい生物)に対し、その小動物は焦り早くも奥の手を切った。
ホルモンバランスの変動に伴い目玉模様周辺の発光蛋白質が一気に活性化していく。
直後、生物は見せつけるように目玉模様を淡く光らせ始めた。
それがただの光であれば別にどうということもない、ただの珍獣というだけの話だったのだろう。
だが、その燐光はとびきり悪質なタイプの魔力を帯びていた。
光った、そう認識すらしていないうちにジュラは割れるような頭痛に襲われ、地面に倒れ伏す。
まるで、頭蓋の中で一面に針がついた風船を膨らませているような、地獄という表現も生温い感覚。
網膜に残る目玉模様の残像がその原因だと気づいたとき、ジュラは迷いもなく自らの目を潰そうと指を立て………寸前で突き飛ばされる。
『何やってるのジュラ‼︎潰れちゃうよ⁉︎』
ジュラに馬乗りになって叫ぶイオン、横の方では同じく自らの目を潰そうとしていたゼロが間一髪触手で押さえつけられて正気を取り戻していた。
『あ…あ…それ、どうした?』
『え?なんか言ってる?聞こえないからもっとおっきい声で言ってよー。』
『イオン、それどしたんだよ…ケガでもしたのか⁉︎』
視界は乱れ、月光で陰影になってはいたが、それはよく見えた。
少女の両肩は赤黒い血でべっとりと濡れており、今この時もその細い首を伝う雫が紅の面積を増やし続けている。
にも関わらず本人はそれに気づいていないどころか、ジュラの質問にも答えずキョトンとした表情を浮かべている。
『そんなヘンな顔してどしたの?ほらきっと疲れてるんだから寝よ寝よ。』
『だから!その血はどうしたって聞いてるんだよォー!』
『ごめん、全然聞こえないんだけど!もーからかわないでよぅ。』
どうも会話が成立しない、それに違和感を覚えたと同時にジュラはあることに気づいた。
(血の元は…耳⁉︎まさか、通じてないんじゃなくて聞こえてないのか⁉︎)
手を伸ばし、地面に文字を書く。
"自分の耳、触ってみろ“
怪訝な顔で耳を触るイオンだったが、手についた液体を見て大体を察したらしい。
『ここから離れようジュラ!カブさんもゼロさんサポートしたげて!あと私たぶん今耳聞こえないから、伝わったら頷いて!』
カブウとジュラが縦に首を振ったのを確認すると、イオンはいそいそと全員の所持品をまとめ始める。
ジュラが生乾きの服を着直し、カブウが消化液をかけて焚き火を消すと一行は全力でその場から遠ざかり始めたのだった。
未だ視界が安定しないジュラとゼロは手を引かれながらなんとか樹海の中を駆けていく。
全員が全員途中何度転んだかわからなくなった頃、彼等は妙に開けた場所に出た。
月はすでに天頂から降り、地平線の向こうを目指しつつあった。
傾いた月光が差し込むその場所に、それは存在していた。
『フン♪フンフフ♪フフンフンフン♪…おや?』
軽い調子で鼻歌を歌っていた人影が訪問者に気づき、振り向く。
いや、白々しく今気づきましたというフリをしただけだ、ジュラはなぜかそう感じていた。
『どうしたんだいキミ達ィ、そんな泥だらけになって…酷い有様じゃあないかい?』
その『生物』、ここでは仮にそう呼ぼう。
その生物はヒトガタだった。
その生物は全身に蔓植物を模したような刺青をしていた。
その生物には黒目が存在しなかった。
その生物はボロ切れのような薄手の布を纏っていた。
…その生物からは強烈に、今すぐ己の鼻を潰したくなるほど死の臭いが漂っていた。
思わず一歩下がる。
生物が一歩進める。
『どうしたんだい、そんなに怖がることはないんだよ。ケガしてるんだろう?すぐに消毒した方がいい。心配は要らないさぁ、さる事情で消毒薬はいっぱいストックしてあるんだ。』
耳に届いた生物の言葉には、虚偽と奸計と邪智しか含まれていなかった。
カブウと目で合図を送り合い、逃走のタイミングを探る。
生物が一歩進める。
『無視しないでよー悲しいなぁ。あ、そうだ、どうせなら街の病院で治療を受けた方がいい。ついでに連れてってあげ…』
生物の言葉は続かなかった。
その発声器官があるであろう胸には太い氷柱が突き刺さっていた。
生物がそれを認識した直後、全身をさらに多くの氷柱に貫かれる。
『全員走れェェェー!決して後ろを振り返るなっ!』
ゼロの叫びを引き金にカブウはイオンを回収しつつ、ジュラは【マノン】で木を倒して即席のバリケードを整えつつ、それぞれが全力で走り出す。
もはや三重にブレる視界など気にしてはいられなかった。
なぜなら、その場を走り去る直前、彼等は確かに聞いてしまったのだ。
全身を貫かれ、即死している筈の生物が狂ったように笑い続けるその声を。
恐怖から来る錯覚か、その声はどこまで走ってもずっとずっと変わらない音量で着いてくるような気さえしていた。
夜が明け、猿人達の集落では戦士達が何かを取り囲んでいた。
若いリーダーが前に進み出る。
『まずはお帰りといってやるべきか、侵入者。その様子を見るに遭ったらしいな。番人達とあの「魔人」に。』
疲労困憊状態で座り込んだまま囲まれていたのはジュラ達一行であった。
息を切らし、下を向いたままジュラが言葉を発する。
『逃走に…ついては申し訳なかった……罪も償う…だが、聞かせろ…アレはなんだ……全部だ!』
ジュラ達は全員まとめて集落の診療所へと放り込まれたのだった。
リーダーの名前にある『ビヌヤンカ』とは、魔閣樹海における猿人達の統率者であるという証の称号で、苗字ではありません。
というか、そもそも苗字という文化がありません。
登場人物
ハスマル
魔閣樹海自警団の新米団員。
若くして完全に嫁さん(幼馴染)の尻に敷かれているが、夫婦仲は良好。
ヒルキー
魔閣樹海自警団の古株団員。
戦闘も警備も札なくこなすベテランだが、子沢山故に子供のエネルギーに当てられていつもヘロヘロ。
ハイロバ
魔閣樹海の猿人達をまとめる若きリーダー。
最近急逝した前任の遺言でに指名され、現在の立場に収まっている。
若さ故に長老会やベテラン戦士達に軽んじられがちで、本人もそれをずっと気にしている。
用語集
魔閣樹海
猿神様を信仰する猿人が独自の文化を持って暮らす深い樹海。
かつては閉鎖的で部外者を嫌っていたが、最近はかなりオープンになった。
魔人
定義がかなりあやふやだが、人間から魔物に寄った者や忌まわしい呪いでそうなったものなどの総称。
詳しくは次回本文中に。