魔剣王正伝   作:プルプルマン

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皆、SBRを見よう。
それだけだ、それだけで十分なんだ。
他には何も望まない。


Menu.1 闇に生きる者

ムラなくペンキで染め上げられた翼の彫刻、その横にある取手を引いてドアを開ければ、カランコロンと心地の良いベルが鳴る。

俄かに店内を駆ける乾いた草の香りとベルの音に気づき、整えていたテーブルクロスを一旦置いたウェイターがドアの方へと向き直る。

ウェイターは客の顔を見上げ、ほんの少し口を閉じるも、即座に微笑みあくまで柔和に心にも無い言葉を口にした。

『いらっしゃいませ。早朝よりのご来店ありがとうございます〜。どうぞ、お好きな席にお掛けになってお待ちください。』

朝一番の客はドスドスとテラス席に向かい、半分ほど顔を出した朝日を浴びつつ腰掛ける。

程なくしてその目は無遠慮に店内を見回し始めた。

底意地の悪い継母がやる監視のように、じっくりと。

 

 

『イオンちゃん、ちょっとばっかコトネさん呼んできてくれ。』

イマイチ輝きに納得がいかず、キッチンの裏で丸トレーを磨き続けていたイオンが顔を上げる。

『わかりました、カンクーペさん。よいせっ。』

『頼むなー、カンクーペからの急ぎの用事ってよ。』

裾を引っ掛けそうになりながら奥へと消えてゆくイオンの背中に声をかけ、カンクーペはため息を吐く。

『よりによって今日か。バイトに対応させるにゃヘビーすぎるぜ。』

 

『どうかされましたかカンクーペさん。』

不意に背後から聞こえた声に男が縮み上がる。

『うぉあコトネさん!いたのかよ!』

『はい、呼ばれてただいま超特急のコトネですよ。爆弾でも投げ込まれましたか?』

『いや、少々面倒な客がなぁ。』

カンクーペの促すままに、そのテーブルを見たコトネは理解する。

『わかりました、わたしが対応しますので、カンクーペさんはアルバイトのみなさんへの周知をお願いします。』

『了解っと。あーあまったくやんなるねぇ。』

 

 

 

ジュラが納戸の扉を開け、中に入る。

宙に浮いた口に場所を告げられ1分と少し、並んだ顔ぶれを見るに、全員が集められたらしい。

『おっ、全員揃ったな。それじゃー急遽、業務上の最上級特別指令を下すから、キチッと聞いてくれよな。』

カンクーペの差し出した箱に腰掛けつつ、ジュラは唾を飲む。

一体何をこんなに秘密主義的に語ることがあるというのか、もしかするとライコかイオンがやらかして、連帯責任全員のクビ→肥料行きなんてありえるんじゃあないのか。

『いいか、今テラス席の真ん中に座ってる客、あれにゃー関わるな。できれば目も合わせるな。』

気を張ったジュラ達に向けられた要求は、たったそれだけのことだった。

『……それだけです?あんまり深刻そうな顔してるもんだから、俺はてっきり三行半かと。』

『ところがどっこい、これが結構重要なんだな。初日に言った、『地下室には決して入らない』の次くらいに重要なことだ。基本は俺とコトネさんで対応するから…』

ライコが足を踏み鳴らす。

『その客ってのは、大股で歩く225cm314kgの筋肉ダルマのことか?足音のクセから聞くに、よく転ぶ野郎だろ。』

『人狼は何人か知ってたけど、そこまで耳のいいやつは初めてだな。』

『当然だな、オレはライコ様だぜ。で、迷惑客ならブチのめしてやるが?』

カンクーペが半笑いで首を振る。

『冗談キツいな。気ぃ遣ってゼロとは言わないどくけどな、勝てる相手じゃない。京が一勝ててもその後すり潰されるさ、丹念に。』

『言ってくれるじゃねぇか、そのニヤケ面に感動の涙流させてや…なんだデカ頭。』

普段より迫力を増した顔のカブウの触手がライコを制止していた。

『今さっき壁に目を生やして見てきた…あれは、マズい。本能からの警告だっ。』

気軽に感覚器官が増殖していることにちょっと引っ掛かりを覚えつつ、カンクーペが頷く。

『目……?まぁそれより、その顔は客に見せない方がいい、整えとけよな。そしてビンゴなカンだ。アレはヨイヤミ・ロマネスコ、中央連合王国の最高戦力三枚盾の一角だからな。』

テラス席からは怒れる竜も逃げ出しそうな、世界を震わせる笑い声が轟いていた。

 

 

 

一対の青い角、その折れた方をイジりながらヨイヤミは手拭きを頬張り、感心していた。

『ちょいと甘い!いい店ってのはこんなとこまでサービスが効いてるのかァァー⁉︎』

耳栓をバッチリ装着しつつ、コトネが首を振る。

『お客様!気持ちはわかりますがそれは食用ではありません!あと!声が大きいと他のお客様のご迷惑になりますので!』

思いの外強めに言われてしょぼくれるヨイヤミ。

『えっ、おう…スマンかった…』

『なんておっしゃったんですか⁉︎ちょっと聞こえません!』

『そりゃ耳栓つけっぱだからでしょうよコトネさん。ほい、ご注文の『いつもの』ですぜっと。』

カンクーペがヨイヤミの前に皿を置く。

『カモワサナガヤのフリット、ソゥンソース添えお持ちしました。一口あたり十回ほど噛まねば悪夢に苛まれるらしいので、ご注意ください。』

皿の上では、形だけは細身の白身魚に見える揚げ物が身を捩って哭き、それに向かって周囲に散りばめられたレモンイエローのソースがじわじわと這い寄りつつあった。

『……これを?食えと?俺に?』

『注文したのはそちらじゃないですかお客さん。活きが良い内にどうぞ。』

『バカ言ってんじゃねぇ。フライと踊り食いってワードが手を組むことあるか。そもそもカモサワ何たらって何だ。おい店主、皿を下げさせろ…』

コトネは既にティーポットの中身をカップに注ぎ、ヨイヤミの前へ差し出していた。

『「ヒルドヒル」産のストレートティー、わたしのイチ推しです。』

『聞いちゃいねえ…』

『イチ推しです!』

 

 

 

『もちょっと詰めろよ。うまく見えない。』

『ウルセェな、ブッ殺すぞ?文句あんなら厨房戻ってろ。』

『いや気になりすぎんだよ、あの一品を食った客がどんな反応すんのか。制作工程見ちまってるから特によぉ〜!…こらイオン、帽子潰さないで。』

『ごめ〜ん。』

カウンターの陰に顔が3つ、ひっそりとテラス席の様子を伺っていた。

上から順にイオン、ジュラ、ライコ。

いずれも他に客のいない時間を退屈して過ごしていた者達である。

『一品だぁ…?オレに言わせりゃあんなニオイも何もしないモン、食い物たぁ言わねえょ。』

『そういや香ってこないな。さっきは…結構良いカンジだったんだけどよ。』

『幻嗅いでんのか?スパイスキメんのもほどほどにしとけ。』

『幻ねぇ…そうだったら俺の頭も焼き切れずに済むんだけどな。』

ジュラがポツリと呟く。

何しろ、助手として調理に携わった彼ですら、あの材料と手順から『アレ』が完成する理屈がわからなかったのだ。

(そもそもカモワサナガヤってなんなんだちくしょう。)

思わずぼやかずにはいられないほど、理解を拒む料理だった。

しかし味は確からしい。

一口頬張ったヨイヤミが背を丸め、皿ごと丸呑みしかねない勢いで二口目を求める。

1秒後、皿の中身は消えていた。

ヨイヤミの機嫌が目に見えて良くなり、何かを言われたコトネが頭を下げている。

『ああ、ちゃんと美味かったんだ…アレ…』

『ジュラがそれ言っちゃおしまいだよ。にしても、あの人が隊長さんと同じ三枚盾なんだ。初めて見た〜。』

ヒノ国で出会った軍人、ブライト・ロマネスコ。

三枚盾とは、中央連合王国の最高戦力と呼ばれる3人の個人の通称であり、ブライトはその1人だ。

ジュラ達が見たのは、その実力の一角と呼ぶのも烏滸がましい一瞬であったが、そこだけでさえ怖いも笑いも通り越した怪物だった。

『しっかし…まあ違うモンだな。性格かスタンスか知らねーけどよ。嵐を無理矢理押し込めたみてーな力を、隠そうともしないかよ。』

ブライトは話が荒事になるその瞬間まで、己の危険性を深く隠していた。

任務中で、そうすべき理由があった。

だが、仮にブライトが最初から実力を見せびらかしていたとしても、目の前にある傲慢と暴力が形をとったような『何か』にはならないだろう。

今この時、テラス席には足元から引き摺り込まれるような、見えざる異常大気領域が形成されていた。

『それに、あの人もロマネスコってことは。』

『間違いなく血縁なんだろーな。おんなじ種族にさえ見えねーけど。』

『…さっきから聞いてりゃテメェ等、三枚盾に会ってんのか?』

ジュラが頷く。

『ああ、詳しい事情は話したら消されそうなんで言えねーけど、ちょっとした縁でな。』

『ケッ、金貨は物乞いの元にはこねぇ。ずっと闘りてぇオレの元には尻尾も見せねぇってのによ。』

『やめてよー、友達同士のケンカなんて。』

 

『面白い話してんな。そんなとこでネズミみたいにしてないで、こっちこいよ。』

3人に向けられた荒々しい視線。

興味を持たれた、ただそれだけで息が苦しくなる程の重圧。

ジュラ・パズズはまたも体験したこの嫌な感覚に手足の腱が強張るのを感じていた。

『あーもう、客がいないからってサボって良いわけじゃないぞ。とりあえずこいよ、お客様がお呼びだ。』

カンクーペの手招きに従い、サボり屋達がゾロゾロとテラス席へ向かう。

だが、自分で呼びつけておきながら、ヨイヤミは彼等と向き合おうともしなかった。

挑発、というわけでは無い。

彼等の姿を一目見て、単純に興味を失った。

そんな態度だった。

『ヨォお客さん、何かお呼びですかぁ〜⁉︎』

当然、こういう時真っ先に目元をヒクつかせるのはライコである。

ヨイヤミは天井を眺めつつ、カップを掴み紅茶を飲み干した。

その行動には、向けられた敵意に対する注意も警戒も、ましてや侮りも無い。

ただ無関心だ。

『いや、弟の名前が聞こえたもんで、呼んでみたけどな…あんまりに小粒揃いで萎えちまっただけだ。』

ただでさえ堪忍袋の小さいライコ、そのストレートな言葉は完全に許容閾値を超えていた。

咄嗟に手を上げようとしたライコの前に、するりとイオンが入り込む。

『ブライトさんにご兄弟がいるなんて、知りませんでした。機会があったら、イオンから『あの時はお世話になりました』ってお伝えください。』

ヨイヤミが鼻を鳴らす。

『止められちまったか。ゴネてタダにしてもらう作戦がパーだ。』

コトネが溜め息を吐く。

『そんなけちなことなさらないでください。大問題ですよ。…別のお客様がいらしたようです。わたしが応対してきますので、後はカンクーペさんにお任せします。それと…今回はしょうがないですけど、なるべくキッチンにはいてあげてくださいね、ジュラさん。』

『はい…すみません店長。なるはやで戻ります。』

気取ったトップハットの客の元へと向かうコトネをよそに、ヨイヤミが首を鳴らす。

どうも相当に目立ちたがりな性分らしい。

そんなわざとらしいマネをせずとも、こちらの警戒対象は依然変わっていないというのに。

『改めて我が誇りある名をその記憶に刻もう、弟の愛すべき友人達よ。俺はヨイヤミ・ロマネスコ、中央連合の忠実にして偉大なる盾が一枚よ。』

自分を中心に三千世界が廻っているとでも言いたげな、粗野で、高慢ちきで、耳の中で何度も引っ掛かるような名乗りだった。

何から何まで、似ていない兄弟だ。

裏付けも無しに思い込むのは危険だが、ここまで違うとなると…

『で、ブライトは元気にしていたか?近ごろはお互い公務に追われて、メシも食いに行けん。』

『元気そうでしたよ〜、お連れの人達にもすごく良くしてもらったんです!』

イオンがにこやかに答える。

他所の国で、秘密裏に潜入して現地の王族とドンパチしてました…場所、タイミング、経緯、どれ一つとして口外していいワケがない。

ましてやこの場には何も知らないカンクーペがいるのだ。

このまま肝心なところはボカして、適当に持ち上げておくのが正解だろう。

ヨイヤミが先端に青い毛房のついた野牛のような尻尾を振って頷く。

『まぁ俺ほどじゃないが良い漢だからな。いつの世も民草はデカい輝きに集まるモンだ。それが目を焼こうともな。』

腕を組んだカンクーペが深々と相槌を打つ。

『わかる、わかります、同意見ですねぇ。何を隠そうこのカンクーペも、五臓六腑の奥までコトネさんという熱すぎる太陽に灼かれた身。お客さんの熱はどこから?』

『俺は惹きつける側さ。世界の中心とまでは驕らないが、凡俗共の目くらいは眩ませよう。優秀な兄というのは優秀な弟の手本だからな。ま俺を見習って、兄弟に恥じない生き方をしろよ。この世で一番濃い絆なんだから。』

カンクーペが肩をすぼめる。

『言い切りますねえお客さん、残念ながら私は一人っ子…いや異父弟ならいるかも?くらいの身分なもので、頂いた格言を実行することは叶わなそうですよ。』

『なんだ、人生倍付けで損してんな。じゃあガキ共、そっちはどうだ?』

『知らねぇです。橋の下で拾われたモンで。』

『父がアレだったもので、ちょっとどこに何人いるかも…』

『私もいないです。いてくれたらべたべたにかわいがるのに。』

少し言葉に迷った末、ヨイヤミがフォークに付いたソースを口に運ぶ。

『配慮に欠ける質問だったな、許せよ。じゃあ誰でも良い、己が『コイツにだけはカッコイイ兄貴分でありてぇ』、そう思える相手を据えておけ。かくいう俺とブライトにも血縁は無いしな。』

額から立ち上がる2本の青い角に、ブライトの…もとい猿人のものとは明らかに違う太い尾、なんとなく察してはいたが改めて言葉にされると奇妙な義兄弟である。

『よろしいので?ウチも防音建築構造にはこだわってますが、他のお客さんもおられますよ?』

気を利かせて制止したカンクーペを軽んじるように、ヨイヤミが鼻を鳴らす。

『ああ、知ってる奴ぁもう知ってる。別に言いふらしてるわけじゃないが、さりとてシークレットでもない。ヤツとサシ呑みした時、どういう女を目で追うかは知ってるが、出身がどこがだとかは知らない。そういう関係がベスト、と俺は常々考えている。』

『漢の友情って感じだ!カッコイイ!』

『ありがとうよお嬢さん、この店の看板娘交代も近いかもな?』

カンクーペが水嫌いの犬のように首を振る。

男には譲れないものがあるのだ。

『クック…重ねて言うが、兄弟ってのは本当にいいぞ。何より多少じゃれあっても兄弟げんかにカテゴライズされるからな。最近は荒事が無くてつまらないから、顔を合わせるたびに手合わせしている。この間なんか、ついに地理測量庁から辞書より厚い抗議文が送られてきたぞ。我々の仕事は祖国の地理情報を網羅し、その発展に寄与することである、決して!次々と造られる高難度アスレチックを踏破する求道者では無い、とよ。後は知らない、もう捨てたからな。』

これ以上無く迷惑千万である、こんなのを公人どころか国防の要として運用しているのが、世界一の大国というのだからロックな話だ。

『そろそろ国王陛下直々に戒められそうで、自重してはいる。つまらないこった。で、何人闘るんだ?まさかタイマンじゃないだろ?』

 

外の鳥が鳴き止み、窓から見える緑の一枚さえも動かなくなる。

大気そのものが麻痺してしまったかのように、朝日から温度が奪われてしまったかのように、緊張がその場を支配していた。

『何を言うんですかお客さん、怖いなぁもう。』

とりなそうとしたカンクーペに視線が向けられることは無い。

『半獣のガキ、お前に聞いているんだぞ。初っ端からガンつけやがって。度胸だけは買ってやる、葬式代にでもするんだな。』

『やめてくださいよお客サマァ、これは正当防衛とみてイイんだよなぁ!』

ライコの口角が吊り上がる。

ジュラ・パズズの冴え渡る脳細胞は、既に対処をシミュレーションしていた。

ライコをポカンとやって謝る?

傲岸不遜の体現者のようなヨイヤミが許してくれるとは限らない。

それにライコはやたら頑丈だ、素直にコテンといくとは限らない。

ヨイヤミと戦ってみる?

超論外、本当にブライトと同等の実力者なら、サイレンス共和国が地図を作り直すハメになるだけである。

ほっといて逃げる?

どこにいるかもわからないカブウを置いて逃げるわけにはいかない。

この雰囲気で姿を見せないあたり、未だ危機を認知してさえいない可能性が高いだろう。

(くそっ、ライコがバカなのはわかりきってるが!ここまでとは!うらむぞ…アレだけは披露したくなかった!)

ギャングと血みどろの闘争を繰り広げるハメになった、暗黒街紀行…その中で少年は一つの奥義を得ていた。

その銘は魔界的盆踊り‼︎

元はなんかクネクネとした実に魔界的な動きをもって、死者に敬意を示す魔界の伝統的な舞踊であり、当然これを舞うは王族の嗜みである!

しかし!海峡越えの前に披露した際は、イオンとカブウがしばらく目を合わせてくれなくなったという、ある種曰く付きの舞でもあるのだ!

しかし今はその性質を活かす時だろう。

対価として、尊厳という若き命の天秤に乗りうる重要事項を失う可能性は大いにあるが、もうこの際最終防衛ラインさえ守れるならそれでいい…そう考えよう!

ディーゼル燃料より火の着きやすい暴力偏愛家達を鎮めるには、そうするしかない。

誰かが1人大声で叫べばその場の全員が手を止め注意を向けざるをえないように、脈略無い奇行はフィールドの空気を容易くリセットすることが可能なのだ。

ジュラが呼吸を整え、いざ往かんと飛び出たその直後…氷河期が到来した。

 

視界の隅に現れたコトネが、空のバケツを抱えたまま一仕事やり切った感を醸しているのは認識できる。

ただ、なにゆえ己の横っ面に冷や水をかけられたのかが理解できないだけで。

正面からそれを浴びたライコとヨイヤミも、日光浴に興じる秋口のトカゲのようにキョトンとした表情を浮かべていた。

頬をつたう塊を指で拭ったライコが首を捻る。

『んだこれ?』

『みぞれ雪です。アヤカシさんに採ってきてもらいました。話の流れが穏やかでないようでしたので。』

確かに、今にも手を出しそうだった両者のテンションはクールダウンしているが。

『…一応聞くんですけど、なんで俺も?』

『すみませんジュラさん。急に飛び出してこられるもので、止めるべきかと思ったのですが…』

『ですが?』

『この機を逃すとインパクト薄いかなーと。』

『そこにワンステップあるならやめてくださいよぉーー!現在外気温31℃‼︎カゼひくじゃないですか!』

コトネがさっと後ろに下がる。

ちゃっかりジュラの帽子から飛んだ雫を避けて。

『本当にすみません、お給与に冷水手当をお付けします。』

『流石は俺たちのコトネさん、自由の化身だ。』

カンクーペがニヒルに微笑む。

『この店に!ブレーキはっ!ないんですかァーー!』

ヨイヤミがイオンから新しいナプキンを受け取り顔を拭く。

『得体の知れないモノを食わせ、喧嘩を売ってきた店員ごと顔面に氷水を浴びせる。イカれているのかこの店は。せめてぬるま湯にするとかあるだろうよ。』

『おっしゃる通りです、申し訳ありません。しかし皆さん一番嫌で静かになられるのは『冷たさ』じゃないですか。ボタン雪とか見るのも嫌になりますし。』

『そいつは諸説ありますぜコトネさん。世の中広いからさぁ。そうそう、すみませんねお客様。今乾かしますよっと。』

にわかに湧いてきた余計な仕事をこなし、若干前日より薄いもやを纏ったアヤカシが、巨大な吹子をテーブルへと向ける。

明らかに御家庭用ではない、タタラ場備え付けのようなそれを突きつけられ、未来を予見したヨイヤミが諦観を持って目を閉じた。

『狂ってやがる。濡らされ干され、客を夕顔だとでも思っていやがるのか。』

手で風を防ごうとするライコ、どうせ来るなら頭からお願いしますと開き直るジュラ、何故か今気になったテーブルクロスのズレを直しているイオン。

覚悟を決めた者もそうでもない者も、平等に射程圏内だ。

そして、全力で押された吹子から放たれたのは…トロトロのコーンポタージュを想起させるような、温か〜いそよ風だった。

なんなら、香ばしいクルトンの匂いまでしてくる気がする。

しかしそれはスポンジそのものを気体にしたかのように、よく水気を吸い取っていく。

カタツムリが浴びたら即死しかねないナニカだった。

『もうそろそろ乾いたんじゃありませんか?ついでに、シラミとかノミも寄り付かないようにしときましたよっと。』

『なんでそこだけ慈しみが?理解が追いつかない。闇の化身たるこの俺が、暗夜に迷わされた気分だ…』

『闇って…黒っぽい服着てるだけじゃねぇか。』

ライコの呟きを聞きつけたヨイヤミの額にしわが寄る。

『舐めるなよ。俺は強大なる闇の「権妖」だぞ。代替わりしてまだ50年かそこらだが、身の程知らずは全員夜歩けなくしてやった。』

 

嵐のように連続する大ボケも、全て押し流す程の衝撃。

ジュラは己の耳を疑っていた。

権妖、それはいわば神の一種だ。

ただし、その生まれには畏敬も奉拝も存在しない。

ただ、行き場を失い祀られることもなかった形無き『恐怖』の面そのものが、どうしようもなく吹き溜まった凶禍の顕現。

そして歴史上、何度も大災を引き起こしてきた思考する悪夢、そういう存在のはずだ。

それが、一つの国に従っている?

確かにヒノ国へ入れ込んでいたウラン(こっちはれっきとした神様だが)のようなのがいることは知っている。

それでも、こればかりは話が違う。

夕暮れの山道で理由も無く後ろを見てしまう感覚のように、多すぎる流れ星が希望よりむしろ不安を産む感覚のように。

権妖とは理解不能にして制御不能、言語さえ通じないということも珍しくない、魔物の中の魔物なのだ。

ましてや、相手は生物の始原に根差した『闇』の権妖を自称している。

なんらかの悪意を秘めて大国へ潜伏しているのか、はたまた権妖を調伏し使役さえできるからこそ大国なのか…

ほんの少しジュラの体が強張ったのを見透かされたのだろう。

ヨイヤミが軽く手を振る。

『別に陰謀論者が面白がるような理由は無い。単に俺が気に入ってて、法律上なんら問題は無いから従ってるだけのこと。純粋だろう?』

『ハッ!ようは腑抜けただけじゃあへぶっ!』

ライコの頭を叩いたカンクーペが頭を下げる。

『申し訳ありませんお客様、私どもの教育不行き届きでございます。本日の非礼を踏まえ、徹底的に反省してまいりますので、何卒ご容赦願います。』

『…一番マトモなのがお前か、つくづくどうなっているこの店は。もう出る、これ以上ここに居たら脳髄をマーマレードに置き換えられかねないからな!』

『まあまあお客様、せっかくですからデザートは味わっていってくださいな。その分のお代は結構ですから。』

粗暴に金を置いて席を立とうとしたヨイヤミの前に、紫のもやに運ばれてきた皿が差し出される。

『カモワサナガヤの臓腑パテです。素材そのものが持つ、芳醇な甘味をご賞味くださいませ。』

うやうやしく語るアヤカシの所作に、一切の欺瞞は無かった。

何せ、緑の蛍光を放つ薄切りの四角いパテは、その日の次元屈折レベルによって微妙に変化する素材のポテンシャルを最大限引き出した、シェフ自慢の一品である。

肉色酸ベリーソースを添えてバランスもいい。

『ついに産業廃棄物を出してきやがったか。生半可な毒で俺を仕留められると思っているのか?これでマズかったら向こう数万年はここを盆地に変え…………新世界だはぁ。』

一切れそれを口に運び、黙り込んだヨイヤミが次に言葉を発したのは退店直前だった。

ホントに毒を盛ったんじゃないかと心配していたジュラも、これには一安心である。

『知っているか?近年この国に行き先不明の武器が多く流されている。何かわかることがあったら、是非中央連合大使館に一報してくれ。我が国には世界の秩序を保つ崇高な使命があるからな。』

ホテルも取らずに出発した旅行客のような調子の言葉だった。

『こんなとこで物騒な話は困りますよヨイヤミさん。しかしわかりました、心得ておきます。本日はご来店ありがとうございました、そして度重なる無礼をお詫び申し上げます。』

深々と頭を下げるコトネに背を向け、嫌に荒々しい足取りで去っていくヨイヤミ。

遠ざかっていく敏感な耳に捕まらないよう、ジュラ達バイト組の声がトーンを落とす。

『アイツの言う武器の件って、レディース・ファントムのテロ計画の事じゃねーか?タイムリー過ぎるしよ。』

『三枚盾の人ってめちゃ忙しいって聞いたし、やっぱり仕事で来てるんだねー。』

『だとすりゃ憐れなチンピラだな。三枚盾の前にこのライコと一戦交えることになっちまうとは。オレを敵に回した時点で詰んでることには変わりねぇけどな。』

『どこから湧いてくんだよその自信、羨ましいよいっそ。しかしあんなのが出てくんならどっちにせよ鎮圧はされてただろーな、俺たちゃ骨折り損だぜ。』

こそこそと話していた3人の目の前にコトネが立つ。

その表情はいつもとなんら変わらないものの、いかにも不満がありますよという態度だった。

『ライコさん、お客さんと喧嘩されるのは困ります。ウチは内装とかにもこだわりがあるんですよ。』

『お言葉ですがね店長、仕掛けてきたのはあっちですぜ?悪質クレーマーから、大切な店と同僚を守り抜くのがオレの仕事じゃねぇですか。』

『心にも無いこと、心にも無いように言うねぇ。このカンクーペの故郷では、『男である前に紳士であれ』と、口酸っぱく言われる。欲求にストレートなのは仲良くやれそうだがな、ガワくらいは取り繕おうぜ?』

カンクーペの故郷の者は早急に気づいてほしい、あなた方の教えの意味が著しく曲解されている。

『一理あるような気がしなくもありませんが、やっぱり暴力沙汰は困ります。今後は『コトネのダメ禁止条項』に追加しておきますので、しっかり反省してください。』

ただただ困惑するバイト組。

それもそのはず、彼等は『コトネのダメ禁止条項』など、見たことも聞いたことも無かったのである!

いち早く事情を察したカンクーペがコトネの方を向いて問いかける。

『誰にでもミスってあるよなコトネさん…ダ禁条、ちゃんと渡した?』

『…………コトネフェイントですよ。』

この店の将来が甚く心配である。

一方、この騒動の間カブウは花壇の雑草と格闘し続けていた。

彼が、己の触手から滲み出る栄養液で抜いたそばから雑草が再生することに気づいたのは、ヨイヤミの退店からさらに2時間後の昼の演奏直前のことであった。

 

 

 

 

ジュラがランタンの灯りをつけ、真っ白なベッドに寝転がる。

一人当たり与えられる一部屋、三食心配不要、そしてあの高給…やはり深く考えると勝手に心拍数が跳ね上がっていくタイプの怪しさである。

(かといって、今日だけ見る分にはどこも変なとこ無いんだよなぁ。ツッコミどころは無限にあるけど。ホントにヤバそうな時は全力で逃げればいいか、アミンに連絡して飛行船回してもらうって手もある。)

カサリとポケットの中身が音を立てた。

僅かに飛び出したそれは、先程受け取ったコトネのダメ禁止条項、とやらだ。

どうせこの後もイオンかカブウが突撃してくる、それまでの暇潰しには良さそうである。

巻かれた紙を広げ、色々と書かれた文に目を通していく。

『ふんふん…店内での過剰な魔法使用は基本禁止、そりゃそうだな色々ぶっ飛びかねないし。…店内でのダウジング及び穴掘りの禁止、マジにやったヤツいたのかな。…お風呂の時間はコトネ→皆さんを絶対厳守!(私は一番風呂が好きです、とても。)……自由過ぎるなぁ。』

そこそこに薄っぺらいルールブックを早々に読破し、いつしかジュラは眠りに落ちていた。

眠気を誘ったのが、ランタンに封じられた鮮燈色のワルツか、常識外れの慣れない仕事か、少なくとも本人に窺い知る術は無い。

そして、他のバイト達も皆同じようにして眠りへ誘われていったのだった。

 

 

 

月光に映える刃は、それだけで業物だ。

試した後でさえ魅惑性を保つなら、立派な大業物。

穢れの中にあっても、澄み切った夜を閉じ込めた物は…

取り出したワタを艶やかに、しかし整然と散らした様は、自分贔屓の作者に言わせればアートの一ジャンルにだってなれる。

たとえ元の形を失っても、素晴らしき夜が明けてしまうまで神聖な対話は続くのだ。

脂も水も寄せ付けない特別な装束を纏い、最上の得物を携えて、煩わしい朝を忘れよう。

くれぐれも、辟易する掃除のことなど考えないように。




カモワサナガヤって何?

登場人物

ヨイヤミ・ロマネスコ
中央連合の三枚盾…の力担当。
お前のような盾がいるか。
歴代の闇の権妖では唯一意思疎通が可能で、通説ではガス燈や電燈の普及で暗闇が絶対不可侵の存在ではなくなったためだと考えられる。

用語集

ヒルドヒル
平地に近いなだらかな丘陵地帯。
カロウエル屈指の紅茶の名産地。

権妖
一人で一つの根源を形成する魔物。
概念や正体不明の恐怖、災害などから発生する。
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