『店主にお願い申し上げる!仕事に障り無い時間で結構、シェフを呼んでくれたまえ!』
突然立ち上がった紳士の要請に応える者はいない。
『シェフを!是非に!』
『…もしかして、私めに?』
壁で休息中だったカブウが片目を開ける。
紳士は当然のことだと言わんばかりに頷いていた。
『ご期待いただき申し訳ありませんが、店長はあちらでして。』
『なんと!いや失礼、貴方が一番存在感のある風体であったもので。』
『いやぁ、表面積的に店の顔を名乗れるポテンシャルはあるかもしれませんがね。まぁお席でお待ちください。すぐにお伝えしますよ。』
再び同席者達との歓談に興じ始めた紳士を尻目に、カブウはせっせと音声伝達用の触手を伸ばすのだった。
おずおずとアヤカシがテーブルに近づき、ジュラもそれに続く。
根は小心者のこのシェフ、キッチンからそれも客に呼び出されるという非日常に恐れをなし、その体は干し海鼠より縮まっていた。
当然、帽子を取っていつでも平身低頭形態への移行は可能としている。
『本日はご来店ありがとうございますお客様…それで…その、何か当方の料理に問題がございましたでしょうか?』
紳士が帽子を浮かせる。
『いや横柄な態度で申し訳ない。吾輩、いや我々一同、どうしても貴方方に言わねばならないことができましてね。』
イマイチ覚悟を決めきれていないが、アヤカシは受け入れる構えだ。
『…何なりと。』
紳士を含め、同席していた4人が立ち上がり拍手を始めた。
『この気品高く泡立つサンドイッチ、大変な美味でありました!我々一同、その類稀なる技術に敬意を表します!』
拍手がより一層強まり、置いていかれたシェフ達が何をするでもなく立ち尽くす。
『あ…ありがとうございます?』
やっと控えめな礼を搾り出したアヤカシに、代表者らしき紳士が手を差し出す。
『今日はこの店に来られて良かった。最初は合わないエスニックだったらどうしようなどと、無礼な杞憂を抱いてしまったことをお許し願いたい。』
『いやぁ…とんでもない…へへぇ…』
喜びで関節の向きを不安定にさせつつ、アヤカシが握手に応じる。
あくまで助手のジュラでさえいい気分だ。
毎日は面倒だろうが、たまにはこういうオーバーなくらいの客が来て欲しい。
『そちらのお若い方も、この料理を?輝かしい才覚ですなぁ。』
『いやいやそれほどでもありませんよ、光栄です。』
ジュラもまた、シガーケースを五つも腰に巻いた「幻妖族」の老人から握手を求められ、『しかたなく』それに応じる。
今夜はさぞいい夢を見るだろう。
『いや、これぞ感動だ。流石は特別顧問、こんな名店をご存知とは。吾輩も精進せねば。』
『代表!いつにも増して口がお軽いですわよ!秘密結社のお自覚を持っていただきませんと!』
1人感じ入る紳士を対面の女性が嗜める。
『すまない、自省するよ。』
右足をさすりつつ老人が首を振る。
『今年に入ってから20回は聞きましたなぁ。このままでは我等の策謀も筒抜け、インタビューの文面を考える担当が必要になってしまう。』
寡黙な船乗り風の男が同調して頷く。
『本当に済まない、いや情報漏洩困った困った〜。』
ジュラはその紳士の口ぶりが、何に分類されるか知っている。
イオンで言うところの『誰にも見せられないマル秘メカ』だ。
要するにもっと突っ込んで聞いて欲しいという、小癪なアピールである。
『どうしますアヤカシさん、なんか結社っぽいこと言ってますけど、通報でもしときます?』
そう囁いた後に気づく、アヤカシの顔に材料の順番をど忘れしたかのような緊張が走っていることを。
『秘密結社…だと…』
『いや何大真面目に受けてんですか。乗っかり過ぎると戻るの大変ですよ…』
ジュラの言葉に対して、客達の顔に驚くほどわかりやすい微笑が浮かぶ。
『素晴らしき原石ではあるが、やはりまだお若い。計り知れぬ闇の存在を感じ取れぬのだから。』
『ええ、ですが喜ばしいことにはお違いありませんわ。だって、彼のような少年を闇から遠ざけるのも、我等のお使命ですもの。』
『…健全に。』
『吾輩も同意。しかし…どうしても、人生を投げ打ってでも闇を識りたいというのであれば、我々のことをお教えしよう!』
『あ、結構ですー。おーいイオン、お前の好きそうなお客様来たぞー。』
せかせかと寄ってきたイオンにバトンタッチしようとしたら瞬間、ジュラの肩ががっしり掴まれる。
『あのー、キッチンもどりませんかアヤカシさん。』
『ヘイジュラ、おれ達サービスがものを言う業種だぞ?ちょっとくらい話聞いてあげてもよくないか?…ていうか、体良くできた休憩時なんだし満喫しようや。』
この店の八割方をワンオペする烈士の、切実な願いであった。
もう手慣れたものなのだろう。
紳士は一度の咳払いでチューニングを終え、小粋に紅茶を飲み干した後、三拍ほど置いて話し始めた。
『結論から入らせていただこう。我々は秘密結社「シングリラ」、天より異能を授かって産まれた恵まれし者達による、最も崇高な秘密結社である。』
他の3人から隙間風のような口笛が飛ぶ。
『…お客様全員能力者、ってことで?』
『グレイトです、若きスーシェフ。』
気軽な物言いだが、先程の彼等の言葉は嘘でも誇張でもないかもしれない。
そして、アヤカシの反応こそが順当なものだったのかもしれない。
少なくともジュラはそう思い始めていた。
多数の能力者を擁する組織、実に喜ばしいことにその厄介さは骨身に染みて理解している。
法則を超越した予測不能な力は、徒党を組むことで何倍にも危険な存在となる。
本気でクーデターをやろうとしていたあのギャング達は、幹部級以外の能力者はおそらく3〜4名程度だった。
それでも専用の作戦を組み、本拠地に奇襲をかけたこちらに容易く対応してきたのだ。
口ぶりから察するに、シングリラとやらは構成員の全てか大部分が能力者で構成されているのではないだろうか?
だとすれば…目の前に居るのは、スマイルの面を被った世界でもトップクラスに危険な集団なのではないだろうか?
自分達はいつのまにか、そこら中から硫黄の噴き上がる火山火口に座り込んでいたのではないか?
慎重に言葉を選び、ジュラが問いかける。
『その…あんまりに夢みたいな話で、驚くばかりですよ。…参考までに、どんな力をお持ちとか教えていただけたりします?』
構成員達の口角が露骨に上がる。
そいつを一番聞いて欲しかった、言わずともそう伝わるステキな笑みだ。
『仕方ありません、トップシークレットで願いますよ。まずは吾輩、表の顔は紋章官、されど裏ではシングリラの代表を務めております、ムーディー・ホワイトJrと申します。吾輩の恐るべき能力は…塩と砂糖を瞬時に変換することが可能!この絶大なる力で、何度ホワイト家の食卓を救ったことか!』
(…アレ?)
杖を立てかけ、老人が立ち上がる。
『ランフー・ドゥ、普段は喉の医者をやっております。我が恐るべき能力は…右手に一抱えほどの岩を出現させることっ!持てるかどうかはさておき、庭石に困った経験はありませんなぁ!』
(右足庇ってんのって、石が上に落ちたから…とかじゃないだろうな。)
気取った仕草で女性が立ち上がる。
『三番手はわたくし、ラミナ・L・オース。甘美なる「オース一族」のお麒麟児ですわ!華麗で恐るべき能力は…わたくし以外全てのお時間を止められますの!お呼吸不可能で目も見えない瑣末な問題はありますけれども、15秒くらいの考え事には便利ですわ!』
(なんとなーく、傾向というか水準が読めて来たぞ。)
ムーディー代表に促され、寡黙な男が立ち上がる。
『さる貿易会社で機関士をやっております、ガム・チョルドと申します。保有する恐るべき能力は…お見せした方が早いかと。』
晩秋の虫の羽音より儚い声でそう告げた後、チョルドは歯を食いしばり顎を砕かんばかりの勢いで全身を硬直させ始めた。
『おおおお客様ァ!大丈夫なんですかァ!』
もはや苦悶の域にある男の表情に、慌ててアヤカシが止めに入る。
しかし男に反応は無い。
意識でも飛んで危険な状況なのかと思いきや、他のメンバー達が『今日はうまくいくかな。』『良質な美味を味わっとりますからなぁ。』などと、緊張感0の会話をしているあたり、いつものことなのかもしれない。
『ヌゥゥゥゥンアァァッ!!』
瞬間、男の全身から光が迸り、空中で凝縮されたそれは、形を整えながら椅子の背に舞い降りた。
発光が収まった時、そこにいたのは…なんかちっぽけな虫だった。
その折れた色鉛筆の芯のような虫は、思ったより滑りやすい椅子の上で必死に横歩きをしては休憩を繰り返している。
『…虫を出す能力ってのはわかったんですけど、なんかチョルド様動いてなくないですか?』
目の前で事故物件が仕上がってしまったのではないかと声を震わすジュラに対し、ムーディー代表が一歩前に出る。
『吾輩から補足をば。チョルド氏の出した虫はヨコバイ、セミに近しいグループです。氏はこの小さき勇者に自身の精神を共有し、思うがまま!どこにも行くことができるのです!とはいえ、6本足を動かす難しさゆえに両方を動かすことは今後の目標だとのこと。』
自在にテーブルの上を飛び回るチョルド(inヨコバイ)、いつのまにか目覚めていたカブウがその挙動をじっと目で追っていた。
『カブさん、そちらお客様だから!変な気起こすなよ!』
『失礼しちゃうなぁ、知っての通りカブさん理性には自信があるんだ。』
『触手の先っぽがハエ叩きみたいになってってるのは、おれの気のせいかしら。気のせいだと言ってくれお前達の仲間だろ。』
アヤカシの縋るような視線を無視するジュラ。
『問題ありませんわ、シェフ。この間おヒキガエルに食べられた時も、意識はすぐ戻りましたもの。それよりも、わたくしとて能力を見せびらかしたいですわ。』
ムーディー代表が頷く。
『いつものやつでいくかい、Ms.オース。』
『ええ、アシスタントをお願いしますの。』
自分以外に立証不能な止まった時間を見せる、それはごくシンプルに矛盾した宣言ではないか。
一体、どんなワザを見せてくれるのだろうか?
ラミナ・L・オースが深呼吸する。
『お準備は整いました、いつでもよろしくってよ。』
『では、失礼して。6,524×85は!』
『554,540ですわ!』
『32年前の「聖石祭」は!』
『ゼェ…7月第3週14日ですわ!』
『現在、17200コンス分の「宝石鼬」毛皮をサイレンス共和国で買い、海路輸送且つモンストルム帝国の市場制度に則って販売した時、利益を出せる最小の価格は!』
『ゼェ…諸々の費用込みで…ゼェ…56233コンスですわ…』
問答のたびに顔色が悪くなっていたオースが椅子にぐったりと座り込む。
『依然変わらずすばらしい能力だ。そして彼女の代わりに言わせていただこう、いかがですかな?』
代表の誇らしげな問いかけに、どう返したものかしばし悩むオーディエンス。
少しの間をおいて、アヤカシが遠慮がちに切り出した。
『えーお客様、大変ありがたいパフォーマンスだったのですが、何分おれ達は愚鈍なもので。どういうものだったご説明願えますでしょうか…』
多分にリップサービスを含んだ、『今何見せられたの?』である。
『ホホホ、彼女だけの時間を利用し一瞬で計算をこなす、他の誰にも成し得ぬ妙技ですよ。これぞ動かぬ時間が在ることの、動かぬ証拠と言えます。』
突進と書いてブレインとでも読みそうなゴリ押しである。
しかも、頭を余計に動かす分本人が酸欠気味になっている。
『すごいよジュラ!多分全部合ってる!』
それでもイオンはいたく感銘を受けているらしい。
アミンが聞いたら面倒な嫉妬を起こしそうなことだ。
『そりゃあ確かにスゲーけど、これ能力というより本人の頑張りなんじゃ…』
ちょっと回復したオースが椅子に寄りかかって立ち上がり、洋服の裾を持ち上げつつ一礼する。
『ゼェ…いかがでして?世界をささやかにお支配するこの力、甘美なるわたくしに相応しくありませんこと?』
青白い顔に自信を湛えたオースに、屈託ない拍手を捧げるシングリラの構成員達。
醸成されたアットホームに置いてけぼりにされつつ、ジュラ・パズズは確信していた。
(この人達…素でやってんだ。ただ、能力を持って生まれた自分はすばらしい存在だって、心の底から信じてやがるんだっ。)
不穏な気配を匂わせ始めた時はまた面倒事かと思ったが、要らぬ心配だったようだ。
ジュラの見立てでは、彼等はデンジャラスでアンタッチャブルな存在ではない。
むしろ、森の奥で見つけた特大の樹洞を共有する悪ガキ達のような、無邪気な結束で動く仲良し集団なのだろう。
それは、彼等をもてなす他の面々も察していたらしい。
特に、文字通り聞き耳を立てていたライコは、彼等が武力の集団ではないとわかった途端に興味を失ったのだろう。
心底どうでもいい、と言いたげな足音を鳴らしつつ定位置へ戻っていく。
正直で結構なことである。
拍手が収まりつつあったタイミングを狙い、アヤカシがついと頭を下げる。
『大変興味深く、奇跡としか形容のしようが無い力を勉強させていただきました。従業員一同、いたく感銘を受けました事を、代表して申し上げます。名残惜しい限りではございますが、時とは矢のように過ぎゆくモノであるため、これにて失礼させていただきま…』
ムーディー代表が一部の隙も無い完膚なきまでの締めを制止する。
『今しばらく、ほんの少し吾輩に時間をいただきたい。コホン…シングリラでは天賦の才を持つ者に対して、いついかなる場合でも門戸が開かれている。』
『来る才拒まず、去る才涙の大送別会、我等の重要な掟ですなぁ。』
老人が目元を拭う。
『そりゃあ…懐の広い……』
何か不吉なものを感じたか、アヤカシが一歩後ろへ下がる。
しかし…既にアヤカシは王手をかけられていたのだ。
『それ』に気づいたアヤカシは硬直し、鎧の接合部が一斉に高い音を立てる。
挟まれていた。
船乗りチョルドの操るヨコバイが、誰の目にも留まらぬよう背後に回り込んでいたのだ!(多分カブウから逃げてるだけ。)
なるほど1.5cmに満たない虫の体躯は隠密行動に最適だろう、さらに悪いことにアヤカシの板金鎧はフルフェイスの兜付き、視界不良!
満を持してムーディー代表が口を開く。
『シェフ、貴殿もシングリラと共に歩まないか?』
『やっぱりかぁ〜っっ!』
熱烈なヘッドハンティングであった。
『お断りさせていただく!おれが一緒に歩むなら、お相手はコトネさんただ1人!マオウ大戦より前から決めているので!』
シングリラの面々ががっくりと肩を落とす。
『そうですか…では、もう1人の方はいかがですか?』
『もう1人?』
『ええ、吾輩のちょっとした特技でして。己のような、天に愛された者を見分けることができるのです。やはり持つ者はオーラが出てしまっているものです。貴殿ほどモクモクしている状態は初めてですが。』
『これ、体の一部なんですよ…』
『ハイハイ!もしかして私だったりしませんか!』
手を挙げたイオンを見て、ムーディー代表が静かに頷く。
『うん、全く違う。失礼ながら一欠片のオーラも無い。かわいそうに。』
『そんな殺生な!』
『ドーンマイ、じゃあカブさんでは?確か前に能力で復活しただの言ってたような…あ、お客様の後ろに掛かってるそちらです。』
くるりと振り向いたムーディー代表に、カブウがお茶目なウインクで応える。
『これは驚いた。シングリラ構成員にも個性あれど…ここまでの存在感は初めてお目にかかりました。まあオーラは微塵もありませんが。』
カブウが壁からずり落ちる。
『そそそ!そんなことが!』
『生き返ること、それ自体が能力の作用だとするならば、もう役目を果たして消えているのかもしれない。これまた初めて見るパターンです。』
『じゃあ俺たちにはいない…か。アヤカシさん、コトネ店長とかどうなんですか?』
『おれの知ってる限りでは無いなあ。カンクーペの奴も同じく。』
『ふむ…吾輩の勘違いやもしれませんか。思い返せば、遠くと近くに同時にいるような、胡乱な気配だった。まあ我々は世界より羨望される身、たまの運命的失態はやむなしでしょう。』
『そんな日もありますよ。気分転換にデザートはいかがです?』
ムーディー代表が懐中時計を開く。
『おや、また止まっている。ドクター、ちょっとお借りするよ…余裕十分、先生も来ていないことだしいただくとしよう。』
『ありがとうございます。さて厨房へ舞い戻ろうかジュラ。あぁイオンちゃん、シングリラの皆様にお茶のおかわりを頼むよー。』
『了解しました!アツアツをお持ちします!』
『今日はお天道様もご機嫌だ、今度はアイスを所望したい。』
遮蔽物の無い真夏の草原、小さな虫が迂闊に跳べばたちまち香ばしいパウダーへと姿を変える、そういう乾ききった熱が店を取り囲んでいた。
だからそれは当然の欲求である、であるのだが…
『あ、店長の方針でアイスティーはやってないんですよ。申し訳ありません。代わりとして、手持ちのみぞれ雪置いておきます。』ベチョ
『ほのかな霧雨の香りだ…』
『こんな展開もあろうかと、既にデザートの準備はしてあるんだ。後はちょいと切り分けてメケムンのモトドリを散らすだけ!』
『わーお、流石用意が良い。そして俺もわかりかけてきてますぜ!ズバリ、メケムンのモトドリってのはこれだーーっ!』
緑色をした五線譜上にありそうで存在しない形状のフルーツを手に取る。
兜の奥でアヤカシが笑った気がした。
『全然違うな。それはミチンガのチだぞ、食べると死ぬよ。』
『キッチンに毒物置くなぁぁぁぁッ!てか、昨日これがそうって教わったんですが⁉︎』
『よく見てみなよ。表面の虚毛が0.2mm長いぞ。』
『知らねー部位の見えねー長さだ…』
『そのうちわかるようになるさ。さて、一つシェフとして見せるとするかな。』
目の前にはアヤカシが『デザート』と称する、強めの炭酸を注入された卵黄のような物体が鎮座していた。
一閃、振るわれるは腰に佩いた妖しき刃。
それだけで『デザート』は5等分に均され、メムケンのモトドリも向こう側が透けるようなフレークとして散らされていた。
『コトネさんのように完璧な仕上がりだ…』
『五切れ…そうか、特別顧問なるヒトもいらっしゃるとか言ってましたね。』
『その通りさジュラ。肝要だぞ〜客のポロッと漏れた言葉から、好みだとか分量だとかを推測するのは。店やるつもりなら特に。』
『フーン、流石は料理長。気づかれてましたか。』
『手洗いの所作でバレまくりよ。おれは応援しとくぜー。』
『ありがとうございますー、店建てたらご招待しますよ。先約があるんで一番は難しいかもですけど。』
生きて魔界に帰れたら、と心中で付け加える。
『フフフ、なるべく早いうちに頼む。コトネさんと『2人で』行きたいからさ。』
ジュラが完成したデザート?を抱え、ホールの方を向いたその時、カウンターの向こうからイオンがひょいと顔を出した。
『うわっ、びっくりさせんなよ。落として火ぃ出たらどうすんだよ。』
『まっさかー、私が作ったのじゃあるまいし。それより、すごいお客さん来てるよ!』
『問題はどういう方向での『スゴイ』なのかだな。』
『ジュラもよ〜く知ってる人だよ。とにかく来て来て。』
『知り合いか〜?まあそれ持ってくついでだ、喋ってきなよ。』
『いいんですか?結構お客さんいますけど。』
『おれを誰と心得る。ワンオペ最強アヤカシさんだぞ?これしきでへこたれたりゃあしないとも。』
鉄仮面の奥で漢気(或いはかなしみ)がギラリと光る。
『ありがとうございます、なるべくすぐ戻りますんで…』
背中に注がれる引き留めたそうな視線を浴びつつ、ジュラ・パズズは厨房を後にするのだった。
『やあ、世間って狭いね、アタマアブの額くらい狭い。』
シングリラの面々と談笑していた『それ』の首が180°回転し、右肩からニョッキリ生えてきた第3の手が艶の無いシルクハットを少し上げる。
全身に虚空を溶いて塗りたくったような異様な風体に、顔と思しき場所へ鎮座する巨大な1つの眼。
変人の巣窟らしき自称秘密結社シングリラ、その特別顧問になるようなのも、また変人には違いない。
そう予想はしていた。
『だとしても…この広い世界で、まさかあんただとは思わなかったですよ。コード・フェイス卿。』
空が六角形に割れたあの日、ジュラ達に断命の一撃が振り下ろされようとしていたあの時、どこからともなく現れて、あっという間にその場を掌握してしまった怪人紳士。
目の前で椅子の脚を浮かせて鎮座しているのは、あの時と寸分違わぬ容姿のコード・フェイス卿だった。
『こちらとしても、嬉しい再会だよジュラくん。時に、その後はお元気かな?腎臓が2つになっていたりはしないかな?』
『いや、元々2つ…なのか?あんたの場合…』
『なんてことを聞くんだい、すけべ少年。』
コード卿が恥ずかしげに目線を逸らす。
『えぇ…あんたが始めた話じゃんかよぉ…』
『コラ、お客様にタメで話すやつがあるか。言葉ってのは環境の品位も決めちまうんだから、もっとコトネさんくらいステキな…って、コード卿!うおぉ!マジでお久しぶりです!』
食器棚の陰からするりと現れたアヤカシが、コード卿の姿を見るなり駆けよっていく。
『おお〜、鎧っ子のアヤカシくんじゃあないか。ゲリラ的同窓会だね。』
『その口調。白々しいというか、胡散臭いというか、コード卿もお変わりないようで。』
『そう言うキミは一層男前を上げたようだね。兜がツヤツヤのキュルキュルリンだ。想い人は振り向いてくれたかい?』
『コード卿、太陽へ飛んだ迂闊な鴉は灼かれてしまうんですよ、ほら、おれなんか全身濃いめの色なんで特に。』
『奥ゆかしいことだね。』
『あのぅ…ちょいといいですか?』
おずおずと手を挙げたジュラに2人の視線が注がれる。
『どうしたんだい⁉︎魚の目でもできたのかい⁉︎』
『どういうスピード感⁉︎…じゃなくて、コード卿とアヤカシさん、知り合いだったんですか⁉︎』
アヤカシが首を振って肯定する。
『うん、おれがこんな体してる元凶だよ。』
『そうとも私がフィクサーです。』
『あー…深入りはしない方がいい話で?』
『いーや、もう過ぎたことだし。そもそも過失の大半おれだし。』
『そうとも彼が真なるフィクサーです。』
さぞ深遠な事情があるのだろう…的なジュラの気遣いなどどこ吹く風、当事者達は酒宴での失敗談でも語るようなノリである。
『といっても大仰に語るようなことじゃなくて、おれがコード卿の手記を読んでるうちに体が霧みたいになっちゃって、なんとか支えようとして潜り込んだのがこの甲冑だったってところさ。』
『運命とはげに恐ろしきかな。偶々侵入した曲者が、偶々開いてあった本を読み、あまつさえ智を拝してしまうなんて!』
『よく言ってくれるよなー。おれが脈無しだったら庭にすら入らせないくせに。』
『人聞きの悪いことを言わないでくれたまえよ。全ては満ちられぬ月の故、なのさ。』
『あーつまり、コード卿の魔導書を読んじまったアヤカシさんが呪いを受けた…と。』
『魔導書とはちょっと違うかな。単に、日々の思索をざっくばらんに記した、とりとめの無い手記さ。第一、魔法に関して私は素人同然なのだからね。』
『ますますもって意味わからねー…』
『ならばこそ、識るを愉しもうじゃあないか。一頁を繰った先は暗澹たる黄金郷かもしれない。』
『不穏だなぁ。イオンは何のこっちゃわかったか?』
『ズバリ、アヤカシさんは個性的なカゼにかかっちゃったんだよ!』
『カゼって言葉は十徳ナイフじゃないんだぜイオン。』
『じゃあ暖かくしてよく眠らなくてはね。さて、皆を待たせてしまっていることだし、そろそろデッザァートをいただこうか。』
シングリラの長が手を挙げる。
『とんでもありませんよコード卿。旧友との語らい以上に優先されるべきことが、どれほどあるでしょうか。ただ…一つ願うなら、我々も野次馬としてこの場に居させていただきたい。この、美麗なる皿を共に楽しむために。』
『そこで買った土産物がまたワケのわからない感じで、鉄球がすごい勢いで出てくるんだよ。下手すりゃあそこで俺片目になってるぜ。』
『そりゃあ面白い。私も足を運んでみたいね。やはりお迎えするならトールサイズかな。』
『それはもう拷問処刑器具なんじゃねーかなぁ。てか今あれどうしてんだ?』
『布で縛って奥にしまってあるよ。威力はいつでも上げれます!』
『バカやめろ。』
ムーディー代表が手を鳴らす。
『いやー、ヒノ国の旅行譚、実に興味深く聞かせてもらった。彼の地にも我々の同胞は居るが、中々行けないのが口惜しいよ。昔まとめて熱中症で倒れて退却したこともある。』
『ひえー、大事にならなくてよかったです。』
『しかしまったく面白い国だったよ。温泉で涼むような灼熱地帯なんて、そう味わえるものじゃあない。』
『すごーくいいとこですよね!そういえば、私ライフワークで発明をやっていて、ヒノ国を歩くのにピッタリなモノ作ったんですよ。耐熱性バツグンで、ご飯食べて寝るのが補給代わりになるってモノです。』
『ぜひ、話を聞かせていただこう。少なくとも吾輩は大いに唆られているっ!』
『ふへへ、お目が高い!このイオン・アイシクル、精魂尽き果てるまでお勧めいたします!』
闇の組織シングリラ、アイシクル工務店の筆頭エンジニアは彼等の隙を逃さない。
そこが山紫水明の秘境であろうが、営業中の他人の店であろうが、工務店の名は売らせていただく。
ビジネスチャンスと気に入ったものは、確実に掴むのが彼女の生き方なのだ。
『商魂逞しいというか、節操足んないというか…すいませんアヤカシさん、営業中だってのに…』
『別にいいぞー、他所じゃやるなよとだけ言っといてくれ。しかし、龍脈活性中のヒノ国観光たぁ、見かけによらず相当な冒険家だったんだなーお前ら。』
『お褒めにあずかり、光栄の至り…つっても、イオンに引きずり回されてるだけですけどね。』(実際、死にかけてはいるんだよなぁ…ま、話しちゃダメそうな内容が多すぎて、だいぶ端折ってるけど。)
せっかくの武勇伝も虫喰いでは格好がつかない、泣く泣くの封印である。
『実にエネルギッシュな土産話だったよ。コード卿、思わず胃潰瘍できちゃった。相当な修羅場を潜り、2、3回は惨死してきたのだろうねぇ。』
『いや、俺は命一つ系生物なんで。てか、大体はそうなんで。…まぁでも、あの時拾ってもらった命は、何とか生き残っちゃってますよ。』
『果報だね。ねじれさせて待っていたかいもあったというものだよ。』
『どこを⁉︎』
喜んでいるのかからかっているのか、単眼の紳士が存在しない口元を緩ませた…ように見えた。
『名残惜しいところだけど、今日も鼓動は止まらない。そろそろお暇するとしよう。また見えた時は冒険譚を聞かせてくれたまえ。商談も成ったようだしね。』
横目で見たイオンのメモには、取り付けた耐久スーツの注文と闇の組織の連絡先(代表の住所)が堂々と記されていた。
『毎度あり〜。あ、ジュラでも見ちゃダメだよ!機密文書だからねー。』
『あ、そのテイは継続で行くのね。…そういや、お客さん方はどちらまで行かれるんですか?いや、秘密組織に聞くのもヘンな話ですけど。』
ムーディー代表が膝を打って立ち上がる。
『その通り、闇に生きる我々は所在も行動も、決して浮世の民草に知られてはならないのだ!まあ今回は特別にお教えしよう。』ナイショニシテネ
既に若干聞いたことを後悔しつつあるジュラ。
『ハァ…墓まで持っていきますよ。』
『同じく!来世でも黙ってます!』
『そうだ!それこそ接客ってもんだぞお前ら!あ、私どもの店は防音性の高い作りになっておりますので、重ねてご安心を。』
『ありがとうシェフ。君達はここより400km南方に在る、「アブラミテス蟲銅鉱山」を知っているかね。』
『いやー、ここで暮らすのも長くなりますけど、さして近づいたりはしない場所ですねぇ。』
住民のアヤカシがそうなのだ、当然ジュラとイオンにとっては初耳に等しい名である。
『そうでしょうそうでしょう。まあ至って普通の鉱山です。最近拓かれたばかりの場所で、まだまだこれからといったところですかな。』
鉱山だとか地下だとかのワードにいい思い出の無いジュラが顔をしかめる。
『そりゃあ…景気の良い話ですねぇ。けど、そういうとこはもう大方がめつい連中が牛耳ってるものなんじゃないですか?』
『もっと視野を広く持つべきですな、青年。金子なんて我々にはいくらでもある。今更どうして求めようものか!』
『そりゃあ尚更景気の良い話で。じゃあ物見遊山ですか?』
『ノンノンノン、我々は崇高なる信念をもって鉱毒の対処にいくんだ。』
『…鉱毒?』
老医師が頷く。
『うむ、人間の歩みにまとわりつき、この大地さえ殺しかねない、きわめてシリアスな難題だ。嘆かわしいことに、それがアブラミテスで起きてしまっている。』
『しかし皆様、お心配は無用ですことよ!この私、ラミナ・L・オースはじめ高潔なるメンバーが、圧倒的なお資産をもって処理施設を建設中ですわ!』
『ラミナ女史の言う通り!当然、我々の仲介で鉱山会社と住民の摩擦も解決に向かっている。後は現場に向かい、直接仕上がりを確かめるのみというわけだ。』
寡黙な船乗りが傍に置いていたカバンを開く。
中には、丁寧に装飾された人数分のヘルメットがキッチリ詰め込まれていた。
その奥に見えるロープや携帯式魔力灯も見るに、本気で鉱山へと赴くつもりのようだ。
『すげーですねお客さん。中々できることじゃ無いですよ。』
『そうだろうとも、しかし我々は闇に在るシングリラ。この程度のプロジェクト、起案実行などわけないのだよ。』
『これは自画自賛だが、流石は我らシングリラというところかの。』
高笑いする闇の組織をコード卿が生暖かく見守る。
『いやーすばらしいお話です。私どものような零細喫茶店には、想像もできない世界ですよ。』
『なあに、これも恵まれし者の務めです。そう、この世で最も素晴らしき力を、天より授かった我々のね。』
呆れ返るほど不遜で毒気の無い言葉だった。
きっと、彼等の行動の裏には後ろ暗さを生じさせるに十分すぎる土壌があるだろう。
陰謀も談合も、平然と行われるに十分な規模の金額を動かす力があるのだろう。
しかし、彼等に負い目は全く無い。
汚れの付け入る全ての隙を、呆れ返るような全能感で塗りつぶしている。
彼等の行動は、ただ彼等自身の高潔に高貴な自身の能力に、相応しくありたいという願いが原動力だ。
彼等は、純粋な理想に生きる者達だった。
ムーディー代表が思い出したように懐中時計を確認する。
『おっと、とっくに時は満ちていた。名残惜しいところではあるが、現地入りの時間を遅らせるわけにはいかない。』
『ウム、特別顧問もお忙しい。このユートピアに別れを告げるとしよう。』
『船員のことわざに、時間を軽んじる者は命も軽い…とある。』
老医師と船員がその言葉に同意する。
『フフフ、流石はシングリラ、賢明だね。しかし、一つだけこのコード・フェイス卿から我儘を進言してもよろしいかな?』
『『『『お聞きしましょう!』』』』
『こちらのお店では、実に素晴らしき合奏を味わうことができてね。この玉虫色の頭脳はそろそろ時間だと記憶しているのよん。それだけでも、聴いていって損は無いんじゃないかな。』
『なんと!そんなサァービスが。流石、特別顧問は博識であらせられる。しかし…いや、拝聴しましょう。恵まれし我々には深き教養を蓄え、天下無双となる義務がありますのでな。』
『素晴らしきモチベだねぇムーディー君。ということなのでね、とびきりのを頼むよ。』
アヤカシが鉄兜の頬を掻く。
『コード卿にそう言われちゃ、こっちも気合いが入るってもんですよ。じゃちょっとコトネさんと相談してくるんで、しばしお待ちを。バイトどもは準備しとけ〜、ライコにも声かけとけよ!』
アヤカシが床板の隙間にぬるりと消え去り、合わせてジュラ達も慌ただしく動き始めるのだった。
『みなさま、本日はご来店いただきありがとうございます。今日もたっぷり乾燥していますよね。この分だと、来年には砂漠が広がって、洗濯物が砂まみれになるのではと心配です。え、去年も同じこと言ってた?そうでしたか、コトネジョークです。まぁ備えあればなんとやらと言いますし、私は最近ダウジングでお宝を見つける練習をしています。これがとても楽しいもので、この間は夢中になりすぎ、気づけば獣に囲まれていました。びっくりしました。みなさんもどうぞお気をつけください。それでは、本日の一曲…『薄暮の夢』、お聞きください。』
コトネによる恒例の前口上が終わり、静寂がギラギラ暑い店内を支配する。
誰かの汗が落ちる音か、太陽が小さな雲に横切られた一拍か。
とにかく、ベストなタイミングの到来を確信したアヤカシが指揮棒を振るった。
最初は炎の周りで右往左往する蜉蝣のような、消え入りそうなバイオリンのソロ、いきなりのジュラのパートである。
ここで舞台に立つのも数度目になるが、その度ジュラは久しぶりに触る割には、中々のものではないかと自賛していた。
たまには自分に甘く当たろうじゃないか。
数小節後に追い縋ってくるのはライコのオルガン。
あの性格と血と脂でコーティングされているであろう手先から、どうやってこんなにも儚げなメロディーが発生しているのか、甚だ不可思議である。
薄氷の上でふにゃふにゃと戯れる妖精のような、掴みどころのない旋律は以後この曲の主役を張る。
ふと飛び込んでくるカンクーペのフルートとカブウの放つ形容し難い音。
その不思議なまとまりを持った音は、ベビーベッド上に吊るされた回るおもちゃのように、心地よい眠気を呼び起こす…
奏者の中に、わけのわからない方法で音を立てる珍獣が紛れ込んでいることさえ忘れられれば、だが。
そして、自信たっぷりにMCを終えた我等がコトネ店長はというと…イオンの横に仲良く腰掛け、阿吽の呼吸をもって、子供のおもちゃ向けに簡略化されたカスタネットを叩いていた。
これもまた、いつも通りの光景である。
『実にブラボー、耳の無い私の心にもたっぷり響いたよ。』
撤収中のジュラの影から、拍手をしつつコード卿が現れる。
『…ありがたいお言葉ですがね、その出てくるたび未知を増やすのどうにかなんないですか?もう今カブさんとコード卿の顔が浮かんでは消えてしてるんですよ。』
『確かに彼は、いいジェントルだ。それにしても、ささやかに出会った少年が、確かに成長して目の前に現れる。まったく至上の幸福だね。』
『随分と控えめな。アンタは俺たちの恩人ですよ、それも特大の。あの時言い切れなかった分も合わせて言わせてもらいたい。死を待つばかりだった俺たちを助けてくれて、本当にありがとう。この恩は一生です。』
たぶん笑っているのだろう、コード卿の体が無音で上下に跳ねる。
『イオン君も同じようなことを言っていたよ。そんな手厚くお礼してくれたって、大陸くらいまでしかあげられないよ?』
『そんな重てーもんいらねーよ、過積載だってイオンが怒るぜ。』
『そうなのかい?じゃあ重さを0にしてからあげよう。』
『まさか、感謝ってモンを取り消したくなる日が来るとは思わなかったぜ。…ランスもいたら喜んだだろうにな。』
『彼には彼の道があるものだよ、ジュラ君。次の交差点で会った時、話のネタがどれだけあるかが重要なのさ。』
『…そうだな!せめて、10日は紅茶で飲み明かせる量は貯めとかないとな。』
『オチはカフェイン中毒かな。さて、そろそろ私も自分の道に戻ろうか。』
『ご来店ありがとうございました。お気をつけて…なんて言ったら、アンタは滑稽って笑うか。』
『私は君のそんなところが好きさジュラ君。あ、そうそう言い忘れるところだった。君の秘密は誰にも言ってないよ、安心して昼夜過ごしたまえ。』
コード卿が頭の横に角を生やしてみせる。
『は、え?どういう…』
ジュラが問いただそうとした瞬間、コード卿はすでにはるか上空へ停泊した大型飛行船の窓から手を振っていた。
『じゃ、奥の子犬ボーイにもよろしく〜。』
結構な距離が開いたというのに、その声は対面していた時と何も変わらない聞こえ方をしていた。
『おお、流石は特別顧問。なんたる早業かな。では我々も。オホン、此度のサービス、大変に満足度の高いものであった。よって我々シングリラは、憩いの場たる『白子鳩』とそのスタッフへの感謝と敬意を表し、特製のエンブレムを授与する。ぜひ受け取っていただきたい。』
船乗りの押す台車に乗って運ばれてきたそれは、石の塊に彫られた結社のシンボルマークであろうリボン付きの花束だった。
『ドクターの能力の産物たる、特別なお岩ですわー!』
よくよく見れば、ドクターが腕を少し摩っている。
なんちゅう危なっかしい能力だ。
ちなみに、恭しくそれを持ち上げてまじまじと見たコトネの感想は、『わぁ、重いですね。』であった。
『まったくいいブレイクが過ごせた。では、またいずれ!』
飛行船から伸びた光の筒が、シングリラのメンバーを取り囲む。
途端に彼等の足は大地を離れ、その体はゆっくりと飛行船めがけて上昇し始めた。
『ジュラ!ジュラ!すごい!最新のピラー式だよ!ウチもあれにする!』
『えー、あれ足元とかどうなってんの。フワフワしてんなら俺ムリだぜ。出入りの旅に顔覆いたくねぇ。』
『じゃあやめとこかー。』
高笑いをしながら昇っていくメンバーを納めた飛行船は、軽快な音を立てて抜錨し、目指すべき場所に首を向けて旅立つ。
その横っ腹には、真新しい塗料で堂々とリボン付きの花束が描かれていた。
『…なーにが秘密結社だよ。』
稀代の変人集団、シングリラ。
闇に沈みつつある空へと消えゆく彼等を端に見つつ、店長筆頭スタッフ一同、重い上に無駄にスペースを取る頂き物の置き場所を勘案するのだった。
『世の中、変な連中がいるもんだな。』
『まったく、衝撃だよねぇ。』
『うん、カブさんが同意しても説得力ねーな。てか、ライコ。てめーわっかりやすく客選り好みしてんじゃねーよ。』
『あー?あんなザコ4匹にどう興味持てってんだ?オマケにソイツ等、世のため人のため的な活動してんだってな?天敵だよ天敵、聞いただけで蕁麻疹が止まらねぇぜ。』
『5人だろ、気づいてなかったのか?』
『あ?もう1匹居たのか?まぁどうせ雑魚だろ。』
つくづく社会に向いていない生き物。それがライコ・フォン・トルバーフロスという男である。
『んなことより、面白いモン見つけたぜ。』
ライコが珍しく声のトーンを抑え、懐から何かを取り出す。
掌の上で、宝物のように圧倒的な存在感を放つその物質は………酷く変色しカビた果物だった。
『うわっ汚ねぇ!早く捨てろそんなモン!』
『その唯一無二のセンス、カブさんはアリだと思うよ。』
『憐れみを向けてんじゃねぇぞデカ頭。やいのやいの言う前に、もっと顔近づけてよく見てみろボンクラ供。』
仕方なくその元フルーツとお近づきになるジュラ、違和感は対象が目前となる距離に達したその時に訪れた。
そこにあるべき何かが無い、砂糖を小さじ一杯少なく入れてしまった料理のような、物足りなさ。
ついにほとんど鼻の頭に触れそうになり、ようやくその正体に気づく。
物体には、臭いが無かった。
腐臭も、黴臭も、一緒にどこかへ挟まっていたであろうホコリの臭いさえも。
何も無い事は、何かがあるということよりも奇怪だ。
鳥の声が聞こえない森は不気味だろう、漣さえも無い海は悍ましいだろう、台座だけが誂えられた指輪を付けた者には近づきたくないだろう。
萎びて微生物に覆われたその物体は、そういう異物だった。
カブウが触手で直に触れ、首を傾げる。
『確かに腐敗は進行している。しかし、乾燥度合いを加味しても無臭が過ぎるのは確かだね。』
『オレの見込みじゃ、アヤカシの奴がエゲツナイ薬を撒いてるんだと思うぜ。』
『てめー仮にも雇い主になんて事言ってんだ。そんな事……あるわけないとは思う。』
『なんでテメェもややオレ側なんだよ。』
『しょうがねーじゃんかよ〜、あの人の作業1ミリも理解できねーんだもん。見たことあるか?たった今まで切ってたベーコン?が、小粋なタンゴを踊り出すとこ。』
『世の中不思議なことが尽きないねぇ。』
不思議を厚化粧したような生首が言う。
『全く臭わないが、クサいぜこの店は。タライロンの裏通り以上に入り組んだ秘密があると嗅いだ。』
哀しいかな。
経験上、ジュラは『秘密』という単語に忌避感を覚える体になっている。
『勝手にやってろよな、俺たちまでクビにならねー程度に。』
『キレーなツラした店長だからな。さぞ甘い秘密だろうぜ。』
『俺は別に興味ねー。』
ジュラが頭からブランケットを被る。
シバかれるならお一人でどうぞ、万国共通の意思表示だ。
『俺も遠慮させてもらうよ。経験に学ぶなら、彼女のようなタイプは怒ると怖いんだ。』
カブウも静かに目を閉じる。
俄かに静まり返った部屋で、ライコもまたちゃんと響くよう舌打ちして床に着くのだった。
この店の防音性は完璧だ。
例え、真夜中に即興の鼻歌を愉しみながら仕込みを行っていても、愛しいあの人の眠りを妨げる心配は無い。
肉厚な胸鰭を切り取られた魚が、俎の上で跳ね躍る。
パクパクと開閉する口からは、呻き声の一つも上げられないようにしてある。
そんな気分の悪い声を聞いたって仕方が無いからだ。
一般的に耳とは、聞きたいことだけ聞ければそれでいいのだ。
魚は、もう少し早くそれに気づくべきだった。
鱗を4分の1程度剥いだところで、シェフは目的を達した。
あまりクセの無い魚で助かった、というべきだろう。
一枚一枚鱗を剥いでいくと、どうしても後々の掃除が大変なのだ。
傍に置いたペンが、1人でに情報を記録し終えたのを確認すると、シェフは満足気に腰の包丁を抜き、一振りと少しで魚の首を落としたのだった。
世界エンジョイ勢シングリラ、またどっかで出したい。
登場人物
ムーディー・ホワイトJr
チャンカチャカ王国専属の紋章官。
最近息子に任せて引退し、好き放題している。
ランフー・ドゥ
ムーカイソ王国サイギョウ街で個人クリニックを開いている。
かなり高齢の幻妖族だが、シングリラに入ってから元気になった。
ラミナ・L・オース
一族内で能力を誇り過ぎて煙たがられ、過去の帳簿の管理だけをやらされていた。
シングリラのメイン資金源。
ガム・チョルド
寡黙な船乗りとして満足の行く人生を送っていた。
難病に罹患した息子の治療費を全額立て替えたムーディーに感銘を受け、シングリラに加わった。
用語集
幻妖族
マオウ軍に多くの者が与したことで天界を追われ、地界では悪魔と呼ばれて忌み嫌われた種族。
肉体は貧弱だが幻覚を見せる鱗粉を分泌する。
シングリラ
能力者同士の相互扶助によってその異能を研鑽し、異端者が少しでも生きやすいようにすると同時に、ゆくゆくは世界征服(笑顔溢れる世界)を目論む秘密結社。
加入条件は能力者且つそれに相応しい高貴な精神を持つことのみ。
オース一族
農作物、特に砂糖の原材料の栽培輸出で莫大な富を得た一族。
その功績をもってタミア国より貴族の位を得ている。
聖石祭
聖人サンタコロナが石から産まれた奇跡を祝う祭り。
大理石のようなカチカチのクッキーを、1日かけて食べるのが慣わし。
宝石鼬
サイレンス共和国及びカロウエルのごく一部に生息する艶やかな毛並みの哺乳類。
体毛の構造色により無限の色を持つ毛皮として大人気。
アブラミテス蟲銅鉱山
拓かれてまだ5年と経たない新進気鋭の鉱山。
蟲銅産出量は現在世界3位。