『これより、作戦を通告します。まず場所ですが………皆様方、聞いておられますでしょうか?』
カシュアナが、空の木箱を講壇代わりにシリアスな雰囲気を漂わせる。
しかし、彼女を除く作戦の当事者達は皆完全にグロッキー状態となっていた。
『お疲れのところ悪いのですけれども、話は聞いていただかないと。ノリと勢いで成功は見込めないのですが…』
ジュラがやっとの思いで怨嗟の声を上げる。
『て…てめえに人の心はねーのか…てかどんなタフネスしてんだ…くそがよ。』
時は日の出の前に遡る。
慌ただしく準備を終えて、ジュラ達5人が一時の休息に甘んじていた、その時だった。
気品ある仕草で、荒っぽく固い黒パンを引きちぎろうとしていたカシュアナが、ふと手を止める。
『あ、移動時間忘れてたわ。』
そこからの混沌は語るに余りある。
何せ、慌てふためくカシュアナを問いただしてわかった目的地までの距離は、直線で50kmを超えていたのだ。
作戦前の下準備も考えれば、移動にかけられる時間は後4時間前後。
それ自体はどうということは無いのだが…
『どういうこったテメーーー!俺たちに声かけといて今更馬もなんも用意してないだとぉーー!ナメてんのか!』
カシュアナが必死に首を振る。
『断じて違います‼︎ただ、昨日まで誰も捕まえられなかったから、発注していなかっただけで!』
『尚更悪いわ!仮にテメー1人で突っ込むとして、移動手段も無しでどうするつもりだったんだ⁉︎』
カシュアナの目に困惑の色が差す。
『そこは、まあ。私が走った方が速いからなので…』
その言葉からは、毒気も嘘も匂ってはこない。
だからこそ、その会話を聞いた者はライコでさえもが引き攣った笑顔を浮かべるしかなかった。
『ええい、今から取れる馬屋探すぞ!手分けして…』
ライコがジュラの肩に手を置く。
『残念ながらな、そんなもんどこにも存在しねぇ。この街で馬を持った奴のやることは1つしかねぇんだ。』
『なんだよ!潰して食っちまうとでも言うのか⁉︎』
『逃げんのさ、このどうしようもない街(インフェルノ)からな。』
結局、ジュラ達は日の出を浴びつつの仲良しマラソンをこなすハメになり、目的地までほうほうの体でたどり着いたばかりだったのだ。
『ハァ…ハァ…アップでフルマラソンやらせるたぁいい度胸だ。報酬半額にして今スグテメェブッ殺していいか?』
地面に突っ伏したライコが怒りのこもった口調で言う。
『ぐっ…今はご容赦願いたいです。後で処刑場を予約させてもらいますゆえ…』
『クソ面倒クセェなこいつ…』
休み無く数十kmを走破した直後にも関わらず、カシュアナだけはピンピンしていた。
汗の一つもかかないどころか、呼吸の乱れさえ全く無い。
これはもう、体力馬鹿の領域を遥かに超えた大馬鹿者である。
(こいつ、本当に人間なんだろうな…?)
あまり人間への造詣が深くないジュラでさえもそう疑わずにはいられない。
開きっぱなしになったカブウの口から、イオンが這いずり出てくる。
ストレスとは無縁のような彼女も、3時間の暗黒閉所揺られ旅は耐え難かったらしい。
カブウの顎から転がり落ちたイオンは、数度言葉ともつかない声を上げて動くのを止めた。
おそらくもう死んでいる。
『色々と不手際があり申し訳ありません。手短に伝えるよう努力するので、今だけは起きてもらえませんか…?』
『とっととしろや。噛み殺すぞ。』
口だけである、今のライコにその元気は無い。
『感謝します!まず、標的はこの「スカルノーズ・サイレンス美術研究所」の正面入り口に直接現れます。他の場所では徒歩や馬車で移動していることから、おそらくは特定条件で発動する転移能力を使える者がいるはず。』
『出てきた瞬間を叩くのか?だったらわかりやすくてオレ好みだが。』
カシュアナが首を振る。
『いいえ、相手は神を自称する者。護衛の存在も考えれば、それだと確実に仕留められる保証が無いんです。だからまずは転移能力者を分断して、叩くのがベストかと。』
一理ある、一理はあるが次の一歩が見えてこない。
『分断っつてもなぁ。あらゆる物体の形変えるヤツをどう縛るんだよ。建物ごと崩すか?あの街見る限り、簡単に脱出されると思うけどよ。』
カシュアナが手近な壁に簡単な魔法陣を描く。
『ジュラさんの仰る通り。ですから、利用するべきは魔法。この美術館には最新の防火対策があり、ほんの少しでも火気を感じると、魔力障壁が構築される術式が仕込まれています。数は16、狙うとすれば…ここです。』
カシュアナが美術館の見取り図を開き、その一点を指差す。
そこは彫刻エリアのど真ん中からやや右寄り、主役級の作品群と壁際作品群の境目に当たる場所だった。
『また何でこの場所を?行ったこたねーが、見たとこやけに広くて、むしろ分断しにくそうなんだが。』
『だよな、ここの廊下にも壁あるじゃねぇか。こっちにしろよ。』
一見して、ライコの提案した場所の方が余程成功率は高そうに見える。
しかし、カシュアナは自信に満ちた顔でそれを却下した。
『いいえ、ここがいいんです。私、それなりに調査致しましたから。5回に渡って標的を追跡し、行動パターンは完全に把握しているのです。』
カシュアナが自信ありげに言い放つ。
『ソーデスカ、んじゃオレぁ何も言わねぇよ。』
『レディース・ファントムは中心の石像がお気に入りらしく、一度入ると2時間は眺め続けます。1時間も過ぎれば、護衛1人か2人以外は周りの作品を見て回っているので、そこを狙います。』
ジュラは感心したように頷く。
『おお、流石にちゃんと調べてるなぁ。』
『年パスも買ったんですよ。年パスも!』
『いやそんな誇らしげに言われても。防火システムの起動はどうすんだ?』
その返答としてカシュアナが懐から取り出したのは、短めの松明だった。
『炙ります。』
『魔法陣を?直接?』
カシュアナが無駄に神妙な顔で頷く。
実に緻密なパワープレイだ。
『うぅ〜じぬ〜いきがえる〜またじぬ〜』
イオンが蘇ったらしい。
『おかえり。まだ輪廻に囚われそうか?』
『解脱は遠いねー、話は大体聞いてたよ。とりあえず、入場券買ってくる。』
もはやカシュアナが入場券を買っていない前提である。
当人のばつが悪そうな反応を見るに、多分当たっているのだろうが。
『おー、大人4枚で頼むぜ。あ、ペット同伴可なら3枚でいいからな。』
ライコの年齢は知らないが、まぁこのなりと態度で3歳ということは無いだろう…無いよね?
(最悪、大は小を何とやらって話もあるし、問題無いだろ…)
まだ少しふらつくイオンの足取りを端に捉えつつ、改めて巨大な施設を眺める。
(よくやるぜこんな治安最悪の場所で。タライロンから集団強盗定期便とか来そうなもんだけどな。)
心の栄養には手を出さないという暗黒の美学でもあるのか、はたまたその悪巧みが確実に徒労となる程警備が厳重なのか…どちらにせよ、これからシステムを不正利用する身として、不審者即殺システムだとかは無いことを祈りたい。
自然と視線は本日苦楽も命運も共にする馬鹿野郎どもへと移る。
カシュアナは、何かブツブツ言いながら松明を灯す絶対要らないシミュレーションを繰り返しており、ライコに至っては地面に寝転がってイビキをかき始めている。(カブウは口を開け触手を四方に投げ出しての放熱中、過稼動した後はクールダウンが必要とのことだ。)
ジュラの口から溜め息が溢れる。
(イオンとカブさんはいいとして、緊張感のねーヤツにトンチンカンなヤツ…マジで大丈夫かよ。)
余計な不安を覚えずにはいられない面子だった。
直視すべきでは無かったかもしれない。
チケット売り場からイオンが駆け戻って来る。
『チケット買えたよーー!籠に閉じ込めとくならペットOKだって!』
カブウの猛烈な抗議もあり、一行はチケット4枚(と年パス)を携え、芸術の神殿へと踏み入ったのだった。
美術研究所入口、その荘厳な装飾で覆い尽くされた玄関は、訪れる者に適度な感動と緊張感を与え、己の感性をフル稼働することを奨励する。
その重い門戸が開かれてしばらくの後、入口から死角となる大柱の陰で動きがあった。
柱の彫刻に沿ってつけられた、羊歯の若芽のような模様から青の燐光を帯びた粒子が噴出し、その場で旋風のように渦を巻く。
次の瞬間、渦の中から人間の集団が現れ、足音も無く花崗岩の土台へと降り立った。
先頭に立つは小柄な男と細身の男。
その2人が周囲を見回し、危険は無いことを確認した後ハンドサインで合図する。
直後に大柄な男と立派なアフロヘアーを携えた男が降り立ち、魁の2人と共に渦の脇に立つ。
最後に降り立ったその男は、一目見て集団のリーダーだと察せられるような、過剰なまでの自信を備えたオーラを放っていた。
神も魔も己の前では路傍の石に等しいと本気で考え、全身に深く根を張り巡らせた不遜が溢れ出ている、そんな男だった。
灰色のシャツの上に流行りのノースリーブジャケットを羽織り、ノリの効いたカーゴパンツを履きこなす男の名はレディース・ファントム、今最も身柄を狙われているモテ男である。
護衛を含め手勢は5名、そのいずれもがチーム・ヤビーの中核を担う者達である。
無差別に鋭い眼光を飛ばしつつ入口へ向かう彼等を、植え込みの陰からひっそりと観察する存在があった。
標的の出現を確認した観察者が、素材の味丸出しの無骨な通信機を取り出し、口元に寄せた。
『あー、あー、こちらエージェントI。ホシの出現を確認。数は5人で柱の模様?から出てきました、どうぞ。』
エージェントIことイオン・アイシクルは、頭から爪先まで緑に染まり、遠目からは生垣と同化していた。
近くを通った来客から大きめの芋虫でも見たような反応を向けられても、彼女は植え込みでその時を待ち続けていたのだ。
そのかいあってか、それなりの手練らしいレディース・ファントムの一行にも全く存在を気取られていない。
【グリファータ】で染め上げた水を頭から被っただけの単純な変装だが、中々どうして効果的なものである。
『アー、アー、こちらエージェントC、了解しました。安全を確認次第、その模様らしきものを消去、もしくは改変させることができないか試してみてください。…これどうやってスイッチ切り替えるんです?』
『あー貸してみろ。えっと…ここだな。お疲れイオン、もしかしたらまだ出てくるかもだからな。十分気をつけろよ。あとカブさんにも情報共有頼んだ、それじゃ。』
ジュラが通信機の接続を切り替える。
通信を受け取ったカシュアナとジュラ及びライコは、美術研究所が誇る広大な展示スペースの天井に隠れていた。
眼下には作戦通達時に示された彫刻達がどっしりと構えている筈だが、ジュラ的に震えて動けなくなるには十分な高さであるため、残念ながらその姿は拝めていない。
天井の多くはフレスコ画で覆われていたが、管理用の通路はきっちりと張り巡らされており、彼等3人が潜むには十分な暗がりが存在していたのだ。
『感謝いたしますジュラさん…しかし、今のはいただけません。』
カシュアナの口調が少し咎めるような色を帯びる。
『ぅえ?俺なんかやらかしてたか⁉︎』
『お尻にエージェントJをつけ忘れてましたよ!』
カシュアナとしては至って真剣な指摘のつもりである。
『あー…それな、イオンが勝手に名乗ってただけのお遊びだから。深く気にすんなよ…』
『え!いらなかったのですか!』
これまた真剣な驚きである。
(ライコのヤツはカシュアナが真っ黒な政府の人間だって言ってたが…ホント大丈夫なのかコイツ。)
その事前情報ありきでカシュアナと関わった者なら、誰でも同じことを思うだろう。
そう考えざるをえない程に、彼女は黒い政府の駒らしからぬ、真面目でところどころ間の抜けた言動を繰り返している。
それでいて使命感や正義感は十分、体力・行動力共に有り余っているときた。
本当に後ろ暗い面のある組織にとっては、さぞ扱いにくい人材であろう。
(コイツ自身は悪いヤツじゃなさそうだが、厄介事の対処って名目で追い出されただけだったりして。…いつでも降りれる準備はしておくか。)
その考えがよぎった折にチクリと胸を刺す感覚があったのは、自分が既に少なからずカシュアナへの親しみを感じてしまっているためだろうか?
(いや、多少寝覚めが悪くなろうと優先順位はつけとくべきだな…うん。)
気を取りなおしたジュラが通信機の放つ電波を司るダイヤルを回す。
数ヶ月も同じ皿を囲っているだけあり、ジュラにはイオンが手がけるマシンの『癖』とでも言うべきものが、言語に起こすのが困難な程度ではあるが、何となく分かりかけてきていた。
かつてイオンフライヤーの頭脳、アミンはこう漏らしていた。
曰く、『いおんノ組ムしすてむハ少々独創的』であると。
手中にあるこの通信機とて例外ではない。
故に今、この場で通信機の本領を引き出してやれるのはジュラだけである。
『しかし、俺の脳内機械イメージがイオン基準になってんのがヤバいな。どっかで修正しないと、他所の使えねーぞ…』
しばらくして電波周波数の調整が終わったその時、ちょうど相手の端末からコールがあった。
『……………ずいぶんとまぁ、デケェな。』
レディース・ファントムとその護衛達は、入り口近くに鎮座する、見慣れない大理石製スタチューの前で足を止めていた。
ハンティングトロフィーさながらに大きな一枚板から飛び出すそれは、上顎からやや湾曲した一対の強大な牙を伸ばすモンスター蛙を形どっている。
『普通鹿や狼にするだろ…それとも、こんなバケモンが実在して、ソイツを狩る英雄譚があったりするのか?お前ならわかんだろアスタクス。』
呼びかけられた細身の男が首を捻る。
『若、わたくしとて水に満ちるものの生き字引ではございません。おそらくモデルはオオキバツノガエルでしょうが…どちらかと言えば、大地の深くに生息するという、半分幻のような存在です。』
『そうか、通りで図鑑でも見た事ねぇワケだ。もっと遠方の書も仕入れねぇとな。コイツを観るのは今日が初だが、まぁ悪くねぇ。この眼窩の下あたりだとかは、ついこないだまで生きてたのかと見紛う艶かしさがありやがる。』
レディース・ファントムが感嘆の唸り声を漏らす。
それもその筈、実際数ヶ月前までこの彫像もどきは肉を貪り、生を謳歌していたのだから。
その正体は少し体の構造を変化させ、展示品に擬態したカブウである。
皮膚から適度に水分を抜き、表面構造で変成作用によって設えられる結晶構造を真似る。
そこに体内で合成したワックスだとかの層を重ねれば、施設職員すら疑問を覚えないカブウ式究極完全擬態の完成である。
『もはや、できないこと数えた方が早いんじゃないか?』
この場にジュラがいたとしたら、間違いなくそうこぼしていただろう。
仲間に練習した技能を披露できず、カブウはまた悲しみを背負うのだ。
『ずいぶん、ご執心ですね、若。』
大柄な男がレディース・ファントムにボソボソと話しかける。
普段は寡黙な人間なのだろう。
話す前の咳払い(チューニング)からそれが滲み出ていた。
そして、大男の言葉通りレディース・ファントムは、擬態したカブウの全身(顔だけ)を穴が空くのではないかというほど丁寧に観察していた。
『ああ、買ってロビーに置いときたい。心底な。レプリカにゃあ絶対出せない生命の残滓がある、滅多にない逸品だろうがこりゃあ。よし、事を成した暁には必ずや俺の神殿のロビーに置くと、今決めた。』
『そうですか、では蒐集予定品リストに入れておきましょう。アスタ、こちらの作品に関する情報を職員の方に…』
『理解した。…しかし遅い。ファキソネラの奴腹でも下したか?』
細身の男がトイレから戻らない同僚に文句をぼやきつつ、職員を探しにその場を離れる。
そのやりとりの間、レディース・ファントムはじっとカブウの首元を見つめていた。
今、この男はなんと言った?
『俺の神殿』、カブウにはその発言が己への狂信と単なる冗談のどちらであるかは判断できなかった。
前者ならば、聞き流しはできない一言である。
そして、言葉に戯れの色は感じられなかった。
(まったく、他称でもなく自認とは。本気で神に近づくつもりなのかい。)
しかし、同時にカブウには心当たりがあった。
人の身で神に近づく方法、それはカブウの知る限り、少なくとも一種は確実に存在する。
(仮に、そうするつもりなら一番手っ取り早いのは…なるほど、武器も資金もそりゃ必要だろう。)
レディース・ファントムは相変わらずカブウの顔に釘付けになり、細部を舐め回すように観続けている。
いっそここで口を開き、目の前の頭蓋を噛み潰しておこうか。
カエルの捕食にかかる時間は、人間の認識→反応のプロセスなど比較にならないほどに高速である。
ましてや、襲撃の予兆が無い状態なら尚更反応はできない。
失敗する確率はゼロに等しいだろう。
護衛には袋叩きにされるかもしれないが、旅がやりにくくなったりといった、後々の憂いは無くせる可能性は高い。
滅多に無いことではあるがこのまま放っておけば、レディース・ファントムが本当に『成って』しまう可能性は十分に考えられる。
これまで、星の数程の人魔が臨んできた手法だが、成功したのはごく一部。
他は大抵、口に出すのも憚られるような悲惨極まる末路だった。
しかし今回は『神の如き』と、自他共に称する能力が備わっている。
その自覚と人々からの畏れが合わされば…
カブウは光の無い目を動かさず、護衛達の位置を確認する。
細身の男はその場を離れ、職員を求めて通路の角の向こうへと消えている。
手洗いに席を立ったファキソネラとかいうアフロの男は、壁内から触手で奇襲し絞め落としておいた。
今レディース・ファントムの側につくのは大男と小男の2人のみである。
(イオンからの通信によれば移動能力者はこの小男。念の為、分離してから仕掛けるべきか?)
カブウが考えを巡らせていたその最中だった。
レディース・ファントムがスクッと立ち上がり伸びをする。
『立ちくらみナシ…だが屈伸は必要だ。神が静脈塞栓症なんざ格好がつかないからな。』
徐にレディース・ファントムがカブウの牙を掴む。
『で、何が潜んでる?それとも、これ自体がそうなのか?』
その一言により厳かで居心地の良い空気が、薄暗い暴力の匂いを纏う。
(気づかれた⁉︎しらを切るべきか?それとも付喪神でも演じるべきか…?)
『奇怪だぞ、粘液腺と思しき部位は動いているが、血液の脈動は見当たらない。少なくとも彫刻に引っ付いただけの、亡霊の類ではなさそうだ。となると生物…しかしそもそも首だけで生きてるてな、どういうコトだ?「吸血鬼」には見えないぞ。』
既に護衛の2人も戦闘態勢をとっている。
もうダンマリでやり過ごすことができるレベルでは無さそうだ。
『えー、ゴホン。カエルの国からやってきた妖精です、と言えば信じるかい?』
『そりゃあいいな、池ヘビでもばら撒きに行ってやろうか?最高のショーになる。』
先に動いたのはカブウだった。
レディース・ファントムの周囲から、絨毯を突き破って触手が飛び出し、2人を覆う壁が形成される。
護衛2人がすぐさま攻撃を仕掛けるも、相手は水分を抜いて硬質化した触手の壁、簡単に突破できるものではない。
四方を囲まれ脱出不可能となった肉の牢獄の中で、カブウの喉に消化液が迫り上がる。
(少々痛いやり方だが、許したまえ!)
しかし、漂う濃い酸の臭いの中で、男は嗤っていた。
『半端者の両生類が、このレディース・ファントムが愚かな不敬を赦すとでも思ったのか?なら、もう少しは美しくマシに生きられるよう『創り直して』やる。』
直後、館内に水に浸した材木をへし折るような、おぞましい音が響き渡った。
その通信機から届く声は酷くか細く、また掠れていた。
『ああ…今持っているのはミスカシュアナですかな?誰でもいい、全員に声が届くように音量を…』
『カブさん………?いや、わかった!今出てるのは俺だ!ジュラだ!スピーカーモードにする!』
下を行く観覧者に気づかれるリスクを咎めようとしたカシュアナであったが、すぐにジュラが制止する。
『まずは静かにしてくれ。それからカブさんの話聞くまでは何も言わないでくれ!』
『いや、ですがしかし…音量が…』
『そいつに構ってちゃ話が進まねぇよ。無視しろ。それに…もうバレる心配はいらねぇよ。』
既にライコは異変を察知したらしく、寝そべったまましきりに耳を動かし、警戒した様子を見せている。
『すまない…先行し返り討ちに遭った…落とせたのはアフロの敵のみだ。今は分離した触手から発声し、通信しているけれど、状況はかなり悪い…キミ達は己の安全を最優先で行動してくれ。』
『わかったカブさん!今助けに行くからな!なんとか持ち堪えろよ!…切れたか。』
ジュラが目を瞑り天井の通路から飛び降りる。
『俺はカブさんを助けに行く、作戦外の行動を取ることになるが、生きてりゃ後で叱ってくれ!』
着地し目を開いたジュラが仰天する観覧者達の中天井を見上げて叫ぶも、視線の先には呆れたライコが1人いるのみであった。
ライコが親指でジュラの後方を指し示す。
少年が振り向くと、そこには既に飛び降り走り出しているカシュアナがいた。
『どうしたのジュラさん!早くカブさんさんを助けないと!手遅れになるっ!』
『お…おう。ありがとうよ。』
仲間であるジュラが気圧される程、カブウの状況に焦りを見せるカシュアナ。
背後のライコが徹底的に呆れ返っているであろうことは、容易に想像できた。
その行動は、会って一昼夜に満たない他人にさえ親身になる彼女の性格ゆえか。
はたまた、レディース・ファントムという男の危険性を、誰よりも理解しているゆえか。
どちらにせよ、ジュラにとっては心強い言葉だった。
徐々に異常事態の発生に勘づき始めた観覧者達は自然と道を開け、ジュラとカシュアナが全力でその中を駆け抜ける。
そこそこ広い館内とはいえ、2人の最高速度は四足の獣のダッシュに匹敵している。
さほど距離も離れていないカブウの持ち場ならば、ほんの少しで辿り着けるだろう。
(何人か、明らかにカブさんの方から逃げてきた客がいる…クソッ、無事でいてくれよ!)
広めの通路の角を曲がり、2人の足は止まる。
壁の一点に大きな穴が開いていた。
擬態したカブウが埋まっていた跡だろう。
それ以外の何にも傷は無く、立ち並ぶ作品達は日記の後半が余ってしまい、つまらないことで埋めたくなるような、いつもとなんら変わらない日常の雰囲気をもってそこにあった。
殆どの観覧者が逃げ出し、静まりかえったその場所に3人の人間が立っていた。
大柄な男に小柄な男、そしてその中間的な背格好で異質な存在感を放つ、態度の大きい男。
そして、その足元には原形もわからない程に捻られ縮れた、枯れ木のような何かが転がっていた。
『ん?…ああ、理解したぞ。久しいよなカシュアナ、隣のソレは彼氏か?くだらない顔してんな、ここを選ぶデートプランのセンスだけは褒められるが。』
2人の存在に気づいた男が、わざとらしく大袈裟な身振りで手を振る。
『カブさんをどこへやった…大きい2本の牙を知ってるはずだ。』
『ん?首から下げてるのは…年パスか!わかってきたらしいな!芸術とは、細胞膜内から湧き上がり形を成す、人的神性の再結晶だ。その迸りが、人生を何百倍も豊かにしてくれる。ようやっと入口だが、一先ずは歓迎するぜカシュアナ。』
ジュラが、今にも沸騰しそうな頭を押さえつけて発した言葉は、最初から存在すらしていなかったかの如く無視された。
ジュラの手に現出した魔剣が紫の光を帯びる。
『答えろォォーーーー!カブさんに何をしたァァーーーーーーーーッ!』
ジュラの怒号を浴びた男の額に青筋が浮かぶ。
『神聖な美術館で騒ぐなよこのタマナシのヘドカスがァァ!』
男が転がる謎の物体を蹴り飛ばす。
衝撃で折れた物体の先端は、カブウの触手にとてもよく似た形をしていた。
ジュラの脳内に最悪の想像がよぎる。
『テメェ…まさかテメェ…』
『んなギャアギャア喚くなら永遠に仕舞い込んでろ、このネクロフィリアがァ!』
ジュラの中で爆発があった。
全ての息を吐き出し、全速力で男の首へと斬りかかる。
『闘い』の意識ではない、『殺す』意思だけからなる直前的な攻撃は、しかしその苛烈さをもって尚男には届かない。
『グッ…ググ…んなバカなことが…』
『あっぶねぇぇぇ、どんな速度と馬鹿力だオイ、8mは動かされたぞ。』
男は、両手で端を握ったハンカチだけで魔剣の一閃を防いでいた。
床を抉り、後方には押し込んだものの、その体には全くダメージを負っていない。
まるで鋼にでもなったように固まったハンカチには、ほつれ1つさえ見当たらない。
あまりに非現実的な光景に思考が固まったジュラの胴体に、男が容赦の無い前蹴りを叩き込む。
靴に鉄塊でも仕込まれているのか、見た目以上に重い蹴りだった。
ジュラが床を転がり、男は滑らかさを取り戻したハンカチを畳んでポケットへしまう。
『下等の者に触れて、クツが汚れちまった。買い換えるか。』
『グッ…グオォー!テメェ…』
立ちあがろうとするジュラの手を男が勢いよく踏みつける。
骨の軋む音が痛みとともに体内を駆け、脳髄は緊急信号を発し続けている。
『黙って聞いてやりゃテメェテメェだと?不遜だぞ。俺の名はレディース・ファントム、この醜く腐り切った旧世界を終わらせる、新たな夜明けの神と知れ。』
『うるせぇ!何が神だ、テメェが帰るべきは頭の病院だ。神殿なんぞじゃねえ!』
男の瞼が怒りに震え出す。
『不敬、不埒、不快。貴様は救いようの無いゴミらしいが、創り直せば道も開けるかもなぁ〜!』
踏みつけられたままのジュラの手に奇妙な違和感が走る。
まるで、内部で無理矢理骨が動き回り、筋肉が好き勝手に繋ぐ場所を変え始めたかのような…自分が、全く別の何かに変態していくような感覚がそこにはあった。
『う、うぉあぁぁーー!』
思わず叫び声を上げる。
視界の端で、ジュラの援護を試みたカシュアナが大男に殴られ、吹き飛ばされるのが見えた。
『さあ!来世は何になりたい?水に満ちるものか?地を駆けるものか?天を埋めるものかぁ?』
地に伏すジュラの頭目掛けて男の手が振り下ろされようとしたその時、館内に非常ベルが鳴り響き防火の結界が張り巡らされた。
『なんだぁ⁉︎どうなってやがる⁉︎…!貴様はッ!』
手を止め周囲を見回すレディース・ファントムの目が捉えたのは、部屋の天井近くに描かれた魔法陣を松明で炙るライコの姿だった。
『ヤッホ〜、元マイ・ボス!10億コンスで再雇用させてやるぜ〜?』
レディース・ファントムの額に目に見えて青筋が浮かぶ。
『蛇のクソにも劣る野良犬風情がァ…貴様の首はムショのドアに打ちつけてやるぞ。』
天井を蹴った勢いに任せ、ライコの爪が振るわれる。
嗜虐趣向を隠す気も無い両の目を狙った一閃。
それはまたしてもハンカチで防がれたものの、ジュラの手から足をどけさせることには成功する。
『あ、ありがとよ助かった…』
『貸し1な、テメェの取り分から天引きしとくぜ。』
レディース・ファントムがハンカチを撫ぜると、たちまちその形は短刀に変化してゆく。
『自ら、始末されやすいよう降りてくるとはなぁ〜。野良犬の知性の限界か、神を見下ろす不遜に気づいたか。』
『ハッ、全能のカミサマは近眼にお困りみてぇだな。まるで周りが見えちゃいねぇ。』
張り巡らされた結界の内部でレディース・ファントムとその部下達は完全に分断されていた。
結界一枚隔てて転移能力者の小男が解呪を試みているも、術式が揺らいだ様子は無い。
魔界基準で見ても高度な結界だ、専門家でもなければ速やかな解除は難しいだろう。
よって今、ジュラとライコは狭い空間内でレディース・ファントムと2対1の有利をとっており、男を仕留めるには最上の好機の中にあった。
樹上性リスのそれに似た形状に歪められた左手を開閉し、右手一本で魔剣を構える。
(握力は残ってるが感覚が結構違う。左は魔法のみに絞るべきか。)
ジュラの隣ではライコが拳を鳴らし舌なめずりをしていた。
『カシュアナチャン、そっちのデクとチビは頼んだぜ〜。さて、聖典のラストページだ。ありきたりなフレーズで終わらせんなよ?』
ライコとジュラがほぼ同時に動いた。
それぞれが独立した、連携の素振りも無い動き。
それは味方など眼中に無く跳ね回るライコと、その動きに合わせようとすることの無意味さを早々に悟ったジュラが、それぞれの『我』を振るった結果である。
片や野生的で直線的な徒手空拳、片や変則的な剣技と速度を重視した魔法。
とても緻密とは言えないその攻撃は、それでも尚1人の人間を圧倒するに十分な手数だった。
援護の入る手段もない狭い結界の中、煌めく刃と爪牙を必死で躱すレディース・ファントム。
その顔には焦燥と疲労が露骨に現れており、もはや決着までは秒読みの状態だった。
2人の攻撃が徐々に薄皮を捉え始めた頃、大きく後ろに跳んだレディース・ファントムは絞り出すように言った。
『イキってんじゃねぇぞ三下のクズ虫どもが!仲間がもう1人、始末されるとも知らずによぉ〜!』
反射的に動きを止めたジュラの横をすり抜け、ライコが飛び出す。
直後、上段蹴りがレディース・ファントムの顎を捉え、体を床に打ち倒した。
『待てライコ!止まりやがれ!そしてテメー、どういうことだ⁉︎』
勢いのままに標的の足を踏み砕こうとしていたライコが、ジュラの刺すような語気を感じ取り追撃を止める。
柔らかな布に戻したハンカチで口の端から垂れかける血を拭いつつ、レディース・ファントムが上体を起こした。
『ぶぉ…がふぅ…踏み込みがあと2cmも深けりゃ、顎を金具で繋ぐハメになるとこだった…こんな屈辱は久しいぞ…クズ虫共。』
『聞かれたことだけ答えてろっ!俺がくだらねーおしゃべり好きに見えんのかっ!』
ジュラが剣先を突きつける。
『そのままの意味に決まってんだろ?既に俺の仲間が1人、無遠慮な目を向けてきやがった野郎を始末しに行ってる。そうだな…今頃は…とっくに入口あたりまで戻ってるだろうな?』
ジュラの背筋に冷たい衝撃が走る。
(イオンの居場所がバレているのか⁉︎どうやって…まさか、最初からなのか?)
レディース・ファントムは足に力が入らないのか、未だ立ち上がることができていない。
今畳み掛ければ、確実に倒せるだろう。
それでも、その不敵な笑みには絶対的勝利の確信が浮き出ていた。
『早いとこ助けてやった方がいんじゃねーか?自慢だが、俺の仲間は仕事が早いぞ。もしくは…ここで平和的に痛み分けって、のもあるなぁ。』
レディース・ファントムが懐から小さな白磁の板を取り出す。
『「オクリカンターヴィレ」、録音したメッセージを届ける魔法道具だ。片割れは仲間に持たせてある。俺と仲間の安全が確保できたなら、すぐに始末は不要と送ってやるが?』
ライコが動き、拳を振り上げ…ジュラがその手首を掴んだ。
『何のマネだ人もどき。』
『テメー、イオンを見殺しにする気か?俺たちゃ別に仲良しこよし団体行動じゃねーが、流石にそれは見過ごせねぇ。』
『なーに勘違いしてんだ?喉が残ってりゃ声は出せるだろ。崩れる手前まで壊しとくんだよ、二度と抵抗しようなんて思わねぇようにな。』
ライコは、ともすれば『邪魔するジュラから先に殺す』、そう言い出しかねない目をしていた。
場に危険な空気が漂う。
沈黙を破ったのは結界の向こう側のカシュアナだった。
『このカシュアナが、天の神に誓って保証する。我々はこの場において戦闘を即座に停止し、以後貴殿等がこの場を去るまでの如何なる行動も阻害することは無い!』
毅然とした宣誓だった。
『我々だぁ?オレを勝手に含めんじゃねぇよクソ女!ガキの命乞いなんざ、テメェ等だけで勝手にやってろ!』
ライコが吠えるも、カシュアナは眉一つ動かさない。
『期待を裏切らねぇな貴様は。さて、保証は得た、悠々と帰るか。』
『あ?このバカ共は別として、オレが逃すと…』
ライコの言葉が終わる前にレディース・ファントムが自らのポーチへ吸い込まれ、部下の小男の隣に出現する。
その床とポーチから覗く紙切れには、奇妙で書きにくそうなマークが描かれていた。
恐らくは、それが転移場所を示す印なのだろう。
ライコが吼え、結界を殴るも全く効果は無い。
カシュアナは標的の現出を前に、ただ歯を食いしばり、腕を後ろに組んで立っているばかりだった。
『ご無事ですか⁉︎若!マークを描くのが遅くなりました!なにぶん複雑なもので…』
『構わねぇよ、その能力に神も嫉妬してやがるのさ。さて、約束は違えるなよカシュアナ。代わりに教えてやる。最初のターゲットは貴様の兄貴…もといサイレンス共和国大統領、フランマリウス・ビキールの首だ。新世紀の礎にはピッタリだろ?』
カシュアナの目が大きく見開かれ、強く噛まれた唇から血が線となり流れる。
『後は、そうだな。安い骨に釣られて、飼い主の手を噛むようなバカ犬にもキッチリ痛みを教えてやる。覚悟しておけよ。』
ライコの返事は中指一本であった。
『生ゴミが…そうそう、俺も約束は守らねーとな。』
光の渦に消えつつあったレディース・ファントムが、オクリカンターヴィレを起動する。
『敵襲、貧乏犬が裏切った。速やかに逃避しろ。』
2枚の円盤から透明な翅が生え、結界をすり抜けて飛び去る。
『おい!イオンに攻撃しないってのが抜けてるだろ!』
『イオン…へぇ、そんな名か。ま、ハナから必要ねぇからな。あばよ素直なシロウトくん。年パス、大事にしろよカシュアナ。』
レディース・ファントムと2人の部下が光の渦と共に消え去る。
鳴り響く警報の中、そこにはただ急拵えのマークのみが残されていた。
『くそっ、あのヤロー約束破りやがった。早くこの結界なんとかしねーと!イオンが…』
ライコが舌打ちする。
『イオンイオンうるせ〜な、そんなにあのガキァ大事かよ。』
『あたりまえだ。』
『…ああそーかい。』
カシュアナが結界を蹴り砕いた。
その突然の行動に、2人は驚きとドン引きを隠せない。
『うおっ、すげー………』
『うわ、体力バカたぁ思ってたが…そこまでかよ…』
『ち、違う!断じて違うのです!これは魔滅の槍という技術で!固定された術式の一点を突き瓦解させるものなんです!決して力ずくでは!……おほん。ジュラさん、私は急ぐ必要は無いと思います。』
『一応聞いとく、なぜ?』
『おそらく、彼等はイオン氏の居場所を知らないからです。つまりはただのハッタリ、我々はそれに引っかかってしまったものかと。』
『何言ってんだ?現にアイツはイオンの居場所を言い当ててた!それに部下も確かに1人足りねぇだろ!』
『いえ、よく思い返してみてください。あくまで彼が口にしたのは部下の位置です。待ち伏せされていたことから、自分達の行動は観察されていたと判断。加えて、ここは入口のごく近く。山勘を張るなら、自分達が転移した場所までで十分と判断したのでしょう。1人がいない理由まではわかりませんが…』
いつからか、懐の通信機が震えていた。
ジュラが唾を飲んで通話を繋ぐ。
『あ、繋がった!もしもしジュラ?なんか建物ビービー言ってるけど大丈夫⁉︎なんかギャングの服着た人1人走ってどっか行っちゃったし、警備隊っぽい人たちも集まって来てるよ。』
『そうか、そうかよ。わかった、俺たちも脱出する。…ケガとかしてないか?』
『座ってたらアリに噛まれた。』
ジュラの心中に暖かな安心が湧き上がる。
『唾つけときなさいそんなの。…まぁ無事ならいいんだ。んじゃ後でな。』
『んー、待ってるよ〜。エージェントIからは以上です!』
通信が切れると同時に、ライコが呆れに満ちた溜め息を吐く。
程なくして、3人と一本はボヤ騒ぎに巻き込まれた、か弱い一般人として救助されたのだった。
『そんな…嘘でしょカブさん!返事をしてよ…カブさーーーん‼︎』
もはや、元がわからない程形を変えられた棒を前に、イオンが蹲り涙を流す。
その横でジュラは何も言えず目を瞑っている。
その悲劇をカシュアナは胸に手を当てて、ライコは不機嫌そうに腕を組んで、取り巻いていた。
イオンが涙を拭う。
『うぅ…カブさん…お墓には毎日蜂蜜を供えてあげるね…』
ジュラの目に決意が漲る。
『子ドラゴンの背肉もな、あんた大喰らいだから満足してくれるかはわかんないが。そして…必ず敵はとってやる。アイツら全員を墓の前に土下座させてやるからよ、少し待っててくれ。』
棒がひょいと立ち上がり2人を激励する。
『ああ、共に頑張ろう!』
『うあぁ!化けてでやがった‼︎塩!誰か塩!』
『ギャー!オレ死に損ない(アンデット)とかそれ系はダメなんだよ!近寄んなぁ!』
『お、落ち着いてください!今縁のある退魔チームに出動要請します!』
『ゔわぁ!ガブざんいぎでるぅ!(衝撃)』
カブウのハートに傷いっぱい。
『まったく、もうちょいと感動が欲しいな。復活だよ復活、聖人的偉業だよ。新聞の一面を占拠できるよ。』
体をギチギチと鳴らしながらカブウが言葉を発する。
発声器官は先程も使っていた触手だろう。
その体はほんの少しずつではあるが、元の形状へと近づいていた。
『ゔわぁ!ガブざんいぎでるぅ!(歓喜)』
『ハッハー、そうだとも。帰還せし活き活きカブさんだとも。だからもう泣くのはやめたまえ、キミに似合うのは笑顔さね。』
『あ、わかった。』
『うわぁ!いきなり泣き止むなよこえーな!てかカブさんも人が悪ぃ。ちゃんと生きて?んなら言ってくれよ。』
カブウが申し訳なさそうに頭を掻く。
『いやースマナイね。ファントム君を背中から刺そうとしてたら、完全に機を逸してしまった。ご心配をおかけしたと、心より反省するよ。』
『まぁいいよ、誰か1人とっ捕まえたんだろ?それも外出に着いてくるような懐刀って感じのヤツを。俺たちは得て、何も失わなかった。十分過ぎんだろ。』
ライコが軽く笑う。
『安い舐め合いなんざしてんじゃねぇよ。未知っつー最大の有利を失ってんだろ。これで連中仕留めんのは面倒になるぜ。あの移動法じゃオレも追跡できねぇし、走っていった奴も素直にアジトに帰るわけがねぇ。ついでに、捕まえたのが本当の場所を吐くとも限らねぇよ。』
『あ、それなら大丈夫だと思う。なんか様子がヘンだったから、逃げてく人の背中に電波式のマーカーくっつけといたんだ。』
イオンがカバンから鉄の豆粒のようなものを取り出す。
『単純な構造だけど、温度誘導で5mは飛ばせるよ!発信源はアミン…あ、うちの頼れるコンピュータね。その子が分析してくれてる。』
『はえー、意外と準備いいじゃねーか。』
『ライコ、たぶんこいつそうじゃ無い。待ってる間ヒマだったから工作してたってとこだろうよ。』
『さすがジュラ〜あったり〜』
緊張とかそういったものとは無縁のイオンである。
『転びながら杖作るかよフツー。ま、連中のことはそれで良いとして…後はテメェだな。つれない秘密は止めて、洗いざらい教えてくれよ。ビキィールチャン?』
カシュアナがピクリと震える。
『まぁ…いいんじゃねーか?生きてりゃ言いたくないことの1つや2つもあるもんだろ。』
ライコが黙ってシャツの前を開ける。
そこには鍛え抜かれた腹筋と、それよりはるかに目立つ腹部の一点を中心に隕石でも直撃したかのような傷痕があり、皮膚の色がグラデーションを伴って明るく変わっていた。
『数年前、とある男に受けた傷だ。食いもんが腹を満たす度に、ソイツの顔が浮かんで疼きやがる。あと、泳げねぇし魔力も一切使えねぇ。最後のは生まれつきだがな。対価はこれで十分か?』
ジュラは1人納得していた。
(なるほど、最初のズレた感覚はそれか。魔力の流れは悪魔にとって日常の感覚。その1つが急に無くなってたってわけか…難儀するな。)
魔力の行使、微弱な規模であれば大方の生物が無意識で行っている、生理現象ともいえるものだ。
それを欠いて生まれてきた者が、成長するまで生き残る…おそらくは稀な事例だろう。
『ふむ、「先天性隠魔症」か。さぞ苦労してきたことだろう、尊敬申し上げるよ。』
『ソイツはどうもデカ頭。無能だが安い同情向けるバカじゃねぇようで何よりだ。で、テメェは?』
カシュアナが俯く。
答えようか答えるまいか、わかりやすく思案している顔だった。
しかし、彼女は根本的に隠し事ができない人間である。
相手が弱味を曝け出した直後ともなれば尚更だ。
間も無く、彼女は口を開いた。
『前提として、この案件は私の役職やいかなる親族の意向とも関係の無いことを留意していただきたい。私はカシュアナ・ビキール、この国で大統領護衛官を務めていました。そして、現大統領フランマリウス・ビキールの妹でもあります。』
『過去形ってことは、今は違うのか?』
ジュラの素朴な気づきにカシュアナが頷く。
『レディース・ファントムの討伐にあたって、既に辞表は出してきました。捕虜となる失態を犯しても、『クビになった護衛官がヤケで起こした暴力事件』で済むように。そして、政府の非を立証できなければ、チーム・ヤビーへの牽制にもなります。』
『自分の命でどう転んでも最大の利益を生み出す策かい。感心はできないが嫌いじゃあない。しかし大丈夫なのかい?仮に捕虜となった場合、御兄様としては是が非でも助けたいと思うけれども。』
カシュアナが頭を下げる。
『お言葉、痛み入ります。しかしご安心ください。今の兄であれば、冷静に私を切り捨てる判断を下してくれることでしょう。ですので、皆様方も危険と判断した時点で絶対にお逃げください。私が殿を務めますから。』
『理解不能だな。公僕の精神ってやつかね。じゃあ何か、報酬金も国庫からくれんのか?足りなくなったらどうすんだ?』
『いえ、それは依頼者のロリータ氏が私財から負担してくださるそうです。足りない場合は………えーと、内臓のブローカーさんとかってご存知です?』
『テメェ1セットじゃ足りねぇよバカ。…もしかして、とんだ泥舟かコレ。』
(滅私奉公…か。そういや、じいちゃんや副官が自分自身のために何かしてるとこなんて見たこと無いな。俺もいずれはそうなんのかね…)
ぼんやりと将来を思い浮かべ、遠くを見るジュラの肩に手が置かれた。
『じゃ、次はテメェの番な?隠し事全部吐いとけよ。』
ライコがニッコリ微笑んでいた。
『はえ?いやいやいや、確かに俺にゃ言ってないこともあるけど、別に聞いたって何のアドバンテージにもなんねーよ⁉︎』
『それは聞き手が決めてやる、てかオレの個人的興味だ。あんまりに嗅いだことねぇタイプなもんでな。オラ、さっさと吐けオラ。』
『背中ぐりぐりすんなよもう!ハァ……わかったわかった周り、他に誰もいねーだろうな。……俺は本来地界にいない種族だ、悪魔って言ったら通じるか?』
ライコとカシュアナが驚きの表情を浮かべる。
『ホーっ!悪魔ねぇ…相当レアだな。だがオレァ見たことあるぜ。』
『マジか!一体どこで⁉︎』
ジュラの声が上ずる。
『地下オークションに脾臓が出てた。ホルマリン漬けだったぜ!』
『ありがとよ聞かなきゃよかったチクショウ。一応言っとくが、俺のこと売り捌こうとか考えるなよ?マジで斬るからな?』
『……………勿論ぜ!』
『なんだその間は。ぜってー報酬と売却でどっちが儲かるか考えただろ。』
カシュアナがおずおずと手を挙げる。
『失礼を承知でお聞きしたいのですが…私が子供の頃、悪魔には角や尻尾…消化液噴射器官があると聞いたのですが、ジュラさんはお持ちでないので?』
『(消化液噴射器官?)ああ、そんなのあったら1発でバレるからな、普段から魔法で隠してる。翼もあるぜ、一応。』
『(消化液噴射器官?)まぁライコ君が見た通り、正体を大っぴらにしてるといつ刻まれて出荷されるともわからないんだ。どうか、言いふしたりするのは止めてもらいたい。このカブさんからもお願いしておくよ。』
『(消化液噴射器官?)んなもん頼まれなくても言わねぇよ。金鉱脈を他人に見せるバカはいねぇ。』
『やっぱ売るつもりじゃねーか!まぁ助かる、ありがとよ。』
続いてカシュアナも頷く。
『私もそういたしましょう。それに、認識も改める必要がありそうです。どの書籍でも悪魔は邪悪の象徴や悪意の化身として描かれていますが、少なくとも貴方は善良で勇敢な戦士です。』
『へっへー、世辞はよせよ照れるじゃねーか。』
ジュラ・パズズ、ストレートな褒め言葉には露骨に弱い男である。
『本心です!あ、でも1つ質問をよろしいでしょうか?』
『聞こう、極端にプライベートなのはご遠慮願いたいけどな。』
『承知しました。えー、ぶっちゃけ、噂通りに気まぐれで呪いをかけて回ったり、純情な乙女を拐かしたりしているのでしょうか⁉︎もしそうであれば、1日何回とか決めていただけませんか⁉︎あんまり国民が酷い目に遭うのは困りますので…』
いっそ清々しい程、ストレートな質問だった。
それでいて、至って真剣な本人の様子がツボに入ったらしく、ライコが笑い転げている。
『………アンタは、もうちょいと歯に衣着せた方がいいな。ダメそうだけど。』
『…よく言われます。』
アミンから通信が入ったのはそれからすぐであった。
マーカーは馬車で北西に移動後一旦は姿を消し、川を3km程流下した地点で再出現していた。(おそらくは足跡と臭いを消すためであろう。)
『とりあえず、泳げる野郎だってのはわかった。ムカつくんでブチのめす。』
このマーカーの着くところ、それが決戦の地となるのだろうか。
曲がりなりに親交?を温めたジュラ一行は、ひとまず寝る場所を求めてライコセレクションの安宿へと向かうのだった。
レディース・ファントムは年パスに加えて、プレミアムファンプランにも加入しています。
そこそこ大口のスポンサーとして美術界隈で知られています。
登場人物
小柄な男
替えが効かない転移能力の使い手。
その条件は特定の手順で描かれた特定のマークを介してのみの移動。
ストックできるマークは最大10個。
アスタクス
チーム・ヤビーのNo.2、元河漁師で毒揉みをやらかした密猟者を殺してサルバタージョに入った。
大柄な男
チーム・ヤビーのNo.3、元木こりで倒した木を滑落させるミスを犯し、宝石商の馬車に激突させたことでサルバタージョに入った。
ファキソネラ
アフロがイカすナイスガイ。
自慢のアフロの手入れは欠かさず行い、クオリティの維持のためなら食事もグラム単位で管理する。
目標は至高のアフロチャンピオンシップスでグランプリ入賞を果たすこと。
能力は病原菌の有害性を底上げすることができる。
フランマリウス・ビキール
サイレンス共和国第34代大統領。
下半身不随の身ながら歴史的な改革を次々実践し、サイレンスの春風と呼ばれた。
用語集
スカルノーズ・サイレンス美術研究所
スカルノーズ財団が設立運営するサイレンス共和国最大の美術館。
展示物は多くが本物であり、保存と修復の高い技術を有していることが窺える。
吸血鬼
竜人から分化した種族。
膂力と俊敏性、再生力に長け、夜行性。
オクリカンターヴィレ
磁器製の蓄音通信機。
100m程度の短い距離ではあるが、広い領域の音を長時間記録して伝えることができる。
また、高級品には魔法的障壁を潜り抜ける仕組みが施されたものもある。
先天性隠魔症
人間を例とすると、およそ10万人に1人の確率で生まれる魔力を全く扱えない特異体質。
発症者は有害な力に直接晒されるため、幼少期に死亡することが多い。
また、異端として迫害されることも少なくない。